■その犠牲,忘れぬだけではなく
3.11東日本大震災慰霊の日、報じられた数多の声に印象に残ったものは、震災を忘れないという以上に次の震災が起きないよう皆で考えてほしい、というものでした。
沖縄慰霊の日、6月23日は1945年に沖縄戦における日本軍による組織的戦闘が終了した日です。帝国陸軍第32軍は沖縄本島に第24師団と第62師団を中心に海軍部隊と軍属に現地召集兵を加え11万6000名で防備を固めましたが、4月2日に上陸を開始したアメリカ軍は総数54万名という大規模な侵攻部隊であり、激戦二ヶ月と三週間、敗北しました。
令和時代初めての沖縄慰霊の日、冒頭の3.11の話題を昨日沖縄慰霊式典中継を見た際に思い出した。沖縄は現在、中国からの沖縄県南部への地上侵攻という蓋然性の高まりと遥か南の南シナ海での中国海洋進出への最も近い地形という現状、そして在日米軍基地の移設に揺れています。今回は、沖縄戦という歴史、その終戦から74年目にあって、四半世紀と一年後の沖縄戦終結から100年に向けての視点を考えてみましょう。
祈るだけの平和主義は将来に渡り永続するものなのか。沖縄と基地問題という問題を政治と住民はどう受け止めるのか。少なくとも、今後南西諸島の平和が破綻し、第一次沖縄戦慰霊の日と別の沖縄戦を将来慰霊する事だけは、避けねばなりません。そもそも、私たちはどの程度、沖縄戦を知っているのか、その要因はどこなのか、理解を共有できているか。
現代史に学ぶ必要はあると思う。アイスバーグ作戦、連合軍による沖縄侵攻は日本本土侵攻への戦略拠点確保という意味がありました。当時は日本領台湾や占領下中国大陸沿岸部、鹿児島県島嶼部が沖縄本島と並ぶ選択肢として存在しました。沖縄と他の地域の違い、沖縄戦を慰霊する事と併せて、平和を祈念するのであれば、もう少し我々は現代史を学ばねばならないようにも、思います。
米軍基地の問題、首里城からバスで20分程の位置に在る普天間飛行場、宜野湾市の中心部に広がる海兵隊飛行場を本島北部の名護市辺野古、キャンプシュワブ沿岸部に移設する工事は米軍飛行場を沿岸部埋立により移設するという事から沖縄県民世論の多数が反対し、その中を建設が進む。現実問題として建設は駐留規模削減に繋がる施策ではあるのですが。
朝三暮四という単語ではありませんが、在沖海兵隊は今後戦闘部隊に集約されてゆきます、在沖海兵隊の主力は第3海兵師団と第31海兵遠征群です。アメリカ海兵師団は3個、この内唯一海外へ駐留しているのが第3海兵師団ですが、戦車大隊を持たず軽装甲偵察大隊も中隊編成という小型編成です。海兵遠征群はローテーション方式の即応部隊というもの。
時事報道を知る必要も。2025年から第3海兵師団の主力は日米合意に基づきグアムへ移転を開始します。普天間飛行場移設が順調に進めば2027年にも移転を完了します。移転規模は戦闘部隊を中心に7000名規模となる。その上で北東アジア地域に地域安定のための抑止力を維持するには、第31海兵遠征群の即応性を強化する必要があり、海兵隊施設を沖縄本島北部に集約するという。
海兵遠征群という運用は自衛隊には無いものですので馴染みが薄いですが、常設部隊は無く、海兵師団全てから練度の高い海兵大隊や海兵航空部隊を三カ月から六カ月の期間で抽出し、即応体制を執らせるというもの。沖縄本島北部には演習場があり、グアムと違い北東アジア地域へも近い。北部に集約、即ち空軍施設を含め嘉手納以南の施設は全面返還へ。
嘉手納基地以南の米軍基地を全て返還させる、これは1990年代から政府自民党が慎重に交渉を進めていたもので、2005年の米軍再編日米合意において明確化されました。嘉手納基地は那覇空港から自動車で一時間、嘉手納以南返還は大きな意味が在ったのですね。ただ、普天間移設反対県民世論を観ていますと、嘉手納以南全面返還は求められている事なのか。
普天間飛行場移設先は那覇空港拡張部分に移駐し、那覇空港の発着枠が不足するならば、貨物便や民間機が発着できる飛行場を名護市辺野古に沖縄空港として建設してはどうか、これは鳩山内閣時代から提案している選択肢です。嘉手納以南全面返還に固執しなければ普天間辺野古移転以外の選択肢はありそうでして、交渉の余地はないものなのかな、と。
辺野古移設への厳しい県民世論を考えますと、勿論那覇空港へ海兵航空部隊を移駐させる事は相当な調整と返還予定施設の棚上げで混乱は大きいでしょうが、2025年の海兵隊一部グアム移駐開始により在沖米軍規模は縮小し嘉手納基地以南の米軍施設は全て返還、というよりも現状維持、普天間飛行場から米軍移転だけに注力する選択肢を考えてしまいます。
ただし、時事報道だけでも、南西諸島の緊張はかなり厳しい印象も拭えません。特に沖縄への軍事圧力だけではなく、中国が進めている台湾海峡の緊張と南シナ海での緊張が、中国の国際公序への回帰という施策の変更か日本を含む国際社会のあらゆる努力が無ければ、その結果の緊張増大が日本の都道府県で最も及ぶのはもっとの南の沖縄県である、という現実もありまして。
航空祭の最中に緊急発進が発令、京都から最寄りの戦闘機部隊、小松基地航空祭では数年に一度ありますが、那覇基地航空祭では頻度が明らかに多い。ロシア最寄の千歳基地で旅客機を撮影している際よりも那覇空港で旅客機を撮影している時の方が緊急発進が多い。弾道ミサイル接近の空襲警報を初めて経験したのも沖縄、中国公船の領海侵犯も日常化へ。
沖縄は緊張状態にある、という印象なのですが、実は大昔に北海道でも似た印象を受けました。ただ、北海道は第2師団に第5師団と第7師団に第11師団が冷戦時代に抑止力で着上陸を防ぎました、沖縄は中国から圧力を受けてはいますが、ヴェトナムやフィリピンが環礁等を占領されたのに対し第9航空団と第18航空団、日米が沖縄の安定を維持している。
沖縄慰霊の日、しかし第32軍が沖縄に創設されたのは1944年3月でそれ以前の日本軍拠点は1894年創設の台湾総督府陸軍局であり、1919年に創設された帝国陸軍台湾軍が台湾に拠点を置いていました、沖縄の基地負担軽減へは多国間防衛協力の強化や九州からの緊急展開部隊強化、様々な施策はありますが、沖縄の平和を永続させるためには、祈ると共に必要な施策を、官民ともに現実的に考える必要があるでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
3.11東日本大震災慰霊の日、報じられた数多の声に印象に残ったものは、震災を忘れないという以上に次の震災が起きないよう皆で考えてほしい、というものでした。
沖縄慰霊の日、6月23日は1945年に沖縄戦における日本軍による組織的戦闘が終了した日です。帝国陸軍第32軍は沖縄本島に第24師団と第62師団を中心に海軍部隊と軍属に現地召集兵を加え11万6000名で防備を固めましたが、4月2日に上陸を開始したアメリカ軍は総数54万名という大規模な侵攻部隊であり、激戦二ヶ月と三週間、敗北しました。
令和時代初めての沖縄慰霊の日、冒頭の3.11の話題を昨日沖縄慰霊式典中継を見た際に思い出した。沖縄は現在、中国からの沖縄県南部への地上侵攻という蓋然性の高まりと遥か南の南シナ海での中国海洋進出への最も近い地形という現状、そして在日米軍基地の移設に揺れています。今回は、沖縄戦という歴史、その終戦から74年目にあって、四半世紀と一年後の沖縄戦終結から100年に向けての視点を考えてみましょう。
祈るだけの平和主義は将来に渡り永続するものなのか。沖縄と基地問題という問題を政治と住民はどう受け止めるのか。少なくとも、今後南西諸島の平和が破綻し、第一次沖縄戦慰霊の日と別の沖縄戦を将来慰霊する事だけは、避けねばなりません。そもそも、私たちはどの程度、沖縄戦を知っているのか、その要因はどこなのか、理解を共有できているか。
現代史に学ぶ必要はあると思う。アイスバーグ作戦、連合軍による沖縄侵攻は日本本土侵攻への戦略拠点確保という意味がありました。当時は日本領台湾や占領下中国大陸沿岸部、鹿児島県島嶼部が沖縄本島と並ぶ選択肢として存在しました。沖縄と他の地域の違い、沖縄戦を慰霊する事と併せて、平和を祈念するのであれば、もう少し我々は現代史を学ばねばならないようにも、思います。
米軍基地の問題、首里城からバスで20分程の位置に在る普天間飛行場、宜野湾市の中心部に広がる海兵隊飛行場を本島北部の名護市辺野古、キャンプシュワブ沿岸部に移設する工事は米軍飛行場を沿岸部埋立により移設するという事から沖縄県民世論の多数が反対し、その中を建設が進む。現実問題として建設は駐留規模削減に繋がる施策ではあるのですが。
朝三暮四という単語ではありませんが、在沖海兵隊は今後戦闘部隊に集約されてゆきます、在沖海兵隊の主力は第3海兵師団と第31海兵遠征群です。アメリカ海兵師団は3個、この内唯一海外へ駐留しているのが第3海兵師団ですが、戦車大隊を持たず軽装甲偵察大隊も中隊編成という小型編成です。海兵遠征群はローテーション方式の即応部隊というもの。
時事報道を知る必要も。2025年から第3海兵師団の主力は日米合意に基づきグアムへ移転を開始します。普天間飛行場移設が順調に進めば2027年にも移転を完了します。移転規模は戦闘部隊を中心に7000名規模となる。その上で北東アジア地域に地域安定のための抑止力を維持するには、第31海兵遠征群の即応性を強化する必要があり、海兵隊施設を沖縄本島北部に集約するという。
海兵遠征群という運用は自衛隊には無いものですので馴染みが薄いですが、常設部隊は無く、海兵師団全てから練度の高い海兵大隊や海兵航空部隊を三カ月から六カ月の期間で抽出し、即応体制を執らせるというもの。沖縄本島北部には演習場があり、グアムと違い北東アジア地域へも近い。北部に集約、即ち空軍施設を含め嘉手納以南の施設は全面返還へ。
嘉手納基地以南の米軍基地を全て返還させる、これは1990年代から政府自民党が慎重に交渉を進めていたもので、2005年の米軍再編日米合意において明確化されました。嘉手納基地は那覇空港から自動車で一時間、嘉手納以南返還は大きな意味が在ったのですね。ただ、普天間移設反対県民世論を観ていますと、嘉手納以南全面返還は求められている事なのか。
普天間飛行場移設先は那覇空港拡張部分に移駐し、那覇空港の発着枠が不足するならば、貨物便や民間機が発着できる飛行場を名護市辺野古に沖縄空港として建設してはどうか、これは鳩山内閣時代から提案している選択肢です。嘉手納以南全面返還に固執しなければ普天間辺野古移転以外の選択肢はありそうでして、交渉の余地はないものなのかな、と。
辺野古移設への厳しい県民世論を考えますと、勿論那覇空港へ海兵航空部隊を移駐させる事は相当な調整と返還予定施設の棚上げで混乱は大きいでしょうが、2025年の海兵隊一部グアム移駐開始により在沖米軍規模は縮小し嘉手納基地以南の米軍施設は全て返還、というよりも現状維持、普天間飛行場から米軍移転だけに注力する選択肢を考えてしまいます。
ただし、時事報道だけでも、南西諸島の緊張はかなり厳しい印象も拭えません。特に沖縄への軍事圧力だけではなく、中国が進めている台湾海峡の緊張と南シナ海での緊張が、中国の国際公序への回帰という施策の変更か日本を含む国際社会のあらゆる努力が無ければ、その結果の緊張増大が日本の都道府県で最も及ぶのはもっとの南の沖縄県である、という現実もありまして。
航空祭の最中に緊急発進が発令、京都から最寄りの戦闘機部隊、小松基地航空祭では数年に一度ありますが、那覇基地航空祭では頻度が明らかに多い。ロシア最寄の千歳基地で旅客機を撮影している際よりも那覇空港で旅客機を撮影している時の方が緊急発進が多い。弾道ミサイル接近の空襲警報を初めて経験したのも沖縄、中国公船の領海侵犯も日常化へ。
沖縄は緊張状態にある、という印象なのですが、実は大昔に北海道でも似た印象を受けました。ただ、北海道は第2師団に第5師団と第7師団に第11師団が冷戦時代に抑止力で着上陸を防ぎました、沖縄は中国から圧力を受けてはいますが、ヴェトナムやフィリピンが環礁等を占領されたのに対し第9航空団と第18航空団、日米が沖縄の安定を維持している。
沖縄慰霊の日、しかし第32軍が沖縄に創設されたのは1944年3月でそれ以前の日本軍拠点は1894年創設の台湾総督府陸軍局であり、1919年に創設された帝国陸軍台湾軍が台湾に拠点を置いていました、沖縄の基地負担軽減へは多国間防衛協力の強化や九州からの緊急展開部隊強化、様々な施策はありますが、沖縄の平和を永続させるためには、祈ると共に必要な施策を、官民ともに現実的に考える必要があるでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
過去の日本を反省し平和を祈るのが沖縄の姿勢です。
それに対し、自衛隊や米軍強化を主張する論拠に利用しようとは沖縄県民を愚弄するものだ。
もう少し配慮という事を学んで頂きたい。
沖縄県民の声を代弁した。
お前が現実を見なロマンチスト。
非武装丸腰なら大丈夫なわけないだろう。
自衛隊にも沖縄県民いますよ?
過去の日本を反省し平和を祈るのが沖縄の姿勢です。
侵略に備えるのとは別ですが?
選挙権も保証され、言論の自由も保証され、行動の自由も保証され、
しかも、それが実際に機能し、実行されている。
わざわざ、代弁されないといけない程に日本には自由が無いと判断されたと言う事ですが、
貴国とは違いますよ。
実際、先日の沖縄戦の慰霊祭では、知事自ら安倍首相の目の前で政権批判を行い、
会場では、安倍首相の演説に対して、ヤジが飛んでました。
また、沖縄選挙区で当選した国会議員の全員が政権批判を行なっている野党です。
国会でも度々、質問に取り上げられていますよ。
では、貴国で、同様の事例があるでしょうか?
ウイグルで国家主席自ら防弾ガラスもないところで、ヤジを飛ばされて、現地の方の批判を受けた事は有りますでしょうか?
お前が代弁してるのは沖縄県民ではないだろ。お前は沖縄県民のことなど内心はどうでも良く、ただ反戦を煽って沖縄を無力化しようとしているだけだ。大体なぜ「国民」と名乗れないのだ?中国共産党の犬めが。ところで私のいない間に礼儀が云々と言ってたようだが、他国に寄生してその国の人間のふりをし、その国の国益を損なうことばかりするような卑劣な者に対してどんな礼儀が必要だというのか?世界中のどこに行ってもお前のような奴は唾を吐きかけられる思うぞ。それでいつになったら答えてくれるのだ?アメリカの行為を非難するお前がアメリカでさえやらないような無法行為を行う中共は擁護するのは何故か?アメリカはどうのこうのと話をすり替えずに答えてもらおう。
「沖縄県民に後世特別のご高配を賜らんことを」と。
勇ましい激文調は一切なく、沖縄県民がいかに戦争の犠牲になったかを日本軍の指揮官自らが認めているのだ。
日本の不正義な戦争で犠牲になった沖縄県民に対し、日本政府だけでなく君たち一人一人が太田氏の言葉に真摯に向き合わなければいけない。
そうであるならば、沖縄の米軍基地や自衛隊増強を主張する等という事は絶対にありえない。私は良識を問うたまでだ。
「日本の不正義な戦争で犠牲になった沖縄県民に対し、日本政府だけでなく君たち一人一人が太田氏の言葉に真摯に向き合わなければいけない。」
とりあえず、あなたが現実の国際情勢や軍事的リアリズムに向き合って下さい。
沖縄に米軍基地や自衛隊の増強が必要なのは「オマエらの努力が足りんからだ!」とでも言うつもりですか?旧軍並みの精神論ですね。
なぜ、沖縄に米軍基地が、自衛隊が必要なのかこのサイトでは繰り返し述べられていたはずですが、小学生並みの読解力もないんですか?
それから、首相が自ら毎年訪問する都道府県となると、福島、沖縄くらいですね。
私の出身県に首相が来県したのは、最近だと、2018年、その前には2010年ですね。
それから、毎年のように、予算の時期に首相や官房長官に直接面会して陳情ができるのも沖縄県だからですよ。
それだけ、政府も沖縄の事は留意しているとい事ですよ。
それに対して、国家主席が、毎年訪問され、防弾ガラスも無い場所で、一般の参加者と同じ席に座り、周囲からヤジを飛ばされて、面前で批判を聴くような場面というのは、私が不勉強なだけかもしれませんが、承知しておりませんね。