次期衆議院議員選挙 争点とすべき 2つのこと ◎森友・加計政治関与疑惑にまみれた 指導者を続投させるべきか否か ◎成長実感ゼロのアベノミクスを 効果があると見せかける幻想に 今後も付き合うべきか否か |
かつて地元利益誘導政治、利権誘導政治で名を馳せた自民党幹事長二階俊博の9月19日の記者会見での発言。
安倍晋三が衆院解散の意向を固めたことに対して民進党など主要野党が「森友・加計の疑惑隠しだ」と批判、このことについての見解を問われた際の発言。
「時事ドットコム」(/2017/09/19-19:43)
二階俊博「野党がおっしゃるのは自由だ。我々はそんな小さなというか、そういう問題を隠したりすることは考えていない」
森友学園の国有地取得に関して、そして国家戦略特区を介した加計学園獣医学部新設認可に関して一国の首相の政治関与があったのではないかと疑惑を持たれ、国会で追及され、その両疑惑共に安倍晋三を筆頭に政府側答弁は明快な疑惑払拭とはいかなかった。
今以ってこの疑惑追及が長引いているのはこのことが原因となっているからだろう。
そしてこういった疑惑を持たれること自体、一国の首相としての人格、あるいは人間性に疑義が生じることになる。仕事さえできれば、人格、あるいは人間性が少しぐらいの不正に関与する余地があっても構わないと言うことにはならない。
内閣総理大臣は国を守り、社会を守る。守るということは、その国・社会が自身にとってあるべき状態でなければ、あるべき状態に持っていき、そのような状態を高めて、維持していくことを言う。
当然、その国・社会は自身が考える国家的・社会的公正を原理としていなければならない。独裁者でない限り、守るべき国家・社会が国家的・社会的公正をルールとしていなくてもいいという指導者は存在しないはずだ。
政治的関与を用いて一部の国民に特別に利益を供与する政治の私物化は国家的・社会的公正に真っ向から反しすることになり、国家的・社会的公正の侵害への挑戦であって、国家的・社会的公正をルールとすべき自らの役目に対する冒涜に当たる。
それを「小さな問題」だと言う神経は一国の首相の役目の重大さを考えるだけの頭がないからだろう。
かくかように決して「小さな問題」とすことができないことを「小さな問題」だと問題外とすること自体が疑惑などどこにも存在しないと思わせる疑惑隠しに相当する。二階俊博は「そういう問題を隠したりすることは考えていない」と言っているが、単細胞だから、自分では気づかないままに疑惑隠しの意識を働かせながら、その意識とは逆のことを言った過ぎない。
記事には記者会見発言と書いてあったから、自民党サイトにアクセスして、その発言を採録してみた。「役員連絡会後 二階俊博幹事長記者会見」(自民党/2017年9月19日)
記者「テレビ東京です。野党は今回の解散について、森友・加計問題隠しだと批判をしておりますが、幹事長はいかがお考えでしょうか」
二階俊博「そういうことを仰るのは野党の自由でございますから結構ですけれども、我々はそういう問題を隠したりということは考えておりません」
上記「時事ドットコム」記事が伝えていた「我々はそんな小さなというか」の発言が抜けていて、“小さな問題”とすることによる疑惑隠し意識がこの発言には存在していない。
もし「時事ドットコム」記事が実際には口にしていない疑惑隠しの意識が篭った発言を書き入れたとしたら、それが故意のことなら、問題発言として取り扱っていたのだから、この上ない悪意の仕業となる。
故意ではなく、間違えてしたことであったとしても、意図しない悪意がそこに込められることになる。
実際に言ったのかどうか、他の記事を見て確かめてみた。他の記事も同様に「我々はそんな小さなというか」と書き入れている。
朝日デジタル記事を引用した「The Huffington Post」記事はより詳しくなのか、「野党がおっしゃるのは野党の自由。我々はそんな小さな、小さなというか、そういうものを、問題を隠したりなどは考えていない」と書いている。
要するに「小さな」と言ってから、小さな問題扱いとすることがマズイと気づいて、「小さなというか」と言い直したことになるが、単に表現を和らげただけという表現上の問題であって、二階俊博の森友・加計疑惑に対する問題意識は最初の「そんな小さな」と言う表現に集約されていることになるから、言い直したからと言って、一国の首相の政治関与疑惑が決して「小さな問題」ではないにも関わらず「小さな問題」だとする問題外扱いと、「小さな問題」だとすることを通した疑惑隠しの意識を働かせた発言であることに変わりはない。
問題はこれだけで終わらせることはできない。記者会見だから、当然各新聞社や各テレビ局の記者、あるいはフリーランサーの記者等が詰めかけて、記事に揃って書き込んだ問題発言が自民党のサイトの記者会見の記事からは抜けている。
常識的に見て、二階俊博が森友・加計疑惑を「小さな問題」扱いしたような口にしなかった発言をマスコミ側が悪意から故意に付け加えたのではなく、二階俊博側が問題発言と気づいて記者会見の記事からその言葉を外したと見るべきだろう。
実際には口にした都合の悪い発言をマスコミが記事にしていながら、自分たちの記事からは外す。これは情報操作そのものを意味する。情報操作は都合の悪い情報を隠し、都合の良い情報を公にすることだから、片方に情報隠蔽を機能させている。
二階俊博は一国の首相が国家的・社会的公正を守る役目を担っている関係から、その人格、あるいは人間性が重要であるにも関わらず、政治関与が疑われている疑惑問題を「小さな問題」だとその人格、あるいは人間性を問題外としただけではなく、問題外とすることで疑惑隠しまで働き、さらに都合の悪い発言を隠す情報操作・情報隠蔽まで立派に遣り遂げた。
自民党総裁安倍晋三にして二階俊博の自民党幹事長任命ありの双方向の立派さによって成り立っている両者の関係であろう。