北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【14】ひゅうが艦載機の発進(2009.10.23)

2020-06-21 20:04:17 | 海上自衛隊 催事
■ミサイル艇&LCAC高速航行
 自衛隊観艦式は様々な艦艇が精密時計のように緻密にしかし入り乱れ観艦式の訓練展示は次々と太平洋上に繰り広げられてゆきます。

 おやしお型、そうりゅう型、そしてその改良型で将来は潜水艦おうりゅう型と区分されるでしょうリチウムイオン電池潜水艦、続く3000t型潜水艦が建造されますが、国産で設計し運用研究し部隊を編成できる、この防衛力はもっと活用すべきなのかもしれませんね。

 くらま。第一世代ヘリコプター搭載護衛艦、と個人的に誇称している護衛艦はるな建造から続きます四隻のヘリコプター巡洋艦型の護衛艦集大成です。はるな満載排水量が6800t、くらま満載排水量が7200t、位置づけとしては戦時中の5500t型軽巡洋艦にちかいもの。

 ヘリコプター搭載護衛艦の世代交代、そしてこの頃日本でも世代交代と云いますか政権交代が行われていまして、自衛隊観艦式2009は鳩山内閣が始りました2009年9月16日から後の観艦式です。鳩山内閣はこの二か月後、護衛艦いずも、22DDHの予算を成立させる。

 ひゅうが。第一世代型ヘリコプター搭載護衛艦がヘリコプター巡洋艦型の船体を採用していたのに対して、ひゅうが型護衛艦から始まりました新しい潮流は全通飛行甲板型護衛艦、と呼称しています。文字通り全通飛行甲板を採用し、多種多様な航空機を運用可能だ。

 はるな。海上自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦は1973年に竣工し、海上防衛の第一線にありましたが、この観艦式が挙行されました2009年に除籍、代えて竣工したのがこの護衛艦ひゅうが、なのですね。海上自衛隊が導入しました初の全通飛行甲板型護衛艦です。

 海上自衛隊潜水艦は国産潜水艦初代おやしお以来連綿と建造技術が受け継がれ、そして先行する初の供与潜水艦くろしお以来日米の戦術研究と共に戦術が磨かれています。当時は、くろしお組、おやしお組、と派閥が在ったとも聞きますが、現在は日本潜水艦一家へ、と。

 ヘリコプター搭載護衛艦、はるな、は1973年竣工ながら、艦載機をHSS-2とHSS-2AにHSS-2B,SH-60Jと最後はSH-60Kに世代交代させることで除籍の直前まで第一線での運用に耐える性能を維持しました。ヘリコプター搭載護衛艦の強みはここにありましょう。

 全通飛行甲板型護衛艦はその筆頭ですが、航空機を運用する艦艇は近代化改修などをせずとも艦載機を新型に置き換えるだけで性能を一新できるのですね。世界にはモジュール艦という、作戦モジュールを置き換えることで多用途に対応する艦艇はあるのですが。

 F-35Bを搭載することで水上打撃戦にも対応できる護衛艦だ。モジュール艦、一時期特にデンマークなどが各国に提案し、ドイツも輸出用に提案した水上戦闘艦で、ブロックコンテナ状のモジュールを置き換える事で、対水上戦闘や対空、掃海から哨戒まで対応する。

 しかし、モジュール艦が普及しなかった最大の理由は、モジュールを積み替えるにも時間を要しますし、補完しておくだけでも莫大な費用を要し、操作要員も共通化が難しいという事で殆ど普及しませんでしたが、航空機であれば積み替えは造船所に入る必要もない。

 SH-60Kを搭載することで対潜と対水上、MCH-101を搭載することで掃海と水陸機動に輸送、AH-64DやCH-47を搭載することで水陸機動や戦力投射、まもなく導入されるMQ-8で哨戒と掃海、F-35Bでイージス艦支援とミサイル防衛支援に空対空戦闘、対応できます。

 海上自衛隊独自の方式としての水上戦闘システム、海洋防衛作戦体系、全通飛行甲板型護衛艦はこうした将来性を有している。ひゅうが、ほかこの2009年は、ひえい、しらね、くらま現役でまだ世代交代は始まったばかり、いまは、いせ、いずも、かが、が運用中だ。

 潜水艦の展示を完了した後、艦隊は次の展示に向けて再度陣形を整えます。実のところ観艦式が執り行われます相模湾は決して広くはなく、そして東京湾の湾口という世界有数の海上交通量を誇る海域にて展開されています、小田原沖から江ノ島沖にかけての海域にて。

 自衛隊観艦式では、富士山が望見でき雄大な景色とともに艦隊が航行する様子から国民が海上防衛の現状を知ることが出来るのですが、小田原おきから江ノ島沖という、電車ですと微妙に近く感じる海域を航行して実施されています。航空機も羽田管制空域に近い。

 はやぶさ型ミサイル艇の機動展示か開始されます。はやぶさ型は日本海沿岸の防備へ地方隊の警備隊用に6隻が建造された高速戦闘艇で、もともとは30隻程度が配備される計画でしたが、防衛計画見直しにより6隻で建造終了、このほか一号型が3隻建造されています。

 くまたか、おおたか。ともにミサイル艇はやぶさ型です、満載排水量240tと非常に小型で、しかし明治時代に日本海軍が最初に導入しました駆逐艦雷が375tですので、その昔の駆逐艦というものはこの水準をもう少し大きくした水準だったのだな、と思ったりしましたね。

 イージス艦の艦影がIRフレアーの濛々としたカーテンの奥から姿を現します。さてイージスといえば先日のイージスアショア建設中止により、イージス艦増強か別の場所にイージスアショア設置かで揺れています。イージス艦増強ならば、艦名がどうなるか、愉しみだ。

 ミサイル艇の任務は艦対艦ミサイルでの水上戦闘艦攻撃ですが、レーダーが最小限度であるため、搭載するSSM-1対艦ミサイルの最大射程、その先の目標を捕捉する手段がありません。このため、陸上の防空砲兵陣地や移動レーダー施設と協力して任務に当たります。

 海上自衛隊は陸上自衛隊のFH-70榴弾砲、03式中距離地対空誘導弾や88式地対艦誘導弾システムと共同し、そして海軍プレゼンス公使の手段として島嶼部の防衛に、要するに平時に領域へ接近させない威嚇手段としてミサイル艇を考えるべきだったのかもしれません。

 イージス艦あしがら。外洋作戦を基本とする海上自衛隊にとって、沿岸作戦用のミサイル艇よりも重要度が高いのは、外洋艦艇です。専守防衛の我が国ではありますが、シーレーンは世界とを結び必要な工業製品や原料、燃料と食糧を自給出来ない我が国に必須です。

 あしがら。海上自衛隊は2020年現在、イージス艦まや竣工とともに護衛艦まや型二番艦はぐろ建造を進めていまして、これによりイージス艦8隻体制が漸く完成、護衛艦隊を構成する四個護衛隊群に各2隻のイージス艦を配備させる、平成初期の構想が漸く完成します。

 LCACと護衛艦あしがら。ミサイル艇の高速航行展示とともに、海上自衛隊の韋駄天といえばもうひとつ、LCACがあります。沖合96kmの母艦から主力戦車などを40ノットで沿岸に展開させる、アメリカ海軍の運用構想に基づき開発されたものが、このLCACだ。

 LCAC,海上自衛隊では虎の子装備であり車両は一両づつ、あまり目一杯搭載しないのですが、アメリカ海軍ではLAV-25軽装甲車とM-1114ハンヴィーを目一杯搭載して活用しています、96式装輪装甲車3両と軽装甲機動車3両を、同時に搭載して輸送する事が可能です。

 あぶくま。あぶくま型護衛艦です。将来的にDE沿岸護衛艦は全廃され、FFMという新しい3900t型護衛艦がその後継となります。FFMの満載排水量は5000t規模となり、あぶくま型護衛艦が2900tですので倍近い大型護衛艦となります。自衛隊の変貌は続くのです。

 LCAC流し撮り。高速航行を展開しますと、どうしても流し撮りを決めたくなってしまいますね。シャッター速度を1/25とか1/15秒とかの低速としまして、連写性能を発揮して撮影します。このころはEOS-40DやEOS-50Dを活用していた時代、まだ手元にありますが。

 LCAC高速航行。LCACは一隻90億円という、90式戦車一個中隊分の費用を要します、実際、おおすみ型輸送艦の建造費が350億円程度ですが、搭載するLCACだけで180億円という計算になるのですね。しかし遙か沖合から高速で上陸する性能、現在は必須という。

 こんごう、LCAC落ち着いて撮影。カメラと自分の技術を信じたいところですが、流し撮り失敗に備えて落ち着いた構図での撮影も一応行いました。こうした状況は次々に展示が進みますので気が抜けません。だからこそ掲載も延ばし延ばしになったの、かもしれない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【13】護衛艦実射撃と潜水艦(2009.10.23)

2020-06-07 20:17:32 | 海上自衛隊 催事
■吠える護衛艦衝く潜水艦
 ボフォース対潜ロケットの実弾射撃により沸き立つ海面は実弾ならではの迫力です。

 潜水艦を制圧する、この威力は非常に大きく、写真は望遠ズームレンズにより撮影しているため、かなり距離があるのですが、ぶーんというロケットモーターの独特の音響の後に遠くあがる水柱そしてその直後突き上げるような衝撃が足下から伝わってくるのですね。

 現代の視点からは潜水艦が発射する長魚雷、大型護衛艦も一発でしとめる危険な魚雷への迎撃手段として考えられているようですし、もうひとつ280kgという重量は水陸機動作戦における沿岸へ火力支援に用いられます。5インチ砲弾の37kgよりも遙かに強力ですから。

 ゆうばり型護衛艦、沿岸警備用の護衛艦であり、水上打撃力を確保するためにハープーン艦対艦ミサイルを搭載、対潜用にはアスロック対潜ロケットではなく軽量なボフォースロケットを搭載したもの。建造費用はP-3C哨戒機よりも安価、当初は沿岸警備艦と呼ばれる。

 護衛艦大型化という趨勢を受け、DEという沿岸護衛艦が建造されなくなりまして今に至ります。ただ、揺れて大変だし居住性も悪いけれど世帯が小さく若手幹部が経験を積むには良い護衛艦であった、DEあぶくま型とともにベテランの方々のお話で聞き、なるほど、と。

 潜水艦の運動展示がはじまります。潜水艦そうりゅう所属は第1潜水隊群第5潜水隊、潜水艦わかしお所属は第2潜水隊群第4潜水隊、潜水艦なつしお所属は第1潜水隊群第5潜水隊となっていまして、潜水艦の運動性能特色を潜水艦各型ごとに展示してゆくのですね。

 あしがら、ゆうべつ。ボフォースロケットの実弾射撃展示を終えて航行する護衛艦ゆうべつ、そして受閲部隊旗艦あしがら。海上自衛隊では護衛艦定数が冷戦後縮小されたものの、任務は南方警備などで逆に増大した為、同じ一隻ならばより大型のものへ、収斂しました。

 くらま、ここから潜水艦わかしお急速潜航する様子を。はるしお型潜水艦である潜水艦わかしお、は水中高速性能を重視した涙滴型船体形状を採用しています。わかしお遠景によくみますとミサイル艇はやぶさ型が次の展示に備え待機している様子が確認できますね。

 わかしお。海上自衛隊では水中高速性能を重視した潜水艦を、アメリカのバーベル級に範を採った潜水艦うずしお型、ゆうしお型、はるしお型、と建造しましたが続く潜水艦おやしお型からは葉巻型船体構造となり、速力より水中航続力を重視した設計となっています。

 はるしお型潜水艦わかしお急速潜航の様子、涙滴型形状の潜水艦集大成となった本型は冷戦時代、日本本土に着上陸を行いシーレーンを遮断し得るソ連大型巡洋艦を速力を以て確実に日本近海で撃破する事が任務として、高速性、一撃離脱を重視し設計されました。

 おやしお型潜水艦以降の海上自衛隊潜水艦は葉巻型形状を採用しまして、これはディーゼルエレクトリック方式潜水艦では標準的な設計なのですが、短距離の高速性能よりも航続距離を重視した形状といわれます、この設計変更の背景には冷戦終結が影響しているとも。

 わかしお筆頭に涙滴型船体構造の潜水艦は、ソ連太平洋艦隊という冷戦時代の我が国海上防衛に対する最大の脅威が日本海側にあり、津軽海峡や宗谷海峡と対馬海峡付近で、つまり日本近海での防衛を念頭と出来たのですね、海上自衛隊は近海作戦を求められたという。

 ポスト冷戦とともに世界規模の潜水艦脅威の拡散や中国軍事力の台頭、フィリピン島嶼部の不法占拠が在ったのは1990年代初頭であり、日本近海ではなく日本から離れた海域でのシーレーンへの脅威が及ぶようになったために長大な航続距離が求められた、転換がある。

 こんごう艦首のさらに奥に潜水艦の艦橋、セイルの頂点が見える。潜水艦そうりゅう所属は第1潜水隊群第5潜水隊、潜水艦わかしお所属は第2潜水隊群第4潜水隊、潜水艦なつしお所属は第1潜水隊群第5潜水隊、各型が性能が違いますのでその特性が独特なのです。

 急速浮上。潜水艦と云えばこの迫力の航行展示を思い出される方も多いでしょう、急に浮上してきます。緊急時に海上に浮上する場合などに展開されるのですが。はるしお型までの涙滴型船体を有する潜水艦でなければこの迫力の急速浮上の様子を見る事は出来ません。

 潜水艦らしい展示ではあるのですが、実はこれ、海面に飛び出すような急浮上は迫力があるだけで、要するに高速性能を重視しすぎた結果で制御が利いていない航行ともいえまして、きめ細やかな動きが苦手なのですね。葉巻型船体の潜水艦おやしお型ではできない。

 あさしお。はるしお型潜水艦で最後まで現役に在りました一隻が除籍されました現代では、海上自衛隊が原子力潜水艦でも建造しない限り速力は大きいがエネルギー消費も大きな涙滴型船体構造の潜水艦建造は考えにくく、実のところもうみられない迫力の情景といえる。

 なつしお緊急浮上展示、背景に護衛艦はつゆき型が見えます。涙滴型船体構造の潜水艦と重武装を誇る護衛艦はつゆき型の展示は冷戦時代の名残りであり、平成時代初期に整備されました新しい過渡期の防衛力、その象徴的な取り合わせ、といえるのかもしれませんね。

 はるしお型、しかし2020年代の今日から視た場合でも最新鋭とは言い難いものですが、ハープーンミサイルの運用能力があり、実のところ世界を見ますと同世代である1990年代の潜水艦は意外な程に多く、潜水艦は潜航できるというだけで非常に大きな存在意義がある。

 我が国には三菱重工神戸造船所と川崎重工神戸造船所が潜水艦を建造しています、潜水艦は建造に二年を要しますので毎年一隻を建造できるのですが、そもそも世界を見ますと潜水艦を国産やライセンス生産出来る造船所を持っている国のほうが少数派、なのですね。

 潜水艦造船所を二カ所維持しているのは、日本以外にはアメリカ、中国、そしてロシアくらい。自衛隊はこの当時16隻の作戦潜水艦と2隻の練習潜水艦、現在は22隻の作戦潜水艦と2隻の練習潜水艦がありますが、潜水艦は現在非常に高価であり日本の規模は大きい。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【12】自衛艦隊砲雷撃戦用意(2009.10.23)

2020-05-24 20:19:31 | 海上自衛隊 催事
■艦砲響き弾ける海面沸く太平洋
 自衛艦隊砲雷撃戦用意、いよいよ自衛隊観艦式は訓練展示という日々の訓練の成果が世界へ展示されます。

 はたかぜ、空包射撃の展示です。Mk.42-5インチ単装砲は海上自衛隊の一時代を築いた艦砲です。1950年にアメリカで開発され、マウント重量は67tと巨大ですが毎分40発という当時としては極めて早い射撃速度を有しており、射程は23.67kmと今日的にも優秀です。

 くらま艦上から訓練展示を観閲官へ展示される為、実はこの日の潜水艦救難艦ちはや艦上というのは、くらま、と少し近い関係もありまして中々良好な撮影位置と思いました。もっとも観閲部隊と観閲付属部隊は速力が違う為、こちらを追い抜いて行くのですけれども。

 こんごう、観閲艦くらま、とともに訓練展示を観閲します。こんごう型はヘリコプター格納庫を有さない為に竣工当時には少し上部構造物の均衡が不思議な印象を受けたものですが、観艦式ともなりますと広い後部甲板では多くの乗艦者が並べる良い風情という印象だ。

 さわかぜ護衛艦隊直轄艦。Mk.42-5インチ単装砲の空包射撃です。護衛艦隊旗艦は、護衛艦あきづき、護衛艦むらくも、護衛艦たちかぜ、そして四代目が本艦ですが、護衛艦隊司令官が指揮を執るには余りに手狭で、観艦式の指揮くらいにしか使えないと揶揄されたり。

 観艦式は国威発揚の場なのですから、もう少し重視されても良いのかな、と思いつつ、また広大な施設はそのまま実任務と共に練習艦用途としても広かったのではないのか、と考えるのですけれども、機関部などで時代の流れがあるといわれれば、説得力もありますね。

 こんごう、はたかぜ。海上自衛隊の艦隊防空艦世代交代を象徴する二隻です。はたかぜ搭載防空システムはターターDシステム、しかし飽和攻撃へのシステム拡張性に限界があり、開発されたイージスシステムを搭載した最初の護衛艦がこの護衛艦こんごう、この艦です。

 Mk.42-5インチ単装砲とMk.13ミサイル発射装置の並びが。今日では驚かされるのですが海上自衛隊が最初に艦対空ミサイルを採用したのは護衛艦あまつかぜ、当時のRIM-24ターター隊区ミサイルは射程が18kmでしかなく、実は艦砲よりもミサイルが短射程でした。

 ターターシステム、海上自衛隊に導入されたターターシステムはアナログ電子計算機により目標を標定し誘導する草創期のシステムでしたが、アメリカ海軍のデジタル化趨勢を見越し、海上自衛隊は護衛艦あまつかぜ搭載システムを熱心に近代化し、デジタル型とする。

 ターターDシステムのDはデジタルを意味し、これにより汎用ICの物理的再接続からプログラミング書き換えによる拡張へ、今日的にはある種当然の利点ですが、1950年代にこの有用性に着眼したのが海上自衛隊です。しかし、艦砲かミサイルかの議論はあったという。

 艦砲。海上自衛隊では伝統的にこの艦砲を重視してきました、驚く事に初期のターターシステムによるターターミサイルは射程が18kmであったため、艦砲の方が射程が長かったという事情もあります。そしてこの艦砲は有人で、そして空包も射撃でき、観艦式むき。

 さわかぜ艦砲空包射撃。海上自衛隊は5インチ砲としてイタリアOTOメララ社製54口径コンパット砲とアメリカ製Mk 45-Mod4-5インチ砲を使用しています。しかし、空包はMk.42-5インチ単装砲でしか射撃できず、実はMk.42-5インチ単装砲だけの貴重な情景だ。

 あぶくま、その向こうに護衛艦さわかぜ。Mk.42-5インチ単装砲の空包射撃、実は撮影次第では美しい発砲焔が映るのですが、Mk.42-5インチ単装砲の空包射撃の機会自体が、観艦式かDDH等が参加する展示訓練のみ、若干Mk.42-5インチ単装砲とは縁が薄いもよう。

 Mk.42-5インチ単装砲が巻き起こす硝煙、しかし実弾の迫力は物凄く、70mちかい水柱が巻き上がるという。70mといえば東寺の五重塔よりも高く、そんな水柱が一門当たり毎分40本林立するのですから、Mk.42-5インチ単装砲の威力というのは凄いものなのですね。

 艦砲、Mk.42-5インチ単装砲は興味深い事に内部に二基のドラム式自動装填装置があり、これは昔の連装砲設計の名残りとも。しかし二系統を内蔵する事で信頼性を高めており、高さを抑えられるのか昔見た75式自走榴弾砲の自動装填装置とよく似た印象を受けました。

 相模湾に盛り上がる水柱、遂にMk.42-5インチ単装砲が実弾射撃を開始か、と思われるかもしれませんが、そうではありません。しかし自衛隊観艦式では実弾を用いた展示も行われまして71式ボフォースロケットランチャーの実弾射撃が、いよいよはじまりました。

 ゆうばり、ゆうべつボフォース対潜ロケット射撃。海上自衛隊では対潜戦闘を重視し数多くの各種対潜装備を護衛艦や航空機へ配備してまいりました。海上自衛隊では、護衛艦たかつき型、みねぐも型、やまぐも型にも搭載しましたが除籍がすすみ観艦式では最後に。

 71式ボフォースロケットランチャーとして海上自衛隊へ配備されています本装備はM-50/375mm対潜ロケットとしてスウェーデンにて1956年に開発されました、ロケットは230kgありソナーが発見した敵潜水艦の直上まで3.6kmの射程をもって爆雷を投射する。

 たかつき型から配備された装備、実は個人的に初めて体験航海の機会がありましたのが、たかつき型二番艦きくづき、ということでなじみある装備の一つなのですが、意外と優秀で四連装発射装置には直下に48発の弾薬庫がありまして、自動装填により再装填が可能だ。

 ボフォースは、魚雷をロケットにより投射するアスロックSUNよりは構造重量も抑えられており、小型艦向けとなっていまして、コルベットなどの小型艦用に連装式のさらに小型のものもあるという。もちろん射程や威力では爆雷故に、魚雷の命中程ではありませんが。

 ボフォースロケット。観艦式において眺めるには良い装備でした、EOS-7D発表前の当時、発砲炎などを撮影するのはなかなか難易度が高かったのですが、ボフォースはゆっくりと投射されるため、安価なカメラでも迫力の情景を撮影できたのですね。そして用途も広い。

 小型艦は日本が必要とする外洋作戦に限界がある、という視点は良く聞きまして説得力もあるのですけれども、近年は中国海軍によるコルベットによる外国漁船等への嫌がらせ的な砲艦外交が行われている所を見ますと、グレーゾーン事態にはこの限りでないとおもう。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【11】航空自衛隊戦闘機部隊(2009.10.23)

2020-04-26 20:09:30 | 海上自衛隊 催事
■F-2戦闘機&F-15戦闘機
 EOS-40Dで広角とEOS-50Dで望遠を撮影する故に撮影番号が混合する不思議な幕間の写真です。

 F-2戦闘機祝賀飛行。F-2戦闘機三機が海洋迷彩で観閲艦上空を飛行します。前回は航空部隊祝賀飛行の航過を終えて一斉回頭する様子を紹介しましたが、撮影機材がEOS-50DとEOS-40Dに二分されていますので、少し写真が前後する事もあります。そんな情景ですね。

 F-1支援戦闘機後継として日米共同開発されたF-2戦闘機は第4.5世代戦闘機として1995年10月7日に初飛行を迎え、試作機を含め98機が生産されています。当初はブルーインパルスへの配備を含め141機の調達が見込まれていましたが、最終的に98機となりました。

 支援戦闘機とは開発当時の区分で、近接航空支援や航空阻止と対艦攻撃を任務とし、実際F-2は空対艦誘導弾4発装備した状態で戦闘行動半径450海里を有し、短距離空対空誘導弾と中距離空対空誘導弾をそれぞれ2発乃至4発装備する事が開発時に要求されました。

 三沢基地の第3航空団に第3飛行隊と第6飛行隊、九州の築城基地第8航空団に第8飛行隊、教育訓練用に松島基地第4航空団の第21飛行隊へ配備されます。ただ、2019年より第3航空団へ最新のF-35A戦闘機が配備開始、第6飛行隊は第8航空団へ転属しています。

 第3航空団の所属航空機で青森県三沢基地を拠点としています。ただ、1958年から1978年まで愛知県の小牧基地に居ました。実は長い事、第3航空団は小牧基地創設と思っていたのですが最近、新編は1957年に松島基地で、翌年小牧基地に移駐した、と知りました。

 F-2戦闘機は運用費用がF-15よりも低く、実際使い勝手は相応にある機体なのですが要撃第一主義の航空自衛隊では異色の存在であり、2006年に政府が生産縮小を決定しています。今思えばこの時点でF-2を海上自衛隊に移管し対艦戦闘と艦隊防空に充てるべきでしたね。

 F-15戦闘機三機編隊、白梅マークが眩しい第305飛行隊の所属機です。第305飛行隊は現在、宮崎県の新田原基地に展開していますが、この当時の第7航空団は第204飛行隊と第305飛行隊、共にF-15戦闘機の飛行隊で構成され、首都防空の重責を担っていました。

 第7航空団は1961年に松島基地で創設されました、当時の松島基地はF-86戦闘機のマザースコードロンという位置づけでしたが、航空団は1962年に入間基地へ移駐、1965年にF-104戦闘機へ機種転換の上で現在の百里基地へ移駐したのです。1967年に移駐は完了へ。

 ファントムの航空団という印象の百里基地第7航空団ですが、実はその通りで1972年に航空自衛隊最初のF-4戦闘機飛行隊が創設されたのは百里基地、航空自衛隊のファントム飛行隊のマザースコードロンという位置づけで全国のファントム飛行隊新編に寄与しました。

 F-15戦闘機の時代、航空自衛隊にとってのイーグルマザースコードロンは新田原基地にありまして、第7航空団も1985年よりF-15戦闘機の運用を開始、F-4は原型の初飛行が1959年と古い機体です、首都防空、太平洋岸に南下するソ連爆撃機東京急行へ新型が必要です。

 首都防空、しかし21世紀に入り南西諸島へ中国空軍の脅威が顕著化する事となり、この観艦式が執り行われた2009年に第204飛行隊は沖縄那覇基地へ移管され、代わって那覇基地のファントム飛行隊第302飛行隊、当時の第83航空隊から第7航空団へ移管されています。

 九州防空、中国空軍の近代化は凄まじく、南西諸島に及んだ脅威は数年を経て九州に延びるようになり、南九州新田原基地のファントムを運用する第301飛行隊と交代で第305飛行隊が百里から移管、首都防空は旧式のファントム飛行隊二個が担う事となったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【10】太平洋の艦隊一斉回頭(2009.10.23)

2020-04-12 20:15:47 | 海上自衛隊 催事
■ヘリコプター搭載護衛艦くらま
 祝賀飛行の特集までの幕間劇的に長くなってしまいましたが艦隊一斉回頭の写真と雑談を。

 北大路機関創設当時でF-1支援戦闘機は、築城基地では運用されていましたし、F-4戦闘機からF-2支援戦闘機へ置き換わったばかりの時代、三沢基地は京都から更に遠く、観艦式以外には小牧基地航空祭や小松基地航空祭へ地上展示に飛来する機体以外には縁がなく、これはこれで貴重です。

 F-2三機編隊は、試作機塗装ならば岐阜基地で見られるものですが、迷彩のF-2編隊飛行、当方が初めて見たのは霞目駐屯地の東北方面隊記念行事での松島基地第4航空団のF-2B戦闘機の編隊飛行で、要するに遥か遠い仙台市、それはそれは貴重な撮影の機会でした。

 SH-60J,最新型のSH-60Kとこのころ漸くJ型とK型の世代交代が始まりまして、いや少し前にはHSS-2BとSH-60Jの歴史的な世代交代が終了しているのですが、こちらも時代の転換期といえます。HSS-2は人員輸送型で22名が搭乗できるといいますので、不思議に。

 HSS-2の機内容積と比較しSH-60系統のS-70ヘリコプターは15名乗り、天井高さも限られていますのでHSS-2系統が運用終了へ向かうことはもったいなさを感じたものです。HSS-2は洋上にも着水可能で昔実際にHSS-2を飛行させていた方のお話を聞きますと。

 HSS-2は操縦席足下の直ぐ近くに揺れる海面があるというものは思った以上に不思議なものとのことですが、運用の冗長性は確かにあった、わかりやすく言えばよい機体だ、ということでした。しかしSH-60については率直にパワーのある機体、という印象でして。

 SH-60とHSS-2,操縦席からの操縦という意味ではSH-60系統のほうが出来ることが多い、という印象とも。SH-60Kは幾つかの革新的な技術を有しているとのことですが、AGM運用能力、つまりヘルファイア空対艦ミサイルの運用能力を付与された点が大きいでしょう。

 実はSH-60Jについてもノルウェー製ペンギン空対艦ミサイルであればプログラムの書き換えで、これは数時間で出来るという、その搭載も可能だというのですが、ペンギンミサイルの自衛隊配備は為されていません、航空自衛隊のASM-1と重なる部分も多い為なのか。

 ヘルファイア空対艦ミサイルには海上自衛隊が必要としていた新しい脅威への対処能力が持ち込まれています、それはミサイル艇対処という。ミサイル艇は元々その発達が5インチ砲を搭載できない小型舟艇に駆逐艦相応の打撃力を付与する、そんな水準のものでした。

 5インチ砲の代用からはじまったミサイル艇、もしくは魚雷艇の運用から延長線上に考えたものですが、大型水上戦闘艦艇にたいして行動を制約させるという意味で重大な影響を及ぼします。しかしミサイル艇にはほぼ自衛用高射火器を除いて防空能力がありません。

 ミサイル艇の弱点はここで、高度な火器管制装置と対空レーダ装置を搭載しますと、コルベットになり費用面でも運用面でも負担となり、大きくなればそのぶんだけ速力が落ちてゆく。SH-60K哨戒ヘリコプターはそうした目標をレーダーで50km以遠で捕捉できる。

 SH-60K哨戒ヘリコプターは捕捉した目標に対し相手の防護手段の無い十数kmを隔てて一気にヘルファイアミサイルによる攻撃を加え複数を無力化する、という運用で機能します。観艦式というものはこうした航空機を一挙に見る事が出来る、貴重な機会でもある。

 こうしたかたちで、艦艇の一斉回頭は終わり訓練展示となります。ただ、本特集としましてはEOS-40DとEOS-50Dの二台のカメラに18-200mmと120-400mmのレンズを使い分けていた時代、次回の掲載では少しだけもう一方の器材の写真を紹介する事となります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【09】護衛艦くらま大回頭(2009.10.23)

2020-03-29 20:20:53 | 海上自衛隊 催事
■ヘリコプター搭載護衛艦
 今回は備忘録的否雑談と併せ、ヘリコプター搭載護衛艦くらま幕間劇のような艦隊一斉回頭の様子を紹介しましょう。

 航空部隊の祝賀飛行と共に観艦式参加部隊は祝賀飛行の次に行われる訓練展示に向けて一斉に艦隊が回頭します。観艦式はどの艦に乗艦しているのかで見られるものが大きく違ってくるのですが、この一斉回頭では多くの艦艇を視られる、観閲式と並ぶ時機といえます。

 観艦式の一斉回頭、観艦式は乗艦した艦によっては周囲が支援艦ばかりで護衛艦が並ぶ勇壮な情景と巡り合えない事もあります、考えれば乗れている、という事が重要なのですが、折角乗艦したからには勇壮な艦隊運動を視たいものです。護衛艦一隻というのもさびしい。

 艦隊運動は角度によっては数隻の護衛艦が躍動感と共に構図に収まります。全く異なる艦艇が、運動性能も操舵性も異なる種類の艦艇がこうして陣形を組み、航行を展示する事はGPS普及前では難易度が高く、気付かない人は気付かない実はこの構図も貴重なのですが。

 くらま。航空部隊の展開とともに観艦式は次の局面を迎えるのですが、自衛隊観艦式の航空機祝賀飛行は航空部隊が機種ごとに一回航過飛行を行うという方式であるために実のところ撮影機会は一回のみ。観艦式、京都から横須賀というのは実は遠いのですけれども。

 観艦式の祝賀飛行ならではの楽しみとしまして、航空自衛隊戦闘機があります。百里基地第7航空団のF-15戦闘機、三沢基地第3航空団のF-2戦闘機、観艦式では京都から更に遠い基地の戦闘機が参加するのですね。百里基地といえば東京の更に先、非常に遠いのです。

 百里基地は隔離基地といわれていたようなものでして観艦式以外には白梅のイーグルは見られないと言う、そんな印象でした。関東鉄道が百里基地前まで延びていた時代にこちらも延びて撮影に行っていれば、と思うところですが、この頃第7航空団はF-15主力でした。

 第7航空団は今でこそファントム航空団と云われ、ファントム発祥の地を地で行く航空団ですが、この当時は構成する飛行隊が二つともF-15イーグル、ファントムの実戦部隊は宮崎県新田原基地や沖縄県那覇基地までいかなければみれない時代、そんな時代なのでした。

 F-15飛行隊は、これが南西方面の緊迫化により首都防空と入れ替わった構図です。P-3C哨戒機の編隊飛行も、P-3C自体は珍しくないのですが編隊は中々に見る事が出来ません。P-3Cとなりますと編隊飛行というよりは地上展示でよく見るという印象、後は工場ですね。

 海上自衛隊には厚木航空基地、八戸航空基地、鹿屋航空基地、那覇航空基地、以上四航空基地に哨戒航空部隊が展開し、岩国航空基地と下総航空基地には哨戒機派生型の電子情報収集機や練習機が配備されているのですけれど、編隊飛行、撮影するにはどこまで行くか。

 京都からもっとも近い厚木航空基地は航空祭を実施しませんし、岩国航空基地祭も飛行展示はそれほど大規模なものではありません、編隊飛行と機動飛行を海上自衛隊が哨戒機にて実施していると実際に見ることが出来たのは鹿屋航空基地祭でした。南九州で遠い。

 江田島基地の幹部候補生学校卒業式、編隊飛行ですとみる事ができる、京都から最寄りの基地は此処、でしょうか。もう一つは大阪湾展示訓練と舞鶴展示訓練なのですが、これは乗艦できるとは限りませんし、編隊ではなく一機だけ航過の可能性という事もあります。

 観艦式は、三機編隊ではあるのですけれどもP-3C哨戒機の編隊という情景を撮影することが出来ましたし、上記の通りF-15とF-2の編隊飛行も撮影できるのですね。F-2戦闘機については三沢基地の機体が。北大路機関の創設当時にはまだF-1支援戦闘機が現役でした。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【08】観閲航空部隊祝賀飛行(2009.10.23)

2020-01-12 20:03:18 | 海上自衛隊 催事
■相模湾陸海空自衛隊祝賀飛行
 相模湾での自衛隊観艦式、威風堂々の護衛艦初め艦艇によるその観閲式を終えると共に上空に大編隊が飛来しました。

 受閲航空部隊指揮官機としてP-3C哨戒機の2機編隊が飛来しました、自衛隊観艦式は艦艇部隊の受閲部隊に続いて祝賀飛行を展開します。P-3C哨戒機は1981年より100機が調達、一機護衛艦いしかり建造費に匹敵する高価な装備により今我が国海は守られています。

 SH-60J哨戒ヘリコプターとUH-60JA救難ヘリコプターより成る受閲航空部隊第一群、イージス艦あしがら艦上を飛行します。SH-60K哨戒ヘリコプターにより置き換えられつつあるSH-60J哨戒ヘリコプターですがこの2009年自衛隊観艦式ではこちらが主力でした。

 HSS-2B哨戒ヘリコプター後継機としてSH-60Jは1989年より103機が量産されています、吊下式ソナーと日本独自のセンサーを有する高性能機ですが後継機SH-60Kの量産によりこの観艦式十年後の2019年には24機まで規模が縮小、UH-60JAは12機が装備中です。

 MH-53E掃海ヘリコプター、受閲航空部隊第二群は海上自衛隊最大の掃海ヘリコプターで、米海軍で運用されているものとほぼ同型で掃海艇に先立ち絶対安全な空から最初の掃海を行う、令和元年の現在には全て除籍されMCH-101掃海輸送ヘリコプター10機が運用中だ。

 あしがら艦上を飛行するMH-53E,海上自衛隊最大のヘリコプターであり、航空掃海器具を曳航するその出力は怪物並と云って過言ではなく、ホイットビーアイランド級揚陸艦を一機で曳航した能力を持つ為、理論上本機一機で輸送艦おおすみ型を曳航する事も可能です。

 こんごう上空を飛行するMH-53E,この後継機であるMCH-101掃海輸送ヘリコプターはレーザー掃海器具等、従来型の航空音響掃海器具や磁気掃海器具よりも先進機雷戦装備を搭載する半面、これらは軽量となっている為にMH-53Eよりも非常に軽量機となりました。

 受閲航空部隊第三群は陸上自衛隊からの祝賀航空部隊です。CH-47J/JA輸送ヘリコプター、人員55名や装甲車を空輸可能で吊下げ空輸により短距離であれば機内と併せ軽装甲機動車2両を同時輸送可能、陸上自衛隊に至宝というべき装備で55機と多数を運用しています。

 あしがら艦上を飛行するCH-47J/JA輸送ヘリコプター編隊、イージス艦はこの2009年には艦隊防空に加えミサイル防衛任務が本格化していた時代ですが、今後は新たに水陸両用作戦における両用作戦部隊への直掩広域防空という新任務が付与される事となりましょう。

 CH-47J/JA輸送ヘリコプター、は川崎重工にてライセンス生産が実施されており、航空自衛隊も運用中、自衛隊全体で75機を装備します。実は大型輸送ヘリコプターは非常に高価であり、韓国軍や台湾陸軍は15機程度しか有していません。75機の運用は巨大といえる。

 あぶくま艦上を飛行するCH-47J/JA輸送ヘリコプター、あぶくま型護衛艦は6隻が建造されており、満載排水量は2900tとなっています。後継に3900t型護衛艦が鋭意建造中であり、満載排水量は5400t水準となりましょう、水陸機動を支援する掃海隊群へ配備予定だ。

 くらま艦上を飛行するCH-47J/JA輸送ヘリコプター、水陸機動団が新編されるのはこの9年後ですが、遡る事この7年前の2002年に西部方面普通科連隊が編成されています。ただ、現在自衛隊には、くらま除籍により艦砲を二基搭載する火力の大きな護衛艦がありません。

 受閲航空部隊第四群はTC-90練習機です。徳島航空基地の第202教育航空群へ集中配備される航空機でアメリカのビーチクラフト社製双発機を転用した計器飛行練習機となっています。15機が装備されており、老朽化した機体は新造のTC-90により代替されています。

 受閲航空部隊第五群は飛行艇部隊、US-2救難飛行艇とUS-1A救難飛行艇の編隊飛行、US-1Aは平成29年即ち2017年に最終機が除籍されました、US-2はその後継機で2016年に8号機が発注されています。海洋国家たる我が国に行動半径の大きな飛行艇は必須だ。

 飛行艇部隊は試作二号機を含む三機編隊の飛行ですが、実戦塗装の洋上迷彩US-2とまだUS-1Aは救難機塗装を維持したまま、US-2試作機は試作評価試験塗装を採用しています。期せずして三種類の塗装による飛行艇展示は観艦式2009のみの貴重な情景といえましょう。

 こんごう上空を飛行する飛行艇部隊、波高3mという荒天でも離着水が可能で、波高10mという救いようのないような悪天候下でも凪の瞬間には3m波高に収まる事も多く、時間をかけて上空待機するならば、台風直下の暴風状況でもない限り救助は可能となっています。

 受閲航空部隊第六群はP-3C哨戒機、実に100機が取得されていますが、この観艦式から十年を経た令和元年には54機が残るのみ、後継機となるP-1哨戒機は2007年に初飛行していますが、令和元年現在でもP-1哨戒機はUP-1実験機含め20機しか配備されていません。

 P-3C哨戒機は米海軍アップデートⅢ仕様へ近代化されていまして、捜索レーダー換装やソノブイ信号処理装置改修、衛星通信装置を搭載し、実のところ現代でも世界最高水準の性能を維持しています。このP-3Cは高価でシーレーン防衛を重視する故に維持されています。

 P-1哨戒機の配備は始まりますが、P-3Cは単に54機へ除籍減勢された訳ではなく、EP-3電子データ収集機へ5機、OP-3C画像データ収集機へ4機、UP-3C評価支援機1機、UP-3D電子訓練支援機へ3機が改修、世界有数の電子情報収集部隊を構成する事となりました。

 受閲航空部隊第七群は航空自衛隊のC-130H輸送機です。三機編隊での飛来ですが、受閲艦艇部隊第7群の余市防備隊第1ミサイル艇隊ミサイル艇くまたかと佐世保警備隊第3ミサイル艇隊ミサイル艇おおたか二隻が航行している様子がまだ見ています、航空機は速い。

 こんごう上空を飛行するC-130H輸送機、航空自衛隊の機体ですが海上自衛隊はこの時点で運用していましたYS-11M輸送機の後継としましてアメリカ海兵隊KC-130R空中給油輸送機中古機6機の屋外モスボール機を非常に安価に取得し、第61航空隊にて運用中です。

 くらま、先ほどのC-130H輸送機三機編隊を以て受閲航空部隊の観閲飛行は完了しまして、このまま訓練展示へと向け観閲艦くらま、は大きく変針しました。艦隊の一斉回頭は各部隊の司令官による変針発動により一斉に270度を回頭する、非常に緊張の瞬間、といえる。

 いなづま、先導艦は既に変針を完了しています。この回頭は総理大臣の乗艦する観閲艦を陣形再編前に各艦から見る事が出来るよう進路272度と微妙に動いた陣形運動を行います。私も安倍総理を望見、と言いたいところですがこの日の観艦式は予行、乗っていませんね。

 いなづま、くらま、回頭。受閲航空部隊の観閲完了と共に一斉回頭するのは、此処からいよいよ訓練展示が開始される為です。訓練展示の為に回頭するのは何故か、と云われますと、此処は相模湾、いつまでも前に進みますと伊豆半島下田港に入港してしまう為という。

 くらま観閲艦、しらね型護衛艦二番艦の観閲艦は、しかし永く一番艦しらね、の名誉となっていましたが、定期整備などの関係から2006年観艦式、2009年観艦式、2012年観艦式、そして平成最後の2015年観艦式、都合四回のみ、くらま、が観閲艦となっていました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【07】支援艦とミサイル艇(2009.10.23)

2019-12-08 20:17:12 | 海上自衛隊 催事
■受閲部隊続々海を往く
 本日は十二月八日で私の誕生日なのですが本日は観艦式を少々前回より間が空きましたが紹介しましょう。

 くらま、へ敬礼する掃海艇あいしま。すがしま型はUSC京浜事業所鶴見工場で建造された木造掃海艇で、本型は1991年ペルシャ湾機雷戦という実戦を経て第二次大戦型磁気機雷との性能差を痛感、各国で導入実績あるフランス製PAP-104機雷処分具を初採用しました。

 ペルシャ湾機雷戦は朝鮮戦争以来初の実戦経験となりましたが、40年の機雷技術発展は著しく、機雷処分器具の画像伝送と掃海艇からのソナー機雷探知では新鋭の低視認性機雷には発見が難しく、海底潮流や泥等視界悪環境下では当時日本製の装備は苦戦を強いられる。

 あただ型掃海艇、たかみ型掃海艇、と自衛隊は長く掃海艇を建造し、また第二次大戦中の米軍遺棄機雷や日本軍遺棄機雷処理を通じ長く実戦を経験した自負がありましたが、湾岸戦争、実戦の洗礼を受けて以来、海外装備研究や共同訓練を重視するようになりました。

 ましゅう。満載排水量25000tの総合補給艦で、艦長は品川隆1佐、元砕氷艦しらせ艦長で南極にも行きました。受閲艦艇部隊第6群として補給艦ましゅう(AOE-425護衛艦隊直轄-第1海上補給隊)と輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊)等やってきました。

 補給艦の任務は燃料や弾薬食料部品等を補給する。受閲艦艇部隊第6群は更にエアクッション艇1号(LCAC-2101護衛艦隊直轄-第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)とエアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)が続いて行く。

 ましゅう、おうみ、と建造された本型は主燃料と航空燃料等燃料10000t、固形補給品は冷凍冷蔵倉庫や弾薬庫を有しており、艦内の補給倉庫群は左右両舷にフォークリフト用レールと大型ベルトコンベア通路を備えており、補給作業の迅速化と自動化に寄与しています。

 いずも型ヘリコプター搭載護衛艦の満載排水量27000tが就役するまで、ましゅう型補給艦は海上自衛隊最大の自衛艦でした。つまり、この2009年の観艦式では本型が最大でした。ましゅう型就役までは砕氷艦しらせ、が最大。品川艦長が前に艦長を務めていた艦ですね。

 おおすみ、艦長田邉明彦1佐が指揮します、田邉艦長は後に護衛艦ひゅうが二代目艦長へ。LST-4001おおすみ、現在は掃海隊群第1輸送隊に所属しています。外見から初見の方には何をするのか分り難い艦ですが、ドック型輸送艦、艦内に揚陸艇を収容するドックを持つ。

 ましゅう基準排水量は13500tで満載排水量25000t、おおすみ型は基準排水量8900tで満載排水量14000t、先程の護衛艦ひゅうが、は基準排水量13500tで満載排水量19000tです。排水量というおのはその船を巨大な水槽に入れた際に押し出されて排水される水の重さ。

 くらま、おおすみ。おおすみ型輸送艦は基準排水量2000t満載排水量4000tの輸送艦みうら型後継として建造されました、当初は海岸線に直接揚陸する方式の揚陸艦で基準排水量3000t程度を見込んでいましたが、この方式は古いとされ、ドック型揚陸艦を目指す事に。

 おおすみ型、5500t程度を考えるも戦車が輸送出来ず、7500t型へ。そこでアメリカ製エアクッション揚陸艇を搭載する方式が示され、8900t型となりました。当初検討では15500t型も検討されたといわれるのですが、流石に2000t艦後継には大きすぎるとして、見送り。

 連隊戦闘団90式戦車14両と人員2000名を、おおすみ型3隻で輸送する計画でした。海上自衛隊へは長年、連隊戦闘団同時輸送力の整備が求められている。ただ、普通科連隊の自動車化や小型化と一定せず、現在は増強普通科中隊戦闘群を輸送する、と説明できる。

 くらま、LCAC。輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊)に続き、エアクッション艇1号(LCAC-2101護衛艦隊直轄-第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)エアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)が観閲に臨む。

 エアクッション艇1号型は輸送艦おおすみ型搭載艇として6隻が整備されましたアメリカ製の揚陸艇です。当初は搭載艇扱いですが、現在は独立した輸送艇という扱いであり、自衛艦籍にある数少ない輸入艦艇、といえるかもしれません。一隻当たり90億円というもの。

 LCACは標準54t、最大68tの装備を揚陸させるもので、アメリカ陸軍のM-1A2戦車が68t、我が国10式戦車が44tで、96式装輪装甲車は4両載る。速力は回航時70kt、54t搭載時40ktと68t搭載時30kt、航続距離は54t搭載時に35ktで300浬、40ktで200浬という。

 ホバークラフト方式であり荒天時でも航行が可能であるほか、全世界の80%の海岸線に揚陸できるといい、基本的に沖合96kmという地対艦ミサイルの視程外から発進し、上陸します。アメリカ海兵隊はLAV-25軽装甲車3輌とハンヴィー高機動車6両をこれに詰め込む。

 二年後の東日本大震災、LCACと哨戒ヘリコプター搭載艦が無ければ、犠牲者は枚以上になっていた、と当時の吉川横須賀地方総監が回顧するほどに重要な役割を有しており、津波被災地へ巨大な輸送力を発揮し、孤立被災者救助と救援物資沿岸部輸送に活躍している。

 くらま、くまたか。受閲艦艇部隊第7群は哨戒艦艇部隊です、ミサイル艇くまたか(PG-827余市防備隊-第1ミサイル艇隊)とミサイル艇おおたか(PG-826佐世保警備隊-第3ミサイル艇隊)の2隻が展開して参りました。いろいろ言われるミサイル艇ですが、在って良かった。

 おおたか。はやぶさ型ミサイル艇は満載排水量240t、射程180kmのSSM-1対艦ミサイルを搭載し航空機等の情報に連接し一撃離脱を図る。76mm艦砲を搭載し哨戒任務にも当れ、昨今は遥かに巨大なロシア軍ミサイル巡洋艦等周辺海域出現へも監視任務へ当っています。

 くまたか、あたご。大きさは二桁違う。一番艇はやぶさ配備当時、京都新聞は三面に大きな記事を掲載したのを覚えています、あの頃は北朝鮮工作船が跋扈し、対戦車ロケットや対空ミサイルを搭載、海上保安庁巡視船では対処に限界を感じていました、心強かった。

 能登半島不審船事件、1998年に北朝鮮からの国籍不明線2隻が海上保安庁の追尾を振りきり、初の海上警備行動命令が下令、ヘリコプター搭載護衛艦はるな、ミサイル護衛艦みょうこう、護衛艦あぶくま、が追尾し緊張が。ミサイル艇は小型で用途は限定、でも必要だ。

 あぶくま、おおたか。ミサイル艇は用途が限られるとの批判、速力44ktと高速ですが、レーダー等は最小限で単体での用途は限定されます、防空装備は艦砲だけで対艦ミサイルを搭載するヘリコプターからは陸上の地対空ミサイル部隊支援下へ逃げ込むしかありません。

 軍艦とは時代の要請が反映されるもの。ミサイル艇に代わり北朝鮮武装工作船へは管制式40mm機関砲を備えた海上保安庁高速巡視船とAGM-114ミサイルを搭載するSH-60K哨戒ヘリコプターが現代は対応し、はやぶさ型ミサイル艇後継には大型の哨戒艦が当ります。

 P-3C哨戒機2機編隊が飛来、閲艦艇部隊第1群として護衛艦部隊、第2群として護衛艦部隊、第3群として護衛艦部隊、第4群として潜水艦部隊、隊第5群として掃海艇部隊、第6群として支援部隊、第7群として哨戒部隊、その式が完了し、いよいよ祝賀飛行が始まる。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【06】護衛艦と潜水艦部隊(2009.10.23)

2019-10-27 20:09:56 | 海上自衛隊 催事
■観閲艦くらま,へ敬礼!
 観艦式の観閲部隊と受閲部隊の航行は進み護衛艦部隊から続いて潜水艦部隊が見えて参りました。

 くらま、ゆうべつ。観閲部隊観閲艦-護衛艦くらま(DDH-144第2護衛隊群第2護衛隊)に向け受閲艦艇部隊第3群を構成する小型護衛艦部隊、護衛艦ゆうばり(DE-227護衛艦隊直轄-第15護衛隊)護衛艦ゆうべつ(DE-228護衛艦隊直轄-第15護衛隊)が敬礼を行います。

 そうりゅう、いかづち。受閲艦艇部隊第4群潜水艦そうりゅう(SS-501第1潜水隊群-第5潜水隊)と潜水艦わかしお(SS-587第2潜水隊群-第4潜水隊)及び潜水艦なつしお(SS-584第1潜水隊群-第5潜水隊)が先導艦-護衛艦いなづま(DD-105第4護衛隊群第8護衛隊)横へ。

 そうりゅう、三菱重工業神戸造船所にて2009年3月30日に就役した最新鋭艦です。艦長は加納雅人1佐、真珠湾攻撃参加の海軍航空母艦蒼龍を継ぐ艦名ですが、旧海軍が航空母艦設計を完成させた歴史的艦名を潜水艦名とした事には艦隊司令官OBからの疑問の声も。

 はつゆき、ゆうべつ。はつゆき、は警戒部隊としての参加なのですが、艦長下野善彦2佐以下、吹雪型駆逐艦3番艦初雪の名を継ぎ、頑張ってきたのですが翌2010年6月25日の除籍されており、有終の美を観艦式の警戒部隊ではなく受閲艦艇部隊へ入れて欲しかった。

 はつゆき型護衛艦、DD-122はつゆき、DD-123しらゆき、DD-124みねゆき、DD-125さわゆき、DD-126はまゆき、DD-127いそゆき、DD-128はるゆき、DD-129やまゆき、DD-130まつゆき、DD-131せとゆき、DD-132あさゆき、DD-133しまゆき、12隻が建造された。

 88艦隊として、護衛隊群を護衛艦8隻と対潜ヘリコプター8機から編成する新時代任務に対応するべく設計され、対水上用のハープーン、対空用のシースパロー、対潜用のアスロック、そしてHSS-2やSH-60対潜ヘリコプターを搭載するシステム艦が、はつゆき型だ。

 くらま、そうりゅう。非大気依存推進方式AIP潜水艦として建造された一番艦です。潜水艦はバッテリーで航行し、使い切った後にはスノーケルを海上に出し吸気しつつディーゼル発電機で充電する必要があり、弱点でした。AIP潜水艦はスターリングシステムを積む。

 そうりゅう型は、SS-501そうりゅう、SS-502うんりゅう、SS-503はくりゅう、SS-504けんりゅう、SS-505ずいりゅう、SS-506こくりゅう、SS-507せきりゅう、SS-508せいりゅう、SS-509しょうりゅう、SS-510おうりゅう、と建造され、建造はなお続いている。

 ゆうべつ真横から。そうりゅう型は満載排水量4200tと巨大です。熱対流と熱膨張を利用したスターリング機関を搭載していますが、スターリング機関と鉛蓄電池を全部最新鋭のリチウムイオン電池へ置き換えた方が水中航行能力はむしろ高まるとされ、改修の予定が。

 わかしお、はるしお型潜水艦だ。水中排水量3200t,全長77m,海上自衛隊が潜水艦うずしお型以来設計した涙滴型潜水艦の最終型に当り、徹底した騒音対策によりディーゼル発電中も捕捉が難しく、高エネルギー密度水冷撹拌クラッド式鉛電池により航続距離が延伸した。

 そうりゅう、あぶくま。自衛隊の潜水艦はZYQ-31指揮管制支援装置とTDBS情報処理装置とZQX-11潜水艦戦術状況表示装置及びZYQ-51潜水艦発射管制装置という独自の戦闘システムを構築しており、アメリカ海軍の支援を受けつつ独自の潜水艦運用体系を組んだ。

 あぶくま、観閲部隊の方が当方乗艦の観閲付属部隊よりも1ノット早く航行しており追い抜かれてゆく。あぶくま艦長は笹野英夫2佐、旧海軍お軽巡洋艦阿武隈の艦名を継ぐと共に、護衛艦あぶくま型の一番艦、本型は沿岸警備用DEとして最後に建造されたものです。

 そうりゅう、十年前の観艦式では文字通り最新鋭潜水艦です。ただAIP機関搭載で前型おやしお型よりも艦内容積が圧縮され、艦内居住環境は悪化し、その分備品の木目調採用始め、環境向上を工夫しているとの事。背景に見えるのは警戒支援の海上保安庁巡視船です。

 わかしお。艦長岡林眞人2佐が指揮しています、岡林艦長は本艦艦長を奉職した後、新潜水艦けんりゅう艤装員長を経て初代艦長へ補職されています。潜水艦職域は特殊でもありまして、他の艦艇などの経験は研修程度にとどめ、まさに潜水艦に始り潜水艦の道を進む。

 なつしお。艦長笹尾謙一2佐は、なつしお除籍が翌年3月に迫っており最後の艦長となる。つづいてAIP実験潜水艦あさしお艦長へ補職されていまして、しかし、はるしお型潜水艦は7隻が量産されましたが、平成の内に全て退役へ。続き、おやしお型が量産されている。

 SS-583はるしお、1990年就役2009年除籍。SS-584なつしお、1991年就役2010年除籍。SS-585はやしお、1992年就役2011年除籍。SS-586あらしお、1993年就役2012年除籍。SS-587わかしお、1994年就役2013年除籍。SS-588ふゆしお1995年就役2015年除籍へ。

 SS-589あさしお、1997年就役2017年除籍。はやしお、は2008年練習潜水艦へ改装TSS-3606種別変更、ふゆしお、は2011年練習潜水艦へ改装TSS-3607種別変更、あさしお、は2000年にTSS-3601種別変更と共に船体延長しAIP実験潜水艦へ改装を実施した。

 おやしお型は涙滴船形はるしお型に続き葉巻形状で建造、SS-590おやしお、SS-591みちしお、SS-592うずしお、SS-593まきしお、SS-594いそしお、SS-595なるしお、SS-596くろしお、SS-597たかしお、SS-598やえしお、SS-599せとしお、SS-600もちしお、と。

 受閲艦艇部隊第5群が敬礼を行う。掃海母艦ぶんご(MST-464掃海隊群直轄艦)と掃海艦やえやま(MSO-301掃海隊群第51掃海隊)及び掃海艇あいしま(MSC-688掃海隊群-第1掃海隊)が続く。ぶんご、は掃海母艦うらが型二番艦で一番艦では後日装備となった艦砲を持つ。

 はるしお型潜水艦は涙滴型船型一軸推進方式を採用、1960年代の第一世代うずしお型が騒音に悩みつつ、ゆうしお型で改善し第三世代が本型、NS110調質高張力鋼採用で潜航深度が強化され、新ソナーZQQ-5や曳航式衛星通信受信装置初採用で戦術性能を強化しました。

 ぶんご。艦長田口慶明1佐が指揮する。うらが型掃海母艦で2000年まで第1掃海隊群と第2掃海隊群に分れており2隻が建造されましたが、掃海隊群として集約された為、この観艦式の時点では掃海隊群直轄艦として参加しました、現在は掃海隊群第3掃海隊に所属する。

 うらが型の任務は掃海母艦、日本の海上航路を脅かす機雷を処理し、また敵の上陸前には機雷敷設も任務とする。掃海艇の支援として掃海艇が余り多くの物資や真水を搭載出来ない点を支援すると共に、CH-53掃海ヘリコプター等運用支援、そして機雷敷設までを担う。

 はやせ型掃海母艦、そうや型機雷敷設艦、二類後継を担うのが、うらが型で基準排水量5700tと満載排水量6900t、高い司令部機能を有する為、2013年より輸送艦おおすみ型を中心とした水陸両用戦部隊を掃海隊群隷下に配置した際、指揮統制を両用作戦へ活かす事になる。

 やえやま、掃海艦やえやま型の1番艦で任務は潜水艦を狙う深深度機雷への掃海任務です。機雷戦艦艇である為、船体は木造で全長67mと基準排水量1000t、満載排水量1150tは1993年建造当時から2016年の除籍まで現用木造軍艦としては世界最大の規模を有していました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【05】ひゅうが,DDH新時代(2009.10.23)

2019-10-06 20:10:53 | 海上自衛隊 催事
■最新鋭ひゅうが観艦式初参加
 平成の海上自衛隊史における最大の転換点は全通飛行甲板型護衛艦時代の到来でしょう、その始まりが護衛艦ひゅうが竣工です。

 くらま、ひゅうが。旧海軍の戦艦日向、巡洋戦艦鞍馬、の名を継ぐ海上自衛隊の護衛艦です。この年の三月まで、くらま、は海上自衛隊最新のヘリコプター搭載護衛艦でしたが、はるな除籍と交代に、ひゅうが就役となり、ヘリコプター搭載護衛艦の世代交代が始まる。

 ひゅうが背景にSH-60J/K哨戒ヘリコプター三機編隊が。ひゅうが、は満載排水量19000tで艦内に広大な格納庫を有し、驚くべきことに格納庫幅はSH-60J/Kが三機横に並ぶ程の余裕があります。中央部に開閉防火壁がありますが、概ねこの規模の機体が11機収まる。

 受閲艦艇部隊第2群護衛艦ひゅうが(DDH-181第1護衛隊群-第1護衛隊)、護衛艦さざなみ(DD-113第4護衛隊群-第8護衛隊)、観閲部隊,先導艦-護衛艦いなづま(DD-105第4護衛隊群第8護衛隊),観閲艦-護衛艦くらま(DDH-144第2護衛隊群第2護衛隊),と続いて行く。

 ヘリコプター搭載護衛艦は、通常の藩王護衛艦と比較し高い航空機整備能力を、とは当初云われましたが、はるな、ひえい、しらね、くらま、は3機を搭載する一方、永らく汎用護衛艦は1機搭載が限界という艦種が基本であったのが、徐々に汎用護衛艦も大型化へ。

 全通飛行甲板型護衛艦は、巡洋艦型の第一世代ヘリコプター搭載護衛艦に対し、航空機格納庫以外に専用の航空機整備施設を格納庫に隣接し、有している事からその航空機整備能力は、改めて新世代の汎用護衛艦の持つ航空機整備能力を大きく上回る事ともなりました。

 こんごう、ひゅうが。イージス艦は山岳名、こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら、と冠せられています、旧海軍では重巡洋艦や巡洋戦艦に冠せられていました。ひゅうが、は旧国名ですが、くらま、までは山岳名や巡洋戦艦名を採用する。

 ひゅうが、命名式前には、あかぎ、という観測が流れました。あかぎ、は旧海軍航空母艦の艦名ですが、元々赤城は巡洋戦艦となるべく設計された山岳名、そして二番艦から旧国名として加賀、旧海軍航空母艦加賀を継承する護衛艦かが、になるのでは、と思ったもの。

 あかぎ成らず。ひゅうが、という艦名ですが旧海軍戦艦日向は扶桑型戦艦を改良した超弩級伊勢型戦艦として設計され、太平洋戦争中にミッドウェー海戦を経て主力空母を四隻喪失した際に、修理中の日向を航空戦艦に改造しています。ひゅうが、も同じ道を通るのか。

 さざなみ。基準排水量4650tです。初のヘリコプター搭載護衛艦は建造当時基準排水量4700t、つまり護衛艦たかなみ型は、はるな型よりも30年近く後に建造されていますが、汎用護衛艦ながらヘリコプター搭載護衛艦並に大型化した、という事が云えるのですね。

 受閲艦艇部隊第3群がやってまいりました、護衛艦ゆうばり(DE-227護衛艦隊直轄-第15護衛隊)と護衛艦ゆうべつ(DE-228護衛艦隊直轄-第15護衛隊)、共に青森県大湊基地の護衛艦です。基準排水量1470tで満載排水量1750t、大きさは、たかなみ型の三分の一以下だ。

 ゆうばり型は、ハープーンミサイルを搭載し、限定的ではあるのですがボフォース対潜ロケットも搭載する事で対潜性能と水上打撃力に特化した小型護衛艦で、津軽海峡や宗谷海峡という北方警備用に用いられています。本番ではお友達が大時化の中で乗っていた、と。

 はつゆき、さざなみ。奥に見える警戒艦は護衛艦はつゆき、122の艦番号が見えますね。12隻が量産された護衛艦はつゆき型は対潜対空対水上の各種ミサイルと航空機を搭載し、護衛艦隊の世代を交代させました、が、はつゆき、はこの観艦式の翌年2010年に除籍となる。

 ゆうばり、くらま。1976年に初めて制定された防衛計画の大綱、防衛大綱では護衛艦定数が約60隻となっていましたが、1995年に冷戦終結を受け改訂された新防衛大綱では護衛艦定数は約50隻となり、大きさは全く違いますが同じ一隻、だから護衛艦は大型化へ。

 ひゅうが、ゆうばり。満載排水量で11倍という大きな開きがあります。それでも防衛大綱定数では同じ一隻、民主党政権時代に護衛艦定数は更に46隻まで縮小された為、同じ一隻ならば大型を、と満載排水量27000tいずも型護衛艦が量産される事へ、進んでゆくのです。

 あぶくま、見えてきた。観閲艦-護衛艦くらま(DDH-144第2護衛隊群第2護衛隊),随伴艦-護衛艦こんごう(DDG-173第1護衛隊群第5護衛隊),随伴艦-護衛艦あぶくま(DE-229護衛艦隊直轄第14護衛隊),観閲部隊は11ノット、付属部隊は10ノット、若干向こうが速い。

 ゆうばり。旧海軍軽巡洋艦夕張を継ぐ護衛艦です。夕張は3500tの船体に当時の水雷戦隊旗艦用5500t型巡洋艦の武装を無理なく搭載した事で知られる。艦長は伊谷武志2佐で艦長補職時は3佐でした。ゆうばり、は2010年6月に除籍され、最後の艦長が操艦している。

 ゆうべつ、いなづま。ゆうべつ、は旧海軍には在りません初の命名ですが、ゆうばり、由来の夕張川と同じ北海道の湧別川が由来です。艦長は川口裕史2佐、前職は多用途支援艦えんしゅう艦長で3佐として艦長着任、暫くして2佐へ昇進、手頃な大きさだったのか。

 ゆうばり。ゆうばり型は護衛艦いしかり拡大改良型です。夕張川と同型艦の湧別川と共に護衛艦いしかり、も北海道の石狩川を艦名の由来としていまして、三隻とも大湊地方隊を拠点として運用されてきました。石狩夕張湧別と北海道三川艦、というべきでしょうか。

 北方警備用の護衛艦ですが、安価です、同時期に量産されたP-3C哨戒機一機と同程度の建造費です。ただ、これでも荒天時には動揺が安全性を考える程、冬の日本海は物凄い波浪となりますので大きさが足りなかったとされ、多数の量産は残念ながら見送られました。

 受閲艦艇部隊第5群掃海母艦ぶんご(MST-464掃海隊群直轄艦)と掃海艦やえやま(MSO-301掃海隊群第51掃海隊)に掃海艇あいしま(MSC-688掃海隊群-第1掃海隊)、続いて受閲艦艇部隊第6群補給艦ましゅう(AOE-425護衛艦隊直轄-第1海上補給隊)が見えてきましたね。

 受閲艦艇部隊第6群は輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊) にエアクッション艇1号(LCAC-2101護衛艦隊直轄-第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)とエアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)が続いている。

 ゆうばり。DE,即ち小型護衛艦として建造されていますが、沿岸警備艦という略称PCEの艦艇が先だって検討され、基準排水量1000t、波浪を考慮し全長80m規模の研究がありました。駆潜艇に対艦ミサイルを搭載したような構想ですが、波浪を考え断念された歴史が。

 ゆうべつ、くらま。ゆうべつ、は簡略型の護衛艦で実は対空レーダーを搭載していません、対水上レーダーOPS-28のプログラムを改修し限定的に中高度までの対空用に用いている、しかし、それでは不十分、とハープーンミサイル前にCIWSを後日搭載する予定でした。

 CIWS,近接防空システムで20mm機関砲と火器管制装置を一体化したものです。あぶくま型のRAM,たちかぜ型のL-90高射機関砲、うらが76mm艦砲、後日装備の予定は数多くとも、実現したのは護衛艦しらねCIWS搭載というような限定的な事例しかありません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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