北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】海上自衛隊60周年観艦式【05】くらま出航-横浜みなとみらいビル群とともに(2012-10-08)

2023-01-15 20:23:44 | 海上自衛隊 催事
■艦艇広報と観艦式と
 2023年も観艦式特集は続きます。

 観艦式、2022年国際観艦式は一般観客を乗せることなく実施されました、そして前回の自衛隊観艦式は台風直撃を受け中止されていますので最後に一般観客を乗せての自衛隊観艦式は2015年となっていまして、実に8年間もの空白が生まれています、次の観艦式は先だ。

 体験航海という体裁でもよいから、もう少し広報展示の機会が必要だと考えるのですが、このあたり海上自衛隊は限界がある。一方で、後方幹部のいないところで聞きます艦隊勤務というのはいろいろと厳しい話題が、この10年で増えているようにも思う、特に忙しさ。

 海に親しむ機会というものを増やしてゆきませんと、それは自衛隊の任務なのか、と問われるでしょうけれども、特に自衛官は外国人船員に依存できないという事情もありますので、ふっと、こう切れる様に募集難が防衛上の大きな課題として表面化するよう危惧する。

 浦賀水道を太平洋へ、相模湾へと艦隊が航行する中、行き交う商船などとともに一つの陣形のように護衛艦が掃海母艦が、訓練支援艦が潜水艦救難艦が、と進んでゆく様子、これは2012年の情景ではあるのですが、一つ思い出は十年以上経て鮮明に覚えているものです。

 艦艇広報という視点からは、特にもう少し多くの人が海となじめるようになりませんと、特に募集広報という視点を考えると難しい将来がくるのかもしれない、この8年間の空白というものは小さくはないものだと考えるのですね。なにしろ船乗りというだけで大変だ。

 海洋立国、こう呼ばれる我が国ではあるのですが、実のところ日本の気質は大陸的であるように思えます、専守防衛という認識などは古典的なゲオポリティクスの延長線上にありまして、そもそも専守防衛と海洋立国という認識が矛盾しますが世論は前者を選んでいる。

 専守防衛は国是ではあるのですが、一方で日本は資源の面で海洋自由原則に依存しているものであり、海との関係は拒絶できません、これは食料安全保障ともエネルギー安全保障とも密接に関係している命題で、専守防衛との整合性をもう少し戦後議論すべきであった。

 シーレーン防衛と専守防衛、ここを突き詰めすぎますとシーレーンも専守防衛だ、という理念を無理に押し進めますと、変な覇権論争に発展してしまいます。このあたりから、実は海との関係性というものを実感する機会が必要なのですけれども、機会さえ実は少ない。

 海上交通は日本では旅客移動の手段としても、たとえば九州や小笠原や瀬戸内海の多島海域で生活を営むでもしなければ実感はわくものではなく、そして付け加えれば多くの離島も近接する島嶼間では橋梁がかけられるようになりましたので海との親しみはみるだけに。

 海上勤務、しかし、これは難しいものです、なにしろ商船勤務でも労働基準法の枠外におかれるほどに特殊な環境でありまして、月月火水木金金、という表現ではありませんがいったん乗務しますと全休という概念そのものがなくなるという特殊な労働環境なのですね。

 やりがい、という言葉でも説明されるところなのですけれども、一応、代休のように長期航海のあとには一定の長期休暇は制度として認められている、これは商船の話ではあります、代理要員確保が難しければ休暇買い取りとして賃金上乗せなどでにおわることも多い。

 長期航海という場合でも、幸いにして当方が知ります船舶乗員の方には休暇買い取りのような制度で苦労している範疇のかたにかぎられるのですが、それでも余裕のない海運会社や観光船会社には休暇買い取り制度さえなく休暇は書類上にしか存在しないという話さえ。

 海上自衛隊の募集を考えますと、まず海での暮らしというものはどういうものなのか、という視点からもう少し広報しませんと、なにしろ時代は働きかた改革の時代、帰宅という概念の枠外、特に艦艇勤務は本籍地が艦艇、故に理解というものが応募に直結するのです。

 海上交通、考えるとフェリーという交通手段も減っています、航路は維持されているとの反論があるでしょうが、航路が維持されるというよりも、運行本数がへってしまいますと利便性のある時間帯に運行されていないという結果使われにくく、貨物輸送に重点が移る。

 海と親しもうにも、例えば鉄道と激烈な競争を繰り広げた瀬戸内海航路などは、まだまだ運行本数が多く、選べる立場でもありますから、阪神から九州まで利用してみますと、また乗ってみよう、次乗れるのはいつだろうか待ち遠しくはなるものなのです、ただほかは。

 北海道航路などを挙げますと、頑張ってはいるのだけれども所要時間とともに到着時刻をみますと、利用してみたいのだけれどもちょっと時間帯がなあ、と渋ってしまうものでして。他方、大阪と東京を結ぶ航路があったら船旅は豪華、と考えてみたりもするのですね。

 海上輸送の恩恵には預かる一方で、その一端に参加してみようといいますとなかなかに難しいものがあります、これが海上自衛隊となりますとなおさらというものでして、海上自衛隊はいいぞ、と多くの方に勧められるかといわれますと、まずは見てとしかいえません。

 COVID-19,自衛隊を見てもらう機会というものが減っているという背景にこのいまなお、いや今こそついに毎日の死者数は500名を越えてしまっている現状では認識すべきなのでしょうが、COVID-19による艦艇広報の断絶というものも大きな影響ではある、しかし。

 艦艇広報は2016年熊本地震、これも早いもので7年を経ることとなりましたが、この際に大規模な災害派遣に当たったことで海上自衛隊の訓練計画が大きく圧迫され、時の海上幕僚長が、艦隊を休ませるように命じた、しかし省ける業務がほとんどありませんでした。

 熊本地震の災害派遣、艦隊の任務はまず年次訓練計画がくまれていて、合間合間に艦艇広報を可能な範囲内で実施するのですが、例えば入港の際の一般公開は寄港地で行うことは出来るのですが、その先となりますと、例えば展示訓練となれば調整は複雑となります。

 難しいのはわかるのだけれども、広報の機会を確保しなければ何れ人が集まらなくなる、こう危惧するのは艦艇装備計画の推移です、護衛艦は近年大型化しており、これは必然的に航海期間の長期化を意味し、プレゼンスオペレーションなど任務も遠方に広がっている。

 たちかぜ型ミサイル護衛艦より大型の3900tの護衛艦、もがみ型がコンパクト護衛艦と呼ばれているのだからなあ、こう痛感するのですね。自動車はいつかはクラウンと呼ばれていた時代の人が最初からアウディやBMWやレクサスに乗っているような若者をみる想い。

 しかし、大型化するという事は個室の多かった掃海艇をこうした護衛艦が置換える、つまり長期航海が多くなり、上陸できない生活が続くということ、そして居住環境もそれ程良くならない、この当たりも広報でどうしても影響が及ぶのではないか、こう思うのですね。

 2012年と2022年、いやもう2023年ではあるのですが海上自衛隊は大きく変わりました、それは装備が多少変わってはいるのですが勤務環境も変わると共に周辺情勢の緊迫化、財政再建の為の公務員非正規化などもあり、ゆえに、広報の重要性を一層感じるのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】海上自衛隊60周年観艦式【04】イージス艦ちょうかい-横浜みなとみらいビル群とともに(2012-10-08)

2022-12-25 20:12:04 | 海上自衛隊 催事
■イージス艦ちょうかい
 ちょうかい。こんごう型ミサイル護衛艦4番艦であり1993年から短期間で4隻か建造された我が国イージス艦の鏑矢です。

 ちょうかい。Weblog北大路機関をOCN時代からご覧の方はお気づきと思いますが、長らく北大路機関のロゴタイトルにはイージス艦ちょうかい、その雄姿を掲載していました。ちょうかい、この堂々航行の様子を見ますと、ある意味で思い入れ或る護衛艦なのです。

 十年一昔、こういう単語があるのですが年末にさしかかるクリスマスの季節にこうして自衛隊観艦式、十年前の観艦式の写真を紹介しつつ、今年すなわち海上自衛隊70周年の我が国安保環境を思い起こしますと、その変容ぶりに驚くという次第です。特に今年の。

 二十年に及ぶミサイル防衛の、予算増なき巨大防衛事業の推進により自衛隊の防衛力は破綻してしまった、こう説明するところですが、思い起こせばこの観艦式を撮影しました2012年の段階はミサイル防衛に着手しほぼ十年という時期なのですが、防衛力は健在でした。

 10年でここまで、というのは非常に残念なのですが、例えば海上自衛隊も、あぶくま型護衛艦、あさぎり型護衛艦が延命に延命を重ねていますし、もう竣工29年となるイージス艦こんごう型の後継計画はまだ未着手、P-3C哨戒機にSH-60J哨戒ヘリコプターについても。

 海上自衛隊はもう少し状況はよいのかもしれませんが、原型機が1959年に初飛行を迎えたF-4EJ戦闘機がようやく全機用途廃止されたのがつい昨年のことですし74式戦車もまだまだ残っているばかりか、後継戦車ではなく戦車部隊ごと廃止さえ追いついていないという。

 ヘリコプターはずいぶん減りました、観測ヘリコプターはOH-1観測ヘリコプターが製造終了してから15年ですが、その増強が行われないままOH-6D観測ヘリコプターは全廃し、なんと無人機で補うということですがそのすばらしい無人機はほとんど実績がありません。

 ミサイル防衛に今度は島嶼部防衛、しかもそのための新部隊が編成されましたが、定員は同じまま、その十年すこし前には中央即応集団が創設されていますが、これも定員を同じままとしましたので、5000名を切る師団、という惨状がでています。平時の定員とはいえ。

 大学でいえば単科大学ではなく総合大学なのに学生数が二百人、というような状況になっていますし、予算が同じで箱物を調達するものですから既存の装備を運用する予備部品や整備治具、いや消耗品さえ不足する有様で使える装備と稼働率が明確に影響を受けている。

 ミサイル防衛、必要性はわかるのです。北朝鮮の各開発とミサイル開発は、たとえ日本が北朝鮮と決定的な対立をしなくとも、横田基地や横須賀基地、横浜ノースドックに500kt水爆が撃ち込まれれば、横浜の場合で横浜駅はもちろん品川付近までなにものこりません。

 しかし、小泉内閣時代、ミサイル防衛に必要な予算を、防衛予算の増額という形で増額していたならば防衛力は破綻せずに済んだように思うのです。いや実際、2012年と2022年でヘリコプターや戦車に装甲車両と航空機、なかでも稼働機を比較しますとかなり減った。

 防衛費1%、2012年の時代には田中内閣時代から長らく継続されていました防衛費の一種の上限は、中曽根内閣時代に一時若干超過したものの、基本的に踏襲されてきました、いや日本の高度経済成長時代と安定成長時代には防衛費を増やすことができていたのですが。

 破綻してしまうと立て直すのが難しくなるものです、例えば原発事故、格納容器が破損しそうな状況で立て直すと、危険を無視していたという批判やもう廃止しろという圧力に周辺の地価に影響するとか批判はあるでしょうが再構築することはできるでしょう、しかし。

 一線を越えるといいますが、原子炉を例に思い浮かべますとこわれてしまったならば、もう格納容器から漏れ出す一方であり、その前の状態に戻すことは基本的にできなくなってしまいます。これは一例なのですが、防衛力、無理を重ねて20年、限界を超えてしまった。

 2011年東日本大震災、こうした大規模な震災は幸いもう日本をおそうことはありません、こう開き直れるならば防衛力は特にヘリコプターなどの削減は看過できるところです。しかし現実をみますと真逆であり、南海トラフ地震、千島海溝地震などが懸念されている。

 GDP2%、思い切った政治の決定という印象なのですが、しかし、その分だけ宇宙防衛や認知領域戦争という任務が加わりましたので、果たして大丈夫なのか、宇宙は通信と偵察を司る新しい戦場ですが、宇宙に及ぶほど日本は核保有国ではありませんし切迫性は少ない。

 コンピュータウィルス対策として消毒用アルコールや高性能空気清浄機を買い込むような方向性の間違いはないのか、こんな懸念を感じてしまうのですね。まず、防衛力はミサイル防衛に必要な予算を割きすぎたことで崩壊している、認識を共有することは重要です、ただし。

 防衛力を強化するのではなく再構築するという視点をまず第一に示した上で、足りない装備と足りない維持部品などを列挙し、"防衛再構築基金"のような特別会計予算を構築した上で、一つ一つ、いきなり防衛産業に増産を求めることはできない故、数年間でそろえる。

 戦車などは2010年代前半に毎年8両しか予算が認められず、これでは戦車定数の400両をそろえることは難しいために防衛大綱を300両に削減すると、今度は毎年6両しか認められないようになる、定数を減らして現実の調達にあわせようとすれば調達数も削られる。

 GDP2%の点について、防衛費は足りないという懐疑的ではあるにもかかわらず、その増額にどうしても賛同できない背景には、予算を増やしても必要な装備がそろう気配がない、こと。そして予算を増やす政治決定があっても年度ごとに財務省に認められない歴史が。

 財務省が姑息なところは、防衛予算のための増税と責任を防衛省に転嫁する一方で、増税した予算を防衛予算として認める確証はなく、また政府が内閣人事局を設置しながら、民主主義により選ばれ場政治の政策を蔑ろにした官僚を更迭せず義務を怠るという実状です。

 自衛隊がミサイル防衛という巨大事業を組み直しで挑み20年で防衛力が崩壊に近い状態まで追い込まれてしまいましたが、しかし10年間は何とかなりました。これを政府の予算全体で、他の省庁に無理を強いる事は簡単ではないのでしょうが、数年やっては、とおもう。

 10年間なんとかなりましたのはこの2012年の状況を見ればわかるとおりであり、先ず増税ではなく既存予算の組み直しにより、5年間GDP2%の予算を組み、新任務の付与はせず、その上で防衛力を崩壊する前の段階まで、とりあえず再建する事の方が重要でないか。

 ミサイル防衛という新任務、この追加を既存の枠組みにより実施した事で、削り過ぎた各々の部分が維持できなくなり崩壊したのですから、防衛費は数千億円規模で不足するものの、数兆円を必要とはしていません。ただ、一旦崩壊した為に組みなおすには努力が必要です。

 防衛力を再建するには、数年間のGDP2%の支出は必要だと思う、しかし永遠に必要とするほど、自衛隊の想定する任務は広いものではない、GDP1.4%でも充分といえる。他方で再建までの期間であれば増税せずとも、既存枠組で、防衛省はこれまでやってきました故に思うのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】海上自衛隊60周年観艦式【03】観閲艦!ヘリコプター搭載護衛艦くらま出航(2012-10-08)

2022-12-11 20:22:38 | 海上自衛隊 催事
■さあ!観閲艦も出航だ
 今回は先週の日曜特集は短縮版となっていましたので日曜特集"観艦式"を二段構えでお送りします。

 海上自衛隊60周年観艦式は、続く海上自衛隊70周年観艦式へ日本の進めたFOIP開かれたインド太平洋構想、これに基づく安全保障の一国平和主義から国際安全保障協調体制へ、という一つの転換点へ向けての前夜というえる観艦式と云えました、あれから10年で。

 くらま出航、このヘリコプター搭載護衛艦を撮影している際についシャッターを押す際にも指に力がこもるのですが周りの方にも、いや、くらま、次の観艦式にもいますよ、と笑われてしまいました、いやいや次の観艦式もここまで素晴らしい快晴かはわかりませんよ。

 インド洋からアジア太平洋という概念での国際関係をみますと、いわばゲオポリティクス的発想でインドは中国のリムランドという影響下に限られてしまいます、そして中国海軍空母のインド洋進出を単独で対応する負担の大きさが顕在化するのも時間の問題でした。

 シーレーンという視点に依拠するならば、中国は一帯一路政策として大陸に鉄道交通網を整備し拠点中継都市に投資を行おうとも、石油など化石燃料の輸送は貨物列車にタンク車を数十連結するよりもタンカーで輸送する方が遙かに確実で大量輸送できる点は不変だ。

 海上シルクロード構想として一帯一路政策の海上版を進める中国に対して、インドが確実に懸念するのは南沙諸島のような軍事力を背景とした、海洋閉塞化をインド洋でも実施するのではないか、例えばモルディブやミャンマーなどにおいて、という懸念が生じる。

 FOIPの概念は、渡りに船的な発想といえました。自由で開かれたインド太平洋、これを提唱した安倍総理というのはインドにとり国民の友という表現なのかもしれません、故に元首相が暗殺された際には全土に半旗を掲げた、日本でさえ全土に半旗は掲げていないのに。

 NATOのような軍事機構を目指さず、ASEANのような会議主体を志向しなかった点も、FOIPの強さといえるのかもしれません。これは概念であり理念、概念に軍事力で対抗することは不可能ですし、理念であれば加盟基準もなくアゴラの様な対話する広場に過ぎない。

 ステイクホルダー、利害の共有者として理念に参画しなければ、これはかけ声に終わる、声を出すだけならば無料だ、と反論されるかもしれませんが、海上防衛力整備はFOIPと連接するように整備されているのですね。理念を守る立場を明確に示した、行動で示した。

 2012年の海上自衛隊60周年観艦式は2022年の海上自衛隊70周年国際観艦式へとつながる、一つの転換点にあった、こういえるのかもしれません。そしてFOIPの概念は、中国の海洋進出に対してではなく、自由で開かれたインド太平洋の理念への参画を促す圧力へ。

 観艦式と国際観艦式、しかし各国艦艇参加は前々から普通に行われていました、そして今年の国際観艦式はもう一つ重要な点がありまして、海上自衛隊の平時の任務が大きくなり過ぎて、単独で観艦式を行えないような規模となっていたのですね、こうした事情が。

 舞鶴展示訓練が2022年に舞鶴地方隊70周年行事として挙行されましたが、国際観艦式をみまして驚いたのは、あの舞鶴展示訓練は国際観艦式の予行だったのか、という護衛艦の並びでした。観艦式の年度に展示訓練とは思い切ったものと、感嘆したもので、なるほど。

 国際観艦式も自衛隊からの参加艦艇は2010年の伊勢湾展示訓練を思い出す程度、そこに各国艦艇が参加しまして規模を保ったという印象でしょうか。そして舞鶴展示訓練も参加部隊を集めるのに相当苦労していたようでして、艦艇やりくりの難しさが垣間見える。

 舞鶴展示訓練は、展示訓練として相応の規模で開催できましたが、実は五月の時点で中の方に聞きますと、もっと小規模なものであり輸送艦が展示訓練には参加していましたが、当初はこの輸送艦も参加予定艦艇にはなかったという、そこからよくぞかき集めたもの。

 舞鶴の場合、護衛艦数隻に練習艦か多用途支援艦とミサイル艇、掃海艇は調整中、最初の規模はこんな感じでして、参加艦艇は10隻以下でした。ここからかき集めたのですが、一方で公募をおこなったものの実質全員招待者だけではないのか、こんな疑義が私の方にも。

 ただ、COVID-19対策もありましたので、なにしろ感染が深刻な状況ではイージス艦あたご、でさえ乗艦見学を一日40名に絞って5名づつ分けて実施したほど、はるな型で最大1200名収容できるとした定員いっぱい乗せ艦艇広報ができた時代とはことなるのですね。

 実際には招待者は多かった、が、同程度に一般見学者も乗せていた、他方で急遽参加できる艦艇が増えたために募集対象者ということで地本枠を急遽確保した、慎重を期したが幸いというか不安は的中し感染者がでた護衛艦は急遽見学者を乗せなかった、という背景が。

 国際観艦式は停泊式でなく相模湾での観艦式となった、これも前回の国際観艦式が停泊式でしたので、どのように決定したのかは少々関心があるところですが、参加艦艇の規模次第では移動式観艦式ではない可能性はあったのではないか、と、ちょっと調べてみたい。

 艦艇運用の厳しい状況ですが、しかし海上自衛隊80周年観艦式では、大きく変わるかもしれません、いや2032年の話を今から、と思われるかもしれませんが2012年の観艦式写真とともに2032年展望を考えるのですから、まあ行き過ぎというわけではないと思うのです。

 哨戒艦、海上自衛隊の艦艇運用が厳しい現状の背景には、護衛艦、水上戦闘艦であり、対潜対水上対空の各種任務に当たり、そのために年間に年次訓練計画が示されている最中に、日本周辺の艦艇への警戒監視という任務が加えられ、訓練計画が圧迫されている状況が。

 護衛艦の年次訓練計画、それも実弾射撃などは単艦ではなく訓練支援艦が必要ですし、そして護衛艦には訓練のほかに検査がある、定期検査も全検査も、しかし訓練はその向こうに検定があるのですから、こちらは疎かにできないのも確かなのですね、しわ寄は広報へ。

 哨戒艦に期待するのは、警戒監視任務に護衛艦、別にあいては攻撃してくるわけではなく、そして海上保安庁設置法と国際法上軍艦ではなく公船である巡視船にできない法的領域に対応するのですから、護衛艦が訓練に専念できる環境を構築してくれる、ということです。

 広報にも余裕は出てくる可能性がある。哨戒艦は1900tとかなり大きなものですが、乗員は掃海艇よりもかなり抑えられている、そして建造費用はもっと抑えられている。警戒監視任務が増大するならば増やすのは護衛艦を増強するよりも予算的そして人的制約が低い。

 あぶくま型なみに。護衛艦に加えて哨戒艦も1900tもあるのだから、あぶくま型護衛艦なみには見学者が乗せられるのではないか、乗せられる定員が増加するならば一般もよりのりやすくなる、こうした期待はできるのですね。遮浪甲板構造から乗り心地も良さそう。

 国際観艦式は結局停泊式か移動式かは中々決定せず、しかもCOVID-19感染対策の観点から見学者を乗せない形での挙行となりました。しかし次の観艦式には海上自衛隊の陣容もそして任務さえも大きく変容していることでしょうから、そんな事もふと気になりました。

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【日曜特集】海上自衛隊60周年観艦式【02】イージス艦あたご出航!護衛艦ゆうだち出航!(2012-10-08)

2022-12-11 20:00:54 | 海上自衛隊 催事
■艦隊は横須賀を出航
 秋空と冬迫る海の群青と共にいよいよ艦隊は出航してゆきます。

 観艦式の出航風景というものはやはり感慨深い印象を十年を経ても鮮明に思い出します、いや、今年の展示訓練出航の迫力も思い出に残るものですが、出航用意ッという号令とともに喇叭が幾重にも号令を響かせまして、嗚呼出航、動き始めた、という躍動を感じる。

 あたご出航、特に印象深いのは一万トンの護衛艦あたご、その航空機格納庫の上にテレビの討論番組などで有名な方が妙にはしゃいでいる様子が、こちらの護衛艦ゆうだち航空機格納庫からもよく見えたものでした。思わずこちらも帽ふれで応じると笑われてしまう。

 イージス艦の100000馬力ものガスタービンエンジン、おどろいたのは観艦式の出航はこう、ぐわっと一気に出力をあげて加速するのですね、よし倉桟橋まで飛沫が飛ぶような迫力で、出航してゆきました、そうか舞鶴とちがってここは岸壁ではなく桟橋、と気づきます。

 護衛艦が次々と、妙に感心するのは曳船、これだけの出航をどんどん的確に支援していまして、なるほどこうした迫力をみせるというのも、実は観艦式の目的の一つなのかもしれないなあ、こう考えさせられたものです。補給なども含めて基地能力を示している訳だ。

 快晴に恵まれている、こう感じましたのは自衛隊観艦式は天候に左右されるもので、幸いわたしがみることができた観艦式、予行だけの年度のほうが多かったですが五回というのは多いほうと思う、その観艦式すべて晴天に恵まれているのですね、晴れている方がいい。

 晴れている観艦式、これは朝雲や霞というものに視界を狭められるという可能性もあります、時雨に見舞われることもあるし撮影条件には影響するものなのですが、一つは富士山が見えるか、もう一つは横浜ランドマークタワーがみえるか、こうしたところが気になる。

 東京スカイツリーなども建設されましたが、このスカイツリーも浦賀水道を航行していますと晴れていれば見えるのです、でも靄がかかっているとみえない、これは出航するまで自分でみてみるまではわからないものですからちょっとの間でも緊張してしまうのですよ。

 横浜ランドマークタワーくらい見えるかどうか、朝みてみればよい、こう思われるでしょうが観艦式の出航は朝早く、横須賀市内のホテルなどは全部早い時期に満室となってしまいますので少し遠い横須賀線や京急沿線のホテルを探す、朝景色楽しむ時間はありません。

 龍のような巨大な一本の筋雲、琵琶湖ですと天候が崩れる前兆としてものすごい長大な雲がわき上がります、いや先週湖西線で近江今津へ向かう途中に巨大なこの特徴的な雲が見えましたので、ああ今津駐屯地祭天候崩れるなあ、と朝一でわかったものでしたけれども。

 浦賀水道にもそういう独特の雲というのはあるのでしょうか、もう20年ほど前ですが京都市内でかなり低い、白蛇のような細い、戦闘機のヴェイパーでも延びているような気持ちの悪い雲が数本低い場所、四階にいたのですが眼下に見えて、30分後に恐ろしい豪雨が。

 白雲といえば護衛艦のガスタービンエンジンが巻き起こす始動の際の白煙だけでしたので、まず天候は崩れることはないだろうなあ、こうおもっていますと女性自衛官の3佐さんが気象幹部の方でして、今日はお天気大丈夫ですよ、とにっこり微笑んでくださいました。

 海上自衛隊としてもこの60周年観艦式、まあ予行なのですし、予行ですからオーストラリア艦も逸見岸壁に係留したままなのですが、大勢の見学者の方が乗り合わせる観艦式なので、快晴のほうがよいですよね。こうして艦隊は浦賀水道へ、太平洋へ出航してゆくのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】海上自衛隊60周年観艦式【01】横須賀の朝は海上自衛隊70周年国際観艦式へ繋ぐ(2012-10-08)

2022-11-27 20:01:44 | 海上自衛隊 催事
■海上自衛隊六〇周年観艦式
 これが日本の海上防衛力だという特集を今回から紹介します。

 海上自衛隊60周年観艦式を海上自衛隊70周年国際観艦式の実施されました本年からその様子を紹介しましょう。この60周年観艦式は今年行われた国際観艦式とは規模が根本から大きく、よくぞここまで護衛艦を集めたものだ、堂々の観艦式に驚かされたものでした。

 十年前の観艦式、驚くのはこのころにFOIPも艦隊これくしょんも存在しなかったということです。そして日本の防衛は、このままなにもせずに時間を空費するならば、大陸中国に一国平和主義を掲げる日本は単独で立ち向かう必要さえありました、本土決戦主義的に。

 海上防衛というものは、考えれば日本の防衛はゲオポリティクス的なハートランドとリムランドの関係、このゲオポリティクスの提唱者は中華思想的影響を多少なりともうけていたのでしょうが、太平洋に面した海洋国家でありながら発想が大陸的なものという印象だ。

 FOIP自由で開かれたインド太平洋、日本の防衛はこの10年間で大きく転換しましたが、その最たるものは護衛艦いずも型を中心として行われるインド洋地域へプレゼンスオペレーション、ポテンシャルオペレーションと言い換えるべきと信じるのですが、この開始で。

 もっと世界の国々と協力する関係を深めてゆこう、プレゼンスオペレーションの背景にはこうしたものがあります。そして、単なるヘリコプター母艦というヘリコプター搭載護衛艦の位置づけが陸上自衛隊のV-22可動翼機の導入、そして次の段階の航空機導入でかわる。

 F-35B戦闘機、F-35A戦闘機の導入は野田政権時代の決断ですが、安倍政権ではF-35A戦闘機の従来のF-4EJ戦闘機後継という位置づけからF-15Jの一部を置き換えるとともに、護衛艦からさえも発着可能というF-35B戦闘機の導入へ転換したのですね、意味は大きい。

 プレゼンスオペレーション、日本はいわばFOIPのステイクホルダーとして参画するために海上防衛力が実のところ最適ではあるのですが、そのためのポテンシャルを示すには離れた地域へ一定のパワープロジェクション能力を護衛艦に付与させる必要性がありました。

 十年一昔、こういうものですがこの観艦式が挙行されました2012年は、あの東日本大震災、2011年3月11日から一年以上を経ているのですが、その記憶は一年以上を経てなお鮮やかであり、しかし政権は民主党政権から自民党公明党連立政権へと転換した直後という。

 FOIP自由で開かれたインド太平洋、安倍政権が提唱しアジア太平洋という概念からインド太平洋という二つの大洋を結ぶ国際関係へ、ダイナミズムという転換期を迎えつつありましたのが、この2012年という時代です。これはマルチラテラリズムといういみで、です。

 多極化時代、考えてみますと京都大学の高坂学派は冷戦時代から多極化時代という認識で国際関係を研究していましたが、安倍政権の外交ブレーンたちはこの門下生がおおく、そして外務省にも多く、神川学派の戦後体系化の分散とは一線を画した認識といえました。

 田岡良一の国際法学派からの影響、もともと司法は国際慣習法の時代から大国と小国の関係を国際関係の慣行と慣習の整合化という、多極化を志向していた概念とみることもできるのですが、高坂教授の国際関係の理念は根底に田岡良一教授の影響をみる事ができます。

 神川先生の時代は日本の国際関係を考える場合、なにしろ東京帝国大学の時代ですので戦前の国際観に依拠した多極化というよりも大国間関係という認識が基盤としてあり、これはいまでの比較的容易に入手できる全集を読んでみても幾つかき付かされることでしょう。

 マルチラテラリズムの認識は、これは国際政治という認識から世界政治という認識という非国家主体の国際公序醸成への影響という、2000年代と比較しますと2020年代には非国家主体の関与度合いは若干後退したのか、分散した印象も受けますが、合致する点もある。

 FOIPの認識とマルチラテラリズムとの関係ですが、従来のアジア太平洋という認識では、アジアは中国で太平洋はアメリカ、いやアジアには日本も韓国も東南アジアもあるし太平洋にはオセアニアも太平洋諸国も、という反論はあるでしょうが、二元的構図に違いない。

 二極論、こうしますと日本の位置づけが非常に微妙なたち位置となります、もちろん大東亜共栄圏を掲げていました1940年代の日本であれば、二極論の一方に陣営をくむことはできるのかもしれませんが、アメリカと中国、どちらかに一方で対抗できる国力はもうない。

 単極化とは1990年代にソ連崩壊の後の国際関係はアメリカ一極となる認識が一応は存在していました、これは国力をハードパワーだけではなくソフトパワーという部分も含めてです。ただ、2010年代に入りますと、ハードパワーでは競合国が生まれてくるという認識が。

 ソフトパワーの国際関係、やはり世界政治というものは認識の領域が広いものですから敢えてこの単語を選択するのですが、この点については、アメリカの認識、いや欧米と言い換えてもよいのでしょうか、幾分強いよう考えるのです、それは個人のポテンシャルから。

 自由主義と社会主義という認識は、民主主義と権威主義というように微妙に変化しているといえます、社会主義というには中国は資本の共有が偏りすぎていますし、安易に自由主義国と区分することはできません、すると政治システムの部分から類別する手法をとる。

 権威主義国は個人の価値観を国家が定型化するのにたいして、民主主義国は自由主義という選択肢を国家が選ぶこと、個人の価値観についてを内心の自由として、いわば尊重される制度である。ここでどちらが良いかをとう結論がソフトパワーの強さと解釈できうる。

 アジア太平洋の概念では、日本という位置が明確に示すことが難しい、一方で、再度日本に高度経済成長時代のような年率10%の経済成長は、10%成長ならば7年で経済力は2倍となり物価も連動する、そんなものは望めないのですし、軍事力も今更核開発しても、と。

 二極構造では、日本と中国という構図では日本がアメリカを凌駕する国力をもつ、ちょっと考えにくい構図となりますし、中国ではなく日本がアジアの中心としてアジア30億の代表を担うという概念、1940年代に潰えました、すると多極化しか生き残る手段はなくなる。

 FOIPはその発想の延長であり、インド太平洋と二つの大洋を結ぶ概念に意味があります、インド太平洋という概念ならば人口で中国に対抗しうるインドが加わる、こう考えるだけではなく二つの大洋を結ぶ国際関係という認識を加えれば、もう一つの要諦が加わります。

 ヨーロッパは地中海地域がアラビア半島を通じてインド太平洋地域に隣接していますし、なによりも知的財産と先端工業の集約拠点というヨーロッパの地政学的用件はアジアと車輪の両輪が如く相関関係を有していますので、地域安全保障にも大きく関与する余地が。

 安倍政権の時代から日本と各国の防衛関係は大きく前進している、FOIPの概念とともにインド海軍東部艦隊司令官が、小さくない規模の艦隊とともに横須賀基地を親善訪問したことは記憶するところです、いわばFOIPはインドを国際政治の頂に持ち上げた構図というわけなのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【国際観艦式2022】もがみ・あたご,SF的外見の最新鋭護衛艦横浜港接岸はSFそのものガンダムベースに隣接

2022-11-14 07:01:44 | 海上自衛隊 催事
■大団円の国際観艦式
 世の中凄い情景と出会う事は稀にあるのですけれども今回の国際観艦式は違う意味で凄かった。

 東京国際クルーズターミナルにて先週末に行われました護衛艦もがみ、くまの一般公開は友人が行った現地から情報を頂いたのですが、なんでも三時間待ちだったとかで、凄いなあ、と思いつつ、しかし見上げているだけではなく確かに一度一般公開で撮影したいなと。

 もがみ、あたご、大きさが違うところでありミサイル護衛艦と多機能護衛艦の違いを端的に示すようなところですが、もがみ型、初めて完成予想図を視ました際にはSFチックだと思いつつ、しかし、あきづき型も当初はかなりSF的なイメージが現在に落ち着いた事例が。

 あきづき型もSFチックな形状がしかし実際に建造されますと艦首は通常型となりますともモノポールマストとなりまして、こうした歴史がある為にFFM多機能護衛艦も収斂すると思っていましたが、その建造の様子と進水式の模様に接し、本当にそのままなのだ、と。

 SFチック。そうSFです、SDFだと自衛隊になってしまいますが。この国際観艦式では、もがみ型が勢ぞろいして参加するという点が、就役したばかりなのに、と驚きだったのですが、もっと驚いたのは横浜港で、もがみ接岸が、なんというかSFチックな場所という。

 ガンダム、凄いのがみられるぞお、と友人からお教えいただいたのは横浜ガンダムベースと接岸している護衛艦との並びです。横浜ガンダムベース、動く実物大ガンダムを設置したコンセプトショップなのですが、入場料を支払うと誰でも見学でき、撮影もできます。

 ホワイトベース、護衛艦かが通称がホワイトベースとなていまして、現在はF-35B戦闘機搭載改修が呉で進められているところですが、かが接岸がここだったらもっと凄い情景になるのになあ、こう思ってしまいました次第です。自衛隊21世紀、未来の自衛隊がありました。

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【国際観艦式2022】あたご&もがみ停泊の山下埠頭,くまの&はたかぜ&せとぎり&ぶんご停泊の米軍瑞穂埠頭

2022-11-09 07:01:03 | 海上自衛隊 催事
■横浜の護衛艦隊
 国際観艦式の横浜停泊艦艇の様子を本日も紹介しましょう。

 あたご、もがみ。あたご型護衛艦が建造された当時はステルス性を重視したモノポールマスト等先進的な設計に時代の移ろいを感じたもの、そして、あたご就役は北大路機関創設後なのですが2000年代の護衛艦、もがみ、2020年代の護衛艦、20年の違いを感じる。

 もがみマスト部分を拡大します。2020年というCOVID-19感染拡大の最中に進水式を迎え建造された、いわば自衛隊行事空白期に量産が開始された護衛艦、毎年2隻を建造するという久々の量産体制により、短期間で海上自衛隊の艦隊運用を一新させる護衛艦といえる。

 くまの、その奥に見えるのは練習艦はたかぜ、でしょうか。こちらは横浜港瑞穂埠頭、いわゆる米軍埠頭です。横浜港は戦後この重要埠頭を米軍が占有した事で復興に影響が及びました。一方、瑞穂埠頭は相模原総合補給処や横田基地を結ぶ米軍兵站の要衝の一つ。

 せとぎり、奥には掃海母艦ぶんご。あさぎり型護衛艦も今後は新型の護衛艦もがみ型に置換えられ早ければ十年を経ずして護衛艦からは退役するのでしょうか。ロービジ塗装となりました護衛艦あさぎり型は今見ておくべき艦です。そして掃海母艦、後継はどうなるか。

 インペッカブル、アメリカ海軍の音響測定艦で、双胴船体から長大なSURTASS曳航アレイ式探知装置を繰り出して広範囲の対潜情報を収集、中国海軍の潜水艦建造速度が冷戦時代のソ連潜水艦建造速度に匹敵する状況である昨今には重要な平時の情報収集手段です。

 瑞穂埠頭は横浜ノースドックとも呼ばれ、朝鮮半島有事等における兵站拠点となるのですが韓国軍の近代化と戦時作戦権返還などで横浜港の一等地に位置するこの埠頭がどのように日米間で扱われるか、当面使わない鉄道線路跡返還など進み、今後の関心事ですよね。

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【国際観艦式2022】海上自衛隊創設七〇周年記念行事に賑わう横浜大桟橋と山下埠頭に集う海上自衛隊艦艇

2022-11-05 20:01:12 | 海上自衛隊 催事
■横浜の護衛艦隊
 国際観艦式に賑わう横浜の様子をお伝えしましょう。ヘリコプター搭載護衛艦いずも停泊は逸見桟橋が多いのですがこの時ほどは近くで見る事は出来ない。

 国際観艦式2022、海上自衛隊は2022年に創設70周年を迎える事となりました。そして2019年観艦式が巨大台風接近の関係で中止となりましたが、2012年の自衛隊観艦式、60周年観艦式は護衛艦ゆうだち艦上から様子を撮影した事を昨日のように思い出すのです。

 横浜、護衛艦いずも、満載排水量27000tの巨大な護衛艦が停泊していますと一軒此処は横須賀基地、こう思わされるものなのですけれどもここは横浜大桟橋、そして横須賀基地はこの日、国際観艦式参加の外国艦艇が吉倉桟橋も逸見桟橋も船越地区も満杯という状況で。

 あたご、はわかるのですが最初手前にもう一隻並んでいるのは停めにはわかりませんでした、しかしよくよく目を凝らしてみてみますと、護衛艦もがみ停泊というのが分ります。今後20隻規模で増強される最新鋭の護衛艦もがみ型、あたご隣ですと実にコンパクトだ。

 横須賀にお客様をお迎えして横浜に護衛艦は一斉に移動しているかたちです。海上自衛隊には年々平時における任務の増大を受け艦艇運用に非常に厳しい体制となっており、観艦式の為に艦艇を一週間程度に数十隻集めるだけでも艦艇運用にはかなりの苦労でした。

 羽田沖の停泊式観艦式、海上自衛隊は2002年に海上自衛隊創設50周年国際観艦式を実施した際には、相模湾ではなく羽田沖で国際観艦式を実施しています。小規模ではあったのですが、しかし、2002年度は中央観閲式の実施年度、観艦式以外の50周年行事でした。

 2009年観艦式は、ここに就役したばかりのヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、が停泊していました。艦内でのシンポジウムにも参加という機会がありまして、しかし大きな護衛艦だと当時は考えさせられたものの、この大桟橋、新港埠頭から見ますと意外な情景という。

 大桟橋停泊の当時の護衛艦ひゅうが、新港埠頭から見ますとこの埠頭そのものが空母のように見えて、ひゅうが艦橋をその奥に見ますととんでも無く巨大な空母のように見えた、そう気づいた方が居まして、そんな構図が在ったのかと少々自分の直感の薄さを悔やんだ。

 いずも。満載排水量27000tの護衛艦ですが、これは大桟橋が430mですのでニミッツ級空母と比べても更に100mほど長いのですが、護衛艦いずも全長は248m、ひゅうが全長よりも50mも長く全幅もさらに大きいものなのですから、いやはや巨大な艦を造ったものです。

 もがみ、あたご。あたご全長と比べれば大きさは、こう言いたいところですが、あたご満載排水量は10000tありまして、もがみ満載排水量は4900t、基準排水量では昔かなり大型だったミサイル護衛艦たちかぜ型よりも大きいのですから、護衛艦、大きくなっています。

 山下埠頭に、あたご、もがみ、停泊しているのですが山下公園から先程の大桟橋を眺めますと、いずも、その巨大さが改めて感じます。そして昨年の2021年にはF-35B戦闘機をこの甲板で、アメリカ海兵隊の協力を受け発着試験に成功、時代は変わったと改めて思う。

 くにさき、あたご。先日護衛艦くまの乗員の方のお話を聞く機会が在ったのですが、あの7月、久しぶりに護衛艦に乗れたという舞鶴展示訓練は、この二隻が参加していますが、展示訓練そのものが観艦式の予行的な位置づけであったという事でして。考えたものだ。

 横浜の国際観艦式2022、フリートウィーク、一般公開は来週も行われるのですが明日はその本番ということでして、観音崎など東京湾の湾口付近では出航と午後からは入港も良く見えるでしょう。そして一般公開日以外でもいま、横浜はこうした賑わいとなっています。

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【日曜特集】かしま-はるな雪景色と練習艦隊舞鶴寄港【3】平和な時代の舞鶴(2008-02-17)

2022-02-27 20:05:17 | 海上自衛隊 催事
■平和な時代を懐かしむ
 護衛艦はるな、その前半生は核戦争も辞さない東西冷戦下の緊張に在りましたが後半生は冷戦後の平和な時代にありました。

 日本海の厳しい季節を印象付ける冬の舞鶴特集は、この第三回が最終回です。この第一回を掲載開始した際には、ウクライナとロシアの国境地域ではロシア軍の集結が開始されていましたが、極めて緊迫した状況ではあったものの、幾つかの可能性は残っていました。

 ロシア軍が撤収する可能性、若しくはウクライナ東部への限定侵攻に留まる可能性であり、首都キエフへの全面侵攻は、特に緒戦から一気に首都を攻撃する行動までは、有り得た可能性の中でも比較的低く、この数日間で世界は変わってしまったという印象が非常に強い。

 はるな。雪の護衛艦はるな、この情景というものを撮影しつつ、護衛艦はるな建造は東西冷戦の真っただ中、1973年、世界では第四次中東戦争が激戦し印パ戦争も緊張、国連からは中華民国が離脱し中華人民共和国国連加盟など、激動の時代を生きた護衛艦でした。

 雪の舞鶴、護衛艦はるな。一時代を代表する情景です。もっとも実は護衛艦はるな舞鶴時代というのは1998年から2009年の除籍までという期間でありまして、1973年に三菱重工長崎にて建造された自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦は佐世保基地の時代が長かった。

 はるな、くらま。この佐世保時代はるな所属は第2護衛隊群第52護衛隊として、ヘリコプター搭載護衛艦2隻を基幹とする部隊の所属、HSS-2哨戒ヘリコプター6機を集中運用する部隊として機動的な対潜任務を展開していた、ヘリコプターが普及すると運用は換わる。

 はつゆき型護衛艦、雪の中で語るのは風情あるものですが、はつゆき型護衛艦はHSS-2ヘリコプターを搭載できますので、この新型護衛艦の量産が始まりますと、ヘリコプター搭載護衛艦は集中運用から護衛隊群の旗艦的位置づけへ転換してゆき、所属も転籍します。

 第二護衛隊群から第三護衛隊群へ。はるな所属は転換します、が当面は母港は舞鶴基地でした。背景には艦載機が大村航空基地に配備されていまして、この時代は司令部が大変でした。旗艦は佐世保にあるのですが、司令部は舞鶴にある、長崎県と京都府、距離が遠い。

 しまかぜ。第三護衛隊群司令部は、演習に際して先ず舞鶴基地にていちばん大きなミサイル護衛艦しまかぜ、必要な機材を持ち乗艦して出航、そこから日本海にて護衛艦はるな艦載機にて出向する、群訓練のその都度に引っ越しを何度も行う司令部、という状態でした。

 舞鶴航空基地が建設されますと、この舞鶴基地から指呼の距離の航空基地にヘリコプターを置けることとなりますので、母港も佐世保から舞鶴へ。舞鶴航空基地建設は革新政党の一部に反対はあったようですが舞鶴市内ではおおむね歓迎されていまして、そして。

 2003年由良川水害、大きな災害が京都北部を襲いました。この際にバスが氾濫した河川に取り残される緊急事態がありましたが、ちょうど近くに航空基地が、SH-60哨戒ヘリコプターによるピストン空輸を実施します。そしてこの水害の際には僥倖な出来事があった。

 由良側水害にはSH-60とともにS-61が災害派遣していまして、館山航空基地から訓練へ展開していた救難ヘリコプターが、救難員ともども舞鶴航空基地にいまして災害派遣へ加入派遣、たいへんな水害でしたがヘリコプターが孤立したバス乗客を救助しています。

 舞鶴航空基地はこうした歴史があるのですけれども、しかしもう一つ、はるな型護衛艦が運用された時代、建造当時は石油危機、現在のロシア軍ウクライナ侵攻により天然ガスの取引価格が急上昇していますが、1973年石油危機は大変なインフレを引き起こしています。

 自衛隊改編として1974年に第四護衛隊群が新編されていますが、この時代にはいまのロシア以上にソ連太平洋艦隊の軍事圧力が非常に大きく、日本防衛は海上防衛というよりも北海道へ直接侵攻が、高い蓋然性をもつ脅威として認識されていた、そんな時代があった。

 DDH,海上自衛隊は潜水艦への対処に特化した、こう一時代を説明する動きがありましたが、ソ連太平洋艦隊の膨大な巡洋艦保有数を考えますと、水上打撃部隊により対抗しようと考えた場合、艦対艦ミサイルが当時はハープーンも開発中で対応するものがありません。

 スタンダードSM-1ミサイルは誘導方法によっては対艦ミサイルとして転用できることは発見されていましたが、ミサイルはスウェーデンのほうがアメリカより進んでいたほどでしたので、日本が入手できるミサイルとなりますと、国産でもしなければ無かったという。

 潜水艦、海上自衛隊はソ連の北海道侵攻に際して1970年代には、北海道と本州を結ぶ増援部隊の護衛、そして日本のシーレーンへの防衛を重視し、その上でソ連艦隊への攻撃は潜水艦、またわずかですが魚雷艇によるゲリラ的な戦闘が構想されていた、厳しい状況が。

 ひゅうが型護衛艦、いずも型護衛艦、これらにF-35B戦闘機を搭載しようという2020年代に、しかも艦隊防空のイージス艦は、こんごう型、あたご型、まや型と数が揃いまして、汎用護衛艦も、むらさめ型、たかなみ型、あきづき型、あさひ型、相応に強力な陣容に。

 冷戦時代と比較するならば、潜水艦と魚雷艇という厳しい戦いから、日本に対してロシア軍が軍事行動を行った場合に相応な代価を払わせられますし、ロシア軍が今回ウクライナへ250発の巡航ミサイルを撃ちましたが、一個護衛隊群で何とか耐えられる水準にある。

 防衛力は強化されたものですか、一方で、ロシア軍が隣国に意味不明の、核開発や民族浄化という、そんな事を聞いた事も無いしロシアではやっている印象はあるが攻められた側にはやりそうな行政の雰囲気が無い、状況で侵攻されるなど、ちょっと想像ができません。

 ロシアの脅威、まさかこの写真を撮影した当時は、ロシアの脅威再来なんてものは考えられなかったもので、いや撮影した前年にロシアはNATOのオブザーバー国を離脱、東欧ミサイル防衛配備計画への反発が背景にありましたが、一時的なものだと理解していました。

 ウクライナ侵攻、2021年末から高まった脅威は2022年2月にウクライナ危機からウクライナ有事としてロシア軍が侵攻しています、今後、昨年までの日ロ関係に戻るには相当な時間が必要でしょう。舞鶴ではロシア艦を何度か見学する機会があったのですけれども。

 厳しい時代が来るのか。現代は2020年から2022年の今日に至るもCOVID-19という厳しい状況下にあり、非日常という点では撮影に雪中を歩みました当時とはずいぶん違うのですけれども、軍事、安全保障という面では、冷戦時代の緊張が戻ってきたという印象です。

 ロシアは資源大国である為、日本はロシアから天然ガスを殆ど輸入しないものの欧州は依存度が高い為、ロシアから輸入できない天然ガスを輸入しようとするならば日本と同じ中東の天然ガスを奪い合い燃料費が高騰し得る、また、ウクライナとロシアは穀物輸出国だ。

 日本経済にも影響が大きくなります、もっとも、日本が防衛力整備に膨大な予算を必要とするようになったのは、日本経済の世界における地位が多極化、円安で平和を日本が買いたたけない為という説明をしますが、同時にこの戦争は民主主義の値段も上がる事を示す。

 円安で平和を日本が買いたたけない、故に防衛費を高めなければ、日本国家が平和主義なので“平和在れ”と願うだけで周辺国が日本との経済関係を重視し云々、という平和がかたちだけでも保たれる時代は、中国の経済成長で過去のものとなった構図なのですが。

 民主主義、いや自己実現の為の人間の自由、こうしたものが21世紀の今日に改めて問われ、空気の様に有るとおもったものが、維持する為に経済上の苦境などを耐えなければならない時代が来る、この写真を撮影した時代は色々ありましたが、安心な平和の時代でしたね。

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【日曜特集】かしま-はるな雪景色と練習艦隊舞鶴寄港【2】文庫山の冬景色(2008-02-17)

2022-02-13 20:16:09 | 海上自衛隊 催事
■はるな撮影へ白銀の舞鶴を往く
 本日も首都圏は大雪と云う報道ですが、時勢に合せて雪の舞鶴を。舞鶴の吹雪と云うのは数分単位で視界がホワイトアウトしたり急に遠景の峰々の稜線が見えたりもします。

 はるな雪景色、舞鶴らしい情景です。しかし撮影に行くのは大変だ、市役所駐車場とATM、ミサイルではなくキャッシュディスペンサーのほう、このあたりから赤レンガ博物館のあたりにかけて撮影適地なのですが、それは構図の話であり、歩くには適地ではありません。

 あさぎり、あさぎり艦番号は151ではないかと反論が来そうですが2000年代の日本は平和で、あさぎり型護衛艦は2005年に艦番号を3516として練習艦に転籍していました、それが情勢悪化で2012年に元々の艦番号151に戻されましたので、情勢緊迫を感じたものだ。

 しまゆき。艦番号3513は先ごろ最後の一隻が除籍された護衛艦はつゆき型転籍の練習艦です、12番艦なのですが1999年に護衛艦はつゆき型として最初に練習艦に転籍されましたので、新しいのにと云われた頃も。しかし2000年代は、むらさめ練習艦転籍の噂も在った。

 舞鶴はこうした雪景色が美しいのですけれども、日本海側の気象は変わりやすいという代名詞的なものでして、そして自動車でもスタッドレスタイヤでは厳しいほど、国道27号線には雪が積もります、夏場に国土交通省の除雪基地をみますと実感はわかないのですが。

 除雪基地、冬場には除雪基地のありがたさが身にしみる。第3護衛隊群は第3護衛隊が舞鶴で第7護衛隊が大湊ですが、大湊の雪もなにしろ津軽海峡冬景色です、凄いといいまして、寒さに泣き寂しさに泣き土地の人情深さに泣くという、大湊は三度泣く基地という。

 大湊は三度泣く基地という、だから3つながりで配備されているのが第3護衛隊群というわけではないのでしょうけれども、この護衛隊群は豪雪地に基地をおいているという印象ですね。1998年までは護衛艦はるな母港は長崎県の佐世保基地でしたが、あちらは暖かい。

 ましゅう。海上自衛隊最大の、とっても二種類しかありませんが、補給艦が見えない程にやはり雪が強くなってきました、この撮影位置は文庫山という老人福祉施設なのですが、高台の美しい眺望が嬉しい施設も、この後に2021年に移転閉鎖されることとなりました。

 舞鶴基地撮影は、北吸岸壁で間近に護衛艦と練習艦を、そして高台の文庫山を撮影し、更に北海道とを結ぶ新日本海フェリーのターミナルに隣接する前島埠頭とを移動します、徒歩で30分もかからないのですが、雪が強いと話は全く別物の雪中行軍となったりします。

 ミサイル艇、この気象ですと今の艦番号ロービジ塗装では判別できないかもしれない、入港してくる様子が見えてはいたのですが、雪景色とともに風情ある、と言うよりは迷彩効果を実感するという率直な印象をうけました。艦番号はもちろん艦影もうっすらとしか。

 141は護衛艦はるな、それでは825のミサイル艇は、といいますとミサイル艇わかたか。ところでミサイル護衛艦は艦番号180はぐろ、でイージス艦8隻体制は完成したのですが、181にヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、次のイージス艦はどうなるのだろう、141かな。

 ミサイル艇は、一頃には旧式化した護衛艦を置き換える、地方隊に沿岸護衛用の小型護衛艦、ちくご型護衛艦等配備されていたころには期待された装備ですが、そもそも護衛艦と異なりミサイル艇は潜水艦などによる接近には対処できず、専ら水上目標にのみ、備える。

 哨戒艇にミサイル艇はある意味でちかい装備でもあります。哨戒艇にちかいというのはミサイル艇に哨戒艇が127mm艦砲に代えて同等の対艦ミサイルを搭載したものもあったほどですからね。はるな艦砲とミサイル艇の並ぶ様子をみますと、ふとそんなことを思った。

 2022年の視点から見ますと、哨戒艦が建造されようとしている時代ですので、そもそも哨戒艦が想定するような中国艦やロシア艦への警戒監視任務と少子高齢化の自衛官不足との両立を考えれば、ミサイル艇の方が勤務は海上勤務でも気楽なのかもしれませんよね。

 哨戒艦は居住性を強化させて長期の航海に云々、というよりもその日の内に基地へ戻れるという日帰り任務の多いミサイル艇の方が、現代の働き型改革には向いているのではないかとも考えてしまうのですよね。もっとも航海手当という点を踏まえれば別ともいえます。

 ちくご型護衛艦は、アスロック対潜ロケットを装備した小型だが有力な対潜護衛艦でしたが、艦対艦ミサイル対処能力の低さが指摘されていました、が、それはオイルショック前に指摘されており、これも1970年代半ばに改良型が建造される計画があったものですが。

 オイルショック、新しい護衛艦計画があっても1973年オイルショックで建造できなかった、という背景があります。もっとも、ミサイル艇の先進国というべき草創期からの運用経験を持つスウェーデンやフィンランドでは、ミサイル艇は沿岸砲兵の一部として運用される。

 沿岸部の地対空ミサイル部隊や地対艦ミサイルの援護下で、プレゼンスの発揮に活用される運用が基本といい、いわば接近拒否、ミサイル艇が展開している地域には隠れているだけで有力な沿岸配備部隊が陣地構築している誇示という位置づけがあったようです。さて。

 舞鶴基地へ戻ります、除雪、なかなか大変な状況が続いていますが、なにしろ舞鶴というのは、目の前で駅のホームがみるみる白く、という積雪を誇張ではなく発車待ちの最中に見れる程ですので除雪しても追加で積る積雪に難渋している構図、基地にも除雪車が要る。

 ミサイル艇は個艦防空能力も限られるため、単体で運用した場合には哨戒ヘリコプターに搭載される射程の短い対艦ミサイルでも容易に無力化されるなか、有用に運用される背景にはこうしたものがありました。自衛隊はこの点、昔の魚雷艇を普通に置換えた構図です。

 海上自衛隊には地対艦ミサイル部隊はもちろん、地対空ミサイル部隊も、少し前まで大湊航空基地に81式短距離地対空誘導弾が配備されていたものも廃止されており、そういった意味では時代遅れといいますか、そくまでかんがえない運用の錯誤があったのでしょうね。

 もがみ型護衛艦。最終的にミサイル艇の任務は再来月の竣工に向け最後の艤装工事が進む新型護衛艦へと転換される構図ですが、稼働率を高める為に3隻の護衛隊に4隻分の乗員を充てて休養を確実に採らせられる方式という、かなり野心的な試みがとられるという。

 艦こそ我が家、その号令一下海上自衛隊は艦隊を編成してきましたが、今後は自分が護衛艦もがみ乗員とか、護衛艦やはぎ乗員、と意気軒高となるのではなく、自分は第XX護衛隊の要員、となるのでしょうか。稼働率を考えねばならない程情勢は緊迫化している訳です。

 しらせ。舞鶴から造船業が撤退するという話題が昨年大きな話題となりましたが、この2008年というのは舞鶴で砕氷艦しらせ建造が行われていたのですね、それくらいに昔ですので練習艦を護衛艦に戻したり、艦番号を読めなくする必要も無かった、ということでもある。

 はるな雪景色を基地の岸壁以外の場所から撮影する為に、舞鶴市役所まで移動しました。背負い式の5インチ単装砲と巨大な航空機格納庫、日本の水上戦闘艦部隊運用研究の一つの独自到達点で、しかしこの撮影の時点で後継艦ひゅうが建造が進んでいた護衛艦でもあります。

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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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