■伊勢湾展示訓練航空訓練Ⅱ
ヘリコプター搭載護衛艦よりSH-60K哨戒ヘリコプターが2機編隊で発艦してゆきます。編隊発艦の展示一般公開は本邦初のものでした。
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伊勢湾展示訓練2010、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、ミサイル護衛艦こんごう、堂々たる艦艇が参加する展示訓練です。併せて横須賀地方隊の歴史を紹介しつつ展示訓練の様子を掲載していますが、草創期の艦隊は小規模でした。
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艦隊運用は、第2船隊群の新編とともに、この二つの部隊は旗艦として護衛駆逐艦1隻の配備を受け、横須賀地方隊から独立運用が始まる。1953年にはソ連が原爆実験に成功し、1954年にはアメリカが水爆実験に成功、東西冷戦構造が醸成され対立が明確化してゆく。
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熊野灘連合応用教練、としまして、1954年3月1日より、今日の海上自衛隊演習にあたる初の総合訓練が実施されました、連合応用教練という呼称ですが、訓練は3月1日から11日まで実施されています、この訓練は1954年の映画“ゴジラ”において映像がみられます。
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熊野灘連合応用教練は保安庁海上警備隊から海上自衛隊への改編への訓練総仕上げという重要な意味合いがあります。かつて太平洋インド洋狭しと戦い抜いた海軍の末裔はその保有戦力の七割を失い敗戦となりまして、残る三割の艦艇も大型艦は接収か解体されました。
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戦艦伊勢、日向、榛名、解体、長門は原爆実験標的艦、若干残る駆逐艦も賠償艦として譲渡されてゆきまして、往事の面影はありませんが、とりあえず独立国家として存在するには、建国当日に第三国に占領されぬよう防衛力を構築できるという能力を誇示できました。
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海上自衛隊創設は1954年7月1日、防衛庁設置法により保安庁が防衛庁へと改編されまして、船という響きから艦という呼称も併せて復活しました。すると警備船は法律上で警備艦となったわけですね。警備艦といいますと、今日の護衛艦も予算要求でも継承される。
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こんごう型も、ひゅうが型、いずも型、むらさめ型など予算上では警備艦となっていまして、この頃から継承されていることがわかります。護衛艦いずも型は満載排水量27000t、発足前に護衛空母供与案がありましたが、ここまで巨大化すると想定されたのでしょうか。
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護衛駆逐艦は供与とともに警備船と呼ばれていましたが警備艦へ、LSSLは小型でしたので警備船の呼称から警備艇となり、掃海船も掃海艇へと呼称が転換しています。連合応用教練とともに、その能力を発揮できることを示した部隊は、部隊配置の母港へ向かいます。
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海上自衛隊発足前夜に続々と横須賀を出港してゆきました。6月20日、舞鶴地方隊へ第15船隊と第16船隊が出港、佐世保地方隊へ第16船隊が出港、大湊地方隊へ第11船隊が出港していったわけです。こうして全国へ警備艦と呼称を代えた水上戦闘艦部隊が配置された。
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横須賀から始まった艦隊編成は、佐世保地方隊へ第2船隊群と第16船隊、舞鶴地方隊へ第15船隊と第16船隊、大湊地方隊へ第11船隊、以上が配置され、加えて掃海艇部隊を地方隊直轄部隊として配置したことで、基地を母港とする艦艇が揃い一段落したわけです。
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艦隊駆逐艦として海上自衛隊へアメリカ海軍により、それまでに供与された護衛駆逐艦よりも大型の大戦艦が配備されることとなりました。護衛艦あさかぜ、護衛艦はたかぜ、2隻の引き渡しです。リヴァモア級駆逐艦で基準排水量は1630t、吹雪型駆逐艦と概ね同じ。
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この引き渡しはアメリカ本土にて行われ、現在運用されているミサイル護衛艦はたかぜ、よりも小型ではありますし、勿論ターターミサイルシステムなどは搭載していませんが、近代的なレーダーと火器管制装置に連動する兵装システムを有する護衛艦の引き渡しです。
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アメリカ本土において海上自衛官が五か月間もの完熟訓練を実施、海上自衛官により太平洋を渡り日本へ回航されました。1955年2月24日の出来事ですが、この頃には護衛艦という呼称が定着しており、警備船よりは駆逐艦らしい艦種呼称といえるかもしれません。
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護衛艦はたかぜ、護衛艦あさかぜ、とを筆頭に艦隊駆逐艦の引き渡しが本格化しました。アメリカ本土での供与艦は続いて護衛駆逐艦を護衛艦あさひ、護衛艦はつひ、として引き渡しを受けますが、この二隻は海上自衛隊により整備補修を経て大事に運用されました。
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大事に運用されたことで、その後の国産護衛艦建造を経てのアメリカへの返還時にも十分実用に耐えるという事から、そのままフィリピン海軍へ供与されています、そして驚くべき事に2010年代後半の今日でもフィリピン海軍の重要な水上戦闘艦とて現役なのです。
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キャノン級護衛駆逐艦、古いには古いですが、一隻が稼働状態、一隻が予備役、大事に整備すれば動くものなのですね。この4隻のうち、あさかぜ、はたかぜ、は第5護衛隊を編成、あさひ、はつひ、は第6護衛隊を編成、改称成った第1護衛隊群へ編入されています。
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艦隊駆逐艦供与は、護衛艦ありあけ、護衛艦ゆうぐれ、と続きまして、こちらは第1護衛隊を編成しました。数は確かに少ないものですが、旧海軍の艦隊駆逐艦と並ぶ大型駆逐艦により、小さいながら駆逐隊を編成できる水準で同時に国産警備艦の建造も開始されます。
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呉地方隊は海上自衛隊発足と同時に横須賀地方隊から独立しまして、これにより5地方隊体制が完成、横須賀地方隊の警備隊区も熊野灘から東海地方沖と首都圏沖を三陸海岸までとなります。云わば、現在の海上自衛隊横須賀地方隊警備管区へと画定していた訳ですね。
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横須賀地方隊ですが、しかし教育の横須賀、と今日呼ばれているように横須賀は教育拠点、供与艦はいったん横須賀地方隊へ配備して教育訓練を行った上で横須賀かそのほかの実戦部隊へ配属という方式は防衛庁設置後も続きまして、国産護衛艦就役後も続きました。
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教育拠点とは横須賀へいったん配備して訓練を行った上で、という方式は、国産護衛艦ゆきかぜ、護衛艦あやなみ、護衛艦うらなみ、護衛艦いそなみ、護衛艦しきなみ、護衛艦あきづき、護衛艦てるづき、と続々完成し竣工してゆきましたので、にぎやかになります。
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横須賀基地の護衛艦部隊はアメリカ海軍横須賀基地の巡洋艦部隊や空母と比べれば確かに小型ではあるものの、海上防衛力の再構築へと活況に満ちていまして、当時乗艦されていたというOBのかたの話は、横須賀のヴェルニー公園などで今日でも聞くことが出来る。
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あきづき型護衛艦は1960年に竣工していますが、併せてこれに先立つ1957年5月10日に練習隊群、現在の練習艦隊の前身となる部隊が創設されまして、幹部教育は江田島へ集約されてゆきました、教育訓練を全て横須賀が担うという方式からは転換しています。
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また、要員教育についても各地方隊の教育隊において実施され、艦艇の引き渡し後の教育、国産護衛艦については艤装中から艤装員が担うようになっていますので、横須賀地方隊のいちづけについて、横須賀は護衛艦艤装員の宿泊支援へと役を換え次第に変化してゆく。
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教育の横須賀、とよばれる今日の横須賀基地を示す気風は、まず海上自衛隊の前身にあたる海上警備隊発足当時に、その後の護衛艦乗員の訓練を一手に担い、供与艦艇の訓練、新造艦の艤装員受入を以て横須賀から母港へ旅立つ、このようにして醸成されてゆきました。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
ヘリコプター搭載護衛艦よりSH-60K哨戒ヘリコプターが2機編隊で発艦してゆきます。編隊発艦の展示一般公開は本邦初のものでした。
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艦隊運用は、第2船隊群の新編とともに、この二つの部隊は旗艦として護衛駆逐艦1隻の配備を受け、横須賀地方隊から独立運用が始まる。1953年にはソ連が原爆実験に成功し、1954年にはアメリカが水爆実験に成功、東西冷戦構造が醸成され対立が明確化してゆく。
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熊野灘連合応用教練、としまして、1954年3月1日より、今日の海上自衛隊演習にあたる初の総合訓練が実施されました、連合応用教練という呼称ですが、訓練は3月1日から11日まで実施されています、この訓練は1954年の映画“ゴジラ”において映像がみられます。
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熊野灘連合応用教練は保安庁海上警備隊から海上自衛隊への改編への訓練総仕上げという重要な意味合いがあります。かつて太平洋インド洋狭しと戦い抜いた海軍の末裔はその保有戦力の七割を失い敗戦となりまして、残る三割の艦艇も大型艦は接収か解体されました。
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戦艦伊勢、日向、榛名、解体、長門は原爆実験標的艦、若干残る駆逐艦も賠償艦として譲渡されてゆきまして、往事の面影はありませんが、とりあえず独立国家として存在するには、建国当日に第三国に占領されぬよう防衛力を構築できるという能力を誇示できました。
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海上自衛隊創設は1954年7月1日、防衛庁設置法により保安庁が防衛庁へと改編されまして、船という響きから艦という呼称も併せて復活しました。すると警備船は法律上で警備艦となったわけですね。警備艦といいますと、今日の護衛艦も予算要求でも継承される。
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こんごう型も、ひゅうが型、いずも型、むらさめ型など予算上では警備艦となっていまして、この頃から継承されていることがわかります。護衛艦いずも型は満載排水量27000t、発足前に護衛空母供与案がありましたが、ここまで巨大化すると想定されたのでしょうか。
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護衛駆逐艦は供与とともに警備船と呼ばれていましたが警備艦へ、LSSLは小型でしたので警備船の呼称から警備艇となり、掃海船も掃海艇へと呼称が転換しています。連合応用教練とともに、その能力を発揮できることを示した部隊は、部隊配置の母港へ向かいます。
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海上自衛隊発足前夜に続々と横須賀を出港してゆきました。6月20日、舞鶴地方隊へ第15船隊と第16船隊が出港、佐世保地方隊へ第16船隊が出港、大湊地方隊へ第11船隊が出港していったわけです。こうして全国へ警備艦と呼称を代えた水上戦闘艦部隊が配置された。
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横須賀から始まった艦隊編成は、佐世保地方隊へ第2船隊群と第16船隊、舞鶴地方隊へ第15船隊と第16船隊、大湊地方隊へ第11船隊、以上が配置され、加えて掃海艇部隊を地方隊直轄部隊として配置したことで、基地を母港とする艦艇が揃い一段落したわけです。
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艦隊駆逐艦として海上自衛隊へアメリカ海軍により、それまでに供与された護衛駆逐艦よりも大型の大戦艦が配備されることとなりました。護衛艦あさかぜ、護衛艦はたかぜ、2隻の引き渡しです。リヴァモア級駆逐艦で基準排水量は1630t、吹雪型駆逐艦と概ね同じ。
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この引き渡しはアメリカ本土にて行われ、現在運用されているミサイル護衛艦はたかぜ、よりも小型ではありますし、勿論ターターミサイルシステムなどは搭載していませんが、近代的なレーダーと火器管制装置に連動する兵装システムを有する護衛艦の引き渡しです。
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大事に運用されたことで、その後の国産護衛艦建造を経てのアメリカへの返還時にも十分実用に耐えるという事から、そのままフィリピン海軍へ供与されています、そして驚くべき事に2010年代後半の今日でもフィリピン海軍の重要な水上戦闘艦とて現役なのです。
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あきづき型護衛艦は1960年に竣工していますが、併せてこれに先立つ1957年5月10日に練習隊群、現在の練習艦隊の前身となる部隊が創設されまして、幹部教育は江田島へ集約されてゆきました、教育訓練を全て横須賀が担うという方式からは転換しています。
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また、要員教育についても各地方隊の教育隊において実施され、艦艇の引き渡し後の教育、国産護衛艦については艤装中から艤装員が担うようになっていますので、横須賀地方隊のいちづけについて、横須賀は護衛艦艤装員の宿泊支援へと役を換え次第に変化してゆく。
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教育の横須賀、とよばれる今日の横須賀基地を示す気風は、まず海上自衛隊の前身にあたる海上警備隊発足当時に、その後の護衛艦乗員の訓練を一手に担い、供与艦艇の訓練、新造艦の艤装員受入を以て横須賀から母港へ旅立つ、このようにして醸成されてゆきました。
北大路機関:はるな くらま
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