閣僚の障害者施設「津久井やまゆり園」19人殺害現場視察は意味なし、情報処理能力の問題とすべき

2016-08-30 10:58:46 | 政治

 2012年9月の自由民主党総裁選挙で安倍晋三の推薦人に名を連ねた、その甲斐あってのことか2015年10月7日発足の第3次安倍第1次改造内閣で初入閣を果たした一億総活躍担当相の加藤勝信(60)が2016年7月26日に19人殺害、26人重軽傷の現場、障害者施設「津久井やまゆり園」を2016年8月29日に視察した。

 献花台に花を手向けたあと、入所者らの様子などを視察したという。

 加藤勝信(記者団に)「加害者が障害者の存在を否定するような発言をしたことは断じて許すことができない。一人一人、障害があってもなくても、尊重され、かけがえのない存在だ。

 障害者に対し国民の関心が向き、理解が一層深まるような広報・啓発活動などを具体的に進めていきたい」(NHK NEWS WEB

 月並み・紋切り型の尤もらしいことしか言っていない。この手の尤もらしいことを発信するために視察したのだろうか。

 国家公安委員長の河野太郎も2016年8月3日に「やまゆり園」を視察している。
 
 学校現場で生徒一人ひとりはそれぞれが「かけがえのない存在」だといくら教えても、あるいはそのような存在だと理解を深め合う教育をいくらしても、イジメはなくならない。イジメて自殺に追い込む例は跡を絶たないし、イジメが激しい暴力にエスカレート、制御が利かなくなって殺してしまう例もなくならない。

 イジメは多くの人間の目には自殺や殺人によって突発的に表面に荒々しい姿を現すが、姿を現すまでの潜伏期間はそれぞれが一定の長さを持っているもので、それゆえにその期間、イジメを加える側とイジメを受ける側の当事者のみの出来事として潜伏させることは難しく、例えそれが学校外で行われていたとしても、当事者以外の第三者の目に、それが少数であったとしても、何らかの形で触れるか映るかして潜伏する形を取ることが多い。

 当然、学校内のイジメとなると、かなりの数の生徒の目に触れることにもなる。

 イジメを受けていた上に2015年2月20日に川崎市の多摩川河川敷で3人のイジメ加害者から殺害された13歳の中学1年の場合も、その生徒がその年の1月から学校に登校していなかったことはその原因が何であるかは分からないままにイジメの潜伏期間中、長期欠席という形でその生徒の姿は少なくとも担任教師の目に映っていたはずである。

 さらに学校に来なくなってから顔にアザができる怪我をしていたことを学校の複数の生徒が目撃していたということだから、それがイジメではないかと予想できたとしても、直接目にしたわけではないから断定できないものの、少なくとも顔のアザを目に触れていたことになる。

 学校側は長期欠席に対して殺害されるまで生徒と接触したのは1度のみだったという。

 要するに学校側は長期欠席を単なる長期欠席で片付けずにそこに必ずや含まれている生徒に関わる様々な情報を処理する責任があった。単なるズル休みで、ゲームセンターに入り浸っていただけが長期欠席に含まれていた情報だと判明したとしても、情報処理の姿勢があったなら、複数の生徒が目撃した顔の怪我の情報に行き当たる可能性は否定できない。

 もし長期欠席の情報と顔の怪我の情報を結びつけることができたなら、殺害を避け得た可能性も否定できない。

 だが、学校側はイジメの潜伏期間中にそういった情報処理を行うだけの能力を持たなかった。そのためにイジメが潜伏する形で進行していることに気づくことができなかった。

 「津久井やまゆり園」の殺害も殺害犯植松聖(さとし・26歳)の中で障害者殺害の欲求が潜伏する形で進行していた。だが、その欲求の潜伏期間中、それが誰の目にも触れず、映りもしなかったかというと、そうではない。

 2016年2月14日に衆議院議長の公邸に出向き渡そうとしたが果たせず、翌日の2月16日にも出向いて手渡すことができた手紙の内容は障害者殺害の予告とも言うべき情報を含んでいた。   
 
 〈衆議院議長大島理森様

 この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。

 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。〉云々で始まり、後の方で犯行方法を具体的に述べているが、その情報とほぼ同じ犯行方法で障害者殺害を決行している。

 但し衆議院議長側が内容から衆議院の事務局を通して警察に通報、手紙を提供したが、殺害を予告する情報として処理するために通報したのかどうかは分からない。単に不穏な内容だからと警察に通報したのかもしれない。

 警視庁が2月15日中に津久井警察署に情報を提供した。単に提供するだけの情報処理に終わったようだ。そして津久井警察署も単に情報の提供を受けただけで終わらせたようだ。

 手紙には本人の名前も電話番号も勤務先も書いてありがなら、津久井警察署は本人に参考人として出頭を求めて事情聴取するといったことは一切していないからだ。

 つまり警視庁も津久井警察署も手紙の内容から殺害予告の可能性を疑う情報処理を行わなかった。

 警視庁が津久井警察署に情報提供した2月15日から4日後の2月18日、植松聖は勤務中に同僚職員に対して「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」と発言。

 職員は施設園長に報告。園長が植松聖に対して発言の真意を尋ねるためにだろう、面談することになった。

 と言うことは、津久井警察署は植松聖が衆議院議長公邸に手渡した手紙の内容を「津久井やまゆり園」側に伝える情報処理を行っていなかったことになる。

 そういった情報処理を施していたなら、園側は直ちに植松聖と面談しただろうからである。

 面談のキッカケはあくまでも同僚職員に話した危険な発言となっている。

 同僚職員に対する「重度の障害者は生きていてもしかたない。安楽死させたほうがいい」という発言は手紙の内容とその欲求に於いて一致している。

 園側は植松聖が考えを改めなかったことから翌2月19日に警察に通報、津久井警察署は衆議院議長公邸に手渡した手紙の内容と合わせて「他人を傷つけるおそれがある」と判断し、相模原市に連絡、相模原市は緊急の措置入院を決め、植松聖は同日入院。

 少なくともこの時点で初めて手紙の内容と同僚職員に対する発言双方を突き合わせて、殺害までは想定しない加害の危険性を読み取る情報処理を施すことになった。

 病院側は入院から12日後の3月2日に症状の改善と容疑者本人の反省の言葉を受けて、医師が「他人を傷つける恐れがなくなった」と診断、相模原市に対して「措置入院者の症状消退届」を提出、承認を得て、退院の運びとなった。

 だが、7月26日午前2時半過ぎに手紙や発言で自らの欲求として第三者の目に触れさせることになった情報とほぼ同じ障害者抹殺を決行した。

 殺害を止めることができるかどうかの全ては植松聖の障害者殺害欲求の潜伏期間中にその欲求を目に触れるか目に映ったりしたかした各段階に於ける関係者の情報処理の能力にかかっていたはずだ。

 緊急措置入院を引き受けた病院側も植松聖が衆議院議長公邸に手渡した手紙を読んでいたはずだから、同僚職員に対する発言と合わせて手紙の一言一句にどのような情報処理を施していたのだろうか。

 10日やそこらで退院させたのだから、殺害欲求が潜在意識下に深く根づいた病的な疾患ではないかと疑う情報処理は行わなかった。

 各段階に於いて関係者全てがもしも出発点を読み違えていたなら、情報処理は満足に推移しようがない。最初から不完全な情報処理のままで推移する。

 加藤勝信にしても河野太郎にしても、その視察からは全ては情報処理の問題だと、そこに焦点を当てた節は見えてこない。当てるだけの頭は持ち合わせていなかった。そのような視察に果たしてどれ程の意味がるのだろうか。

 全ては情報処理の問題だとすることによって、イジメにしても殺人にしても、よりよく防ぐ手立てを見い出すことができるはずだ。 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする