柴山昌彦の、自身の日本民族優越意識を母体とした「教育勅語」賛美ゆえに戦後の道徳教育の教材としたい願望

2018-10-06 07:06:39 | 政治
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 玉城デニーは普天間の辺野古移設阻止で安倍政権を踊らすことができるのか、阻止できないままに自身が踊るだけで終わることになるのか。 

 柴山昌彦は10月2日(2018年)の文科相就任記者会見で、「教育勅語は現代風にアレンジすれば、今の時代の道徳教育にも使うことができる普遍性を持っている」といった趣旨の発言をした。

 この発言に対して昨日の当「ブログ」で、教育勅語が求めている道徳観だけを取り上げれば、戦後にも通じる普遍性を備えているようにも見えるが、教育勅語は天皇全体主義を前提とし、天皇と国家への奉仕を目的とした道徳の教えであるのに対して戦後の道徳教育は民主主義を前提とし、個人の自由と自律の獲得を目的としているゆえに普遍性があるからとこじつけて教育勅語の道徳観だけを切り離すのは天皇全体主義と全体への奉仕を隠すことになって危険だといったことを書いた。

 次のことは前日のブログに書かなかったが、要するに教育勅語が求めている日本人としての道徳観は天皇全体主義と天皇と国家への奉仕とを相呼応する関係で成り立たせた一体性を持つゆえに前者のみを後者(=天皇全体主義と天皇と国家への奉仕)と切り離して別物として取り扱うことは歴史そのものを歪めることなる。

 このことを言い換えると、当然、教育勅語は自らが骨格としている日本人としての道徳観と天皇全体主義と天皇と国家への奉仕とを常に一体として扱わなければ、教育勅語が持つ歴史性、あるいは時代性を失わせることになる。

 もしかしたら、教育勅語に描かれた道徳の教えを戦後の子どもたちの道徳の教材としたい願望の背後には教育勅語が持つ歴史性、あるいは時代性を現代に蘇らせたい願望をも張りつかせているのかもしれない。

 10月2日の記者会見での教育勅語発言が尾を引いていたのだろう、マスコミが伝えていた柴山昌彦の10月5日の記者会見発言も戦前と戦後の前提と目的の違いを考えない発言を性懲りもな繰返している。

 先ず次の記事からみてみる。「NHK NEWS WEB」(2018年10月5日 13時16分)

 柴山昌彦「教育勅語を復活させようということを言っているわけではない。教育勅語そのものを離れて、友人を大切にするといった考えは現在の教育にも通用する内容もあるという意味から、普遍性を持っているのではないかと申し上げた。
 
 憲法および教育基本法に反する内容の教育を強いることがあってはならないのは至極当然だ。教育勅語を復活させようとか、そうしたことを言っているわけではない」――

 「教育勅語を復活させようという考えはサラサラないが、教育勅語そのものを離れれば、それが求めている道徳の教えは現在の教育にも通用するから、普遍性があることになる」と、教育勅語が持つ歴史性や時代性を捨て去って、道徳観のみを取り出して、それに正当性を与えるペテンを演じている。その正当性は教育勅語そのものへの正当性へと跳ね返っていくことになるはずだ。

 教育勅語が求めている日本人としての道徳観とは無関係に民主主義を前提とした個人の自由と自律の獲得を目的とした道徳の教えをなぜ構築できないのだろうか。10月5日記者会見のテキスト版は「後日、アップロードします」となっていて目にすることができないが、このなぜの理由が同じ記者会見を扱った、同2018年10月5日付「朝日新聞デジタル」記事を読んで理解できた。文飾は当方。

 柴山昌彦「過去に日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれない。世界中から日本の規律正しさや、お互いを尊重する気持ちが尊敬を集めていると見て取られる部分もある。

 そういう趣旨から、教育勅語そのものを離れ、友人を大切にするという考えは、現在の教育においても通用すると申し上げた」――

 この発言には教育勅語そのものを賛美する姿を見て取ることができる。「世界中から日本の規律正しさや、お互いを尊重する気持ちが尊敬を集めていると見て取られる部分もある」の発言の裏には、そのような日本人の美徳性は教育勅語の教えのお陰であるという思いを隠しているからである。

 そしてこの日本人の美徳性は日本民族優越意識によって成り立っている。なぜなら、日本人全体が美徳性のみを備えた人間ばかりで成り立っているわけではなく、正反対の悪徳性を持った日本人がどのような時代に於いても少なからず存在しているにも関わらず、美徳性のみで日本人を価値づけるのは日本民族優越意識に囚われていなければ不可能な仕業だからである。

 要するに日本民族優越意識のメガネを通して見るから、日本人の現実の姿を客観的・合理的に眺めることができない。

 『日本疑獄史』(森川哲郎著・三一書房)を読めば良く理解できることだが、戦前という時代も政官財、軍を舞台とした様々な疑獄事件が戦後と同様に発生していることを知ることができる。この書物の巻末に記載されている「日本疑獄史年表」からざっと眺めてみると、1902年(明治35年)の教科書出版会社と多数の県知事、教育委員、教師らを巻き込み、最終的に菊池文相が引責辞職することになった「教科書疑獄事件」

 1910年(明治43年)の大日本製糖が経営悪化を国有化法案の立法化で救うために政界に莫大なワイロを撒き散らし、結果、日糖社長は自殺、代議士20名が連座したが、政治的圧力でそれ以上の捜査が打ち切られた「日糖疑獄事件」

 1913年(大正2年)のドイツシーメンス商会が日本海軍高官と政界を巻き込んだ艦船その他受注獲得を巡って一大汚職事件に発展した「シーメンス事件」。シーメンス日本人社員が自殺することになった。

 「Wikipedia」は「シーメンス事件」について、〈1914年(大正3年)3月には海軍長老の山本権兵衛を首班とする第1次山本内閣が内閣総辞職にまで追い込まれた。〉と書き込んでいる。

 1918(大正7)年には「八幡製鉄と政界をめぐる汚職。押川所長が自殺している」とする「八幡製鉄所事件」、1920(大正9)年には「市会議員、業者をめぐる大汚職で67名が連座した」とする「東京砂利ガス疑獄」。1921(大正10)年には「満州鉄道会社をめぐる疑獄事件で、中西満鉄副総裁が罪に問われた」とする「満鉄疑獄」

 同じ1921(大正10)年の「植民地における阿片密売に関して汚職事件が発生して、世論を騒然とさせた」とする「阿片密売事件」。1922(大正11)年の「震災後の東京復興計画を巡って汚職事件が発生、十河信二氏らが疑いをうけた」とする「帝都復興院疑獄」。

 1925(大正14)年の「遊郭移転問題に関して汚職が発生。箕浦元逓相、岩崎政友会幹事長その他が連座した」とする「松島遊郭事件」、昭和の時代に入っても汚職事件や横領事件が続き、戦後と変わらない政官財、軍の悪行を横行させていた。

 このような戦前の悪徳性を考えると、柴山昌彦の「世界中から日本の規律正しさや、お互いを尊重する気持ちが尊敬を集めていると見て取られる部分もある」云々の教育勅語賛美にしても、日本民族優越意識からのみ見たこのような日本人の価値づけにしても、根拠を失うし、教育勅語が求めている日本人としての道徳観には普遍性があるからと言って、それを戦後の道徳教育の教材にしたい願望も根拠はないことになる。

 日本民族優越意識に囚われ、教育勅語を賛美している。だから、戦後の道徳教育の教材にしたい願望を抱くに至っている。このような政治家が教育行政を与る文科相に踏みとどまっている資格があるだろうか。

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