■平和79年
平和は幾度か懸念に曝されつつも少なくとも日本では制度として平和が今も続いているのです。それはあたかも平和79年というもう一つの元号のように。
本日は8月15日、1945年、日本がポツダム宣言受諾を表明した日です。終戦から79年、79年といいますともう、記憶よりも記録の世界となっていまして、あの戦争で実際に戦闘を経験された方は幾人お元気なのでしょう。終戦、しかしその終戦は今のところ日本にとり最後に経験した戦争となり、第二次世界大戦は日本での戦争の代名詞となった。
平和を考える日、終戦記念日はこう位置づけられているのですけれども、平和を考える以前の問題として平和ではない状態というものを社会の通念として、共通認識として、共有知として、既に共有できていないのではないか、という実情が、これは同時に次の戦争をどう回避するか、という視点を民主主義国家として持ち得なくなっているのでは。
戦闘機搭乗員だった方に朝の情報番組にてアイドル上がりのコメンテーターの方が、アメリカ人を殺した感想はどうですか、と、彼としては率直な発想であったのかもしれないしこれが79年の空白ともいえるのだけれども、しかし単純に見ればひどく礼を欠いて残酷な質問をTVの公共電波に載せてしまったのが、あれは何年前の事でしたか。
日本とアメリカが戦争としたってほんとうですか、という大学生の素朴な疑問が大学で憲法や安全保障や政治学などを教える講師の方や教授の方を困惑させたのは1990年代という。これは昔話で、2000年代に入ると、でどっちが勝ったんですか、と大学生の問いがさらに困惑させたという話がありましたが、これにはいろいろ続きがあります。
日本がヴェトナム戦争に参戦していないってほんとうですか、という問いは2010年代のもので大学講師の友人が最新版だ、と教えてくれました。なんでも歴史として日本国内でヴェトナム反戦運動があったという事を知り、ヴェトナム反戦運動なのだから自衛隊もヴェトナムに派遣されていたのだろうというイラク派遣を経た2010年代らしさ。
太平洋戦争で亡くなった日本の方の人数はと問われ、五万人くらいかな、というのが2020年代の最新版で、広島や長崎と沖縄だけでも報道で大真中人数が出されているように記憶するのですが、350万という数字は想像してくれないのだという。いやはや、戦争は過去の話になったという事なのですけれども、こうした方々が平和を後に語るのか。
戦争を回避するには、少なくとも日本は専守防衛を掲げているのであり、日本から侵略する事の蓋然性は低いものの、戦争、国際浮上の複数の国家間での武力紛争は、少なくとも一方の国家だけが戦争を拒否する姿勢を如何に堅持していても、もう一方が望むならば成立してしまうため、防衛、抑止力、予防外交、外交、すべての選択肢で回避に臨む。
憲法9条を文字通り受け止めるならば、日本は、防衛、抑止力、予防外交を選択肢から捨てて外交だけで臨むというようなものであり、武力行使の国際法上の定義には経済力による圧力も含められ、武力攻撃と武力行使を区別しているのですから、憲法を守るならば、戦争回避のためには妥協と懇願以外は恭順と亡国くらいしか選択肢が無いのです。
平和、それならば意図せぬ隷属や経済的苦役などを、妥協の結果として国家が選択肢を失い国民に平和以外の権利をすべて、例えば財産権や環境権、基本的人権や生存権を秤にかけてまで、失いつつ平和です、と強弁する事が出来るのかといえば、それは9条以外の憲法に反するところとなります。これが所謂、構造的暴力、という問題ですね。
2022年のロシアウクライナ戦争、この3年間この問題でもちきりですが、2014年に非暴力に徹した事でロシアに武力併合されたドンバス地域やクリミア半島の人々は、戦争を回避できたと胸を張れるのかといいますと、毎日のように占領するロシア軍がこれらの地域を拠点にウクライナを攻撃し、ウクライナ軍もあらゆる手段で反撃、着弾する。
クリミア半島とドンバス地域では、それでは平和運動によりロシア軍基地化を拒否すべきであった、と主張する方もいるのかもしれませんが、それは1945年前半に東京でこれを行う以上に難しく、結果的にそういった方々は、居なかったことに出来る、法体系を持っている国では運動が成り立ちません。国家と私人の関係の構造的な限界といえて。
最近ドンバスではクルスクへ向かう青年団がロシア政府により組織されているという。そう、併合されてしまいますと、そもそも併合する側が戦争という選択肢を持っているままに自国を併合するのですから、仮に日本で手段として平和を堅持していても、併合されるような状況となれば、その国のために戦争参加、戦闘参加を強要されるわけです。
結果としての平和が享受できなければ、こういうことに陥り、しかもその状況では私人では拒否できず、かといって棄民として国外に出るだけの準備を行おうにも、語学はもちろん社会保障を含めて今の日本以上の環境を自ら確保して国籍を得られる方がいるのか、という疑問もあり、日本の旅券に守られている事を実感しているのか、という事にも。
しかし、79年間という、いわば真剣に戦争を考えることをできない期間というものはこうした認識で、そもそも常識の基盤が異なる、共有できていない認識の大きさを実感できない。平和は重要であるが必要なのは結果としての平和であり、手段としての平和、というものを選択してしまうと、自らは平和を享受できない可能性があるということ。
平和構築には、しかし何が必要なのか、という認識は、日本は民主主義国家であるのですけれども、政治参加の時間は社会生活の中でもねん出が難しい社会構造となっているように思えまして、もちろん、頑張っている方は多少はいるよう認識はするのですが、政治参加により防衛力のあり方を踏まえ情報を集め議論することに費やす方は少数派で。
手段としての平和を使う、ということは一見安価に思えるでしょう、軍事に反対して使わなければ、まあ、災害の時も自助努力で頑張るとして、外国で戦争に巻き込まれた際にもあきらめてもらうとして、ミサイルについてはニュースを観なければ核弾頭は核爆発が感じられるまではどうという事もなく、感じた後は何も感じることもありません、が。
平和を手段として使う事は、何も考えなければ上記の通り過ごせることなのかもしれませんが、長期的に見れば、そもそもシーレーンを含めたエネルギーやサプライチェーンの維持が難しくなり製造業が成り立たなくなりますし、医療初め、いや肥料供給の途絶から近代農業も難しく、山奥で自給自足生活しか営めない、ほかに選択肢が無くなります。
平和ならばそれもいい、と思われるかもしれませんが、問題を難しくするのは日本が大陸外延部弧状列島という地政学上の要衝にある為で、ここに軍事的空白が生じますと周辺国にはどこかが確保しなければ地域安定が取れなくなります、すると、外国軍隊の進駐が始まる。これを回避するには、空白や不均衡を生まない努力が必要となるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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平和は幾度か懸念に曝されつつも少なくとも日本では制度として平和が今も続いているのです。それはあたかも平和79年というもう一つの元号のように。
本日は8月15日、1945年、日本がポツダム宣言受諾を表明した日です。終戦から79年、79年といいますともう、記憶よりも記録の世界となっていまして、あの戦争で実際に戦闘を経験された方は幾人お元気なのでしょう。終戦、しかしその終戦は今のところ日本にとり最後に経験した戦争となり、第二次世界大戦は日本での戦争の代名詞となった。
平和を考える日、終戦記念日はこう位置づけられているのですけれども、平和を考える以前の問題として平和ではない状態というものを社会の通念として、共通認識として、共有知として、既に共有できていないのではないか、という実情が、これは同時に次の戦争をどう回避するか、という視点を民主主義国家として持ち得なくなっているのでは。
戦闘機搭乗員だった方に朝の情報番組にてアイドル上がりのコメンテーターの方が、アメリカ人を殺した感想はどうですか、と、彼としては率直な発想であったのかもしれないしこれが79年の空白ともいえるのだけれども、しかし単純に見ればひどく礼を欠いて残酷な質問をTVの公共電波に載せてしまったのが、あれは何年前の事でしたか。
日本とアメリカが戦争としたってほんとうですか、という大学生の素朴な疑問が大学で憲法や安全保障や政治学などを教える講師の方や教授の方を困惑させたのは1990年代という。これは昔話で、2000年代に入ると、でどっちが勝ったんですか、と大学生の問いがさらに困惑させたという話がありましたが、これにはいろいろ続きがあります。
日本がヴェトナム戦争に参戦していないってほんとうですか、という問いは2010年代のもので大学講師の友人が最新版だ、と教えてくれました。なんでも歴史として日本国内でヴェトナム反戦運動があったという事を知り、ヴェトナム反戦運動なのだから自衛隊もヴェトナムに派遣されていたのだろうというイラク派遣を経た2010年代らしさ。
太平洋戦争で亡くなった日本の方の人数はと問われ、五万人くらいかな、というのが2020年代の最新版で、広島や長崎と沖縄だけでも報道で大真中人数が出されているように記憶するのですが、350万という数字は想像してくれないのだという。いやはや、戦争は過去の話になったという事なのですけれども、こうした方々が平和を後に語るのか。
戦争を回避するには、少なくとも日本は専守防衛を掲げているのであり、日本から侵略する事の蓋然性は低いものの、戦争、国際浮上の複数の国家間での武力紛争は、少なくとも一方の国家だけが戦争を拒否する姿勢を如何に堅持していても、もう一方が望むならば成立してしまうため、防衛、抑止力、予防外交、外交、すべての選択肢で回避に臨む。
憲法9条を文字通り受け止めるならば、日本は、防衛、抑止力、予防外交を選択肢から捨てて外交だけで臨むというようなものであり、武力行使の国際法上の定義には経済力による圧力も含められ、武力攻撃と武力行使を区別しているのですから、憲法を守るならば、戦争回避のためには妥協と懇願以外は恭順と亡国くらいしか選択肢が無いのです。
平和、それならば意図せぬ隷属や経済的苦役などを、妥協の結果として国家が選択肢を失い国民に平和以外の権利をすべて、例えば財産権や環境権、基本的人権や生存権を秤にかけてまで、失いつつ平和です、と強弁する事が出来るのかといえば、それは9条以外の憲法に反するところとなります。これが所謂、構造的暴力、という問題ですね。
2022年のロシアウクライナ戦争、この3年間この問題でもちきりですが、2014年に非暴力に徹した事でロシアに武力併合されたドンバス地域やクリミア半島の人々は、戦争を回避できたと胸を張れるのかといいますと、毎日のように占領するロシア軍がこれらの地域を拠点にウクライナを攻撃し、ウクライナ軍もあらゆる手段で反撃、着弾する。
クリミア半島とドンバス地域では、それでは平和運動によりロシア軍基地化を拒否すべきであった、と主張する方もいるのかもしれませんが、それは1945年前半に東京でこれを行う以上に難しく、結果的にそういった方々は、居なかったことに出来る、法体系を持っている国では運動が成り立ちません。国家と私人の関係の構造的な限界といえて。
最近ドンバスではクルスクへ向かう青年団がロシア政府により組織されているという。そう、併合されてしまいますと、そもそも併合する側が戦争という選択肢を持っているままに自国を併合するのですから、仮に日本で手段として平和を堅持していても、併合されるような状況となれば、その国のために戦争参加、戦闘参加を強要されるわけです。
結果としての平和が享受できなければ、こういうことに陥り、しかもその状況では私人では拒否できず、かといって棄民として国外に出るだけの準備を行おうにも、語学はもちろん社会保障を含めて今の日本以上の環境を自ら確保して国籍を得られる方がいるのか、という疑問もあり、日本の旅券に守られている事を実感しているのか、という事にも。
しかし、79年間という、いわば真剣に戦争を考えることをできない期間というものはこうした認識で、そもそも常識の基盤が異なる、共有できていない認識の大きさを実感できない。平和は重要であるが必要なのは結果としての平和であり、手段としての平和、というものを選択してしまうと、自らは平和を享受できない可能性があるということ。
平和構築には、しかし何が必要なのか、という認識は、日本は民主主義国家であるのですけれども、政治参加の時間は社会生活の中でもねん出が難しい社会構造となっているように思えまして、もちろん、頑張っている方は多少はいるよう認識はするのですが、政治参加により防衛力のあり方を踏まえ情報を集め議論することに費やす方は少数派で。
手段としての平和を使う、ということは一見安価に思えるでしょう、軍事に反対して使わなければ、まあ、災害の時も自助努力で頑張るとして、外国で戦争に巻き込まれた際にもあきらめてもらうとして、ミサイルについてはニュースを観なければ核弾頭は核爆発が感じられるまではどうという事もなく、感じた後は何も感じることもありません、が。
平和を手段として使う事は、何も考えなければ上記の通り過ごせることなのかもしれませんが、長期的に見れば、そもそもシーレーンを含めたエネルギーやサプライチェーンの維持が難しくなり製造業が成り立たなくなりますし、医療初め、いや肥料供給の途絶から近代農業も難しく、山奥で自給自足生活しか営めない、ほかに選択肢が無くなります。
平和ならばそれもいい、と思われるかもしれませんが、問題を難しくするのは日本が大陸外延部弧状列島という地政学上の要衝にある為で、ここに軍事的空白が生じますと周辺国にはどこかが確保しなければ地域安定が取れなくなります、すると、外国軍隊の進駐が始まる。これを回避するには、空白や不均衡を生まない努力が必要となるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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