
稲田朋美はサンフランシスコ平和条約発効日と同じ4月28日と終戦記念日の8月15日に毎年靖国神社を参拝している。昨年2015年の平和条約発効日に当たる4月28日も参拝した。
参拝後の対記者団発言。
稲田朋美「主権国家として、しっかりと歩んでいくという思いを込めて、この日に参拝を続けている。きょうも、祖国のために命を捧げた方々に感謝と敬意と追悼の気持ちを持って参拝した。靖国神社を参拝することは国民一人一人の心の問題だ」(NHK NEWS WEB/2016年)
命を捧げた対象国家としての「祖国のために」の「祖国」とは、断るまでもなく戦前日本国家――大日本帝国である。戦後民主国家日本は戦後登場したのであり、戦前存在しなかったのだから、勿論のこと、戦前の兵士が戦後民主国家日本を命を捧げる対象国とすることは不可能で、対象国としたわけではない。
稲田朋美は「祖国のために命を捧げた」と、その「祖国」の価値を認めることで、戦前日本国家――大日本帝国を肯定・賛美し、戦前日本国家を理想の国家像としている。
同時にそのような価値ある「祖国のために命を捧げる」ことを理想の国民像とした。
そして稲田朋美はこのような理想の国民像を現在に於いても追求して止まない。
いわば靖国神社参拝では戦前日本国家を命を捧げた対象国として肯定・賛美し、戦没者を追悼しているが、戦後に於いも戦後民主国家日本を命を捧げる対象国とすべく欲求している。
このことに関する稲田朋美の発言が2016年8月2日付「Litera」に載っている。部分引用。
稲田朋美「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」(講演会での発言)
稲田朋美「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「Will」2006年9月号/ワック)
稲田朋美「祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国にモラルもないし、安全保障もあるわけがない。そんな国をこれから誰が命を懸けて守るんですか」(「致知」2012年7月号/致知出版社)
(稲田氏は06年9月4日付の産経新聞で、『国家の品格』(新潮新書)で知られる藤原正彦氏の「真のエリートが1万人いれば日本は救われる」という主張に同意を示して)
稲田朋美「真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない」
安倍晋三にしても自著『この国を守る決意』で同じ趣旨のことを言っている。
安倍晋三「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」
安倍晋三にしても稲田朋美にしても国民が国家に尽くすことを「命を投げ打つ」こと、「命を捧げる」ことだと、戦没者兵士が「祖国に命を捧げた」のと同じことを求めている。
当然、二人は戦争という場面でこそ、「命を捧げる」ことのできる国民を理想の国民像としていることになる。
いわば理想の国民であるかどうかの価値尺度を戦争で「祖国のために命を捧げる」ことができるかどうかに置いている。
だからこそ、靖国を参拝して戦没者を「祖国に命を捧げた」と追悼する必要が出てくる。
要するに靖国参拝とは稲田朋美にとって戦没兵士(=英霊)の慰霊を通して執り行う戦前日本国家肯定の儀式であり、戦前日本国家を理想の国家像とし、戦前戦没兵士を理想の国民像とするセレモニーとしている。
勿論、この点に関しても安倍晋三も稲田朋美と精神性を同じくしている。
2012年12月26日の第2次安倍内閣発足以降、安倍晋三は靖国参拝を我慢し、春季例大祭、秋季例大祭、8月15日の終戦記念日共真榊奉納で済ませていたが、発足1年後の2013年12月26日、靖国神社を参拝している。
安倍晋三「本日靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そしてみ霊安らかなれと手を合わせて、参りました」
稲田朋美の「祖国のために」が安倍晋三のこの場合は「日本のために」と変わっているだけで、意味するところは同じである。
英霊が「日本のために尊い命を犠牲にされた」と評価しながら、実際は戦前日本国家を肯定・賛美し、命を犠牲にした戦没兵士を理想の国民像としている。
この安倍・稲田の戦前日本国家――大日本帝国肯定・賛美とその国民賛美は占領時代・占領政策否定の相対概念として現れている。
2015年6月18日の自民党本部での稲田朋美の自民党政調会長としての記者会見。
金友記者「共同通信の金友です。GHQの占領政策の検証を始められるという報道がありますが、具体的にはどういった検証を、どういった目的で始めようとお考えなのか、教えてください。
稲田朋美「GHQということに限らず、党内でいまやっております日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会であったり、4月28日を主権回復記念日にする議員連盟であったりの参加議員から、何を日本として反省するかということを含めて、1928年すなわち不戦条約以来の日本の歩みについてきちんと検証することが必要だという意見があったり。
また4月28日の議連はサンフランシスコ平和条約が発効した4月28日までの6年8カ月の占領期間において何が行われ、また憲法の制定過程も含めて、そういったことをきちんと検証をする必要があるという提案をいただいていますので、そういったことをきちんと検証することが必要であろう、というふうに思っております」――
「日本の名誉と信頼を回復する」――いわば占領政策によって「日本の名誉と信頼」を失ったからこそ、回復を言うことになる。その「名誉と信頼」とは、断るまでもなく、戦前日本国家――大日本帝国が培った「名誉と信頼」でなければならない。
このような点に戦前日本国家を肯定・賛美する歴史認識精神を稲田に見ることになる。
2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せた安倍晋三のビデオメッセージ。
安倍晋三「本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」――
占領時代に占領軍によって日本は改造され、日本人の精神に悪影響を及ぼしたの趣旨となる。占領時代・占領政策否定対大日本帝国肯定・賛美に他ならない。
いわば安倍晋三も稲田朋美も戦前日本国家――大日本帝国を理想の国家像と、戦前日本国民を理想の国民像としている。
そうであることのゆえにこそ、靖国参拝を戦没兵士(=英霊)を理想の国民像とする慰霊を通した戦前日本国家――大日本帝国肯定の儀式とすることができ、参拝によって理想の国家像へと自らの精神を通わせることができる。
安倍晋三の歴史認識と稲田朋美の歴史認識は精神的にも思想的にも素っ裸で添い寝していると同然の一心同体性を誇っている。
安倍晋三の戦前の日本国家を理想の国家像とする歴史認識は自身が所属する日本会議国会議員懇談会(日本会議を支援する超党派の議員によって構成される議員連盟。「Wikipedia」)の上部団体である「日本会議」なる、簡単に言うと右翼団体の歴史認識と重なると言われている。
日本会議国会議員懇談会の特別顧問は安倍晋三と麻生太郎、政策審議会長が山谷えり子、政策審議副会長が萩生田光一と稲田朋美と磯崎陽輔と有村治子。錚々たる右翼政治家が名前を連ねている。
日本会議のサイトにその「設立宣言」が次のように記されている。
〈有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。
しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向いつつある。〉――
〈天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく〉と、天皇を戦前日本国家と変わらない「国民統合の中心」と位置づけているが、大日本帝国憲法では天皇を「神聖ニシテ侵スヘカラス」と絶対的存在に位置づけ、国民は天皇と国家に対する奉仕を義務付けられた支配と従属の関係性の中に閉じ込めれれていた。
そのような関係性を戦後民主国家日本にも「いささかも揺らぐことなく」と持ち込もうとしている。
〈かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され〉と言っていることの裏の意味は、軽んじられる前の戦前の日本国家が培い伝えてきた伝統文化は素晴らしく、優秀であり、忘れ去られまた汚辱される前の戦前の日本国家の歴史は光り輝いていたとの謂(いい)となる。
要するに安倍晋三・稲田朋美と日本会議は戦前日本国家――大日本帝国肯定という点で歴史認識を一つにしている。だから、設立宣言の理念に賛同し、安倍晋三は日本会議国会議員懇談会の特別顧問を務め、稲田朋美は政策審議副会長を務めているのだろう。
安倍晋三と稲田朋美は精神的にも思想的にも素っ裸で添い寝していると同然の一心同体性の歴史認識をかくも誇っている。
その安倍晋三が稲田朋美を防衛大臣に任命した。
いわば限りなく戦争を排し、平和外交に専念しなければならない国家指導者と防衛大臣でありながら、理想の国民像を戦争という場面に求めている安倍晋三と稲田朋美が首相という立場と防衛大臣という立場でタッグを組んだ。
このことの危険性は計り知れない。特に安倍晋三は国家主義の立場から日本の軍事的地位を世界的に高め、軍事的影響力を世界に拡大しようと目論む新安保法制を成立させている。
稲田朋美は防衛大臣として安倍晋三の政治信条上の傀儡として最も信頼の置ける最適役となるに違いない。