安倍晋三は自衛隊観艦式訓示で自衛隊の役割に過剰なまでの意味づけを行う軍事優先の思想を見せている

2015-10-21 09:50:07 | Weblog


 安倍晋三が2015年10月18日、海上自衛隊観艦式に出席、自衛隊最高指揮官として訓示している。 

 安倍晋三「本日の観艦式に臨み、堂々たる艦隊、整斉たる航空機、そして高い練度を示す隊員諸君の凛々しい姿に接し、自衛隊の最高指揮官として、大変心強く、頼もしく思います。

 海に囲まれ、海に生きる。海の安全を自らの安全とする国が、日本です。我々には、「自由で、平和な海を守る国」としての責任がある。その崇高なる務めを、諸君は、立派に果たしてくれています。

 この大海原の真ん中にあって、波濤をものともせず、正確無比なる「海の防人たち」の勇姿を目の当たりにし、その感激もひとしおであります。

 荒波を恐れず、乱気流を乗り越え、泥まみれになってもなお、ただ一心に、日本の平和を守り続けてきた、全ての隊員諸君。この困難な任務に就く道を、自らの意思で進み、自衛隊員となった諸君は、日本の誇りであります。

 この夏、先の大戦から、70回目の8月15日を迎えました。

 この70年間、日本は、ひたすらに平和国家としての道を歩んできました。それは、諸君たち自衛隊の存在なくして、語ることはできません。先人たちは、変転する国際情勢のもと、平和を守るために、そして、平和を愛するがゆえに、自衛隊を創設したわけであります。

 残念なことに、諸君の先輩たちは、心無い、多くの批判にさらされてきました。中には、自衛隊の存在自体が憲法に違反する、といった議論すらありました。

 しかし、そうした批判に歯を食いしばり、国の存立を全うし、国民を守るために、黙々と任務を果たしてきた、諸君の先輩たち。現在の平和は、その弛まぬ努力の上に、築かれたものであります。

 相次ぐ自然災害。そこには、必ず、諸君たちの姿がありました。

 先月の関東東北豪雨における、ヘリコプター部隊による懸命の救助活動。逃げ遅れた人々を救うため、危険も顧みず、濁流へと飛び込む自衛隊員の姿は、多くの国民の目に、鮮明に焼きついています。

 豪雪、地震、火山の噴火。自衛隊の災害派遣は、実に4万回に達します。

 そして今や、自衛隊に対する国民の信頼は、揺るぎないものであります。その自信を持って、これからも、あらゆる任務に全力であたってほしいと思います。

 我々には、もう一つ、忘れてはならない8月15日があります。

 『緊急発進せよ』

 16年前の8月15日、宮崎県の新田原基地に、夜明け前の静寂を切り裂く、サイレンが鳴り響きました。

 国籍不明機による領空接近に、近者明宏2等空佐と、森山将英3等空佐は、F4戦闘機でスクランブル発進しました。

 稲妻が轟く悪天候も、上昇性能ぎりぎりの高い空も、二人は、まったく恐れることはありませんでした。

 そして、『目標発見』の声。『領空侵犯は決して許さない』という、二人の強い決意が、国籍不明機を見事に追い詰め、我が国の主権を守りました。

 しかし、その直後、突然、交信が途絶えてしまった。二人が再び基地に戻ることはありませんでした。

 『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える。』

 この宣誓に違うことなく、近者2等空佐と、森山3等空佐は、文字通り、命を懸けて、自衛隊員としての強い使命感と責任感を、私たちに示してくれました。

 アジア太平洋地域における諸君の確固たるプレゼンスが、米国や、志を共にする民主主義諸国とともに、冷戦を勝利へと導き、そして日本の平和を守ってきた。そのことは、歴史が証明しています。

 諸君を前にするたび、私は、一つの言葉を思い出します。

 『雪中の松柏、いよいよ青々たり』

 雪が降り積もる中でも、青々と葉をつけ、凛とした松の木の佇まい。いかなる困難に直面しても、強い信念を持って立ち向かう人を、讃える言葉であります。

 ただ、ひたすら、国民のため。その志を抱いて、24時間365日、大きなリスクもいとわず、任務を全うする。諸君の崇高なる覚悟に、改めて、心から敬意を表します。

 どうか諸君には、これからも、どんな風雪にもビクともしない、松の木のごとく、いかなる厳しい任務にも耐えてもらいたい。そして、常に、国民のそばにあって、安心と勇気を与える存在であってほしいと願います。

 遥かかなた、アフリカ・ソマリア沖。海の大動脈・アデン湾は、かつて、年間200件を上回る、海賊襲撃事案が発生していた、危険な海でした。

 ここを通過する、ある船の日本人船長は、海賊への不安を口にする乗員やその家族にこう語ったそうであります。

 『海上自衛隊が護ってくれるから大丈夫だ。安心していいんだ。』

 今年ついに、海賊による襲撃事案はゼロになりました。諸君の献身的な努力の結果であり、世界に誇るべき大成果であります。

 そして、戦後初めて、自衛隊から多国籍部隊の司令官が誕生しました。これは、これまでの自衛隊の活動が、国際的に高く評価され、信頼されている、何よりの証でありましょう。

 先日来日したフィリピンのアキノ大統領は、国会で演説を行い、このように語っています。

 『かつて、戦艦『伊勢』が、史上最大の海戦に参加するため、フィリピンの海域を航行しました。』

 『しかし、2年前の台風の時、同じ名前の、護衛艦「いせ」は、救援、思いやり、そして連帯を、被災者に届けてくれた』のだと。

 これまでの自衛隊の国際協力は、間違いなく、世界の平和と安定に大きく貢献している。大いに感謝されている。世界が、諸君の力を、頼みにしています。

 その大いなる誇りを胸に、諸君には、より一層の役割を担ってもらいたいと思います。

 さて、本日の観艦式には、オーストラリア、フランス、インド、韓国、そしてアメリカの艦艇が参加してくれています。全ての乗組員の皆さん。はるばる御参加いただき、ありがとうございます。

 また、本日は、アメリカの空母ロナルド・レーガンも、日米共同訓練の途中、姿を見せてくれました。東日本大震災の時、被災地に駆けつけてくれた、「トモダチ」であります。今月から、横須賀を母港に、再び日本の守りに就いてくれる。ありがとう。ようこそ日本へ。心から歓迎します。

 日本は、皆さんの母国をはじめ、国際社会と手を携えながら、『自由で平和な海』を守るため、全力を尽くします。『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄に、これまで以上に貢献していく決意であります。

 『平和』は、他人から与えられるものではありません。自らの手で勝ち取るものであります。

 イギリスの元首相・チャーチルは、ヨーロッパがミュンヘン会談など安易な宥和政策を重ねながら、最終的に第二次世界大戦へと進んで行ってしまった、その道のりを振り返り、次のように述べています。

 『最初はすべてが容易であったが、後には事態が一段と困難になる』。そして、この戦争ほど『防止することが容易だった戦争は、かつて無かった』。こう反省しています。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。そのために、私たちは、常に、最善を尽くさなければなりません。国際情勢の変化に目を凝らし、必要な自衛の措置とは何かを考える。そして、不断に抑止力を高め、不戦の誓いをより確かなものとしていく。

 私たちには、その大きな責任があります。

 日本を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。望むと望まざるとに関わらず、脅威は容易に国境を越えてくる。もはや、どの国も、一国のみでは対応できない時代です。

 そうした時代にあっても、国民の命と平和な暮らしは、断固として守り抜く。そのための法的基盤が、先般成立した平和安全法制であります。積極的な平和外交も、今後、一層強化してまいります。

 私たちの子どもたち、そして、そのまた子どもたちへと、『戦争のない平和な日本』を引き渡すため、諸君には、さらなる任務を果たしてもらいたいと思います。私は、諸君と共に、その先頭に立って、全力を尽くす覚悟であります。

 御家族の皆様。

 大切な伴侶やお子様、御家族を、隊員として送り出して下さっていることに、最高指揮官として心から感謝申し上げます。

 皆さんの支えがあるからこそ、彼らは全力を出し切って、国民の命と平和な暮らしを守ることができる。本当に、ありがとうございます。彼らがしっかりと任務を遂行できるよう、万全を期すことを、改めて、お約束いたします。

 さらに、常日頃から自衛隊に御理解と御協力をいただいている御来賓の方々をはじめ関係者の皆様に対しても、この場を借りて、感謝申し上げたいと思います。

 隊員の諸君。

 諸君の前には、これからも、荒れ狂う海が待ち構えているに違いない。しかし、諸君の後ろには、常に、諸君を信頼し、諸君を頼りにする、日本国民がいます。

 私と、日本国民は、全国25万人の自衛隊と共にある。その誇りと自信を胸に、それぞれの持ち場において、自衛隊の果たすべき役割を全うしてください。大いに期待しています。

 平成27年10月18日 自衛隊最高指揮官内閣総理大臣 安倍晋三」(以上)

 「我々には、『自由で、平和な海を守る国』としての責任がある。その崇高なる務めを、諸君は、立派に果たしてくれています」と言い、そして「荒波を恐れず、乱気流を乗り越え、泥まみれになってもなお、ただ一心に、日本の平和を守り続けてきた」と褒め称えている。

 確かに政府は「『自由で、平和な海を守る国』としての責任がある」。そのことの理解は一国のリーダーとして当然である。だが、国を守る責任は一義的には国民の意志を受けた政治の意志が果たすべき務めであり、軍隊はそのような政治の意志を自らに反映させ、その意志を自らに与えられた職務によって遂行する一つの組織に過ぎない。

 当然、軍隊の役割は政治の意志を反映させた職務の範囲内にとどまることになる。

 軍隊の役割が政治の意志を反映させた職務の範囲内にとどまらない無関係なものであったなら、軍部は政治から独立した組織ということになって、いわば文民統制を外れた存在となり、軍部独裁か、政治と軍隊が対等な二頭体制か、いずれかを国家体制とすることになり、戦前の日本では許されるが、戦後の日本に於いては非常に危険な、民主主義に反する関係ということになる。

 自衛隊が政治の意志を常に反映させた一つの存在にとどまらなければならない以上、「日本の平和を守り続けてきた」主語は国民の意志を受けた各歴代政府に置かなければならないはずだし、現実にもそのとおりなのだが、安倍晋三は自衛隊という軍隊に置いている。

 このような主語の使い方は訓示の際、自衛隊最高指揮官内閣総理大臣と名乗っているのだから、自衛隊が政府行政機関所属の一つの組織に過ぎないことを弁えていながら、政府と自衛隊の関係を逆転させるかのような軍事優先の思想をどこかに潜ませているからだろう

 何日か前のブログに国の存立を担うのは政治・経済・社会・文化・教養等々の国民の総合力だと書いたが、主語を自衛隊に置いて、自衛隊が「日本の平和を守り続けてきた」とするのは政府を脇に置き、国民を脇に置いているのだから、どう考えてもおかしい。まるで軍事国家さながらの様相となる。 

 この主語を置き換える軍事優先の思想はスクランブル発進した自衛隊機が「我が国の主権を守りました」と言っている言葉にも現れている。 

 「16年前の8月15日、宮崎県の新田原基地に、夜明け前の静寂を切り裂く、サイレンが鳴り響きました。

 国籍不明機による領空接近に、近者明宏2等空佐と、森山将英3等空佐は、F4戦闘機でスクランブル発進しました。

 稲妻が轟く悪天候も、上昇性能ぎりぎりの高い空も、二人は、まったく恐れることはありませんでした。

 そして、『目標発見』の声。『領空侵犯は決して許さない』という、二人の強い決意が、国籍不明機を見事に追い詰め、我が国の主権を守りました。

 しかし、その直後、突然、交信が途絶えてしまった。二人が再び基地に戻ることはありませんでした。

 『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える。』

 この宣誓に違うことなく、近者2等空佐と、森山3等空佐は、文字通り、命を懸けて、自衛隊員としての強い使命感と責任感を、私たちに示してくれました」――

 「Wikipedia」がスクランブル発進について次のように解説している。

 〈防空識別圏における識別不明機に対する対応手順は以下の順となっている。
 レーダーサイト(軍事用レーダーの地上固定局)が、防空識別圏(各国が防空上の必要性から領空とは別に設定した空域)に接近している識別不明機を探知する。
提出されている飛行計画との照合する。

 レーダーサイトが当該機に航空無線機の国際緊急周波数121.5MHzおよび243MHzで日本国航空自衛隊であることを名乗り、英語または当該国の言語で領空接近の通告を実施する。
戦闘機をスクランブル発進させて目視で識別する。

 戦闘機からの無線通告をする。

 「貴機は日本領空に接近しつつある。速やかに針路を変更せよ。」

 領空侵犯の無線警告と、当該機に向けて自機の翼を振る「我に続け」の警告を見せる。

 「警告。貴機は日本領空を侵犯している。速やかに領空から退去せよ。」

 「警告。貴機は日本領空を侵犯している。我の指示に従え。」

 「You're approching to Japan airdomein. Follow my guidance」

 「トリィ チェピーリ ボジューノ イジーイズ ゾーナ イポーニ」(ロシア語)

 警告射撃を実施する。

 自機、僚機が攻撃された場合、国土や船舶が攻撃された場合は、自衛戦闘を行う。

 但し、自衛隊法第84条には「着陸させる」か「領空外へ退去させる」の二つしかなく、軍用機による侵犯行為であっても、それに対する攻撃について明確な記述はない。ただし、自機や国土に対する正当防衛の観点から、スクランブルの際に2機編成で対処中に1機が攻撃を受けた場合、もう1機が目標に対して攻撃を加えることは可能である。その一方で、侵犯機がスクランブル対処機以外の航空機や海上の護衛艦、地上の部隊等に攻撃を加えた場合、パイロットの判断でこれを撃墜することは難しい。〉――

 外国から侵略を受けて、各種インフラや建物が破壊されながら、その攻撃を撃退して「我が国の主権を守りました」と言うなら、理解できる。単に領空侵犯外国機に対して緊急発進をし、無線で領空に侵入しないように警告を発する。既に領空侵犯していたなら、領空からの退去を指示する。その職務を無事果たし終えたことを、「我が国の主権を守りました」と言っている。

 自衛隊の役割に過剰なまでの意味づけを行っているところに、主語を歴代政府に置くところを自衛隊という軍隊に置いているのと同じ軍事優先の思想を見ないわけにはいかない。

 そして、「国民の命と平和な暮らしは、断固として守り抜く。そのための法的基盤が、先般成立した平和安全法制であります」との表現で、恰も平和安全法制のみが国民の命と平和な暮らしを守る法的基盤だとしているところにも、軍事優先の思想を見ないわけにはいかない。

 繰返しになるが、国を守る責任は一義的には国民の意志を受けた政治の意志が果たすべき務めであり、自衛隊はそのような政治の意志を自らに反映させ、その意志を自らに与えられた職務によって遂行する一つの組織にとどまる。

 安倍晋三は国民と政府と自衛隊のこのような関係を無視して、平和を守るのも、国民の命を守るのも、さも自衛隊であるかのようにその主語を自衛隊に置いて、自衛隊の役割に過剰なまでの意味づけを与えている。

 民主国家のリーダーでありながら、軍隊という存在に対するこの過剰なまでの意味づけは非常に危険な軍事優先の思想そのものである。

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国会審議は国民への政策説明を兼ね、安倍晋三の臨時国会見送りは説明責任からの逃避・国民の存在軽視に相当

2015-10-20 09:56:49 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《10月19日 小沢代表、民主党岡田代表と参院選の選挙協力について会談後の記者会見動画案
      内》
    

      小沢一郎代表が10月19日、国会内で民主党の岡田代表と党首会談を行い、来年の参院選の野党共
      闘について協議しました。会談終了後の小沢代表の記者会見動画をホームページに掲載しました。
      是非ご覧ください。

 政府・与党が安倍晋三首相の外遊日程が立て混んでいること、年末の予算編成等を理由に臨時国会召集を見送る方針を固めた。官房長官の菅義偉は10月16日午前の記者会見で「首相の外交日程を優先しなければならない」と説明したそうだ。

 年間を通じて臨時国会が開かれなければ2005年以来、10年ぶりだとマスコミが伝えていた。

 対して野党は10月19日、民主党、維新の党、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたち、参議院の会派の「無所属クラブ」の幹事長らが国会内で会談、内閣改造やTPP=環太平洋パートナーシップ協定等々議論すべき課題が山積しているとして政府・与党に臨時国会の召集を強く求めていくことで一致したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。 

 この3日前、10月16日には民主、維新、共産、社民、生活の野党5党が安保法案に反対した諸団体と「意見交換」を行い、安保法案に対する今後の対応を検討している。

 安保法案に反対した諸団体とは次のとおりである。

 「安全保障関連法に反対する学者の会」
 「安保関連法に反対するママの会」
 「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」
 「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」
 「立憲デモクラシーの会」
 「日本弁護士連合会」

 枝野民主党幹事長「まだ手続きが本当に有効なのかという問題は残るが、安保法制が成立したことにされている。立憲主義・民主主義・法治主義を破壊させてはいけないという一点では、ここにいる全員が一致することができるのではないか。その一致点を確認しながら、お互いに意見交換・情報交換をしていきたい」

 要するに安倍晋三が成立させた集団的自衛権の憲法解釈による行使容認をも含めた今回の安保法制に関わる合憲性如何を問い続けていくとしている。そして意見交換会を今後も定期的に開催していくことを決めた。

 普天間基地の辺野古移設問題や仲井真前沖縄県知事の辺野古沖埋め立て承認と翁長現沖縄県知事のその承認の取消し問題で揺れている沖縄の3区を選挙区とする「生活の党と山本太郎となかまたち」の玉城デニー幹事長が挨拶している。

 玉城デニー幹事長「普天間からの基地移設が予定されている辺野古を選挙区にもつ沖縄三区選出の衆議院議員玉城デニーです。

 本日、皆さんからいろいろなご意見を伺いまして、本当にお互いの気持ちはほとんど一致しているのだと思いました。あとはその一致している気持ちをどこで「結わえるか」、ということだと思います。この「結わえる」ということが最も肝心なところですが、そこで沖縄での選挙戦を思い出し、皆さんにぜひ参考にしていただきたいと思います。

 2013年12月27日に、当時の仲井眞知事が政府に対して辺野古の埋立てを承認しました。その時に3500億円規模の交付金を政府に約束させ、仲井眞前知事は「これでいい正月が迎えられるだろう」と言いました。ところが、この「いい正月が迎えられる」という言葉に対して、沖縄県民は金目の問題ではないと大きく怒ったわけです。

 2014年正月元旦に多くの県民の皆さんが昇る朝日に向かって誓ったのは、絶対に仲井眞知事を倒すといことでした。そして1月に行われた名護市長選で、オール沖縄という、いま皆さんが言っている野党共闘という形が「結わえた」のです。その年の9月には沖縄県知事選の前哨戦となる統一地方選挙があり、名護市市議会でも、いわゆる辺野古移設反対の議員さんが過半数を取りました。そして、11月の県知事選では移設容認派の仲井眞知事に10万票の大差をつけて翁長現知事が当選したのです。

 その知事選のさなかに、安倍首相が衆議院を解散して総選挙になりますが、ここまで戦って来たオール沖縄という構図が総選挙に向かってそのまま突き進んでいくことになります。これは暗黙の了解というか、あうんの呼吸というか、自然の流れでした。

 オール沖縄で選挙戦を戦った結果、沖縄の4選挙区から出た非自民候補は全員当選し、自民党議員は全員が小選挙区で負けたのです。争点は非常に簡単です。仲井眞前知事がやったことに賛成か反対か、どちらを選ぶかです。県内の有権者の7割が辺野古移設に反対ですから、当然反対派が勝ちます。

 残念なことに2014年の衆議院選では、負けた自民党議員全員が比例復活しました。しかし、参院選で比例復活はありません。来年の参院選で自公と一騎打ちの構図ができれば、まさにどちらを選ぶかというシンプルな戦いになります。ですから、国民の皆さんが絶対非自民の候補者を勝たせると応援してくだされば、必ず安倍政権を倒す事ができるのです。

 沖縄での勝利の実感を持ってみんなで戦えば、必ず勝てると思います。沖縄に学べというと少し僭越ですが、沖縄と並ぼうとみんなに声をかけていけば必ず「結わえる」ことができ、勝利することができると思います」――

 こう見てくると、臨時国会を開いて審議が必要なのは内閣改造やTPP問題でではなく、安保法に関して憲法学者による憲法違反の指摘や世論調査で「評価しない」、あるいは「憲法違反である」、「国民への説明が不十分」と見ている国民が半数以上を占めていることを考え併せると、安保法、さらに沖縄の基地問題も含めて審議が必要となっていく。

 このように審議が必要な問題が山積しているにも関わらず安倍政権が臨時国会開催を見送る方針を固めた。 

 この方針を阻止するために野党民主党は憲法53条を使って臨時国会開催に漕ぎつけようとしている。

 日本国憲法第53条は、〈内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。〉と定めている。

 衆議院では民主党(72人)と共産党(21人)に大坂系以外の維新の党から26人が加われば4分の1に達するという。

 但し当該要求があってからいつまでに召集を決定しなければならないのか期限を定めた条項がないことと、合理的な期間内に常会(通常国会)が召集される場合には臨時国会を召集しなくても憲法違反にはならないとしている政府見解を楯に見送りも可能だという。

 このことを承知した上での政府与党の臨時国会見送り方針なのだろう。

 だが、断るまでもなく国会審議は与野党議員による政策等の検討や可否の議論の機会の場に限られているわけではなく、審議・議論を通じた国民への説明の重要な機会であり、重要なその責任を与野党議員及び首相以下の閣僚が共に担っている。

 安保法制に対して国民の多くが違憲ではないかと疑義を感じている以上、その法の成立を既成事実化するのではなく、臨時国会審議を通じた国民への説明だけではなく、参加国が合意に達したTPPの臨時国会審議を通じた国民への説明、つい最近安倍晋三が掲げた「1億総活躍社会」とは何か、その具体策等、臨時国会審議を通じた国民への説明等々の責任を政府は負っているはずである。

 特に安保法制に関しては安倍晋三は安全保障関連法の成立を受けた10月19日未明、首相官邸で記者団に次のように発言している。

 安倍晋三「平和安全法制は国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な法制であり、戦争を未然に防ぐためのものだ。子どもたちや、未来の子どもたちに平和な日本を引き渡すために必要な法的基盤が整備されたと思う。今後も積極的な平和外交を推進し、万が一への備えに万全を期していきたい。

 今回、参議院においては、野党からも複数の対案が提示され、議論も深まったと思う。民主的統制をより強化するうえにおいての合意が野党3党となされた。与党だけではなくて、野党3党の賛成も得て、より幅広い皆様の支持のもとに、法案を成立させることができたと思う。今後も国民の皆様に、誠実に、粘り強く説明を行っていく考えだ」(NHK NEWS WEB

 本人は「平和安全法制は国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な法制であり、戦争を未然に防ぐためのものだ」と言っているが、国民の半数以上はそうは取っていない。

 そうであるなら、最後に「今後も国民の皆様に、誠実に、粘り強く説明を行っていく考えだ」と言った以上、国会審議の機会を設けて、「国民の皆様に、誠実に、粘り強く説明」を行うべきだが、それを来年1月の通常国会に回そうとしている。

 言ってみれば、国民への説明を言いながら、その舌の根も乾かない内に説明責任を撤回させた。

 安倍晋三のこの10月19日の発言の翌日の10月20日日曜日のNHK「日曜討論」では政調会長の稲田朋美が同じ趣旨の発言をしている。 

 稲田朋美「『平和安全法制』は、今の日本を守るためにも、世界の平和に貢献するためにも必要であり、衆参両院で200時間以上審議し、参議院では野党3党を含めて、10党のうち5党が賛成ということで、採決はやむをえなかった。ただ、様々な指摘があるのも事実なので、色々な機会に説明を続けることを、政府・与党一体となってやっていきたい」(NHK NEWS WEB

 衆参で何時間審議しようとも納得していない国民の方が過半数以上を占めている。つまり稲田が主張している必要性を国民の多くは必要性とは認めていない。それが「様々な指摘」と言うことであり、「色々な機会に説明を続ける」と積極的な姿勢を示している以上、その約束を果たして早い機会を設けるべきを安倍晋三と同様、舌の根を乾かそうとしている。

 安倍晋三が外遊を優先させて臨時国会の開催を見送ることは国民に対する各政策に関する説明責任からの逃避であって、国民の存在を軽視する処置に他ならない。

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高市早苗の靖国参拝、歴史認識が近親相姦関係にある安倍晋三と同様、「歴史から何も学ぶな」の愚民視意識

2015-10-19 10:27:02 | 政治


 2015年10月18日、高市早苗が秋季例大祭に合わせて靖国神社を参拝したという。記帳は「総務大臣 高市早苗」。一国務大臣に過ぎなくても、日本国家を代表している気分で参拝したに違いない。

 玉串料は私費で納めたという。国費で収めて、公的参拝だ、政教分離に反するだと騒がれるのを避けたのだろう。だが、記帳の肩書は「総務大臣」と公的な肩書を使う。 

 参拝後、待ち構えていた記者団に発言している。きっと神々しさを自意識した誇りを内に秘めていたのではないだろか。

 高市早苗「後世における(戦争の)評価と、国策に殉じられた戦没者の慰霊は分けて考えるべきだ。私は一人の日本人として、国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げた」(asahi.com/2015年10月18日12時50分)   
 
 「後世における(戦争の)評価と、国策に殉じられた戦没者の慰霊は分けて考えるべきだ」――

 初めて口にした靖国参拝正当化理論に思えるが、不勉強で、過去にも口にしていたのかもしれない。

 要するに日本の過去の戦争を後世、間違っていた戦争だと、どのように否定的に評価しようが、戦没者の慰霊は分けて考えて、後世の国民の正しい務めとしなければならないと認識していることになる。

 この認識が既に証明していることだが、では、高市早苗は日本の戦争を否定的に評価しているのだろうか、肯定的に評価しているのだろうか。

 「国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げた」――

 断るまでもなく、「国策」とは日本の戦前の戦争政策を指す。

 高市早苗が「心から感謝の気持ちを捧げた」参拝の対象は「国策に殉じられた御霊」である。つまり御霊が殉じた(任務や信念などのために命を投げ出した)「国策」を誤った戦争政策だったとしているだろうか。

 誤った戦争国策だとした場合、御霊は誤った戦争の国策のために殉じた(命を投げ出した)ということになって、御霊の生前の判断能力に疑義を呈することになる。

 それとも国策に関しても、「後世に於ける評価に関係せずにどのような国策に対しても国民は殉ずるべきで(命を投げ出すべきで)、正しい正しくないは分けて考えるべきだ」としているのだろうか。

 だが、この主張は論理的に決して成り立たない。どのような政策でも国民は正しい、正しくないかを考えずに従えと命令することと同じになり、独裁性を意志していることになるからだ。

 「国策に殉じられた」(命を投げ出した)としている以上、戦争の「国策」は正しかったと価値づけていなければならない。少なくとも間違ってはいなかったと認識しているはずだ。

 要するに高市早苗自身は日本の戦前の戦争・戦前の戦争の国策を間違っていなかったと肯定的に評価していながら、だからこそ、「国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げ」る参拝行為が可能になるのだが、そうであるなら、「戦争の国策は間違っていなかったのだから、そのような国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持を捧げるのは正しいこととしなければならない」と言うべきところを、戦争の国策は間違っていなかったと信念していることを隠して、「後世における(戦争の)評価と、国策に殉じられた戦没者の慰霊は分けて考えるべきだ」としているのだから、ここにご都合主義を見ないわけにはいかない。

 また、高市早苗自身が日本の戦前の戦争・戦前の戦争の国策を間違っていなかったと肯定的な評価を下していながら、それらに対する後世の否定的な評価と靖国参拝は分けて考えるべきだとするご都合主義は否定的な評価を下す国民に戦争自体・国策自体から何も学ぶなと宣告しているに等しい。

 学んで得た否定的な評価をなかったこととして靖国神社を参拝し、「国策に殉じられた御霊に対して心から感謝の気持ちを捧げよ」と言っているのと同然だからだ。

 高市早苗のこの戦争自体・国策自体から何も学ぶなの宣告は、歴史認識で近親相姦の間柄にある安倍晋三にふさわしいことと言うことができるが、自著「美しい国へ」で書いていた、「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」の歴史認識論と極めて双子の関係にある。

 一部を引用してみる。

 〈たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任はときの指導者にある。だが、昭和17、8年の新聞には「断固、戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権とするなか、マスコミを含め民意の多くは軍部を支持していたのではないか。〉

 〈この国に生まれ育ったのだから、私は、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっと大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考え始めていた。〉――

 要するに当時の日本国民は軍部を支持していた。そのような国民の視点で歴史を見つめ直すべきだと言っている。今の時代に生きている人間の視点は必要ではないと。

 と言うことは、当時の新聞やラジオや政府が情報として発した記録資料をそのまま再現してそのままに歴史を組み立るのが正しい歴史解釈だとしていることになる。

 歴史とは時代時代に生きてきた人間がどう生きてきたかの記録ではあるが、同時にその記録を次の時代に生かす学習資料でもある。

 当然、学び、どう生かすかは後世の時代に生きている人間の歴史に向ける視点を必要とすることになる。

 だが、安倍晋三が歴史解釈はその時代に生きた国民の視点のみで足りる、今の時代に生きている人間の視点は必要ではないとしていることは後世の人間は何も学ぶなの宣告と何ら変わらない。

 安倍晋三であろうと、高市早苗であろうと、歴史から何も学ぶなとするのは国民の歴史認識に関わる正常な思考の停止を内心は望んでいるからに他ならない。戦前という時代に生きた日本国民の視点のままでいるべきだと。

 天皇陛下のため・お国のために戦って尊い命を捧げ、靖国に英霊として祀られるとする戦前の日本国民の視点を支配していた靖国思想を後世に於いてもそのまま引き継ぎ、英霊の尊い犠牲を讃えよと。

 国家権力側のこの何も学ぶな――思考停止への願望に国民に対する愚民視意識がないと言ったらウソになるはずだ。

 大体が戦前の日本国家とその戦争の国策迄含めて肯定的に把えている自分たちの歴史認識を現在の日本に於いても通用させようとしていること自体が既に愚民視意識の現れと見る他はない。

 そのような歴史認識者が一国の首相を務め、国務大臣を務めている。

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安倍晋三は自衛隊と絡めて「国民の命と平和な暮らしを守り抜いていく」などと言わない方がいい

2015-10-18 07:13:57 | 政治


 2015年10月17日、安倍晋三が防衛省で開催の2015年度自衛隊殉職隊員追悼式に参列、挨拶している。

 殉職者は勤務中に事故や病気等で死亡した自衛隊員だそうだが、中にはイジメで自殺した自衛隊員も含まれているのだろうか。

 挨拶は首相官邸サイトに載っている。「NHK NEWS WEB」記事がによると、防衛相の中谷元が今年2月にヘリコプターでの訓練飛行中に宮崎県の山中に墜落・死亡した海上自衛隊男性隊員3人を含む27人の名簿(NHKニュースで見ていたら、金色をした金属製の1枚の銘板のようだった。)を慰霊碑に納めたと解説していた。 

 気になった発言には文飾を施した。


 安倍晋三「平成27年度自衛隊殉職隊員追悼式に当たり、国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた自衛隊員の御霊に対し、ここに謹んで、追悼の誠を捧げます。

 この度、新たに祀られた御霊は、27柱であります。

 御霊は、それぞれの持ち場において、強い責任感を持って、職務の遂行に、全身全霊を捧げ、自衛隊員としての誇りと使命感を、自らの行為によって示されました。

 このような誇り高き有為な方々を失ったことは、自衛隊にとって、そして我が国にとって、誠に大きな痛手であります。

 御遺族の皆様の、深い悲しみに思いを致す時、お慰めの言葉もありません。

 私どもは、このような不幸な事態が再び起きることの無いよう、最善の努力を尽くしてまいります。

 御霊は、立派に使命を果たし、この国のために尽くし、大きな足跡を残されました。

 私たちは、その勇姿と名前を、永遠に心に刻みつけていきます。

 これまでに祀られた、1878柱の御霊を前にして、その尊い犠牲を無にすることなく、御遺志を受け継ぎ、いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜いていく。

 そして、世界の平和と安定に寄与するため、全力を尽くすことを、ここに、固くお誓いいたします。

 いま一度、殉職者の御霊の安らかならんことを、そして、御遺族の皆様の御平安と末永い御健勝をお祈り申し上げ、追悼の辞といたします」――

 確かに国家自体が安全保障上の危機に迫られているとき、あるいは戦前のように政治が、あるいは軍隊自らが安全保障上の危機をつくり出したときのような状況に見舞われた場合、自衛隊は直接的に前面に立って「国の存立を担う」ことになる。

 だが、そういったとき以外は「国の存立」は国民全体が結果として協同で担うことによって成り立ち可能となる。政治・経済・社会・文化・教養等々の総合力が国を存立させ、国の姿を決めていく。

 勿論、軍事力が存在するから、他国からの侵略を防いでいるという考え方もあるが、それでもなお、国民の総合力が「国の存立」を確定していくはずである。

 それが証拠に国家の経済が成り立たなければ、軍事力は満足には成り立たなくなる。無理に成り立たせようとすると、北朝鮮みたいな国家となる。

 国家主義者の安倍晋三が麗々しく「国の存立を担う崇高な職務に殉ぜられた自衛隊員の御霊」と言うと、自衛隊員だけが「国の存立を担う」存在であるかのように聞こえる。

 いわば「国の存立を担う」者として特別な存在と見ることに他ならない。

 危険なのはそういった特別な存在と見ることが自衛隊員をして自分たちを特別な存在だと思わせかねないことであろう。特別な存在だと思い込んだとき、自身を絶対視し、自分のやることなすこと全て正しいと信じるようになり、結果、合理的判断能力を欠くことになる。

 戦前の日本の軍人は自らを天皇の軍隊・天皇の兵隊として特別な存在だと思い込み、国民も特別な存在だと特別扱いしたものだから、思い上がって自分たちを絶対視することになって合理的判断能力を欠いた集団と化し、結果、それが間違っていても、上官の言うことは絶対という教条主義・精神主義に支配されることになり、最終的には軍隊や軍人としての存在理由を玉砕という精神主義からの一つ覚えの突撃にしか置くことができなくなった。

 そうすることが「天皇陛下のため」、「お国のため」だと思い込んだ。

 旧日本軍は、上官をも含めて軍人単位では「国の存立を担う崇高な職務」を担っていたと自負していただろうし、日本国民もその崇高な職務ゆえに「国の存立」を託していたのだろうが、アジアの国々に侵略し、多くの外国人と外国人兵士を犠牲にし、なお且つ日本の国土を破壊し、兵士のみならず多くの国民を犠牲にして、結果的に「国の存立」を危うくした。

 だが、戦後に生きた日本人はGHQが与えた民主主義の元、国を再興し、発展させ、現代国家へと生まれ変わらせることができた。国民が協同して戦後に於ける「国の存立」を全うしたのである。

 「国の存立」は自衛隊だけが担うものではなく、また政府だけが担うものではない。

 自衛隊だけを、あるいは自衛隊員だけを「国の存立を担う崇高な職務」に就いた特別な存在だと見る合理的な判断能力の万が一の喪失の危険性に常に留意しなければならない。

 安倍晋三は殉職した自衛隊員の「御霊は、それぞれの持ち場において、強い責任感を持って、職務の遂行に、全身全霊を捧げ、自衛隊員としての誇りと使命感を、自らの行為によって示されました」と高く価値づけながら、そのような職務・行為を「私どもは、このような不幸な事態が再び起きることの無いよう」にと、「不幸な事態」だと価値づけている。

 殉職者は勤務中の事故死や病死の自衛隊員と言うことだから、そのような不本意な死を「不幸な事態」とすることは間違っていない価値判断となるが、例え死の瞬間まで、「自衛隊員としての誇りと使命感」を持ち、「強い責任感を持って、職務の遂行に、全身全霊を捧げ」る思いを失っていなかったとしても、例えその思いを汲んだことであったとしても、「自衛隊員としての誇りと使命感を、自らの行為によって示されました」とは言うことはできない。

 例えば殉職者の中に含まれていた今年2月の宮崎県の山中でのヘリコプター訓練飛行中の3人の海上自衛隊隊員の墜落・死亡行為を「自衛隊員としての誇りと使命感を、自らの行為によって示されました」と表現することは許されるだろうか。

 墜落・死亡が操縦の過ちなのか、エンジン、その他の機器の不具合によって起きた操縦不能であったのか分からないが、そのような自らの墜落・死亡行為によって「自衛隊員としての誇りと使命感」を示したということになるからである。

 もしこのような表現が許されるとしたなら、如何なる行為をも、つまり何でもかんでも、「自衛隊員としての誇りと使命感」を示したものとすることになって、やはり特別な存在とすることになる。

 いや、安倍晋三自身が自衛隊及び自衛隊員を特別な存在と見ているからこそ、安全保障上の危機の存在の有無に関わらず、自衛隊や自衛隊員だけが担っているわけではない「国の存立」を、さも自衛隊や自衛隊員だけが担っているかような表現となり、病死や事故死等、どのような殉職行為であっても、何でもかんでも「自衛隊員としての誇りと使命感を、自らの行為によって示され」たものだと、さも特別な存在であるかのような賛辞を送ることができるのだろう。

 安倍晋三は「これまでに祀られた、1878柱の御霊を前にして、その尊い犠牲を無にすることなく、御遺志を受け継ぎ、いかなる事態にあっても、国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜いていく」と、「国民の命と平和な暮らし」を守ることを自衛隊、もしくは自衛隊員の意志としているが、何も自衛隊あるいは自衛隊員だけが「国民の命と平和な暮らし」を守るわけではないのだから、ここにも自衛隊、もしくは自衛隊員を特別な存在とする絶対視を窺うことができる。

 安全保障上の危機の有無に関係なく、「国の存立を担う」のも、「国民の命と平和な暮らし」を守るのも自衛隊や自衛隊員だけであるかのように言い、そこに国民協同の視点を欠いていることは自衛隊、もしくは自衛隊員を特別な存在とする絶対視の精神を安倍晋三が抱えているからであり、こういった絶対視が戦前の日本の歴史に見てきたように時に軍隊の横暴・暴走を招くことになる。

 安倍晋三は自衛隊と絡めて「国民の命と平和な暮らしを守り抜いていく」とか、「国の存立を担っている」などと言わない方がいい。

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安倍政権の今迄手つかずにきた振り構わない無節操な内部留保云々はアベノミクス失敗の証明

2015-10-17 11:28:04 | Weblog


 安倍晋三は2015年10月16日、首相官邸で第1回の「未来投資に向けた官民対話」を開催した。企業収益が過去最高となったから、設備、技術、人材に対して積極的に投資してくれと、お願いの形を装わせた強い要請が目的だったようだ。

 この要請の背景として2014年度の企業の内部留保(利益剰余金額)が354兆円に上っているのに対して設備投資額が40兆8373億円、10年前の内部留保対設備投資額で見ると、率にして19%少なくなっていると、「NHK NEWS WEB」が伝えている。 

 記事は財務省の統計として、昨年度・平成26年度の国内企業の「経常利益」は過去最高の64兆円にのぼると伝えている。

 設備投資は景気回復・維持の大きな要となっている。その設備投資が内部留保は溜まる一方でありながら、実体経済牽引の効果を見い出す程には増えていない。

 と言うことなら、お願いの裏を返すと、賃上げが政府の要請でどうにか実現できたように設備投資の増額まで政府要請の形を取らなければならないのだから、アベノミクス3本の矢を大々的に掲げた手前、表面的には窺わせなかったとしても、安倍晋三に焦りがなかったと言ったらウソになる。

 記事が紹介している麻生太郎副総理兼財務相の全国信用組合大会挨拶の企業に対する設備投資に向けた余りにもストレート過ぎる露骨な要請が安倍内閣の焦りを逆説的に象徴しているはずだ。

 麻生太郎「企業の内部留保は安倍内閣がスタートしてから1年目で24兆円、去年は26兆円も増えている。企業は金を貯めるのが目的なのか。企業は儲けた利益を株主への配当や社員の賃上げ、投資に回すべきなのにそれもせず、設備投資は数兆円しか伸びていない」――

 次のロイター記事がこの焦りの傍証となり得る。《ロイター企業調査:アベノミクス評価が失速、「後退・消失」7割超》ロイター/2015年 10月 16日 07:31) 

 〈10月ロイター企業調査によると、アベノミクスの勢いに関して7割超の企業が「後退している」ないし「消失している」とみていることが明らかとなった。「新3本の矢」も含めて効果が不明との指摘が目立っている。景気停滞感が強まる中、日銀による追加緩和については、賛否が拮抗している。〉と、冒頭からアベノミクス効果に否定的な宣告が行われている。

 アベノミクスに対するこのような手厳しい見方は安倍晋三にしても前以て周囲から知らされていたはずで、そういった状況下での「未来投資に向けた官民対話」であり、そこでの設備投資増のお願いなのである。

 内心、焦りがなかろうはずはない。

 焦りの理由は他にもある。

 2014年(平成26年)1月20日、産業競争力強化法の制定に伴って「生産性向上設備投資促進税制」が新設され、生産性を特に向上させると認められた設備投資について、即時償却又は最大5%の税額控除が適用されている。

 即時償却とは初年度に設備投資額分だけ減価償却を一括で行うことができる制度だそうで、それを損金に計上、その分税金が差し引かれるという。

 但し減価償却資産が同じである場合、その耐用年数割で弾き出した減価償却の損金額の合計と一括の減価償却の損金額と等しい値を取るから、資金に余裕のある企業にはそれ程の恩恵ではないそうだが、資金に余裕のない企業には設備投資した時点での一括の減価償却による損金計上は大きな恩恵となるし、又は最大5%の税額控除の適用もそれなりに恩恵の形を取る。

 こういった政策の効果なのだろう、年々設備投資額は増えているが、甘利明経済再生担当相名の《設備投資の現状について》のサイトを見ると、2012年10~12月から2015年4~6月までの約2年半の設備投資額増加率は大企業(資本金10億円以上)は3%増 (0.2兆円増)しかなく、中堅・中小企業(資本金1000万円以上10億円未満)は28%増 (1兆円増)としかなっていない。  

 中堅・中小企業の場合、28%増加していても、一件ごとの設備投資額が小さいから、総額で1兆円という金額になっているのだろう。

 しかも日本で大企業が占める割合は僅か0.3%で、中小企業が99.7%も占める関係から、中小企業が数でこなして設備投資額がかなりのしてもいいはずだが、28%増の金額で1兆円しか増加していない。

 要するにアベノミクスが仕掛けた数々の経済政策は全体的には功を奏していない。だから、2015年10月ロイター調査にアベノミクスに対する否定的評価が現れることになった。

 そこで2014年度の国内企業の「経常利益」は過去最高の64兆円にのぼり、内部留保(利益剰余金額)が354兆円にも達しているのだから、その内部留保から景気浮揚のためにと言うよりも、アベノミクスに効果を与えるために設備投資に回したらどうかと内心に焦りを隠した限りなくソフト形の直談判に及んだ。

 但し内部留保はそっくりそのまま現金や貯蓄の形での保留だけではなく、売掛金、金銭債権、有価証券の他、土地建物・機械設備といった固定資産など様々な資産形態を取って運用されているそうだが、どう運用されていたとしても、内部留保が354兆円にも達することができたのは国内企業が2014年度は過去最高の64兆円にものぼる程の経常利益を上げることができるようになったからであり、このことに関してはアベノミクスの恩恵は最大であった。

 にも関わらず、堂々巡りになるが、企業の利益が内部留保に向かうばかりで、目に見える形で日本の経済を活性化させるまでの設備投資に向かわなかった。

 アベノミクスが企業に与えた恩恵の具体的な内容は周知のように異次元の金融緩和による株高と円安、そして法人税減税などが加わって、企業の大きな利益となって現れた。

 であるなら、株高と円安で企業は大きな利益を上げていたのだから、少なくとも法人税減税までは行うべきではなかったのではないだろうか。

 行うべきではなかったと考えざるを得ないその一つが法人税率30%を1.95%引き下げた上で、課税標準法人税額に10%掛けて徴収していた課税期間2012年4月1日から2015年3月31日までの復興特別法人税1年前倒し(2014年3月31日)の廃止である。

 2012年度の全企業の内部留保は304兆1千億円。2013年度は327兆5千億円。23兆1千億円も増加しているのだから、2014年3月31日で復興特別法人税を1年前倒しで廃止する必要はなかったはずである。

 一方の2013年(平成25年)1月1日からの25年間、税額に2.1%を上乗せして国民個人に掛ける復興特別所得税はそのまま維持された。

 ここに国民の利益よりも企業の利益を優先する国家主義を見ないわけにはいかない。

 法人税に対する特別待遇はこればかりではない。現在34.62%(標準税率)の法人実効税率を2015年度で2.51%引き下げて32.11%、2016年度0.78%引き下げて31.33%減税する税制改正大綱を決定している。
 
 株高と円安で大儲けしている企業に盗人に追い銭みたいな形でさらに内部留保を増やすカードを与えたのである。

 このように金融政策や税制で企業利益獲得と内部留保増に協力しながら、ここに来て企業利益と内部留保を問題とする。企業利益が内部留保にばかり回っていると。

 このなり振り構わない無節操自体がアベノミクス失敗の証明そのものに見える。

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安倍晋三のお題目化していることにも気づかずにいつまで言い続けるつもりなのか「タテ割り排除」

2015-10-16 10:48:16 | Weblog


 安倍晋三が10月15日(2015年)、内閣官房に約20人の職員からなる「1億総活躍推進室」を発足させて看板掛けを行い、訓示をしたというマスコミ記事を読んで、翌日首相官邸サイトにアクセスしてみた。 

 アクセスした理由は、看板掛けも訓示も儀式みたいなものだが、マスコミ記事の中に「タテ割りを排し」という言葉を見つけたからだった。民主党政権もそうだったが、その前の自民党政権も「タテ割りを排し、タテ割りを排し」と言い続け、民主党政権から安倍政権に変わっても相変わらず「タテ割りを排し」と言い続けている。

 たいして長い訓示ではないから、全文引用してみる。

 安倍晋三「3年前、安倍政権はスタートいたしまして、『三本の矢』を掲げてデフレ脱却、そして、経済を力強くスタートさせていく、『三本の矢』を力強く放ったわけであります。その結果現在、デフレではないという状況を作り出す、我々は再び力強く成長していくことができるという、自信を取り戻しつつあるわけであります。

 そして、我々のアベノミクスはいよいよ第2ステージに入るわけであります。この成果と果実をしっかりと生かしていかなければいけませんし、更にパワーアップしていく必要もあります。

 我々は『1億総活躍社会』という大きな目標を掲げました。少子高齢化、この現実にしっかりと目を据えながら、この現実から逃れずに、この現実を克服していかなければ、日本の輝ける未来を描いていくことはできないわけであります。

 若者も高齢者も、男性も女性も、困難な問題を抱えている人も、また難病や障害を持った方々も、みんなにとってチャンスのある社会をつくっていく。みんながもう一歩前に出ることができるような、そういう日本に変えていかなければならないわけであります。

 そのために今日から、この『1億総活躍推進室』がスタートしたわけでございます。皆様方には、その一員としての未来を創っていくとの自覚を持って、省庁のタテ割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって、正に未来に向けてのチームジャパンとして頑張っていただきたいと思います。

 名目GDP600兆円も、希望出生率1.8の実現も、そしてまた、介護離職ゼロも、そう簡単な目標ではありません。しかし、今目標を掲げなければならないわけでありますし、目標を掲げていくことによって、新たなアイデアも出てくるわけでありますし、新たな対策も生まれてくるわけであります。どうか皆様方には、知恵と汗を絞っていただきたいと思います。

 皆様方の活躍を強く期待し、私の訓示とさせていただきたいと思います」(以上)

 アベノミクスの第2の矢、第3の矢を満足に機能させることができていないのに相変わらず鼻息だけは荒い。

 「今目標を掲げなければならないわけでありますし、目標を掲げていくことによって、新たなアイデアも出てくるわけでありますし、新たな対策も生まれてくるわけであります」――

 そう、目標は高く掲げよである。

 但し「1億総活躍推進室」という組織を機能させる条件の一つとして、「省庁のタテ割りを排し」と、タテ割り排除を掲げている。

 このことを裏返すと省庁に組織的なタテ割りが存在していて、安倍晋三はそのような省庁のタテ割りが1億総活躍社会実現というプロジェクト推進とその成果創出に障害となることを自覚していて、訓示にタテ割り排除を取り上げたことになる。

 問題は最初に触れたようにタテ割り排除を言い続けることになっていることである。タテ割りが政策遂行に関わるプロジェクト推進や組織運営に障害となることを自覚していながら、タテ割り排除を言い続けなければならないということは、タテ割りをいつまで経っても排除できていない状況が横たわっていることに他ならない。

 つまり政治側が省庁側のタテ割りを排除できるだけの力を持っていないことの証明ともなる。

 タテ割り排除を言い続けている状況を列挙してみる。

 2012 年12 月16 日投開票衆議院議員選挙用のマニフェスト「自民党J-ファイル 2012総合政策集」では自民党が政権を取って、科学技術政策の強力な推進力となることを謳っている。

 「産業の生命線である科学技術を国家戦略として推進し、『価値の創造拠点』とするべく、総合科学技術会議の『権限』『体制』『予算システム』を抜本的に強化し、真の『司令塔』機能へと再構築します。

 具体的には、各省庁の縦割りを排し、強力な予算配分権限を集中させ、適正な評価を行うことができる人材育成とシステムの構築を行います。例えば、素粒子物理分野の大規模プロジェクトであるILC(国際リニアコライダー゛研究所建設)計画等を含む国際科学イノベーション拠点作りに日本が主導的な役割を果たせるなど、再生医療゛や創エネ・省エネ・蓄エネ等の重点分野を産学の知を結集した国家戦略として強力に推進します」――

 要するに政策の推進に必要な条件として各省庁のタテ割り排除を公約に掲げた。

 2013年参院選用のマニフェスト「自民党Jファイル2013総合政策集」

 「復興庁の機能強化と現場のニーズに即した復興交付金の充実

 復興加速のためには、その司令塔となるべき復興庁がしっかりと機能し、エンジンの役割を果たすことが不可欠です。

 わが党は、本年度、被災市町村担当者を中心に復興庁職員を一気に15%増強するなどの体制強化を行うとともに、本年2月、『福島復興再生総局』を設置し、除染をはじめとする福島の復興再生について、復興大臣が統括して指揮を執ることとするなど、各省庁の縦割りを排し、現場主義に徹した対応を行う体制を構築しました。

 今後も、被災地に寄り添うかたちで復興庁の体制強化に努め、復興の加速化に努めます」――

 しかしここでは、「各省庁の縦割りを排し、現場主義に徹した対応を行う体制を構築しました」と、さもタテ割り排除が成功したかのような文言を並べている。

 それが事実なら、「1億総活躍推進室」スタートに際して、「皆様方には、その一員としての未来を創っていくとの自覚を持って、省庁のタテ割りを排し」などと言わなくてもいいことになる。

 そもそもからして復興庁のタテ割りだけ排除できて、他の省庁ができないというのでは矛盾する。断るまでもなく、タテ割りはすべての省庁に亘る問題――官僚社会全体に巣食う弊害だからこそ、「1億総活躍推進室」スタートの訓示でも言うことになったはずだ。

 参議院選挙が後半戦に入った2013年7月13日、安倍晋三は仙台市の街頭演説で自民党党首として復興の加速化に触れている。

 安倍晋三「どうか昨年の今頃を思い出して頂きたいと、思います。なかなか復興から復旧へ(「復旧から復興へ」の間違い)、物事は進んでいきませんでした。先ず私たちが取り組んだこと、それはあの大震災・大災害からの復興を加速、することであります。

 先ず二つのことに取り組みました。一つは、今まで省庁のタテ割りだった。その省庁の縦割りを排して、復興庁に権限を集中をしていく。そしてもう一つは、もう一つは現場でどんどん、東京にいちいちお伺いを立てなくても、決めていくことができるようにするということであります。

 その結果、例えば高台への移転、その計画すら殆どできていなかった。でも、今年に入って、例えば(宮城県)岩沼市に於いては、やっともう、造成に取りかかることができ、我々はこのように、さらに復興を加速化、させて、参ります」――

 ここでは省庁のタテ割り排除がすぐにでも可能であるかのように言っている。

 そうではないことの具体的な証拠を挙げてみる。

 「言論NPO」が全国の有識者約6000人を対象に震災から4年経過した今年2015年3月26日から3月27日の期間で行った東日本大震災に関わる「有識者アンケート」から主なところを拾ってみる。 

 「復興の司令塔と期待された復興庁が被災地域の復興に向けて機能しているか」

 「機能していない」19.2%
 「どちらかといえば機能していない」22.5%
 「機能している」+「どちらかといえば機能している」18.3%
 「そもそも復興庁はいらなかった」5.0%

 「東北地方が将来のビジョンに基づき、復興に向けて進んでいるか」

 「進んでいるとは思えない」40.0%
 「どちらともいえない」35.8%
 「進んでいると思う」14.2%(以上)

 「東北地方が将来のビジョンに基づき、復興に向けて進んでいるか」の問に対して「どちらともいえない」の35.8%は復旧や新たな建設は確実に進んでいるが、それが将来のビジョンに基づいた東北地方の新たな創造かと言うと、目に見える形にはなっていない、単にハコモノの復興で終わっているのではないのかといった意味での35.8%であろう。

 復興庁は機能していないという回答と合わせると、とても安倍晋三が言っているようにタテ割り排除を力として復興を力強く進めているようには見えない。

 安倍晋三は震災3周年前日の2014年3月10日、首相官邸で記者会見を行って、ここでもタテ割りを排除できたかのように発言している。    

 安倍晋三「総理に就任以来、13回にわたり被災地を視察いたしました。昨年春ごろはあちこちで用地確保が難しいという切実な声がありました。特に、いつ、何戸の住宅が再建されるかの見通しも全く立っていませんでした。

 こうした中、安倍内閣におきましては、省庁の縦割りを排しながら現場主義を徹底し、政府一丸となって加速化に全力をあげました。被災地 の抱える課題は制度面、執行面、多岐にわたります。現場主義で用地取得手続の迅速化、そして自治体へのマンパワー支援などきめ細やかに対応してまいりまし た」――

 しかし「1億総活躍推進室」発足での職員に対する訓示で、再びタテ割り排除を口にしなければならなかった。

 復興庁が発足した2012年2月10日の夜の記者会見で当時の野田首相もタテ割り排除を訴えている。

 野田首相「復興の司令塔になる組織で、大きな役割は2つある。1つは被災地自治体の要望にワンストップで迅速に対応することで、もう1つの役割は役所の縦割りの壁を乗り越えることだ。

 私がトップになり、各省庁より格上の立場で迅速果敢に調整をすることが何よりも大事だ。強力な総合調整の権限と実施権限が付与されており、それを生かすことが被災地の役に立つかどうかのキモであり、私がトップとしてきちっとリーダーシップを発揮していく。

 (さらに続けて)復興庁に魂を入れるのは250人の職員の志だ。現場主義に徹底し先例にとらわれず、被災地の心を心として粉骨砕身でやってもらいたい」(NHK NEWS WEB)――

 もし復興庁という組織に於いてタテ割りを排除できていたなら、その成功体験は他の省庁でのタテ割り排除に生かすことができるはずだが、それができていないということは政治側が生かすだけの能力を持たないことになって、そもそもからして復興庁にのみタテ割り排除ができたことが奇妙な出来事となる。
 
 タテ割り排除を言い続けなければならないことがその答となるはずである。

 言い続ける状況とは「タテ割り排除」という言葉がお題目化していることを示す。お題目化は言っている本人がその言葉を実際の形に持っていく具体化能力を欠いていることの相互反映性として存在する。

 2013年4月24日参議院予算委員会。

 安倍晋三「科学技術については、文科省、経産省あるいは厚生省なりそれぞれに予算が付いているわけでありますが、しっかりとこの総合科学技術会議が権限を持って、そして責任と見識において司令塔機能を発揮をして、長期戦略の下にしっかりと予算を配分をしていく、政策をつくっていくということが求められているわけでございますが、省庁のタテ割りを打破した政策を推進していくことが科学技術イノベーションを推進する上で極めて重要であると認識をしております」――

 ここでは省庁のタテ割り打破を今後の課題としていて、前ののタテ割りを打破したかのような発言と矛盾を見せることになる。

 科学技術イノベーション推進の前提条件に省庁のタテ割り打破を置かなければならない。それが障害となっていながら、その障害を前以て取り除いておくことができない。何か政策やプロジェクトを始めるとき、必ずと言っていい程にタテ割り排除を言う、あるいは言わなければならない。

 2014年9月5日、「まち・ひと・しごと創生本部」が発足、2014年12月27日、長期ビジョン「総合戦略」の閣議決定に伴って担当相の石破茂が同日コメントを出している。

 石破茂「いつの時代も日本を変えてきたのは「地方」です。地方創生においても、地方が自ら考え、責任をもって戦略を推進する観点から、今後、地方公共団体において、国の長期ビジョンと総合戦略を勘案して、地域の特性を踏まえた「地方人口ビジョン」と「地方版総合戦略」を策定していただくことにしています。

 その際は、『タテ割り』や『重複』を地方においても排除し、行政だけでなく、地域で実際に取組を進めている産官学金労(産業界・行政・大学・金融機関・労働団体)や住民代表も含めた多様な主体が参画して、自らのこととして策定・検証していくことが重要です」――

 「『タテ割り』や『重複』を地方においても排除し」なければならないと言っているが、中央に於いて排除できているわけではないことはタテ割り排除を言い続けている状況、あるいは言い続けなければならない状況が何よりも証明する。

 なぜ日本の政治、あるいは政治家はタテ割り排除を言い続けなければならないのだろう。

 タテ割りは日本人の行動性から出ていて、それが官庁の世界に最も色濃い形で現れている現象と見なければならないはずだ。日本人の行動性に存在しないものが官庁の世界に現れることはない。日本人の誰もが素地として持っていて、それを役人たちが自分たちの世界に頑固な形で蔓延させている。

 日本人のその素地とは、断るまでもなく、権威主義性を性格とした上下関係に基づいた行動様式、あるいは思考様式のことを言う。その上下関係を人間関係としているから、上から下への一方通行の意思の限られた往来はスムーズであるが、下から上への、あるいは横同士の自由な往来がないために組織自体が柔軟さを失って、思考に於いても行動に於いても硬直化することになる。

 それの弊害を以て縦割りと言い、その排除を言い続けなければならない。

 いわば日本人の行動様式・思考様式そのものが「タテ割り」の構造を取っている。

 以前当ブログに次のように書いた。 

 〈日本は明治以来の中央集権体制だと言われている。実際には明治以前の封建時代から、日本は中央集権体制であり、それを引き継いで、過去ほど頑迷・強固ではないが、現在の中央集権体制となっている。

 なぜ日本という国に於いて中央集権体制を成り立たせているかと言うと、中央集権の構造自体が「タテ割り」となっていて、日本人の行動様式の「タテ割り」と相互反映し合って、あるいは相互補強し合って、現在も生きた化石のように生き続けることになっている。

 中央集権体制とは中央を最上位権威とし、地方を段階的下位権威として、上の権威が下の権威を段階的に従属させ、下の権威が上の権威に段階的に従属して、最終的には中央に従属する構造を言う。

 この構造は元々は日本人それぞれの行動様式である上の権威が下の権威を従わせ、従属させる、下の権威が上の権威に従い、従属する権威主義的な支配と被支配の上下関係と相互反映した造りを成していて、支配と被支配の力学は相当に弱まったものの、権威主義的な上下関係の血を現在も日本人の中に残していていて、基本的なところで中央集権体制を維持しているということであろう。

 また、この権威主義的な上下関係は上下権威共に相互に自律していないことによって成り立ち可能となる。自律とは自分で考えて、自分の判断に従って行動することを言うのだから、例え組織内の地位は上下関係に あっても、地位上の上下双方が主張すべきは忌憚なく主張し、反論すべきは忌憚なく反論するという人間的・精神的に自律的な対等関係にあったなら、権威主義的な上下の「タテ割り」の関係は生じることはなく、中央と地方の関係にしても、中央集権体制は他処の国の話となったはずである。〉――

 中央集権は中央が地方に対して過剰干渉の関係を強制し、地方は中央の過剰干渉をそのまま受容する過剰依存の、共に自立(自律)できていない相互性を構造としている。

 だからこそ、「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表は「自立した個人」、「自立した地方と自立した国家」を持論としている。「個人の自立なくして、真の民主主義の確立はなし」と。

 民主主義をは横(=対等)の関係であって、タテ(縦・上下)の関係ではない。時々自民党はタテの関係になる。

 安倍晋三は縦割りが何が原因で特に省庁に蔓延っているのか気づかなければ、縦割り排除を、それがお題目化していることに気づかずにいつまでも言い続けることになるだろう。

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日本国憲法前文と第13条は集団的自衛権行使の一根拠とはなり得ない 憲法の主体は前文以下の各条文にある

2015-10-15 09:32:07 | 政治

 安倍政権が個別的・集団的自衛権の行使が憲法違反ではないことの根拠の一つに憲法前文の文言に置いていることについて私なりに考えてみた。

 防衛省サイトの『憲法と自衛権』は日本国憲法9条の規定に関わらず、憲法が個別的自衛権と集団的自衛権を認めている根拠について書いている。

 個別的自衛権と集団的自衛権に触れている個所のみを拾い出してみる。

 最初に個別的自衛権。

 〈(2)憲法第9条のもとで許容される自衛の措置

 今般、2014(平成26)年7月1日の閣議決定において、憲法第9条のもとで許容される自衛の措置について、次のとおりとされました。

 憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません。〉・・・・・・

 次に集団的自衛権。

 〈わが国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然ですが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要があります。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合があります。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれますが、憲法上は、あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものです。〉・・・・・・・

 つまり日本国憲法は憲法前文や第13条に照らし合わせると、決して「武力の行使」(=個別的自衛権)を認めていないわけではなく、さらに国際法上の根拠と憲法解釈を区別して考えると、我が国の存立を全うし、国民を守るため、即ち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置が生じた場合は集団的自衛権も許されるとしている。

 では、〈憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」〉とは前文の何を指して言っているのだろうか。

 前文からその個所を取り出してみる。

 〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。〉

 〈平和のうちに生存する権利を有する〉、つまり他国から武力攻撃を受けた場合、国民の平和のうちに生存する権利は個別的自衛権による武力の行使によってしかその権利を守ることができないということであろう。

 次に憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を見てみる。

 〈第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 〉

 これも他国から武力攻撃を受けた場合という前提条件をつけて、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利が脅かされることになり、その脅威は「武力の行使」(個別的自衛権)によってしか除去できないゆえに、憲法9条は自衛権まで禁止しているとは思えないというわけである。

 憲法前文は前文以下の各条文が国家権力に対して恣意的権力の行使を規制するために絶対的に守らなければならないこととして個別・具体的な規定となっていることに反して憲法の理念、あるいは憲法の趣旨を述べているに過ぎない。

 もしここに個別・具体的な規定に類似した決め事を求めるとしたら、主権が国民に存することを宣言していることぐらいで、主権在民の実際的な個別・具体的規定は前文以下の条文に求めなければならない。

 例えば第11条の〈国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。〉、第13条の〈すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。〉、第15条の〈公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。〉、第43条の〈両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。〉、第97条の〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。〉等々、全て主権在民であることの個別・具体的な規定として表現されている。

 要するに前文と前文以下は後者の個別・具体的な規定を絶対的姿としなければならない決まり事に対してその理念を反映させた姿という関係――前文以下を主とし、前文を従とする関係にあるはずである。

 前文が個別・具体的な規定でない以上、前文を主とすることはできない。もし主としたなら、小説の全体を短く纏める形の前置きを主とし、小説の中身全体を従でとするような滑稽なことになる。

 であるなら、武力行使(=自衛権)に限って言うと、主はあくまでも憲法9条の規定であって、その規定を絶対的に守らなければならない決まり事としなければならない。

 〈第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 〉――

 この規定を主として憲法の理念である前文のいわゆる「国民の平和的生存権」を従の位置に置いて解釈するなら、武力の不行使と武力の放棄、さらに交戦権の否認に基づいた「国民の平和的生存権」の確立を求めていることになる。

 第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」にしても、前記と同じ条件下の「国民の権利」でなければならない。

 例え他国から武力攻撃を受けたとしても、厳格に9条を守った上で前文で言っている〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〉とする理念に則らなければならないだろう。

 かくこのように憲法前文にしても、さらには第13条にしても、個別的、あるいは集団的自衛権の行使の根拠となり得ない以上、もし日本の安全保障上、個別的自衛権と集団的自衛権に基づいた武力の行使と交戦権を必要とするなら、前文以下の条文にそのことの規定を設けた憲法改正を求める以外に道はない。

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「1億総活躍社会」の対立概念は「格差社会」であって、アベノミクスの否定によって実現に近づく

2015-10-14 10:26:08 | Weblog

 2015年10月11日の日曜日のNHK「日曜討論」は改造内閣の閣僚(菅義偉、林幹雄、石井啓一、丸川珠代、中谷元、加藤勝信)が出席して、「安倍改造内閣 経済・安保 閣僚に問う」 をテーマに据えていた。

 「日曜討論」の公式サイトには、〈安倍改造内閣が掲げる“一億総活躍社会”とは?「GDP600兆円」「出生率1.8」目標の実現は?また安全保障関連法成立後の外交・安保政策は?6人の閣僚に問います。〉と宣伝している。

 で、初入閣ながら、1億総活躍担当相という重職を担った加藤勝信が「1億総活躍社会」についてどう認識しているのか、その個所に関する発言を文字起こししてみた。

 司会はいつもの通りに,島田敏男と中川緑。

 中川緑「視聴者からの意見で、『1億総活躍社会の意味が分からない』とか、『スローガンはいいが、実際に現場がよくなる見通しがあるのだろうか』、こういった声がある一方で、『人口減少や経済が先細り、日本の未来は決して明るくない。安倍総理のリーダーシップに期待したい』、こういった意見も寄せられています。

 加藤さん、伺いますが、『1億総活躍社会』、なかなか初めて聞く言葉で、視聴者からもちょっと分かりにくいという言葉が寄せられているんですが、この『1億総活躍社会』、どういう社会を目指していくのかと言うこと。そのためにどういう具体策を考えているのでしょか」

 加藤勝信「『1億』という意味ですが、まさに先ず『国民一人ひとりが』という意味であります。『総活躍』、まさに若い方も高齢者の方、女性も男性も、そして障害者や難病等、色々とハンディギャップ等を抱えていられる方々もですね、誰もが、また地域や職場や家庭、そういった場に於いてですね、その持っている力を発揮して頂く。

 そして今よりもさらに一歩踏み込んでですね、自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける。まさに一人ひとりが活躍して頂く。それがまさに強い経済、あるいは日本の人口を1億保っていこうと、そういったことにつながっていく。

 そういった社会を作っていきたいということです。

 そして具体的な政策についてはそれぞれ三つの具体的な目標を実施していくために、経済で言えば、これまでの3本の矢をしっかりと実行していく。あるいは希望出生で言えばですね、育児や出生をしやすい環境、そして介護離職で言えば、介護しながらですね、働ける。

 そうした環境をどう作っていくかということを具体的にこれから作り上げていきたいと思います」

 島田キャスター「この具体化のためにですね、国民会議というものを作るということなんですが、そこにはどういった人たちに参加して貰って、そしていつ頃検討をスタートさせるのか。どんなお考えですか」

 加藤勝信「全体として年内のできるだけ早い時期、緊急に取り組むべき政策の第一番という話もございますから、そのため、そういったことを議論して頂く場として、この『1億総活躍国民会議』、できるだけ早期に立ち上げたいと思います。

 具体的な中身ですが、構成メンバーで有りますけれども、一つは関連する大臣、たくさんいらっしゃいますから、そういった方にも入っていただく必要もあるかと思います。広範囲なことを議論する場でありますから、それぞれの分野についてですね、色んな意見を集約してお話頂けるような方、そういった方にも入って頂いて、国民のコンセンサスですね、また併せて理解を求めて行きたいと――」

 島田キャスター「経済界も入りますね」

 加藤勝信「勿論経済界の方も入って頂かなければなりません」

 島田キャスター「一方で労働界は」

 加藤勝信「具体的に経済界とか労働界とか、経済のこと、あるいは労働のこと、あるいは福祉のこと、あるいは障害者の皆さんのこと、そういったことをしっかり分かっている方、そういった方に入って頂きたいと思います」

 島田キャスター「人選に注目していきたいと思います」(以上)

 加藤勝信は先ず最初に「1億総活躍社会」の「1億」の意味は「国民一人ひとり」のことであり、その「総活躍」だと説明している。つまり全ての国民が活躍できる日本の社会を思い描いていることになる。

 2015年9月28日の当ブログ記事――《安倍晋三の言う「1億総活躍社会」とは初期的な所与条件で「矛盾ゼロ社会」と言うことでなければならない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈「1億総活躍社会」とは、断るまでもなく、日本人全員が一人の洩れもなく活躍できる社会の実現の公約である。まさか現在1億2千万余の人口の内、1億人のみが活躍できる社会を作り、あとの2千万余の日本人は切り捨てるという意味での「1億総活躍社会」ではないはずだ。〉と書いた。 

 加藤勝信の上記発言を聞いて、安心したのは私だけではないだろう。

 次いで加藤勝信は「1億総活躍社会」というスローガンから自身が把握していることになる「国民一人ひとり」について描いでみせる。

 〈若い方も高齢者の方、女性も男性も、そして障害者や難病等、色々とハンディギャップ等を抱えていられる方々〉だと。

 では、「1億総活躍社会」の「活躍」についてどう考え、把握しているのかと言うと、〈誰もが、また地域や職場や家庭、そういった場に於いてですね、その持っている力を発揮して頂く。

 そして今よりもさらに一歩踏み込んでですね、自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける。まさに一人ひとりが活躍して頂く。〉と説明している。

 要するに、〈持っている力を発揮〉し、〈自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける〉ことが「1億総活躍社会」の「活躍」に当たるとしている。

 だが、いくら持っている力を発揮したとしても、あるいは自分の夢や将来の実現のために取り組んでいったとしても、誰もが成功を保証されているわけではないから、全部が全部活躍に結びつくわけではない。

 だから、上記当ブログで、初期的な所与条件で「矛盾ゼロ社会」と言うことでなければならないと書いた。

 「初期的な所与条件」とは、初期的に他から与えられる条件のことであって、例えば同じ職場の同じ部署に於ける同一労働に正規と非正規で賃金差別があったとするなら、初期的な所与条件は平等とは決して言えず、矛盾が存在することになる。

 賃金差別は生涯賃金格差となって現れ、それはそのまま消費活動の格差へとつながっていく。

 例えば国税庁の統計によると、2013年の年間平均給与は414万円となっているが、正規473万円、非正規168万円で、その格差は305万円。

 この格差が30年も続くと、生涯賃金は1億円近い格差となる。

 年収の差からの消費活動の差、あるいは生涯賃金1億円の消費活動の差は消費の質の格差となって現れる。消費の質は人間活動の質そのものとなって現れるから、消費の質の格差は人間活動の質の格差そのものを指すことになる。

 消費とは人間が欲望を満たすために物財を費やす行為をいうのだから、人間生活のありとあらゆる行動が消費行動によって成り立っていることになる。テレビを見るにしても、テレビを買う消費が必要であるし、刻々と電気代がかかってきて、電気代の支払いという消費を介在させなければならない。

 例えば非正規で低い賃金での労働を強いられていたために結婚して、その生活を維持するだけの資金に自信が持てなくて未婚化する率が高くなっているが、一般的に言うと、生涯独身であるか、あるいは結婚して子どもを設けた家庭を営むかで自ずと生活の質が大きく異なってきて、賃金格差を受けた消費活動の格差が消費の質の格差そのものに影響を与えることになる。

 であるなら、国民一人ひとりが〈持っている力を発揮〉し、〈自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける〉ことが「1億総活躍社会」の「活躍」に当たるとするのではなく、格差そのものが〈持っている力の発揮〉や〈自分の夢や将来の実現のために取り組んでいける〉計画を阻害することもあるのだから、もっと本質的単刀直入に日本の社会に蔓延(はびこ)っている様々な格差を解消することが「1億総活躍社会」の「活躍」に繋がっていくのだと認識しなければならないはずだ。

 加藤勝信は「国民一人ひとり」の中に、ごく当然のことだが、〈障害者や難病等、色々とハンディギャップ等を抱えていられる方々〉を入れていたが、彼らに対して健常者と同等の一般的な社会生活を送ることを阻んでいたのは、このことは一般的な消費活動にも繋がっていくが、物理的バリア、あるいは精神的なバリア(差別意識)といった社会生活上の格差であったはずだ。

 そういったバリアが作り出している社会的格差が彼らの社会生活を阻害し、結果、彼らが望む活躍を抑圧してきた。

 と言うことは、格差社会が「1億総活躍社会」の対立概念だとして、後者の実現を阻害する最悪の要因となっていると見なければならない。

 だが、加藤勝信にはこういった認識がない。そもそもからして安倍晋三のアベノミクス経済政策は格差の解消とは逆の格差拡大に役立っていて、加藤勝信は側近として格差拡大の一味であった。日本の経済を強くするために格差を意に介さずにきた。

 いくら「1億総活躍国民会議」を設置して、優秀な有識者を集めて議論しても、「1億総活躍社会」の対立概念が「格差社会」だと認識して、格差拡大の是正に本格的に取り組まなければ、「1億総活躍社会」の実現は覚束ない。

 日本の社会がアベノミクスの効果で格差拡大が急速に進んでいる以上、格差拡大の是正はアベノミクスの否定から入らなければならない。否定から入ることによって、「1億総活躍社会」への実現に近づいていくことができる。

 安倍晋三にしても、加藤勝信にしても、この逆説的設定にどう折り合いをつけるのだろうか。


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二階俊博と菅官房長官のカネの力を権力に変えて思い通りに動かそうとする独裁志向の品のないユネスコ威嚇

2015-10-13 08:20:52 | Weblog


 中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に「世界記憶遺産」として申請していた旧日本軍対中国人虐殺の「南京事件資料」と、同じく旧日本軍が関係した「従軍慰安婦資料」の内、後者は却下されたが、「南京事件資料」が2015年10月9日(日本時間10月10日)、 登録された。

 日本政府が南京事件で特に問題としていたのは虐殺犠牲者が30万人とされていることだそうだが、中国による去年の申請の段階から何度も抗議して申請を取り下げるよう求め、ユネスコに対しても中国による政治利用の懸念を伝えて慎重な審議を要請してきたが、中国に対してもユネスコに対しても効果なく、結局のところ申請通りに登録されることになった。

 このことに不快を感じたのだろう、自民党総務会長の二階俊博が10月11日徳島市で講演、日本の取るべき態度を示した。

 二階俊博「日本は国連の会議でも、なんの会議でも、世界でアメリカに次いで2番目のお金を拠出する国だということで、それで(日本国民は)喜んでいるが、日本の主張がどれだけ通っているかということがなければならない。

 お金を出すだけが能ではない。ユネスコが日本が悪いと言うのであれば、日本として『資金はもう協力しない』というくらいのことが言えなければ、どうしようもない。協力の見直しは、当然、考えるべきだ」(NHK NEWS WEB/2015年10月11日 20時18分) 

 ユネスコへの日本の拠出金の在り方を見直すべきだという考えを示したと記事は解説しているが、要するに思い通りにならないなら、拠出金を減らすべきだと主張している。

 こういった品のないことを口にするのは品のない政治家二階俊博だけかと思っていたら、官房長官の菅義偉が10月12日のBSフジの番組に出演、右へ倣えした。

 菅義偉「(ユネスコ拠出分担金について)政府として停止・削減を含めて検討している。(登録は)密室で行われ、法律に基づくものでもない。透明性や公平性をもっと出すべきだ。

 確かに南京で非戦闘員殺害とか略奪行為があったことは否定できないが、(犠牲者の)人数にはいろんな議論がある」(毎日jp/2015年10月12日 23時50分) 

 自分たちの思い通りにならなかった。だったら、出しているカネを出すのをやめるか、減らすかしよう。

 と言うことは、日本が持っているカネの力を権力として使い、少しでも自分たちの思い通りにしようとしていることに他ならない。

 民主的な方法でより良い方向に持っていこうと努めるのではなく、そういった方法をいきなり飛び超えてカネが持つ力を権力として使って自分たちの思い取りにしようとする精神性には否応もなしに独裁志向が根付いている。

 独裁志向を根付かせているからこそ、民主的な方法をそっちのけにして、問答無用の形でカネの力を権力に変えることになる。

 逆説するなら、独裁志向なくしてカネの力を権力に変えはしない。

 日本政府は八幡製鐵所等九州の5つの県と山口県、岩手県、静岡県の合わせて23の明治時代の施設を「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録すべく、2013年9月27日に暫定版の推薦書をユネスコに提出している。

 暫定版の推薦書の提出によって、ユネスコからのコメント等を求めることができるということである。

 そして2014年1月17日に閣議了解で世界文化遺産への推薦を決定し、2014年1月19日に推薦書正式版をユネスコに提出し、2015年7月5日、世界文化遺産に登録された。

 韓国政府は戦前、朝鮮人の多くが強制徴用された施設が含まれているとして、日本政府のこの「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ登録の動きに当初から反対し、登録しないよう、各国に働きかけていた。

 日本政府が2014年1月19日に推薦書正式版をユネスコに提出すると、その4カ月後の2014年5月19日にはユン・ビョンセ(尹炳世)韓国外相がユネスコのボコバ事務局長に対して登録に反対する立場を伝え、翌5月20日にはパク・クネ(朴槿恵)韓国大統領がユネスコ=国連教育科学文化機関のボコバ事務局長との会談で登録に反対する立場を伝えている。

 そして韓国のユン・ビョンセ外相今年に入った2015年6月12日、世界遺産委員会世界遺産登録議長国のドイツ外相と会談、翌6月13日には副議長国のクロアチアを訪問、クロアチアの外相と会談し、「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ登録に反対している。

 だが、結局のところ、韓国政府側と日本政府側が話し合い、韓国側の言い分として日本政府が強制徴用を認めたことで、日本側の言い分では認めていないとしているが、妥協が成立して、登録されることになった。

 中国政府の「南京事件資料」ユネスコ世界記憶遺産申請に対して日本政府は抗議をしているが、中国政府と直接話し合った形跡はない。外務省の役人を中国に派遣して抗議を申し入れたかもしれないし、中国駐在日本大使館の大使等が抗議をしたかもしれないが、日本政府内のそれなりに地位のある関係者が中国を訪れて直接抗議したという記事に知る限りではお目にかかっていない。

 韓国のように大統領や外務大臣がユネスコ関係者や世界遺産委員会世界遺産登録議長国の外相と会談したという形跡もない。

 にも関わらず、そういった話し合いもせず、「南京事件資料」の世界記憶遺産登録後に中国は兎も角、ユネスコと、日本にとってだけではなく、世界各国共通とすることができるユネスコのあるべき姿について話し合う意思を持とうともせず、いきなりユネスコ拠出分担金を減らすか停止の検討に入る意思を示した。

 この意思は当然、既に触れたように日本が持っているカネの力を権力として使って自分たちの思い通りに目的を達しようとする強い欲求を含んでいるがゆえに独裁志向を性格とした意思表示に他ならない。

 民主国家の政府でありながら、非常に品のない遣り方である。

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安倍晋三は自衛隊志願者が多くて、徴兵制は必要ないとか言っていたが

2015-10-12 08:58:31 | 政治


 安倍晋三は自民党が圧勝した2015年7月21日投開票の参院選を前にした2015年7月6日夜、自民党のトーク番組『CafeSta』に出演、安保関連法について手前味噌の宣伝に務めた中で、安保関連法反対派・集団的自衛権憲法解釈行使容認反対派が安保関連法が成立した場合、徴兵制に繋がるのではないのかと疑っていることに対して、きっぱりと否定している。   

 今回の内閣改造で環境相・原子力防災担当相となった丸川珠代が進行係というか、猿まわし役を務めている。

 丸川珠代「(徴兵制は)これは政権が変わったから、政治が変わったから、変わるものではない、と?」

 安倍晋三「これは私が言ってるだけではなくて、安倍さんが変わったら、わかんないでしょっていう人もいますが、これは明文に反していますから。憲法にはっきりと意に反する苦役はだめと書いてありますから、政権が変わろうと変わることはありません」

 丸川珠代「少なくとも解釈の範囲では絶対にない。でも自民党は憲法を改正しようとしてるよね。だったらそこも変えちゃうんじゃないの? と」

 安倍晋三「谷垣総裁時代に、私たちは憲法改正草案を出しましたね。この自民党の憲法改正草案の中にも、現在の18条。意に反する苦役はだめですよって書いてありますから。自民党の草案が実現したとしても全く変わらないとは申し上げておきたい。

 また、防衛政策上ですね、徴兵制を導入するという合理的な理由というのがないんですね」

 丸川珠代「合理的な理由が、ない。どういうことですか?」

 安倍晋三現在の防衛装備というのは大変なハイテク化されているんですね。ハイテク技術をしっかりと身につける必要がありますから、十分に兵士として役に立つためにはですね。そうしたハイテクを使いこなせるようになる為には、相当時間がかかるんです。

 いわば徴兵制のように短期間でぐるぐる回っていくという仕組みでは、使いこなす前に、辞めてしまうと。やっと教育が終わったら、辞めてしまう。徴兵制度をやればですね、かえって自衛隊にとっては負担にしかならない。

 これは世界中でそうなんですね」

 丸川珠代「他の国でも徴兵制をとってるところは……お隣の韓国は休戦中でも徴兵制が。他の国はどうなんですか?

 安倍晋三「世界各国でも、減少傾向にあります。長い間、徴兵制度を採用してきたドイツですね。フランスにおいても21世紀に入ってからは辞めました。またG7の国々で、ですね。徴兵制度をとってる国は1つもないんですね」

 丸川珠代「徴兵制と集団的自衛権が、関係あるような話になってる気がするんですが。関係あるんでしょうか?」

 安倍晋三「これは、ないですね。永世中立国のスイスはですね。世界でも数少ない集団的自衛権を行使しない国ですが、行使しない数少ない国のスイスは徴兵制度なんですね。

 一方、集団的自衛権をかつてアフガン戦争で行使したことがあるアメリカやイギリスやフランスやドイツやイタリアやカナダ。こういう国々は、徴兵制度ではなくて、志願制度ですから。徴兵制度と集団的自衛権というのは全く関係がないんです」

 丸川珠代「やっぱりそうなんですね。徴兵制を全く関係ないものって考えても、将来、自衛隊の活躍の場が広がることを、いろんな意味でとらえて志願する人が減ってきたら結局徴兵制にしないと、もたなくなるんじゃないのかって仰る方も中にはいらっしゃるんですよね」

 安倍晋三「そうですね。我々がいま、申し上げたようなことを言って反応すると、今、丸川さんが言ったようなことを言うんですね。しかしですね、現実はどうかというと自衛隊に応募する方、実は7倍の競争率なんですね」

 丸川珠代「7倍」

 安倍晋三「7倍なんです。閣議決定をした昨年以降でも、7倍。つまり昨年、集団的自衛権を一部容認する閣議決定を行いましたね。それによって応募する人は減るはずだといって今、丸川さんが言ったような批判をするんですが。実は7倍のままなんですね。

 これはですねやはり、東日本大震災の時もそうだったんですが、自衛隊のみなさんは本当に困難な仕事をしてくれます。ああいう状況の中で身に危険があっても、そうなんですね。御嶽山の時も救助に向かった。また噴火すれば身に危険が迫るかもしれない。しかし自分たちこそ日本人の命を守るんだ。ああいう姿を見てですね。自分もこういう意義ある仕事をしたい。やりがいのある仕事をしたいと思う人たちがたくさん日本人の中にはいる。そう考えてる人たちがいるんだということを私は大変誇りに思いますね」(以上)

 これで国民の皆さんは右翼の軍国国家主義者安倍晋三であっても、徴兵制にだけは持っていかないと安心したに違いない。

 先ず安倍晋三は現在の自衛隊の防衛装備は高度にハイテク化されていて、そのハイテク技術を使いこなすには年数がかかる。短年数で人員が交替していく徴兵制では確実に身に付けることができない、却って自衛隊の負担にしかならないからと、徴兵制は絶対にないことの非常に納得のいく理由を述べた。

 本当にそうなのかと狸寝入りして窺う必要が毛程もない納得、納得の説明となっている。

 但しである、戦闘機や軍艦、戦車等々の大型武器は確かにハイテク化されていて、その操作・操縦には数年を超えた年数を必要とする高度な訓練が必要だが、自衛隊員全員がハイテク関連の体系に組み込まれるわけではない。

 今回特に危険性が高まるとして自衛隊の海外での後方支援が問題になったが、補給・輸送に従事する自衛隊員全てがハイテク技術を必要とし、技能としなければならないわけではない。

 例えば補給・輸送の航空自衛隊輸送機で武器や食糧等の物資を積み込んだり、降ろしたりする仕事に従事する自衛隊員にどのようなハイテク技術を身につけなければならないというのだろうか。

 陸上自衛隊の輸送トラックでの荷物の積み降ろしに就いても同じことを言うことができる。

 あるいは駆けつけ警護に向かった陸上自衛隊員が友軍部隊を襲撃している敵部隊から救出するためにライフル銃を発射して敵部隊員を倒すのにどのようなハイテク技術が必要だというのだろうか。

 ライフル銃の操作と落ち着いて敵を狙い撃つことのできる射撃の技術、そしてチームワークを身につければ済むことである。

 要するに安倍晋三はハイテク化された防衛装備も持ち出して、まことしやかなウソを並べ立てたに過ぎない。

 安倍晋三はまた、徴兵制が必要ではないことの理由の一つに「自衛隊に応募する方、実は7倍の競争率なんですね」と、求人倍率の高さを挙げている。

 要するに自衛隊側からあの手この手で人材を求めなくても、1人の募集を出すだけで7人も集まる程の人気職種だと言っている。少なくとも国民の方から勝手に7人は集まってくると言っていることと同じ意味となる。

 そんなものかなと思っていたら、そんなものではないことを伝えている記事に出会った。防衛省に置かれている自衛隊の機関の一種で陸海空自衛隊共同の機関でもある各都道府県下の自衛隊の総合窓口の大津市所在の自衛隊滋賀地方協力本部が「自衛官等募集中」と印刷したトイレットペーパーを各市立中学校に配ったことを「asahi.com」記事(2015年10月8日11時50分)が伝えている。(画層は「asahi.com」記事から引用)

 具体的には、9月下旬、広報官の交代などに伴い市内の全6中学を訪ねた際、進路指導の教諭に4個ずつ配布した。ペーパーはイベントなどで配る広報用で、同本部の連絡先や「お気軽にお問い合わせください」などの文言がデザインされていた。

 但し一部の学校が実際にトイレで使用。そのことがインターネットなどで批判を浴び、市教委が不使用を指示、協力本部によって回収に至ったという

 安倍晋三が「自衛隊に応募する方、実は7倍の競争率なんですね」と言って人気職種としている状況とトイレットペーパーにまで「自衛官等募集中」と印刷して、それを中学校に配る、この必死とも言うことのできる自衛官募集の状況とは明らかに正反対となっている。

 7倍の競争率と言うことは6人をふるい落とさなけれはならないことを意味する。タバコでも吸って待っていれば志願者がいくらでも集まってくるものを、現実はセコい集め方をしている。

 果たして安倍晋三が言っている「7倍の競争率」は信用できるだろうか。

 例え信用できたとしても、何度でもブログに書いてきたが、安倍晋三は集団的自衛権を憲法解釈の変更で行使容認まで持って行った。徴兵制にしても憲法18条の解釈一つで絶対に変えないという保証はどこにもない。

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