戦前の日本国家とその戦争を肯定する者のみが戦争による死を「尊い犠牲」と価値づけることができる

2016-08-16 08:35:41 | 政治

 安倍晋三が8月15日、全国戦没者追悼式で式辞を述べている。   

 安倍晋三「あの、苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に亡くなられた御霊、皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時たりとも忘れません。衷心より、哀悼の誠を捧げるとともに、改めて、敬意と感謝の念を申し上げます」――

 一般的には「犠牲」とは、新藤義孝が以前靖国神社を参拝したときに同じようなことを書いたが、犠牲を捧げる側が捧げる対象を特定していて、捧げるに相応しいと対象を高く価値づけていると同時に対象自らが犠牲を捧げる側に対して捧げる行為を高く価値づけている価値観の双方向性を構造としていることによって成り立つ。

 戦前は奉仕という概念で天皇や日本国家への忠節を求め、命の犠牲まで求めた。 

 いわば天皇・国家に対する最大の奉仕が天皇や国家の求めに応じて命を投げ打つこと、命の犠牲であった。 

 英霊の場合は戦前時代の昭和天皇や戦前の日本国家を対象とした命の犠牲であり、命の犠牲に値する天皇の存在性であり、戦前日本国家だったと価値づけていたと同時に天皇も戦前日本国家も国民や兵士の命の犠牲をそれぞれの存在に相応しいものと価値づけていた価値観の双方向性を構造としていた。

 勿論、戦前は特に天皇・国家を上位とした国民との関係を権威主義の力学が強固に支配していた時代であったから、天皇も戦前日本国家も国民の犠牲を受けるに相応しい存在であると自らを価値づけてもいた。

 その象徴が1941年1月8日に陸軍大臣東條英機が示達した戦陣訓の一節、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」(死すべき時に死なずして、生き残って捕虜としての恥辱を受けてはならぬ)の天皇・国家に対して兵士は死を以ってしても奉仕に努めよ(=自らを犠牲にせよ)とする要求であろう。

 太平洋戦争に於いて日本軍部隊の全滅を「玉砕」(玉と砕ける)という言葉で表現し、本土決戦を策して「一億玉砕」などと国民全員が主体的に自ら進んで死を代償とする意味を持たせたのも、戦前の日本国家が天皇をも代表して国民に最大の奉仕としての命の犠牲を常に求めていた精神が言わせることになった表現であるはずだ。

 安倍晋三にしても稲田朋美にしてもこのような精神――命の犠牲を求める精神を戦後の日本に於いても生きづかせているからこそ、次のような言葉を口にすることができる。

 稲田朋美(2006年9月4日付の産経新聞インタビュー)

 稲田朋美「真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」

 安倍晋三「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」(自著「国家を守る決意」)

 二人共このようにも、流石に天皇のためにとは言っていないが、国のために命の犠牲を最大の奉仕とする国民を理想の国民像としている、

 安倍晋三はまた全国戦没者追悼式で、「皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを、片時たりとも忘れません」と言っているが、誤った愚かしい戦争での戦死が「尊い犠牲」であるはずはない。

 「皆様の尊い犠牲の上に」存在することになった現実は勝てぬ戦争を勝てると妄信して起こして結果として手に入れることとなった国土の破壊と膨大な数の兵士・国民の命の犠牲であって、「私たちが享受する平和と繁栄」は戦後世界に生きた国民の愚かしい戦争への反省の上に存在することになった、前者とは対極の現実であるはずである。

 安倍晋三にしても稲田朋美にしてもその戦争と戦争による犠牲を意味のあるものと価値づけたいがために「尊い」とする形容詞を付けて戦後の平和と繁栄を結びつける必要が生じる。

 そこに反省なる心的作用を介在させていなかったなら(最大の犠牲者たる国民が最も強く反省していたはずだし、生き残りながら、戦争を総括しなかった国家権力層は反省心は不足していたはずだ)、戦後の平和と繁栄を生み出す原動力足り得なかっただろう。

 大体が米政府と米軍が日本の国土を破壊し、多くの日本国民の命を犠牲にしたのではない。日本が起こした戦争が米政府と米軍をして日本の国土を破壊させしめ、多くの兵士と国民の命を奪わしめた。

 悪の根源は天皇を利用して愚かしい勝てぬ戦争を起こした日本政府と軍部である。そしてその戦争が天皇や国家に対しての最大の奉仕は命を投げ打つこと、命の犠牲だと要求した。

 そのような犠牲から「尊い」という答は出しようがない。戦前の日本国家を肯定し、その戦争を肯定する者のみが出すことのできる「尊い」という答えでなければならない。

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