■御所東に源氏庭の廬山寺
セッツブーンは先月の話題ですが御所の東にありますお寺の節分の様子などを紹介しましょう。
廬山寺、ろさんじと読みます。この一角は京都観光という視点からはちょっと歩み及ばない方が多いと聞くのですが、しかし京都散歩といいましたならば御所のすぐ隣の非常に閑静な、それでいてバスで交通の利便性もバルで一杯やる利便性も高い街並みとおもう。
仙洞御所の一部を移築したという本堂、御所の高い木々が鎮守の森のような静けさと鴨川のせせらぎに囲まれた、しかし隣に河原町通が通ります一角にこの寺院は佇んでいる。もともとは豊臣秀吉の京都大改造の際に当地へ移転した寺院の一つですが、にぎわいが。
上京区寺町通広小路上ル北之辺町、ここはおそらく来年の大河ドラマなどで人気の一角になるのだろうなあ、とそんなことを考えています。しかしこの日は節分、追儺式鬼法楽という祭事が執り行われまして、もちろん祭事は大混雑となるので気配だけでも、と。
元三大師良源、この方は廬山寺の開山という方なのですが延喜12年こと西暦912年、近江国浅井郡虎姫、つまりいまの湖北の長浜に生まれたといいまして、豪族木津氏の出自というのですが12歳で仏門に入り、比叡山に上ります。南都仏教との法論等で頭角表す。
比叡山延暦寺、しかしこの頃比叡山は大火に見舞われる。こうした中で平安京の北辺、北大路通沿いの船岡山南麓に良源が與願金剛院を造営したのは天慶元年こと938年、比叡山を望む高台ではあるも船岡山に堂宇を構えるあたり、火災の被害の大きさを思わせる。
良源さん、規律厳守など生臭坊主排除と寺院での修業邁進に尽力しまして、村上天皇皇后安産祈願など朝廷行事とともにつながりを深めますと天台座主となり、延暦寺の復興に尽力します。右大臣藤原師輔、この人は藤原道長の祖父にあたりますが、知己も得ました。
藤原師輔とのつながりは、のちにこの人の十男にあたる尋禅が天台座主として良源の跡を継ぐことになりますが、そこまでに縁深まるほどに延暦寺復興へも尽力したといいまして最澄の時代の小さな堂宇を再建したものが、今日の根本中堂の原型となります。
追儺式鬼法楽、ついなしきおにほうらくと読みますが、この寺の元三大師が鬼を退治した、といいます故事から来ました祭事です。さてさて、この日は節分だったのですが、廬山寺では有名な節分神事が執り行われます、それは元三大師良源が鬼を祓った為という。
良源さんが夜叉の扮装として疫病神を祓ったという故事がある、それはこの節分が立春の前日に当たり、そもそも古くからこの季節の分水嶺には邪気が舞う、邪気は疫病を流行らせるといい、このための悪霊払いの神事は朝廷神事として古くから行われていた。
角大師という名前でも親しまれる良源さんですが、これは護符として鬼のような絵の記されたものを京都の玄関先に掲げているところを散見します、この大本という。追儺式鬼法楽はこれを現代も再現するというもので、煩悩を表す赤鬼と青鬼と黒鬼が舞い踊る。
赤鬼と青鬼と黒鬼が舞い踊る追儺式鬼法楽は、節分らしいひと時を感じる祭事なのですが、何しろ混雑する。いやこの日も追儺式鬼法楽の4時間前から撮影位置を確保しているカメラ愛好家が数名居まして、空挺団降下訓練始めではないのだから、とおもったりも。
源氏庭という、それほど大きくはないが、混雑は基本的にしないという静かな庭園がありまして、ここは静けさを感じるうえではちょっとお勧めしたい立地なのですけれども、この日は節分の追儺式鬼法楽、ちょっとですが、久々の活況を垣間見ることができました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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セッツブーンは先月の話題ですが御所の東にありますお寺の節分の様子などを紹介しましょう。
廬山寺、ろさんじと読みます。この一角は京都観光という視点からはちょっと歩み及ばない方が多いと聞くのですが、しかし京都散歩といいましたならば御所のすぐ隣の非常に閑静な、それでいてバスで交通の利便性もバルで一杯やる利便性も高い街並みとおもう。
仙洞御所の一部を移築したという本堂、御所の高い木々が鎮守の森のような静けさと鴨川のせせらぎに囲まれた、しかし隣に河原町通が通ります一角にこの寺院は佇んでいる。もともとは豊臣秀吉の京都大改造の際に当地へ移転した寺院の一つですが、にぎわいが。
上京区寺町通広小路上ル北之辺町、ここはおそらく来年の大河ドラマなどで人気の一角になるのだろうなあ、とそんなことを考えています。しかしこの日は節分、追儺式鬼法楽という祭事が執り行われまして、もちろん祭事は大混雑となるので気配だけでも、と。
元三大師良源、この方は廬山寺の開山という方なのですが延喜12年こと西暦912年、近江国浅井郡虎姫、つまりいまの湖北の長浜に生まれたといいまして、豪族木津氏の出自というのですが12歳で仏門に入り、比叡山に上ります。南都仏教との法論等で頭角表す。
比叡山延暦寺、しかしこの頃比叡山は大火に見舞われる。こうした中で平安京の北辺、北大路通沿いの船岡山南麓に良源が與願金剛院を造営したのは天慶元年こと938年、比叡山を望む高台ではあるも船岡山に堂宇を構えるあたり、火災の被害の大きさを思わせる。
良源さん、規律厳守など生臭坊主排除と寺院での修業邁進に尽力しまして、村上天皇皇后安産祈願など朝廷行事とともにつながりを深めますと天台座主となり、延暦寺の復興に尽力します。右大臣藤原師輔、この人は藤原道長の祖父にあたりますが、知己も得ました。
藤原師輔とのつながりは、のちにこの人の十男にあたる尋禅が天台座主として良源の跡を継ぐことになりますが、そこまでに縁深まるほどに延暦寺復興へも尽力したといいまして最澄の時代の小さな堂宇を再建したものが、今日の根本中堂の原型となります。
追儺式鬼法楽、ついなしきおにほうらくと読みますが、この寺の元三大師が鬼を退治した、といいます故事から来ました祭事です。さてさて、この日は節分だったのですが、廬山寺では有名な節分神事が執り行われます、それは元三大師良源が鬼を祓った為という。
良源さんが夜叉の扮装として疫病神を祓ったという故事がある、それはこの節分が立春の前日に当たり、そもそも古くからこの季節の分水嶺には邪気が舞う、邪気は疫病を流行らせるといい、このための悪霊払いの神事は朝廷神事として古くから行われていた。
角大師という名前でも親しまれる良源さんですが、これは護符として鬼のような絵の記されたものを京都の玄関先に掲げているところを散見します、この大本という。追儺式鬼法楽はこれを現代も再現するというもので、煩悩を表す赤鬼と青鬼と黒鬼が舞い踊る。
赤鬼と青鬼と黒鬼が舞い踊る追儺式鬼法楽は、節分らしいひと時を感じる祭事なのですが、何しろ混雑する。いやこの日も追儺式鬼法楽の4時間前から撮影位置を確保しているカメラ愛好家が数名居まして、空挺団降下訓練始めではないのだから、とおもったりも。
源氏庭という、それほど大きくはないが、混雑は基本的にしないという静かな庭園がありまして、ここは静けさを感じるうえではちょっとお勧めしたい立地なのですけれども、この日は節分の追儺式鬼法楽、ちょっとですが、久々の活況を垣間見ることができました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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