玉城デニーは普天間の辺野古移設阻止で安倍政権を踊らすことができるのか、阻止できないままに自身が踊るだけで終わることになるのか。
財務大臣兼自民党副総裁の麻生太郎(78歳)がまたまた名言を吐いたようだ。「共同通信47NEWS」/2018.10.23 13:03)
10月23日(2018年)の閣議後の記者会見。
麻生太郎「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはアホらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」
23日の記者会見発言で記事が紹介しているのはこれだけだが、〈不摂生の結果、病気になった人への医療費支出を疑問視する見方を示した。〉との解釈を付け、さらに、〈健康管理の自己責任を強調したとみられるが、健康な人も保険料を拠出するのが社会保険制度の基本で、批判を招きそうだ。〉と解説している。
そして最後に、〈麻生氏は首相だった2008年にも経済財政諮問会議で「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言し、後に陳謝した。〉ことを紹介している。
上記のような発言に対して一定程度バランスを取ろうとした麻生太郎の別の発言を同日付「時事ドットコム」記事が紹介している。
麻生太郎「人間は生まれつきがある。一概に言える簡単な話ではない」
先天性や後天性であっても、交通事故に遭遇した等の自己責任外の罹病者たちの健康に努力したくてもできないケースに対しては止む得ない保険料の負担となるから、健康への努力を厳格に基準とすることは難しいという意味なのだろう。
麻生太郎の発言は不摂生をしている人間の医療費を健康に気を使って摂生している人間が払うことは「アホらしい」と疑問視したのは先輩であって、その疑問は的を得た指摘だとして麻生太郎が同調する形を取っている。往々にして他人の言葉を借りる形で自分の考えを主張する、あるいは自身の考えでありながら、他人の言葉であるかのように装って自分の考えを主張するということがある。
実は2008年の「たらたら飲んで」云々の発言を捉えて、大衆を愚かと見る衆愚意識からの発言だと2008年11月28日付の当ブログ、「打率8割の麻生失言/またまたヒット、「何もしない人の分を何で私が払う」と題して書いている。
この発言はブログで犯取り上げなかったが、2008年11月20日の経済財政諮問会議での発言で、11月26日に公開された 「議事要旨」で明らかになった。そこから麻生の発言を見てみる。文飾は当方。
与謝野馨「ただ、社会保障は放っていたら、幾らでもお金が出ていってしまう。 これは相当注意深く物事をやっていかなければいけないし、効率化というのは大 事な目標である。 だから、地方財政については、鳩山(邦夫)議員がおっしゃる通りである。全国知事会会長の麻生福岡県知事にはいつも『地方財政が大変だったら、税制改革に知事会も協力してほしい』と申し上げてきた。今の話は、市町村長も含めた話だから、やはり 総務大臣が先頭に立って、知事会、市町村会が税制改革全体を国民に理解していた だくために、大きな貢献をしていただいた方が、物事はスムーズにいくと思うので、 これは鳩山大臣に課せられた大きな使命ではないかと思っている。 時間になりましたので、議長、お願いします」 麻生太郎「 67 歳、68 歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかっていない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。 病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、『今日ここに来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる。』と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。 それからかれこれ30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。 与謝野馨「それでは、時間になりましたので、今日の議論を次のようにとりまとめしたいと思います。〉 |
ここでの発言を見ると、10月23日の閣議後記者会見発言は自身の考えでありながら、先輩の言葉であるかのように装って自分の考えを主張する類いのように見える。
麻生太郎は総理大臣として経済財政諮問会議の議長を務めていた。
健康に気を使わないことでかかることになっている医療費を健康に気を使って医療費の少ない者が負担するのは不公平だから、「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブ」を与えることができれば、不摂生な人間も健康に気を使うことになって、「予防するとごそっと減」って医療費節減となり、より平等性が担保できる。
経営している病院の院長から来院にタクシーを使わずに歩いて健康に気を使えば、病院に来る必要がなくなるという話を聞いてから、「かれこれ30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったまま」の状況の無変化を危惧しているが、「何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、(健康に気を使わない人間に)何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う」と、医療費のより公平な分担を図るために不摂生に分類される者たちに病気にならないよう、健康の維持を心がける「インセンティブ」を植え付ける方法はないものかと思案を口にした。
但し当時内閣府特命担当大臣(経済財政政策)だった議事進行役の与謝野馨から「それでは、時間になりましたので」と簡単に打ち切られてしまった。問題発言と見られたからだろうか。
あるいは議論が続いたが、議事録に残すことはできないからと割愛されたということもあり得る。
いずれにしても、医療費負担の不公平について思案することがあるなら、麻生太郎自身が抱えている社会保障分野のブレーンに対してか、抱えていないとしたら、適宜ブレーンとなってくれる周囲の人物に対してか、そのような手掛かりがなければ、厚労大臣に直接申し込んで、多くの人間が健康を心がけるようになる「インセンティブ」となり得る、最終的には制度とすることができる何かしらの仕組みを考案できないかと相談するなり、諮るなりして、より公平な医療費負担の制度構築に向けた努力を果たさなければならなかったはずである。
ところが、病院長から話を聞いてから2008年11月20日の経済財政諮問会議で上記発言をするまで約「30年」、会議での発言から2018年10月23日の閣議後の記者会見で「あほらしくてやってられんと言っていた先輩」の発言を「良いことを言う」と同調した自身の発言を披露するまで約10年、合計で40年も経過させていながら、医療費負担の不公平を疑問として抱えているだけで、あるいは不摂生な人間に摂生させて病気を予防させ、医療費がかからないようにする「インセンティブ」がないものかと思案し続けただけで、何も答を出すことができないでいたことになる。
麻生太郎の最初の閣僚は1996年11月7日から1997年9月11日まで務めた経済企画庁長官であり、その頃から自民党内では一廉の政治家であったはずだ。その後総務大臣や外務大臣等を務め、総理大臣まで上り詰め、第2次安倍政権発足後、財務大臣と自民党副総理を務める最大級の実力者となっている。
にも関わらず、答を出すことことも、社会保障担当部局に答を出させることもできないままに問題発言となりかねない発言を繰返している。財務大臣の資格も自民党副総理の資格も、いや、政治家をしている資格自体、ないことをあからさまに突きつけているはずだ。
麻生太郎が政治家の資格のないことはこのことに関してだけではない。10月23日(2018年)に東京都内で開かれた自民党麻生派の河野太郎外相のパーティーでの発言が示している一事も麻生太郎が同様の状況にあることを示している。
「毎日新聞」/018年10月23日 20時15分)
麻生太郎「(河野氏が)政治家として今後伸びるのに何が欠けているかと言えば、間違いなく一般的な常識だ。キャラは立ち、存在感も出来上がっている。英語もうまい。常識を磨かないといかん」
記事は、〈財務省の一連の不祥事などで失言も多い麻生氏だけに、党内から「麻生氏には言われたくない」と失笑も漏れた。〉と解説している。
この恐ろしいまでの自己省察能力ゼロは政治家の資格がどこかにぶっ飛んでしまっている一大証明としかならない。
2008年1月15日に「医療給付費・医療費の差別化を-『ニッポン情報解読』by手代木恕之」と題してブログをエントリーしている。
副題として、「そして先天性・後天性に関わらず、体質や遺伝からの難病には手厚い保護を」と書いている。
要は生まれたときから死ぬまでの国民一人ひとりの身長・体重から飲酒量や喫煙量、運動量まで含めて、それらの影響からの各内臓の健康状態・病歴を一括して記録して(記録は社会保険庁の後身の全国健康保険協会が行うことになるだろう)、生活習慣病等の不摂生からの治療に関しては一部自己負担とするというものである。
自己負担が嫌なら、健康に心がければいい。
飲酒量と喫煙量と運動量は当初は自己申告になるが、ウソをついても、血液検査や肝臓検査、肺検査等でどの程度の飲酒量と喫煙量か分かるそうだし、身体の太り具合、内臓脂肪量等で食事の摂り方の適切性、運動量の程度は分かるから、自己申告どおりの健康管理なのかは、いわば摂生・不摂生の程度は定期的な健康診断で判明するため、ウソの自己申告は通用しないことになる。
このような方式によって健康を「自己管理」できた者が「報われる支払い」システムとすることが可能となり、要支援・要介護に至る老人をも可能な限り減らす道につなげることができる。
麻生太郎が政治家としての資格を持っていたなら、持っていなくても政治家を続けているが、当方がブログで書いたことよりも素晴らしい負担の公平な社会保障制度を創造できるはずだ。