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《12月9日(火) 小沢一郎生活の代表対IWJ岩上安身氏インタビュー動画&記事》
インタビュー内容「いずれまた、政権交代の機運が高まる時が来る」
幼児性の麻生太郎大明神が「子どもを産まないのが問題だ」と述べた自らの発言を12月9日の閣議後記者会見で釈明したとマスコミが伝えていた。記事の発言を見ると、新たなゴマカシにしか見えないし、発言自体に矛盾も見える。
例えば、「誤解を招いた」としている発言である。副総理兼財務大臣という重職に就いていて招いていい誤解かどうかの自らの判断がないままに、あるいは判断するだけの能力がないままに「誤解」としているゴマカシと矛盾は見過ごすことはできない。
詳しい発言を知りたいと思って財務省のサイトを覗いてみると、記者会見の模様が載せてあった。単細胞の政治家の記者会見の割には名前が仰々しい。問題の発言で二度質問を受けている。
関係発言のみを記載する。読みやすいように改行を適宜行っている。
麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要(財務省/2014年12月9日(火曜日))
記者「衆院選の応援演説に関しての発言について1点伺わせていただきます。7日に札幌市内で行われた演説で少子高齢化に伴う社会保障費増に関して、高齢者が悪いというようなイメージを作っている人が多いが、子どもを産まないのが問題だという発言があり、また6日には株高円安で収益が上がらない企業は経営能力に問題があるとの趣旨の発言をされていらっしゃいます。この2つの発言に関して、その真意を伺わせていただけますか。
麻生大明神「まず少子高齢化の話というのは、高齢者が多くてとよく話が出るけれども、高齢者が多くなるというのが問題なのではなくて、昔は6対1、勤労者6、高齢者1ぐらいの比率だったのが今は3対1、もうしばらくすると2対1になるというような状況になるので、という話をして、要は高齢者が多いのではなくて人口比率の問題なのですという話から子どもという話になったのだと思いますが、一番は子どもを産みたいけれども産めないというのはやっぱり周りの、預かり保育の話とかいろいろありますので、そういった意味では安心して子どもが産めるというような環境を作るということが大事なのだと私はそう思っていますので」
6日の応援演説での中小企業の経営に関する発言に対する質問への答弁は直接アクセス願って知って貰うとする。
記者「子どもを産まないのが問題という件に関して、大臣のおっしゃったような真意であれば、子どもを産めないことが問題だという方が正しい表現なのではとも思ったのですけれども、不適切な表現だったという御認識はおありでしょうか。
麻生大明神「ありますね。産めないような状況、結果として産まないということを申し上げて、選挙の時ですから、時間はあと2分しかありませんというふうな状況で追われていますから、きちんと説明をするというのは少々省いてしまっているところがありますので、そこのところは、結果として産まない形になりますので、産めないから産まないという形になりますというその最初のところが私としては端折ってしまっているような感じがしますので、そこのところは、誤解を招いたという点に関しては、私共の方として手が抜けたというか、時間をかけるべきだったという思いはあります」(以上)
内閣府特命担当大臣をも兼務しているが、金融担当だそうだ。
間を置いて二度記者が質問しているが、質問者が同じ記者かどうかは記事からでは判断できない。
最初の発言で、「要は高齢者が多いのではなくて人口比率の問題なのですという話から子どもという話になったのだと思いますが」と、自身の話の展開を「思います」という表現を使っている。
記者会見で質問を受けて答えた場合は、振返ってはっきりした話の展開を思い出すことができない場合もあるだろうから、「確かそういった話になったのだと思います」という表現を使うこともあるし、使ったからといって、不適切ということにはならないだろうが、問題の発言は12月6日、7日の衆院選応援街頭演説の中で飛び出したのであって、自らの意思による話の展開である。
いわば自身の意思で話の展開を選択して、自身の言葉でその話をした。
選んで自分の言葉でそういう話をしていながら、「という話になったのだと思いますが」と、はっきりしていないかのように表現するのは発言のイキサツを曖昧にしようとするゴマカシの意思を自ずと働かせているからだろう。
マスコミが伝えている言葉は「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ」と、女性が子どもを産まないことを問題視して、その責任を女性側に置いた発言であるが、それを産みたくても産むことのできない社会状況の方が問題だという方向に話を持っていって、自分の発言に間違いないとするためにはどうしてもゴマカシを介在させなければならない。
そのようなゴマカシの出発点として、「という話になったのだと思いますが」という曖昧な表現を置いたということなのだろう。
副総理兼財務大臣という要職に就いていながら、元はと言うと自身の考えの浅さからきている発言でありながら、国民への説明をゴマ化して自身の発言自体を間違いないとすることはウソそのものをついていることになるし、国民をバカにした態度と言うほかない。
二度目の質問で記者は不適切な発言だったという認識があるか尋ねた。対して麻生太郎は、「あります」と不適切な発言であったことを認めた。
但し自身の考えの浅さを演説時間の制約にすり替えるゴマカシに置き換えている。
時間の制約があったから、「きちんと説明をするというのは少々省いてしまっ」て、「産めないから産まないという形になりますというその最初のところが私としては端折ってしまっ」たが、「産めないような状況」は「結果として産まない形になります」からと、不適切な発言だったという認識はあるとしながら、その発言は単に時間的な制約を受けた説明不足だと自身の発言を正当化している。
改めて書き記すが、幼児性麻生大明神は「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ」と発言したのである。
このように発言したことは少子高齢化問題は政治の責任ではなく、女性が子どもを産まないことを問題視して女性側の責任としたということである。言ってみれば、政治の側の責任をゴマ化したことになる。
しかし釈明記者会見では麻生太郎大明神は女性側の責任としたことの意識もなく、「産めないから産まないという形」が「結果として産まない形」になると、政治の側の責任が女性の側の責任という経緯を取るという形式で女性の側にも責任を置く新たなゴマカシを働かせている。
だが、出発点はあくまでも産みたくても産むことのできない社会的状況にある。このことは子どもが欲しい思う男女の割合が最近増えていることに対して出生率が目立って増えていない現状が証明している。このような社会状況を解決するのは政治であって、麻生太郎は「結果として産まない形」を強いている政治の側に身を置く人間としても、出発点が産みたくても産むことのできない社会的状況にあることからしても、政治の側にこそ責任を置くべきだが、女性の側にも責任を置こうとするゴマカシを見せた。
そして何よりも無視できないことは問題発言に対する批判が時間的制約からの説明不足によって生じた「誤解」だとしている点である。
麻生太郎大明神は経済企画庁長官、経済財政政策担当相や総務相、外相、財務相等の要職を歴任し、首相まで務めている。なおかつ自民党は少子化対策を重点政策の一つとして掲げている。出産・子育てを応援する社会の構築を目指し、すべての女性が輝く社会の実現を図ろうとしている。
前者の履歴上の責任と、後者の政策を内閣の一員として重要な位置で支えなければならない責任は重大で、軽々しくはない。例えそれが「誤解」であったとしても、自身の重大な立場と責任からして、少子高齢化が「子どもを産まない方が問題だ」と女性の側の責任とする「誤解」を与えていいことには決してならない。
「誤解」を与えること自体が麻生太郎自身の地位と責任に反することであり、当然のこと、国民の信託に対する裏切りを示す。
だが、そのことの自覚が一切ない。当たり前の人間の感覚をしていたなら、感じてもいい自覚だが、感じないのは当たり前の人間に成長していない幼児性が関係していることになって、だから、あくまでも「誤解」で片付けようとゴマカシに走る。
「子どもを産まない方が問題だ」と、少子高齢化を女性の側の責任とした時点で、既に経歴の価値と閣僚の資格を失っていた。
その上での釈明記者会見での数々のゴマカシである。最終的には安倍晋三の任命責任をも問わなければならない麻生大明神の幼児性と、経歴の価値及び閣僚資格の喪失、さらに国民の信託に対する裏切りを新たに示した記者会見の釈明と見なければならない。
題名は当たり前のことを言っていることになるが、このことの裏を返すと、安倍晋三の主張が有権者に確実に届いていて、確実に受け入れられているということになる。その結果の序盤・中盤情勢予想自民党300議席超えの勢いということであろう。
いわば野党党首を筆頭にして全員が街頭演説や政見放送、テレビ出演でアベノミクスをどう批判しようが、大多数の有権者は聞く耳を持っていない。あるいは耳を傾けようともしていない。
当然、「安倍首相は雇用が100万人増えたと言っているが、非正規が増えたのであって、正規社員は減っている」とか、「平均で賃金が2%上がったと言っているが、一部の限られた企業だけで、中小零細を含む大多数の企業で賃金は上がっていないし、統計上も実質賃金は減り続けている」と批判したとしても、その批判は通用していないことを示す。
維新の党が「消費税増税よりも先ず身を切る改革だ、国会議員の定数3割カット」と声を張り上げて懸命に主張しているが、情勢世論調査では現有議席を割る可能性が伝えられている。
要するに大多数の有権者は非正規が増え、正規が減っている雇用の現状、一部の企業の賃金のみがアップして、多くの企業の賃金が上がっていない賃上げの現状、消費増税の前提とした民主・自民・公明3党合意の国会議員定数削減の約束を反故にしている現状、あるいは消費税8%増税で多くの国民の生活が圧迫されている現状、正規と非正規の生活格差のみならず、株高によって富裕層に資産効果が生じてより豊かになっていくのに対してその恩恵に無縁な国民との格差拡大の現状、急激な円安を受けた物価高騰で消費行動の不自由を強いられている国民の現状、その他その他がアベノミクスのマイナス要因だと見ていたとしても、1票を拒絶しなければならない現象とは見ていない。
逆にそれらの現象を受け入れようとしている。受け入れ、12月月14日の投票日にアベノミクスに1票を投じようとしている。
現実問題として、野党はアベノミクスに対する今まで繰り広げてきた批判や自党政策の主張が通用していないのだから、戦術を変えなければならないことになる。
どのような戦術に変えるべきなのだろうか。拒絶反応を示すことなく、安倍晋三に信頼を寄せている原因を探らなければならない。
人間はパンのみにて生きる生きものではないが、やはりパンは一番重要な生活要素である。パンは賃金が保障する。多くの国民は現状の賃金に不満はあるが、アベノミクスに拒絶反応を示していないということはパンを保障してくれる将来的な賃金に期待を抱いているからではないだろうか。
安倍晋三の賃金を保証する発言を拾ってみる。
2014年11月21日安倍内閣総理大臣解散記者会見。
安倍晋三「今週、経団連の会長が、経済界は来年も賃金を上げて、経済の好循環に貢献していきたいと宣言してくれました。さらには、再来年、その翌年と賃金を上げていく。アベノミクスを続けることができれば、必ずや実現できると確信しています」
11月30日のNHK「日曜討論」
安倍晋三「来年もアベノミクスが続いていくんであれば、賃上げを行なう。これは、経団連の会長ともう約束をしてます。 そしてその翌年、さらにその翌年もですね、しっかりと賃金を引き上げていけば、私は間違いなく消費税を引き上げていく状況ができる」
2014年12月1日、日本記者クラブ8党8党首討論会。
安倍晋三「来年、アベノミクスが続けば、経団連の会長はちゃんと賃金を引き上げていくという約束をしていただいておりますから、来年、上がっていきます。そしてまた再来年も上がっていきます。
そして、さらにその翌年も賃上げを行えば、しっかりと実質賃金が消費税分も入れても追い越していくという状況を、間違いなく私はつくっていくことができる、そう思っています。」
12月2日、TBS「NEWS23」での与野党党首討論。
安倍晋三「企業は高収益をあげているが、消費税を3%引き上げたから賃金が追いついていない。(賃金を)来年も再来年も上げていけば実感していただける」
12月4日JR新大阪駅前で街頭演説。
安倍晋三「今年4月に賃金が上がった。来年も、再来年もさらにその翌年も上がっていく。そうすれば必要な社会保障の財源を確保するための消費税を引き上げる環境が整っていく。野党は、先延ばしは主張しても、いつ(消費税を)上げるという約束はしていない。無責任じゃないか。わたしたちはしっかりとその責任を果たしていく」(時事ドットコム)
山口公明党代表も同じ内容の街頭演説を行っている。12月2日公示第一声。
山口公明党代表「確かに賃金は上がったが、消費税率を上げ、円安が進んで物価も上がっている。賃上げが物価の上昇に追い付いていないので、来年も再来年も賃金を上げ、それで物価に追い付き、追い越すことで、皆さんが安心して景気回復の実感を持てるようになる。そういう経済の進め方を我々に任せていただきたい」(公明新聞)
有権者の多くは直近のところで来春の春闘での賃上げに期待し、食いついたのではないだろうか。消費税増税が1年半先送りされた、来春賃金が上がれば、物価上昇に追いつき、消費に向ける余裕が出てくる。非正規雇用が増えているといった雇用の矛盾よりも、生活格差の問題よりも、集団的自衛権の行使よりも、原発再稼働の問題よりも、憲法改正の問題よりも、先ずはパンを保障する賃金だということで。
だとしたら、野党も賃金を保障しなければならない。
但し目に見える賃上げは安倍晋三にしても至難の技であるはずだ。実体経済の活発化に基づいた賃上げではない。このことは内閣府12月8日発表の7〜9月期国内総生産(GDP、季節調整済み)改定値の物価変動の影響除外の実質前期比0.5%減、年率換算で1.9%減という統計に表れている。
消費税増税駆け込み需要の反動減に備えて安倍晋三は安倍政権2年で15兆円近くもの公共事業を含む大々的な経済対策を打ちながら、GDPがこの結果なのだから、全体的には安倍政権の経済政策は殆ど機能しなかったことになる。
その原因は旧来型の公共事業に頼った経済政策であり、方法論自体に過ちがあるからだろう。
そうであるなら、安倍晋三経済政策のこの機能不全が来年の春闘時にまで機能回復することができるとは誰も思わないだろう。当然、経団連の所属企業が賃上げに応じるとしても、実体経済に基づかない賃上げとなって、出し渋った、経団連内部でも裾野の広がならない、今年の春闘同様に一部の企業に限った賃上げとなる確率は高い。
中小企業にしても実体経済が伴わなければ、事業年度終了後に纏めて納付しなければならない消費税の支払いが来年の4月末に待ち構えていることと併せて、自分の首を絞めることにもなりかねない賃上げに応じることはできなくなる。
大企業の従業員は1229万人。中小企業の従業員は2倍以上の2785万人。大企業数1万2000社に対して中小企業は約419万8000社。全企業の99.7%を占める。賃上げの恩恵は国民広くに波及しない恐れを抱えることになる。
安倍晋三が実体経済を活発化させずに賃金アップを保証すること自体に無理がある。その保証に応じるにしても一部の企業に限られることになるだろう。
野党は従来のアベノミクス批判を封じて、大企業に限らず、中小企業にしても賃金アップをスムーズに行うことができる実体経済の活発化を可能とする政策の主張へと戦術転換を図らなければならない。そのような政策を展開する中で、アベノミクスのマイナス点を挙げて、このようにはなりませんという文脈で批判しなければならない。
もし戦術転換を図らずに街頭演説やテレビ出演、あるいは政見放送で従来どおりの批判や主張を繰り広げるようなら、自民党圧勝に手をこまねくことになるはずだ。
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《12月9日小沢一郎生活の党代表各メディア出演ご案内》
『吉田照美 飛べ!サルバドール』(文化放送/AM1134)
日 時:平成26年12月9日(火)15:00~17:50
小沢一郎代表出演時間(16:15~16:25)
内 容:今回の選挙に向けて、最も訴えたいこと
景気対策・エネルギー対策・外交政策等
BSフジ「プライムニュース」
日 時:平成26年12月9日(火)20:00~21:00
出演者:小沢一郎生活の党代表
内 容:選挙の争点・党の選挙戦略
BS11「報道ライブ21 INsideOUT」
日 時:平成26年12月9日(火)21:00~21:54
出演者:小沢一郎生活の党代表
内 容:「2014総選挙 各党幹部に聞く」
〇今回の総選挙の最大の争点は
〇具体的に何を訴えるか
TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」
日 時:平成26年12月9日(火)22:00~01:00
出演者:小沢一郎生活の党代表
内 容:総選挙に向けて、各党党首に聞く
【謝罪】昨日のブログ冒頭の衆院選中盤情勢を伝えている記事紹介で、「asahi.com」記事と書いてしまいましたが、「毎日jp」記事の誤りでした。訂正しておきました。謝罪します。
衆議院選挙公示前日12月1日(2014年)の8党首による日本記者クラブ党首討論会では安倍晋三は数々のウソを垂れ流して平然としていて、そのウソに関して既にブログで2回取り上げたが、今回は村山談話と靖国神社参拝についての歴史認識発言のウソを取り上げてみる。
倉重篤郎毎日新聞政治部長「歴史認識問題なんですけどね、安倍さん、先日のテレビでね、あの、来年戦後70年、安倍談話をつくるという明確なお話をされていたと聞きましたけどね、そして私は50年と60年の談話を見たんですね。村山、小泉談話ね。そこにはですね、一般的認識としてね、やはり植民地支配であったこと。ね、それから、侵略であったことについて明確な認識を披瀝(ひれき)し、その上に立って日本はどうすると、いうことが書いてあります。
でー、去年ね、安倍さんとこの場でですよ、議論した時にね、安倍さんはこの二つの言葉は政治家は使うべきじゃないと、ね、これは学者が使うべき言葉であって、えー、私はそれ程、おー、何と言いますか、あのー、利己的じゃないと、いう趣旨のお話をされた。ね。
で、実は、しかし、えー、来年もし、そのー、談話を出すとすればですね、これ極めて政治的な談話ですよね。その政治的な談話の中で、えー、この二つの、おー、一つの情勢認識について、安倍さんどう書かれるつもりなのか、今回は是非、あの、結論を聞きたいと」
安倍晋三「あの、まあ、歴史認識については今倉重さんが例として挙げられた、あー、この、おー、小泉談話、そして村山談話。全体として受け継いでいるということは既に政府の、えー、いわば正式な見解として私申し上げている通りであります。
その上に則りまして、来年は70年を迎えます。えー、70年を迎える段階に於いて、もし、安倍政権がこの選挙で勝ち抜くことができて続いているんであればですね、えー。我々の政権として、安倍政権としての談話を、えー、出したいと、こう考えています。
それは、あー、えー、先の大戦に、の反省、そして、その後のですね、戦後の歩み。さらにはこれから日本はどういう、うー、国として、えー、地域や世界のためにどういう貢献をしていくんだということもきっちりと、おー、書き込んでいきたいとなあ思います。
えー、まあ、政治家としてはですね、かつて中曽根康弘元総理が発言しておられます。これはあの、えー、先般倉重さんが発言した通り、正しかったんで、えー、私の考え違いであって、記憶違いであったんですが、えー、政治家で発言されている方がいますが、基本的にはですね、えー、歴史に対しては政治家は謙虚でなければならないという姿勢は基本的には変わりがないわけでありますが、今申し上げましたように、70年を迎え、えー、そして次の80年、90年、100年に向けてですね、日本はどのような国になっていくかっていうことを世界に発信できるようなものを、これから、えー、英知を結集して、えー考えていきたい。
倉重さんのお知恵もお借りしたいと、このように思います」
倉重篤郎毎日新聞政治部長「あのね、安倍さんね、その靖国参拝、それをするかしないかなんていうことは言ってないんです。言ってないけど、靖国参拝問題て言うのはですね、よく考えるとね、要は、その戦争責任をどう考えるかという問題だと思うんですよ。ね。中国とか、アメリカは、やはりその、戦争責任はA級戦犯にあると、いうことで、安倍さんの靖国参拝に対しては比較的批判的な。
ね、だけど安倍さんは、まあ、それを抜きにして参拝をされた。しかし、じゃあ、安倍さんはね。あの戦争がですね、責任をですね、どう、どう、誰の責任だとね、把えられているのか。軍部の責任なのかね、政治家の責任なのか、メディアの責任なのか。天皇の責任なのか、国民の責任なのか。
これ、1分の中で喋るのは非常に難しいと思いますけど、安倍さんのね、やはりそういう歴史感覚を知るためには非常に重要な、私は、あの、材料だと思いますから、是非その辺の披瀝を1分の間だけですけど」
安倍晋三「あのー、まあ、昨年、私は、あー、靖国神社に参拝を致しました。日本から、あー、遠く離れて、えー、祖国を思い、家族の行く末を案じながら、尊い命を落とされた方に対して、えー、手を合わせ、ご冥福をお祈りする。これは世界各国のリーダーの共通の姿勢なんだろうと、私はそう思うわけであります。
それは、誰に責任が、という問題ではありません。心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり、生き方の問題なんだろうと、こう思うわけであります。
えー、そこで、では先の大戦はどこに原因があったか。これこそまさにですね、まさに、えー、歴史家の判断に委ねなければなんない、と思うわけでありまして、えー、その意味に於いて、様々な方々がですね、えー、あの戦争の原因。果たしてあの戦争を止めることができたかどうか、ということも含めてですね、様々な論文が、あー、えー、出されているわけでありまして、我々政治家はですね、謙虚にそうした、あー、書物に目を通しながらですね、今後、おー、日本を平和な国にしていく、世界の中で誇りある国にしていくという使命を果たしていくことが、私の責任ではないかと、こう考えております」(以上)
安倍晋三が「政治家としてはですね、かつて中曽根康弘元総理が発言しておられます。これはあの、えー、先般倉重さんが発言した通り、正しかったんで、えー、私の考え違いであって、記憶違いであったんですが」と言っていることは、2013年7月4日公示の第23回参議院議員選挙の前日7月3日に同じく日本記者クラブで行われた9党首党首討論で、安倍晋三が「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」と言ったのに対して、倉重が「歴史の総合的判断は政治家がすべきだ。中曽根元総理がそういう判断をしている」と反論。対して安倍晋三がそれを最後まで否定し、倉重が水掛け論になるからと引き下がったことを指す。
先ず「村山談話」について「全体として受け継いでいる」と言っている。と言うことは、個々の点では受け継いでいないことを意味することになる。
ではどの点を受け継いでいて、どの点を受け継いでいないか、多くの記事で取り上げられていることだが、私なりに過去の国会答弁と「村山談話」から見てみる。
2013年2月1日の「第183回国会参議院本会議」での福島みずほ当時社民党代表の質問に対する国会答弁。
安倍晋三「村山談話及び河野談話についてのお尋ねがありました。
いわゆる村山談話は戦後五十年を機に出されたものであり、また、戦後六十年に当たっては、当時の小泉内閣が談話を出しています。
我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります。その上において、しかるべき時期に二十一世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については、今後十分に考えていきたいと考えております。
また、河野談話については、昨日も国会にて答弁申し上げたとおり、私としては、この問題を政治問題、外交問題化させるべきではないと考えております。この談話は当時の河野官房長官によって発表されたものであり、総理である私からこれ以上申し上げることは差し控え、官房長官による対応が適当であると考えております」――
「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」としている歴史認識に関する点は歴代内閣同様に安倍内閣は受け継いでいくと言っている。
安倍晋三のこの点の答弁について白眞勲(はく しんくん)民主党議員が2013年4月22日の第183回国会参議院予算委員会で取り上げ、追及している。
白眞勲民主党議員「そこでポイントになるのが歴史の認識問題だと思うんですけれども、総理は村山談話については、せんだっての参議院本会議でも、『我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました、その認識においては安倍内閣は歴代の内閣と同じ立場であります』、その上において、しかるべき時期に21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については、今後十分に考えていきたいとしております。この認識でよろしゅうございますね。
安倍晋君「先般の本会議で答弁したとおりでございます」
白眞勲民主党議員「村山談話継承ということですね。
安倍晋三「この村山談話について言えば、言わば村山談話において述べられた点について私が共感できる点について今御紹介をいただいた、それを私は答弁させていただいたわけでございますが、言わば村山談話は戦後五十年を契機として、戦後五十年に出された談話でございます。そして、今の安倍政権の考え方としては、これを継承する継承しないということではなくて、六十年には小泉政権の談話が出されているわけでございまして、あれからもう十数年時を経ておりますので、例えば七十年を期して新たな談話を出していくということも考えたいと、このように考えているということでございます」
白眞勲民主党議員「私が聞きたいのは、村山談話は継承するのかどうか、その一点なんですけれども、お聞かせください」
安倍晋三「安倍内閣として、言わば村山談話をそのまま継承しているというわけではありません。言わば、これは五十年に村山談話が出され、そして六十年に小泉談話が出されたわけでありまして、これから七十年を言わば迎えた段階において安倍政権としての談話をそのときに、そのときの言わば未来志向のアジアに向けた談話を出したいと今既に考えているところでございます。
白眞勲民主党議員「いや、ちょっと今驚きましたね。村山談話を継承するわけではないということをお話しいただきましたけれども、靖国について稲田大臣にお聞かせいただきたいと思うんですけれども、あなたは、どうでしょう、稲田大臣は八月十五日、靖国神社へ行くんでしょうか。
稲田朋美「安倍内閣の一員として適切に判断し、行動してまいりたいと思います」(以上)
白眞勲民主党議員は深追いせずに「いや、ちょっと今驚きましたね」と言ったきりで、質問内容と質問相手を変えてしまった。
「安倍内閣として、言わば村山談話をそのまま継承しているというわけではありません」は 2月1日の参議院本会議での答弁「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります」の簡略化した言い替えに過ぎない。
つまり「村山談話」が示している一部の歴史認識は受け継ぐが、他の部分は受け継がない。だから、そのまま継承しているわけではないということになり、これが安倍晋三が「全体として受け継いでいる」と言っていることの意味となる。
当然、継承している歴史認識よりも継承していない歴史認識を取り上げなければならないが、多くの議員の殆どの追及が継承するかしないかを問題としている。
「村山」談話から、安倍晋三が継承している歴史認識と継承していない歴史認識を見てみる。
全文は外務省サイトの「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)(1995年8月15日)を参考にして貰うとして、安倍晋三の国会答弁から窺うことのできる継承している歴史認識箇所と継承していないそれのみを抜粋することにする。
「いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」(以上抜粋)
以上の歴史認識に関わる文言のうち、安倍晋三が2013年2月1日の参議院本会議で「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。その認識においては安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります」と答弁していることと重なる文言が継承している箇所であり、重ならない文言が継承していない箇所となる。
要するに「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」としている歴史認識は受け継がないということである。
具体的には日本の戦前の戦争を、“誤った国策”、“植民地支配と侵略”としている歴史認識は受け継ぎませんと安倍晋三は国会答弁で拒絶反応を示した。
これが安倍晋三が言う「全体として受け継いでいる」の正体である。「村山談話」の最大の価値は戦前の日本の戦争を“誤った国策”であったことを認め、“植民地支配と侵略”を性格としていたことを認めたところにある。
だが、安倍晋三はその最大の価値を70年の安倍談話作成で最終的に骨抜きにしうよと画策し、画策が成功するまでだろう、“誤った国策”でもなく、“植民地支配と侵略”ではなかったとしている自らの歴史認識に関わる本心を決して明かさず、常にウソをつき、詭弁を用いたゴマ化しで凌いでいる。
国民はこのウソと詭弁とゴマカシに気づかなければならない。
既に安倍晋三自身が日本の戦前の戦争に対して政治家として自らの歴史認識を施していながら、「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」とか、「歴史に対しては政治家は謙虚でなければならない」とかウソをついてゴマ化している。
安倍晋三は70年談話の作成について、「倉重さんのお知恵もお借りしたいと、このように思います」と言っているが、日本の戦前の戦争が“植民地支配と侵略”であることを認めている倉重の歴史認識を参考にするはずもないのだから、心にもないウソをさらりと言ってのけたに過ぎない。
倉重は安倍晋三の靖国参拝について、靖国参拝は「戦争責任をどう考えるかという問題だ」と尋ねた。対して安倍晋三は「誰に責任が、という問題ではありません。心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり」と言って、戦争責任の問題と靖国参拝問題を一緒くたにするゴマカシを働いている。
但し「先の大戦はどこに原因があったか、歴史家の判断に委ねなければなんない」と答えて、戦争責任解明を一見歴史家に丸投げしている。
しかしこの丸投げ発言は戦争責任が「誰に責任がという問題ではありません」としている言葉と明らかに矛盾している。
日本の戦前の戦争を「誰に責任がという問題」ではないとしたら、戦前の政治指導者・軍部指導者を全て無罪放免とすることになり、戦争自体を全面的に免罪することになる。そうしたい強い歴史認識を願望として持っているということなのだろうが、自身がそのような強い歴史認識を持っていながら、「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」は明らかに矛盾する。
自身の歴史認識を公の歴史認識とするためには自身の歴史認識に賛同する歴史家のみを集めるか、そのような歴史家で多数派を占めるかして、自身が望むとおりの歴史認識を公の歴史認識として確立しなければならないからだが、例えそうすることができたとしても内外から批判や反対の声が上がるのを抑えることはできないはずだ。
やはり自身の歴史認識の正体を隠すためにウソをついてその場その場の追及を凌いでいるに過ぎない。
安倍晋三は靖国参拝を「心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり、生き方の問題」と答えている。
だが、歴史認識自体が「心の問題」である。歴史に対する自らの心の在り様が歴史認識を決定するからだ。自身の歴史認識に関わる心の在り様が「信仰」に影響を与えたり、「生き方」に現れたりする。
当然、参拝することだけが「心の問題」ではないことになる。参拝しないことも個々の歴史認識に則った「心の問題」であって、全ては戦前の日本の歴史に対する心の在り様=歴史認識にかかっている。
いわば、倉重が言っているように靖国参拝は「戦争責任をどう考えるかという問題」――「心の問題」としてある歴史認識に行きつく。
安倍晋三は靖国参拝は「心の問題であり、あるいはまた、信仰の問題であり、生き方の問題」と言いながら、本質的には自身の歴史認識に則って参拝しているに過ぎない。
その歴史認識とは、既に触れたように戦前の日本の戦争を“誤った国策”、あるいは“植民地支配と侵略”とは認めていない歴史認識である。
つまり戦前の大日本帝国を肯定し、その無謬性を妄信している歴史認識である。
だから、以前から、安倍晋三や高市早苗たち右翼の国家主義者たちが戦死者を国策に殉じた、国家のために尊い命を捧げたと顕彰する靖国参拝とは神社の空間で戦前の大日本帝国に国家の理想を見、大日本帝国を体感する儀式に他ならないと書いてきた。
少し前のところで安倍晋三は歴史家に戦争責任解明を「一見」という形容詞を付けて丸投げしていると書いたが、自身の歴史認識は既に固めているのだから、丸投げは見せかけのゴマカシに過ぎないという意味で、「一見」と書いた。
倉重は安倍晋三が「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」と答えたなら、「あなた自身の歴史認識を聞いているのだ」と聞くべきだったろう。村山談話を「全体として受け継いでいる」と言っていること自体が、既に自身の歴史認識を通した解釈を行っていることになるし、靖国参拝を「心の問題」としていることも、歴史認識に対応した安倍晋三自身の心の在り様に従った参拝に他ならないのだから、そのことを伝えて「答えなければならない」と迫らなければならなかった。
戦前の日本の戦争を“誤った国策”とも、“植民地支配と侵略”とも認めていない歴史認識を振り撒きながら、「歴史問題は基本的に歴史家に任せるべきだ」と自身の歴史認識を隠蔽するウソを振り撒き続けている。
国民は安倍晋三が歴史認識に関してもついているウソの数々に気づかなければならない。気づかないままに安倍晋三のウソにいつまでも騙される存在であってはならない。
このブログの題名を、《安倍晋三の国民をバカにした、国民をバカにする政治家麻生太郎の重用》と名付けることもできる。
「12月8日00時43分」発信の「毎日jp」記事が、衆院選中盤情勢は与党が3分の2超す勢いだと世論調査の結果を伝えている。序盤情勢の世論調査と変わらない。もし世論調査のままの国会勢力となった場合の安倍政治全体の行く末をどう考えるのか、国民の自覚を待つしかない。
決まらない政治は過去の話となって、決まる政治が当たり前となり、政治は前に進むことになる。その結果、日本という国がどのような方向に進むのか、その進路まで考える必要がある。
進む方向まで良しとして投票する国民の自覚までが求められるはずだ。
安倍晋三が副総理兼財務大臣という御大層な責任ある役柄に任じた麻生太郎大明神の12月6日、長野県松本市内で衆院選応援街頭演説。
麻生太郎「この2年で株価は上がった。円安にも振れた。その結果として企業は大量の利益を出している。出していないのは、余程運が悪いか、経営者に能力がないかだ。
(2年前に)円高不況でどうにもならんといわれたけど、1ドル79円だったのが120円まで安くなっている」(asahi.com)
つまり安倍政権の2年で1万7千円にまで上げた株高と「1ドル79円」から1ドル「120円」まで円を安くする大きな成果を出した。その大きな成果に応じて企業が「大量の利益を出している」のに対して応じることができずに成果を無にしている企業は「余程運が悪いか、経営者に能力がないかだ」と言った。
「余程運が悪い」という意味は、株高・円安を好材料とすることができる運に恵まれなかった、あるいは好材料としたものの儲けることのできる株に巡り合わせるだけの運に恵まれなかったといったことであろう。
と言うことは、「経営者に能力がない」と言っている意味は、株高・円安を好材料とすることができる運に恵まれていながら、それを生かすだけの能力が経営者になかったということになる。
前者の場合は自身の能力とは関係しない運・不運の問題で片付けることができるが、後者の場合は自身の能力を直接問題とされていることになるから、そのような経営者は麻生太郎大明神にボロクソにやっつけられ、バカにされたことになる。
安倍政権の大成果株高・円安は一部の企業に空前の利益を与える一方で不利益を被(こうむ)る多くの企業を出す二極分化を生んでいる。今年2014年1~10月期の円安倒産は2011年度の円高倒産の4倍だという記事をどこかで読んだが、株高・円安は企業だけの問題ではなく、国民とその生活にも大きな影響を与えている問題でもある。
いわば麻生太郎大明神の上記発言は安倍政権2年の大成果株高・円安に言及している以上、一般国民に対する間接的なメッセージともなり得る。
このことは安倍政権の株高・円安が企業に対してだけではなく、国民の生活に対しても二極分化を生み出していることが証拠となる。
円安と消費税8%増税で経営を圧迫されている中小零細企業と同じ状況下で生活を圧迫されている国民は同じ事情を抱えているのだから、麻生太郎大明神は企業と企業経営者の運と能力に言及しながら、国民に向かって次のように言ったも同然のことをしたのである。
麻生太郎「この2年で株価は上がった。円安にも振れた。その結果として国民は大量の利益を出している。出していないのは、余程運が悪いか、生活者に能力がないかだ」――
この意味を解くと、安倍政権が株高・円安の大成果を上げていながら利益を出していない国民は株を持って株の運用や為替の運用をすることのできる運に恵まれなかったか、逆にそのような運に恵まれていながら、運用するだけの能力が国民になかったかどちらかだということになる。
麻生太郎大明神自身は気づいていなくても、株高・円安の状況下で利益を出していない経営者をバカにした裏で苦しい生活を送っている国民をもバカにしたのである。
麻生大明神にこんなことを言われて怒らないとしたら、飼い馴らされた国民となる。
麻生太郎大明神は昨日12月7日も札幌市内での衆院選応援演説で問題発言をしている。
麻生太郎「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいっぱいいるが、子どもを産まない方が問題だ。
昔は働く人6人で高齢者1人の(社会保障に)対応をしていたが、今はどんどん子どもを産まない。結果として、もう少しすると(現役世代)2人で(担う高齢者は)1人になる。それは税金が高くなるということだ。それを避けるためには、みんなで少しずつ(消費税で)負担する以外に方法はない」(asahi.com)
「子どもを産まない方が問題だ」と国民の責任の問題としているが、政治が子どもを生みにくい社会にしている政治の責任は一切棚に上げて、消費税の負担だけを求めている。
いわば国民への責任転嫁以外の何ものでもなく、国民をバカにしていないと決して言うことはできない。
麻生太郎大明神は、既に広く知られているようにこれまでも国民をバカにした数々の失言を繰返している。如何に国民をバカにしているか、改めて書き出してみる。
2008年9月14日、名古屋駅前で行った自民党総裁選の街頭演説。8月28日から29日未明にかけての記録的な集中豪雨で2人が死亡、家屋の床上・床下浸水2916件の被害を受けて、災害復旧活動最中にあった岡崎市、そして似たような状況下の安城市を引き合いに出して、「防災のためには、都市部でも公共工事や社会資本整備が必要である」との趣旨で発言している。
麻生太郎「あそこ(岡崎市)は140ミリ(1時間雨量)だぜ。これが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ、名古屋で同じ事が起きたらこの辺全部洪水よ」
人が2人死亡し、浸水やその復旧で市民が困窮している。にも関わらず、「安城もしくは岡崎だったからいいけど」と言うことができる、国民の生命(いのち)を考えない、国民をバカにした発言がスラスラと口から吐き出すことができた。
2009年8月23日、学生主催イベント「ちょっと聞いていい会」での発言。
学生「結婚資金が確保できない若者が多く、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか」
麻生太郎「カネがねえから結婚できねえとかいう話だったけど、そりゃカネがねえで結婚しない方がいい。まずね(会場笑)。そりゃ、オレもそう思う。そりゃ、迂闊にそんなことはしない方がいい」
若者の貧困という社会状況を生んでいるのは政治でありながら、その責任には言及せずにカネだけの問題として若者を説得する言葉としようとする。国民をバカにした発言以外の何ものでもない。
この時の発言の全文が、《News Spiral THE JOURNAL編集部》(2009年8月25日 11:56)に載っている。
2013年1月21日開催の有識者構成・政府「社会保障制度改革国民会議」第3回会合での終末期医療に関する発言。
麻生太郎「私は遺書に『さっさと死ぬからその必要はない』と書いてあるが、そういうことをしておかないと死ぬことができない。『いい加減、死にたいな』と思っても、とにかく『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い。
さっさと死ねるようにして貰うとか、いろいろ考えないと、この種の(終末期医療の)話は解決しない」――
国政を閣僚として担う政治家でありながら、国民個々の生命(いのち)の尊厳を考える能力を欠いた、それゆえに国民をバカにした発言。
2013年7月29日の東京都内のホテルでの講演。
麻生太郎(憲法改正問題が)「いつの間にか騒がれるようになった。マスコミが騒いで、中国も韓国も(騒ぐようになった)。ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」――
いわば憲法改正をこっそりとやれば、国民は気づくことはないとした発言であって、国民をバカ扱いにしている。
麻生太郎大明神は安倍晋三の大のお友達で、靖国神社や天皇観、伝統的家族観等々の政治信条を同じくする。上記取り上げたようにナチス国家主義者であり、この点も安倍晋三と共通している。
このようにも国民をバカにする政治家を安倍晋三は副総理兼財務大臣として重用している。
と言うことは、安倍晋三のこの重用自体が国民をバカにしたものということになる。
この点に於いて、冒頭、このブログの題名を、《安倍晋三の国民をバカにした、国民をバカにする政治家麻生太郎の重用》と名付けることもできるとした。
我々国民は安倍晋三と麻生太郎からバカにされている!!
生活の党PR
《12月4日 小沢生活の党代表日本外国特派員協会記者会見動画アーカイブ》
《12月7日(日)、村上史好生活の党幹事長代理テレビ番組出演》
番組名:フジテレビ「新報道2001」
日 時:平成26年12月7日(日)7:00~8:52
内 容:
「痛みを伴う改革への覚悟を問う!~財政再建と少子化対策への道筋」
いまだ「国の借金」1000兆円の日本。何をカットし、何を残すのか?
進む少子高齢化問題。人口減少に歯止めをかける、具体策は何か?
《12月7日(日)、村上史好生活の党幹事長代理NHK「日曜討論」出演》
日 時:平成26年12月7日(日)9:00~10:15
出演者:村上史好生活の党幹事長代理
内 容
“アベノミクス”継続の是非は
経済再生と財政再建の両立をどう図るか
原発・エネルギー政策について
安全保障法制について
選挙戦後半 何を訴えるか
安倍晋三が自衛隊服を着て戦車に試乗した写真を見ていて、その軍服姿の意味にふと気づいた。勿論、その意味とは当方の大したことのない感受性のなせる一つの答に過ぎない。人によって読み取り方は異なる。
一国の首相が軍服を着用して戦車に試乗する。右手を上げて見ている者に応じる姿勢を見せる。あるいは右手を肩のところに上げて見ている者に自身の姿を注目させるポーズを取る。
つまり安倍晋三は軍服姿と自身を一体とさせて、軍服姿の自身をアピールしていた。
日本国憲法第5章「内閣 第66条 内閣の組織と責任」第2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定め、自衛隊法第2章「指揮監督 第7条」は「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」と定めている。
では、内閣総理大臣は自衛隊出身者ではなく、形の上で単に文民であれば、自衛隊に対して最高の指揮監督権を有することができるということなのだろうか。
そうではなく、文民であることの厳格な意識と姿勢を持って自衛隊に対して最高の指揮監督権を有する存在として常に一線を画していなければならないはずだ。
安倍晋三がもしそういった意識と姿勢を厳格なまでに保持していたなら、そのような意識と姿勢からは軍服の着用を通した一体感であっても、どこからも生まれてこなかったはずだ。
ましてや軍服とヘルメットを着用して戦車の操縦席に乗って、右手を上げて応える一体感は見せようはずもなかったはずだ。
だが、一体感を束の間見せた。見せないままに一体感を自らの精神として抱えていなければ、束の間であっても見せることはない。
このことの裏を返すと、文民としての意識と姿勢が希薄で、結果的に文民と軍人との境目を曖昧にしていることを示す。
安倍晋三のこの両者間の親(ちか)しさ――親近性は戦前の日本国家とその戦争を肯定し、その肯定の儀式として戦後の日本に於いて行っているA級戦犯やB、C級戦犯、その他を戦争の犠牲者として哀悼の意を捧げる靖国神社参拝にも現れていて、そのような親近性の延長としてある文民と軍人の境目を曖昧とした軍服の着用による両者の一体と見ることもできる。
文民としての意識と姿勢を厳格に保持して自衛隊に対して最高の指揮監督権者として常に一線を画していなければならないにも関わらず、軍人への一体感を精神として抱えている。
そのような安倍晋三を総理大臣として内閣を代表して自衛隊対する最高の指揮監督権を担わせるのは異常であり、危険だと言わざるを得なくなる。
昨夜12月6日夜8時半頃投稿したツイッター。
〈これ程軍服の似合う日本の政治家は他にはいまい。死に装束は軍服を着せて欲しいと遺言を残しているのではないかと疑いたくなる程に似合う。〉
ロイター記事は直接的には自民党圧勝が中間層以下の生活を直撃するとは書いていないが、そう読み取らなければならない。文飾は当方。
《自民圧勝観測に沸く市場、株高・円安戦略の強化に期待》〈ロイター/2014年 12月 4日 17:06 )
記事冒頭。12月〈2日に公示された衆院選での自民党圧勝観測を好感し、株高・円安が加速している。政権基盤を盤石にした安倍晋三首相の政策推進力に期待しているだけでなく、これまでの株高・円安戦略が一段と強固になるとの思惑が原動力だ。右傾化加速への懸念はあるものの「それは後回し」といったムードになっている。〉・・・・・・
右傾化の危険性なんてことよりも、カネになりさえすればいいと市場は熱いムードとなっている。つまり市場は自民党が圧勝することを大々歓迎している。
問題はこの“歓迎”である。“歓迎”とは、多くの期待を生んでいることを意味する。
〈期待されるのは、その盤石な党内基盤を背景にした一段の政策推進だ。特にアベノミクスの「第3の矢」である成長戦略や構造改革の推進は、市場でも期待が大きい。〉
藤戸則弘三菱UFJモルガン・スタンレー証券・投資情報部長「これまでのアベノミクスで不十分なのは第3の矢。新たな成長戦略メニューがそれほど残っているわけではないが、これまで停滞していた社会保障改革や環太平洋連携協定(TPP)が進展すれば、マーケットでも大きなプラス材料になる」
圧勝を力とした党内基盤強化を推進力として第3の矢が軌道に乗り、その成果を確実にしていけば、マーケットの大きなプラス材料になって、なお一層の株高・円安が期待できる。
市場は自民党圧勝の予測にワクワクしている。
但し不安材料がないわけではない。自民党圧勝に対しての不安ではない。圧勝が確実に第3の矢の成果に結びつくかどうかの不安である。民間投資喚起を目的としたアベノミクス第3の矢の「成長戦略」は構造改革なくして実現不可能であり、その構造改革に対する既得権益層の抵抗である。
〈構造改革が再び、既得権益層の抵抗にあい、改革がとん挫する不安もある。「自民党が強いのは依然として地方だ。地方の有権者から反対されそうな農業改革やTPPを果たして推進させることができるかは疑問だ」(国内証券)と不安視する声は、市場でも少なくない。〉・・・・・
もう一つの不安材料。
〈財政再建を棚上げすることで、景気対策・デフレ対策にまい進するとしても、円安による輸入物価上昇分を超える賃金上昇が見込めるかは不透明だ。〉・・・・・
ましてや大多数の生活者を雇用している中小・零細企業にとってはなおさら不透明であろう。
自民党圧勝の予測だけで既に株高・円安が加速している。市場にとっては歓迎すべきことだが、安倍晋三が来年の春闘、更に再来年の春闘で経団連に賃金アップの圧力を掛けたとしても、企業にしても円安を受けて輸入原材料や輸入製品が高騰、その高騰分をそうそうに製品価格に転嫁できるわけではなく、ある程度抑えて企業負担とした場合、その分、賃金アップに素直に応えることができなくなる恐れが生じる。
そしてその結果、食品や生活雑貨、その他の生活関連物資の製品価格の高騰が賃金上昇分に追いつかずに中間層以下の生活を否応もなしに圧迫する恐れが二次被害さながらに生じる。
記事解説を見ると、市場はこういった不安材料を問題視していないようだ。
〈経済の行方はともかく、株高・円安路線は一段と強固になるとみられている。「安倍首相が絶対的な政治的権力を得たとしても、経済が持続的な成長軌道に乗せることができるかは、まだわからないが、その『手段』として、株高・円安が使われることはまず間違いない」(国内銀行幹部)というのが強気筋の読みだ。〉――
経済の行方よりも、市場が株高・円安で活気を呈すればいいと市場は見ているということである。
このような見方を言い直すと、株高は株を持っている富裕層の資産効果を高め、円安は中間層以下の一般生活者の生活を圧迫する背景を抱えることになっても、市場が活況を呈して為替売買や株売買の手数料が入って利益を上げさえすればバンバンザイだということになる。
更に言い替えると、富裕層と市場にとって株高・円安はツヨーイ味方となるが、一般生活者にとって味方とはならないということである。
このような状況を記事は次のように解説している。〈円安には副作用も大きいが、衆院選で圧倒的な票数を得れば、「アベノミクス」が国民の信を得たと主張できる。物価は原油安で物価は上がりにくくなっており、少しでもデフレの傾向が強まれば、日銀は追加緩和を実施するとの期待が自民党の圧勝で高まりやすいことになる。日銀や公的年金の買いが押し上げる需給的に歪んだ株高だとしても、株高に反対する声は小さい。〉・・・・・
円安が一般生活者の生活を圧迫する毒成分の副作用を抱えていようが、歪んだ株高だろうと何であろうと、株高・円安は大々歓迎状況にある。
記事は自民党が実際に圧勝した場合の慢心が政策実行能力を鈍らせるとか、財政のバラ撒きが生じて財政再建を遅らせることはないかといった懸念材料、あるいは自民党圧勝予測に対する反動が生じて、圧勝が幻で終わることの懸念材料を伝えたあとで、最後に結論づけている。
〈自民圧勝観測に沸く市場では、まだ懸念を現実的に受け止めているわけではない。「憲法改正など安倍政権が右傾化することも懸念要因だが、強気相場の中では、そうした懸念は後回しとなっている。バブルの匂いもしてきているが、しばらく市場はリスクオン(市場の活況に応じてリスクはあるが、その分収益の高い株や債券に投資する状況)の踊りを続けることになりそうだ」(三菱UFJMS証券の藤戸氏)という。〉――
要するに自民党に投票することは株を大量に持っている富裕層にとっては資産効果を活性化させてリッチな生活を提供してくれるが、一般生活者が自民党に投票することは自分で自分の首を絞めることになって生活を圧迫することになり、これまでのアベノミクス2年間をこの先も続けることになる確率が高いということである。
別の言い方をすると、富裕層にとって自民党圧勝は期待の対象となり得るが、一般生活者にとって期待の対象とはなりにくいということである。
つまり歓迎と非歓迎の差が出てくる。
だから最初に、〈問題はこの“歓迎”である。〉と書いた。
勿論、断るまでもなく誰に投票するか、どの党に投票するかは本人の自由意志による。勝ち馬に乗るのも良し。
12月2日の衆院選告示からたった2日後の12月4日、複数のマスコミが衆院選序盤情勢調査では自民党が300議席超える勢いだと報道した。いわば野党惨敗だと報じた。
そしたら安倍晋三が同じ日の12月4日、さっそく自らのフェイスブックに「油断した方が負ける」と油断を戒めるコメントを書き込んだという。
《首相「油断した方が負け」 フェイスブックで》(ニコニコニュース/2014年12月4日(木)12時26分配信)
安倍晋三コメント「まだ選挙は始まったばかりだ。油断した方が必ず負ける。小選挙区はほんの数パーセントの振れで根底から覆る。
(1998年の参院選で、当時の橋本龍太郎首相の『恒久減税』に関する発言の迷走で一気に情勢が悪化し、惨敗したことを念頭に)かつて橋本政権での選挙中、自民党大勝と報道され、結果大敗した。最後まで強い緊張感を持って全力で戦い抜く」
安倍晋三のこの油断大敵の意思を受けたからなのか、あるいは自ら指示を出したのか、とにかく安倍晋三のフェイスブックへのアクセスをブロックされているから、コメントの発信時間を知ることができなくて時間の前後は分からないが、さらに同じ日の12月4日、谷垣禎一幹事長と茂木敏充選対委員長の連名で各候補者の陣営に対して安倍晋三のコメントと同じ趣旨の通達を出したという。
《「慢心排除」を緊急通達=与党優勢報道で自民【14衆院選】》(時事ドットコム/2014/12/04-11:41)
通達「少しも慢心することなく、全身全霊でこの選挙戦を闘っている姿を有権者に示すことが、最終的な勝利につながる。わが党そして各候補者にとって厳しい選挙戦であることに変わりはない。
過去にも、選挙期間中に逆風が吹き、一瞬のうちに有利な形勢が逆転し、議席を失う例は多くあった。候補者本人の気の緩みが、選挙スタッフ、選挙事務所内等に広がり、最終的には有権者にもそれが必ず伝わる。
やるべきことはやるように」――
先ず安倍晋三のフェイスブックのコメントである。記事の解説からすると、1998年の参院選の惨敗の原因は当時の橋本首相の「『恒久減税』に関する発言の迷走」――いわば橋本自身の心構えの問題であって、各立候補者者自身の心構えとは無関係である。
「発言の迷走」が油断や慢心から発したわけではあるまいからだ。政策を政策としてしっかりと確立していなかった思慮不足が、心構えの問題に行き着くが、原因であるはずである。つまり各候補者は親分である橋本龍太郎の思慮不足のトバッチリを、子分の立場上避けることもできずにまともに受けたに過ぎない。
そうであるのに両者を一緒くたに扱っている安倍晋三の頭の良さは相変わらずである。
谷垣禎一幹事長と茂木敏充選対委員長の連名で各立候補者の陣営に対して出した慢心警告の通達だが、マスコミが報道した自民党圧倒的勝利の序盤情勢調査をどう受け止めるかは、全員が全員共子どもではなく、大の大人なのだから、各立候補者一人ひとりの心構えの問題であるはずである。
であるのにも関わらず、谷垣禎一幹事長と茂木敏充選対委員長は連名で慢心警告の通達を出さなければならなかった。
これは各立候補者全員を常識を備えた大の大人としてではなく、常識を弁えていない子どもとしての扱いをしたことになる。
自ずと一人ひとりが考えて行動するという自律性(自立性)を基本としたシステムを両者間の関係構造としていないことになる。だから、何かにつけて、ああしなさい、こうしなさいといった上からの干渉、もしくは管理が必要になる。
党が自律性(自立性)を基本とすることができずに各立候補者に対して一人ひとりが考えて行動することを任すことができないとうことは各立候補者に対して子離れをしていないことを意味する。
各立候補者にしても、通達を受けて油断してはならないと自らを戒めたとしたら、親離れしていない証明としかならない。親に干渉や管理されたその範囲内で物事を考えていることになる。
そのような自律性(自立性)を基本としていない議員が大挙して国会を3分の2前後も占拠することになったら、恐ろしいことではないだろうか。
自民党が自党所属の各立候補者に対してではなく、報道機関に対して子ども扱いしている例の一つが安倍側近萩生田光一の報道機関に対する選挙報道の公正・中立を要請して文書を配布したとろこに見ることができる。
報道機関は放送法と自らの常識に則って大人として報道に携わっている。もし大人として行動できずに放送法を踏み外したなら、放送法に従って裁かれることになる。それが報道機関が報道機関として示さなければならない自律性(自立性)であって、社会の他の分野はそれを尊重しなければならない。
いくら過去に大人としての行動を踏み外した例があったからといって、現在踏み外してもいないのに踏み外す場合を危惧して、政治が報道機関に報道に関わる要請や要求を出すのは報道機関として備えている自律性(自立性)を尊重せず、子ども扱いしていることになる。
また、子ども扱いをする資格は政治にはないはずである。
12月2日、総務省が報道機関に対して子ども扱いの要請を出した。
《第47回衆議院議員総選挙に係る当選確実の放送等に関する放送事業者等への要請》(総務省情報流通行政局地上放送課/平成26年12月2日)
〈総務省は、本日公示された第47回衆議院議員総選挙に係る当選確実の放送等に関し、放送事業者等に対して要請を行います。
1 要請の対象及び方法
日本放送協会、一般社団法人日本民間放送連盟、一般社団法人日本コミュニティ放送協会、一般社団法人衛星放送協会、一般社団法人日本ケーブルテレビ連盟、民間基幹放送事業者(文字多重放送のみを行う事業者並びに一般社団法人日本民間放送連盟、一般社団法人日本コミュニティ放送協会及び一般社団法人衛星放送協会に加盟している事業者を除く。)、衛星一般放送事業者(一般社団法人日本民間放送連盟及び一般社団法人衛星放送協会に加盟している事業者を除く。)及び自主放送を行う有線登録一般放送事業者(一般社団法人日本ケーブルテレビ連盟に加盟している事業者を除く。)に対し、情報流通行政局長名の本日付け文書で要請を行います。
2 要請の内容
国政選挙は全ての国民の関心に係るものであり、当選確実の放送等については、関係者に多大な影響を及ぼすことから、放送法の趣旨にのっとり、放送に対する国民の信頼にこたえるよう、引き続き十分な配意をお願いすることとしました。〉・・・・・・・
報道機関の自律性(自立性)と自律性(自立性)に関わる責任に任せることができずに、いちいち口を出す。
安倍晋三と同じ国家主義者の下村博文文科相がかつて国会で次のように答弁している。
下村博文「道徳に於いて、子供たちが、より、そのことによって、その時間によって、子供たちの自尊意識と、そして、ルールや社会のマナー、規範意識を含めて学ぶ場として、知徳体の、特に徳の部分が醸成されるような空間、時間をぜひつくっていきたいと思います」――
下村博文「道徳教育は、国や民族、時代を超えて、人が人として生きるために必要な規範意識や社会性、思いやりの心など、豊な人間性を育み、一人一人が、自分に自信を持って、また、社会の責任ある構成者として幸福に生きる基盤をつくる上で不可欠なものであるというふう に思います」
下村博文が言っている、「子供たちの自尊意識」、「ルールや社会のマナー」、「知徳体」、「規範意識や社会性」、「思いやりの心」、「豊な人間性」、「自信」、「社会の責任ある構成者」等は、いずれも自分で考えて責任を持って行動する自律性(自立性)を出発点としていなければ到達は覚束ない。
子どもであろうと大人であろうと、自分で考えて行動できない、それゆえに責任意識に無縁な人間が規範意識や社会性を発揮できるまでになるだろうか。以下、同じことを言うことができる。
自民党が組織として、各立候補者が個人として、一人ひとりが考えて行動する自律性(自立性)を基本とした、成熟した大人同士の関係を相互に築くことができずに道徳教育に特に熱心であるという矛盾は何を意味するのだろうか。
答はただ一、党組織と各立候補者の関係構造に道徳教育の構造は自ずとマッチすることになるだろうから、ああしなさい、こうしなさいと上から植えつて、児童・生徒を大人になってからもいつまでも子どものように干渉できる存在、あるいは管理できる存在とする道徳教育の構造を持ってこなければならない。
安倍晋三が特に執心している国家主義的道徳観を植えつけるにはそういった道徳教育の構造でこそ、より力を発揮できることは戦前の道徳教育が何よりも証明している。
児童・生徒の側から言うと、上に言いなりになる存在となるということを意味する。そのような存在こそ、安倍晋三や下村博文等の国家主義者にとって、「規範意識や社会性」を備えていると看做されることになるはずだ。
そのような存在とすることによって自民党議員として育って選挙に立候補したとき、ああしなさい、こうしなさいといった子ども扱いした通達が生きてくる。あるいは子ども扱いした通達を出すことができる。
まさか衆院選序盤情勢調査自民党300議席超の勢いは有権者も子ども化していて、双方の子ども化が相互に反映し合って育まれることとなった親近性の結果ではないだろうとは思う。もしそうだとしたら、最悪である。
これで長期政権は決まりだ。安倍晋三の解散・総選挙の狙いは当たった。
2014年12月14日投開票「第47回衆議院議員総選挙」は安倍晋三自民党の大勝利で終わる。公示たった2日後で、この情勢なのだから、話にならない。
《自民300議席超える勢い 衆院選・序盤情勢調査》(asahi.com/2014年12月4日00時18分)
朝日新聞社が12月2、3の両日、約6万人の有権者を対象に電話調査を実施し、全国の取材網の情報も加えて選挙戦序盤の情勢を探ったという。
①自民は単独で300議席を超える勢い。公明とあわせて定数の3分の2(317議席)を上回る可能性
②民主は公示前の62議席から上積みするものの、伸び悩み、100議席に届かない公算大
③維新は公示前の42議席から後退
④次世代は公示前の19議席から1ケタになりそう
⑤共産は公示前の8議席から倍近く増える見通し
他は推して知るべし。
記事発信は「12月4日00時18分」である。安倍晋三本人が既に知ったか、知らなくても、忠義一方の側近が勝ち誇った思いで既にご注進に及んでいて既に知っているに違いないだろうから、朝寝を省いた小原庄助さんのように朝湯にゆったりと浸かりながら、ニンマリとした笑みを浮かべて勝利の美酒をチビリ、チビリ愉しんでいるに違いない。
昭恵夫人も一緒に湯船に浸かっているのかな?口に含んだ酒を口移しで飲ませ合ったりして・・・・・・。顔を赤らめ合ったり。悪くない図だ。
朝日新聞だけではない。読売新聞社も同じ予想を映し出した。
《自公、300議席超す勢い…衆院選序盤情勢》(YOMIURI ONLINE/2014年12月03日 23時00分)
読売は朝日新聞のように3分の2(317議席)を上回るとは直接的には伝えていないが、自公両党の予測議席数を合わせると3分の2を超える。
自民党は小選挙区選・比例選〈全体で、絶対安定多数を超え、公示前の293議席確保もうかがっている。〉
公明党は小選挙区選・比例選〈全体として公示前の31議席を上回りそうだ。〉
合わせて324議席以上の勢い。
自民党の独り占めは野党の議席減となって現れる。
安倍晋三の言葉巧みな力強い言葉のマジックに掛かって、大多数の国民は消費税先送りと来年と再来年の春闘での賃金アップで実質賃金が増えて、アベノミクスは成功し、日本の景気回復は確実だと信じるに至ったのだろう。
だが、次の記事――《格下げでも株高・債券高、市場が意識する「官製相場」》(ロイター/2014年 12月 2日 16:10)を読むと大分怪しい。
日本の現在の株高の主体は日銀が国債などを買い支えて起きている「官製相場」であって、企業活動や個人消費の活発な状況が誘因となっている株高ではないところにリスクを抱えているという趣旨の記事内容となっている。
〈消費再増税が先送りされても、日本国債が格下げされても、金利が上昇しないというのは、やはり異常な状態だ。財政規律の警告機能に欠陥が生じているとみられても仕方ないだろう。〉
藤木智久BNPパリバチーフ円債ストラテジスト(外資系金融機関)「リスクがたまりやすいのはこういう状況だ。低金利でほぼ無尽蔵にファンディング(資金調達)できる状況は、いつしかリスク感覚を麻痺させてしまう。巨大な債務を抱えるようになったときに、何かのきっかけで長期金利が2─3%に上昇すれば、大きな損失を生じることになる」
いずれにしても、絶対安定多数の266議席確保はこれで確実だし、憲法改正の発議に必要な3分の2の317議席に届く可能性大で、安倍晋三の笑いが止まらない緩みっぱなしの顔が目に浮かぶ。
安倍チャン、やったね!
安倍晋三の解散・総選挙の狙いは万が一の内閣支持率が下がってからの解散では議席維持ばかりか、政権維持も心許なくなることから、支持率が大きく下がる前に議席維持と政権維持を見据えて、それをエンジンとした長期政権の手繰り寄せだったのだ。
きっと密かに世論調査をしていたに違いない。予備校講師の林修の「いつやるか? 今でしょう!」ばりに解散・総選挙に打って出た。
これで憲法解釈変更による集団的自衛権の行使も、憲法改正発議も思いのままになる。さあ、軍備を増強して、「世界の中心」に踊り出るぞ。
安倍晋三の狙いは当たった。
バンザイが聞こえる。日本全国から。安倍晋三お得意のフレーズで言うと、「全国津々浦々から」
バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!・・・・・・・・・・
生活の党PR
《 12月4日~9日 小沢一郎生活の党代表・メディア出演ご案内》
【ネットニュース】
〇NOBORDER「ニューズ・オプエド」(12月4日(木)16:00~17:00(生放送))
「ニューズ・オプエド」番組サイト
【ラジオ番組】
〇文化放送(AM1134)「吉田照美 飛べ!サルバドール」(12月9日15:00~17:50(※代表の出演時
間は16:15~16:25))
「吉田照美 飛べ!サルバドール」番組サイト
【テレビ番組】
○BS11「報道ライブ21 INsideOUT」 (12月9日(火) 21:00~21:54)
「報道ライブ21 INsideOUT」番組サイト
12月1日(2014年)の日本記者クラブ党首討論会で安倍晋三に自身フェイスブックに他党議員の批判記事を書き込んだり、安倍晋三の側近の萩生田光一が在京の報道各局に選挙報道の公平中立・公正を文書で要請したことに質問が飛んだ。
安倍晋三は例の如くにウソとゴマカシを並べ立てて自身の行為と萩生田光一の報道に対する政治介入を正当化した。
国民は安倍晋三のウソとゴマカシに気づかなければならない。国家の指導者がウソつきでゴマカシ屋だという逆説は滑稽であると同時に恐ろしいことである。裸の王様を裸だと言うことができずに立派な立居振舞いをしているかのように尊敬し、従うことを意味する。
ウソから真(まこと)の政治が生まれるとは思えない。
橋本五郎読売新聞特別編集委員「段々時間がなくなってきました。確認なんですがね、フェイスブックね、あれは自分でやっておられるんですか」
安倍晋三「あの、一フェイスブックは私が運営しているのは、私個人のフェイスブックとですね、官邸で出しているものがあります。私個人のものについては、私が書く場合と秘書が、それは秘書として書いている場合があるということでありまして、えー、で、なるべく、あのフェイスブックを使って、こういうマスメディア以外でも、多くの方々にタッチをしていきたいと思います」
ここで小沢一郎生活の党代表が前の答弁で昨日の当ブログで書いたように行政のタテ割りが原因で東日本大震災の復興が思うようにできていないと指摘したのに対して安倍晋三はウソ八百を並べ立てて安倍政権下では復興がさも進んでいるかのように自らの成果を誇った。
そのウソ八百が終えたところで、橋本五郎が再びフェイスブックについて尋ねた。
橋本五郎読売新聞特別編集委員「あの、先程なぜフェイスブックを聞いたかと言いますとね、一国の総理大臣がね、いちいち、ま、その、社会現象が起きていることについて、そんな言うってことがね、これ、やることなのかっていう根本的な疑問があるからなんですよ。もっと大きく構えていなきゃいけないんじゃないかと、そういう疑問があるから、敢えてフェイスブックのことを聞いたんですよ」
安倍晋三「ま、これはですね。時代の、おー、(フッと笑いを漏らしながら)変化なんですね。えー、これは様々に私の生の声を聞くというのは、えー、新聞社の方々しか聞けなかったのがですね、フェイスブックを通して市井のみなさんにも届くのは事実、であります。そのことで色々とご批判はいただきますよ。でも、私は敢えてその批判は、あー、甘受しながらですね、えー、この新しい時代に於いて、私の考え、生の声。こういうことについてどう感じているかということについても発信をしていきたい。
で、フェイスブックというのはそれに対する批判も載りますし、えー、賛同もあります。で、そのフェイスブックに声を、おー、えー、寄こして、えー、声を、この、えー、寄せて頂く方同士のま、ですね、議論もあるわけであります。
でも、これがですね、まさに今、時代に於いて大きな役割を担っているのは事実なんだろうと、えー、こう思いますわけであります。
官邸のフェイスブックで言えばですね、フィリピンに対して、えー、自衛隊が1200人派遣されました。災害派遣。これ、えー、もう、圧倒的にですね、世界中のフィリピン人の方々が、えー、感謝のコメントを寄せていただきました。つまり、フェイスブックというのはそういう役割も担っているんだということもですね、どうか私はご理解もして頂きたいと。
えー、これからもですね、是非活用していただきたいし、この選挙戦もですね、このSNSを活用していいということになったんですから、この批判も含めて我々はですね、しっかりと受け止めながら、活用していきたいなあと、思っています」
倉重篤郎毎日新聞政治部長「安倍さんですね、いいですか。ね、権力と報道っていうことで、一つ聞きます。11月20日付で、自民党の萩生田筆頭幹事長、名でですね、民放各局にね、えー、いわゆる中立公正の報道のお願いという文書を出しました。
それを見るとですね、きめ細かくですね、そのー、出演回数とかですね、出演時間云々、それからその、過去のね、そのー、映像をどう使うか。あるいは、えー、街頭の話をどう選択するかについてまでね、色々と注文がついている。
これはですね、過去になかった話ですし、それから諸外国ではあんまり聞かない話です。政権政党がですね、その手のですね、ある意味ね、その、圧力とも取られる、自粛にもつながるようなことをすべきなのかどうか。これはね、ちょっと安倍さんにゆっくりと考えていけない話だと思うんですよ。えー、中ではね、実際にそういう自粛ムードが生まれている、って言ってますよ。
自粛する方が悪いかもしれませんけどもね、その辺あなた、どうお感じでしょうか」
安倍晋三(仕方がないなあっていう感じで笑いながら)「えー、先ずですね、先ず公平公正というのは当然のことなんだろうと思います。公平公正ではなくて、何か思い込みを持って、事実ではない報道をしようということがあればですね、えー、その公平公正というのは、(左胸に手を当てて)中に刺さるんだろうと。
公平公正にやっている方々は当然、公平公正にやって頂ければいいんであって、でー、米国はですね、フェイネスドクトリンがテレビにはない。フェイネスでなくていいんです。自由にやっていいです。しかし、日本は、その、一方的に、えー、ある党を貶めようとしてやっていけばですね、できるわけでありますから、しかし、それは、えー、当然ですね、えー、公平公正にやっていけば、全然問題はないんだろうと思うわけであります」
倉重篤郎毎日新聞政治部長「あれは、安倍さんのご意向ですか」
安倍晋三「いちいち私はそんな指示は致しません。党としてですね、そういう考え方でやったんだろうと思いますが、公平公正にもしやっておられるんならば、えー、何の痛痒も感じられないんではないかなあと思います」
倉重篤郎毎日新聞政治部長「なんでそこを信用できないんですか」
安倍晋三「今まで例えば、かつて椿事件というのがありましたよね」
倉重篤郎毎日新聞政治部長「あれとは違いますよ」
安倍晋三「いや、でもありましたよね。それあんとき、我が党は、えー、この問題をかつて細川政権ができたわけでありますが、あれとこれは違うじゃなくて、まさに、ああいう問題が起こってはならないということも当然あるわけです。あれとこれではなくて、あれこそやっぱり問題じゃないですか」
倉重篤郎は話題を変えて、安倍晋三の健康問題を聞く。
枝野民主党幹事長が国会で閣僚の「政治とカネ」の問題を追及したのに対して安倍晋三は「かつて枝野が殺人や強盗や窃盗や盗聴を行った革マル派活動家が影響力を行使しているJR総連や、JR東労組から献金を受けていた」と、直接革マル派活動家から献金を受けたわけではなく、正当に社会活動をしている団体からの献金を言いがかり同然で批判して、マスコミやネット上で大人気ないとか、端ないだとかの批判を受けた。
この2日後、安倍晋三の秘書が安倍晋三のフェイスブックを使って執拗にも同じ趣旨の批判を展開した。秘書がわざわざ同じ批判を買って出るとは考えにくいから、安倍晋三が秘書の名を騙って書き込んだか、秘書に書かせたか、どちらかだろう。
安倍晋三の国会答弁に対する世間の批判が我慢できなかったに違いない。
例え秘書が買って出たとしても、秘書のすべきことではないし、すべきでないことを安倍晋三のフェイスブックに載せることになるのだから、一国の指導者がそれを許していい理由とはならない。
もしネット上の安倍ファンを味方に付けて、その数の多さで自分の枝野批判は正しかったと見做して治まらなかった腹の虫を治めたかったのだとしたら、それこそ大人気ない、気持が狭いだけの話となって、一国の指導者としての大人であるべき自らの人格性を自ら損なっていることになる。
確かにフェイスブックやツイッター等の、一般的にはネット上の双方向のコミュニケーションの場として、あるいは手段として利用されているSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)の登場は時代の変化を現すが、それはあくまでも機能性の話であって、立場上、書くべきではない内容の書き込みを行って、これは時代の変化だと自己を正当化することはできない。
この点についての認識が安倍晋三にはない。
もしその手の正当化をするなら、ウソつきが新たなウソでウソの正当化を図るようなものである。
安倍晋三は「私の生の声を聞くというのは新聞社の方々しか聞けなかった」と言っているが、既に時代の変化を受けていて、テレビでいくらでも生の声を聞くことができる。SNSと違って、表情まで見て取ることができるから、時には言葉には現れていない感情を読み取ることもできる。
また、「生の声」イコールウソ偽りのない正直な声とは限らない。特に安倍晋三に関してはそのように言うことができるが、安倍晋三は自身の「生の声」をイコールウソ偽りのない正直な声だと信念している。まるで根っからのウソつきが自分程の正直者はいないと信念しているように。
大体がフェイスブックの自身の書き込みを正当化するために生の声を「新聞社の方々しか聞けなかった」と間違えたことを言っていること自体の認識力の見当違いには驚かされる。
SNSに書き込んだ言葉を「生の声」とすること自体、機能性の問題に過ぎない。書き込むこと自体の正当性、書き込みの内容の正当性が問われていることに、知らぬが仏なのだろう、気づく力を持たない。
安倍晋三は自身の生の声を「フェイスブックを通して市井のみなさんにも届くのは事実であります」と言っているが、首相の立場から一般国民を「市井のみなさん」と形容するのは自身を高みに置いて国民を低く見た言い方であるはずだ。SNSはそれぞれの立場を離れて、対等な個の立場からの双方向でなければならないはずだからだ。
安倍晋三は自身のフェイスブックの書き込みに批判を受けることがあるが、そのような批判は「甘受する」と言っている。だが、私が批判記事を書き連ねると、ブロックを受け、現在アクセスできない状態になっている。
ブロックされたのは他にもかなりいるようだ。
いくらSNSが個の立場からの意見交換の場であったとしても、安倍晋三はごく個人的な話題を書き込んでいるわけではない。首相の立場から、国政に関わる話題を提供している。そのことに対する批判をブロックするのは一種の言論封殺に当たる。
さらに外部からの批判のコメントにしても賛同のコメントにしても、安倍晋三に届けるだけではなく、安倍晋三のフェイスブックを介して、そこに訪れる不特定多数者の目に触れさせて、それぞれの目から更に拡散させたい目的でコメントする。それをブロックという形で遮断するのはSNSならではの機能を自己都合で変質させて都合の悪い言論を排除することになるばかりではなく、外部からの批判の正当性の判断を自身のみの基準に頼ることになって、結果として自身の主張に同調、もしくは賛同する都合のいいファンだけを周囲に集めて一種のお仲間状態をつくることになり、首相でありながら、自分と自分に似た判断の世界に安住するという皮肉な結果を招きかねない。
SNS上のこういった遣り方は日常普段で行っている、自分の都合のみで他者の意見や考えを取捨選択する反映としてはるはずである。
いずれにしても批判の「甘受」とブロックは相反する。ウソとゴマカシを並べて、世間の批判をかわしたに過ぎない。2013年11月8日にフィリピンを襲った超大型台風30号によって多くの死者を出し、大きな被害を受けた際、自衛隊を派遣したことを言うのだろう、官邸のフェイスブックに、「世界中のフィリピン人の方々が感謝のコメントを寄せていただきまし」と言っていることは、フェイスブックの機能の素晴らしさを言うことで、秘書を使って枝野議員を批判したことを正当化しようと魂胆した、ウソとゴマカシを得意としていなければなかなかできない問題のすり替えに過ぎない。
いわば官邸のフェイスブックに世界中から感謝のコメントが寄せられたから、自身のフェイスブックに秘書名で書いたコメントは間違っていませんと言っているのと同じである。
安倍晋三の側近の萩生田光一が在京の報道各局に選挙報道の公平中立・公正を文書で要請したことについて、日本には放送法があるから、その法律通りにフェアネス・ドクトリン(公平原則)に報道を行えば「全然問題はないんだろうと思うわけであります」と答えている。
だが、この「全然問題はない」ことを以って萩生田の文書要請を問題はないとすることはできない。全然別の問題である。
確かに放送法に則って公平中立・公正に報道を行わなければならない。放送法は「政治的に公平であること」と謳っている。だが、法律はそれを守る・守らないは個人や放送チームの判断・責任であって、守らずに違反したとき、初めて法律の出番となる。
いわば守らなかった時のみ法律によって律することのできる。法律でもないアカの他人の萩生田が例え報道側が過去に犯した例があったとしても、現在は法律を踏み外していない以上、文書で律していい問題ではない。
であるにも関わらず、前以て政治側が文書で公平・公正求めるのは何らかの思惑があるからこその要求であって、政治圧力となり得る。
倉重から、文書要請は安倍晋三の意向かと質問されて、「いちいち私はそんな指示は致しません。党としてですね、そういう考え方でやったんだろうと思いますが」と答えているが、党総裁は安倍晋三である。
例え知らなかったことだとても、党総裁としての責任範囲内の萩生田の行動となる。知らさずに文書を出したことも問題だが、知らされなかったことも、党総裁として問題となる。
「公平公正にもしやっておられるんならば、えー、何の痛痒も感じられないんではないかなあと思います」と言っているが、文書を出したことによって何らかの「痛痒」が生じるのであって、そのことを認識もせずにこう答えることができるのは、文書を出したことは問題なしと正当化を図る答としているからだろう。
答弁に数々のウソとゴマカシを忍び込ませている。ゴマカシもウソつきの性格から発する。
安倍晋三のマシンガンの弾のようにこれでもかと撃ち出す数々のウソとゴマカシに気づかなければならない。自民党に一票を投じることは、安倍晋三のウソとゴマカシに気づかない有権者となる。
安倍晋三の言う「着工」の正体を「復興の現状」(復興庁/2014年5月30)のWEB記事が明らかにしてくれる。 「まちづくり(高台移転、区画整理等)」に関しては2014年3月時点の進捗率は「着手90%」となっていて、「災害公営住宅」に関しての進捗率は、同じ2014年3月時点で「着手72%」となっている。
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《12月2日(火)小沢一郎生活の党代表日本テレビ『news every.』 出演ご案内》
時間16:53~17:53
番組の詳細『news every.』
《112月2日(火)小沢一郎生活の党代表NHK『ニュース7』 出演ご案内》
番組の詳細NHK『ニュース7』
《12月2日(火) 松崎哲久生活の党政策審議会長代理 Sフジ『プライムニュース』出演ご案内》
時間20:00~21:55(生放送)
番組の詳細『プライムニュース』
昨日2014年12月1日、衆院選挙公示日を明日に控えて、日本記者クラブで午後1時から行われた8党首による党首討論を聞いて、いつものことだが、日本のため、世界のために安倍晋三のウソを暴くことにした。
今日は先ずその第1弾。被災地復興に関わる安倍晋三と小沢一郎生活の党代表との議論について、如何に安倍晋三がウソをついて安倍政権の復興政策の成果を誇っているかを見てみる。
星浩朝日新聞社特別編集委員「小沢さんにお伺いします。被災地の出身でありますが、3年半以上、4年近く経とうとしております。この間のですね、対策に対しての住民の方々からも苛立ちと言うか、不満も出ております。ご覧になってですね、欠けている点。その原因は一体小沢さんの見方を聞きたいと思います」
小沢生活の党代表「ハイ、あのー、根本的には私ども統治機構の大改革、行政の大改革ということを主張しておりますけども、これが本質的な原因だと私は思っています。と言いますのは、結局、復興庁なんかもつくりましたけれども、窓口が二つできただけで、あとは所管官庁がみなそれぞれ、建設だの色々なことをやって、今までと何も変わっていないわけですね。
ですから、地元の意見としては、本当に自由に、自主的に使えるお金を交付して貰えるならば、地元の色んな事情。岩手県と宮城県と福島県、それは違うわけですから。あるいは各町村によっても違うわけです。
そういう自主的な財源をきちんと交付して貰えば、もっともっと知恵を活かし、効率的にやることができるという声が強いんです。ですから私どもの主張する統治機構の大改革ちうのは、大変な難問題ですから、すぐにできるとは思っていませんが、せめてこの震災の特別な機関(期間?)だけでもそういう自主財源として、地元に交付して、あなたたちの知恵を出して工夫をしていい街づくりをやってくれというような今のタテ割りの官庁の補助金を中心とした、この遣り方をやめて、復興に当たらせたら、もっともっといい、素早く、そしていい街作りが可能になったと思っております。そこはちょっと私は残念だと思います」
一問一答形式だが、橋本五郎読売新聞特別編集委員が枝野民主党幹事長などへの批判記事を念頭に置いてなのだろう、安倍晋三自身のフェイスブックについて質問し、その回答の中で復興に関わる小沢生活の党代表の主張に反論を加えた。
安倍晋三「復興について一言言わせて頂きたいんですが、我々が政権に復帰した際はですね、例えば、高台移転や公営災害住宅、全く計画すらなかったんですが、全ての計画をつくりました。
それはタテ割りを廃して、現場主義を徹底したからであります。今、えー、高台移転、95パーセントで着工してます。計画は全部できました。そして、えー、災害公営住宅も90パーセント、約90パーセント着工しています。
そして、仕事、生業(なりわい)についても、間違いなく、ま、進んでるわけでありまして、私も毎月被災地を訪問しておりますが、2年前と比べてですね、何もなかったところにやっと槌音が聞こえて、仕事ができ、段々笑顔と希望が戻ってきたのは間違いありませんが、ただですね、ただ、同時にですね、まだまだこの復興は道半ばであることは事実でありますし、20万人以上の方々がですね、困難な生活を余儀なくされていますから、しっかりとですね、そういうものも私は進めていきたい、こう思っております。ま、私も復興についてもですね、もっとここで議論すべきではないかなあと、このように思います」――
全てウソで成り立たせている。「我々が政権に復帰した際はですね、例えば、高台移転や公営災害住宅、全く計画すらなかった」と言っているが、東日本大震災が発災したのは民主党政権が2009年9月16日発足から1年半後の2011年3月11日のことで、それから2012年12月26日に自民党政権に変わるまでの約1年9カ月は岩手県で平年の11年分、宮城県は19年分の排出ゴミに相当する瓦礫処理、そして仮設住宅建設、さらに道路復旧等のインフラ整備に自治体共々に手一杯であったのであり、高台移転や公営災害住宅に取りかかる時間と人員を欠いていた。それが実情であったはずだ。
但し発災の翌月4月1日に菅無能が記者会見を開いて、被災地再生の街づくりの構想を表明する中で高台移転については言及している。
菅無能「山を削って高台に住むところを置き、海岸沿いの水産業(会社)、漁港まで通勤する(職住分離を進める)。
植物やバイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市としての性格も持たせる。
11日までに土地利用の専門家や被災地関係者らによる復興構想会議をつくる。
(高台移転は)地元あるいは土地所有者の方の合意も含めた中でなければ進まない」(asahi.com)
公営災害住宅建設は阪神大震災で経験済みだから、復旧に一段落が付けば、当然進むべき道となる。
確かに民主党政権に復旧・復興にモタツキはあったが、安倍政権は民主党政権によって建物やインフラ、生活等々の破壊状況に一応の整理がついた有利な場所から引き継いだのである。それを棚に上げ、ウソまで撒き散らして、「2年前と比べてですね、何もなかったところにやっと槌音が聞こえて、仕事ができ、段々笑顔と希望が戻ってきたのは間違いありませんが」と、スタート地点も考えずに自民党政権だけの手柄のように言い、民主党政権を批判するダシにし、安倍政権を誇る材料とする。どこまで根性が曲がっているのか。
「今、えー、高台移転、95パーセントで着工してます。計画は全部できました。そして、えー、災害公営住宅も90パーセント、約90パーセント着工しています」と言っていることも何から何までウソ八百である。
「着工」で「計画は全部できました」と言っている。計画は完成までのスケジュールを含まなければならない。着工とは荒れ地に重機が入りさえすれば、着工となる。そこが山林なら、木を伐り倒す作業員が入れば、着工となる。住宅建設が終了すれば、国や自治体の役目は終了して、後は個人の問題となるが、それでも入居を果たして初めて、「計画は全部できました」と言うことができる。でなければ、真に「笑顔と希望が戻ってきた」とは言うことができない。
でなければ、安倍晋三お得意のフレーズ、「被災地の心に寄り添う」と言うことができないはずだ。
参考のために宮城県都岩手県の着工段階の工事現場の画像を挿入しておく。左が2014年5月末現在の岩手県大船渡市・ 門之浜地区の画像で、右が2014年10月末現在の宮城県高台工事(階上長磯浜地区 造成状況・気仙沼)の画像である。
一戸だけの家を建てる土地を整備するなら、3カ月かそこれで入居を果たすことができるが、団地形式の広い土地を整備するとなったら、半年以上はかかるだろう。
どの程度進捗状況なのか、その報告が載っている宮城県と岩手県のサイトを探してみた。
《東日本大震災からの復旧・復興事業の進捗状況》(宮城県/2014年10月末現在)
〈防災集団移転促進事業
造成工事着手地区数は,県全体で12市町193地区(全体の約99%)となっている。
住宅等建築工事可能地区数は,新たに石巻市の2地区,気仙沼市の1地区,女川町の1地区が増え,県全体で10市町42地区(全体の約21%)となっている。
(※住宅等建築工事可能とは,土地を購入又は借地し,建築工事の準備が整った状態のことを示す)〉――
確かに「着手」は「全体の約99%」まで進んでいるが、建築工事の準備が整った状態の地区数は「全体の約21%」に過ぎない。
〈災害公営住宅の整備
現時点の整備計画戸数15,524戸のうち,21市町223地区,12,599戸の整備に着手(9月末比+26戸)し,うち,21市町150地区,8,074戸は工事着手(9月末比+215戸)している。
工事完了戸数は,16市町50地区,2,014戸(9月末比+220戸)となっている。〉――
2014年10月末時点で災害公営住宅は整備計画戸数15,524戸のうち土地整備着手は12,599戸と進んでいるが、側溝敷設やガス管・水道管・電柱等の埋設、アスファルト舗装が終えた工事完了戸数なのか、あるいは住宅建設完了までいったのか、2,014戸約13%に過ぎない。
だが、安倍晋三は「我々が政権に復帰した際はですね、例えば、高台移転や公営災害住宅、全く計画すらなかった」と言いい、「高台移転、95パーセントで着工してます。計画は全部できました。そして、えー、災害公営住宅も90パーセント、約90パーセント着工しています」と安倍政権の成果を誇っている。
それも「タテ割りを廃して、現場主義を徹底したから」だと、成果の原因を分析している。
岩手県を見てみる。
《復興実施計画における主な取組の進捗状況》(岩手県/2014年5月)
県事業分は2862戸であるが、2014年4月30日現在の一覧には合計で2073戸の進捗状況しか載っていない。残りの789戸は手付かずということなのだろうか
完成218戸
工事中776戸
設計完了649戸
設計完了(買取方式)50戸
設計中(買取方式)117戸
設計中239戸
設計発注済み24戸
2073戸のうち、完成は218戸。約16%に過ぎない。
安倍晋三が、「2年前と比べてですね、何もなかったところにやっと槌音が聞こえて、仕事ができ、段々笑顔と希望が戻ってきたのは間違いありませんが」と自信満々に請け合っているからついでに〈「いわてこどもケアセンクー」(岩手医科犬学内)を設置するとともに、沿岸三地区を巡回し、子どものこころのケアに閲する専門的な診療や相談を行っています。〉と謳っている、《子どものこころのケアセンター運営事業》を見てみる。
事業実施期間平成23年~平成30年
ケアセンクー開設日数
平成26年度に掲げる目標値 340日
平成26年度実績値 31日
平成26年度目標に対する進捗率 9.1‰――
事業実施期間を平成23年~平成30年と壮大にブチ上げながら、謳い文句通りには実施していない。これは岩手県の事業で、県の責任だろうが、医師の数が足りないのか、計画自体に不備があるのか、県の不足分を国が補ってもいい発言を安倍晋三は震災3年目前日の2013年3月10日の記者会見で行っている。
安倍晋三「インフラや住宅の復興が幾ら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒されるわけではあ りません。震災から3年、長期にわたる避難生活が大きな精神的な負担ともなっています。人と人のつながりを守り、被災者が孤立することのないよう、地域の見守り体制をつくります。仮設住宅への保健師などの定期巡回を進め、被災者の心に寄り添った支援に重点を置 いてまいります。
特に子供たちへのケアは欠かせません。従来から、カウンセラーの学校への派遣を行ってきましたが、仮設住宅への巡回訪問も 実施すること とし、子育て世帯も含めてバックアップしてまいります。さらに、仮設住宅の空き部屋を遊び場や、学習スペースとすることで、子供たちが安心して過ごせる場所をつくってまいります。これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」――
かくこのように子どもたちの心のケアを言い、「心の復興に一層力を入れていきます」と言っている。自治体ともども協力体制を取っていいはずだが、月一回程度の頻繁な被災地訪問にも関わらず、その訪問が子どもたちの心のケアに関してだけではなく、高台移転の進捗についても、災害公営住宅の進捗についても、何も役に立っていないようだ。
ただしウソだけは満足につく。今回のウソの一つが高台移転と災害公営住宅について、「着工」を以ってさも復興が進んでいるかのように思わせるウソである。
「タテ割りりを廃して、現場主義を徹底した」もウソで成り立たせた安倍政権の成果に過ぎない。
「地方創生」の基本理念を盛り込んだ「まち・ひと・しごと創生法案」など地方創生の関連法案が今年2014年11月19日に参院で可決され、成立した。その時の質疑での安倍晋三の発言。
安倍晋三「各省のタテ割りりを排して、継続的に地方創生に取り組む体制を整備していくことが重要だ。予算や税、制度改革など、あらゆる政策手段を駆使して、地方創生に全力を挙げていく」(NHK NEWS WEB)
被災地復興では各行政機関の「タテ割りりを廃して、現場主義を徹底」できたのに、地方創生に関しては改めてタテ割りを排した体制を整備しなけれならないというのは矛盾そのものである。
いわば政権側のタテ割り排除の掛け声に対して官僚たちが面従腹背を形式としていて、慣習として身につけてはいないということなのだろう。だから、新たな政策を展開するたびにタテ割り排除を叫ばなければならなくなる。
現実問題として小沢一郎生活の党代表が「今のタテ割りの官庁の補助金を中心とした、この遣り方をやめて」と言っていることの方が正しいということである。
安倍晋三のマシンガンの弾のようにこれでもかと撃ち出す数々のウソに気づかなければならない。自民党に一票を投じることは、安倍晋三のウソをマコトとするマジックを有権者が知らないうちに演じることになる。