◆轟音響かせ戦車と共に行事詳報連載再開!
第11旅団創設記念行事、観艦式を挟み大分間隔があいてしまいましたが掲載再開です。
![Mimg_2031 Mimg_2031](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/92/b56cfb684b2b50fe5f4efece63a040fd.jpg)
第11戦車大隊、観閲行進の最後は戦車部隊の観閲行進です。二個戦車中隊と大隊本部により編成という編成です。北部方面隊の師団戦車大隊や旅団戦車部隊には優先的に90式戦車が配備され、本州や九州の戦車部隊が運用する74式戦車よりも強力な部隊を形成しています。観閲行進の先頭は大隊本部の大隊長以下指揮官と先任曹長が90式戦車と96式装輪装甲車により観閲を受けます。
![Mimg_20280 Mimg_20280](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/40/805f75ff31957af91d61095e6f058872.jpg)
戦車には“士魂”の文字が記されています。これは占守島において第二次大戦終戦後、上陸戦闘を仕掛けたソ連軍に立ち向かい多大な犠牲を出しつつ邦人退避を戦車で支えた戦車11連隊の十一、即ち“士”の文字を受け継ぐもので、道都札幌を守り、冷戦時代のソ連北方脅威へ立ち向かった第11戦車大隊に最も相応しい徽章といえるでしょう。
![Mimg_2041 Mimg_2041](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/8d/f6d0512a8027e609c453bd02e1e47b04.jpg)
90式戦車の行進。この第11戦車大隊は、北恵庭駐屯地にて1962年に編成され、当時はM-24軽戦車とM-4中戦車を装備していました。双方とも第二次世界大戦期に開発され、朝鮮戦争期には北朝鮮軍のソ連製T-34戦車に米軍戦車として挑み、特にM-24は苦戦を強いられていましたが、大戦中に37mm砲と12mm装甲の95式軽戦車で臨んだ経験者の話を聞き、これならば勝てる、と意気込んだようです。
![Mimg_2044 Mimg_2044](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/8e/f50da356c83be5dc0d8858dc3f055c62.jpg)
この第11戦車大隊は、1967年にM-4戦車で完全充足となり、1968年には国産の90mm砲を装備した61式戦車の導入を開始、1970年には大隊を編成する四個戦車中隊に完全充足し、1977年には74式戦車の受領を開始、1984年に完全充足を果たします。長らく74式戦車の時代が続き、2009年に90式戦車の受領を開始しました。
![Mimg_2047 Mimg_2047](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/71/1687400c05ae2849e5eca41781bb97da.jpg)
大隊本部付の96式装輪装甲車、戦車大隊は戦車を中心に戦車の稼働率を維持し、戦車に必要な補給を行う支援に当たり、加えて戦車中隊単位での普通科連隊戦闘団への派遣に備え訓練水準を高め戦闘能力を最高の状態とする必要があります。このため、戦車大隊は戦車と同程度の各種車両を運用しています。
![Mimg_2053 Mimg_2053](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/03/a5da9018238381f2fd192f0d26b1884c.jpg)
続いて大隊本部の車両が観閲行進を行います。1t半と3t半、よく見てみますと3t半の大型トラックのうち片方の車両は車体前部のキャビンを追加装甲で防護しておりフロントガラスにもその奥には防弾ガラスが装着されているのが分かります。ちなみに1t半と3t半という呼称、73式小型トラックと73式大型トラックという旧称の方が分かりやすいですね。
![Mimg_2056 Mimg_2056](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/99/0053ca63c068521ce6612ccfef3c5fea.jpg)
第一中隊の90式戦車、真正面から見ますと凄い迫力ですが、90式戦車は第三世代戦車として必要な高い打撃力と高い防御力を両立した、恐らく我が国での運用を行う上で世界で二番目に強力な戦車です。一番強力な戦車は、この打撃力を維持強化したうえで軽量化と機動力を向上させた最新型の10式戦車ではありますが。
![Mimg_2066 Mimg_2066](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/0a/43babfe09875b6e689d6c8f27ea0dc97.jpg)
90式戦車は三菱重工が製造する国産戦車で、重量50t、全長9.755m、全幅3.43m、全高3.04m。1500馬力の三菱10ZG32WT型2ストローク水冷十気筒ディーゼルエンジンを搭載し最高速度は70km/h、1100?の燃料を搭載して航続距離は実用340km、60‰の登攀力を有し、2.7mまでの幅の対戦車壕や用水路を突破、1mの垂直防壁をそのまま乗り越え2mまでの水深をそのまま突破可能です。
![Mimg_2070 Mimg_2070](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/49/dad308f22ae694bfda83390531ba3218.jpg)
しかし、この戦車の特色は攻撃力の高さにあります。主砲は44口径120mm滑腔砲で対戦車用のAPFSDS弾を用いた場合、発射後に音速の五倍で飛翔し約1mの鋼板を貫通します。しかし、この砲弾は重いため世界で広く採用されている120mm砲ですが、走行中に人力で装填するのは揺れる車内では非常な困難を伴います。そこで90式戦車は日本製鋼が開発した自動装填装置を搭載し、揺れる車内でも四秒に一発の速度で装填し射撃できる。
![Mimg_2076 Mimg_2076](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/1f/871d64251dc6d8705e30ade396d0e049.jpg)
120mm砲の照準装置は熱画像暗視装置により霧や夜闇を見通すことが可能で、主砲用火器管制装置は移動目標のロックオン機能を有し、一旦捕捉した目標は百発百中とのこと。防御力は敵戦車と撃ちあう正面部分に京セラと三菱金属(今は三菱マテリアル)が開発したとされるチタン合金とセラミックを内蔵した複合装甲を採用し、高いジェット噴流で熱量を叩きつける対戦車ミサイル、極超高速で運動エネルギーを叩きつける戦車砲弾、双方に耐えられ、乗員を守る装甲が施されており、実験映像では120mm砲弾の連続直撃に耐えていました。
![Mimg_2083 Mimg_2083](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/9f/45d4ff9c11c3bc819196a23761cc1354.jpg)
50tという比較的軽量に重量を抑えていることも特色です。90式戦車は戦後第三世代戦車に区分されるのですが、74式戦車を含む第二世代戦車は74式戦車やレオパルド戦車にAMX-30戦車といった対戦車ミサイルの時代に入り機動力重視で防御力を断念する設計か、重装甲を採用した分機動力が落ちるのは致し方ないというチーフテン戦車やM-60戦車等により構成されていましたが、複合装甲の技術開発により軽量で重装甲を実現し、戦車用高出力エンジンの開発により攻撃力機動力防御力の両立が可能となりました。
![Mimg_2087 Mimg_2087](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/46/2caf873d34e2004f958fff0f9bea0039.jpg)
しかし、これは重くとも高出力のエンジンがあるので機動力は維持できる、という意味でもあるので、その分重くなります。世界の第三世代戦車はこのため60t台後半という重さになってゆくのですが、仮に日本で運用する場合、60t以上の戦車が火山国で高山部があり地震と水害の多い日本の狭い峠道や路盤の緩い平野部を踏破できるでしょうか、90式戦車は自動装填装置を採用し、車内をコンパクト化することで装甲で守らねばならない容積を局限し、防御力を維持しつつ軽量化を実現、相手の入れない場所に展開して一撃を加える、日本で繋う限り最強の戦車として完成したわけです。
![Mimg_2091 Mimg_2091](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/c4/068fd246d562a0825d1f1a60588c93d1.jpg)
第11戦車大隊第2中隊の観閲行進。後方には航空部隊の編隊が見えます、戦車とヘリコプターこの写真とこの構図が撮りたかった。第11戦車大隊は、大隊本部、本部管理中隊、第1戦車中隊、第2戦車中隊、という編制です。しかし、冷戦時代は四個戦車中隊を以て編成されていました。これは、第11旅団が第11師団であった時代、師団隷下の真駒内第18普通科連隊、函館第28普通科連隊、滝川第10普通科連隊に有事の際各一個戦車中隊を派遣し、師団長直轄でもう一個戦車中隊を戦略予備、最後の切り札として配置するためでした。
![Mimg_2104 Mimg_2104](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/3b/2dd90aa9fe8ec620db16262db83519d8.jpg)
戦車大隊は1991年に、本州の全ての戦車大隊から一個戦車中隊を抽出して北部方面隊の戦車部隊の増強にあてる戦車北転事業が行われ、新しく創設された第317戦車中隊と第318戦車中隊が北部方面隊より第11戦車大隊へ配備され、74式戦車110両を保有することとなりました、これで各連隊に一個中隊を配置しても戦車大隊一個に匹敵する予備部隊が生まれたということ。
![Mimg_2110 Mimg_2110](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/36/a5526a712ae33547072551e16594b5b7.jpg)
しかし、冷戦構造の終結により、当面、ロシア軍の戦車師団が複数北海道に上陸する、という脅威の切迫は無くなりました。そこで防衛計画の大綱が改訂され、1996年に第11師団は旅団へ改編される方針が定められます。これにより1996年に第4中隊が廃止、1999年に第318中隊が廃止、2005年に第317中隊が廃止されました。
![Mimg_2113 Mimg_2113](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/dd/2041971248ebdd43c3c0a1075fc027d9.jpg)
こうして第11戦車大隊は2008年に第3中隊を廃止し、二個戦車中隊基幹へと切り替えられたのですが、2009年にそれまでの74式戦車に代え90式戦車の受領が開始されました。74式戦車は弾道コンピュータと105mm砲を搭載し、地形に合わせ車体を傾斜させ伏せ撃ちを行う油圧式懸架装置を搭載する高度な戦車でしたが、装甲が第二世代戦車の水準であり暗視装置も旧式化しており、縮小ではなくコンパクト化として高性能な90式戦車が迎えられたわけです。
![Mimg_2115 Mimg_2115](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/a7/0d5a827e3685638648ccacf0d09739bf.jpg)
もっとも、個人的に疑問が無いわけではありません。こういうのも陸上自衛隊の戦闘部隊基本単位は普通科連隊を基本とした連隊戦闘団であり、普通科連隊に戦車中隊と特科大隊に施設小隊と救急車分隊を配属する旅団的な運用が為されていたわけです。これが警備管区を持ち全国をくまなく配置させることで防衛警備に寄与し、加えて災害時には初動を担う運用が為されてきたのですから、普通科連隊と戦闘団を組むうえで必要な戦車定数と火砲定数を確保するか、普通科連隊への装甲戦闘車配備など代替手段をとるべきだとは思うのですが。
![Mimg_2123 Mimg_2123](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/34/7d4706f706eaef4648461ffa37d39135.jpg)
将来的には105mm砲を搭載する装輪装甲車として機動戦闘車が配備されるようなのですが、戦車の持つ防御力と火力を併せ持つ機動打撃力は装甲車では代替できるものではありません。そして戦車は攻撃力機動力防御力を併せ持つ陸上装備体系の最高峰に位置するものですから、これが配置されているだけでの抑止力は相当なものです。
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そして日本には最高水準の戦車を国産する能力があるのですから、戦車により侵略の意図を事前に打ち砕くという抑止の思想から、もう少し優遇され装備を行うべきと信じます。なにより、装甲戦闘車も近年は火器管制装置の高度化で高価になっていますので、下手に各連隊を数個中隊装甲戦闘車で充足するよりは装甲車に留め、その分戦車を配備したほうが予算も節約できるでしょうし。
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観閲行進に続いて第11飛行隊による祝賀飛行の開始です。ここまでの観閲行進を第11音楽隊が演奏を続けていましたが、その頭上をヘリコプターの編隊が進んでゆきます。第11音楽隊は抜刀隊と祝典ギャロップを観閲行進の間演奏を休まず続けるのですから、このプロ意識といいますか、音楽の職業人としての能力と意志の強さもなかなかのもの。
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第11飛行隊は札幌市の丘珠駐屯地に駐屯しており、今回はOH-6D観測ヘリコプター三機とUH-1J多用途ヘリコプター三機による六機編隊での飛行を行っています。観測ヘリコプターは特科部隊の索敵や着弾観測と軽輸送に指揮官連絡を行う機体で、多用途ヘリコプターは小銃班程度の空中機動や弾薬などの輸送任務、機関銃を搭載しての火力支援や負傷者搬送にもあたります。
![Mimg_2162 Mimg_2162](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/dc/3b2141ca861b16c2afda4b39ac1f8b40.jpg)
祝賀飛行の編隊が真駒内駐屯地の上空を飛行します。こうして観閲行進は完了し、引き続き行われた祝賀飛行は青空を背景に見事完了しました。続いて訓練展示模擬戦が行われます。観閲行進はこのように正面から木立の涼しい日陰と共に迫力の様子を撮影できました、それでは次回から撮影位置を移しての訓練展示模擬戦となります、お楽しみに。
北大路機関:はるな
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