西日本豪雨:安倍晋三の初動対応に指摘どおりの遅れはあったのか、なかったのか 「朝日」や他の情報から見てみる

2018-07-16 11:42:34 | 政治
 安倍晋三は被災地視察先の岡山市で記者から、「初動の遅れが指摘されているが」と問われたのに対して「一丸となって発災以来、全力で取り組んできた」と述べ、初動に問題はなかったとの見解を示したという。

 大掛かりな自然災害としての大地震の場合、何の前触れもなく襲ってくるから、具体的な初動対応は止む得ず「発災以来」となるが、台風災害や豪雨災害の場合、前以って出している気象庁の災害予報を如何に読み取るかによって“発災前”から初動対応への備えは可能となる。

 可能を具体化することができれば、初動対応のスタートラインが自ずと違ってくる。当然、豪雨災害の場合、いくら「一丸となって」であろうと、「全力での取り組み」であろうと、「発災以来」では初動は自ずと微妙に遅れることになる。

 2018年7月13日20時39分付「朝日デジタル」《11万人避難指示の夜に「赤坂自民亭」適切だったか検証》は、〈西日本を中心に大雨特別警報が発表されてから1週間が過ぎた。政権幹部の危機意識や防災情報の共有は当初から図られていたのか。救命・救助活動への影響はなかったのか。平成で最悪となった豪雨災害の初動対応を検証する。〉を趣旨とした記事だが、無料部分で2018年7月に入ってからの政府や気象庁の動きを伝えている。

 日本列島に迫った台風7号が広範囲で雨を降らし、その通過に備えて関係省庁の課長級が集まって災害警戒会議を開いたのが7月2日午後。
 
 気象庁が記者会見を開き、7月5日から8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがあると発表、「早めの避難を心がけてほしい」と呼びかけたのが7月5日午後2時。

 内閣府が各省庁課長らを集めた災害警戒会議を開いたのが気象庁の記者会見から1時間半後の午後3時30分。

 記事は、〈小此木八郎防災担当相が出席したのは、24時間の雨量が400ミリに達するとの予報に政府内の緊張感が高まったからだった。〉と伝えている。

 この日は死者40人、行方不明者2人となった「九州北部豪雨」からちょうど1年に当たるとしている。

 小此木八郎「大災害を改めて思い出し、対策に万全を期すように」

 〈午後10時までに京都、大阪、兵庫の3府県約11万人に避難指示が出た。〉・・・・

 安倍晋三らが自民党の国会議員による酒席懇親会「赤坂自民亭」を開いたのは同7月5日午後8時頃からか。

 京都府が自衛隊に災害派遣要請を行ったのが7月6日未明。安倍晋三はこの日の朝までに秋の自民党総裁選を視野に入れた翌日からの鹿児島・宮崎訪問の取りやめを決定。

 気象庁が数十年に1度の重大な災害が起きる可能性が高まった際に出す「大雨特別警報」を「発表する可能性がある」と異例の警告を行ったのが7月6日午前10時半の会見。

 気象庁が大雨特別警報を8府県への発令を行ったのは7月6日午後5時10分以降。死者、行方不明者が相次ぎ、7月7日朝にかけての自衛隊への災害派遣要請は7府県10件にのぼる。

 政府が拡大する被害への対応を協議するため関係閣僚会議を開いたのは7月7日午前10時。

 安倍晋三指示「事態は極めて深刻だ。救命・救助に全力を尽くし、被害の拡大防止に万全を期してほしい」

 政府が2016年の熊本地震以来となる「非常災害対策本部」(本部長・小此木防災相)を設置したのは最初の大雨特別警報発表の約39時間後の7月8日午前8時。

 その時点で政府把握死者は既に48人。政府が安倍晋三の11~18日の欧州・中東訪問取りやめを発表したのは7月9日。岡山県に7月11日、愛媛県に7月13日の被災現場視察を決める。

 この政府把握死者48人という事実からのみ見ても、「非常災害対策本部」設置に見る初動対応は遅い。

 有料記事部分はどういった内容か分からないが、政府及び気象庁の時系列的な動きから、どう対応してきたかは把握できる。他の情報とも合わせて安倍晋三の初動対応に遅れはなかったかどうかを見てみる。

 気象庁が7月5日午後2時に記者会見を開いて7月5日から8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがあると発表、「早めの避難を心がけてほしい」と呼びかけてから1時間半後の午後3時30分に内閣府が各省庁課長らを集めた災害警戒会議を開いた。多分、責任者としてだろう、出席した防災担当相の小此木八郎が「大災害を改めて思い出し、対策に万全を期すように」と訓示した。

 災害警戒会議開催も、小此木八郎の発言も、気象庁の豪雨災害予想情報を受けた、初動対応を含めての万が一の発災への備えを意図した行動・発言であるはずである。

 繰返しになるが、地震災害と違って台風災害や豪雨災害の場合は気象庁の災害予想情報が発災への準備、初動対応への心構えを否応もなしに要請することになる。

 ところが、7月5日午後8時半頃から安倍晋三を筆頭に災害時に救助・救命に当たる防衛省のトップ小野寺五典を始め、何人かの閣僚の出席のもと、赤坂の衆院議員宿舎で酒席懇親会「赤坂自民亭」を開いたということは、気象庁の災害予想情報に基づいた発災への準備、初動対応への心構えに怠りないよう、細心の注意を払っていたのは政府の極く一部であったことになる。 

 上記記事が7月6日未明に京都府が自衛隊に災害派遣要請を行ったとしているが、福岡県も同日に災害派遣要請を行っている。《福岡県北九州市における土砂崩れに伴う人命救助に係る災害派遣について(11時00分現在)》

 (1)要請日時 平成30年7月6日(金)09時56分

 (2)要請元 福岡県知事

 (3)要請先 陸上自衛隊第4師団長(福岡)

 (4)要請の概要 人命救助(以上)

 この派遣要請は死者のみならず、数少なくない人命救助に関わる安否不明案件、あるいは行方不明案件は既に7月5日夜遅くには始まっていたと見なければならない。始まっていたから、7月6日の朝9時56分という早い時間帯に派遣要請に出なければならなかった。

 例えこの派遣が「赤坂自民亭」出席後の時間帯であったとしても、気象庁の7月5日14時00分の災害予想情報を受けた時点で、ここ最近の例年の変化しつつある気象傾向から、少なくとも過去の豪雨災害事例同等の先行きの被害拡大を前以って想定する危機管理を政府全体で認識していなければならなかったことに変わりはない。

 にも関わらず、安倍晋三は7月5日夜8時半頃に飲酒を伴う「赤坂自民亭」に出席した。

 安倍晋三も安倍晋三である。何も情報を受けていないでは済ますことはできない。その心掛けたるや、「国民の生命・財産を守る」意識・想像力の程度に関係してくる。

 自衛隊への災害派遣要請が7府県10件にのぼったこと自体が相当な死者と行方不明者を出していて、各消防署や警察署だけでは手がつけられないことの状況証拠以外の何ものでもない。

 但しその予兆は7月5日遅くには具体的な姿を取っていた。気象庁が7月5日午後2時に記者会見を開いて、7月5日から8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがあると発表後から5時間後同7月5日午後7時00分に自衛隊に対する福岡県への災害派遣要請、さらに大分県への派遣要請が5時間30分後の同7月5日午後7時30分にあったことを指す。

 この状況一つを取っても、激しい雨が急激に降り出していたことが分かる。しかも災害派遣の目的が人命救助。既にこの時点で死者と行方不明者をかなり出していて、各消防署や警察署だけでは手がつけられない状況が始まっていたことを証明することになる。

 当然、7月6日の早い時間帯に政府の危機管理として「非常災害対策本部」を設置して然るべきだったはずだが、設置したのは気象庁が7月6日午後5時10分以降、大雨特別警報を8府県に発令し、死者・行方不明者が相次いでいることから7月7日朝にかけて自衛隊への災害派遣要請が7府県10件にのぼったあとから1日を置いた、最初の大雨特別警報発表から約39時間後、1日と15時間置いた7月8日午前8時となった。

 「国民の生命・財産を守る」役目を負いながら、既にそれが失われている状況を目の前にして、あるいは今後共失われていく状況が進行形で継続していく危険性を抱えながら、「非常災害対策本部」の設置が遅くなった。この心掛け自体一つを取っても、安倍晋三の初動対応は自身の弁解とは裏腹に後手に回ったと指摘できる。
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