民主党政権時代の菅無能内閣で外相を務め、その他沖縄及び北方対策担当相や 国家戦略担当相を務めた京大卒の前原政治(54)が2016年8月26日、9月に行われる民進党代表選への立候補を表明した。
その模様の一部を8月26日付「産経ニュース」記事から抜粋してみる。
前原誠司「今回の代表選の出馬は、かなり悩みに悩み抜いた。一つは時流が女性であるということだ。英国の首相、ローマの市長、そして東京(都知事)の小池(百合子)氏。また米国の民主党大統領候補もクリントン氏という女性だ。また民進党として初めての代表選。刷新感とか、世代交代感があった方がいいのではないか。そういう意見もあったし、それもあっていい意見だと思う。
では、なぜ私が今回の代表選に出馬する決心をしたのかということについて、主に2つのことを申し上げたい。一つは、これは旧民主党であるが、あれだけ期待をいただきながら、全体として国民の落胆、失望を買ってしまった。私も戦犯の1人だ。この民主党政権の深い反省と後悔に立って、だからこそ、それを身にしみてわかっている人間がもう一度中心となって政権を目指すべきではないかということだ。
私はこの旧民主党政権、何を反省しているかということを申し上げたい。一つは人の好き嫌いで政治をしてしまった。本来、政権与党は国を預かる大切な役割であるにもかかわらず、仲間内で本気で殴り合いをしてしまって、そして結果的に党を分裂させる、壊すような状況になってしまった。
これはどちらも責任がある。稚拙な政権運営をしたということ、二度と繰り返してはいけない。新たに民進党となって新たなスタートを切るときに、この仲間だけはきっちりと結束を強めて、そして政権を目指すんだという思いを持たなくてはいけない。その思いを人一倍持っているのは、戦犯である私ではないか、そういう思いを私は強く持たせていただいている。
もう一つは旧民主党というものが目指した国家像というものは、方向性は間違っていなかった。しかし大きな国家像というものは、まだまだ生煮えでなかったか。つまり自民党政治に飽き飽きした国民が、民主党を後押ししたけれども、国家像とか具体的政策は生煮えではなかったか。こういう思いを強く持っている。
この2つの深い反省をしっかりと踏まえて、やることのできるのは、その戦犯であり、その反省を人一倍抱えている私ではないか。そして党をまとめることができるのではないかとの思いに至った」――
トップに立って政治的な役割を担う地位への女性の進出が目覚ましく、刷新感という点でも世代交代感という点でも女性が受け入れやすい時流となっているが、敢えて立候補することにした。
その理由は民主党が国民の期待を受けて政権を奪還、利益誘導で肥え太った戦後自民党一党支配からの打破を果たしながら、より良い国を目指す国家運営に専念、邁進するのではなく、「人の好き嫌いで(仲間内で相争う)政治をしてしま」い、党を分裂させてしまった。
私もその戦犯の1人だが、「その反省を人一倍抱えている私」こそがその反省に立って「党をまとめることができるのではないかとの思いに至って」立候補することにしたといった趣旨の発言となる。
民主党と維新の党が合流した民進党は2016年3月27日結党大会を開いて岡田克也代表が挨拶(asahi.com)に立っている。
岡田克也「我々は政権・与党として、十分な期待に応えられなかったこと。大事な時に結束できなかったこと。離合集散を繰り返したことを深く反省します。そのうえで不屈の精神で挑戦しなければなりません。民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない。その認識を共有し、力強く前に進もうではありませんか。
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先ず国民の声に耳を傾けましょう。国民と正直に率直に語りませんか。そして双方向で対話しましょう。国民と共に進む。国民と共に進む。これが民進党です。
夏の参院選挙、危機感を共有する多くの国民とともに戦い抜き、期待に応えましょう。ここで政治の流れを変える。私は代表としてすべて責任を負い、必ず結果を出す。安倍政権が衆参同時選挙をやるというなら、受けて立とうじゃありませんか」――
この認識対象の方向違いは甚だしい。
「民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない」――
国民の途轍もなく大きな期待を担って歴史的な政権交代を果たしたものの、期待が大きかっただけに失望も激しいものがあり、政権交代時の2009年総選挙では308議席獲得の大躍進を果たしたが、小沢派離党で選挙前議席は230議席、それを57議席へと173議席減らすことになった。
2012年選挙では余裕で当選できたが、2012年ではギリギリで当選できたといった例もあるはずだから、173議席減という数字以上の国民の信頼を失った計算になるとみなければならない。
そしてその失った国民の信頼を維新の会と合併して民進党と名を変えても取り戻すことができず、その状況は今日まで続いている。
合流後の産経新聞の世論調査では「民進党に期待しない」68・6%、「期待」27%。共同通信社の世論調査で、「民進党期待しない」67・8%、「期待」26・1%。
これ以降も政党支持率は自民党30%前後に対して民進党は10%を下回ることが多かった。
と言うことは、「民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンス」とするのではなく、国民の信頼を回復する「ラストチャンス」と認識しなければならなかったはずだ。
代表でありながらの認識対象のこの方向違いは決定的に致命的である。
以前、岡田克也のこの挨拶を取り上げて、ブログに国民の信頼回復を先決問題としなければならないのは、〈政権交代であろうと何であろうと、全ては民進党に対する国民の信頼にかかっているからだ。
政権獲得は国民の信頼の上に成り立つ。国民の信頼を取り戻し得て初めて政権交代可能な政治を実現するためのチャンスが訪れ、それをラストチャンスとすることなく、継続的なチャンスとしなければならない。
だが、反省はするものの、国民の信頼回復への視点を欠き、いきなり結党を政権交代可能な政治実現のラストチャンスとする。
つまり自分たちの政権獲得欲求のみを前面に押し出して、国民を自分たちのその欲求の背景に退けている。国民の声に耳を傾けていないのと同然である。〉と書いた。
要するに民進党の代表選に立候補する者は国民の信頼を如何に回復するかを立候補する者としての第一要件に置かなければならない。
但し蓮舫や前原がそのことに気づいて置いたとしても、前原にしても蓮舫にしても民主党をダメにした主たるメンバーであり、岡田克也もその一人だが、信頼を失わせた面々として国民の記憶に今以て強く残っているからこその国民の信頼を喪失した状況の現在進行形でもあるはずだ。
いわば国民の目から見た場合の政治家像として既に信頼喪失の手垢がついてしまっていて、新鮮味をなくしている。
安倍晋三も第1次安倍内閣で国民の信頼を大きく失い、それが民主党政権交代の大きな原動力の一つとなった。だが、その政権交代が安倍晋三に対するよりも倍する国民の信頼を喪失させる原因となったために安倍晋三は息を吹き返すことができた。
こういった機会が民進党代表となった場合の蓮舫や前原誠司に運良く訪れるなら、国民の信頼を回復し、再度の政権交代も夢でなくなる。
だが、そういった不確かな僥倖を求めるよりも、民主党政権失敗の手垢のついていない、国民の信頼喪失の“戦犯”たることを免れることができていた新しい顔を出すことの方が、その新鮮さと攻めの積極性によって国民の期待を掻き立てる契機となり得る可能性は否定できない。
新しい顔に変えることによって変わり映え(新鮮味)が出てくる。出てくるのは民主党政権失敗の手垢のついた面々のみで、変わり映えがしない印象を与えることが、また国民の信頼を回復できない一因ともなっているはずだ。
新しい顔を出す発想がないのだろうか。
民主党に失望し、民進党になっても期待できない国民にとって党の顔になる代表にも何らかのサプライズを求めているはずだ。