仙谷官房長官の“恫喝”は思想・信条の自由、職業選択の自由を脅かす発言

2010-10-22 09:07:01 | Weblog

 10月15日(2010年)の参院予算委員会で質問に立ったみんなの党の小野次郎議員の要請で政府参考人として出席した経済産業省古賀茂明氏(55)の発言に対して、仙谷官房長官が「こういうやり方は甚だ彼の将来を傷つける。優秀な人であるだけに大変残念だ」と警告紛いの発言をしたことが問題となり、審議が一時中断した。

 この発言を野党は“恫喝発言” と看做し、批判。18日に鶴保庸介参院決算委員長(自民)が、19日には前田武志参院予算委員長(民主党)が国会内に官房長官を呼び、厳重注意したという。

 鶴保庸介参院決算委員長の注意。《答弁「品位汚さぬよう」=仙谷氏に異例の要請-鶴保委員長》時事ドットコム/2010/10/18-11:47)

 鶴保委員長「国務大臣としての品位を汚すことなく、真摯且つ適切な答弁に務めることを強く望みたい。・・・・国会を冒涜(ぼうとく)する答弁であり、当該政府参考人に圧力を加えるのではないかとの指摘がある」

 前田予算委員長の発言自体はどのような内容か、調べた限りでは仙谷官房長官を呼んで厳重注意したと書いてあるだけで、詳しく伝える記事は見当たらなかった。

 自民党は不適切発言が改まらないようなら、問責決議案の提出もあり得るのとの態度を取っているが、決議案を出して民主党内の小沢派が呼応した場合、面白い展開となるに違いない。

 この仙谷官房長官の発言を大方は不適切な“恫喝”だと把えているが、単に不適切だけにとどまらない、ブログ題名に記した内容を含んでいるように思える。この発言が飛び出した15日の参院予算委員会の小野次郎議員との質疑応答を予算委員会の動画から文字に起してみた。

 小野議員「エー、今日お配りした資料の中に天下り根絶、これは民主党政権のスローガンにもありますけれども、骨抜きにした民主党政権の政策を批判したために、退職を要求されたり、あるいは2週間の国内出張を命ぜられた、経済産業省の改革派の官僚がいるという報道があります。

 古賀茂明さん、今日、来ておられますか?(どこにいるか顔を左右に動かしてから、いる方向に向けて軽く一礼する。委員長が名前を呼びかけると、)いや、来られていますから。

 この報道の事実、一部での真実なのか。お伺いしたいと思います。一部でも真実だとすれば、大人の世界の陰湿ないじめじゃないですか。大臣、お答えください」

 大畑経産相「エー、お答え申し上げます。え、この新聞報道を、をでございますが、あたしも読ませていただきました。えー、私としては、あのー、事務方から、あー、経済産業省、内での、オー、常務(日常の業務)として、エー、このような形に、えー、すると、いうお話は、えー、お伺いしましたが、このような趣旨のものではない。私も経済産業大臣としてですね、えー、このような形の、おー、ものが、行われていたと思っておりませんので、え、ご指摘をいただきまして、また、実態といったものを、しっかりと、をー、をー、おー、私自身も受け止めて、そしてご本人の、お話等を受けたわまりながら、ご本人の、オー、経験や、あるいは、あー、そして、えー、能力、そういうものが、十分、発揮できるような形で、えー、対応してまいりたいと思います。以上です」

 菅首相そっくりの頻繁な、あー、えー、をーの連続となっている。話し方も明確でなければ、意味も明確に通っていない答弁となっている。菅首相で既に頻繁過ぎる「あー、えー、をー」は信用できないと学習している。

 小野議員「大畑大臣は剣道の達人でもおられるし、アー、人格から、聞いておりますので、そういった、あー、対応をされると思いますけども、私は、その省内の話、まあ、夫婦喧嘩は犬も食わないという話もありますけれども、そんな省内の人事のことで、この問題提起しているんじゃないんです。

 この古賀さんという形が、こうした、まあ、言葉によっては江戸所払いみたいな、2週間も国内出張。今、私たちは主張といったら、日帰りですよ。一泊する、それもありますけれども、2週間も国内出張続けるなんて、そんな出張聞いたことがない、国内で。

 そういうことをされている理由が前公務員改革審議官であって、特に民主党政権の、この天下り根絶という、表向きはスローガンになっているけれども、実は骨抜きにしてしまった、それを批判したってことがもし理由だとしたら、これは大変大きな問題だと私は思います。

 古賀さん、折角お見えですから、お伺いしますけども、今、民主党内閣は、現役出向は天下りではないって説明していますけれども、これは内閣が掲げている、天下り根絶というマニフェスト以来掲げている、スローガンと反すると私たちは思いますが、どうしてこういう解釈に政府の中で変になってしまったのか、前公務員改革審議官としての知見を是非お聞きしたいと思います」

 古賀茂明「お答え申し上げます。あの、現役出向、えー、一言で現役出向とよく言われておりますけれども、現役出向という形もありますし、それから官民交流法に基づく民間企業への派遣とうものもございます。いずれにしても、役人は、えー、公務員の身分を保持しながら、えー、外の組織、企業に、いー、派遣されると、いうものでございます。それで、えー、あの措置を、えー、見てみますと、実は私が公務員事務局に、あ、すみません。それで、ちょっとすみません。今申し上げるのは個人的な見解でございますので、経産省の意見とかですね、そういうことでは全くありませんので、その点お許しいただければと思います。

 それで、えー、あの、まあ、天下りがいけないと、いう理由の、ま、理由は二つぐらいあると思いますが、一つは、天下りによってですね、そのポストを維持する。それによって大きな無駄が生まれる。予算、ムダな予算が、あー、どんどんつくられる。維持される、というところに問題があると、いうのが一つと。

 それから民間企業を含めてですね、えー、まあ、そういうところと、癒着が生じる。そして、また例えばその企業、業界を、守るための規制が、変えられないということですね。そういったことが起こる。あるいは、ひどい場合は官製談合のような、法律に反するような問題が出てくる。

 これが天下りの大きな問題点だと思います。一部に、あのー、退職金を二度取るとか、そういう話がありますけれども、それはもう本質的な問題ではなくてですね、むしろ、重要なのは、ムダな予算が山のようにできる。あるいは癒着がどんどんできると、それが問題だと、いうふうに考えております。

 この点は民主党も、あの、私が、あのー、公務員事務局のときにですね、そういうところは非常に強く批判されておりましたので、この我々として公務員事務局の中で色々なグループがりまして、えー、まあ、守旧派といったらおかしいですけど、それでもむしろ進めたいという風なところもありますけれども、それでも民主党が批判をしているので、それはできないと、いうことでずっと止まっていたものだと理解をしている。

 それは、ま、今回、まあ、堰を切ったように、実施されていくと、いうことになって、その経緯については、私はですね、非常に、あのー、不思議なロジックだなあと思っていまして、先程申し上げた二つの大きな問題点、ムダが生まれる、あるいは維持される。それから不透明な癒着が生れる、いうことはですね、公務員の身分を維持していっても全くおなじことが起きる可能性があるので、その点が非常に問題だというふうに私は把えております。これは全く個人的な意見であります」

 古賀氏は官僚の一人である。その発言の言葉の使い方が政治家の発言に見る言葉の使い方と殆んど変わらない、こうも似通っているのかと驚く程の言葉の駆使に思えた。同じ日本人だからなのか、それとも政治家と官僚が日常的に近い関係の世界を築いていることからの言葉の近似性なのだろうか。それとも官僚が作成した国会答弁書を読むうちに官僚の言葉遣いに政治家が近づいていったことからの似通いなのだろうか。

 小野議員「今日は委員長始め理事のみなさんから政府参考人として、えー、事実実現しております。感謝を申し上げると、また同時に大畑大臣には、別に僕は依怙贔屓する気はありませんけれども、適材適所、能力を最大限に発揮していただくということが、まあ、あの、大臣として官僚を使っていく大事な要諦だと思いますから、是非お守りいただきたいし、また、内閣のほうには、骨抜き、私たちはそう思っておりますけれども、是非、えー、マニフェストに掲げて以来、政府のスローガンでもあります、この天下り根絶、実施、実現を強く指摘しておきます。

 それでは中国船衝突事件について伺いますが・・・」

 小野議員が次の質問に移り、名指しされて答弁に立った仙谷官房長官が小野議員の質問に直接答える前に政府参考人として出席した古賀茂明氏について最初に発言する。

 仙谷「えー、私は質問いただいておりませんけれども、さっきの古賀さんの上司としてですね、一言先程のお話に、えー、私から、あのー、おー、話をさせていただきます。簡単に言います。あのー、私は、あのー、小野議員のですね、今回の、今回の、古賀さんを、こういう所に現時点での、彼の職務、彼の行っている行政と関係のない、こういう場に呼び出す、こういう遣り方は、甚だ彼の、将来を傷つけると思います。――」

 小野議員(席から)「委員長、止めてください」

 仙谷「優秀な方であるだけに大変残念に思います。――」

 5、6人の男女の議員が委員長席に詰め寄る。審議中断。例の如く、「ただいま速記を中止しておりますので、音声は放送しておりません」

 残念なのは殴り合いの攻防とならないことだが、詰め寄った議員と委員長の話し合いがついて、委員長の発言。

 委員長「エー、ただ今の、ただ今の官房長官の発言については、議事を精査の上、理事会に於いて、然るべくご議論をいただく措置をいたします。続いて発言をしてください」

 再開。

 そして、冒頭に書いた参院決算委員長と参院予算委員長の仙谷官房長官に対する厳重注意という経緯を辿ることとなった。

 仙谷官房長官の発言を問題とする前に、古賀氏の、現役出向は天下りであると直接的には明言していないが、公務員の身分を保持した外の組織、企業への派遣と言っていることから、現役出向=天下りと見ているのだろう、私自身の観点から現役出向=天下りであって、古賀氏が言っているように「ムダな予算」と「癒着」が生じることを説明したいと思う。

 かねがね日本人の人間関係は権威主義の上下関係を取り、そのことが日本人の思考と行動を規定していると書いているが、この一つの大きな現れが中央を上に置いて地方を下に置いた中央と地方を上下関係で規定した中央集権体制、あるいは中央集権主義であろう。

 この上下関係が中央及び地方の思考と行動を規定することとなっている。いわば上に位置する中央は下の地方を従わせ、下の地方は上の中央に従う上下関係の文脈でそれぞれが思考し、行動を取ることになる。

 中央省庁と民間企業の関係も中央が許認可権や業務発注とその予算を握っているゆえに中央と地方の上下関係に準じている。

 現役出向であてっても、それが企業への出向であっても、上に位置する中央の省庁の官僚である。そのことだけでも既に職務能力とは関係のない上下関係を天下り先に持ち込むこととなり、そのような上下関係が給与や身分の点で必要もない丁重な扱いを強いることになり、そこに生産性を阻害する能率上のムダや人件費のムダを生じせしめることになる。

 例え本人の能力が優れていても、下手には扱うことができない上下関係が天下り先の職員、社員の能力を抑える役目を果たすことになるだろう。

 ただでさえ上に位置する中央の省庁の官僚である上に出向者が出身省庁の上層部の有力者とどうつながっているかも問題となる。有力者の贔屓を得ていたなら、出向者への扱いはその有力者への扱いと同等となって、天下り先での上下関係はなお一層上下の差が大きくし、大きくすることに応じて生産性を阻害することになる。

 また天下り先も出向者に余分な人件費や丁寧な扱いを行うことによって、いわば上に位置している身分だと本人に十分に理解できる待遇を行い、出身省庁の上層部にもそのような扱いをしていることを知らしめ、そのような恩着せをすることによって出身省庁からの見返りを期待し、見返りを獲得することによって出向者に払う敬意と経費、生産性のムダを取り返そうとする。天下り先がムダを回収したとしても、当初のムダ自体がそもそもからして非生産的なムダだから。そのムダに費やすカネもムダなカネとなる。

 いわば癒着とムダの際限もない再生産である。

 中央を上に置き、地方や民間を下に置く権威主義を土台とした中央集権主義を払拭しない限り、現役出向であっても一般的な天下りと変わらない状況は続く。

 仙谷官房長官の「甚だ彼の将来を傷つけると思います」「優秀な方であるだけに大変残念に思います」の発言だが、勿論、部下の人事は上司の手の内にある。

 だが、国会という場でこのような言葉を発するのは古賀氏個人にとどまらない他者全体に対する宣言ともなる発言であって、個人的宣言は個人的思想に依る。

 いわば仙谷官房長官自身が思想として抱えている発言だと言うことである。

 仙谷官房長官自身が、「甚だ彼の将来を傷つけると思います」という発言によって古賀氏の批判を封じようと意志した思想・信条の自由を脅かす発言であり、と同時に、自身の意志によって古賀氏の将来を左右しようとした職業選択の自由を脅かす発言となっているということである。

 単純に恫喝、あるいは国会を冒涜する答弁、不適切であるということを超えているはずだ。

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高校無償化は通過儀礼としての教育空間への給付と看做して、朝鮮高校も等しくあるべき

2010-10-21 08:01:25 | Weblog

 記事の冒頭次のように書いてある。〈高校の授業料の実質無償化の対象に朝鮮学校を含めるかどうかをめぐって、民主党の関係部会が会合を開き、判断にあたっては、個別の教育内容を基準にすべきでないとした文部科学省の有識者会議の報告内容を、おおむね了承するなどとした見解案をまとめました。〉・・・・

 《民主 朝鮮学校無償化で見解案》NHK/10月20日 15時5分)

 関係部会は昨20日(2010年10月)開催だとのこと。要するに文部科学省設置の有識者会議が既に纏めていた「朝鮮学校を無償化の対象に含めるかの判断にあたっては、個別の教育内容を基準にすべきではない」とする報告を部会が了承したということである。

 但し大部分のところで(「おおむね」)ということだから、小部分は残していることになる。その小部分とは、朝鮮学校の反日的な教育内容の点と無償化の資金が生徒個人ではなく学校に渡る点だとしていて、文部科学省に対してこうした点にも配慮するよう求めたという。

 このおおむねの了承は「生徒ひとりひとりの学びを支援するという民主党のマニフェストの理念」を基準に判断、有識者会議の報告がこの理念に即しているとして部会として容認したものだとしている。

 記事は最後に、〈民主党は21日の政策調査会の拡大役員会でこの見解案を了承する見通しで、これを受けて文部科学省は今後、朝鮮学校を無償化の対象に含める方向で検討を加速するものとみられます。〉と解説、朝鮮学校無償化に向けて進展することを伝えている。

 《高校無償化基準を了承、朝鮮学校も対象 民主部門会議》asahi.com/2010年10月20日)はいくつかの点で上記「NHK」記事を補強する内容を示している。

 〈文部科学省の専門家会議が示した「教科書の記述などの具体的な教育内容は問わず、授業時数や教員数といった外形的な項目で判断する」との適用基準を了承した。基準をあてはめると、全国の朝鮮高級学校10校(休校を除く)は無償化の対象となる。 〉としている。

 「NHK」記事が「関係部会」と書いてあるのは、教育問題を担当する文部科学部門と拉致問題を担当する内閣部門の合同会議のことだそうで、拉致問題担当が加わったのは拉致を正当化し、金日成・金正日を礼賛する教育が行われているとされていることと経済制裁関連からの参加なのだろうか。但し、そのことを踏まえてもなお、〈「国から支給される助成金が授業料軽減に使われることを担保すべきだ」「教育内容を問うべきだ」との声が出たことも付け加えたが、基準の変更は求めていない。〉と「NHK」記事が言う「おおむね了承」となっている。

 判断基準としている「外形的項目」とは――、

▽修業年限3年以上
▽授業時数が年800時間以上
▽体育や芸術などの授業も開設
▽教員は教職に関する専門的教育を受けている――こととしていて、具体的な教育内容に関しては「既に適用されている他の外国人学校では判断基準にしていない」ことに準じた不問だとしている。

 さらに、〈同会議は基準以外に「助成金が授業料減額以外に使われるおそれがある」との批判を意識し、文科省が毎年財務書類をチェックする規定や、3年ごとに検証して基準を満たさない場合は適用を取り消す規定をつくるよう提言。同省が検討している。〉と伝えている。

 高校無償化は今年4月から開始しているものの、朝鮮学校が適用外となっていたことについて記事はのちに金賢姫遊覧ヘリコプターで有名になった中井洽・拉致担当相(当時)等が反対、文科省が一旦適用を先送りし、5月に専門家会議を設けて議論してきて今回の経緯となったということを紹介している。

 中井洽の反対については以前ブログに取り上げた。

 中井(今年2月26日の発言)「拉致問題に絡んで制裁措置をしている国の国民だからこれはどうなんだろうと、昨年12月に川端達夫文部科学相に強く申し上げた」

 いくら偏向教育を受けていたとしても、同じ国民であることを以って、北朝鮮の体制の道義を朝鮮高校生の道義とイコールの扱いをしている。

 これも前のブログに取り上げたが、今年(2010年)8月4日の参議院予算委員会で自民党の山本一太が当時の川端文科相に例の如くの執拗さで反対論を繰り広げた。その一つ。

 山本一太「私は別に朝鮮高校で学んでいる高校生の方々、勿論彼らに何の罪もありません。彼らを排除するって言ってるんじゃないんです。・・・・北朝鮮は日本の外交安全保障にとって最大の脅威なんです。200あるか300あるか分かりませんけれども、日本全土を射程に収めるノドンミサイルが配備されている。核実験を2回強行している。しかも拉致も彼らがやってるんです。独裁国家なんです。その、あの、独裁者を礼賛する教科書を使っている高校に何で国民の血税を入れなきゃいけないのか」

 朝鮮学校の生徒に「何の罪もない」と言いながら、北朝鮮国家の非道に対する懲罰を「何の罪もない」北朝鮮高校生に着せようとしていると書いた。

 中井と同じ文脈の批判であろう。

 今回の関係部会の了承に民主党内からでは柳田法相が8日、関係部会の開催に前以ての牽制なのか、反対の声を上げている。《高校無償化:朝鮮学校無償化、柳田法相も反対》毎日jp/2010年10月9日)

 柳田「(中井洽前拉致問題担当相の方針は)その通りと私も思う」

 柳田「「税金が必ず教育に使われるかはっきりさせてほしい。教科書も訂正してもらわないといけない」

 柳田法相は拉致問題も担当している。拉致被害者家族自体が朝鮮学校無償化に当初から反対していることに合わせた、あるいは家族会の意を受けた反対姿勢なのか、自身の判断からの反対姿勢なのかは分からない。前者なら家族会の利害を代弁する立場を取っていることになり、後者なら、利害の一致と利害代弁を兼ねた発言となる。

 自民党では山本一太が反対の姿勢を変えるべくもないが、石破政調会長が20日の記者会見で反対意見を述べている。《朝鮮学校無償化を批判 石破氏》MSN産経/2010.10.20 19:24)

 石破「日本にいて果たすべきいろいろな責任を教えない教育に日本国民の税金を充てることは、国家のあり方として正しいとは思わない」

 インターネット上には、金一族礼賛の教育、崇拝の教育が行われている、反日教育が行われている、拉致を否定する教育が行われていると朝鮮学校無償化に反対する発言が飛び交っている。

 幼保、小学校、中学校、高等学校、大学等のそれぞれの教育段階は社会に向かうための通過儀礼(イニシエーション)として存在する教育空間とも言える。例え朝鮮学校で反日教育や金一族崇拝教育、あるいは礼賛教育、拉致否定教育といった偏向教育が行われていたとしても、日本社会に向かう通過儀礼(イニシエーション)としてある教育空間であることに変わりはなく、その通過儀礼が例え歪んだ通過儀礼、偏向した通過儀礼であったとしても、ゆくゆくは彼らをも日本社会に同じ社会の一員として迎えなければならない以上、その通過儀礼に同じ条件の無償化を与えて社会に迎えるだけの度量を持ち、そのような度量で以って、彼らが常識としている認識を日本人が常識としている認識で以って影響していく、あるいは中和していく社会への受入れ、人間関係の構築を選択すべきではないだろうか。

 勿論対立したままの状態が続く多くのケースが残るかもしれない。しかし同じ日本人同士の間でも、「いろいろな責任を教え」る教育を受けていながら、極端な考えを持ち、社会の常識から離れて対立した考えを押し通す日本人も多く存在する。何も在日朝鮮人だけを対象とする問題ではない。

 また反日教育や金一族崇拝教育、あるいは礼賛教育、拉致否定教育が行われていると言っても、すべての授業がそのような歪んだ偏向教育によって成り立っているわけではないだろうから、他の授業との間で認識の相対化を受け、偏向からの中和作業を意識しないまま行い、精神の糧とする生徒の存在も否定できないはずだ。

 さらに言うと、朝鮮学校社会は日本社会の下位社会の一つで、生徒は日本社会に囲まれた社会で生活している。朝鮮学校のみを自らの生存社会としているわけではない。我々も経験しているように一部のクソ真面目な生徒、ガリ勉一辺倒の生徒を除いて成長と共に学校社会の影響に劣らない一般社会の影響を受ける。

 いわばいくら朝鮮学校で日本社会から見た場合偏向教育が行われていたとしても、日本社会の知識・情報をテレビやマンガ、映画、雑誌や書物等の知識・情報に触れているだろうから、既にそこで彼らが朝鮮学校で受ける偏向した知識・情報との間で相対化の中和作用が彼らの意識の中で刻々と行われていない生徒は一人として存在しないと誰も否定できないはずだ。

 いや百歩譲って日本社会の知識・情報との相対化の中和作用を一切受けずに朝鮮学校社会の偏向教育の影響のみで彼らの知識・情報(=認識能力)が成り立ち、彼らがそのような偏向した知識・情報で自らの存在を立脚させていたとしても、朝鮮学校社会が日本社会の下位社会の一つなのだから、それが特殊な形式ではあっても、既に彼らを日本社会の一員として受け入れていたのだが、そのような朝鮮学校社会から離れて、卒業という形か大学進学を経た形か、日本社会に出て上位社会の一員となったとき、日本人はそれを拒むことはできない。日本社会の一員として迎え、彼らは日本人と同様に日本社会の一員となる。

 彼らと上位社会の内側に抱えた基本的には対等の人間関係を築くこととなり、そこでも彼らに対して日本人が発する知識・情報との何らかの相対化の中和作用が行われるはずで、そのとき、高校無償化の対象から排除されていた場合、その恨みが、あるいはその拘りが日本人が彼らに向けた知識・情報の相対化の中和作用を妨げる障害とならない保証はない。

 逆に高校無償化の朝鮮高校対象化が知識・情報に関わる相対化の中和作用の助けとなることも考えることができる。

 少なくとも日本側が発する知識・情報との相対化の中和作用を容易にする土壌を日本人の側から設けていたなら、例え知識・情報の対立が続いた状態にあったとしても、極端な地平から穏便な地平まで様々な姿を取るだろうが、全般的に見て、決して極端な地平一辺倒とならないはずだ。

 だが、高校無償化の対象から外したとき、その逆は起こり得る危険性は高くなる。

 様々な矛盾や対立が起きたとしても、それは日本人同士の間でも起こることで、彼らを日本社会に受け入れなければならない以上、受け入れるについては同じ条件を課すべきではないだろうか。

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法人税減税・投資減税を実行する場合は消費税一時停止によるポイント還元制の両輪とすべき

2010-10-20 08:11:59 | Weblog

 消費税一時停止によるポイント還元制は今年の9月14日の当ブログ《景気回復に消費税を一時的に停止、消費税分をポイント還元としてはどうか》で一度書いた。だが、政府が今回掲げた円高対策、経済対策としての法人税減税や投資減税が企業利益を押し上げたとしても、その利益が個人の可処分所得に回って社会全体的な景気回復策となるのか疑わしいと考えるためにもう一度書いてみることにした。

 政府が10月の月例経済報告で、持ち直しを続けてきた、と言っても、ほんの僅かでしかない景気回復が足踏み状態に一歩後退したと判断を1年8か月ぶりに下方修正したという。

 《月例経済報告 判断を下方修正》NHK/10年10月19日 15時34分)

 原因は〈中国などアジアの経済成長のテンポが緩やかになっていることや、アメリカ経済の先行きへの懸念などを背景に急激に円高が進んでいる影響を受け〉、この影響に伴って、〈「企業の生産」についても「弱含んでいる」と表現を弱め〉たとしている。

 景気の〈先行きについてはエコカーに対する補助金が終了した影響で自動車の販売や生産が落ち込むことから当面、弱い動きが続くと見込まれるものの、その後、海外経済が改善に向かえば再び、持ち直すことが期待される〉と、日本が海外経済の牽引役を務めるのではなく、海外経済に牽引される姿を描いている。

 日本の経済が如何に外部的事情に左右されるか証明しているが、このことは外部的事情に依存していることの証明でもあるが、日本の経済のこの非自立的相対性は日本の政治にも影響して日本の総体的国力の性格を規定している要因ともなっているはずである。

 だから対米従属と言われ、昨今では中国従属とさえ言われている。

 また日本経済が外部的事情に依存していることによって、国内的に景気回復策として打ち出したエコカー減税にしても家電エコポイント制にしても、その他の太陽光発電補助、住宅新築補助等にしても、あるいは中小企業支援にしても、各種雇用支援にしても、一時的にして部分的、その上限定的な僅かながらの景気上昇に貢献したかもしれないが、力強い景気回復に役立たなかったことの証明としてある「下方修正」でもあろう。

 菅首相が国会答弁で自民党石原幹事長からの新聞記事に逮捕報告時間を修正したとあるが、事実かの問いに、「修正と言うのは何か発表して、それを変えることを修正と言う。何か私が発表したという根拠があるのですか」と難癖をつけていたが、だとすると、「下方修正」は何か間違ったことを発表したことの変更ということになる。

 このように「修正」は「間違っていることを直す」意味だけではなく、単に変更した意味にも使う幅広い使い方となっている。菅首相のケチ臭い事に拘る姿だけが目立った難癖シーンだった。

 記事は海江田経財相の記者会見の発言を伝えている。

 海江田経済財政担当大臣「円高が長期間続けば、企業の設備投資に深刻な影響が予想され、景気が下ぶれするリスクに十分注意しなければならない。10月から12月にかけては厳しい状態が続くとみられるが、経済対策などの政策によって景気を回復基調に戻したい」

 日本経済が外部的事情に依存している以上、その制約を受けるから、中国中心のアジア経済の成長テンポの回復及びアメリカ経済の回復がなければ、国内的経済対策は限定的な景気回復しか期待できないことになるだろうから、海江田経財相の言っていることは不完全な発言となる。

 2010年10月18日発行のメールマガジンJMM・『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』の冒頭部分に次のような一文が挿入されている。

 〈先週末、「カンブリア宮殿」(東京テレビ番組)の収録があり、民主党議員で、行政刷新公務員制度改革担当大臣の蓮舫さんをゲストに迎えました。オンエアは今週21日木曜夜10:00です。さまざまな興味深いやりとりがありましたが、もっとも印象に残ったのは、「尊敬する政治家は誰ですか」というわたしの質問に対する彼女の答です。「小沢一郎」というのが蓮舫さんの答でした。

「え? 小沢一郎ですか。でも、あなたは先月の代表選では菅直人に投票したんですよね」

「そうです。現在の党、内閣のことを考えると、菅さんが妥当であると思ったのです。でも尊敬している政治家と言えば小沢一郎さんです」

「菅直人は尊敬していないんですか?」

「...(この答はオンエアを見ていただきたいです)」

 そのようなニュアンスのやりとりだったのですが、わたしは大手既成メディアの「反小沢」「親小沢」という民主党の勢力区分は、大ざっぱすぎるし、そもそも正確ではないのだと思いました。

 収録の最後に、「現在の日本を被う閉塞感の、最大の要因は何だと思いますか?」と聞きました。蓮舫さんの回答は非常に長く、しかもその一部を忘れてしまったので省きますが、わたしは、自分の考えを次のように言いました。「殆んどの労働者の給与が上がらないからではないでしょうか」〉――

 多分、蓮舫は菅首相が所信表明演説で、「経済低迷が20年続き、失業率が増加し、自殺や孤独死が増え、少子高齢化対策が遅れるなど、社会の閉塞感が深まっています。この閉塞感に包まれた日本社会の現状に対して、どの政権に責任があったか問うている段階ではありません。先送りしてきた重要政策課題に今こそ着手し、これを、次の世代に遺さないで解決していかなければなりません」、「解決すべき重要政策課題は、『経済成長』、『財政健全化』、『社会保障改革』の一体的実現、その前提としての『地域主権改革の推進』、そして、国民全体で取り組む『主体的な外交の展開』の五つです」といったことと同様の抽象的な文言を長々と述べたのではないだろうか。だから、「一部を忘れてしまった」。

 それに対して村上龍は具体的、且つ簡単に一言、「殆んどの労働者の給与が上がらないからではないでしょうか」と言った。この「労働者」とは一般的な生活層の労働者を指す言葉であろう。

 また、「現在の日本を被う閉塞感」とは経済の低迷がもたらしている社会全体を覆った雰囲気を言っているはずだ。

 リーマンショック以降の短期的景気回復策はそのんどが余裕所得者向けの政策であった。エコカー減税、家電エコポイント制、住宅新築補助等、余裕所得者でなければ恩恵を受けることができない制度であった。このことによって得た企業の利益が非余裕所得層にまで回らないことが全体的な個人消費の伸び悩みの原因を成し、その結果として国内景気対策の限定的成果の原因となったはずだ。

 村上龍が「現在の日本を被う閉塞感」=経済の低迷の原因を「労働者の給与」に置いていることからすると、民主党の最低賃金一率1000円の公約の未だ実現していない“有言実行”(菅内閣の場合は「有言不実行」の同義語となっている。)も貢献している「現在の日本を被う閉塞感」=経済の低迷でもあることになる。

 いわば「労働者の給与が上がらない」を発端とした全体的な個人消費の伸び悩みをそもそもの原因だとしている。

 分かりやすくていいが、しかし実現となると様々な困難を伴う。02年2月から07年10月まで 続いた戦後最長景気でさえ、外需によって支えられたことが原因となって企業は戦後最高益を得ながら、その利益は戦後最高益に反して個人に還元されず、実質賃金は目減りし、個人消費の伸び悩みを誘った。

 企業利益と個人所得との循環が阻害状況にあった。

 だとしても、「労働者の給与」が上がることによってモノが売れる個人消費の拡大こそが企業利益の拡大につながる条件となり、その利益配分としての「労働者の給与」への還元がさして期待できなくても、外部的事情の影響を抑えた国内的な景気動向を形成する要因となるはずである。

 当然、企業利益の個人還元に期待しない「労働者の給与」の上昇を条件としなければならないことになる。

 私自身も冒頭で触れたブログ《景気回復に消費税を一時的に停止、消費税分をポイント還元としてはどうか》で、「労働者の給与」――生活者の可処分所得の増加に景気回復策のアイデアを置き、次のように書いた。

 〈いずれの国の社会でも社会の利益循環は企業や銀行、投資家、投機家等の社会の上層を占める組織、あるいは個人が利益を上げて好景気を形づくり、それが社会の下層に向かって、より上の段階により多く配分しながら順次下の段階に先細りする形で流れ落ちていく配分を骨組みとするトリクルダウン方式(trickle down=〈水滴が〉したたる, ぽたぽた落ちる)を取るが、政府の経済対策によって生じた利益のパイが下層にまで滴り落ちずに社会の上層、あるいは中層を占める組織、あるいは個人止まりとなっていると言うことである。〉として、エコカー補助制度や家電エコポイント制等の景気対策で得た企業利益が一般生活者に還元されていない、あるいは還元されないことを書き、消費税を一時停止して、停止した分をポイント制にして、その分の確実な消費拡大によって景気を刺激する、これまでの景気の方向とは逆の下から上に向けた景気回復を書いた。

 菅首相は18日(2010年10月)、企業の国際競争力を高めるため、法人税率の引き下げに加え、設備投資や研究開発の税制優遇策も検討する考えを表明している。《法人減税に加え設備投資減税を検討 首相が表明》asahi.com/2010年10月18日23時45分)

 記事はその効果を次のように解説している。〈経済産業省はこのうち国税分の法人税率を現行の30%から5%引き下げる税制改正要望を提出した。だが、税率を引き下げても、法人税を納めていない赤字企業には恩恵がないうえ、減税分を借金の返済や内部留保に回せば、すぐには投資や給料の引き上げにはつながらない懸念も指摘されている。〉――

 このことの防止にだろう、菅首相は発言している。

 菅首相「企業全体で200兆円を超える預貯金を、将来の競争力強化のためにいろいろな形で使ってほしい。政府としてそれを全面的に支援したい」

 だが、先に触れた戦後最長景気時代に大企業は軒並み戦後最高益を出していながら、個人への還元を怠った前科を学ぶまでもなく、円高という悪性企業環境と時代的な国際競争の激化方向への進行等が企業利益の個人への還元を妨げる条件とならない保証はない。

 いわば戦後最長景気と同様の、労働者、生活者、あるいは消費者を置き去りとした企業一人勝ちの法人税減税と投資減税による景気となる可能性のことである。

 それを支えるのはやはり外需であろう。個人消費が伸びない限り、内需は望めないのはわざわざ断るまでもない。

 さらに法人税減税・投資減税による政府税収減は近将来的に消費税増税で賄うことを予定調和とした政策であろうから、個人の可処分所得の減額を逆に予定調和としなければならない一般国民に二重三重に不利な政策となる。

 となると、益々企業利益の個人還元に期待しない「労働者の給与」の上昇を策した社会全体の景気回復――「現在の日本を被う閉塞感」からの脱却が必要となる。

 企業からの個人に向けた利益還元としての所得の伸び=「労働者の給与」の上昇が期待できないとならば、では誰が保証するのだろうか。消費税の一時停止といった措置を政府が講じない限り、ささやかな個人所得の伸び=「労働者の給与」の上昇は期待できないことになる。

 前のブログにも書いたが、消費税の一時停止は政府税収減をもたらし、法人税減税と投資減税による税収減と併せると膨大なマイナスとなるが、国の活力の基本はあくまでも一般国民、一般的な個人の活力を条件として成り立つカードであるだろうから、まずは一般国民、一般的な個人の元気を引き出す政策が優先的に必要となるはずだ。

 政府が法人税減税と投資減税によって企業が活力を回復させ、それが所得の形で個人に還元されることを約束するなら話は別である。

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新聞報道に基づいた質問を「拙劣」とするのは仙谷官房長官の危機管理無能力の隠蔽

2010-10-19 09:45:44 | Weblog

 10月14日の参議院予算委員会の質疑で自民党の山本一太議員の新聞記事を基に書いてあることは事実かと問い質す質問方法を把えて仙谷官房長官が「拙劣」だと答弁したことが問題となっている。その場面を動画見て、「拙劣」云々の問題でなく、仙谷官房長官自身の危機管理能力欠如を、質問を「拙劣」だとすることで質問者の能力の問題にすり替えて誤魔化す狡猾な自己正当化の強弁を嗅ぎ取った。

 官房長官にこの発言をさせた発端は山本一太の新聞記事に基づいた質問に対する菅首相の答弁だった。

 山本「おとといの衆議院の委員会で石原幹事長が言及した共同新聞の記事があります。これ、船長逮捕の報告が遅れたことに対して、総理は官邸に集まった秘書官を前に、俺は逮捕6時間も知らなかったから、野党から攻められると怒鳴ったと。それで、答弁書を修正したと。これ記事にありますけども、総理、これは事実無根なんでしょうか」

 菅首相は石原幹事長に、「修正と言うのは何か発表して、それを変えることを修正と言う」とこじつけた、あるいはイチャモンをつけたのとほぼ同じく、「私が何を修正したのか、何をどう修正したの言ってくれないと、きちっと答えることができない」と、事実か事実無根かの確認を修正問題にすり替えた。このことで既に怒鳴ったのは答弁できない事実であると証明したも同然だが、元々合理的認識能力が未成熟にできているから、自分の今の発言が間接的事実認定になるとは気づかない。

 山本一太の方は気づいて、さらに追及する。

 山本「この記事は読まれておりますよね。共同通信の記事は読まれているのですか」

 菅首相「ご存知のように共同通信は色んなところに配信している。共同通信の元々のニュースは私も読んでおります」

 山本「総理が逮捕を6時間も知らなかったということはこの記事の中でも書いてある。事実は総理は逮捕を6時間も知らなかったと。野党から攻められると、怒鳴ったと。これは事実でしょうか」

 菅首相「事実関係を申し上げた方がいいと思いますんで、私の方からも申し上げたいと思います。先ず逮捕の方針が伝えられたのは、事件がありました9月7日の18時15分頃、福山副長官から報告を受けました。そして翌朝の午前0時56分、逮捕状が発布され、午前2時3分に逮捕状が執行された。

 それが事実関係であります。私には明けた午前8時に逮捕状が執行されたということを、秘書官から報告を受けました」

 山本「私がお聞きしているのは、この記事の中にある船長逮捕の報告が遅れたことに対して総理が官邸に集まった秘書官を前に俺が逮捕を6時間も知らなかったから、俺が野党から攻められるんじゃないかと、怒鳴ったという記述があるんです。

 これ、総理、事実なんですか。事実じゃなければ、事実じゃないと言ってください」

 菅首相「私は、今報告しましたように、逮捕の方針を聞いたのは9月7日の18時15分、であります。また逮捕状は請求されていませんが、今から逮捕状を請求して、逮捕するというのは、既にその方針として聞いておりますから、別にそのことが執行されて、翌朝執行されたことを聞いたからといって、別に全く不思議はありませんし、それに対して私が異を唱えることも、全く必要でありませんから、そんなことに、ような唱えるはずはありません」

 何度聞き直しても、「怒鳴るはずはありません」ではなく、「唱えるはずはありません」に聞こえた。「怒鳴るはずはありません」と言うつもりでいたのが、事実ではないから、「そんなことに、ような」といった意味が通じない発言となったのだろう。

 山本にしても「怒鳴るはずはありません」と聞こえなかったから、再度聞くことになったのだろう。
 
 山本「簡単にしてください。総理が秘書官等を集めてですね、俺が6時間も知っていなかったら困るだろうと、怒鳴ったというのは全くのガセネタなんですね。それだけ総理、言っていただければいいんです。事実じゃないって」

 菅首相「今後のこともありますから、一言だけ申し上げますが、やはり新聞記事がどの程度正確であるかどうか、みなさんも色々な機会に、えー、実感されていると思うんです。ですから、せめて、このですね、予算委員会では、単なる伝聞とかここにこう書いてあるからじゃなくて、もうちょっとですね、山本さん本人が、確かだと思わせるような、(山本、席から何か言う)確かだと思うような、根拠を持ってですね、えー、質問された方が、いいのではないかと思います。

 私は別に、時折イラ菅などと言われておりますから、私の普通の言葉をどう受け止められるか知りませんが、私の気持として、怒鳴った覚えなどありませんし」

 周囲の印象の問題にすり替えた答弁に過ぎないが、事実かどうか問われただけのことに対してこうもあれこれとこじつけた答弁に終始する一国の総理大臣の煮え切らない威厳のない姿からはリーダーシップという力強い意志の力を感じることはできない。

 山本「総理、ここの書いてあることに全く事実無根だと、総理、言っていただければいいんですよ。今の総理の何かモゴモゴした、よく分からないことを聞いたら、ああやっぱり、事実なんだって、みんなもそう思いますよ。総理もう一回言ってください。事実無根なんですね。それだけで結構ですから、事実見無根なんですね」

 菅首相「あの、山本議員ですね。私もたくさん質問をしておりますのでよく分かりますけど、つまり、山本さんが、それが事実だというんであれば、根拠を示してください。それから、(ヤジに)逃げているんじゃなく、・・・。

 そしてそれがどういう問題であるのかですね、それも指摘してみてください。先程申し上げていますが、前の日の夕方の18時15分頃、その報告を、逮捕するという報告を、方針の報告を受けて、そしてその(翌日の)8時に話を聞きましたと。

 その間(かん)で私は自覚的にですよ、怒鳴ったとか、何とかという事実はありませんということを申し上げたんですから、それ以上何を私に言わせたいんですか」

 山本は記事が示している事実を根拠に記事どおりの実体を備えた事実かどうかの確認を求めているのであって、事実の根拠は菅首相かそこに集まったという秘書官の証言に頼るしかない。新聞にしても、その記事が事実なら、秘書官か、秘書官を介した誰かの証言を根拠にしているはずだ。

 山本「事実じゃないって言っていただければ、総理、別にいいんですよ。それを言わないで、モゴモゴ言うから、全部本当だって、みんな思うっていうことですよ。あのね、新聞記事が本当だなんて思っていません。だけど、そういう話が出ているから、事実かって聞いているだけなんですよ、おかしいじゃないですか。

 分かりました。それは総理が事実じゃない、事実無根だとおっしゃっています。これ相当内部の方から出ていますからね、勿論100%ガセネタだと、この委員会の場所で言っていただきました」

 山本一太の「新聞記事が本当だなんて思っていません」も問題発言だが、本当でないなら、「モゴモゴ言うから、全部本当だって、みんな思う」の発言とも矛盾することになる。

 どちらにしても、事実無根と直截に答えた場合の後で持ち上がるかもしれない問題を恐れて、何とかこじつけて言い逃れようとしたが、逆に山本の事実かどうかの直截な質問に逃れる術を失いながら、なお往生際悪く事実の根拠を示してくれと的外れな要求で言い逃れの藁に縋ったといったところなのだろう。

 言い逃れに言い逃れを重ねる姿には毅然とした要素は期待しようがない。

 山本は尖閣関連の他の質問に切り替えるが、以上の遣り取りが「拙劣」の前哨戦となっていたはずだ。多分、満足に切り抜けることができない首相に影の首相としてイライラしていたに違いない。俺が表に出ないとダメかと。

 山本「この尖閣を巡る事件の真っ只中に(フジタの)4人が拘束されたわけですよ。それについて官房長官、最初の記者会見で、何かね、この4人の拘束はね、多分、尖閣とは関係ないんだと、そういうことをおっしゃいましたよね。何でそういうことを言うんですか。例えばこの事件で中国が4名を拘束したんだったら、そういう、これは報復措置の可能性もあるって言わないんです?それは」

 仙谷「エー先程から山本さんのご質問を聞いておりますと、何か、新聞記事のある部分は、ある部分は、それを前提にして質問をされていらっしゃるんだけれども――」

 山本(席から)「確認をしている」

 仙谷「新聞記事を確認する質問なんて、私聞いたことがないし――」

 山本(席から)「そんなことありませんよ」

 仙谷「いや、いや、こういう事実があるかどうかは質問としてあり得てもですね、その新聞記事が本当かどうかなんていう国会質問は聞いたことがない。いいですか――」

 山本(何か叫んでいる。)

 仙谷「それで、いいですか、いいですか。そこで、そこで(ヤジで何度も繰返す)、新聞記事の中でも、例えば官房長官という職責ですから、記者会見で私が述べたことは当然、それは前提にしてお聞きいただいてもて結構でございます。そこで、そこで、(ヤジを抑えるように殆んど怒鳴る)そこで、フジタ事件の関連についても、私は記者会見で随時中国の、このフジタの社員の拘束と言いましょうか、軟禁と言いましょうか、これについては終始疑問を呈し、外交当局から抗議や、あるいは解決、解放の申し入れしているということも述べてきております。何も言わなかったわけではありません。

 ただ、ただ、事実が分からないもんですから、つまりどのような容疑で、どのような手続きに従って彼らがどこで何をしていて、どうしてこういう事態になったのかという、事実が分からないわけですから、それを山本議員のように報復であるとか何とか、そういう評価が、できないと、できなかったと。

 つまり事実関係を押さえない限りですね、それは評価というのはできない。軽々とそんな評価はできない、そういう前提で発言をしていたわけであります」

 菅首相の先程の「モゴモゴ」の往生際悪い言い逃れと同じ文脈となっている。あらゆる場合を想定して、「今回の尖閣問題と関連があるかどうか調査中です」と記者会見で答えるべきで、最も重要な初動段階で尖閣と切り離して把握するような発言をしていたとしたら、あらゆる場合を想定することを忘れた危機管理の問題となる。

 また、「外交当局から抗議や、あるいは解決、解放の申し入れ」は後続段階での対応――殆んど謂われなき逮捕という事実が判明し出してからの後付の対応であったはずだ。

 山本「あのね、官房長官、じゃあ、事実が分からないんだったら、事実が分からないって言えばいいじゃないですか。何で一報が入ってきたときに、関係ないだろうって言うんですか。おかしいですよ。今言っていることと矛盾していますよ」

 仙谷「私の記者会見を、記者会見を確認して、えー、ご発言していただいた方がいいと思うんですが、私はそのような発言を記者会見、あるいは公的に申し上げたことはありません。事実が分からないとか、ことを前提にして、お話をしていると思います」

 山本「官房長官、その前のご発言、新聞記事の事実をかざして、これを事実なのかということを聞いた答弁は、聞いた質問に今までないとおっしゃいました。それは民主党が野党時代だって週刊誌の記事とか、新聞の記事を持ってきて、例えば閣僚に対して、総理に対して、こういう記事がありますけれども、これは事実なんですかって言ったことはありますよ。一回もないって、それ事実誤認ですよね。これ間違ったら、官房長官、辞めてくださいよね」

 山本一太の発言は短いから時間を取らないし、キーを叩く面倒も短くて済むし、助かる。

 仙谷「あの、言い方変です。あの、(ヤジに対して)座席でそういうあんまり激した発言をすると、発言できませんけれども、こういう事実がありますかと、書かれている事実を前提に、こういう事実がありますかという聞き方は、聞き方はある。ただ、速記録をめくっていただいたら分かるけども、この新聞の報道は事実ですかという聞き方を、山本さんが数回されたもんですから、その種の聞き方は、私は1年生議員のときから、先輩から教えられたのは、最も、最も、(ヤジと張り合うように声を大きくし)最も拙劣な質問方法で、それだけはやらないようにと教育を受けてきたから、先程申し上げたんです」

 山本「あのね、今の本当に失礼ですよ。官房長官、そんなこと聞いていません。ね、一度もそういう質問なかったって言ったんですから、――」

 多分野党議員だろ、かなりの数が委員長席を囲み、何か抗議。6、7分程して再開。

 委員長「仙谷官房長官の発言中に不適切な言辞(「ゲンリ」と聞こえたが、)があるとご指摘がありました。『拙劣』という発言は速記録から抹消いたします。委員長といたしましては、後刻理事会に於いて速記録を精査の上、適切な処置を取ることといたします。続けてください」

 山本「今、最も拙劣な手法と言ったことに官房長官、謝ってください」

 仙谷「えー、私が申し上げたのは、そういうふうに先輩から教えられてきたということでございます。が、そのことが、不穏当であったとすれば、謝罪をいたします。申し訳ありませんでした」

 中途半端に頭を下げて席に戻る。山本一太は菅・温家宝の日中首脳会談ならぬ、日中「立ち話」の質問に移る。

 「拙劣」であるかどうかの問題では決してない。

 「書かれている事実を前提に、こういう事実がありますかという聞き方」は許されて、「この新聞の報道は事実ですかという聞き方」は「拙劣」で許されないとする。だが、両者はどう違うというのだろうか。

 「新聞の報道」と言うとき、記事に「書かれている事実」を指しているのであって、その「事実を前提」にしているのだかから、「こういう事実がありますかと」と聞くのと、「事実ですかと」と聞くのとでは何ら違いはないはずだ。 

 要するに自身の危機管理能力の失態・無能力を逆に質問者の質問にケチをつける強弁、こじつけで隠蔽し、言い逃れたに過ぎない。

 菅首相にしても仙谷官房長官にしても、こうも卑劣であると同時に、誰が聞いても強弁、ウソと分かる「拙劣」な言い逃れで事実を事実とすることから回避するようでは国民は信用できない首相であり、信用できない官房長官と看做さざるを得なくなる。既に二人とも、“オオカミ首相”、“オオカミ官房長官”に成り果てているのではないのか。

 最後に中国人船長の釈放を伝える中でフジタ社員拘束時の仙谷官房長官発言を取り上げている9月24日付「YOMIURI ONLINE」記事――《検察判断で釈放決定、政府は追認…官房長官》を引用しておく。

 仙谷「結びつけるのは強引過ぎる」

 官房長官が自ら証言している「私はそのような発言を記者会見、あるいは公的に申し上げたことはありません」は裁判で言えば明らかに偽証罪に当たる発言となる。

 初動段階で尖閣とは関係なしの危機管理となっている。菅首相が温家宝首相との25分間の「立ち話」でフジタ社員の釈放に何ら言及しなかった危機管理意識と対応した仙谷官房長官のお粗末な危機管理意識とも言える。

 菅総理及び仙谷官房長官のこの欠格は、国民の生命・財産を守るという責任と義務の点のみならず、中国漁船衝突事件全般に関わる危機管理の点でも、政府を担う資格がないことを示唆している。

 そして釈放について、仙谷官房長官は、「粛々と国内法に基づいて手続きを進めた結果だ」と発言したことを記事は伝えている。

 多くがウソで固めたと分かる答弁の中で、「粛々と国内法に基づいて手続きを進めた結果だ」だけを事実だと誰が受け止めるだろうか。

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中国人船長釈放/政治介入があったことを政府側国会答弁が示唆している(1)

2010-10-17 17:00:07 | Weblog

 10月7日の衆議院本会議での代表質問で社民党の重野安正議員の質問に答えて菅首相が「所信表明演説は実は大風呂敷を広げたんですよ」と言ったことを自民党の石原伸晃幹事長が10月12日衆院予算委員会で菅首相への質問の中で取り上げ、菅首相が開き直って正当化した矛盾したこじつけを何日か前のブログに書いたが、石原伸晃は同日の続きの質疑で尖閣沖中国漁船衝突事件での中国人船長の釈放に政治介入があったかどうかを問い質している。菅首相、仙谷官房長官、柳田法務大臣等の政府側答弁を聞くと、政治介入なしとしていることにどうしても矛盾を感じる。

 質疑答弁の要所要所を取り上げて、私なりに感じた矛盾点を指摘してみる。 

 勿論、私なりの政治介入があったとする結論は状況証拠に過ぎないが、先ず第一番に疑わしいとする矛盾点は政府側は一切領海侵犯事件であることを前提とした答弁を行わず、終始一貫して一般的な刑事事件扱いとしているところにあるが、そこに逆の意識としての政治色の排除意思を感じ取ることができる。

 この刑事事件扱いは石原伸晃の質問に対して総理が答弁した後、石原が椅子に座ったまま、「聞いていないよ」と制止したにも関わらず立ち上がって答弁した仙谷官房長官の発言に早くも現れている。

 先ず最初に石原伸晃は「存在しない固有の領土である領土問題を国際社会に宣伝させてしまう」外交史上に於ける大失態を政府はやらかした。ビデオの公開についても9月30日の閉会審査の理事会で政府にビデオ公開を迅速に求める与野党合意を行ったが、政府は応じないで問題を先送りしている。菅首相は重大な問題であるにも関わらず、本当にビデオを見ていないのかと追及。

 菅首相は色々な報告を聞いて判断して、関係者と相談すれば十分に対応できる趣旨の答弁をして、ビデオを見ていないことの正当性を、初めてではないこれまでも何度となく言ってきたことを繰返して石原伸晃の質問の答とした。たいして役に立つ質問に思えなかったが、要求されもしないのに割り込んで答弁に立った仙谷官房長官が石原にとっては領海侵犯事案を刑事事案だとする意図しない手がかりを提供したはずだが、石原はやり過ごしてしまった。

 石原伸晃(椅子に座ったまま)「聞いていないよ」

 仙谷「石原委員にしても、それからその種の議論をされるみなさん方もご理解いただきたいし、お考えいただきたいのはですね、総理がビデオを見ないのはけしからんと言う議論を延々と、堂々とされる方がいます。ただ一般論として、刑事事件の証拠を最高権力者である者がこの証拠を見たいから持って来いと、いうふうなことが刑事司法手続きの中で行われていいのかどうかということでございます。

 つまり原則としては、原則としては(ヤジのため一段と声を強める)、そういうことはあってはならないたわけであります。従って事件手続きを始めるかどうかの判断のところはまさに事務当局と、あるいは政治が絡まなければならないところについては、報告を受けると、その資料として、私共が例えばビデオを見るということがあるといたしましても、判断の主体はあくまでも刑事司法の担当者でなくて、なければならないというのが私の考え方であります。

 で、そのときに総理大臣に一々お見せする場合なのか。あるいは総理大臣がそれを以て故意と、つまり捜査に口ばしを入れる、ことは果していいのかどうなのかというのは、みなさん方にはこれは司法の独立、あるいは刑事手法のあり方として、よーくお考えいただきたいと思います」

 石原は総理に質問したのであって、自分の質問時間に官房長官の意見表明をするのは委員会の運営上間違っているから、その点をご判断してもらいたいと委員長に申し出て終わりにしている。

 領海侵犯をして日本の巡視船に2度も体当たりしてきて、逮捕に至ったという経緯の上に中国も領有権を主張している海域で発生した事件であり、当然中国側からの何らかの対応が予測される出来事を果して「一般論」で扱う問題だろうか。あるいは単なる「刑事事件」として扱うことができる事案で済ますことができるのだろうか。

 最初から外交問題として扱わなければならなかった事案であったはずだ。事実外交問題として扱ったから、官邸その他で関係者が雁首を揃えた。

 また仙谷官房長官は「私共が例えばビデオを見るということがあるといたしましても、判断の主体はあくまでも刑事司法の担当者でなくて、なければならない」と言っているが、領有権を主張している中国がどう出るかでないかを判断しなければならない外交案件である以上、判断の主体を刑事司法の担当者に置くと言うのは無理がある。

 結論は公務執行妨害罪とする一般の刑事事件としたとしても、いくら日本側が「尖閣に領土問題は存在しない」と主張しても、領有権に関係してくる当然の措置として外交案件として扱う経緯を取らないまま一般の刑事事件に持っていったとしたら、逆に外交の不在、政治の不在を浮き立たせることになる。

 この点を突くべきを突かなかった。突かないまま、国交相時にビデオを見たという前原外相に質問し、海上保安庁が逮捕して司法手続きに入るときにビデオが証拠として取り上げられる可能性が大きかったからビデオ公開に慎重であったという証言を得たのみで、事件発生の具体的な時間経過の面からの追及に変えていく。

 事件発生から船長逮捕まで約半日の空白があったと言う。

 9月7日午前11時頃、中国漁船の海上保安庁巡視船に対する衝突。

 衝突という表現を誰もが使っているが、実際は体当たりであって、衝突とすると、悪質性を薄めることになる。

 9月7日午後12時56分に漁船を停止させ、船長を拘束。

 9月7日午後5時頃、官邸に報告。

 9月8日午前0時2分に逮捕。

 石原は次のように発言している。

 石原(官邸へ報告してから)「その後、2回、関係省庁による協議が行われた。9月7日のことでございます。

 つまり、現在の日中関係や先程長官が長々とお話になった、また今後起こり得る事を分析しまして、その上で政治的に決断をして、船長逮捕に踏み切ったからこそ、半日という時間が経ったのだと思います」

 そして地方紙の一面に載っていたという、『報告時刻を修正、当初は逮捕の翌朝、首相、答弁資料で指示』なる報道を取り上げ、事実かどうか首相に問い正すが、事実でないと一蹴されておしまい。

 菅首相「午前11時半頃、事件の事案の発生を秘書官から報告を受け、逮捕の方針を、逮捕という方針でいきたいという福山副長官から報告を受け、私もそのことについてまあ、了解を、特に異論を挟むことはいたしませんでした。

 その翌日に実際に逮捕状が出されたのが午前0時55分、執行が2時3分だということだと思いますが、私が直接聞いたのは逮捕状を執行したということを、秘書官から報告を受けました」――

 石原は2回の関係省庁協議を殆んど重視していないが、1回の協議では対応を決め切れなかったからこそ、2回目の協議を必要としたはずで、それ程にも取扱いに慎重さが求められたからこそ、時間を取った証拠ともなり得る回数なのだから、この点とそれぞれの会合でどういったことを話し合ったのか、どういった結論に至ったのか追及すべきだったはずだが、何ら追及しずまいで終えてしまった。

 また、首相の答弁から、首相が逮捕決定に至るまで刻々と報告を受けていたことが分かる。重大な外交案件だからこその頻繁な報告だったはずである。菅首相が言っている「逮捕という方針でいきたいという福山副長官から報告」の「方針でいきたい」としている主体が誰なのかが問題となる。丸投げ大好きの首相が仙谷官房長官以下、前原、岡田等に取扱いを丸投げし、彼らが結論づけた「方針でいきたい」として報告を受けた可能性は否定できない。

 だとするとこの、「方針でいきます」ではなく、「方針でいきたい」は了解を求める意思を持たせた「いきたい」となる。決定権が仙谷が言う「刑事司法の担当者」のみにあるとするなら、誰の許可も必要ないことになり、敬語をどう使うとしても、基本は「方針でいきます」の主体の意思を伝える報告となるはずである。

 その報告に対して、決定権は「刑事司法の担当者」のみにあるのだから、間に誰を介しようとも、単に報告を受けるだけの「分かりました」、「了承しました」でなければならない。

 だが、「逮捕という方針でいきたい」とする報告を受け、その報告に対して首相が「異論を挟むことはいたしませんでした」とするなら、最終決定権は首相自身にあることになる。また言葉自体も、異論を挟むこともあり得ることを条件付けた言葉となっているゆえに、このことからも決定権が二重に首相にあったとすることができる。当然「方針でいきたい」は既に触れたように了解の意思を持たせた発言となる。

 尤もこの「異論を挟むことはいたしませんでした」を不味いと気づいたのだろう、後で修正している。

 菅首相は石原が報告時刻を首相が修正したのではないのかと追及した「修正」と言う言葉を掴まえて、「修正と言うのは何か発表して、それを変えることを修正と言う。何か私が発表したという根拠があるのですか」と逆ネジを食らわしている。確かに「修正」は「間違いを正す」意味だが、言葉は時代によって読み方が違ったり、拡大した意味を取るようになったり、あるいは全然別の意味を示すこともある。実際の時間を別の時間とすることを「歪曲」とか「騙る」と言うのだろうが、それでは表現がどぎつくなるから、新聞の方で「修正」と言葉でオブラートに包んだということも考えることができる。天下の総理大臣が(責任転嫁の総理が?)「修正」と言う言葉一つでムキになって反論する図はみっともないだけではなく、何となく情けない姿に見えた。

 石原は、修正したと言ったわけではなく、記事が書いていることと総理が言っている時間とどちらが正しいのか聞いただけだとのみ答えている。事実その通りだが、「天下の総理大臣がムキになって反論することですか」と一言言ったなら、なおさらムキになる醜態を眺めることができたかもしれない。

 石原はここで、「福山副長官から報告を受け、了解したと、船長を逮捕してよいと許可を与えた」ことにして、総理大臣は政治全般に対する最高指導者であり最高責任者だから、国益に関わる重大な問題について官僚任せにせずに政治主導で決めた菅首相のこの判断は間違っていないと、事件を中国との間の外交案件とする線からの発言をする。

 だが、石に噛りついてもそれを貫かず、最終的には責任を検察に押し付けたと非難する。

 石原「検察が国内法に基づいて粛々と対応したなら、那覇地検の次席検事が釈放の理由に、読ませていただきますと、有名になりました、『我が国国民への影響や日中関係を考慮すると、これ以上の容疑者の身柄を拘束して、捜査を続けることは相当でないと判断した』などと言うわけはないんですね」云々と対検察責任転嫁の政治判断説を展開する。

 石原「総理、あなたは今も中国人船長の釈放という国益に関わる重大な決定を、政治家が下すべきではないと思ってらっしゃるのですか。釈放の決定について自分は責任はない、下から上がって来たことを、検察が決めたことを了としただけという官房長官の発言と同じなんですか。お答えください」

 ここでまた仙谷官房長官が割り込んでくる。

 中国人船長釈放に政治介入があったことを政府側国会答弁が示唆している(2)に続く

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中国人船長釈放/政治介入があったことを政府側国会答弁が示唆している(2)

2010-10-17 16:23:40 | Weblog

 仙谷「あの、先程から刑事手法手続きについて、割と石原幹事長はあの、大雑把に言葉を使われておりますので、私もかねてから、ややそういう言い方は違うんではないかというお答えを先ず差し上げたいと思います。

 つまり総理が逮捕を許したという、言葉遣いをされました。逮捕を許した――」

 石原(椅子に腰掛けたまま)「了解した」

 仙谷「いや、許したとさっきおっしゃった。逮捕を許したのは裁判所であって、総理ではありません。つまり海上保安庁の逮捕手続きを始めるという方針に、総理は事実を聞いて異を唱えなかったのはというのは、正しいわけであります。そいで、先程からおっしゃっているようにですね、これは交通事故とか、あるいは自動車の運転のケースを先程引かれましたけど、そういうのを一々ですね、大臣や総理大臣が許可するとか許可しないっていう、そういう国ではないという、この日本の国であるということを先ず限定していていただきたいと思います」

 ここでも仙谷は巡視船に体当たりまでした悪質な領海侵犯事案を、ここではその発言を取り上げていないが、石原が例に引いたことを利用して、交通事故とか、あるいは自動車の運転のケースに涙ぐましい程の懸命さで矮小化して、「大臣や総理大臣が許可するとか許可しないっていう、そういう国ではない」とすることで、領海侵犯事案に於ける船長逮捕を許可するはずはないとする強弁を働かせている。

 悪質な領海侵犯事案を前提としない議論を展開すること自体が不都合を隠す隠蔽意思を明らかに嗅ぎ取ることができる。

 ここで柳田法務相が刑事訴訟法第238条を挙げて、“国内法に基づいて粛々”を補強説明している。

 柳田「起訴・不起訴の判断に当たって考慮すべき諸事情として、犯罪や被疑者に関する情状に加え、犯罪行為の状況を定めているという、これには社会一般の状況の変化、起訴・不起訴等の処分が社会に与える影響も入るものと考えられているものと思われます。

 本件に於いても、被疑者の釈放に当たっては犯罪や被疑者に関する情状に加え、社会一般の状況の変化に与える影響等として、被疑者の身柄を拘留したまま捜査を継続した場合の我が国国民への影響や、今後の日中関係を考慮したものと承知をいたしております」

 あくまでも公務執行妨害という一般的な犯罪事案としていて、その線に添って刑事訴訟法第238条を適用したとしている。

 ここで菅首相は先程の「異論を挟むことはいたしませんでした」を訂正している。

 菅首相「まあ、先程答弁をした中でですね、いわゆる逮捕の方針の報告を受けて、異を唱えなかったとという言い方をして、もしかしたら若干、私の表現も、おー、多少誤解を招いたかもしれません。

 つまり先程官房長官から話がありましたように、私が逮捕せよとか、逮捕するという立場でありません。ですから、そういう意味ではその逮捕についての報告があったときに、それについて、ま、報告に対してですね、分かったと、いうことを申し上げたという意味であることを改めて申し上げておきたいと思います」

 漏れが生じることを恐れる余りに細心の注意を払っている様子が浮かぶ。

 菅首相はその上柳田法相が先程話したのと同じ趣旨の発言を繰返して、「国内法に基づいて粛々と対応」したことを自分からも強調している。ウソつきが自分のウソ話を相手に信じ込ませようとして、「ウソじゃない、本当なんだ、本当なんだ」と何度も言うように。

 石原伸晃は自身の追及が同じ趣旨の答弁に突き当たって功を奏さないからなのか、感情的になり、「総理はね、私は厭なんですよ。こうやってね(実際に前屈みの姿勢でペーパーを両手に持ち)、オドオドしながらね、官僚の書いたペーパーをね(と言って、ペーパーを机に叩きつける)、読むなんてね、独断でいいですからね、毅然とした話をしてくださいよ。・・・・」

 いくらオドオドしていると言われようと、自分たちが事実としたことを事実だと押し通さなければ、責任を問われる。それが真正な事実かもしれない。石原としては真正な事実と見ていない以上、事実でないことを見破り、証拠立てるしか手はないはずだが、いささか冷静さを失っている。

 ここで前原外相が立ち上がって、改めて一般的刑事事案であることを巧妙な言いまわしで補強説明する。

 前原「まあ、これも、何度も前よりも答弁しておりますけれども、刑事事件を発端として外交問題に発展してきた事例っていうのは古今東西、ゴマンとあると思います。しかし発端の事例については、刑事事件として扱うというのは当たり前で、それについて波及した外交問題については、政府を挙げて、外務省を含めて、しっかりと対応すると言うことであります」

 要するに船長逮捕から釈放までは刑事事件の取扱いで、レアアースの輸出停止やフジタ社員拘束は政府の取扱いだと二段階に分けることで、逮捕にも釈放にも政府は関係していないとしている。

 前原が言っていることが事実としたら、逮捕時、外交問題に発展することは何ら予測していなかったことになる。中国の圧力はあくまでも最初の段階で生じた逮捕が次の段階に「波及した外交問題」と言うことになるからだ。いわば逮捕自体が尖閣諸島は中国固有の領土だとしている中国の何らかの反発への波及を当初から孕んでいた発展形を備えていたにも関わらず、外交問題を後付の波及としている。

 だとすると、逮捕するまでに2回の関係省庁協議を持ったのは何のためだろうか。最初から「波及」を予想した、一回の協議では結論を見い出せなかった2回の協議であったはずだ。

 石原は、検察を喚問するのは本意ではないが、喚問せざるを得ないと金賢姫遊覧ヘリコプターですっかり有名となった例の中井洽(ひろし)委員長に申し出る。

 これで石原のこの問題に関する質問は終わるのかと思ってほっとしたのだが、追及し切れない自身の力不足をものともせずに柳田法相に再度質問をぶっつけた。多分質問のスケジュールに入れていて、内容も決めていた関係から続けただけの質問だったのかもしれない。

 だとしても、柳田法相の答弁に追及のキッカケとなる発言がありながら、見過ごしてしまっている。

 石原「柳田法務大臣にお伺いします。釈放決定の報告を受けまして、どのような対応を指示されたんですか。検察が外交問題を考慮して事件の処理を判断するなどという、これまでお話をさせていただきましたけども、まさに超えてはならない一線を超えたとき、あなたは何をされておったんですか。日本が法治国家でなくなるのを指をくわえて待っていたんですか。それは私には職務怠慢だったと思います。

 官僚の答弁書は要りません。紙でください」

 官僚の書いた答弁書を読むだけなら、答弁を書いた紙だけくれれば事足りると言われても、相手としたら答弁しないわけには行かない。但し、柳田法相、頭に入れていたのか、自分の言葉なのか、何も読まずに答弁した。

 柳田「エー、今回の件に関しましては、時折々に報告を受けておりました。えー、24日お昼前に、刑事局長の方から、釈放の理由報告を受けたところでございます。その際、私の方から分かりましたということだけを申し上げました」

 これは菅首相の「逮捕という方針でいきたいという福山副長官から報告を受け」、「特に異論を挟むことはいたしませんでした」に対応する法相の「報告を受け」、「私の方から分かりましたということだけを申し上げました」であろう。うまく合い過ぎる。

 石原の答弁に対する発言。

 石原「その答弁が問題だと言っているわけであります。外交案件を考慮して判断するのはどういうことだと叱るのが法務大臣じゃないんですか。超えてはならないところを超えたわけですよ。そして今と同じような答弁を繰返しているならば、検察の越権行為を許して(?聞き取れない)、さらにあろうことか了とした。ハイ、分かりましたと今おっしゃった。私はね、そんな職務怠慢な法務大臣は罷免すべきだと思いますよ。総理のお考えをお聞かせください」

 政府側は検察の越権行為だと見ていないのだから、石原本人が越権行為だ、越権行為だと言うだけでは相手から同じか、似たような答弁を引き出す堂々巡りを繰返すに過ぎない。

 「刑事局長の方から、釈放の理由報告を受けた」と言うなら、具体的にどういった内容の「釈放の理由報告」だったのか、その内容を詳しく聞くべきだっただろう。当然、那覇地検が処分保留で釈放した理由に挙げている、「我が国国民への影響や日中関係を考慮すると、これ以上の容疑者の身柄を拘束して、捜査を続けることは相当でないと判断した」と内容は一致するはずである。

 果してその「釈放の理由報告」に対して、「私の方から分かりましたということだけを申し上げました」で整合性が取れるだろうか。本来なら政治側が判断すべき理由を検察のみが判断したことになる。あるいは検察側に判断させたことになる。そうしておいて、「分かりました」では辻褄が合わない。

 中井委員長「柳田法務大臣、職務権限を逸脱しているかどうか、検察という点についてご答弁願います」

 柳田「先程触れたとおりに、第284条に則って、地検は粛々と判断を下したものと私は思っております。なお、その報告を聞いて、私は指揮権発動はなかったというのが事実でございます」

 以下菅首相の埒も明かない答弁。再び石原伸晃の埒も明かない質問と暫く続き、石原は追及し切れずに次の質問へと移っていく。

 柳田は「なお、その報告を聞いて、私は指揮権発動はなかったというのが事実でございます」と言っている。最初のところで報告に対して、「私の方から分かりましたということだけを申し上げました」を石原伸晃から職務怠慢と把えられたから、「指揮権発動」の言葉に代え、同時に政治介入がなかったことを知らしめる表現としたのだと思うが、菅首相の「異論を挟むことはいたしませんでした」が菅首相に決定権があることを示すように、「指揮権発動はなかった」と言う以上、「指揮権発動」を頭に入れて備えていたことを示しているはずである。

 レアアースの輸入停止等の中国の圧力とは無関係に最初から最後まで国内法に則って検察の判断に任せる姿勢でいたなら、いわば政治介入の意思がなかったなら、それでは2回の関係省庁協議の開催が矛盾することになるが、「指揮権発動」という認識はそもそもからして存在しないことになり、当然、「指揮権発動はなかったというのが事実でございます」もふさわしくない発言となる。

 勿論、事実上の指揮権発動ではなかったのかの野党側の疑いに対して、「指揮権発動はなかった」という言葉を使ったとする理由づけは許されもするだろうが、それ以外は第284条の国内法処理と「指揮権発動」処理は両立させることのできない対応であることに変わりはない以上、第284条の国内法に則った報告に対して「指揮権発動はなかった」はいくら政治介入はなかったとする理由からだとしても、矛盾する発言であろう。

 少なくともその点を突くべきではなかったろうか。

 以上見てきたように二度も巡視船に体当たりしてきた悪質な領海侵犯事案であり、中国側も中国固有の領土だとしている領海内である関係から、逮捕自体が中国固有の領土だとする主張に則った中国側の対応と外交問題へとの波及が予見できながら、領海侵犯ではなく、公務執行妨害罪で逮捕したこと、中国との間で外交問題に発展していながら、政府側の説明から悪質な領海侵犯の事実が消し去られ、一般的な刑事事案を事実だとしていること、仙谷官房長官が事件を交通事故や自動車の運転のケースになぞらえて殊更矮小化していること、検察が判断主体でありながら、逮捕の報告が「逮捕という方針でいきたい」という了解の意思を持たせて了解側に判断主体を置いていること。

 菅首相が逮捕報告に対して後で“修正”しているものの、「特に異論を挟むことはいたしませんでした」と判断主体を首相自身に一度は置いたこと、2回の関係省庁協議で何を話し合い、何を決めたのか協議内容が明らかにされていないこと、前原外相が外相でありながら、外交問題を発端の刑事事件が波及した後付の事柄として個別に扱い、当初から関連付けていないこと、柳田法相が第284条の国内法処理と「指揮権発動」処理は両立しないにも関わらず、国内法処理の報告に対して「指揮権発動はなかったというのが事実でございます」と、あり得ない政治要素を以って答弁としていること等々を見てくると、政治介入があったことを隠そうとする意志を働かせた答弁の数々と見ないことには説明がつかなくなる。

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仙谷官房長官の参議院予算委員会答弁に見る日本国民“愚民論”

2010-10-16 08:50:34 | Weblog

 10月15日参議院予算委員会、みんなの党の小野次郎議員が仙谷官房長官に対する質問を行った。

 小野議員「仙谷官房長官、先日亡くなられた大沢監督、大沢親分、言わせれば、仙谷官房長官、あなたは“喝ッ”ですよ。私はそう思います。

 おとといの官房長官の記者会見、そして昨日の予算委員会の遣り取り、自分を小村寿太郎外務大臣になぞらえていますね。私はおこがましいと思いますよ。命を賭けて国益を守った、小林寿太郎氏と、あなたは似ても似つかないじゃないですか。民主党代表選にまだ早いですよ。

 民主党代表選にみな現(うつつ)を抜かして、中国に付け込む隙を与えてしまった。それは民主党政権でございませんか。あなたは内閣全体を考えなければならない重責にありながら、あたふたと対応してしまった。違いますか。中国に対する柳腰外交、今後も忍従、弱腰の対応を続けるつもりですか。もしご感想があればお伺いいたします」

 仙谷官房長官「えー、今日も某新聞が先生がおっしゃられた論理を、お書きになっておられたわけでありますが、私は日本の大政治家小村寿太郎に私をなぞらえたり、決していたしておりません。それほど自惚れているわけではありません。

 ただ、外交への評価というのは(一語一語ゆっくりと強い口調で話す)、松岡洋祐が、国際連盟を脱退して帰ってきたときに、日本国民の殆んどが、歓呼の声を以って迎えた。小村寿太郎が、ポーツマス条約を、締結して帰ってきたときには、焼き打ちに遭ったという、この二つの日本の歴史は、これを教訓として、とりわけ政治家はこの二つのことは、拳々服膺して(常に心中に銘記し、忘れないこと)、自らの言動を、相対的に、いつも客観的に点検しながら、そのときの国民が、大いに喜んでいただける、大いに歓呼の声を与えてくれる、そういうとき程、自戒をして、行わなければならないと、いうことを思っているわけであります。

 (一段と大きな声で)そこで、今回のことについては、世論調査の結果もそうでありますし、みなさん方も、かなり多くの方がよわ、弱腰だ何だ、もっと中国と、強く闘えという、ある種のナショナリックな、雰囲気が多いわけでありますけれども、政治家はそのことをじっくりと考えて、自ら判断しなければいけない。

 そういう例として、ポーツマス条約のときのことと、満州事変後、満州建国をして、国際連盟を脱退したこの二つのことを、記者のみなさん方に、掲げて、お話をしているだけの話であります」

 小野議員「あなたね、歴史の授業を改めて受ける必要ないんですよ。自戒の言葉だってご自分でおっしゃったんじゃないですか。自戒の言葉は自分で呑み込んで、自分の戒めとするんじゃないですか。それを記者会見で、また予算委員会で繰返し、自分と小村寿太郎と対比して言ってるじゃないですか。どこが似てるんですか、あなたと。

 まあ、あの、とりあえず別の質問に移りますが、また戻ります」――

 この原稿を書きながら保存動画から後続の質疑を聞いていた範囲では最後まで小村寿太郎になぞらえたことの追及には戻らなかったようだ。

 仙谷官房長官が言わんとしたことは、政府の対応に対する評価は過去の例にもあるとおりにその場の判断のみで短絡的に決めると過つ場合が往々にして起こる。野党の政府批判も国民の世論調査にしても、その場判断とならずに長期的視野に立った判断を心がけなければならないとの訴えであろう。

 要するに野党の政府批判も世論調査の結果もその場判断、短期的視野に立った判断に過ぎない。長い目で見たなら、菅内閣の外交にしても内政にしても必ず評価されると都合のいいことを言っているに過ぎないが、このことは野党の政府批判を否定するのはともかく、ポーツマス条約と国際連盟脱退時の国民の対応を例に挙げた世論調査否定となっている。果して仙谷官房長官のこの否定は正しい判断なのだろうか。

 私の無学を以てしても、ポーツマス条約と国際連盟脱退時の日本社会が天皇を絶対君主とした言論統制社会であったことぐらいは知っている。天皇を批判すると不敬罪で罰せられる例一つとっても分かるように国民自身が発する情報も統制され、外から知らされる情報も統制され、体制側に都合のいい情報だけを知らされる情報操作、その逆の都合の悪い情報は知らされない情報隠蔽を受けていた。

 要するに政治の事実、国家の事実、社会の事実、さらに世界の事実を学ぶことのできない情報に関わる座敷牢状態に国民は置かれていた。そして戦後、国民はそのような情報の座敷牢から解放され、時の経過と共に様々な情報媒体の発達によって、政治の事実、国家の事実、社会の事実、世界の事実をそれぞれに自由に学ぶ機会を得ることができるようになった。学び方によっては無制限に近い学ぶ機会を獲得できる。

 こういった自由な情報世界に住むことによって、国民は国家や政治について、社会について、世界について多くを学んでいるはずだ。幼保から小学校、大学までの教育機関も情報授受の場であり、成長過程で多くの情報を学ぶ機会を与えれらて成長を果たしていく。 

 仙谷官房長官は中国船衝突事件での中国人船長の釈放をアメリカ政府も評価している、アメリカの各新聞も評価しているとして、評価しない野党の批判と同じく政府の失態だとしている世論調査を否定しているが、消費税発言以降、菅首相の指導力に対する国民の評価は下降曲線を取り、衝突事件が起こる前は10%に満たない指導力否定評価となっていた。中国船衝突事件と船長釈放等々の政府の対応に対して国民の前々からの指導力否定評価が呼応した側面もある中国漁船衝突事件と対中外交に関わる現在の世論調査結果でもあるはずである。

 一度指導力がないと看做されれば、その色眼鏡で何事も評価されることになるのは当然の趨勢であろう。

 不都合は殆んどない世論であるにも関わらず、仙谷官房長官は菅首相に対する前々からの否定的評価に発した現在の世論という経緯を否定しているばかりか、現在の国民が戦前の国民と比較にならない程に情報的成長を果たし、情報未成長のかつての国民とは姿を違えているにも関わらず、同じ成長状態に置いて国民を判断する基準としている。

 この仙谷官房長官の国民を見る目、対国民視野は現在の情報成長した国民を愚弄する“愚民論”に当たるはずである。

 だが、小野次郎議員はそうは受け止めずに仙谷官房長官が自身を小村寿太郎になぞらえているとのみ把えて批判している。

 「Wikipedia」で小村寿太郎の日露戦争ポーツマス条約締結による焼き打ち事件と松岡洋右の国際連盟脱退による歓呼の歓迎を調べてみた。概略を記す。

 【日比谷焼き打ち事件】(1905年9月5日)

 1905年のポーツマス条約によってロシアは北緯50度以南の樺太島の割譲および租借地遼東半島の日本への移譲を認め、実質的に日露戦争は日本の勝利で終わる。

 日本国民は情報統制により連戦連勝報道がなされていたが、戦費を賄うために多額の増税・国債の増発もなされていた(戦費17億円は国家予算6年分。外債8億、9億内債・増税)。国民の多くは内情を知らされておらずロシアから多額の賠償金を取ることができると信じていたが、ロシアは日露戦争の戦場は全て満州(中国東北部)南部と朝鮮半島北部であり、ロシアの領内はまったく日本に攻撃されていないという理由から強硬姿勢を貫き、賠償金の支払いについては拒否。日本は戦争を継続する余力を残していなかったために妥協。

 日本側は賠償金50億円、遼東半島の権利と旅順-ハルピン間の鉄道権利の譲渡、樺太全土の譲渡などを望んでいたことから、締結内容に国民は不満を高めた。朝日新聞(9月1日付)が、「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」と報道した事実を記しているが、このような激しい論調が国民の不満を高める役目を果たしたに違いない。

 一部右翼活動家の中にはイルクーツク地方以東のロシア帝国領土割譲がされると国民を扇動する者までいたということも、煽った国民の期待を不平不満、怒りに突き落とす役目を果たしただろう。

 〈長きにわたる戦争で戦費による増税に苦しんできた国民にとって、賠償金が取れなかった講和条約に対する不満が高まった。このため、9月3日に大阪市公会堂をはじめとする全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれたのである。その内容は、「閣僚と元老を全て処分し、講和条約を破棄してロシアとの戦争継続を求める」という過激なものであった。〉――

 国民の「戦争継続を求める」は戦争継続の余力を失っていた日本政府にとって、どう逆立ちしても受け入れることができなかった条件であったろう。戦争継続のカードを手に入れることができなかった国民の不満の爆発が焼き打ちとなって現れた。

 それもこれも「情報統制」に縛られ、国の事実、戦争の事実、いわばそれぞれの実情を知らされなかったばかりか、連戦連勝の都合のいい情報の捏造という事実・実情のみを知らされたことが原因した国民による暴走だったはずである

 国際連盟脱退(1933(昭和8)年)に関しては、「Wikipedia」は次のような一文の載せている。

 〈3月8日に日本政府は脱退を決定(同27日連盟に通告)することになる。翌日の新聞には『連盟よさらば!/連盟、報告書を採択 わが代表堂々退場す』の文字が一面に大きく掲載された。「英雄」として迎えられた帰国後のインタビューでは「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切」、「いまこそ日本精神の発揚が必要」と答えている。42対1は当時流行語になり語呂合わせで「向こうは死に体でこっちは1番なんだ。」等と一部で評された。〉
 
 新聞が書いた、『連盟よさらば!/連盟、報告書を採択 わが代表堂々退場す』の記事題名は言論統制下にあった新聞が政府の意向を汲み、あるいは指示を受けて、日本の勇ましい姿だけの情報を流し、国民の士気を高めた様子を間接的に伝えている。

 そのような情報統制、情報操作を受けた、仙谷の言う「歓呼の声を以って迎えた」であったはずだ。

 過去・現在の国民の姿の違い、国民が置かれていた事実・実情の違い等々の内実を隠して、国の制約、情報の制約を受けたかつての国民の姿をモノサシに開かれた情報下にある(と言っても、政府は都合の悪い情報をときには隠すが)現在の国民の政治に対する考え、評価を否定的に取り扱う思い上がりとも言える言動、“愚民論”とも看做し得る言動を何の疑いもなしに展開する。

 所詮仙谷官房長官の僭越な“愚民論”は現在の日本国民を愚かだとすることによって、その世論調査を否定し、否定することで菅首相の指導力のなさを擁護する唯一残された切り札に過ぎない。実際の政治で菅首相自身が自らの指導力を証明することができないからだ。

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菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(1)

2010-10-15 15:05:11 | Weblog

 さき10月14日の参議院予算委員会の質疑。自民党の山本一太議員が菅首相に本年度ノーベル賞平和賞受賞の中国人人権活動家で中国当局に拘束中の劉暁波氏の釈放を中国政府に求めるべきだと迫った。菅首相は勿論、快く応じた――といった急展開はなく、元市民活動家を名乗るだけのことはある事勿れな対応を見せた。答弁に対するちょっとした感想は「※」付きで述べてみた。

 山本一太「先般、中国では服役中の民主活動家劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞されました。先ずこれについての総理の見解をお伺いします」

 菅首相「ノーベル賞受賞があったと、私がコメントを求めれた、あー(喉が小さくゴロゴロと鳴る。)、ところ、で、ありました。まあ、あたしは、えー・・・(喉を鳴らす)、えー、これ、ノルウェー、えー、の、ノー・・・ベル賞の、委員会が、あー、普遍的な価値である、人権というものを、おー・・・(喉を鳴らす)、考え、て、えー・・・、えー・・・、受賞を、おー・・・、いわゆるノーベル賞の受賞を、決められたものだろうと、ま、こういうふうに申し上げました。

 えー・・・、まさに人権の問題は、あー・・・(喉鳴り)、国境を超えての、おー・・・(喉鳴り)、人類、共通の課題でありますので、私は、あー・・・(喉鳴り)喜ばしいことだと、このように、受け止めております」

 山本一太「あの、ちょっと総理、奥歯にはさ、物が挟まったような、非常に歯切れの悪いご答弁だと思いますけど、もうちょっと、もうちょっと踏み込んだお話をいただけないものでしょうか」

 ※奥歯に挟まったものの言い方というよりも、普段頭に押さえていない不慣れな考えだから、つっかえつっかえとなるのだろう。「20年間の日本の閉塞状態を打ち破るには――」といった自身が常にスローガンとしている主張は滔々と声を張り上げて淀みなく述べることができるのだから、その逆の頭にないことの意見表明ということなのだろう。

 菅首相「まあ、劉暁波氏の、おー・・・(喉鳴らし)、中に人間、あるいは国際的な活動について、私自身、そう詳しく、それ以前知っていた、わけではありません。シー、えー・・・(喉慣らし)、しかし、えー・・・、ノーベル賞、の、委員会が、そういう活動を、ヲー・・・(喉慣らし)、評価して、えー・・・、こういうノーベル賞を、おー、受賞を決められたわけです。シー、ま、このことは、ま、どこまで踏み込んでということになるか分かりませんが、ま、ある意味で、国際社会に対してと同時に、ま、中国自身に対してもですね、えー、人権に問題についての、もっと、おー・・・(喉鳴らし)、そういうものを、おー・・・、しっかりと尊重するようにという、まあ、ある意味での、おー・・・、そういう、うー・・・、意思というか、そういうものを伝えられたんだと思っています。

 シー、私も、その、おー・・・(喉鳴らし)、意味は、えー・・・、そういう、うー・・・、立場で、えー・・・、その問題についても、おー・・・、受け止め、場合によっては、あー・・・、必要なことがあれば、対応していきたいと、そう思っています」

 山本一太「今のは総理、従来よりは一歩踏み込んだご答弁だったと思います。やっぱり中国についても、人権問題についてはしっかり慎重、人権問題については尊重していくべきだと、そういう国際的な意志が示されたと、総理がおっしゃいましたので、これは以前よりも踏み込んだ答弁だと思いますが、総理、ご存知のようにアメリカのブッ、あのー、オバマ大統領は、中国政府に対してこの劉暁波氏の釈放を求めています。

 そして総理、これもご存知だと思いますが、EUもそうです。英国政府も、フランス政府も、ドイツ政府も、この劉氏の釈放を求めているか、あるいは釈放を願うと、そういうステートメントを出しておりますけれども、日本政府として今後、この劉氏の釈放を求めると。こういうことをおっしゃる、ヨ、予定は、あるんでしょうか」

 菅首相「まあ、ノーベル賞受賞ということで、エー・・・(喉鳴らし)、まあ、その受賞、に、ご本人が出席を、おー、できる状況になるのか、あるいは、あ、奥さんや、家族は代って授賞式に出られることになるのか、ま、国際社会としても、ま、私としても、ま、注目をいたしております。ま、私もですね、エー・・・(喉鳴らし)、中国に於いて、普遍的な価値ある人権と、基本的自由が、保障されることが、重要だと、このように考えております」

 ※質問の趣旨に直接答えていないところに逃げている印象を与える。

 また、菅首相がよく使う、「まあ」とか「ま」と言う副詞は、積極性とは反対の消極的意思を表す一種の“逃げ”を表す言葉ともなっているはずだ。「まあ、行ってみる」と「行ってみる」とでは積極性に差がある。「ま、試してみる」と「試してみる」でも同じ。「まあ、ノーベル賞受賞ということで」と言っていることは、積極的関心を持った「受賞」ではないという、所極性への逃げた気持が現れた、「まあ」であろう。

 多分、人権問題となると、中国に対して何らかの意思表示を示さなければならない西欧民主国家の価値観を負う者としての菅首相の義務感からすると、厄介な障壁と化しているに違いない。


 山本一太「あの、私がお聞きしたのは、日本政府として劉氏の釈放を求めていくと、そういうステートメントを出されていくつもりがあるのかどうかっていうことなんですよ。お答えください」

 菅首相「まあ、どういう形での、どういう・・・・、表現をするかということは、あー・・・、考える・・・、必要があると思いますが、釈放されるのが望ましいと、このように思っております」

 山本一太「今の、釈放されるのが望ましいというのも、これは総理の新しい答弁だと思いますが、私はもっと踏み込んでおっしゃってもいいと思うんですね。これで総理が以前よりは踏み込んで答弁をしていただきましたが、人権問題についてはっきりと言わないと、日本人は人権問題について意識が低いんじゃないかと、そういうふうに国際的に思われてしまうと思うんですね。もうちょっとはっきり言ってください。もう一回答弁をお願いします」

 菅首相(微かにニヤッとした感じで笑う)「まあ、今のヤジで野党の党首であれば、はっきりと言ったであろうと、まあ、それはあの、おー、そういう指摘もあるかもしれません。シー、今ですね、あのー、ご存知のように、日中関係について、あのー、おー、私としては、あー・・・私のダイ、あー、総理になったとき、時点の6月に於ける、うー、胡錦涛、おー、総書記(ママ)との、会談などで確認した、あー、戦略的互恵関係という原点に、いー、現在戻りつつあると、おー、6月時点に戻りつつあるというふうに思っております。

 そいう中で、そいう中で、え、どこまでという表現で、どういう形を、で行動するのか、当然でありますが、個人で何を思っているのかと同時に、当然ながら、国益というものを考えながら、行動しなければならないのが、今の私の立場であります。

 そういう意味で、先程申し上げましたように、えー、(原稿を見る。)劉暁波氏について、釈放されることが望ましいと、そのことを、まあ、どういう形で今後ですね、形に、さらなる形に表していくかは、十分検討されていただきたいと、このように思っています」

 ※要するに野党の党首ではない、政権党の総理大臣としての立場上、中国との間に折角回復しつつある戦力的互恵関係を壊したくない、それを以て菅内閣として国益だと把えている観点から、あからさまに釈放を求めると要求することはできない、できることは、「釈放されることが望ましい」とする願望の国会の場での表明が限度だと言うことである。菅首相が言っていることの思いを解説して、その程度のことなのかと指摘すべきを、山本議員はそうはしない。

 山本一太「やっぱり菅総理、野党のときと全然違いますね。何か石原伸晃幹事長の、あの質問じゃないんですけど、オドオドしている感じがします。何か国際社会に対して、ステートメントを発するのに物凄く逡巡して、オドオドしている。中国に何でそんなに気を使わなきゃいけないんですか。はっきり総理、人権問題について言うことが国益に添うと思うから、こうやって申し上げているんです。もっと総理、はっきり言ってください。中国政府に対して、釈放を求めたい、今言ってください」

 菅首相「まあ、色々ですね、オドオドとか色々な表現をされますが、先程申し上げましたように、確かに野党の、代表とか、野党の一議員の立場とは違うということは、私は十分自覚しております。

 えー、私の発言がァ、一議員、あるいは一野党議員の、おー、立場じゃなくて、ある意味で国を代表する、発言、あるいは、そういう行動になるわけですから、私が、慎重な、言い方をすることについてはですね、それはそれでご理解をいただけるものと思います。

 先程来申し上げますように、釈放されることが、望ましい、と申し上げたわけですから、私の意思は、明確に、表明、している、表明できていると、こう思っています」

 ※対中関係をいたずらに刺激したくない。釈放要求など以ての外だ。総理大臣の立場で中国を刺激し、怒らせるようなことはとても言えない。そのような私の意思を「釈放されることが望ましい」とする言葉で明確に表明しているだけではなく明確に表明できているはずだと言っている。

 山本一太「総理、総理になられたら、発言、気をつけなければいけないっていうふうにおっしゃいますが、総理だから言っていただきたいんですよ、じゃあお聞きしますけども、ここで人権問題についてはっきりと総理がステートメントを出すと、例え劉暁波氏の、おー、釈放を求めると、これが、どう国益を損ねるのですか、お答えください」

 菅首相「まあ、山本さんも、あの、お分かりの上で言われているのか知りませんが、私が申し上げたのは私の、発言が、色んな意味で、国益に対して影響を与えるという、そういう一般的なことを踏まえながら、それを、配慮しながらですね、言葉を選んでいると、いうことであります」

 山本一太(笑いながら)「釈放されるのが望ましいと、中国政府に釈放を求めるのと総理、全然違いますよ。もう一回お聞きします。その、総理がはっきり言うことによって、失われる国益って、何なのでしょうか。お答えください」

 ※「国益を言うなら、菅総理ができないことをなぜオバマ大統領はできたのですか。オバマ大統領にしても、中国との間で国益を抱えているはずです。しかしオバマ大統領は釈放を求めた」と追及したなら、どうなっただろうか。こじつけ名人だから、「国の違いだ」と逃げるかもしれない、そう答えたなら、「トップリーダーのスケールの違いではないのか」と言い返す。

 椅子に座ってから、座りながら、「真面目にお聞きしているのですから」

 菅首相「え、大いに議論すればいいじゃないですか。ですから、ですから、山本さんは、こういう問題について、どこまでですね、どういう表現をするのか、色々と、その国際的に、えー、それぞれの国の中で、えー、判断がある中で、私は、この問題では、まさに普遍的な価値である人権の、あー・・・、国を超えて、守られるべきもんだと、おー、そういう基本的人権、あるいは基本的自由っていうのは、保障されるべきもんだと、そういう立場から、今申し上げたように、釈放されることが望ましいと、いう、私の考え方を申し上げました。私は非常に明確な、あー、判断だと、おー、思っておりますが、あー・・・、それでなぜ、えー、不十分なのでしょうか」

 ※この苦しい胸の内を理解してもらいたいという懇願が言葉の端々に滲んでいる。山本一太に滲んでいるのが分かっても、追いつめるのが目的だから、無視するに違いない。大体が菅首相の「普遍的人権」云々と言うとき、単に一般論として述べているに過ぎない。自身が総理大臣の立場であっても、血肉化した思想としていたなら、釈放を求めただろう。総理大臣になる前の一議員の立場でも血肉化させていたかどうかは疑わしい。一旦血肉化させたなら、立場を変えても、体から簡単に離れることはないだろうから。

 山本一太(笑いながら)「はぐらかさないでください。(一語一語言葉を強めて)私は、総理に、劉氏の、釈放を、中国政府に求めるとここで言っていただきたいんですよ。そのことによって、例えば総理が逡巡されている、それはなぜですかと聞いているんです。答えてください、ちゃんと」

 ※答えることはできないのだから、無理強いそのままだが、無理強いと承知していて要求しているとしたら、なかなかの神経だが、ほぼ同じ内容の質問の繰返しは単に言わせることを目的としている可能性が高い。「オバマ大統領にできたことが、なぜ菅総理にはできないのですか。できない理由を言ってください」といったふうに攻撃方法を変えることも一つの方法であろう。

 菅首相「ま、――、普遍的な価値というのはですね、色々あります。例えば国によってはですね、えー、その、男性と女性に対して、非常に、あの、扱いの違う国があります。しかし、普遍的な価値からすれば、女性の、(ヤジに対して)ちゃんと説明しているじゃないですか。

 そういう普遍的な価値というのは、私は国際的に普遍的な価値だと思いますが、国によってではですね、日本の価値、あるいは欧米の価値、あるいは色々な国の価値観が違うことがあります。人権に関しても、おー、例えば、あ、今申し上げましたように、えー、男性と女性に対する扱いもですね、国によっては違うこともあります。

 ま、どこまでのことをどこまで言うかという表現もこれ、えー、一つの判断でありますから、私は、この時点で、えー、この(原稿に目を落として)劉暁波氏が、釈放されることが望ましいということを総理大臣として申し上げて、いるわけでありますから、姿勢は明確に、えー、結果としては、中国政府にも、伝わっていると、こう思っています」

 ※菅総理は「普遍的」という言葉の意味を厳格に把握してはいないらしい。基本的人権思想を血肉化させていない証拠の一つと言える。「普遍的」とはすべてに共通する様を言うのだから、基本的人権思想を共通とする以上、国の文化によって少しの扱いの違いはあっても、基本的な骨格は同じくしなければ、「普遍的」とは言えない。それを「私は国際的に普遍的な価値だと思いますが」と言いながら、その基本性を無視して、「国によってではですね、日本の価値、あるいは欧米の価値、あるいは色々な国の価値観が違うことがあります」と強弁を働かしている。

 また、「結果としては、中国政府にも、伝わっている」と言っているが、直接伝える意志の発言と、直接ではなく、国会の場で、願望でしかない「望ましい」とする考えを表明し、それが間接的に中国に伝わる発言とでは意志の点で、強弱だけではなく、中身そのものも異なる。中国に対して恐れ憚る姿勢しか窺うことができない。


 山本議員が椅子に座ったまま、「ちゃんと答えていない」と言い、自民党議員に向かってだろう、手を伸ばして何か言う。男性議員が委員長席に近づく。そのあとから真っ赤なドレスの太った、遠目にも猪口邦子議員だと分かる女性が続く。何か抗議しているのだろう。

 委員長「速記を止めてください」

 「ただいま速記を中止しておりますので、音声は放送しておりません」のスーパーインポーズ。

 《菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(2)》に続く

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菅首相の劉暁波氏問題に絡めた人権意識が対中基本姿勢となる(2)

2010-10-15 14:28:47 | Weblog

 中断していた質疑が再開される。

 委員長「それでは山本一太君、もう一度ご質疑をお願いいたします」

 山本一太「私は、ここで総理に中国政府に対して、劉氏の釈放を求めるという答弁をして、いただきたいと申し上げました。そしたら総理が、総理として慎重な発言をしなければならないとおっしゃいました。ここでそのことをはっきりと言って、どんな国益が具体的に失われるのでしょうか、総理」

 菅首相「先程来申し上げていますように、ま、国益という、うー、概念は、大変広い概念の中で、私が申し上げる、うー、ということが、一つの国の代表としてですね、国の代表として、えー、それが、色んな、形で、影響することは当然、考えなければなりません。一方で、えー、普遍的な、あー、価値としての、人権と言うものを、しっかりとしてですね、国際的にも、おー、守っていく。保障していくと、いうことは、必要だと思います。

 まあ、そういうことを、私なりに、総合的に判断をして、私としては、あー、劉暁波氏に対して、釈放されることが望ましい、これは明確な意思であります。それを、をー、この場でお答えすることは、結果として、中国政府に伝わる、ことだと思っております。そのことで(背後で前原外相が腕を組見ながら、何度も頷く。)、この段階で申し上げることは私は、そういう表現にとどめることが、私なりの総合的な判断で、望ましいだろうと、こう思っております」

 ※要するに総理大臣の立場では「普遍的」としていないということであろう。単に一般論として述べているに過ぎない。だから、人権と言うものを保障していくことが「必要だと思います」と必要性を言うだけとなっている。「保障すべきだ」との直接的要求とはなっていない。

 この中国政府に対する極度の気兼ね、度を過ぎた配慮は中国を上に置き日本を下に置くと同時に中国を大きな存在とし、日本を小さな存在とする関係性を自らに強いる態度の提示であろう。いわば菅内閣はこのような上下下関係を対中基本姿勢とする意志を示し、既に実践しつつあるということである。


 山本一太「最初から、そういうふうに言っていただければいいんですよ、つまり、日中関係を考慮して、え、中国側に、イー、あの、困ったメッセージがいくと困るからということですね。総理」

 ※何だか急に物分りがよくなって、矛を収める様子を見せている。菅首相がそういう中国配慮の姿勢を中国に対して取ることによって基本的な対中外交姿勢まで制約することになるといったことまでは考えないようだ。

 山本議員、座ってから、「答えてください、総理」。菅首相は質問が打ち切られたとでも思ったのだろうか。

 山本議員(立ち上がって、)「日中関係に配慮して、ここでは強いことは言えないとおっしゃったんですね。簡単に言うと」

 (後ろで腕を組んだまま、前原外相が笑っている。)

 菅首相「総合的にということを申し上げましたが、例えば、あの、おー・・・(喉鳴らし)、ある国が先程申し上げたように、男性と女性の扱いを、違っているときに、えー・・・、そのときにどこまでですね、そのことを申し上げるのか、あー・・・、次元が違うと言うヤジが飛んでいますが、国によってではですね、人権についても色々な考え方があります。しかし私は、この表現の自由とか、発言の自由と言うのは、あの、まさに普遍的価値として、国際的にも、守られるべき、価値だと思っておりますので、えー、今申し上げたようなことを申し上げましたが、一般的に言えば、国々によって、えー、色々な問題での、おー、価値意識、あるいは法制は違います。

 そいう中で、どこまでですね、それぞれの国の、おー、主権である問題について、主権を超えた問題であるという認識の中で、私は、あー・・・(喉鳴らし。背後で前原が何度も頷く。)、釈放、をー、されることが望ましいと、申し上げました」

 ※新発見だが、諦めが悪いと言うか、往生際が悪いと言うか、そういった性格の持主でもあるらしい。

 国によって違いがあるから、その違いに合わせるでは「普遍性」を自ら放棄することになるとは気づかないらしい。

 また、「釈放を求める」と言えない以上、「普遍的価値だ、普遍的価値だ」と言ったとしても弁解の繰返しとしかならない。ムダな抵抗というものだろう。矛を収めたと思ったら、山本一太も再び繰返す。


 山本一太「やっぱり総理、私の質問にちゃんと答えていただいていないと思うんですね。今の総理のお話を聞いていると、何か、人権は国によって価値観は違うと、どこかで聞いたようなセリフですよ。それはまるで中国が言っている、『いや、価値観は世の中で違うから、中国の、何か人権問題は世界のスタンダードとは違うんだ』みたいなことをですね、総理が容認しているように聞こえますよね、今の話は。そういうことでしょうか。総理、もう一度お答えください」

 ※菅首相は自分は普遍的価値である人権思想を欠いている人間だと思われたくないためにだろう、国によって男女と女性の扱いの違いがある、人権も国によって色々な考え方があると、ピントの外れた例を上げて往生際悪く同じ弁解を繰返すから、山本一太がまた食いつき出した

 菅首相「何か私が言っていることを真反対のことを言われても困るんですね(前原、笑っている)。私が先程申し上げたように、えー、この問題、いー・・・、つまり(名前が頭に入っていないらしく原稿に目を落とし)劉暁波氏にノーベル平和賞が受賞されたことも、ヲー、普遍的価値である人権というものを、ノーベル、ノーベル委員会で評価されたと受け止めていると。私も、これは保障されるべきだと。あるいは、あー・・・、基本的な自由というものを保障されるべきだと。そのことを先ず申し上げているのです。

 それが、あー、保障されなくていいなんてことは、私は一言も言ってはいません。何か山本さんにかかるとですね、真反対に、私が何か、保障されなくてもいいというようなことを言っているが如く、質問をされるもんですから、あ、それは、明らかに私が、申し上げていることと違います。私が申し上げたのは、国によって色々な問題で扱いが違うことがあると、客観的な事実を申し上げたのです。

 いやいや、だから、広い意味で、人権にかかる問題も国によって価値が――。(山本がヤジを飛ばす。)いや、ホラ、ホラ、って言われていますが(ちょっと首を傾げてから)、まあ、あまり、あのー、おー、不規則発言について、あのー、オー、あまりお答えしても意味があまりないかもしれませんが、国によって、色々な、あー、考え方の違いが、あるという客観的なことと、普遍的な価値であるということとは、ある意味では矛盾するわけですよ。

 ですから、私は普遍的な価値という立場で、(原稿に目を落とし)劉暁波氏について、えー、そうした基本的な人権は守られるべきであって、釈放されることは望ましいということを申し上げたんです」

 ※性懲りもなく再度、「国によって色々な問題で扱いが違うことがある」ことを理由にその違いに合わせて自身の人権問題での扱いの違いを説明しようしているが、それでは「普遍的な価値」とはならないことに合理的判断能力を欠いているから相変わらず気づかない。幸せ者め。

 また、「釈放することが望ましい」では、「人権は守られるべきである」とする普遍的当為性に対する強力なメッセージとはならないとことを山本議員は言い、そうであることに菅首相は気づかない。山本は、「では、『望ましい』ではなく、中国に対して、劉暁波氏の基本的人権は守られるべきだとメッセージを発してくださいよ」と言えば、片はつかなくても、菅首相を立ち往生させることができたのではないだろうか。


 山本一太「今日はNHKのテレビ中継が入っているわけですが、恐らく総理の答弁を聞いた方は何を言っているのか全然分からないと思いますよ。はっきりしたことは、総理は、中国政府に対しては、劉氏の釈放は、求めるということは言えないと。そうよくは分かりませんけど、何だか、知らないですけど、国益を害するから、言えないと、そういうことなんですね。最後にそれだけはお答えください。そういうことですね、総理」

 菅首相「何かいやにですね、決めつけて色々言われていますが、エ、決めつけてですね、あまり私の言葉をですね、曲解して、この場でですね、あの、言わ、言わないで欲しい。いや、今ちゃんと何度も、説明をいたしました。基本的な価値である人権について、これは守られるべきだと。基本的な自由についても守られるべきだと。

 そういう立場から、勿論、ノル、ノーベル賞、受賞、いや、ノーベル委員会でも、そういうことが、えー、そういうことに基づく活動が評価されたんだと、いう認識を、ヲー、申し上げた上で、えー、そういう考え方に立って、(原稿を見る。)劉暁波氏が釈放されることが望ましい。(言葉を強めて)明確に申し上げています」

 山本一太「まあ、今の総理の答弁に、この内閣の対中政策が象徴されていると思うんですね。何かちょっと中国に、えー、不興を買うよなことを言えば、戦略的互恵関係ができないかのような、物凄くオドオドした物の言い方で、そこまで中国に気を使うことは、私はよく分かりません。時間がないですから、次の、あの、質問にいきたいと思います」

 ※一議員の立場でならともかく、総理の立場となると言えないとなると、「守られるべきだ」とする普遍性、普遍的当為性は立場に応じて常に相対化を受けることになるから、同じ一人の人間の中で常に相対的価値観として存在することになる。普遍性、普遍的当為性は逆に存在していると本人だけが思い込んでいる幻想でしかないことになる。

 勿論菅総理はそういったことは気づかない。既に触れたように人権思想を血肉化していなかったと言うことであろう。

 その意味で、市民活動家出身だとか、市民運動経験、あるいは人権擁護派だとかの自らの出自を誇る資格はないことになる。単に一議員の立場と総理の立場を違えているという問題を超えているはずだ。

 いずれにしても、山本一太が「この内閣の対中政策が象徴されている」と言っている以上に、劉暁波氏に対する菅首相の扱いが外交的な対中基本姿勢となる確実性は高い。首脳会談開催を求める姿勢等に既に見ることができる従属性でもあるからだ。

 矛盾だらけ、こじつけと弁解の繰返しに過ぎない菅首相の答弁であったが、山本一太は追及し切れなかった。甘さがあるからだろう。

 山本一太が質問を変えて中国漁船船長の釈放理由に「計画性がなかった」としていることを取り上げ、計画性がなかったとした根拠を追及するが、答弁に立った柳田法相が、「一般論で申し上げると、故意とは罪法を犯す意志のこと、計画性とは、物事を行うに当たって、方法、手順などを考え、企てることございます。これは両者は別の概念でございますんで、同じ被疑者が故意に犯罪を行った事案であっても、計画性がないと、いう場合もございます。これはこれに当たると思っています」と答えると、山本一太は、「最初からそれを言っていただければよかったんだと思います」と矛を収めてしまったが、前原国交相(当時)が衝突ビデオを見て、「悪質」と言った以上、悪質な「故意」による事案に相当した場合、逆に計画性はなくても、「故意」の程度に応じて、「計画性」を持った犯行事案以上に罪が重くなるケースもあるはずだから、処分保留の根拠を「計画性がなかった」だけとし、「故意」の程度を説明しないままなのは辻褄が合わない。二隻の巡視船に次々と体当たりしたのである。

 それを「故意」の程度を追及せずに矛を収めたのはやはり山本一太に甘さがあったからだろう。

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菅首相“大風呂敷論”のこじつけはリーダシップのなさと関連している

2010-10-14 08:39:39 | Weblog

 12日の衆院予算委員会での自民党石原伸晃と菅首相、その他菅内閣の閣僚との質疑を衆議院インターネット審議中継動画で覗いてみた。そこで菅首相が言い放ったという「大風呂敷」なる言葉が石原伸晃の批判の俎上に上げられた。

 この「大風呂敷」は10月7日の衆議院本会議での代表質問で社民党の重野安正議員が菅首相の所信表明演説を把えて、「大風呂敷を広げたと言われないだけの実績を残せるのか」と疑問を投げかけたことに対して、菅首相が「率直に言って大風呂敷を広げたんですよ」と答弁、それを新聞の報道で知ったが、その答弁をさらに石原伸晃が把えて、批判を展開したということである。

 私自身もこの「大風呂敷」発言を把える一人となるのだが、単に言葉を把えるわけではない。言葉は人柄に関係してくる。人柄とはその人間の性質のみではなく、人格をも表す概念であろう。人格は信頼や尊敬、あるいはその逆の不信や軽蔑といった対人関係を生み出す動機性にも影響し、当然、指導力にも影響の網を広げる。

 このことを逆説すると、指導力の有無から人格や人柄の良し悪しに遡ることができることになる。指導力と人柄・人格とは相互関係性を築いているということであろう。

 先ず重野安正議員の代表質問から、「大風呂敷」に関係する発言とそれに対する菅首相の答弁箇所を同じ衆議院インターネット審議中継動画からかいつまんで拾ってみる。

 重野安正「菅首相は所信表明を先送り一掃宣言と位置づけ、有言実行で取り組む決意を表明した。意気込みは買うが、問題は実現への道筋であり、その実行力である。必ずやりますと言っても、実際の行動が伴わなければ、信を失うだけである。この間の首相発言を見ても、有言の内容も抽象的な言葉ばかりで、イメージが湧いてこない。説得力がないと言われても仕方がない。大風呂敷を広げたと言われないだけの実績を残せるかどうか、改めて総理の決意を聞かせてもらいたい――」

 菅首相「重野議員からのご質問にお答えいたします。先ず有言実行ということについて質問をいただいた。(老眼鏡をかけ、原稿を読み出す)所信表明ではこれまでの20年の長きに亘り先送りされてきた五つの重要政策課題に今こそ着手し、次の世代に残さないで解決していかなければならないとの覚悟を申し上げたところでございます。

 五つの政策課題、即ち経済成長、財政健全化、社会保障改革の一体的な実現、そしてその前提としての地域主権改革の推進、さらには主体的な外交の展開、についてはそれぞれに具体的な考え方を所信表明で説明し、各党各会派の議員のみなさんにご協力をお願いさせていただいた。

 (原稿から目を離し、一段と強めた声で)まあ、大風呂敷を広げたと言われないようにとのご指摘であるが、ま、率直に申し上げて、大風呂敷を広げたんですよ。

 つまりどういうことかと言えば、本当にそれを進めるためには、単独で民主党だけでできるとは思っていません。まして私一人でできると思っておりません。ですから、私はその五つの問題について熟議で議論をした中でこれを超えていこうということを、全議員、全国民に訴えたいということで大風呂敷を広げさせていただいたところであります――」

 菅首相は五つの政策課題の内、「主体的な外交の展開」で既にウソをついている。ウソと言って悪ければ、有言不実行となっている。尖閣沖領海での中国漁船衝突事件に端を発した対中外交は誰が見ても「主体的な外交の展開」とは言えないからだ。対米と同等、あるいはそれ以上に重要な対中外交で「主体的な外交の展開」が有言不実行となると、菅内閣に何を期待したらいいと言うのだろうか。

 これも菅首相が指導力を欠いていることから招いた有言不実行の「主体的な外交の展開」であろう。

 また、重要政策を「単独で民主党だけでできるとは思っていません。まして私一人でできると思っておりません」と言っていることについても、参議院の議席、“数”が決定づけている条件的姿勢に過ぎない。

 条件によって変わる姿勢だと言うことである。参議院でも民主党が例え連立を組んだ勢力であっても、過半数を獲得できていたら、菅首相の口からは出てこない「単独で民主党だけでできるとは思っていません。まして私一人でできると思っておりません」であろう。

 所詮、自己利害・自己都合からの発言に過ぎない。

 菅首相は民主党代表選で、「私はカネと数ということを、あまりにも重視する政治こそが古い政治だ」と発言している。

 しかし“数”は政策の優位性を訴えて獲得した政治遂行のための重要な力の源泉であり、それを失うと、与党としての主体性まで失うことになる。いわば菅首相が言っている「熟議」とか「熟議の民主主義」は参議院に於ける“数の無力”が言わせている便宜的な自己利害・自己都合からの発想に過ぎない。

 参議院で“数”を失ったのは菅首相自身の消費税に対する対応の拙劣な発言が招いた失態であって、自身の失態、その責任を隠して、重要政策だから、民主党単独ではできない、私一人ではできないからともっともらしげに「熟議」を押し付けがましく要求するところに菅首相の人柄、人格が現れている。

 大体が「熟議」を求めるために「大風呂敷を広げた」五つの重要政策課題だとすること自体が論理矛盾そのものでしかない。「熟議」「大風呂敷」は決して相容れない要素であるはずである。

 政権党である以上、五つの重要政策課題を精査・検討してよりよい政策に完成させてから、野党に提示、野党の政策と「熟議」に持っていくという謙虚なプロセスを必要としているはずだが、そういったプロセスを取らずに、「率直に申し上げて、大風呂敷を広げたんですよ」は体裁のいい言葉を前後に挟んでいるが、開き直り以外の何ものでもない。菅首相の人間の程度が知れる。

 では、石原伸晃議員の「大風呂敷」言及をみてみる。

 石原伸晃「総理、参議院の本会議で、民主党は大風呂敷を広げたんだと、私は胸を張って開き直ったのかなと、そんな気がした。『大風呂敷を広げる』という意味は、ホラを拭く、できもしないことを言う意味だと広辞苑に書いてある。・・・・大風呂敷を広げたと言うなら、みなさん方のことを大風呂敷内閣とこれから言わせていただきたい。

 小沢元幹事長の証人喚問要求の質問に移る。

 菅首相「先ずは大風呂敷という言葉を言われた。私は初当選のときある新聞が『永田町の乗っ取り作戦』という記事を私を中心に書いてくれた。当時私は5人の政党に属していて、永田町を乗っ取るなんて言うと、まさに大風呂敷を広げたことになる。

 しかし、その29年後、30年後にその大風呂敷を広げたことが実現できたわけであります。つまりは大風呂敷というのは、私はそう簡単にはできないけれども、やりたい、やらなければならないと思うことを広げるのが、私は大風呂敷だと思いますが、石原さんの考えは若干違うようでありまして、大変残念であります。そのことをあんまり申し上げるつもりはありませんが、先程申し上げましたが・・・・」

 あとは例の如く、「20年間の日本の閉塞状態を打ち破るには私一人、あるいは民主党一つの政党ではできない」からと「熟議」を求める展開へと移っていく。

 多分菅直人は初当選したとき、「永田町を乗っ取る」と宣言したに違いない。その発言を把えて、新聞は『永田町の乗っ取り作戦』と題した記事を書いた。確かに「大風呂敷を広げた」と受け止める向きもあったに違いない。この若造が何を抜かすかと。

 そして菅直人は総理大臣になったことを以って「その29年後、30年後にその大風呂敷を広げたことが実現できたわけであります」としている。

 総理大臣になったことを以って永田町を乗っ取ったことにならないにも関わらずである。総理大臣となり、官僚主導から政治主導を真に確立したときこそ、初めて永田町を乗っ取った言える。

 あるいは功績ある政治的実績を残したとしてもそれが官僚主導で行われた政治的実績で、自身は官僚のロボットに過ぎなかったということなら、長期政権を築いたとしても、やはり永田町を乗っ取ったということにはならない。

 いわば実際には永田町を乗っ取ったわけでもないのに初当選のとき「永田町を乗っ取る」と大風呂敷を広げたことが総理大臣になったことを以って実現させたとするのは牽強付会、こじつけに過ぎないということである。

 しかも、「石原さんの考えは若干違うようでありまして、大変残念あります。そのことをあんまり申し上げるつもりはありませんが」と、「大風呂敷」を石原の勘違いだとして、それを追及しない恩着せがましささえ見せている。

 石原伸晃はこの牽強付会、薄汚いこじつけを見破って、逆に追及すべきだったが、菅首相の『大臣』なる著書の中の言葉に移っていく。

 石原伸晃「総理の著書の『大臣』の中の抜粋です。〈与党の大臣に金銭的な疑惑が持ち上がると、そんなときにコメントを求められると、総理大臣は恐らくこう言う。『国会のことは国会に聞いてくれ』。しかし自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何かの措置は取るべきだ。〉

 そう本には書いてある。(小沢証人喚問要求に関して)総理が答弁されたこととは大分違う。この著書の菅直人さんと総理大臣の菅直人さんは二人いるように思います。自分の本の中で言っていることが正しいのか、先ず国会が決めるの、本人の意向を尊重して・・・。

 今の答弁が正しいと言うのであれば、840円払って総理の著書を買った方々におカネを返却するか、国会のことは国会で、本人の意向を尊重して、と書いた改訂版を出したらよろしいのではないのか――」

 菅首相「私の著書をもしお買い上げいただいたなら、有り難いことで、その中で色々私が申し上げたことを引用された。私もそういうことを著書の中で述べていることを、そのものを別に否定しないし、その考え方の根本を変えているわけではない。まあ、総理大臣等立場に立ってみて、一つ一つの言葉や一つ一つの行動が従来よりも非常に大きな影響、ときには自分が考えることとは必ずしも違った影響もありうる。

 例えば私が消費税のことを議論しようと言ったつもりが、引き上げると言ったようにも表現されてしまうとか、そういうこともありますので、そういうことも色々ありますので、そういった意味では、先程申し上げたように、私としてはその問題についての表現が若干慎重な表現にとどめているかもしれませんが、基本的な考え方で特に変わったというつもりはありません――」

 先ず最初に消費税に関する発言も牽強付会、薄汚いこじつけの類でしかない。先に触れたように菅首相の消費税発言は自身の失態――党内で具体的検討を行い、具体的内容に仕上げてから、その内容を国民に知らせすのではなく、そういった手続きを踏まないままに社会保障政策等の財政上の必要性の点からのみ取り上げ、しかも政権与党としての主導性を捨てて、菅内閣としてなぜ10%なのかの説明もないままに増税率を自民党案の10%を参考にするとした無責任が招いた失態であるにも関わらず、それを「引き上げるといったようにも表現されてしまう」と他者に責任を薄汚くも転嫁している。

 全体として言っていることは一議員の立場で言っていることと総理大臣の立場で言うこととは他が受け止めることによる影響が違うから、基本的な考え方は違わないが、「表現が若干慎重な表現」になるということだが、何を言っているのか意味不明である。

 それぞれの立場に応じて立場上の自己利害がそれぞれに異なるから、その自己利害の違いに応じて言っていることが違ってくるだけの話で、第三者の受け止め方の解釈の違いではない。菅首相は自身の消費税発言を例に出して、それをさも第三者の受け止め方の解釈の違いであるかのように誤魔化したに過ぎない。

 また著書の中の言葉と現在言っていることの違いは証人喚問が自身にとっても内閣にとっても民主党にとっても都合が悪い自己利害上の損得勘定から逃げていることによって生じている本の中で言っていることと実際の行動との食い違いでしかない。

 だが、その誤魔化しに石原は気づかなかったばかりか、逆にささやかだが、エールを送っている。

 石原「『考えていることと違ったことを求められる。色々あるから、今回のこの問題の表現というのは慎重になった』と。これはまさに総理大臣としての職責ということを考えてのご発言ではなかったかと解釈させていただきます」

 人間がお人よしにできているのだろうか、菅首相の牽強付会、こじつけに何ら気づかずにこの問題についての質問を切り上げ、中国当局によるフジタ社員の拘束問題に移っていく。

 例え石原伸晃がお人よしであることによって菅直人のウソが露見を免れたとしても、このような牽強付会、こじつけは深く人格に関わる精神作用が働いた性格行為であって、この手の人格が指導力、リーダーシップを獲得することは決してあり得ない。相互に関連し合う性格行為だからだ。

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