◆初詣はお寺の御社で
干支と重なる祀られた寺社仏閣が京都には多々あります。そして今年は蛇年です。
相国寺、京都市営地下鉄今出川駅、同志社大学に広大なキャンパスの土地を供したのは京都五山に数えられる臨済宗相国寺派総本山である相国寺で、キリスト教系大学に土地を貸す日本仏教の懐の深さは、価値観の多様性を尊び安易な二元論に終始しない我が国文化の奥深さ所以だ、と感じる代表的な事例だと思いますが、どうでしょうか。
その相国寺ですが、今年の干支である蛇が絵馬として奉納されている社があることをご存知でしょうか。蛇は古くから農耕神として世界中で信仰の対象となり崇敬されてきました、鼠害への抑止力としての意味合いが強いと考えられるのですが、京都では蛇が祀られた神社、というもの、なかなか目にしません。
こちらは相国寺にある弁天社、相国寺といえば鳴き龍、ということで辰年を思い浮かべる方もいるやもしれませんが、並ぶ伽藍の狭間にこうした弁天社が人々を迎えてくれるのです。弁天社、もともとは京都御所にあった久邇宮家、いまの賀陽宮家旧地に祀られていたもので、これが相国寺に遷され、祀られた、ということ。
弁天様とは、日本書紀の市杵嶋姫命、古くはインド仏教やヒンドゥー教の女神辯才天に由来するといわれている日本の神話上の女神様ですが、財運を司るとされ信仰を集めています。弁天社の蛇は、弁天様の使いとされています。蛇と共に描かれた絵馬の琵琶ですが、こちらも弁天様と所縁深いもの。
弁天社。もともと、この相国寺は室町時代、ときの三代将軍足利義満公が御所の直ぐ北へ禅宗の一大伽藍を建立する発願を出したことに始まり、夢窓疎石が釈迦如来を本尊とする寺として1382年に創建したもので、萬年山を山号とする寺としてこの地に建立されました。
応仁の乱により荒廃しましたが、建立に際し造営された七重大塔は高さが109mとされ、東寺の五重塔よりも高く、京都タワーほどではありませんが我が国の建築物としては帝国海軍が潜水艦通信用に1929年に建築された依佐美通信塔の完成まで、我が国で最も高かった建築物だったようです。
この相国寺は、山外塔頭として鹿苑寺と慈照寺、つまり金閣寺と銀閣寺を有しています。金閣寺などは足利義満公の時代の代表的な建築物として知られていますが、相国寺の山外塔頭だったわけです。その境内は最盛期はより広く、西は二条城北あたりから御所の更に東へ広がっていたようですが、今の位置に至ります。
広大な境内を有する相国寺は前述のように応仁の乱により荒廃し、1467年から1477年という実に10年間にも及ぶ長期間の戦いで京都全域が破壊され、多くの文化財は破壊されました。遙か後に豊臣秀吉により復興が進められたのですが、今日の相国寺には三門と仏殿がありません。
このような歴史の中を経て今に至る相国寺、地下鉄今出川駅から今出川通を御所に沿って大文字山の見える方角へ歩いて数分、足を運ぶことが出来ます。初詣はまだ、というかた、初詣は行かれた、という方も京都の今年の干支、相国寺弁天社へ足を運ばれてはどうでしょうか。
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