北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

パノラマカーに名古屋城、大須に栄に名古屋駅 名古屋観光紀行

2007-12-21 11:24:50 | 旅行記

■名古屋展開

 名古屋は、現在日本で最も活気を持った街の一つである。古都京都が文化の都ならば、名古屋は製造業の街かもしれない。トヨタを筆頭とする自動車産業と三菱重工の航空産業、どちらも技術の最先端を必要とする技術立国日本の至宝だ。

Img_1839  名古屋といえば、名古屋鉄道。阪急、京阪、近鉄に南海、そして阪神とJRが入り乱れる激戦関西鉄道網、同じく多数の私鉄とJRがダイヤ合戦を繰り広げる関東に対して、名古屋を中心とする東海地方は、名鉄とJRの競争、鉄道と自動車の死闘といったかたちか。元々多くの私鉄が合併して誕生した名鉄は、その経緯の複雑さを代弁するかのように車輌も個性に溢れており、写真の7000形パノラマカーのように、非常に面白い形をした急行車両も多数運行されている。

Img_1880  名古屋のC.ジョニー氏と、神宮前駅で合流し、一時間ほど撮影を行う。C.ジョニー氏曰く、名鉄名古屋駅に近い神宮前駅は、特急停車駅であり、中部国際空港に向かう列車や本線車輌、更に蒲郡や御嵩、犬山に向かう支線車輌を良好な撮影環境でカメラに収めることが出来るポイントとのこと。写真は左の急行5700形、そして通勤電車6000形。

Img_1911  熱田神宮。Shin氏と合流するべく、名古屋駅へ向かう道程で参拝した。創祀1900年という熱田神宮は、お正月には伊勢神宮よりも多くの参拝者が訪れるという。熱田神宮という名前は知っていたものの、ここまで古いとは思いもせず、ただただ、賽銭を投じて無心に柏手を打った一行、早くしないと合流時間もあるので移動を開始。

Img_1898  その途中、全面展望が自慢の1000形特急電車の行き違いを偶然撮影。この踏み切りは神宮前駅に接しており、鉄道運行本数がJR東海道本線を併走していることから非常に多く、係員さんが手動で踏み切りを作動させる手動式踏み切りである。しかし、首都圏で記憶に新しい東武線の悲劇を例に挙げるまでもなく、安全性の観点から、この手動式踏み切りも間もなく廃止されるという。

Img_1960  熱田駅から名古屋駅へ。ここでShin氏が到着するまで再び鉄道車両を撮影。

 写真は特急「しなの」。長野県と名古屋や大阪を結ぶ特急車輌である。手前は211系。国鉄最後の通勤車輌とも言える車輌で、セミクロスシート方式を採用、多くが快速などに用いられていたが、近年ではかなり新型車輌に押され気味。

Img_1980  Shin氏t合流し、名古屋城に向かう。写真は、愛知県庁。帝冠様式と呼ばれる、近代建築の上に城郭の屋根のようなものを配置した独特の建物である。その向こうにはテレビ塔が望見出来る。移動には地下鉄とバスが600円で一日乗り放題になる週末限定の「土日エコ切符」なるものを調達。

Img_2008  名古屋城。昨年、とんぺい殿と一緒に見学して以来である。暗雲立ち込める空、しかし雲の切れ目から差し込んだ一筋の光が城郭を照らし、あたかも天守閣の威容を演出の如く照らしている。この天守閣、第二次世界大戦で米軍に爆撃され、焼け落ちたものを熱意を根性で再建したもので、勢いで再建した大阪城天守閣と異なり、元の天守閣をできるだけ忠実な外観となるよう再建したとのことだ。

Img_2037  天守閣からの眺望。ここ十年間で一気に高層化が進んだ名古屋駅周辺。手前には名古屋城の公園部分や櫓などが見える。名古屋だけではなく、京都や東京、大阪にも言えることだが、旧市街と新市街を隔てず、できるだけ全体的に近代化しようとした、和洋折衷ならぬ新旧折衷が、独特の景観を形成している。

Img_2144  名古屋城を見学してから、電気街のある大須へ移動する。移動には、日本初の環状線地下鉄路線である、名城線を利用。京都の烏丸線と東西線が十字に走っているだけの地下鉄とは異なり、名古屋市営地下鉄の路線網は充実している。それもそのはず、名古屋市の人口はフランスのパリ特別市に匹敵する規模なのだとか。しかも、愛知県の県内GDPを出すと、オランダやベルギーなどに匹敵するという文字通り大都市なのだ。

Img_2145  昼食をとる為に名古屋中華街へ。・・・、普通に複合商業施設の三階に設けられた中華街。神戸の中華街によく足を運ぶ小生や、横浜中華街を知るShin氏なんかには、一瞬度肝を抜かれる不自然さ(華僑史研究を行う先生も、名古屋中華街の写真を見て驚いていたくらいだ)。しかし、中華街というだけあって、料理は値段も安く美味しい。

Img_2147  中華街で、横須賀や名古屋港での撮影にてご一緒させてもらったことのあるNさんが偶然昼食をとっておられた。ということで、四名となった一行は、栄から大須に移転してきた「まんだらけ」に行ってみた。水銀燈のコスをした店員にグっときながらも店内を散策、掘り出し物もあったようだ。

Img_2156  Nさんと、練習艦隊入港でまたお会いしましょう、とお別れし、さらに電気街探索を進める。大須には、ヲタ系ショップと伝統的な部品などを扱う電器店が混在する電気街と、小さな電気街というべきアメ横ビルがある。Tさんに教えてもらい、京都で入手できなかったあるDVD初回限定を買うことが出来た店が閉店セール、かなり割引されていたのでFateのCDなど、何枚か調達。

Img_2168  電器店を廻っているとかなり時間が経っており、一行は夕食へ。名古屋名物の絶品みそとんかつで有名な矢場とん、若しくは、名古屋で全国的に有名な個性溢れる、というかハジケてるパスタ屋さんのマウンテンかで議論。結果、正攻法でいこう、ということになり矢場とんへ。行列が途切れた時間帯に滑り込むことが出来、一行入店直後、また行列が出来始めた。みそかつとソースカツが両方楽しめるわらじとんかつ定食なるものを注文。中々美味、満足気に店を出た。

Img_2185  矢場町駅から地下鉄に乗ろうかとも考えたが、名古屋のテレビ塔にレーザーが当たっているのを見て、夜景撮影に。ちょうど中日ビルにも入っている靴のREGALがクリスマス企画で、靴を買うとシステム手帳か熊さんのぬいぐるみがもらえる、というのがあったが、引換券やポイントカードを持ってくるの忘れていた。そんな理由で残念ながら断念。

Img_2226  名古屋テレビ塔の撮影を続行。このテレビ塔のある栄は、名古屋の中心部として知られ、名古屋城再建よりも早く復興のシンボルとして姿を現し、いまも街の中心にて、夜景を賑わせている。テレビ塔は先日昇ったし、時間の関係もあってスルー。この界隈にはイエローサブマリンとか、とらのあな、なんて店もある。

Img_2244  モータリゼーションの街という印象の一枚。

 名古屋を中心とする都市圏は、30km程はなれた岐阜が40万、70kmほど離れた豊橋で35万弱と、都市圏を構成する街に100万都市がないため、郊外が分散、結果、どうしても鉄道網の整備に限界がある。こうして自動車が大きく普及することとなっている。

Img_2264  名古屋ツアー、最後の場所は名古屋駅ビル。

 このツインタワーは、駅ビルとしては世界最高の高さを誇り、ギネスブックにも登録されているほど。この名古屋駅ビル前にてクリスマスイルミネーションが行われており、夜景撮影ということで展開した。

Img_2350  かつては名古屋駅の駅前広場の象徴であった大名古屋ビルジングと、その横に建設途中、急遽3㍍嵩上げして東海地方最高のビルとなったトヨタビル。このトヨタビルには、よくみてみると室内灯を利用しトナカイの姿が象られている。この部署残業、ということはなさそうなので、イルミネーションの一部なのであろうか、大名古屋ビルジングの方は多分残業。

Img_2311  駅前イルミネーション。広場全体に電飾を施し、更にビル壁面に西洋風のお城を象ったイルミネーションを飾っている。名古屋駅は、京都駅と同じく在来線と新幹線(近鉄線もか)が乗り入れており、私鉄と地下鉄線で結ばれる複合駅。新大阪と大阪駅、新横浜と横浜駅に分かれている駅よりも広く、大きな印象を受ける。

Img_2363  こうして、鉄道、城郭、電気街、夜景と続く名古屋ツアーは終了。調べてみると、横須賀の米軍基地一般公開よりも写真を撮っていた(特に名鉄撮影でかなり撮った)。マウンテンも行きたかったが、これは後日、ということで、C.ジョニー氏と別れ、帰投の途に就いた。最後になりましたが、いろいろ案内していただきましたC.ジョニー様、ありがとうございました。あと、Shin様、次回は是非、マウンテンで“小倉あんかけパスタ”、ご賞味ください(ワタクシは横で普通の食べるから)。

HARUNA

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新幹線特急電車N700系 新世代を担う最新鋭車輌

2007-12-20 21:50:52 | コラム

■夢の超特急N700系

 本日は11月17日に乗車したN700系新幹線特急電車について記載したい。N700系は今年7月1日のダイヤ改正から営業運転を開始した東海道山陽新幹線の最新鋭車輌である。

Img_9659  写真はN700系の先頭車輌。0系、100系、300系、500系・700系に続く新世代車輌で、空気抵抗を抑えた流線型のデザインを採用、航空機を思わせる0系(銀河の影響を受けているというので、元が航空機というべきか)や100系(なんとなくXP-1とかに影響がありそうな)、ほとんど航空機という500系に続き、700系からは動物的な面持ちとなっている。

Img_9598  名古屋駅に到着するN700系。営業運転から数ヶ月を経ても、まだまだ700系の方が運行数が多く、小生含め、初めて乗車するという人も多い。駅のホームからはカメラ付携帯、レンズ付フィルム、コンパクトデジカメ、一眼レフ、デジタル一眼レフとあらゆる撮影機材が一斉に新型車両に向けて撮影を始める。

Img_9600 到着した列車が扉を開くと、足取りも軽く、皆さん次々と乗車する。N700系というスカイブルーで記されたマークの中心を矢のように進む車輌のイラスト、本車の航空機並みの高速性能を示しているようだ。2007年度中には、のぞみ号の半数近くがN700系により代替され、東京と大阪間の所要時間が短縮される構想であるという。

Img_9629  N700系普通車の車内。これまでの新幹線と比較して、全般的に車内が明るく見えるよう、配色が工夫されているようだ。さすがにグリーン車を利用して東京、というのは「ぷらっとこだま」でも無ければ不可能だが、この普通車の座席も、700系や300系と比べていくつかの点で改善されているという。

Img_9627  N700系は、複合バネを内蔵した座席を採用している。もともと、バネを利用してクッション性を高める座席は、0系100系までで、300系以降は座席軽量化の目的で多重ポリウレタン方式が用いられていた。しかし、居住性などの面ではバネを用いた方が良く、N700系から復活した。この他、通気性を高め蒸れにくくなった構造も採用、人間工学に基づいた形状となっており、居住性を高めている。

Img_9604  発射後、桶狭間を眺めつつ、駅弁である。鳥御飯弁当。小松左京ファンなら、やはりこの駅弁でなければ東海道新幹線の旅は始まらない。かやくごはんの上に味付け鶏肉が数枚載せられた、割とシンプルなお弁当であるが、やたら大袈裟な盛り付けと味付けの駅弁が食堂車を駆逐した今日、昔ながらの面影と良心的な価格を今に伝えるこのお弁当。七時台には売切れてしまうこともあり、文字通り早朝の戦利品。

Img_9622  普通車の折畳式テーブルはやや大型化され、ノートパソコンの利用も容易になった。特に、300系なんかは高速性能を重視した為振動が増大したという不評があるようだが、車体傾斜装置により曲線区間の高速走行性能を重視したN700系は振動対策もかなり重点的に行われている。したがって、PCによる作業もスムーズに進む。

Img_9626  時代の流れに対応、ということだろうか、2009年から無線LAN方式によるインターネットサービスも計画されているとのことで、走るオフィスとしての機能も盛り込まれる。個人的には無線LANよりも食堂車、もしくは小型のビュッフェでもいいので、富士山を眺めながら車窓を楽しめる機能が欲しいのだけれど、さすがに無理だろうか。

Img_9623  AC電源も標準装備。これによりバッテリー残量を気にする必要も無くなる。

 この他、各扉部分に防犯カメラが搭載され、テロ対策能力を強化している。安全神話、残された数少ない聖域である新幹線。震災、テロ、重大犯罪から、この高速鉄道網を守るというのは重要なことである。

Img_9611  やや小型となった自販機。乗車した指定席付近の自販機しか見ることが出来なかったが、これまでみた車載自販機と比べるとかなり小振り、アーバンライナーの自販機よりも小さく、かつての名鉄特急なみの小型さ(中部国際空港開業以降、1000形の自販機はスーツケース置き場になってしまった)である。

Img_9613  御手洗付近。N700系は新幹線として始めて、御手洗を全て洋式トイレとした点がその特色として挙げられる。特に和式御手洗の場合、日本以外からのビジネス輸送や観光旅客需要に対応する観点からも重要である。

 また、多目的室が設けられており、乳児とともにも安心して乗車することが出来る。全体的に曲線で構成されているのも特色のひとつ。

Img_9617  N700系のもう一つの特色が全席禁煙。嫌煙権を認めるのならば、喫煙権もしっかりと担保してはどうかとも思うのだが、これも一つの時代の潮流だろうか。写真は愛煙家に差し伸べられた喫煙室。駅では電光掲示板に全車禁煙と表示された列車がN700系であると見分けられる。

Img_9620  こちらは電話機。

 N700系だが、みてわかる難点は、窓の小型化と間隔の増大である。航空機のような新幹線と書いたが、窓の大きさまで航空機を真似て小型化、というのは残念である。車窓は列車が有する専売特許というべきサービスであり、この点、次期新幹線の設計には反映してもらいたいと希望する。

Img_9625  そうこうしている間に東京駅に到着した。なんというか、新幹線を利用すると、都市間が非常に近く感じる。なんとなれ、最高速度実に時速300km、カーブも高速で曲がることが出来るのだ。他方、N700系の大量配備により、500系が山陽新幹線運用となり、押される形で、いよいよ山陽新幹線にて運行されている0系新幹線の終わりが見えてきた。近く、撮影に展開したいと思う次第。お楽しみに。

HARUNA

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近鉄電車特別塗装 まるで京阪電車のような近鉄電車

2007-12-19 12:06:40 | コラム

■京阪カラー!?

 先日、大久保から記事を掲載したと記載したが、その際に撮影した写真。写真は近鉄大久保駅。宇治方面へはJR奈良線を利用することが多く、これまで気付かなかったのだが、少し驚かされたので掲載。

Img_1324  近鉄大久保駅から京都駅方面へ帰路につこうとしたとき、向こうから電車がやって来た。反射的にカメラを構える。何か違和感を感じた。今居るのは近鉄線で、国際会館駅と新田辺駅を結ぶ京都市営地下鉄の乗り入れがある近鉄線なのだが、なんと京阪電車!?っぽいものが走っていたのである。これには驚いた。行き先表示板には急行奈良行とあり、良く見れば、れっきとした近鉄電車である。

Img_6950_1  こちらは京阪電鉄9000系。若草色とグリーンの車体。特急のテレビカーを除けば、京阪電鉄の基本的な塗装は、この二色である。車体側面の色やグリーンの部分、どことなく上の写真と似ている部分があるように思ったのは、私だけかな?。とにかく、京阪カラーの二色の近鉄電車。

Img_0139_1  こちらが近鉄電車の基本塗装。小豆色に白っぽい車体下部。後ろにいるのが特急。両方ともこっちに向かってくるので、普通電車逃げてぇ~!!というような状況に見えなくも無いが、この直後、衝突事故とかは起きていないので、皆さんご安心を。この基本塗装は近鉄奈良線においても特急以外は同じである。

Img_1326  京阪カラー的な電車塗装は、何だったかというと、奈良をイメージしたスペシャルカラーであった。若草色というのは、若草山のイメージを示しているのだろうか。近鉄奈良線は奈良と京都を結ぶ路線であり、こうしたカラーリングの車輌が走っているのだろうか。奈良は新幹線が走っていない為、JRと近鉄線で京都から足を運ぶ。

Img_1325  奈良のカラーリングとともに、京都も描かれていた。桜色というのは、桜の季節と若草の季節で、暖かい観光シーズンを示しているのだろうか、時期的に紅葉の銀杏と椛の色でもいいのかな、と思った。しかし、それだと京阪特急のテレビカーと同じ色になってしまうので、全編成京阪カラーになってしまう。さすがにそれは無理だったか。

HARUNA

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イージス艦こんごう(DDG-173) 弾道ミサイル迎撃試験成功

2007-12-18 18:09:54 | 防衛・安全保障

■核恫喝に備える非核兵器国に唯一の選択肢

 12月18日0700時(日本時間)頃、ハワイ沖の訓練海域において海上自衛隊のミサイル護衛艦「こんごう」がSM-3ミサイルにより弾道弾迎撃試験を実施し、これを成功させたとのことだ。艦艇によるSM-3運用はアメリカ海軍以外では初。

Img_5766_1 写真は「みょうこう」(長崎で撮った「こんごう」の写真が出てこないので代理)。ハワイ諸島カウアイ島から発射された標的弾道弾を数百kmの距離で追尾、大気圏外でSM-3を直撃させ、無力化に成功したとのこと。使用されたSM-3は、ブロックⅡ(と報道)。射程は1000km以上、有効迎撃高度は約200km。開発中のSM-3ブロックⅡAでは機動性に優れたキネティック弾頭を搭載し、飛来するミサイルを受け止めるように直撃、無力化する。

Img_5890  従来、弾道ミサイルは宇宙を経由して飛来する為、撃墜しても“落ちてくる”事には変わりなく、結果地上に甚大な被害が出ることから、弾頭を完全に無力化する必要があった。今回の実験も含め、たとえ迎撃実験に成功したとしても、実際に迎撃を行なう際には、目標がどの時間帯に、どの発射基地から発射されるか、複数による過飽和攻撃の際の優先迎撃順位や、弾道ミサイルとその他の手段を含めた複合的な攻撃への対処能力や、潜水艦発射弾道弾への対処能力など、課題はまだまだ山積しているが、一応、大きな山場を越えたといえる。

Img_9151  改修を受ける「きりしま」。2007年6月の報道によれば、有償軍事供与によるSM-3ミサイル9発の調達価格とイージスシステムのベースライン改修(誤解を恐れずに書けばOSの置き換えのようなもの)には4億7500万㌦と、防衛費全体に掛かる影響は決して小さくなく、防衛予算の増額が難しい中で、新防衛大綱画定に際しての特科火砲、戦車の大規模削減や護衛艦、戦闘機への削減の遠因となったと考えられている。

Img_6255_1  しかし、日本が核保有という、核拡散防止条約違反を行わず、核兵器国による核恫喝の可能性に対処する方法としては、現在、この弾道ミサイル防衛が唯一の手段である。核爆弾を搭載した爆撃機や核弾頭装着の巡航ミサイルであれば、従来の要撃機や護衛艦による対潜装備でも対処しうる部分は多く残されているが、前述のように弾道ミサイルの迎撃は技術的に難しく、核兵器の破壊力と並び、対処能力の無い絶対性を付与していた。この絶対性の柱を折るのがミサイル防衛である。

Img_6495  核恫喝に対しては、これまで核保有により抑止力を確保するという考えが少なからずあったが、核体系、つまり核兵器の全地球規模での早期警戒網(報復する為にどこから発射されたかを調べる目的)、第二次反撃能力(最初の核攻撃で保有する核兵器の運搬手段が全滅しないようにする)、相手の核兵器を発射前に無力化できる充分な核弾頭数という兵器体系を行えば核軍拡は留まる所無く進み、また、核保有国の核兵器国を越えて増加することは必至となる。

Img_5611  核拡散防止条約には、核兵器国の核軍縮義務も明記しており、日本は、ミサイル防衛という核恫喝に核恫喝以外の手段で対応する手段を整備しつつ、核軍縮への道筋を模索してゆくという選択肢を有しつつある。また、SM-3以外の手段を同時開発し、複合的なミサイル防衛システムの整備はこれを補強するものとなるだろう。他方で、基盤となる従来型の脅威についても、その近代化の姿勢を維持する必要はある。

HARUNA

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戦車とは 欧州通常戦力削減条約にみる火砲の定義

2007-12-17 16:21:15 | 国際・政治

■第三回:火砲の定義

 戦車と軽戦車の定義、装甲車の装甲人員輸送車・装甲歩兵戦闘車・重装甲戦闘車への三類型について、二回に分けて記述したが、今回は火砲の定義について述べたい。

Img_6381  火砲は、大きく分けてカノン砲と榴弾砲があり、江畑謙介氏の「兵器の常識非常識 陸軍・海軍兵器編」(並木書房 1998)によれば、目標に向けて弾を発射するのに、間接照準方式(直接目標を見ずに砲の照準を行う方法)を使うのが榴弾砲、直接照準方式がカノン砲である。としている(P-55)。英語ではカノン砲はCANNON、榴弾砲はHOWITZERと記載して区別する。また、最近ではカノン砲を単純にGUNと呼称する場合がある。

Fh020013  しかしながら、目標が遠方からも望見出来る対要塞戦やジュネーブ条約に抵触する可能性がある市街地攪乱砲撃ならば別として、今日の砲撃は第一に対砲兵戦、第二に戦闘支援(攻撃準備射撃や攪乱射撃、突撃破砕射撃など)というように、基本的に直接照準が出来ない小型目標に対する任務が主柱となり、榴弾砲の中にも非常に砲身が長く、いわゆるカノン砲の特徴を備えた榴弾砲が多くなっている。これをGUN/HOWITZERと呼称する。

Fh030008  火砲の定義について、欧州通常戦力削減条約ではどのように定義しているのだろうか。第二条F項では、「火砲」とは、主に間接照準射撃により地上目標を攻撃することの出来る大口径のシステムをいう。この種の火砲システムは諸兵連合部隊に不可欠な間接照準火力支援を行う。としている。特にこの条約が締結された1990年には火砲の射程が増大し、基本的に間接照準射撃が砲兵の任務となっていたことがこれに反映されているとみることができよう。

Img_8257  大口径火砲システムとは、口径100㍉以上の榴弾砲、加農砲、加農砲と榴弾砲双方の特性を兼ね備えた火砲、迫撃砲及び多連装ロケットシステムである。この他、二次的なものとして間接照準射撃能力を有する将来の大口径照準射撃システムは全て、火砲の上限数の対象として数えられるものとする。ここでF項は終わり。自走砲と牽引砲の区分はこの条約には無いようだ。

Img_2471  口径100㍉以上の火砲に迫撃砲も含むため、例えば107㍉迫撃砲や、陸上自衛隊の主力重迫撃砲である120㍉迫撃砲RTもこの火砲の定義に含まれる。迫撃砲をこの火砲の上限に含めているのは、旧ソ連軍の240㍉迫撃砲などの大口径迫撃砲の存在が背景にあるといえる。なお、間接照準射撃能力を重ねて記載しているということは、直接照準で対戦車戦闘を主任務とする106㍉無反動砲は火砲の定義に含まれないことを暗に示しているようだ(欧州でほ保管装備として多数の無反動砲が装備されている。)

Img_1154  火砲には、牽引砲と自走砲が存在するが、自走砲は不整地突破能力に優れ、また砲塔装備型の自走砲は、その多くが装甲防御力を有していることから、対砲兵戦においてやや有利な点を有しているが、牽引砲の多くはヘリコプターにより空中機動が可能である。戦略機動能力も長距離の移動にはトランすポーターが必要な自走砲(ただし、近年は装輪式の自走砲もあり一概に必要とはいえない)に対して、中砲牽引車などを利用して戦略展開が可能な牽引砲にも有利な点は多い。

Img_8070  多連装ロケットシステムも火砲に含まれている。瞬間的に広域を面制圧できるロケット砲は、開発当初はその低い命中精度から、面制圧以外に用途は少なかったが、近年では風力測定や評定技術の改良により、無誘導のロケット弾によっても突撃破砕射撃などの砲兵任務が可能となっている。

 第4回は、これまでの三回の類型に含まれない装備について、記載したい。

HARUNA

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戦車とは 欧州通常戦力削減条約にみる装甲車の定義

2007-12-16 14:58:21 | 国際・政治

■第二回:装甲車の定義

 前回、戦車の定義に関して、CFE条約(欧州通常戦力削減条約)においての戦車の定義を記載した。詳細は記事を観ていただくとして、概括すると75㍉以上の初速の高い砲を搭載し、16.5㍍㌧以上の戦闘車輌ということであった。

Img_0371  すると、例えば89式装甲戦闘車。人員輸送を目的としており、明らかに戦車の定義からは外れるが、35㍉機関砲を搭載し、79式対舟艇対戦車誘導弾も搭載、暗視装置の性能では写真の奥に展開している74式戦車よりも上である(試作された改良型は89式の熱線暗視装置と基本的に同じものらしい)くらいである。高性能な装甲戦闘車は多く、当然CFE条約にも装甲車の定義は明確に記されている。

Img_2945  装甲戦闘車の搭載する火力は、いきなり戦車と遭遇した場合の自衛用であり、補助的なものである。しかし、冷戦終結により試作で終わったが、ドイツのマルダー2は50㍉機関砲を搭載していたし、ロシアのBMP-3は100㍉低圧砲(ただし、3UOF19榴弾の初速は350m/sで、対戦車用途には9M117M1などの対戦車ミサイルを使用)と30㍉機関砲を搭載するなど、あなどれない威力がある。

Img_0354_1  重火力の装甲戦闘車が存在する一方で、装甲車の中には、機銃のみを搭載したベストセラーM-113、装輪式のBTR-80などがあり、四輪駆動のフランス製VAB,更に4.5㌧の軽装甲機動車、フランス製3.59㌧のVBLなど、輸送可能な人員が分隊以下の車輌も装甲車として存在し、同列に並べるには、やや無理がある面もある。こうして、CFEでは三区分に装甲車を分けている。

Img_2591  CFE条約2条D項では、「装甲戦闘車両」とは装甲防護を施した路外走行能力を持つ自走車輌をいう。装甲戦闘車両には、装甲人員輸送車、装甲歩兵戦闘車及び重戦闘戦闘車が含まれる。と定義している。この装甲戦闘車両に関する定義には、装輪式や装軌式といった区分は無く、以下の定義により三区分の境界を示している。

Img_2901  「装甲人員輸送車」とは、戦闘歩兵分隊の輸送用に設計され、且つ装備された装甲戦闘車両で、概して20㍉未満の兵器を一体として、または固有に装備しているものをいう。としている。なお、12.7㍉重機関銃などに代えて40㍉自動擲弾銃を搭載したものも、定義上は装甲人員輸送車に含まれるものと理解されている。なお、普通科が使用しても施設科が使用しても、普通科の使用を前提として設計されていれば、この区分に含まれる。CFEに日本は批准していないが、この定義には73式装甲車や96式装輪装甲車などが含まれる。

Img_2884  「装甲歩兵戦闘車」とは、主として戦闘歩兵分隊の輸送用に設計され、且つ装備された装甲戦闘車両で、通常は兵員が車輌後部から装甲に保護されて火器を発射することが出来、口径20㍉以上の砲を一体として又は固有に装備し、時として対戦車ミサイルランチャーを装備するものをいう。とされる。日本の場合は89式装甲戦闘車がこの定義に含まれ、ロシアのBMP-3やドイツのマルダーといった機関砲搭載の装甲車、米海兵隊のLAV-25装輪装甲車などがこの範疇に含まれる。

Img_0805  「重装甲戦闘車」とは、口径75㍉以上お直接照準火砲を一体として装備し、空車重量が6.0㍍㌧以上の装甲戦闘車両であって、装甲人員輸送車の定義にも装甲歩兵戦闘車にも戦車の定義にも含まれないものをいう。と定義している。こうして、日本の場合は、60式自走無反動砲が戦闘重量8㌧で空車重量も確か6㌧はあったと記憶するので(多分)この定義に含まれ、戦車の定義に含まれない軽戦車や装甲車に人員輸送能力に代えて砲塔と重火力を搭載した火力支援車は、この定義に含まれる。

Img_0674  こうなると、軽装甲機動車のような戦闘歩兵分隊を輸送する能力が無いもの(定員四名)は装甲人員輸送車に含まれるか、疑問が生じてくる。フランスのVBLはスカウトカー扱いで含まれないようだし、ドイツの完全防弾車ディンゴや、ハンヴィー高機動車の装甲型などは含まれないようである。キャビンに装甲を施したトラックも、定義には含まれないと考えられている。

Img_0345  しかし、ここで生じてくる疑問が、装甲車を用いた指揮通信車や装甲車を用いた装甲救急車、更に後部に迫撃砲を搭載した自走迫撃砲の扱い、戦車とも装甲車ともいえない自走火砲の区分や定義についてである。これについて、CFE条約ではどのように定義しているか、第三回において特集したい。

HARUNA

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戦車とは 欧州通常戦力削減条約にみる戦車の定義

2007-12-15 00:01:39 | 国際・政治

■第一回:戦車の定義

 戦車の定義とは何か、戦う車である、って答えると軽装甲機動車や機銃搭載の四輪駆動車、果ては西部警察のマシンXもその定義に含まれてしまう。今回は、兵器の定義について、記載してみたい。

Img_0214  江畑謙介氏の著書「兵器の常識非常識 陸軍・海軍兵器編」(並木書房 1998)では、防御力、攻撃力、衝撃行動力の三要素を備えている戦闘車輌を「戦車」と呼ぶ、と定義している。しかし、回転砲塔を搭載し、装輪式で90㍉以上の火砲を搭載しているフランスのAMX-10RCやブラジルのEE-9などは偵察用装甲車にあたり、戦車には分類されない、と記載されている(P19~P21)。不整地機動性が低く、重量が軽い為その分装甲が薄く、重量が軽い為、大口径砲を搭載していても高初速の砲弾から生じる衝撃を吸収できないため、と書いている。

Img_8549  たしかに、87式偵察警戒車のようなもの、若しくはこれに大型火砲を搭載しても戦車と呼ぶには差し支えあるが、しかし、イタリアのチェンタウロ戦車駆逐車は重量が25㌧あり、最新型のチェンタウロ120は、OTOメララ社製45口径120㍉砲を運用可能であり、砲塔電動駆動装置に対応可能な範囲内での増加装甲装着により35~40㍉APFSDS弾への防御力を得られるという。また、南アフリカが開発した装輪装甲車ロイカットは、76㍉砲を搭載し、重量は28㌧。T-62主力戦車に充分対応できるとメーカーは説明している。

Img_0410_1  戦車の定義を明確にしなければ、例えば軍縮条約を締結する際にも、限りなく戦車に近い装甲車、というものが出てくる可能性がある。事実、1925年のワシントン海軍軍縮条約では、主力艦の軍備規制を明記したものの、主力艦に準じる補助艦が大量に建造されてしまい、急ぎロンドン軍縮会議を開くこととなった。

Img_0862  ここで参考と成りうるのは1990年の欧州通常戦力削減条約に記された定義である。いわゆるCFE条約であるが、これは戦車、装甲戦闘車両、火砲、戦闘用航空機および戦闘用ヘリコプターに関する保有上限を定めており、条約の抜け道を無くす為に、明確に各種兵器の定義がCFE条約第2条C項に記されている。

Img_6910  CFE条約の定義では、以下の通り。戦車とは自走装甲戦闘車両であって、装甲その他の目標の攻撃に必要な高初速度直接照準主砲を主とする重火力能力を有し、路外機動性に優れ、自己防衛能力が高く、主として兵員の輸送用に設計されていないものをいう。この種の装甲車は、地上軍戦車その他機甲部隊の主要な兵器システムとして使用される。

Img_2073  戦車は、装軌式装甲戦闘車両で、空車重量が16.5㍍以上で、口径75㍉以上の360°旋回砲を装備する。この他、就役することのある装輪式装甲戦闘車両で、右の他の全ての基準を満たすものも戦車とみなされる。と定義されている。また、空車重量については、条約では弾薬・燃料・油脂・潤滑油・取り外し可能なリアクティヴアーマー、予備部品・工具・付属品、取り外し可能なシュノーケル装置、及び、乗員とその装具を除いた重量をいう。としている。

Img_1651  こうして定義すると、例えば旋回砲塔を有していないスウェーデンのStrv103戦車はこの範疇に含まれるのか、とか、装甲戦闘車を基本としているとはいえ、105㍉砲を搭載するCV-90-105を、装甲車としてM-113などと同列に扱うのは如何なものか、などなど幾つかの疑問が自然と出てくる。

 次回は装甲車の定義について、記載し、本論の補完としたい。

HARUNA

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国際港湾都市 神戸市役所展望台からの夜景眺望

2007-12-14 12:23:41 | 旅行記

■神戸ルミナリエの帰路

 神戸ルミナリエへ展開した後、美しい神戸の夜景を撮影するべく神戸市役所の無料展望台へ登った。ここからはルミナリエ会場の他、港ならではの夜景を堪能することが出来る。

Img_1621  市役所展望台へのエレベータは思ったほど混雑しておらず、殆ど並ばずに乗ることが出来た。ただし、ルミナリエ会場を一望できるところは流石に人が多く、盛んにフラッシュが焚かれている為、最初に三ノ宮方向の撮影を行う。六甲山をはじめ、摩耶の峰々には神戸市のシンボルマークなどが電飾されている。震災の時は停電下の神戸市民をこの電飾が激励したという。

Img_1623  高架は三ノ宮駅。大通りを挟み、右側がJR三ノ宮駅、左側が阪急電鉄三ノ宮駅。

 この他、ポートライナーもあり、地下には阪神電鉄三ノ宮駅。地下鉄を利用すれば新幹線の新神戸駅にも短時間で到達することが出来る。文字通り神戸の中心地である。

Img_1617  神戸港客船ターミナルと高層ビル群。神戸市立博物館なども市役所の近傍にある。ちなみに、もっと左側にカメラを移せば、“そうりゅう”を建造している三菱重工の造船所の方向になるのだが、何分、展望台からの撮影だと、後ろの人やなんかが写りこんでしまう。ここからは夕陽とビル群という写真も撮影出来るがルミナリエ点灯の瞬間は非常に混雑する。

Img_1607  神戸ポートアイランド。橋梁により繋がっている。この向こうには神戸空港があり、日中であれば発着する航空機が望見出来る。

 なお、橋のあたりにある埠頭は、三月の近海練習部隊が寄港した埠頭がある。橋の照明が海面に写り、一種独特な情景を醸しだしている。

Img_1615  京都市の夜景を京都タワーから望むと、歴史都市というだけあって、案外電燈が少なく、伝統と電燈は別物か、と印象を受けてしまうが、神戸市は全く逆、近代的な港湾都市という印象である。こうして一連の写真撮影を終了し、小生は三ノ宮駅に向かったのだが、時間が時間だけに店の多くが閉まっており、京都市営バスの時間もあるので撤収。中華街、行きたかったなあ。

HARUNA

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神戸ルミナリエ2007 鎮魂阪神大震災 冬を彩る光の芸術

2007-12-13 12:49:24 | 旅行記

■Kobe Luminarie 2007

 今年で十三回を数える神戸ルミナリエは、12月6日から17日までの期間、神戸市中央区旧外国人居留地から神戸市役所の隣、東遊園地において行われ、多くの来場者を集めている。

Img_1528  神戸ルミナリエは1995年の阪神大震災において多くの犠牲者を鎮魂するとともに、第二次世界大戦以来最大の被害からの復興と再興への夢を託して始まったもので、1995年12月の第一回から今年で十三回目となる。いまや、神戸市の希望を象徴する行事として定着した観があるこの行事へ、11日展開したので、本日はその様子を掲載したい。

Img_1516  点灯時間は、平日は1800~2130時、週末の金曜日は消燈が少し延びて1800~2200時、土曜日はやや早い点灯の1730~2200時、日曜日は屋台などの清掃時間を見込んでかやや消燈が早い1730~2130時。点灯の瞬間は多くの来場者が詰め掛けるので、やや時間をずらして、と広報されている。

Img_1540  ルミナリエ会場へは、阪急、阪神、JRなどが乗り入れる三ノ宮駅からが最も近いが、会場への順路へは、元町駅が一番近い。順路を設置しているのは、一度に多くの来場者がルミナリエ会場に押しかけるとパニックになってしまうので、徒歩で30分ほどかかる順路を設置している。このお陰で、会場は混んではいるが、常識的な範囲内の混雑に収まっており、光の芸術を堪能することが出来る。

Img_1551  撮影は、三脚を立てると非常に迷惑であり、ISO800の高感度に設定し、露出のF値を3.5とし、歩きながら撮影しても差し支えないシャッター速度1/80秒に設定し撮影した。立ち止まっての撮影はご遠慮ください、という放送が流れているが、渋滞しているので足を止めた一瞬を利用して撮影する。ちなみに今回の写真はIMAGE STABILIZERなどの手ブレ補正装置を搭載していないレンズで撮影。

Img_1559  会場までは、過去の事例では行きを安価な阪急電鉄で河原町か烏丸駅から十三駅乗換えで神戸線。帰路はやや高いが三ノ宮から京都まで直通の新快速が走るJRを利用したのだが、JRが物凄く混雑する。帰路は速い新快速、ということで考えることは同じなのだろうか。しかし、京都までは阪急の方が座れる可能性も高く、10分間隔の特急が運行されるという点で利点がある。

Img_1571  ルミナリエ会場、東遊園地から撮影。遊園地といっても、いわゆる遊園地ではなく、外国人居留地が神戸にあった時代に、居留地内での運動やスポーツ、子供達の遊戯の場所として用いられていた場所。神戸市役所の隣にあり、電飾は神戸市役所無料展望台からも観ることが出来る。

Img_1580  ルミナリエとは、イルミネーションのイタリア語luminarieを示しており、過去には神戸ハーバーランドなどにも会場が設置されたが、近年はこの旧居留地の会場に統合されている。企業献金と来場者の募金を資金源とする神戸ルミナリエでは、特に予算難による継続への影響が毎年心配されている。

Img_1587  会場への入場は無料で、毎年400万人以上が来場する。しかし、募金箱が設置されており、100円募金を呼びかけている。個人的な信念から京都における寺院の夜間特別拝観などの拝観料に準じて400円を投じているが、電飾の設置費用に加え、警備費用、光熱費などなどを考えると、これくらいが順当ではないだろうか。

Img_1591  さて、阪神大震災では、高速道路や新幹線の高架部分崩落、耐震強度が充分あると信じられていた大型建築物の破損や倒壊など、それまでは東宝の映画の中だけだと信じられていた描写が現実のものとなり、多くの課題を表面化させたが、その後、大型地震が幾つか生じている中で、被害を局限出来ている部分には、阪神大震災の教訓が反映されている部分がある、と信じたい。

Img_1593  写真は1.17希望の灯。日本には災害文化というものがあり、地震などが発生した時には被害を最小限に抑えるための文化があったが、それが失われつつある、とSF大家である小松左京は小説“日本沈没”に記している。しかし、まあ、過熱報道の弊害も含め、地震災害というようなもののイメージを阪神大震災を契機に共有できれば、今後の東海、東南海、南海地震や南関東地震などにも、なんらかの一助となるのではないかとも思う。

Img_1603  話が暗くなった。さてさて、神戸ルミナリエは、イルミネーションとしては日本最大規模のものであり、会場を出て神戸市役所の展望台に登れば、日本有数の港湾都市神戸の夜景を楽しめる。また、南京町の中華街や三ノ宮駅界隈など、味の街としても楽しめる機会である。17日までであるが、週末や最終日は物凄い混雑となるので、今夜あたり、足を運ばれてみてはどうだろうか。

HARUNA

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12.08横須賀 アメリカ海軍キティーホーク公開区画

2007-12-12 10:25:42 | 在日米軍

■航空母艦一般公開

 12月8日の横須賀アメリカ海軍施設一般公開。ここで最も関心を集めたのは、航空母艦キティーホークであろう。しかし、一般公開といっても、どこまでが一般公開されたのか、幾つかの場所で質問が寄せられたので、関心事に答え、本日はその特集。

Img_0954_1  航空母艦一般公開では、その都度公開区画は違う為、今回の記事はあくまで、12月8日の一般公開で開放された区画という点をあらかじめ記載したい。正門付近で、手早い、しかし、確実な手荷物検査を受け、そのままキティーホークへ。正解は多くの来艦者を集める空母を後回しにして、イージス艦から見学するのがベテランのスケジュールらしいのだが、素通りは難しい(笑)ので、艦載機エレベータ部分の階段を登り空母を見学する。

Img_0973_1  最初に見学するのは飛行甲板である。整備中の蒸気カタパルト。蒸気カタパルトは蒸気圧を利用して非常に短い距離でも、艦載機を発艦に必要な速力を付与させる装備である。1950年代はでは火薬式カタパルト、1960年代までは油圧式カタパルトなどが使用されていたが、安全性や性能の関係から蒸気カタパルトに統一された。このように、作業中の危険な場所や転落の危険性のある場所以外は飛行甲板を自由に見て回ることが出来る。

Img_1030_1  艦載機のフックが飛行甲板に叩きつけられ、直線的な窪みが各所に残されている。この着艦に必要な拘束ワイアやバリアーなど、固定翼機を運用する航空母艦には不可欠な装備が、蒸気カタパルトと並び飛行甲板の大きな見所である。

 個々の装備や艦橋の各種アンテナについては詳報で掲載したい。

Img_1057_1  一般公開された格納庫。少数の兵装が展示されている他は、売店スペースとして用いられていた。室蘭や小樽、佐世保などにアメリカの航空母艦が寄港するときには艦載機を満載しているが、事実上の母港である横須賀に入港する際には艦載機はほぼ厚木基地に降ろしていることが多い。ただ、装備ラックや作業管制施設など、艦船ファンには見所は非常に多い。

Img_0977_1  見学時に多数が配布されているパンフレットには、公開区画の紹介として航海艦橋やOIC(作戦指揮所)などが挙げられていたので、恐らく公開されることもあるのだろう。この場合、例えば事前応募などが必要となることもあり、厳重なセキュリティを受けなければ立ち入ることの出来ないところも、含まれている。しかし、OIC,護衛艦のCICにあたる部分、まあ、モニターの電源を切っていれば問題ないのかもしれないが、通常、海上自衛隊では公開しない場所である。

Img_1163  ややタグボートなどが視界を遮るが、キティーホーク。飛行甲板と格納庫、これが12月8日のキティーホーク一般公開における開放区画である。9.11直後を考えると、横須賀海軍施設に立ち入ることが出来て、航空母艦にも乗艦できるようになった。遠からず厚木海軍航空基地WINGSも再開されるのかな、と思ってみたりもする。

HARUNA

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