■昔はジープや戦車を空に
E-VTOLというのは無理に自動車としての機能を維持しようとせずに単なる伝統ヘリコプターをクルマとなのっているのが無難なところです。
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E-VTOL、ひと昔に空飛ぶクルマといいますと、可変翼を内蔵した自動車か車体に巨大なジェットファンを搭載して自動車を飛行させるというキワモノが中心でした。いや実際、この自動車と飛行機を一体化させたものは1930年代と1970年代にかなり真剣に検討され、2000年代初めにも真面目に取り込まれていましたが、実現しなかった経緯がある。
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過去の失敗例としての空飛ぶクルマというのは、主に軍用として、ジープが飛べたらいいよね、という発想の延長線で進められていまして、1930年代の発想ではアメリカにおける州間移動手段として提示され、これはもう安直なのですが自家用車に取り外し式の主翼を装着して、高速道路から離陸して軽飛行機のように目的地に到着すると主翼を取り外す。
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1930年代には、しかし先ず自動車が飛行するには不向きな形状をしていましたので、操縦が非常に難しく、これは第二次世界大戦中にローターをジープに取り付けて有翼ヘリコプターのように移動するとか、オートジャイロを自動車に仕込む、自動車としての移動もオートジャイロなのでプロペラ動力で進むという、かなり無理のあるものが検討された。
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1940年代後半までこの発想でなんとか事業化を複数のメーカーが挑んでいたのですが、それならば旅客機で移動した先で自家用車のように使える乗り物があればいいのだな、と誕生したのがレンタカー事業というもので、自分の車で無理して空を飛ばずとも行先の空港でレンタカーを借りればいいじゃあないか、という代替案に打ち負かされた構図です。
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レンタカーに負けた元祖空飛ぶクルマ、これは1970年代に変な形で生き返ります、それはヴェトナム戦争を背景としたもの。発想は1960年代にありまして、いや、空飛ぶだけならば空飛ぶ戦車、という研究もありました。知っているぞ空飛ぶ戦車といえば攻撃ヘリコプターだ、と思われるかもしれませんが、そうではなくM-48戦車を飛ばそうとした。
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第二世代空飛ぶクルマというのは、ジープのような大きさのパイアセッキ VZ-8 エアジープなど数種類、ヴェトナム戦争ではメコン川とメコン川の支流など入り組んだ地形を移動できるようにしようとした。それならばUH-1B汎用ヘリコプターでいいではないか、という声もあるにはあったのですが、空飛ぶジープは地上も走れる点が利点と思われた。
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M-48パットン戦車も車体にヘリクレーンの様な飛行ユニットを装着して、これは長距離を移動するのではなく、強襲揚陸艦の甲板上から数km先の海岸まで飛行させる研究が、試作まではいかなかったのですが、概念研究までは為されました。試作まで行かなかったのは50tの戦車が重すぎた為です。M-113ならばCH-47ヘリコプターで空輸できたのだが。
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空飛ぶジープについては、これもホバークラフトで代替できるだろうという発想と、ジープ規模の車体とはいえ一定以上の重さがあるために物凄い騒音を放ち、車列を組んで移動すると数km先でも騒音で発見されるという当然の理由から実用化されませんでした。結局、ヴェトナム戦況をなんとかしたい、という採算度外視のために生まれた研究という。
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空飛ぶクルマ、これが再度日の目を見たのは2000年代、というよりも2001年同時多発テロを受けてのアフガニスタン空爆が開始された時代です。実際のところ、これは20年以上前の昔、もうそんなに経つのか、と思われるでしょうし私もそう思う、その昔ばなしなのですが、現代のE-VTOLはこの頃の研究の延長線上にあるものと言えるかもしれない。
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アフガニスタン作戦、ノーブルイーグル作戦という名前でしたが、この際に主役となったのは山間部でのゲリラ戦を展開する武装勢力に対しての情報収集や急襲作戦を担った特殊部隊、グリーンベレーやレンジャー連隊と支援する山岳師団や空挺師団の兵士たちでした。そしてそこで痛感されたのは高山部での特殊部隊移動手段、というものだった訳です。
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4000m級の峰々が続くヒンズークシ山脈では、特殊部隊が隣の稜線に移動するまでも、日本百名山一筆書きグレートトラバース一時間特番のような距離を、特殊部隊員は武器から通信機にバッテリーや糧食に水まで含めて担いで移動しなければなりません。グレートトラバースは応援してくれる人々が溢れていましたが、アフガンはゲリラで溢れている。
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特殊部隊はこうした状況下で、個人移動用、可能ならば便乗者と最小限の装備品を隠密裏に空輸できる個人用航空機、しかしパラグライダーのような不安定な乗り物ではない装備を模索しており、この中にいまのE-VTOLにあたる航空機がいくつか構想されていました。ただ、当時の技術ではそこまで簡易で確実な個人用航空機は実現できませんでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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E-VTOLというのは無理に自動車としての機能を維持しようとせずに単なる伝統ヘリコプターをクルマとなのっているのが無難なところです。
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E-VTOL、ひと昔に空飛ぶクルマといいますと、可変翼を内蔵した自動車か車体に巨大なジェットファンを搭載して自動車を飛行させるというキワモノが中心でした。いや実際、この自動車と飛行機を一体化させたものは1930年代と1970年代にかなり真剣に検討され、2000年代初めにも真面目に取り込まれていましたが、実現しなかった経緯がある。
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過去の失敗例としての空飛ぶクルマというのは、主に軍用として、ジープが飛べたらいいよね、という発想の延長線で進められていまして、1930年代の発想ではアメリカにおける州間移動手段として提示され、これはもう安直なのですが自家用車に取り外し式の主翼を装着して、高速道路から離陸して軽飛行機のように目的地に到着すると主翼を取り外す。
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1930年代には、しかし先ず自動車が飛行するには不向きな形状をしていましたので、操縦が非常に難しく、これは第二次世界大戦中にローターをジープに取り付けて有翼ヘリコプターのように移動するとか、オートジャイロを自動車に仕込む、自動車としての移動もオートジャイロなのでプロペラ動力で進むという、かなり無理のあるものが検討された。
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1940年代後半までこの発想でなんとか事業化を複数のメーカーが挑んでいたのですが、それならば旅客機で移動した先で自家用車のように使える乗り物があればいいのだな、と誕生したのがレンタカー事業というもので、自分の車で無理して空を飛ばずとも行先の空港でレンタカーを借りればいいじゃあないか、という代替案に打ち負かされた構図です。
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レンタカーに負けた元祖空飛ぶクルマ、これは1970年代に変な形で生き返ります、それはヴェトナム戦争を背景としたもの。発想は1960年代にありまして、いや、空飛ぶだけならば空飛ぶ戦車、という研究もありました。知っているぞ空飛ぶ戦車といえば攻撃ヘリコプターだ、と思われるかもしれませんが、そうではなくM-48戦車を飛ばそうとした。
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第二世代空飛ぶクルマというのは、ジープのような大きさのパイアセッキ VZ-8 エアジープなど数種類、ヴェトナム戦争ではメコン川とメコン川の支流など入り組んだ地形を移動できるようにしようとした。それならばUH-1B汎用ヘリコプターでいいではないか、という声もあるにはあったのですが、空飛ぶジープは地上も走れる点が利点と思われた。
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M-48パットン戦車も車体にヘリクレーンの様な飛行ユニットを装着して、これは長距離を移動するのではなく、強襲揚陸艦の甲板上から数km先の海岸まで飛行させる研究が、試作まではいかなかったのですが、概念研究までは為されました。試作まで行かなかったのは50tの戦車が重すぎた為です。M-113ならばCH-47ヘリコプターで空輸できたのだが。
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空飛ぶジープについては、これもホバークラフトで代替できるだろうという発想と、ジープ規模の車体とはいえ一定以上の重さがあるために物凄い騒音を放ち、車列を組んで移動すると数km先でも騒音で発見されるという当然の理由から実用化されませんでした。結局、ヴェトナム戦況をなんとかしたい、という採算度外視のために生まれた研究という。
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空飛ぶクルマ、これが再度日の目を見たのは2000年代、というよりも2001年同時多発テロを受けてのアフガニスタン空爆が開始された時代です。実際のところ、これは20年以上前の昔、もうそんなに経つのか、と思われるでしょうし私もそう思う、その昔ばなしなのですが、現代のE-VTOLはこの頃の研究の延長線上にあるものと言えるかもしれない。
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アフガニスタン作戦、ノーブルイーグル作戦という名前でしたが、この際に主役となったのは山間部でのゲリラ戦を展開する武装勢力に対しての情報収集や急襲作戦を担った特殊部隊、グリーンベレーやレンジャー連隊と支援する山岳師団や空挺師団の兵士たちでした。そしてそこで痛感されたのは高山部での特殊部隊移動手段、というものだった訳です。
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4000m級の峰々が続くヒンズークシ山脈では、特殊部隊が隣の稜線に移動するまでも、日本百名山一筆書きグレートトラバース一時間特番のような距離を、特殊部隊員は武器から通信機にバッテリーや糧食に水まで含めて担いで移動しなければなりません。グレートトラバースは応援してくれる人々が溢れていましたが、アフガンはゲリラで溢れている。
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特殊部隊はこうした状況下で、個人移動用、可能ならば便乗者と最小限の装備品を隠密裏に空輸できる個人用航空機、しかしパラグライダーのような不安定な乗り物ではない装備を模索しており、この中にいまのE-VTOLにあたる航空機がいくつか構想されていました。ただ、当時の技術ではそこまで簡易で確実な個人用航空機は実現できませんでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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