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【日曜特集】那覇基地航空祭-エアーフェスタ2011【6】ブルーインパルス(2011.12.11)

2019-06-23 20:13:20 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス飛行展示
 沖縄慰霊の日、本日は令和時代初の沖縄慰霊の日であり、1945年の6月23日、沖縄防衛を担う第32軍は沖縄本島配備部隊の壊滅と司令官の自決を以て組織抵抗を終了しました、あの災厄が二度と起こらぬ事を祈りつつ。

 那覇基地航空祭ブルーインパルス、航空祭と云えばブルーインパルスでしょう。那覇基地航空祭、しかし那覇空港は過密飛行場であり、民間機が多数お聞きしている様子が此処までの特集でもご覧いただけたでしょう。ボーイング747を間近に見れたのですが、ね。

 ブルーインパルス那覇基地航空祭飛行展示、実際、この飛行展示の調整は簡単ではなかったといいます。そこで考えたのは那覇基地が臨海部に在り、会場から海上が近い、という事でした。要するに他の航空祭のように滑走路上空を飛行しなければよい、ということ。

 航空祭でブルーインパルスが飛行展示を開始する時間帯という事でしたらば、この時間帯が一番混雑する時間帯となります。立錐の余地も、というところになるのでしょうが、この大混雑の様子を友人が喩えたのは“ザ-グレートウォール”,巨大な壁というものでした。

 ブルーインパルスが離陸するまで、一種儀式的なウォークインより開始され、編隊で離陸してゆく様子は、此処からブルーインパルスの飛行展示の始りを感じさせられます。この場面を最初から最後まで見るには、那覇基地が混雑していなくて幸いでした。最前列だ。

 百里基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていまする、飛行展示終了と共に最寄りの石岡駅まで17kmの細い道路が全て渋滞でおおわれる為にシャトルバスの行列を経て石岡駅から電車に乗るまでの実に四時間半にわたる壮大な次の旅行の始まりを意味します。

 入間基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば、航空祭が終了した後で基地を出て電車に乗るまで延々後ろに30万の観衆が並んでいますので、30万の行列の最前列は言い換えれば30万の行列の最後尾、つまり最寄駅から電車に乗るまで三時間半要する。

 那覇基地航空祭、若干ブルーインパルス編隊飛行は遠いですが、混雑していませんので最前列から離陸する様子と、着陸するまでをしっかりと観る事が出来ました。最前列ですと、周りの歓声が滑走路に透き通るように肌で感じつつ、飛行展示を見上げられる、好いです。

 浜松基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば、15万の最前列に居ますが最寄駅は遠鉄線まで5kmを歩くか8km先の浜松駅までのシャトルバス行列最後尾に位置する事から、結局は駅で電車に乗るまでの二時間半の長い旅路の始りとなるのですね。

 千歳基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば10万の最前列に位置する事は飛行展示終了と同時に広大な基地の一番離れたところに在る駐車場を出る行列へ向かうところから基地臨時駐車場を出るまで二時間の壮大な渋滞への移動の始りを意味します。

 那覇基地は混雑していませんでしたので、最前列を確保しつつ雨具と着換えを撮影位置に残してカメラだけを手に、タコライスをサルサソースいっぱいかけて、なにか地元食堂名物が商品化されたレモンティーを氷一杯と共に抱えて戻ってきても、充分撮影出来ました。

 築城基地航空祭のこの時間帯に最前列を確保出来ていましたらば、8万の最前列に位置する事になりますのは8万の築城駅へ向かう行列の最後尾を意味しますので日豊本線に数倍の臨時列車が増発されてもそれ以上の観衆が基地を出て駅に入るまで二時間半の旅が始まる。

 百里基地航空祭の場合はこれを回避する為に既にブルーインパルスが離陸準備を始める頃には石岡駅行シャトルバス乗り場に並んでしまいまして、そろそろ乗車かなという頃合いからブルーインパルスを見上げますと1600時頃には石岡駅を笑顔で出発する事が出来ます。

 那覇航空祭は目の前のブルーインパルスに集中して撮影する事が出来ました、重い荷物なんかは全部ホテルにおいてきてしまいましたから身軽そのもの、それよりも名物のソーキ蕎麦を帰路に頂こうと考えつつ、ちょっと曇天ですが気にせず撮影する事が出来たという。

 入間基地航空祭ではこれを回避するためには、さっさと午前中のC-1編隊展示終了の時点で一駅奥は飯能駅近くで特急レッドアローの特急券を予約して駅前から発車時刻まで5km先のブルーインパルスを駅前から撮影する事で大混雑と行列を避ける事が出きるでしょう。

 浜松基地航空祭ではこの大混雑を回避するためには浜松基地の午前中の飛行展示が完了する頃には滑走路の反対側に在る広報館の方へ移動してしまい、順光で撮影してしまいましたらばそのままシャトルバスには向かわず、路線バスで浜松駅へ向かう事で一時間で済む。

 那覇航空祭は帰路の事は余り心配せずに、しかしこの後に第二滑走路が建設されてしまいますと航空祭は更に会場から遠い海上で実施する為に、もっと長い望遠が必要になってしまうのだなあ、という事を考えつつ撮影しました。もう間もなく完成、なのでしょうかね。

 千歳基地航空祭ではこの大混雑を回避するにはパーク&ライド方式で千歳基地以外に自動車を停めてしまい、基地を眼下に収める南千歳駅前の土手から恵庭岳を借景に美しいブルーインパルス展示を撮影するならば、展示後には早速電車に乗車する事が出来るでしょう。

 築城基地航空祭でこの行列を回避するためには、築城基地は市街地が危険な程の人が滞留しないように基地の出場制限が長く、ブルーインパルスを基地の外側から撮影する事で築城駅まで20分ほどで移動し、駅の入場制限が本格化する前に、電車に乗る事が出来ます。

 しかし、那覇基地、この年度の航空祭は全く混雑していませんでした。だから、最前列でブルーインパルスを撮影しましても、順調に帰路につく事が出来たのですね。ゆいレール赤嶺駅まで、それ程時間が掛かりませんでした。ゆったりとブルーインパルスを楽しめた。

 2011年の飛行ですのでブルーインパルスは福岡県芦屋基地を拠点としていました、所属する第4航空団の拠点である松島基地は、同年3月11日の東日本大震災において大打撃を受けていたのですね。しかし、ブルーインパルスだけは当日、難を逃れました、僥倖にも。

 3月11日、ブルーインパルスはこの翌日に全面開通となる九州新幹線記念式典へ祝賀飛行を行うべく芦屋基地へ展開していました。松島基地は臨海部に在り、津波の直撃を受け、第21飛行隊のF-2Bは津波被害を受けています。ブルーインパルスが松島に居たら、と。

 T-4練習機が全て無事であり、しかも松島基地が基地在場隊員全員が無事であった事が幸いでした。第四航空団は訓練部隊であるのですが、例えば硬化シェルターか防爆シェルターが20機分あれば、これ一つの建設に14億円ほど掛かるのですが被災を避けられたかも。

 那覇基地は臨海部にあるのですが、幸い基地から丘陵地帯が広がっていますので、沖縄戦の不発弾さえ解決できるならば、この丘陵地帯に地下格納庫を建設する事で、津波被害は勿論、航空攻撃に対しても盤石な航空基地と出来るようにも思うのですが、どうだろうか。

 ブルーインパルスを撮影して後、そろそろ帰投航空機の離陸が本格化するのですが、航空祭そのものもそろそろ完了の時刻が近づいて参りました。地上展示航空機を撮影しつつ、移動を開始せねばならない時間帯ですね。F-15の地上展示は多く、次の撮影へ向かう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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