北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】かしま-はるな雪景色と練習艦隊舞鶴寄港【1】北吸岸壁冬景色(2008-02-17)

2022-01-30 20:08:49 | 海上自衛隊 催事
■雪積る白銀の舞鶴基地
 雪景色を真夏の日曜特集に、こう考えたのですが気が疲れるだけで涼など感じられません、やはり雪景色は窓の外にも寒さ一際厳しいこの冬景色の最中に紹介したいものです。

 かしま。練習艦かしま、舞鶴基地に入港の様子です。近海練習航海部隊として舞鶴基地へ寄港していますが、その舞鶴基地は白銀の情景、日本海らしいといえばその通りですが、普段見慣れた情景も雪景色となりますと新鮮この上ない美しさを感じるものなのですね。

 うみぎり、かしま。あさぎり型護衛艦の8番艦うみぎり、が近海練習航海へ参加しています。今となっては平和な時代だった2008年、あさぎり型護衛艦が2隻練習艦へ転籍していまして、護衛艦隊も今とは比較にならない程に周辺情勢が安定しており余裕がありました。

 舞鶴基地も、COVID-19感染拡大と共に毎週末のお楽しみでした一般公開が中断していますが、2010年代に入りますと雪の天候では一般公開が中止されるようになりました、もっとも舞鶴の場合は雪景色というよりは雪害というほどに積雪が凄い事になる為なのですが。

 あさぎり、しまゆき。はつゆき型はこうした雪景色に似合う、のは名前だけでして。あさぎり、はこの写真撮影当時、練習艦となっています、よくみますと格納庫にコンテナのようなものがみえますが、このコンテナはプレハブ式の教場、やはり練習艦らしい構造です。

 はるな。遠景にかすんで見えますのがヘリコプター搭載護衛艦はるな。はるな、長く佐世保を母港としていましたが1998年に舞鶴基地に転籍しました、それは舞鶴に飛行場が無かった時代、艦載機を大村航空基地に配置していた為なのですが、舞鶴航空基地が出来た。

 第3護衛隊群の直轄艦はるな、折角舞鶴まで雪中行軍したのですから、はるな、正面から撮影したいなあ、こう考えるのは至極自然の流れなのですけれども、基地の隊員さん曰く、ここから先は危険です、と。北吸岸壁は海上自衛隊の岸壁では最長、除雪も大変なのだ。

 あぶくま。北吸岸壁は海上自衛隊の岸壁としては最長の長さを誇るのですが、一般公開の門扉はその中央部にありまして、その門扉の近くに近海練習航海部隊が接岸しています、そして総監視閲のために除雪されているのですが、あぶくま係留位置はその近くという。

 除雪の様子はこうした状況となっていました、放水で融雪しているという状況ですね。実は東舞鶴駅から舞鶴基地まで、全く除雪されていませんでしたので、この道中もかなり難儀したものでした。水を含みますと霙のようにはなるのですが、積るよりは、という訳ね。

 はやぶさ型ミサイル艇と除雪の様子、こうして除雪が進むのならば待っていれば護衛艦はるな撮影までたどり着けるかな、と思うのですが、この北吸岸壁は1km以上ある長大な岸壁です、そしてミサイル艇の停泊しているのは真逆の西端、はるな係留は東端にたたずむ。

 造船所側に、なにか停泊している、白い艦番号がみえて、8と、2、そして8かな。視力検査のようになっている、今のロービジ塗装では艦番号が読み取れない事は確実でしょうね、艦番号828はミサイル艇はやぶさ型のミサイル艇うみたか、それにしても吹雪がすごいね。

 うみたか、護衛艦と練習艦の狭間から見えました。ところで除雪が進む最中なのですが、また改めて降り始めたという。一方意外に思われるかもしれませんが京都府の積雪地である舞鶴は、真夏はフェーン現象で京都府一番の猛暑酷暑を誇る場所ともいう、なんて事だ。

 舞鶴の豪雪、気をつけねばならないのは舞鶴線と山陰本線の運行状況です、もっとも当時はCOVID-19なんていう恐ろしいものはありませんし、そして東舞鶴駅前にはサウナのカプセルホテル“赤レンガ”がありました、もう営業再開無く取り壊されてしまいましたが。

 あぶくまの滝、いや護衛艦あぶくま艦上から融雪されました水が流れているだけなのですが。あぶくま、この頃は舞鶴地方隊所属でした、そして1999年に海上自衛隊初の海王警備行動命令が発令された際、護衛艦はるな、みょうこう、あぶくま、が任務に当りました。

 みょうこう、対岸の造船所側に整備中です。こんごう型ミサイル護衛艦3番艦、満載排水量9500tのイージス艦あたご配備までは舞鶴基地最大の護衛艦であると共に、1998年に北朝鮮が長距離弾道ミサイルテポドン発射試験を実施した際、世界で初めて追尾に成功した。

 ユニバーサル造船、この頃の社名はこちらでしたか、舞鶴ではとうとう造船業が廃業し艦船整備専業となってしまいましたが、日立造船舞鶴工場以来の伝統ある造船所です。整備もさることながら造船能力は高く、例えば高速輸送船などもっと発注すべきだったと思う。

 うみぎり、うみどり。うみどり、というのはミサイル艇ではなくこちらの白い鳥さんです、うみぎり、のほうは海象ではなく護衛艦だ。舞鶴らしい情景、除雪が完了していないからこその不思議な情感を醸すこの写真は撮影から何年経ても見返すほどの好きな構図です。

 うみどり。改めてほのぼのとした情景なのですが、しかし雪の日と云うのは撮影していますと大変です、特に降っている最中は雪は舞い上がりますので、防滴カバーを掻い潜るようにレンズに付着し、しかも雨滴よりもカメラのレンズを曇らせてしまう、難儀するのだ。

 公用車が練習艦かしま舷門に横付けしています、舞鶴地方総監加藤耕司海将の表敬訪問です。この日に入港した練習艦隊、晴天や曇天と多少小雨ならば舞鶴水交会や隊友会と家族会が盛大な入港歓迎式典を行うのですけれども、この年はどうだったのでしょうか雪で。

 練習艦隊司令官は井上力海将補が務めていました。練習艦隊司令官の前には呉基地に司令部を置く第4護衛隊群司令として護衛艦ひえい、に居られたとのことですが、先代の戦艦比叡は練習戦艦となった歴史もあります。なお、かしま先代も先代は練習巡洋艦鹿島です。

 舞鶴地方総監加藤耕司海将が表敬訪問を終えて総監部へ戻られます。総監部は鎮守府庁舎を受け継ぐ立派な建物ですが、ちなみに護衛艦はるな以下第3護衛隊群の司令部はこの北吸岸壁の端の方に小さな部屋がありまして、ちょっと落差に驚いたのを思い出すところで。

 みょうこう全景が見えてまいりました、日本海側の冬の天候は変わりやすい、こういわれるところなのですが、誇大表現では無く数分ごと一新します、すると撮影位置を移動する時機というものが短時間で変化しているのですね、そう、風を読み雪を読まねばならない。

 かしま、うみぎり、並びと共に風を読み雪を読まねばならないというのは、この日に雪景色のヘリコプター搭載護衛艦はるな撮影という主題が練習艦隊撮影と並んで目標としていましたので、積雪で正面に回れないのであれば、さてどこから撮影するか、決めねば、と。

 かしま舷門を前に、やはり一旦は北吸岸壁を、つまり舞鶴基地を出て撮影するべきかな、と。2020年代と違い、基地は手荷物検査により一般公開日は混雑せず出入りできました、すると舞鶴市役所のあたりから撮影する、そういう選択肢でも割と簡単だったのですね。

 はるな撮影を基地から文庫山など周辺の山頂に雪中を移動しようとしていたところ、そこを日本海側の厳しい冬将軍の寒波が襲おうとしていた、そんな事はありませんでしたのでご安心してお読みください。舞鶴線も山陰線もまだ大丈夫という事でしたから、大丈夫ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】練習艦隊江田島出航2021(4)平和担う新任幹部の前途に幸あれ(2021-03-13)

2021-12-12 20:02:30 | 海上自衛隊 催事
■練習艦隊江田島出航
 江田島基地を出航する練習艦隊、新任幹部の門出を示す練習艦隊の特集もいよいよ大団円が近づいてきたところです。

 練習艦隊が3月13日、江田島基地を出航しました。令和3年近海練習航海部隊と令和2年度外洋練習航海部隊、練習艦かしま、掃海母艦うらが、訓練支援艦てんりゅう、護衛艦あけぼの、以上4隻揃っての江田島出航です。昨年に続き本年も異例尽くし、というもの。

 COVID-19世界的流行禍下での出航と云う事もあり、公開日程が発表されたのは12日夕方、なんと出航20時間前だ。しかし午前中に出港した昨年度よりは撮影に遅刻する方は若干少なかったか。昨年は練習艦かしま、に代わり掃海母艦が旗艦でしたが、本年は元に戻った。

 艦隊出航。毎年恒例となっている行事であり、江田内を出航する様子は江田島の地形から高田といった江田内の対岸から撮影する事が容易で、観艦式が巨大台風により中止され地方隊展示訓練が2014年以降行われない時節故に単縦陣艦隊航行を撮影できる貴重な機会だ。

 あけぼの出航、第71期一般幹部候補生課程修了者が令和3年近海練習航海へ、第73期飛行幹部候補生課程修了者が令和2年度外洋練習航海へ。このうち第73期飛行幹部候補生課程修了者は護衛艦あけぼの一隻に全員乗艦する。一寸狭いのかな、とも思うのですけれど。

 外洋練習航海部隊は第3護衛隊司令濱崎真吾1佐が指揮官に就きます。そしてこの出航の正に同じ時期、部内課程第54期一般幹部候補生課程修了者を乗艦させた外洋練習航海部隊が南太平洋を航行中となっていました。訓練は最大限、コロナ禍下でも変更はありません。

 第1練習隊司令井伊正章1佐指揮下の護衛艦ゆうぎり、練習艦せとゆき、練習艦はたかぜ、をもって南太平洋を航行中となっています。あけぼの、は護衛艦むらさめ型の8番艦、護衛艦隊の数の上での主力は、本型とその派生型からなる20隻の汎用護衛艦が担っている。

 近海練習航海は日本を一周する訓練航海を通じて新任幹部自衛官へ必要な艦隊勤務の所要知識と海上勤務要員としての素養を演練するします、そして続いて遠洋航海へ向かうのですが、そこはコロナ禍下、日本国内でも遠洋航海でもほぼ寄港は補給のみ、上陸はなし。

 練習艦かしま、掃海母艦うらが、訓練支援艦てんりゅう、以上3隻を以て江田内を出航した艦隊は最初の寄港地が18日の呉基地です。参加艦艇の母港でもあるのですが、ここ呉基地へ21日日曜日まで入港します。呉に此処まで留まるのは異例、というところでしょうか。

 3月16日には前述の部内幹部による外洋練習航海部隊、練習艦はたかぜ以下が呉基地へ帰港していますが。沖縄基地へ艦隊は26日に入港します、勝連の沖縄基地へは29日まで寄港している。難しいのはCOVID-19の一ヶ月先における感染状況が全く読めないという。

 佐世保基地続いて入港、西海防衛の要衝への寄港4月5日まで、その次の寄港地は九州から本州沿岸をそのまま本州最北の地、青森県の大湊基地へ4月8日へ入港、一転してここは北方防衛の要衝、冷戦時代に重視されました、寄港は10日まで。東北は感染が少ない。

 舞鶴基地、練習艦隊の次の寄港地は京都府の舞鶴で4月12日から14日まで。舞鶴ならば近場ですので撮影に行こうかとも考えたのですが緊急事態宣言アドの関係から流石に空気を読んで断念しています。続いて艦隊が18日に東京湾は横須賀基地へ入港し28日まで。

 横須賀基地では十日間入港します。横須賀を出港した後に4月30日に再度呉基地へ入港、呉基地の帰港、いや母港だから帰港に近い印象ですが5月12日まで留まる予定で、更にこの期間から参加艦艇が大きく変更されるとのことでしたが、艦内感染などは無く、幸い。

 近海練習航海は日程の前半を“近海練習航海その1”とし、後半の5月11日からの日程を“近海練習航海その2”というしています。5月13日に神戸市の阪神基地へ入港、例15日まで寄港する。阪神基地を出航した艦隊は5月16日に呉基地へ三度目の入港となりました。

 呉基地は、また20日に出航するのですが5月22日に呉基地へ四度目の入港、23日に近海練習航海を完了し遠洋航海へ移行します。呉基地近傍にお住まいの方は、今年の近海練習航海部隊は何度でも出入港を撮影できる、という気軽さ、コロナが無ければあったはず。

 てんりゅう、2400t型訓練支援艦として2000年に竣工しました。満載排水量は2750t、当初は4700t型訓練支援艦が計画されていましたが、厳しい財政状況を背景に2400tに抑えられました。4700t型となっていたならば、むらさめ型船体を利用し安価に建造できたやも。

 護衛艦隊第1海上訓練支援隊に所属していましてBQM-34J改ファイアビーとBQM-74Eチャカ3無人標的機を管制用プレーナアレイアンテナにより多数同時管制、護衛艦部隊に同時多数の飽和攻撃等厳しい訓練環境を供します。なお無人機は海上落下させ回収します。

 小沼清教2佐が艦長にあたり、小沼2佐は2020年まで舞鶴のイージス艦あたご副長の二に当っていたという。ミサイル護衛艦は砲雷長が副長を担う事が多いようですから、艦長自身あたご副長時代には訓練支援艦の無人標的機を相手に猛訓練を積んでいたのでしょうか。

 むらさめ型護衛艦8番艦、初代は明治時代の雷型駆逐艦3番艦曙、昭和時代には特型駆逐艦の名高い吹雪型駆逐艦18番艦曙で終戦時にフィリピンで大破状態ながら現役、いかづち型準同型艦護衛艦あけぼの、日本の水上戦闘艦艇としては四代目という気合の入りよう。

 2002年に竣工した護衛艦あけぼの、基準排水量4550tで満載排水量6200t、FCS-2射撃指揮装置により限定的な多目標同時対処能力を持つ本型は竣工当時ミニイージス艦と親しまれました。イージスシステムは積まないものの、ミニイージス艦現在20隻が、現役です。

 あけぼの、第1護衛隊群第5護衛隊に所属、母港は横須賀です。もっとも竣工時は第4護衛隊群第4護衛隊に所属し母港は呉基地、母港はそのまま2008年に第1護衛隊群第1護衛隊へ転籍、同一護衛隊が同じ母港へと基本が再開された、横須賀に転籍、ここ呉は里帰り。

 石川島播磨重工業東京第1工場で建造された護衛艦ですが、この護衛艦あけぼの建造を最後に石川島播磨重工業東京第1工場は廃止されていまして、転換期の護衛艦という。造船所の統廃合や廃止、というものを聞きますと、造船力も防衛力なのだが、と思ったりする。

 艦長は小林征太郎2佐、第2護衛隊群司令部幕僚を経て艦長に着任しました。なお外洋練習航海を終えた2021年5月に二年の艦長任務を終え、艦長は後任の本多雅行2佐に交代しています。艦長職というのはおおむね二年間、経験者の方曰くもうあっという間、という。

 COVID-19感染再々拡大下の練習艦隊江田島出航は、こうして無事終了しました。練習艦隊出航の日程が公式発表されましたのは出航から20時間前を切っている状況、ここで急ぎ広島駅前のビジネスホテル予約を画定し広島へ新幹線で向かおうとする一幕がありまして。

 のぞみ号乗客がマスクしておらずというか着席するとマスクを外した為に急遽新神戸駅さくら号乗換え。広島駅前では誘惑を我慢し穴子弁当と牡蠣と地酒を買い込みホテル晩酌など、いろいろありましたが、無事、コロナ禍下の練習艦隊出航を撮影できました次第です。

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【日曜特集】練習艦隊江田島出航2021(3)堂々の艦隊出航と止める船(2021-03-13)

2021-10-10 20:00:17 | 海上自衛隊 催事
■かしま先頭に堂々の出航
 練習艦隊は江田島を出航、曇天は一時的で進む艦隊出航を前に太陽が戻り青空と海は群青の輝きへ向かいます。

 かしま江田島を背に出航。1995年に竣工した練習艦で、防衛予算の関係上、先代の練習艦かとり除籍に竣工が間に合わなかった為に練習艦隊は一年間だけ護衛艦転用の護衛艦だけで近海練習航海と外洋練習航海と遠洋航海を担った、という椿事があったりしました。

 かとり、海上自衛隊の艦艇としてはヘリコプター甲板を有する設計で、続き建造される初のヘリコプター搭載護衛艦はるな、に繋がる、なにか初のミサイル護衛艦あまつかぜ、ミサイル護衛艦たちかぜ、のような外見上の連続性を思わせる艦容の練習艦だったのですが。

 小城尚徳艦長が操艦する練習艦かしま、小城尚徳1佐は2020年7月まで舞鶴にてイージス艦あたご艦長を務めていましたが、護衛艦隊司令部幕僚を短期間経て現職に。先代艦長はイージス艦みょうこう艦長、最近は練習艦艦長にイージス艦艦長が充てられる事がおおい。

 かしま、この名前は旧海軍の六六艦隊計画時代に戦艦鹿島として建造された名前の継承、更に太平洋戦争直前に建造された練習巡洋艦鹿島の名前を継ぐ三代目の艦艇でもあります。練習巡洋艦鹿島は戦時中対潜巡洋艦に転用され船団護衛任務を経て終戦時にも健在でした。

 うらが。掃海隊群に配備される海上自衛隊の掃海母艦です。掃海艇への支援や掃海ヘリコプターの運用支援、また機雷敷設艦としての任務を担う母艦で基準排水量5650tで満載排水量6850t、1997年に就役しました、うらが型一番艦で二番艦掃海母艦ぶんご、がいます。

 杉山重一艦長以下粛々と出航する掃海母艦うらが、昨年の近海練習航海では本艦が練習艦かしま代任となっていて、なにかあったのかなとCOVID-19感染拡大下では考えさせられたもの。近海練習航海部隊旗艦は、くらま等ヘリコプター搭載護衛艦が充てられたことも。

 艦隊が急制動を掛けて停止しました、なにしろ撮影位置から遠くはなれたこの撮影位置からも急制動を掛けているのだと即座に分かる程ですので、艦内でも動揺を感じた程ではないでしょうか。しかし、動いている艦船は惰性が働きますので、急制動は危険でもある。

 単縦陣を組んで出航する晴れの舞台なのですが、急制動を掛けますので続行する、うらが、制動を掛けると共に逆進を掛けているのか、推進器付近に大きな渦が確認できます、そして当方の撮影位置付近では、やりやがった、やってやがるあの阿呆、と声が上がりました。

 急制動に阿呆とは酷いなあ、と思っていますとあの馬鹿もの等々声は大きくなるようでして、どうしたのか、この撮影位置からは手前が木々の小枝が茂りよく確認できません、ただ、艦隊の進路に何かあったのは警戒船にあたる交通船の急な動きから察せられるところ。

 乗艦、幹部候補生学校から続々と候補生改め新任三尉が練習艦や掃海母艦や護衛艦に訓練支援艦へ乗艦する当たりの頃から小型船が数隻、かなり練習艦などに近い位置まで寄っている様子がここからも眺められましたが、どうやら、数隻の内一隻が進路を塞いだらしい。

 進路妨害、海上から撮影した方が良い位置で撮影できるのは知っています、実際わたしもこの江田島で近海練習航海部隊出航を海上から撮影した事があります、あきづき型護衛艦ふゆづき出航と併走するかたちで江田島と広島を結ぶ定期航路の旅客船から撮影しました。

 しかし、海上衝突防止法に在る通り進路を塞いではいけません、特にチャーター船は航路を提示に航行するのではなく、自由に航行できるだけに自船が進路妨害しているのではないかということには特に傭船する利用者側が注意しなければならないのは当然といえます。

 てんりゅう艦尾付近にも制動の様子が。制動を掛けますと、要するに逆進で推進装置を逆回転させ惰性で進むのを防止するのですから、艦尾付近に航跡ではなく撹拌した海水が海面上に盛上ります、しかし急制動掛けても単縦陣を崩さない、海上自衛隊の練度は、高い。

 牡蠣筏の作業船ではなく、なんとなくヲタ船だ、とは周りの方からの声、実際そう見える。牡蠣筏であれば、なにしろ正業で生業、進路を塞いでいても、何しろ速力は潮流次第で1ノットさえ出ませんので致し方ないと思う事はありますが、ヲタ船、こちらはなあ、と。

 進路を塞いでない、と思われるかもしれませんが、小型船は小回りが利きますし速度も速い、ここからそう遠くない、数浬のところで遊漁船が輸送艦おおすみ進路上を無理に追い越そうとして激突し沈没、遊漁船の定員越えの乗客が死亡する事故が在ったのを思い出す。

 大袈裟ではなく、江田内の水深を考えますと練習艦の航行できる範囲は広くありません、回避しようにも回避出来ない事がる。かつて観艦式の帰路、関門海峡で韓国貨物船が航路帯を超えて対向してきた際、護衛艦くらま、が隣が浅瀬で回避出来なかったこともあった。

 今回は艦隊も無事停止する事が出来ましたし、警戒の交通船からこってり油を搾られていたようで、笑い話という所でしたけれども、さてこうしたかたちでちょっと出来事はあったのですが艦隊は無事出航してゆきます。今回は4隻のみ参加という部分も幸いしたのか。

 あけぼの、護衛艦あけぼの、が揃いました。江田島の撮影に毎回工夫を要するのは全ての艦艇をどのようにして構図に収められるのかという撮影位置の配慮、2021年は岩風呂山山頂あたりに陣取るという撮影位置で、例年よりも標高が高く俯瞰風景を広く採れさいわい。

 てんりゅう、そして続行する護衛艦あけぼの。やはり一回急制動を行った影響はこの若干の単縦陣のみだれに影響しているといえるのかも。標高の高い位置で凪いだ海面上を往く情景は一方、あたかも大洋海上を進むような情景を、望遠で拡大すると醸し出してくれる。

 古鷹山と練習艦かしま、かしま艦齢も竣工が1995年ですのでそろそろ古くなっていまして、まだまだじゃ偉丈夫ですがあと数年の後には後継艦を考えるか延命改修を更に進めねばなりません。先代“かしま”は香取型練習巡洋艦、すると練習艦かとり、かしま、その次は。

 かとり型練習巡洋艦は三隻が建造されていまして、それは香取、鹿島、そして香椎でした。すると次の練習艦は海上自衛隊でも練習艦かしい、となるのでしょうか、それともまたは掃海母艦や輸送艦と設計を共通化させる、そんな後継艦計画が立ち上がる可能性もあるか。

 江田島の艦隊出航の一つの名物としまして個の情景が在ります、いや若干距離が遠いものですから判別が難しいのですが、かしま隣のあたりに幹部候補生学校の教官たちが自衛艦旗等を振って大声で応援しているのですね、対岸のあたりまで聞こえるほどの大声で叫ぶ。

 幹部候補生学校のしつけといいますかシーマンシップを含めた幹部自衛官の素養養成への厳しい教育を終えた、候補生改め新任幹部へのエールというものなのでしょう。もっとも、この話に感動した旨を現職の方に伝えますと、地獄はこれからなのにね、と微笑まれたが。

 艦隊出航、快晴は嬉しい。いや実は曇天予報や悪天候の長期予報もあったのです。過去には集中豪雨というかゲリラ豪雨の最中に出航時間となり、粛々と出航する様子もありまして、あれは新任幹部にはかわいそうだよなあ、と話し合った事も。その航路に、幸あれ。

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【日曜特集】練習艦隊江田島出航2021(2)帽振れ送る乗艦と空の祝賀飛行(2021-03-13)

2021-09-19 20:00:54 | 海上自衛隊 催事
■空征く祝賀飛行と出航準備
 今年も卒業式は縮小挙行となりましたが、COVID-19猛威振るう中でも粛々と行事の体裁は整え出航へと進んでゆきます。

 江田内の俯瞰風景を広角にて。江田内の壮大な風景、というところですが、てんりゅう船体規模がよくわかります。昔艦内を見学させてもらった事もありますが、少なくない候補生課程修了者が乗艦した場合に充分な艦内容積の余裕はあるのかな、気になってしまう。

 かしま、うらが、てんりゅう。大型護衛艦信仰、という訳ではないのですが、海上自衛隊の任務増大、裏返せば周辺情勢の緊迫化、これに伴い航海期間は長期化するものですから、居住性を考えますと少しでもまともな、そう乗りたくなる護衛艦へ転換するのが望ましい。

 将官艇、かしま左舷に接舷しています。外国訪問の多い練習艦かしま、国家元首の表敬訪問などの接遇機会もあり、将官艇を搭載します。あきづき、むらくも、たちかぜ、が護衛艦隊旗艦であった時代には将官艇が無く、司令官は内火艇で荒天の日には苦労したという。

 祝賀飛行へSH-60K哨戒ヘリコプター3機が飛来しました、小松島航空基地第24航空隊の所属機です。例年は続々と編隊が飛来するのですが昨年はCOVID-19影響により中止、悪天候でも中止されますので、エンジン音にわあっと歓声上げてしまう編隊飛行の飛来です。

 SH-60K哨戒ヘリコプターは海上自衛隊の主力艦載機、対潜戦闘に哨戒飛行と特殊警備隊輸送から軽輸送に対艦ミサイル誘導、対艦ミサイルを搭載しミサイル艇狩りまで成し遂げる高性能機、その分取得費用も高く、あの陸上自衛隊のAH-64D戦闘ヘリコプターより高い。

 ヘリコプター搭載護衛艦の大型化と共に汎用護衛艦は勿論、イージス艦でのヘリコプター運用能力の付与、小型護衛艦と掃海艇を置換えるFFM多機能護衛艦にもヘリコプターが搭載される時代、陸上からも艦上からも運用できますが基本は艦載機として運用されている。

 小月航空基地より飛来したT-5練習機です、海上自衛隊では広範に航空要員養成に用いられる初等練習機ですが、小月航空基地祭以外ではなかなか編隊飛行を観る機会がありません、観艦式にも小月からは参加しませんので江田島基地上空の祝賀飛行は貴重な機会ですね。

 P-1哨戒機が飛行して参りました。厚木航空基地か鹿屋航空基地か、どちらの所属でしょうか。例年はP-3C哨戒機の編隊飛行とともにP-1哨戒機が参加しますが、年々P-1哨戒機の量産は進んでいまして、着実に運用部隊が増えているのはおどろく新鮮さという印象です。

 祝賀飛行と練習艦隊、広角で撮影です。練習艦隊、しかしこの構図に護衛艦や護衛艦転用練習艦の姿が見えないのは、不思議な印象ですね。イージス艦まや竣工により余剰が生まれ、練習艦隊にはこの程ミサイル護衛艦はたかぜ、が練習艦はたかぜ、となりました。

 はたかぜ、はこの艦隊出航の時点で南方に展開していたのですね。護衛艦ゆうぎり、練習艦せとゆき、はたかぜ、と共に2月9日より3月16日まで、第54期部内一般幹部候補生課程修了者を乗艦させ、グアムおよびミクロネシアへ外洋練習航海へと出発しています。

 かしま。基準排水量4050tで満載排水量5400tの練習艦です。装備は76mm単装砲と68式3連装短魚雷発射管2基のみ、あとはシミュレーターのみであり水上戦闘艦の様な勇ましい外見ではありませんが、国家元首の来賓接遇も想定し内装特別公室を設置しています。

 乗艦した新任幹部は甲板上に整列を開始しています、これは登舷礼といいまして、ここから第71期一般幹部候補生課程修了者は近海練習航海へ、第73期飛行幹部候補生課程修了者は外洋練習航海へと向かいます。近海練習航海、日本を一周し治験と交流を深めるもの。

 これは“初級幹部に対し、艦上における訓練作業を通じて遠洋練習航海に連接するために必要な基礎的事項を修得させ、艦内生活への慣熟を図り、初級幹部としての素養を育成し、シーマンシップを体得させるとともに、我が国及び海上自衛隊の現状を理解させる”と。

 うらが、てんりゅう、乗艦が進んでいます。てんりゅう、訓練支援艦なのですが、上部構造物を比較しますと、うらが、てんりゅう、その大きさの違いが端的に見えていますね。訓練支援艦は、しかし近海練習航海の様な一ヶ月半の航海を想定しているのかな、とも。

 練習艦隊司令官石巻 義康海将補を指揮官として出航するこの令和3年近海練習航海は、71期一般幹部候補生課程修了者約160名を含む590名が前半を航海します。江田島発して呉、沖縄と佐世保、大湊から舞鶴と横須賀、呉に戻り阪神基地を経てまた呉、という行程です。

 令和3年近海練習航海は3月13日から4月30日までを前半とし、後半は参加艦を練習艦かしま、せとゆき、とした上で5月11日から5月23日という日程、参加部隊の規模も3隻から2隻となりますので、71期一般幹部候補生課程修了者約160名を含む510名という。

 令和2年度外洋練習航海は第3護衛隊司令濱崎真吾1等海佐を指揮官として護衛艦あけぼの、及び艦載機1機、第73期飛行幹部候補生課程修了者59名を含む240名が参加しています。飛行幹部は航空教育集団隷下に操縦要員教育を受ける為、この航海以降陸に上がる。

 かしま、ゆっくりと前進を始めました。牡蠣筏の並ぶ江田内、この撮影位置は岩風呂山という、ちょっと標高の高い所まで登った所でして、これに備えて一年間、岐阜基地近くの三井山とか撮影機材を担いでの低山登山の訓練を怠らなかった成果が、活かされたのかな。

 うらが、出航始めました。岩風呂山登山、完全装備で頑張ったぜ、と格好よく書きたいところですが、実はそれも途中まで、毎年お世話になています大阪のY様に拾っていただきまして、なんというか、コロナ時代、運動不足になってしまったのは反省しているところ。

 てんりゅう、先行して掃海母艦うらが、という。そして周囲には新任三尉を送り届けた交通船が遊弋しているところ。艦隊は予定時間通りに出航してゆく、二年ほど前に主錨が抜けなくなった旗艦を僚艦が先行して出航した事がありますが、自衛隊は時間厳守なのだ。

 あけぼの出航へ。先程まで山影で見えなかった護衛艦あけぼの、その姿を現しました。岩風呂山、もう少し登れば見える位置なのですが、木立が津久茂瀬戸の航路を隠してしまっていまして、少し考えて、撮影位置を少し下げたこの位置にて陣地変換していたのですね。

 海上自衛隊の小型艦艇と護衛艦あけぼの。江田島出航は毎回撮影位置というものを、今年は此処で来年はあのあたりから撮影してみよう、と考えるのが実に楽しいのですね。私はここ数年、公民館前で撮影していましたが、今年は神社手前の参道から撮影しています。

 江田島、中には墓地の中から、酷いのは墓石を足場にしている方も居ますが、そこまでして撮影する写真に価値はあるのかな、と思ったりします。公民館前は単縦陣を少し斜めから撮影する事になり、真正面となればその立地しかないようですが、一寸それは、なあ。

 高田港、最初の頃はこの当たりで、しかし、いろいろな場所を数時間かけて吟味したところでして、そんな中で美味しい牡蠣と巡り合ったり、呉空襲を視ていたご老人に物凄い経験談を聞いたりしまして、これは撮影ではなく海軍の体験なのだな、考えたものでしたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】練習艦隊江田島出航2021(1)71期般幹候&73期飛幹候修了式(2021-03-13)

2021-08-22 20:00:56 | 海上自衛隊 催事
■艦隊出航,今年も江田島基地へ
 COVID-19猛威は留まるところを知りませんが自衛隊は今も着々と年次計画を進めています、それは今年の江田島も同じでした。

 江田内に停泊する練習艦かしま。ここは江田島高田、江田島基地とは同じ江田島市ですが、江田島は瀬戸内海の離島であるとともに島の中央部に江田内の湾が広がっており、ここから江田島基地へ停泊する艦艇を一望する事ができます。この日は江田島の卒業式です。

 海上自衛隊幹部候補生学校、江田島は旧海軍兵学校が明治時代に東京築地より移転して以来、海軍士官養成の拠点であり、明治大正昭和の旧海軍における士官教育は、そのまま海上自衛隊幹部候補生学校として昭和平成令和と幹部自衛官候補生を養成し続けてきました。

 広島から江田島市高速船を利用して高田港まで25分、今年も江田島に撮影へ到着する事が出来た、こうしたある種毎年感慨を抱くものなのですが、2021年はCOVID-19により2020年の自衛隊行事が総崩れとなり、ほとんどの行事を撮影する事が出来なかったものでした。

 かしま、うらが、てんりゅう、三隻が並ぶ江田内の様子、牡蠣筏が並ぶ様子などは瀬戸内の情緒を醸すものでして、牡蠣筏が七分に海が三分で海の色が見えない、とは言い過ぎですが、江田島にやってきた、という感慨深い光景です、最近は宮津湾にもあるようだが。

 うらが、艦番号463、てんりゅう、艦番号4203、牡蠣筏、艦番号なし。海上自衛隊の艦番号は三桁が護衛艦や機雷戦艦艇や潜水艦などの戦闘艦、四桁のものが支援艦となっています。補給艦が三桁で上陸作戦を担う輸送艦が四桁というのは不思議ではありますけれども。

 あけぼの。艦番号108、むらさめ型護衛艦です。異例尽くしといいますか、COVID-19感染拡大状況下での練習艦隊江田島出航は、護衛艦や護衛艦転用の練習艦が殆ど居ないという不思議な情景です、例年ですと練習艦かしま以外護衛艦が三隻か四隻といういでたち。

 練習艦隊。海上自衛隊は海を相手とする組織であり、ここは海洋における様々な特性と海上勤務要員としての独特の習慣や仕草や価値観や倫理観と優先順位や危機回避術などを身につけねばなりません、この為に海上自衛隊では練習艦隊を置き、教育にあてています。

 練習隊群として自衛隊に練習艦隊が編成されたのは自衛隊草創期の1957年、護衛駆逐艦タコマ型を米海軍から供与された護衛艦くす型の護衛艦うめ旗艦に編成されていました、これは事後隷下部隊を徐々に改編してゆきますが、遠洋航海では椿事もかさねてゆきました。

 海上自衛隊幹部候補生学校は1953年、第1期幹部候補生教育として当時の警備隊横須賀地方総監部隷下、田浦の旧海軍水雷学校跡地に警備隊術科学校として創設されています。1954年には自衛隊発足として海上自衛隊術科学校に改称、1956年には江田島に移転しています。

 候補生は150名の一般幹部候補生と航空学生出身の飛行幹部候補生、より成り、一般幹部候補生は防衛大学校課程修了者のⅠ課程と一般大学学士号乃至修士号授与者等を対象としたⅡ課程が各々半数、別枠である海曹から選抜された部内一般幹部候補生から成りまして。

 教育部、自衛隊の幹部候補生養成に当りまして行う教育は、普通学科、統率科、砲雷科、運用科、航海船務科、機関科、経理補給科、航空科、技術科、体育科、以上の通りとなっています。実際のところ防衛大学校と異なり、実務教育に重点が置かれている印象ですね。

 一般幹部候補生課程は一年間、旧海軍の海軍兵学校は普通学を重視していたのとは対照的ですが、これは海軍兵学校の教育期間に当る分を防衛大学校の四年間が担っており、いわば専門課程に当る為といえるかもしれません。故に教える方も一年間は分刻みの忙しさ。

 うらが、てんりゅう、江田内での潮流が僅かに訓練支援艦てんりゅう艦位を動かしています、僅かな潮流、僅かな風向きの変化、海の上は凄いものだなあ、と実感するものです。しかしこの日は江田島基地での幹部候補生学校において厳粛な卒業式が進行中のそのとき。

 第71期一般幹部候補生課程修了式典と第73期飛行幹部候補生課程修了式典が挙行されているとき、当然のようにCOVID-19感染拡大は収まらず、新任幹部の家族出席も許されない緊張下となっていましたので、チャーター船による海での見送りも行われていましたね。

 一般幹部候補生課程修了者と飛行幹部候補生課程修了者の整列が始まったようです。江田島ではこう、行進して海へと向かうのですね。しかしCOVID-19の感染拡大は大変だ、こういうのもこの練習艦隊出航の日程が発表されたのは、この前日、ぎりぎりだったのです。

 交通船、ここから練習艦や訓練支援艦や掃海母艦に乗艦します、カメラの望遠ズーム目一杯で整列している様子が望見できました、なにしろ日本の周辺情勢は厳しく、遠くない将来に抑止力により周辺での戦争を回避するか、実力を発揮する状況か、となりかねません。

 第71期一般幹部候補生課程修了者と第73期飛行幹部候補生課程修了者が一斉に交通船で出航してゆきます、彼ら彼女らはここで練習艦隊に乗艦しますと、江田島へは戻らずそのまま近海練習航海、外洋練習航海へと出航します、人生の門出、経験者の方の話でした。

 幹部候補生学校には、戦艦陸奥主砲や魚雷発射管、海上自衛隊護衛艦のMk.32連装3インチ砲等が並びまして、そしてこの校舎そのものが艦艇の上部構造物を模したという旧海軍兵学校の歴史的建造物、といいます、晴れの門出、潮風に揉まれて練習艦隊へとむかう。

 COVID-19感染拡大下の出航、いや実は丁度一年前の練習艦隊出航も既に日本国内での感染拡大兆候が報じられ感染者の徐々に増大する状況、医療資材は勿論一般用マスクも不足で転売が横行し、中国では一億人が都市封鎖、欧州ではイタリアで死者急増という状況で。

 練習艦隊江田島出航、昨年はそのCOVID-19が日本本土上陸、巨大クルーズ船ダイヤモンドプリンセスでの感染拡大や次々と最初の感染地武漢を脱出した邦人の隔離などという状況で、ここ江田島での卒業式も大幅に予定が繰り上げられ、4時間早く出航してゆきます。

 かしま艦上へと向かう第71期一般幹部候補生課程修了者と第73期飛行幹部候補生課程修了者、例年よりも一時間半ほど出航が早いものですが、昨年の様な4時間早い出航、というほどではありません、昨年度は候補生たちも交通船へ行進ではなく走って移動していた。

 COVID-19、日本国内の致命的な感染拡大は抑えられましたが対策が充分採られなければ死者40万という予測を当時に厚生労働省が試算していました、大袈裟と思われるでしょうが人口二倍少々のアメリカでの死者は三月時点で60万を超えており、現実の脅威といえます。

 うらが、艦番号463、てんりゅう、艦番号4203、交通船が向ってゆきます。昨年度は巨大なヘリコプター搭載護衛艦いせ、近海練習航海に参加していました、余裕ある居住区であれば感染拡大しない、という配慮でしたが、大き過ぎて江田内に入れなかったのですね。

 てんりゅう、であれば江田内にもすいすい入る事が出来るのですが、訓練支援艦が近海練習航海に参加するというのは初めてとなります。無人標的機を多数運用して艦隊訓練を支援するもので、イージス艦への支援を考慮し、膨大な数の高速無人機を同時管制できる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【19】ちはや,横須賀帰港(2009.10.23)

2020-09-20 20:09:23 | 海上自衛隊 催事
■ありがとうございました
 観艦式にお世話になりました潜水艦救難艦ちはや横須賀帰港、日曜特集自衛隊観艦式も長々と紹介して参りましたが今回が最終回です。

 ゆうべつ、入港の様子を左舷越しに。この小型護衛艦も含めて護衛艦隊へ集約されることは当時違和感を覚えたものですが、この観艦式の二年後、運命の3.11東日本大震災が発生、横須賀地方総監に全部隊を集約し統合任務部隊海上司令部方式は威力を発揮したのですね。

 さわゆき、にちなん。地方隊には、いすず型護衛艦、ちくご型護衛艦といった沿岸用護衛艦が6隻程度配備されていました、これは護衛艦あぶくま型となり、その整備中に冷戦終結に伴う護衛艦定数の63隻から54隻への削減が決まり、先ず、地方隊から削減されます。

 あしたか、海上保安庁巡視船の出航と護衛艦さわゆき。地方隊の護衛艦削減とともに、しかし沿岸用護衛艦ではなく護衛艦隊用大型汎用護衛艦を地方隊に管理替えすることで一隻辺りの能力を充実させた。そして2008年に運用を地方隊から自衛艦隊へ統合した、という。

 はたかぜ接岸の様子を飛行甲板の奥にみる。フォースユーザーとフォースプロバイダーへの転換、護衛艦の護衛艦隊への集約は、地方隊の地方総監は指揮官であり、必要な戦力はプロバイダーから提供を受け、フォースプロバイダーは必要な練度を維持、という分担へ。

 ボフォースロケット、煤がついているのが此処からも分かる。煤がついているのは先ほどの実弾射撃展示で射撃したばかりの情景です。射撃時に酸っぱいアセトン臭あ漂う、とはこのときに撮影していましたお友達の言葉、この装備が廃止された今日は懐古情景の一つ。

 ゆうべつ、逆光にうかぶ乗員。横須賀基地船越地区への帰港です。この接岸はロープ作業という、7000tの船体を岸壁に数本のロープで接岸させる、つまり一本辺りにうねり次第で掛かるt数を考えますと非常に危険な作業が始まるため、乗艦のお客さんは安全なところへ。

 ゆうべつ、逆光の夕暮れを見ると日曜洋画劇場の終わりのよう。しかし写真で見返す以上にそこらへんのハリウッド超大作などは比較にならないほどの迫力の情景をみた、観艦式ののちの情景と考えますとこみ上げてきますものもひとしお、という印象でしょうか。

 はたかぜ5インチ砲の奥に護衛艦ゆうばり。この5インチ単装砲はマウント重量が54tもあるということでして、それだけに迫力も凄い。そして自衛隊の艦砲では最後となった、祝砲や礼砲として空包射撃が可能な艦砲でもある。この当時は、はるな型など現役でした。

 ゆうばり、はたかぜ飛行甲板の奥に見える。入港作業ということでロープ作業の危険が及ばないところへ見学者は集まっていますので、その分は人口密度も凄いことになっています。そしてもう一つ、観艦式から早く家路に就きたい方も集う、そしてもう一つの理由も。

 ゆうばり、艦首を逆光の奥に望む。さて上陸である、いや私などは上陸ではなく帰宅なのですが、海上自衛隊の方々、旧海軍と違って艦内飲酒をアメリカ海軍に習い全面禁酒としています、つまり、上陸は、ビールなのですね。自衛隊では実際これを上陸ビールという。

 ゆうばり、全景。ゆうばり、ゆうべつ、貴重な護衛艦の情景をしっかり撮影しつつ、さて何処で上陸ビールをいただくか、で頭がいっぱいだ。私の知る上陸ビールのお店は舞鶴基地か横須賀では吉倉桟橋しかしらない、関係ないですが2009年はまだ逸見桟橋は建設中だ。

 やえやま、世界最大の木造軍艦の入港情景、これも懐かしい情景となってしまったのですね、掃海艦は潜水艦を狙う深深度機雷の掃討用でして、現在庫の任務はFRP製船体を持つ掃海艦あわじ型に代替されています、やえやま型はある意味木造艦艇時代終着点のひとつ。

 ちはや、横須賀基地へ接岸完了しました。上陸を終えまして、さて乗艦の際にはゆっくりと撮影できなかった、そして乗っていますと乗っている艦は当然ながら撮影できませんので、この丸一日お世話になりました潜水艦救難艦ちはや、艦容を真正面から撮影しました。

 ゆうばり、ゆうべつ、そして自衛艦隊司令部。この二隻は大湊基地の護衛艦です、いや2009年ならば大湊まで京都駅から寝台特急日本海で青森まで一本という時代ではあったのですが、流石に遠く、実はこの観艦式が最後にみた護衛艦ゆうばり型でした、ご苦労様です。

 守る!この海と未来。いかがでしたでしょうか、以上が自衛隊観艦式2009の顛末です、この二年後に東日本大震災、そして今や2020年代、自衛隊の装備も任務も大きく変容しました。最後になりましたが、貴重な乗艦券を頂きましたT様、重ねてありがとうございました。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【18】横浜ベイブリッジ遠望(2009.10.23)

2020-09-06 20:01:35 | 海上自衛隊 催事
■横須賀基地へ横浜港へ
 観艦式も早朝の出航からいよいよ帰港の頃合いとなり海色も夕暮れを思わせる色彩を漂わせてきました。

 こんごう、いよいよ横浜ベイブリッジの姿も見えてきた。横須賀から横浜、京浜急行で移動しましても多少、JR横須賀線から東海道本線で行きますとかなり遠い印象ですが、海の上からみますとベイブリッジも指呼の距離のように覚える、海の広さ故、というところね。

 艦内の一段上からDSRVを眺める。実はDSRVは小型ですし魚雷を撃てるわけでもありませんが、建造費で潜水艦一隻に相当する。そして潜航可能深度は秘密ですが、一般的に潜水艦の安全深度が700m前後という中でDSRVについて更に深く1000m以上潜れる、とも。

 ROV深海調査船。1500mまでは潜る。DSRV説明の乗員さん曰く、DSRVが何処まで潜れるかは秘密ですが普通に考えてDSRVが潜れないところまでROVが潜って遭難潜水艦を探すと思いますか、悪戯っぽく解説いただいた。DSRV,もしかして1500mまで行けるのか。

 あぶくま艦上を行くカモメ。DSRVが実のところどこまで潜れるか、そして第12旅団の識別帽は先行するイージス艦こんごう辺りから飛来したのか、金剛榛名といえばなにか旧海軍戦艦を思い出す繋がりですが、謎が解けないので大自然の雄大な景色と護衛艦を眺める。

 くらま以下5隻の単縦陣、くらま、艦首をこちら側へ向けている。艦隊運動のような情景ではありますが、いよいよ浦賀水道が横須賀へのアルファポイントという地点を越える時機となってきました。出航時刻で通過しているライン、入港時刻で通過するラインです。

 くらま、背景に房総半島の山間部が。千葉県には有名な鋸山が330mの標高をたたえていますが、もうひとつ愛宕山という408mの山があります。もっともイージス艦あたご、艦名由来は京都の愛宕山、愛宕神社の霊峰が由来となっています、神護寺の高雄山が続く。

 ちはや自衛艦旗。自衛艦旗を照らす陽光もそろそろ夕日の色彩を帯びてきまして不思議と色調は朝日とおなじくの度合いではあるのですが出航の色彩と入港にみる色彩とは同じものでも心なしか風情が変わって見える、というところでしょう。まもなく観艦式も終わり。

 USH-60K試験機が上空を飛行する。館山航空基地や厚木航空基地から上空を飛行し続ける航空機は、大量の各種艦艇航行とともに安全確保、全貌の漁船などの凝集への警戒も兼ねているのでしょうか、実際航路上で漁労は多い、車道真ん中で昆虫採集するような危険だ。

 まつゆき出航の様子、はつゆき型護衛艦が一隻出航してきました、観艦式には参加していない艦番号130、130は護衛艦まつゆき、日常の警戒監視任務か観艦式予備艦の点検、というところでしょうか。期せずして母港舞鶴まつゆき出航を横須賀でみることになるとは。

 まつゆき、そして住友よこすかクレーン。横須賀らしい風景ではあるのですが、入港撮影の際にはヴェルニー公園から眺める際の背景に見えるクレーンを海からみています。よこすか、大書してありますクレーンがありますと横須賀で撮影した写真のクレジット代わり。

 まつゆき、斜め後ろから多様な装備を持つ護衛艦を眺める。私が小学生の頃にこの護衛艦を知った際、対潜対空対水上の各種ミサイルを備えヘリコプターまで搭載する護衛艦がものすごく力強く感じたものだ。満載排水量4000t、実際強力な護衛艦として君臨しました。

 さわゆき、にちなん、横須賀基地停泊中です。こちらは第11護衛隊、長らくよこすか地方隊第21護衛隊として知られたこの海域の守り手です。地方隊にかつて護衛艦が配備、というと最近の方には伝わらないのでしょうか、この数年前に護衛艦隊に移管されたのですね。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【17】艦隊は東京湾へ向う(2009.10.23)

2020-08-23 20:12:57 | 海上自衛隊 催事
■ちはや艦内旅行と艦隊
 全ての展示を完了した観艦式参加部隊は一路帰港へ東京湾へと向かいます。

 あぶくま、まきなみ、ぶんご、続航し上空を2機のSHー60哨戒ヘリコプターが飛行して行きます。こうした変化ある構図は、毛布に寝転がる、退屈な、周りの情景は凄いのだが、時間を過ごす方々にはおもしろい出来事のようで艦尾周辺にもわずかに混雑が戻ってきた。

 あぶくま、まきなみ、ぶんご、上空を接近するSH-60K。SH-60K哨戒ヘリコプターはSH-60J哨戒ヘリコプターの改良型なのですが胴体が大型に再設計され、ヘルファイア空対艦ミサイルの運用能力が付与、かなりの能力向上となりました、機内の天井も高く立って歩ける。

 SH-60K哨戒ヘリコプター、2機編隊で。そういえばアメリカ製P-2Vネプチューン対潜哨戒機を川崎重工が改良型のP-2J対潜哨戒機として再設計した際にも天井を高くしていました、小柄という我が国民身体ですが、やっぱり窮屈姿勢連続はいやなのかもしれませんね。

 SH-60Kは32号機。SH-60Kといえば2002年度予算から調達が開始された新しい航空機、という印象なのですが機体にかかれた32号機という番号をみますと、もうここまで量産が進んだのか、と驚かされました。もしかして飛ばし番号なのでは、とか訝ってみたくなる。

 SH-60Kの31号機が続く。いや32号機は飛ばし機番ではないです、はい。前型のSH-60J哨戒ヘリコプターは92機が量産されています。ただ2020年代今日はSH-60Kの改良型も開発が進められているとともにMQ-8無人ヘリコプター配備計画が進められているところ。

 ちはや後部甲板に広がる風景と右舷てんりゅう左舷こんごう。後部甲板は飛行甲板となっていますが、広がるのは太平洋ではなく毛布の海、観艦式は八時間から九時間を洋上にいまして、こうして毛布の上で寝ころび過ごすというのも一つの時間の過ごしかたなのかも。

 くらま、水平線上に浮かびその奥に試験艦くりはま。時間は有効に活用したいといいますか、次の観艦式は三年後ですので、撮影できるモノは全て撮影しておこう、というのが当方の流儀でもあります。270度全部、周辺の艦艇を撮れるものは撮れるだけ撮影して行こう。

 水平線上に広がる艦隊と大空。自衛隊観艦式らしい情景、といえるのでしょうか。しかし周りの方々はなぜにこの凄い情景を撮影しないのか、と思っていますと電池切れが多い。いや、人間の電池が切れたのではなく、デジカメの電池やCFカードがいっぱい、だとか。

 水平線上に広がる艦隊と大空。2006年観艦式の頃はフィルムの銀塩カメラが多数現役でしたが2009年となるとデジカメが優勢、2012年は銀塩カメラをほとんど見かけず、2015年観艦式、くらま艦上では全てデジタルカメラで、2019年観艦式は、台風で中止でした、ね。

 あぶくま、ぶんご、そして浦賀水道に入り奥に、おおすみ、まきなみ。こうして艦隊を撮影していて気づいたのですが、この乗っている潜水艦救難艦ちはや、艦内旅行をまだすませていないのですね。艦内旅行、海軍用語です。せっかくですから旅行をしなければ、ね。

 DSRV深海救難艇,艦内旅行を進める。昔はレスキューチェンバーという釣鐘状の救難装置を母艦からかく座潜水艦の救助に充てていたのですが、ハッチが水平でなければ接続できず、障害物が乗っていた場合も救助できない、しかしDSRVならば1000m以上まで可能だ。

 ちはや艦内の食堂、薬物乱用防止のポスターがなぜか目立つ。食堂は休憩室として提供されていました、アイスクリームなどのほか艦内ではマグカップやタオルにTシャツといった自衛隊グッズや識別帽なども、なども、なども。売られていたはずですが売り切れだ。

 ちはや艦内の通路、軍艦らしい情景を探して。先行して建造された潜水艦救難母艦ちよだ、は自衛隊潜水艦の外洋作戦能力が太平洋の隅々まで達しておらず、魚雷補給能力や乗員80名宿泊など母艦能力が付与されていましたがいまや潜水艦は大きく、母艦能力は省かれた。

 ちはや艦内の減圧室。多数の水中処分員やスタンキーフードのような簡易脱出器具を用いてかく座潜水艦から乗員が脱出した場合は強烈な水圧が急激変化することで血液酸素濃度など致命的な潜水病に陥る危険があり、艦では充分な減圧室を準備して危険に備えている。

 水平線上に、ぶんご、あぶくま、あしがら、おおすみ、はたかぜ、遠く。水平線に艦隊が広がる様子は勇壮ですが、ここで艦内旅行が終了した、のではなくこれから艦橋構造物へと上る最中のスナップです。艦のもっとも高い場所、観艦式を艦橋から撮影する方も多い。

 ちはや舷側通路を行く、高い上部構造物と白波を眼下に。印象的な一枚でして、後日もう少しこの風景を撮影しておけば良かったという、この瞬間は日常で今は非日常、太平洋を航行している艦隊の一員という風景。実際にはもう浦賀水道に入っているのですけれども。

 ちはや艦橋、操艦している情景と手前の見学者の列。観艦式は自衛隊の能力の一端を主権者樽国民に広く公開するという目的があるのですが、この過密海域を事故無く航行するというだけでもすごい技量です。横須賀鎮守府開府の頃、即ち明治時代はもっと静かでした。

 こんごう、いよいよ横須賀へ、奥に補給艦ましゅう、タンカーと貨物船が続く。東京湾は人口密集地であり工業集積地であり軍港もあり造船もあるとともに漁業も盛ん、ヨットから遊覧船まで運行していまして困ったことに航行や操舵の特性が違い、動きが読みにくい。

 艦橋からタンカーそして浦賀水道を窓越しに眺める。星条旗、アメリカ軍機関紙には、横須賀は世界一の船舶が密集する東京湾に位置し、世界一入港が難しい、とも。アメリカならば鹿島灘沿岸に軍港を造ると表現されています。ただ、津波の危険を無視している。

 いかづち先頭に、あすか、てんりゅう、こんごう、後ろから眺める。そろそろ横須賀も近づいてきました頃合いです。2009年といえば原油高がものすごい時代であり、これだけの艦艇を集めることもそれだけ多くの燃料を要しますので難しい、広報重視の姿勢の現れ。

 ちはやマストを見上げる。艦橋のトップに到達。登頂成功を記念して日の丸でも上げたいところですが、既に自衛艦旗があがっている。さてこの折りに前の方から識別帽が飛んでくる椿事がありました、みてみれば第12旅団、と。落とし物を管理する隊員さん首傾げた。

 くらま、ぶんご、まきなみ、はたかぜ、おおすみ、浦賀水道の単縦陣とともに、隊員さんがこの12旅団って何処の部隊でしょう、と聞かれましたので、司令部は榛名山の麓は群馬県榛東村で北関東信越地方の部隊です、と。するとまさか群馬から飛んできたのか、と。

 くらま以下5隻の単縦陣から少し後方に、あしがら、さざなみ、ゆうべつ。艦隊の雄大な景色とともに、しかし識別帽が群馬から飛んできたりはしないでしょう、周りとともに爆笑、しかしそれならば先行する艦上から飛来したのか、観艦式に一つ不思議が生まれた。

 くらま以下8隻が浦賀水道に長く単縦陣を構成している。さてさて、この第12旅団識別帽、その後の顛末はさすがに伝え聞きません。もし観艦式2009にて潜水艦救難艦ちはや艦上で第12旅団識別帽の行方をご存じの方いましたらばコメント欄までご一報いただければ幸い。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【16】P-3CのIRフレアー展示(2009.10.23)

2020-07-26 20:12:39 | 海上自衛隊 催事
■観艦式訓練展示大団円
 観艦式は訓練展示の大団円を飾るP-3C哨戒機、そのIRフレアー展示へと展開してゆきまして哨戒機が飛来します。

 こんごう、艦橋の背景にP-3C。こんごう、1993年竣工のイージス艦であり2020年の今日から見れば27年のお婆ちゃんと新しいイージス艦から揶揄されそうだが整備は行き届く。建造計画は昭和63年度計画ですので、昭和、平成、令和時代がんばっているイージス艦だ。

 IRフレアー展示を行うP-3C。赤外線誘導ミサイルなどに攻撃を受けた場合はこのIRフレアーを展開して猛烈な熱源にてミサイルの誘導装置を幻惑する。SH-60哨戒ヘリコプターにも搭載されていて、地方隊展示訓練などでもIRフレアーの放出展示は行われたりする。

 IRフレアー連続投下、このころ撮影に活用していましたのはEOS-50D、連写性能が凄いので愛用しているのですが、まじめに撮影しませんとIRフレアーの展示も一瞬なのですね、そこでピンボケや露出に十分配慮しつつ、連写でこれでもかというほど撮影しておきます。

 IRフレアーに照らし出されるP-3C、実弾射撃が行えないものの見栄えある展示、ということで。野島碕沖まで行けば実弾射撃を展示できるのですが、横須賀からこれをおこなうとかなり距離があるために観艦式とともに行う場合は出航開始0430時から、無理だ、という。

 IRフレアーの連続投下続く。韓国が十年に一度行う国際観艦式はチェジュ島の沖合、比較的船舶往来の少ない海域で行うために自由度が高い、とも。チェジュ島は韓国最大の海軍基地が2010年代に建設、此処を選んだのは危険な南北国境から遠いため、信頼されている。

 IRフレアーが太平洋上に延びる。海上自衛隊は保有鑑定や航空機の規模としては世界有数の規模を有しているのですが、その分お座敷も多く多くが稼働状態にあるため例えば放射能除去装置や洋上補給や掃海展示、観艦式数回に一回しか行えない寂しさもあるのですね。

 IRフレアーを投下し続けつつ飛去るP-3C。P-3Cの強みは各種対潜機材そのものよりも情報処理システムと情報共有能力を既に1970年代に構築し、デジタル化しつつ二〇二〇年代もアップデートが続いている、というところでしょうか。P-1哨戒機とともに第一線を担う。

 IRフレアー展示完了。この時点で後継機のP-1哨戒機は初号機が飛行試験中、量産と部隊配備は2011年を計画していました。後継機は必要か、2000年代には議論もあったようですが、2010年代から高まった中国の脅威、2020年代の現状見れば何を冗談、というものか。

 くらま、IRフレアー展示を完了したP-3C、薄い雲はIRフレアーの名残です。P-3Cは対潜用ですが、くらま、も対潜用、一部に観艦式が晴れ舞台という揶揄もありますが、艦載機をSH-60Kに載せ替えるだけで抜本的に能力が向上、日本型体系は大きな可能性を持つ。

 あすか、てんりゅう、ぶんご、単縦陣。さて、この航空部隊のIRフレアー展示をもって観艦式は艦隊陣形運動に移り、そして観艦式は終了、観艦式参加艦艇は一斉に基地や港、出発地へと戻ります。この2009年観艦式は二度目の観艦式、ようやく実施の流れ読めてきた。

 さわかぜ、艦影がよくわかる。たちかぜ型護衛艦の3番館で二番艦あさかぜ竣工は1979年、さわかぜ竣工は1983年です。このためにターターDシステムはかなり進化しているとのことでハープーンミサイルのMk13発射装置からの運用能力も付与、護衛艦隊旗艦でもある。

 あぶくま、水平線上の護衛艦ひゅうが。陣形を組み相模湾から横須賀と横浜、そして木更津へと戻ります。浦賀水道は世界有数の過密海域、タンカーに貨物船とRORO船にコンテナ船と内航船に漁船とヨットとフェリーにクルーズ船が行き交う、緊張の航行ともいう。

 はたかぜ、艦隊運動を終えて避航する。はたかぜ型は二番艦しまかぜ、この2隻の建造を以てターターシステム艦の整備が完了し、イージス艦へ整備が以降します、まさか最新鋭システムが供与されるとは海幕も確信が無く、最初は同型艦を4隻量産する計画だった。

 あしがら、水平線上に護衛艦ひゅうが。イージス艦とヘリコプター搭載護衛艦、それも最新鋭の全通飛行甲板型護衛艦です。はるな除籍の同日に護衛艦ひゅうが竣工。しかし北大路機関は、はるな、ひゅうが、二隻がそろった写真を撮影したことがあります、貴重です。

 あすか、てんりゅう、ぶんご、艦隊運動。観艦式の醍醐味の一つはこの艦隊運動、特に地方隊展示訓練では護衛艦を二隻と三隻とを圧縮航過で時運系を構成しているよう構図を執ることは難しいのですが観艦式となりますと参加艦艇が多く構図の自由が利くのですよね。

 くらま艦隊運動を終えて避航し水平線上に警戒艦しらゆき。しらゆき、はつゆき型護衛艦の2番艦です。はつゆき、しらゆき、みねゆき、さわゆき、はまゆき、いそゆき、はるゆき、やまゆき、まつゆき、せとゆき、あさゆき、本型は長く海上防衛に貢献しました。

 こんごう、あすか、二隻が併航する。鋭く尖った試験艦あすか、その艦首が印象的ですね。こんごう機関出力10万馬力で最高速力30ノット、あすか機関出力4万3000馬力で最高速力27ノット、こんごう勝ちなのですが、これ、別に競争しているのではありません。

 てんりゅう、あしがら、展示を終えて横須賀と横浜へ向かう。出航に順番があったように入港も順番がありまして、観艦式では多数の艦艇が限られた埠頭にメザシ係留するのですから入港時間を明確に守らねばなりません、この為に予定時間に沿って追い越し追い抜く。

 自衛艦旗、てんりゅう艦尾とイージス艦こんごう。自衛艦旗は基地艦艇広報などでもよく見かける構図ですが、洋上で、となりますとなかなかみられない貴重な情景となります。こんごう、10万馬力エンジンから吹き出す大量の排気を担う上部構造物形状がおもしろい。

 横須賀へ向かう、てんりゅう、あしがら、あぶくま、水平線上にうっすらとみえるのは護衛艦まきなみ。競争ではない、と明示しましたが、しかし知らない人から見ればこれは競争に見えるのかもしれません、このころ多くの見学者は疲れて毛布で寝ているところだ。

 てんりゅうチャカ3と輸送艦おおすみ水平線上。チャカは拳銃を示す暴力団の隠語、ではなく無人標的機、90分ほど亜音速で飛行でき、てんりゅう、は同時に十数個、一説にはもう少し多くの無人標的機を航空管制することができるという。多数の攻撃を再現できる。

 あしがら、水平線上に続航する護衛艦ひゅうが。最新鋭、最新鋭。こうした構図を撮影したかったところです。洋上防空の中枢イージス艦と将来的にはハリアーくらい搭載しそうな最新鋭も最新鋭の全通飛行甲板型護衛艦、まさに21世紀の海上自衛隊というところです。

 さわかぜ、撮影位置から右舷側で太平洋上に広がり奥に試験艦くりはま。くりはま、は警戒艦ですね、ソナーなどの対潜装備を試験する任務に就いていまして、海上自衛隊が新造した初めての専用の試験艦、それほど大きな艦ではありませんが希有な一隻でもあります。

 水平線上に浮かぶミサイル護衛艦はたかぜ。ターターDシステムを搭載する防空艦です。射程90kmのスタンダードSM-2運用能力も有していまして、しかし技術的限界から同時誘導は2目標までという。この点で目標をイージスシステムは同時に21目標に対処、強い。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【15】ミサイル艇と展示飛行(2009.10.23)

2020-07-12 20:01:30 | 海上自衛隊 催事
■くらま観閲の海空訓練展示
 自衛隊観艦式の展示はミサイル艇による高速航行展示と共に再度航空機のエンジン音が太平洋へ響き渡ります。

 イージス艦こんごう、水陸機動作戦、という構図で。アメリカ海兵隊などは野戦防空部隊としてかつてホークミサイルを配備していましたが、そのまま区分廃止し、野戦防空は海軍イージス艦に依存する現状となっています。スタンダードSM-6の射程は370km以上だ。

 あしがら、ミサイル艇。海上自衛隊にとってミサイル艇とは、冷戦時代の魚雷艇による一撃離脱の運用を引き継いだ装備ですが、冷戦以降、一撃離脱よりは長期の警戒監視が求められる時代となりまして、その運用も高性能を活かしにくくなっているようにもおもう。

 せんだい、ミサイル艇。あぶくま型護衛艦ですが、平成初期の設計ながら周辺国の、具体的には中国の新世代駆逐艦に対しても平時には対艦ミサイルはじめ各種装備を有しており抑止力は発揮できます、そして護衛艦不足からミサイル艇も同種の任務に当たります。

 ミサイル艇流し撮り。ミサイル艇の韋駄天性能を紹介するには、この構図が良い。一号型ミサイル艇という、イタリアのスパロビエロ級の技術提供をうけ開発した水中翼船がありましたが、任務が特化過ぎ開発されたのが本型、ちなみにスパロビエロとは隼を示す。

 ミサイル艇と沿岸護衛艦。ミサイル艇ですが、個艦防空能力が低く紹介ヘリコプターにも太刀打ちできません。故に北欧ミサイル艇先進国などでは沿岸砲兵と一体化して運用されます。自衛隊の場合、沖縄南部の陸上自衛隊ミサイル部隊と統合運用すべきなのかも。

 沿岸護衛艦とミサイル艇。石垣島や宮古島には12式地対艦誘導弾や03式中距離地対空誘導弾部隊が進出予定です。石垣島あたりに海上自衛隊防備隊基地を置ければ、平時は海上防衛プレゼンスを発揮し、有事の際には友軍防空網下での遊撃戦、という運用も可能だ。

 水平線上くらま。海上自衛隊の旗艦的な位置づけとなっています護衛艦です。実は2003年の観艦式では首相の観閲艦は護衛艦しらね。2006年から2015年までの観艦式では佐世保くらま、が観閲艦を果たしました。その期間、私も撮影のご縁があった、ということ。

 水平線上ひゅうが。新時代の護衛艦といいますと、この護衛艦です。はるな除籍は本当に残念でして、実は舞鶴配備の護衛艦はるな、観艦式にて航行している様子を見たことは、当方、ありませんでした。ひゅうが、当時横須賀配備、現在は舞鶴配備となっている。

 US-1A救難飛行艇とUS-2救難飛行艇、あしがら。飛行艇の展示が開始されました。US-1AもUS-2も3mまでの波浪に対応するのですが、観艦式では離着水を行う場合、艦隊進路に合わせる必要がありまして、波より風向きから着水できない、ということも多々あります。

 あぶくま、US-2飛行艇。US-2,インドへの輸出とか、カナダが森林火災対処用に興味を示したとか、インドネシアが離島急患輸送用に、という声をよく聞きました。しかし、US-2の取得費用はF-35B戦闘機とほぼ同額、値段を聞くと去っていく、という話も聞きますね。

 US-2と水平線上の護衛艦。日本の場合は当初、対潜飛行艇としてPS-1が開発され、しかしあまりにも離着水によるソナー運用が非現実的で、しかもP-3C哨戒機などに対し優位性がなく、つり下げソナーならばソノブイよりも高性能、という目論見は外れました。

 US-1Aと水平線上の護衛艦。PS-1の発展型は、しかし広大な日本の排他的経済水域EEZを前にP-2J哨戒機やP-3C哨戒機を運用し、万一の事態があったことを考えて広範囲の航空救難体制を構築する必要に迫られ、高速艇や救難ヘリコプターを補完する機種が必要に。

 自衛隊と飛行艇。多数が必要、という航空機ではないのですが、陸上基地から1000km以上離れた海域での遭難事案ではヘリコプターには天候次第で厳しく、艦船ならば二日近く要する。飛行艇は、万一のことがあっても必ず助ける、という保証で保障なのですよね。

 US-2の情景。特殊な航空機であるため、輸出により量産効果を強めたいところですが、高価であること、そしてなにより職人芸とも呼ばれるほどの離着水の難しさがありまして、現実的に輸出を行うには自衛隊OBによる訓練支援部隊が必要になるようにも思います。

 くらま、飛行艇展示を終えて。観艦式は次の展示へと進んでゆきます。ただ、この観艦式を最後にボフォース展示がなくなり、そろそろ昔のように76mm艦砲の実弾射撃を再開してはどうかな、と思います。昔は太平洋でも日本海でも体験航海で艦砲を撃っていました。

 US-2はそのまま飛び去ってゆきました。水平線上に見える護衛艦の微かな情景とUS-2とともに飛行する水鳥の様子が不思議情景を醸し出しています、US-2,費用対効果としては飛行艇に難しい時代が到来している様にも思うのですが海洋国家の意地なのかもしれません。

 あしがら、艦橋の背景にP-3C。P-3Cが海上自衛隊の一時代を築いた哨戒機いよいよ開始される航空機による訓練展示、ここは相模湾という世界でも有数の過密海域であるためになかなか思い切ったことはできないのですが、それでも精一杯の展示を実施してゆくのだ。

 あしがら、P-3C。P-3C哨戒機は1997年まで101機が海上自衛隊へ納入されまして、大半は川崎重工にてライセンス生産を実施しています。導入時は高価な製造費が第二のロッキード事件と揶揄され、護衛艦いしかり一隻よりも高く護衛艦はつゆき型よりは安価という。

 あぶくま、艦橋の背景にP-3C、哨戒機はもともと高いものでアメリカの最新P-8A哨戒機も護衛艦あきづき型の半額程度を要します、その分だけに高性能でP-3Cは一機で同時に四国同等面積の海洋哨戒が可能という高性能を誇ります、シーレーン防衛に必須といえた。

 ひゅうが、P-3C。艦影は水平線上に浮かんでいまして、洋上航空とヘリコプター搭載護衛艦という一つの作戦体系が見て取れます、P-3Cは年々能力向上を進めていますが機体構造寿命が近づき、現在では延命を重ねつつ新型のP-1哨戒機へと更新を進めているところ。

 350ポンド対潜爆弾投下。80mほどの水柱がたつ、この水柱は京都の東寺五重の塔よりも高い、こうした展示を行うために海上保安庁は航路注意情報を出しています、ボフォース対潜ロケットの実弾射撃の際よりも増し、足元から突き上げる衝撃がどん、どん、と響く。

 対潜爆弾水柱。昭和の時代の観艦式ではもう少し実弾射撃が頻繁に行われていまして、P-2J哨戒機による127mmロケット弾発射、S-2V哨戒機もロケット弾の射撃展示を実施していました。ヘッジボッグ対潜擲弾や76mm艦砲の実弾射撃などを行っていたというから凄い。

 対潜爆弾起爆、海面が一瞬泡だって、という情景は1954年の映画ゴジラを思い出すか、1957年の映画眼下の敵を思い出すか。相模湾では艦砲射撃は安全管理上難しい、という話を聞きまして、行うならば野島碕の沖合にある射撃訓練海域へ行かなければならないという。

 対潜爆弾水柱。2020年代となった今日ではボフォース対潜ロケットが自衛隊から全て全廃されてしまったために、観艦式で実弾といえばこの対潜爆弾が唯一のモノとなっているのは残念ですね。跳弾しない76mm平頭弾など不審船用に開発、あれならば大丈夫そうだが。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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