安倍晋三の今村雅弘を復興大臣に充てた人事に見る被災地復興の熱意と今村の靖国参拝の意味

2016-08-13 09:58:56 | Weblog

 2016年8月、第3次安倍内閣第2次改造内閣で復興大臣兼福島原発事故再生総括担当として初入閣した今村雅弘が8月15日終戦の日を前に8月11日午前、東京九段の靖国神社に参拝した。

 1996年に衆議院議員選挙で初当選、現在69歳。約20年目の初入閣だから、大臣の椅子順番待ちの入閣待望組だったのだろう。

 やっと順番が回ってきて、初入閣を果たすことができたといったところか。

 東京大学法学部卒だということだが、大臣の椅子を順番で充てがうしかない程度の人材に過ぎないということなのだろう。

 このことは充てがった大臣の椅子が復興相であることが証明している。

 2012年12月26日発足の第2次安倍内閣から2014年9月3日まで根本匠。たったの1年8カ月の任期に過ぎない。次が竹下亘の2014年9月3日から2015年10月7日の1年1カ月。

 その次がパンティ泥疑惑の高木毅の2015年10月7日から2016年8月3日までの正味10カ月といったところ。

 そして待ちに待った今村雅弘の復興大臣登場。

 第2次安倍内閣2012年12月26日発足から4年も満たないうちに復興大臣が3人変わり、4人目となっている。復興大臣が入閣待望組を消化する人事体系となっているようだ。

 安倍晋三は常々「東北の復興なくして日本の再生なし」とご託宣している。

 また、〈震災復興に当たっては単なる原状復帰にとどめるのではな<、これを契機として、人口減少、高齢化、産業の空洞化といった日本全国の地域社会が抱える課題を解決し、我が国や世界のモデルとなる「創造と可能性の地」としての「新しい東北」の創造に向けた取組みの推進。〉を掲げている。

 さらに復興庁に置かれている復興推進会議は安倍晋三を議長とし、復興大臣が副議長を務める、すべての国務大臣がメンバーとして参加する復興に関わる重要政策会議である。

 以上からすると、復興大臣に期待され、その期待を満たすために必要な資質は関係閣僚や有識者と共に従来型の諸政策に新しいデザインを取り入れて国の形そのものを創り変え、発展させていく意欲的な創造性であり、そのような創造性の持ち主であるか、少なくともそのような創造性の良き理解者でなければならないことになる。

 だが、復興推進会議の副議長たる復興大臣が新しい国造りの創造性の持ち主であることを見込まれてか、あるいはそのような創造性の良き理解者であることを見込まれたかして白羽の矢を立てられた人事ではなく、少なくともこれまでは短期間交代の入閣待望組消化の便宜的人事となっていた。

 但し今村雅弘にしても同じ経緯を踏んだ初入閣なのは目に見えている。東大法学部卒で新しい国造りの創造性か、そのような創造性の良き理解者であることを自らの才能としていたなら、とっくの昔に重要閣僚の地位に就いていたはずだからだ。

 「東北の復興なくして日本の再生なし」の実現に率先垂範して当たらなければならない重要なメンバーの一人である復興庁の長に入閣待望組を短期間シフトで充てる。

 安倍晋三が「東北の復興なくして日本の再生なし」と言う程には復興に熱意を感じることはできない。

 創造と可能性の地として新しく再生させるとしている「新しい東北」の創造にしても、国の力を以てしても他の地域社会で成し遂げることができていないことを被災地で成し遂げることができるかのようにスローガンを高々と掲げている点からすると、単なる打ち上げ花火で終わるに違いない。

 インフラは新しい立派なものに造り変えられるだろう。だが、我が国や世界のモデルとなる創造と可能性に満ちた新しい生活空間の創出となると、復興大臣の人事程度の見栄えを創り出すことが精々と言ったところだろう。

 今村雅弘は本殿の手前の拝殿で賽銭を投げ入れて深く頭を下げ、一般の参拝者と変わらない方法で参拝したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。

 賽銭はポケットマネー、記帳はせず、本殿にも上がらなかった。

 今村雅弘(NHKの取材に)「大臣になったので、ご報告も兼ねて改めて参拝した。我が国の安寧と繁栄を祈念してきた」

 8月15日の終戦の日の参拝は行わない意向を示したいう。

 要するに本来なら8月15日に大臣になったことを報告するために参拝するところを、中国等への影響を怖れて15日を避けて8月11日にした上に記帳も行わなかったと言うことなのだろう。

 大臣になったことの報告と言うことなら、「復興大臣 今村雅弘」と記帳しなければ、なったことの報告としての意味を失う。

 自宅で前以て靖国神社の記帳と同じ型の紙か帳簿に「復興大臣 今村雅弘」と書いて、神棚に張るか置くかして靖国神社での記帳に代え、その神棚に向かって復興大臣になったことを報告し、靖国神社で改めて正式の報告を行ったということも考えられる。

 「我が国の安寧と繁栄を祈念してきた」と言っているが、そのことを戦没者の魂に祈願したのか、靖国神社が右翼国家主義者たちにとって戦前日本国家――大日本帝国と対面する空間となっていることから、理想の国家としている大日本帝国に祈願したのかは分からないが、もし今村雅弘が新しい国造りの創造性を自らの才能としていたなら、「我が国の安寧と繁栄」は過去の世界に祈念することに意味を置くよりも、例え及ばずとも現実の世界で自らの才能に恃むところに意味を置かなければならないはずだ。

 だが、それ程の人物ではないようだし、その程度の参拝の意味しかなかったようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする