北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

南スーダンPKO 第三次派遣部隊派遣施設隊へ第9施設大隊を中心に330名を以て編制へ

2012-11-20 22:40:10 | 国際・政治

◆南スーダン国造り支援へPKO派遣

 防衛省によれば、南スーダンPKOへ国づくり支援への第三次派遣部隊が決定したとのことです。

Kimg_2173 第三次派遣隊は、第9師団の第9施設大隊を中心に土屋晴稔1佐以下330名を派遣するものです。出国計画は先発隊が11月21日に30名が成田空港を出発し、第一波派遣要員150名が12月3日に青森空港を出発、第二波派遣要員が12月17日に青森空港を出発し、翌日に南スーダンはジュバへ到着する予定とのこと。

Kimg_4753 現在、第二次派遣部隊として北部方面施設隊を中心に松木信孝2佐以下の北部方面施設隊を中心に部隊が派遣中ですが先発隊は11月19日にスーダンを出国し、第一派派遣部隊も12月2日に出国、第二派派遣部隊も12月16日に南スーダンを出国し19日に千歳空港へ帰国するもよう。

Kimg_5739 これにより新しく独立した南スーダンの国家形成への日本の支援は次の段階へ展開することとなります。スーダンと南スーダンの国境は緊張が続いていますが、国家の新しい門出に必要な社会インフラ整備に自衛隊は可能な限りの寄与を展開し、独立国家として必要な社会基盤整備へと進んでいます。

Kimg_1732 新しい国家の創設への支援は、どの程度にとどめるのか、大きく関与するかによりその国家との関係を様々な意味で我が国との将来においての国際関係に影響を与えるものですが、現在の視点では好意的に受け入れられ推移しているようです、今後の自衛隊の活躍を祈りましょう。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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防衛産業、我が国防衛力を構成する重要要素の将来展望⑧ 費用抑える国産技術と生産基盤

2012-11-19 22:52:23 | 防衛・安全保障

◆単価は高い、しかし抑止力全体としては

 連載期間が少々空きました観点から少々確認的な、試運転的な内容で過去の記事とも重なるのですが、国産基盤について幾つか。

Bimg_3396 防衛装備品の国産技術とライセンス生産を含めた生産基盤は結果的に目的を達成するコストを総合的に見た場合、抑える能力がある、という視点です。これはF-X選定に際しての記事で幾度か紹介した視点なのですが、戦闘機を国産する能力やライセンス生産を行う能力を有している場合、予備部品の製造と最も高いレベルでの整備を自前で行うことが出来ます。これは結果的に稼働率を高めることに繋がります、何故ならば海外からの部品待ち時間や整備待ち時間を最小限と出来るのですから。

Img_2861 例えばある空域を防空するために100機の戦闘が必要だったとします。稼働率が90%を超えていたならば、112機の戦闘機を導入し、定期整備と予備部品調達を国内で行えばよく、航空自衛隊はこの方式を採用しこの水準を維持しています。一方で稼働率が50%となった場合は200機を取得しなければなりません。直輸入が安価に取得できたとしても、機数が増大すれば調達費用は大きくなってしまうことは間違いありません。そして運用費用は機体価格の一割から一割五分程度が毎年必要となるので、数が多くなれば維持費も大きく成るのです。

Img_73474 なかには多くの航空機を導入し、稼働部品の共食い状態、つまりいくつかの機体を飛行しない状態としておき、予備部品の供給元とする方式を行う事例もあるのですが、これをはじめてしまいますと有事の際、特に航空機が消耗する状態に陥った場合、極端に稼働機数が低下する可能性があります。技術云々ではなく、飛ばすうえで必要な部品が欠乏する状態では稼働率は長期の維持という選択肢を失わせ、こうした態勢を常態化させることは抑止力そのものを低下させてしまう、という事を認識せねばなりません。

Bimg_9061_2 加えて運用期間をかなり柔軟性を以て防衛計画を作成することが可能です。例えば航空自衛隊が運用するF-4戦闘機ですが、米空軍では20年近く前、湾岸戦争から暫くのちに最後まで運用された防空網制圧型の機体が廃止されています。これをもって米空軍は近代化計画なども合わせて終了しているのですが、航空自衛隊は能力向上改修を行い、併せて新しい搭載装備の開発なども継続、第一線能力を維持し、加えて運用寿命の限界まで運用できるよう、生産を行った三菱重工は支援を継続し、直輸入ではこうは無理が利かなかったでしょう。

Bimg_3178 もちろん、全ての航空機をライセンス生産や国産開発をするべき、という視点は必ずしも強調するものではありません。これは前回の特集でもふれたものですが、例えば少数機の導入に留まるものは、敢えて生産設備を国内に整備した場合、生産設備の整備費用がかなり高額なものとなりますので国産には一定の保留を行い、整備能力、勿論その航空機が有する任務への貢献度合いにより、どの程度の投資を行うかは判断されるべきですが、ここに注力するべきです。

Gimg_8624_1 このほか、国産度合いを高めるという事は、生産計画に対し柔軟性をもたせることに繋がります。生産基盤と共に整備基盤と、この基礎を支える教育体系の構築と部品供給体制の構築は機種ごとにかなりの費用を要しますが、生産計画を外部に依存せざるを得ない直輸入では、生産継続を求める場合には相当数の取得が必要となり、当初計画を上方修正することが非常に困難となってしまいます。もう一個飛行隊程度揃えたい、事故損耗を補てんしたい、としても生産終了となってしまう、ということ。

Bimg_4899_2 上記問題に対しては、国産であるほうが柔軟に増勢が可能となります。例えばF-X選定においてF-35かEF-2000かF/A-18Eを導入するかの討議が長引いた際にF-2が日米共同生産ではなく、日本単独生産であればもう一個飛行隊を増勢して、一種の繋ぎとする選択肢もあり得ました。このほか、機体強度などの問題が発生した場合、国産機であれば問題解決に主体的に関与できますし、ライセンス生産であれば自前での構造改修や補強を行うことが出来ますが、直輸入ではこうはいきません。

Img_1196 もちろん、直輸入を行った方が、機種にもよるのですが日本国内で生産するよりは大量の機体を生産しているため、航空機の量産効果が高まり、一機当たりは安価となることは確かです、我が国で生産する場合はライセンス料を負担し、国内での生産基盤と整備基盤を負担したうえで、製造を行い教育体系を構築しなければならないのですから。しかし、稼働率や装備体系の統一に生産数への関与など、全体的には費用を低減する利点がありますし、こうした能力を持ち、保有する装備を確実に運用可能である、という点がまず、武力紛争への抑止力となるでしょう。

北大路機関:はるな

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エアフェスタ浜松2012 (2012.11.18)快晴の浜松航空祭PowerShotG-12撮影速報

2012-11-18 22:42:40 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆快晴だったが渋滞は凄かったらしい

 福知山か浜松か、最後の最後まで迷い考えた挙句、浜松に行ってきました。写真はEOS-7Dに18-200mmと120-400mmの一台、EOS-50Dはお休みの軽装です。

Himg_9287 いい天気とはこういう転機を言うのでしょうか、素晴らしい青空でした。浜松駅は、のぞみ号通過駅なのがこういう時に響くのですが0745時頃に浜松駅に到着、遠鉄で最寄駅まで移動してタクシーを拾うか、シャトルバスか考えた末にシャトルバス乗り場がそこまで混雑しておらず12分の待ち時間で乗車、浜松市内は交通量はやや車が増えてきたかな、という印象ではありましたが、渋滞というほどのことはなく、幸い30分ほどで浜松基地へ到達しました。

Himg_9279 快晴という事は逆光ということ、メイン会場にて地上展示機を撮影したのち、T-7の飛行展示が開始された頃に全ての装備品展示の撮影を完了し、順光を求めてエアパーク浜松広報館へと移動です。移動はシャトルバスでは旧南基地正門までということでしたので、正門を撮影したのちにタクシーの乗降場を見つけ、そのままタクシー利用で移動です、がそののち渋滞に突入し、F-2の機動飛行は車窓から頑張って撮影です。しかし、少し時間がかかりましたが無事移動、素晴らしい青空を背景に撮影、ブルーインパルスまで全て撮影し、遠鉄路線バスで1500時には浜松駅へ到着です。

Himg_9285 航空祭は素晴らしかったのですが、自動車移動の方曰く浜松基地は百里基地航空祭に並ぶ渋滞航空祭となっているようです。駐車場を出るまで一時間以上、新東名の開通で高速道路へ上がるまで基地から二時間から四時間程度を要するようになり、高速道路も自然渋滞が凄かったとのこと、一時間休憩しても渋滞が収まらず2100時近くにまだ豊川付近、という電話を頂きました。あと一つお詫びを、誘導路と離陸の様子ですが、あれば荒天で離陸方向が変更されなければ見れない配置だった模様です。この点、不確かな情報をお伝えして申し訳ありません、お詫びします。

北大路機関:はるな

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浜松基地航空祭撮影ガイド メイン会場と滑走路を挟んだ南側会場の情景

2012-11-17 23:30:02 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆晴天ならば順光の撮影位置で!

 明日はいよいよ浜松航空祭ですが、浜松基地は駐車場から撮影される方も少なくありません。

Himg_4015 駐車場、とはいっても基地の南側に或る駐車場からの撮影ですと、写真のように離陸する航空機を北側メイン会場を背景に撮影することが出来ます。そしてこの場所は地上展示航空機などはありませんが、その分あまり混雑しませんし、太陽を背に撮影しますので青空と機体が映える写真を撮影できる。

Himg_4209 この撮影位置を選んだのは、米空軍のサンダーバーズが飛行展示へ来日した浜松航空祭でしたのでメイン会場は相当な混雑となっていたわけです。そこで身動きが取れないよりは、いっそ駐車場地区から撮影しよう、という事になった訳です。そして、雨天ではありましたが毎年とは違う位置から撮影できたというわけです。

Himg_3633 浜松基地航空祭の混雑は人数では凄いのですが、駐車場区画で撮影できる位置が広くとられているため、場所さえ選ばなければ、撮影できるものは多いのです。ただ、警戒管制航空隊に加え高射教導隊も浜松基地に展開していますので、エプロン地区へは一度足を運んでおいた方がいい、ともいえるやもしれません。

Himg_4140 ただ、着陸した機体は一応南側地区の誘導路を進みますので、此処でなければ見えない情景もあることは確か。なお、南側地区の駐車場とメイン会場とは基地内シャトルバスが運行されていますので、行き来することが出来ます。基地内シャトルバス乗り場は浜松駅とのシャトルバス乗り場に隣接しています。

北大路機関:はるな

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平成二十四年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2012.11.17・18)

2012-11-16 22:56:30 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 紅葉が本格的に木々を染め、山間部では雪が降り始め、急な暖房と乾燥で体調を崩しがちですが如何お過ごしでしょうか。

Gimg_5323 日曜日は浜松基地航空祭です。明日土曜日は荒天の予報が出されていますが日曜日には晴天が戻ってくるとのこと、T-4練習機の第一航空団に警戒航空隊のE-767と浜松救難隊のUH-60JにU-125、外来機のT-7やF-2にF-15の機動飛行、今年の浜松航空祭もやはり相当な来場者で会場は賑わうのでしょうね。

Gimg_3630 浜松基地航空祭プログラムは今週既に紹介しましたが、もう一つ、航空祭で混雑する会場に対し、滑走路を挟んで反対側の浜松広報館側から撮影しますと、駐車場など開放区画が広く人口密度も高くはありませんので、混雑を避けての撮影から家族団らんまでお勧めといえるやもしれません。お試しあれ。

Gimg_2000 福知山駐屯地創設62周年記念行事、京都の第7普通科連隊駐屯地で、明日土曜日と明後日日曜日にかけ、盛大に実施されます。どのくらい盛大科、と言いますと土曜日には市街パレードが行われるのです。1355時から1430時にかけ福知山市広小路通りにて完全武装の隊員と装甲車や迫撃砲にミサイルなど各種車両が観閲行進を行います。

Gimg_2863 福知山駐屯地祭は日曜日に行われ、こちらは式典に観閲行進と訓練展示に装備品展示という内容で行われます。福知山は京都から特急たんば号で終点まで、少々遠い印象ではありますが、市街地でのパレードはなかなか見ることが出来ないものですので、足を運ばれてはどうでしょうか。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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第11旅団創設3周年 真駒内駐屯地創設57周年記念行事詳報⑩ 第11戦車大隊と第11飛行隊

2012-11-15 23:43:04 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
◆轟音響かせ戦車と共に行事詳報連載再開!
 第11旅団創設記念行事、観艦式を挟み大分間隔があいてしまいましたが掲載再開です。
Mimg_2031 第11戦車大隊、観閲行進の最後は戦車部隊の観閲行進です。二個戦車中隊と大隊本部により編成という編成です。北部方面隊の師団戦車大隊や旅団戦車部隊には優先的に90式戦車が配備され、本州や九州の戦車部隊が運用する74式戦車よりも強力な部隊を形成しています。観閲行進の先頭は大隊本部の大隊長以下指揮官と先任曹長が90式戦車と96式装輪装甲車により観閲を受けます。
Mimg_20280 戦車には“士魂”の文字が記されています。これは占守島において第二次大戦終戦後、上陸戦闘を仕掛けたソ連軍に立ち向かい多大な犠牲を出しつつ邦人退避を戦車で支えた戦車11連隊の十一、即ち“士”の文字を受け継ぐもので、道都札幌を守り、冷戦時代のソ連北方脅威へ立ち向かった第11戦車大隊に最も相応しい徽章といえるでしょう。
Mimg_2041 90式戦車の行進。この第11戦車大隊は、北恵庭駐屯地にて1962年に編成され、当時はM-24軽戦車とM-4中戦車を装備していました。双方とも第二次世界大戦期に開発され、朝鮮戦争期には北朝鮮軍のソ連製T-34戦車に米軍戦車として挑み、特にM-24は苦戦を強いられていましたが、大戦中に37mm砲と12mm装甲の95式軽戦車で臨んだ経験者の話を聞き、これならば勝てる、と意気込んだようです。
Mimg_2044 この第11戦車大隊は、1967年にM-4戦車で完全充足となり、1968年には国産の90mm砲を装備した61式戦車の導入を開始、1970年には大隊を編成する四個戦車中隊に完全充足し、1977年には74式戦車の受領を開始、1984年に完全充足を果たします。長らく74式戦車の時代が続き、2009年に90式戦車の受領を開始しました。
Mimg_2047 大隊本部付の96式装輪装甲車、戦車大隊は戦車を中心に戦車の稼働率を維持し、戦車に必要な補給を行う支援に当たり、加えて戦車中隊単位での普通科連隊戦闘団への派遣に備え訓練水準を高め戦闘能力を最高の状態とする必要があります。このため、戦車大隊は戦車と同程度の各種車両を運用しています。
Mimg_2053 続いて大隊本部の車両が観閲行進を行います。1t半と3t半、よく見てみますと3t半の大型トラックのうち片方の車両は車体前部のキャビンを追加装甲で防護しておりフロントガラスにもその奥には防弾ガラスが装着されているのが分かります。ちなみに1t半と3t半という呼称、73式小型トラックと73式大型トラックという旧称の方が分かりやすいですね。
Mimg_2056 第一中隊の90式戦車、真正面から見ますと凄い迫力ですが、90式戦車は第三世代戦車として必要な高い打撃力と高い防御力を両立した、恐らく我が国での運用を行う上で世界で二番目に強力な戦車です。一番強力な戦車は、この打撃力を維持強化したうえで軽量化と機動力を向上させた最新型の10式戦車ではありますが。
Mimg_2066 90式戦車は三菱重工が製造する国産戦車で、重量50t、全長9.755m、全幅3.43m、全高3.04m。1500馬力の三菱10ZG32WT型2ストローク水冷十気筒ディーゼルエンジンを搭載し最高速度は70km/h、1100?の燃料を搭載して航続距離は実用340km、60‰の登攀力を有し、2.7mまでの幅の対戦車壕や用水路を突破、1mの垂直防壁をそのまま乗り越え2mまでの水深をそのまま突破可能です。
Mimg_2070 しかし、この戦車の特色は攻撃力の高さにあります。主砲は44口径120mm滑腔砲で対戦車用のAPFSDS弾を用いた場合、発射後に音速の五倍で飛翔し約1mの鋼板を貫通します。しかし、この砲弾は重いため世界で広く採用されている120mm砲ですが、走行中に人力で装填するのは揺れる車内では非常な困難を伴います。そこで90式戦車は日本製鋼が開発した自動装填装置を搭載し、揺れる車内でも四秒に一発の速度で装填し射撃できる。
Mimg_2076 120mm砲の照準装置は熱画像暗視装置により霧や夜闇を見通すことが可能で、主砲用火器管制装置は移動目標のロックオン機能を有し、一旦捕捉した目標は百発百中とのこと。防御力は敵戦車と撃ちあう正面部分に京セラと三菱金属(今は三菱マテリアル)が開発したとされるチタン合金とセラミックを内蔵した複合装甲を採用し、高いジェット噴流で熱量を叩きつける対戦車ミサイル、極超高速で運動エネルギーを叩きつける戦車砲弾、双方に耐えられ、乗員を守る装甲が施されており、実験映像では120mm砲弾の連続直撃に耐えていました。
Mimg_2083 50tという比較的軽量に重量を抑えていることも特色です。90式戦車は戦後第三世代戦車に区分されるのですが、74式戦車を含む第二世代戦車は74式戦車やレオパルド戦車にAMX-30戦車といった対戦車ミサイルの時代に入り機動力重視で防御力を断念する設計か、重装甲を採用した分機動力が落ちるのは致し方ないというチーフテン戦車やM-60戦車等により構成されていましたが、複合装甲の技術開発により軽量で重装甲を実現し、戦車用高出力エンジンの開発により攻撃力機動力防御力の両立が可能となりました。
Mimg_2087 しかし、これは重くとも高出力のエンジンがあるので機動力は維持できる、という意味でもあるので、その分重くなります。世界の第三世代戦車はこのため60t台後半という重さになってゆくのですが、仮に日本で運用する場合、60t以上の戦車が火山国で高山部があり地震と水害の多い日本の狭い峠道や路盤の緩い平野部を踏破できるでしょうか、90式戦車は自動装填装置を採用し、車内をコンパクト化することで装甲で守らねばならない容積を局限し、防御力を維持しつつ軽量化を実現、相手の入れない場所に展開して一撃を加える、日本で繋う限り最強の戦車として完成したわけです。
Mimg_2091 第11戦車大隊第2中隊の観閲行進。後方には航空部隊の編隊が見えます、戦車とヘリコプターこの写真とこの構図が撮りたかった。第11戦車大隊は、大隊本部、本部管理中隊、第1戦車中隊、第2戦車中隊、という編制です。しかし、冷戦時代は四個戦車中隊を以て編成されていました。これは、第11旅団が第11師団であった時代、師団隷下の真駒内第18普通科連隊、函館第28普通科連隊、滝川第10普通科連隊に有事の際各一個戦車中隊を派遣し、師団長直轄でもう一個戦車中隊を戦略予備、最後の切り札として配置するためでした。
Mimg_2104 戦車大隊は1991年に、本州の全ての戦車大隊から一個戦車中隊を抽出して北部方面隊の戦車部隊の増強にあてる戦車北転事業が行われ、新しく創設された第317戦車中隊と第318戦車中隊が北部方面隊より第11戦車大隊へ配備され、74式戦車110両を保有することとなりました、これで各連隊に一個中隊を配置しても戦車大隊一個に匹敵する予備部隊が生まれたということ。
Mimg_2110 しかし、冷戦構造の終結により、当面、ロシア軍の戦車師団が複数北海道に上陸する、という脅威の切迫は無くなりました。そこで防衛計画の大綱が改訂され、1996年に第11師団は旅団へ改編される方針が定められます。これにより1996年に第4中隊が廃止、1999年に第318中隊が廃止、2005年に第317中隊が廃止されました。
Mimg_2113 こうして第11戦車大隊は2008年に第3中隊を廃止し、二個戦車中隊基幹へと切り替えられたのですが、2009年にそれまでの74式戦車に代え90式戦車の受領が開始されました。74式戦車は弾道コンピュータと105mm砲を搭載し、地形に合わせ車体を傾斜させ伏せ撃ちを行う油圧式懸架装置を搭載する高度な戦車でしたが、装甲が第二世代戦車の水準であり暗視装置も旧式化しており、縮小ではなくコンパクト化として高性能な90式戦車が迎えられたわけです。
Mimg_2115 もっとも、個人的に疑問が無いわけではありません。こういうのも陸上自衛隊の戦闘部隊基本単位は普通科連隊を基本とした連隊戦闘団であり、普通科連隊に戦車中隊と特科大隊に施設小隊と救急車分隊を配属する旅団的な運用が為されていたわけです。これが警備管区を持ち全国をくまなく配置させることで防衛警備に寄与し、加えて災害時には初動を担う運用が為されてきたのですから、普通科連隊と戦闘団を組むうえで必要な戦車定数と火砲定数を確保するか、普通科連隊への装甲戦闘車配備など代替手段をとるべきだとは思うのですが。
Mimg_2123 将来的には105mm砲を搭載する装輪装甲車として機動戦闘車が配備されるようなのですが、戦車の持つ防御力と火力を併せ持つ機動打撃力は装甲車では代替できるものではありません。そして戦車は攻撃力機動力防御力を併せ持つ陸上装備体系の最高峰に位置するものですから、これが配置されているだけでの抑止力は相当なものです。
Mimg_2125 そして日本には最高水準の戦車を国産する能力があるのですから、戦車により侵略の意図を事前に打ち砕くという抑止の思想から、もう少し優遇され装備を行うべきと信じます。なにより、装甲戦闘車も近年は火器管制装置の高度化で高価になっていますので、下手に各連隊を数個中隊装甲戦闘車で充足するよりは装甲車に留め、その分戦車を配備したほうが予算も節約できるでしょうし。
Mimg_2131 観閲行進に続いて第11飛行隊による祝賀飛行の開始です。ここまでの観閲行進を第11音楽隊が演奏を続けていましたが、その頭上をヘリコプターの編隊が進んでゆきます。第11音楽隊は抜刀隊と祝典ギャロップを観閲行進の間演奏を休まず続けるのですから、このプロ意識といいますか、音楽の職業人としての能力と意志の強さもなかなかのもの。
Mimg_2152 第11飛行隊は札幌市の丘珠駐屯地に駐屯しており、今回はOH-6D観測ヘリコプター三機とUH-1J多用途ヘリコプター三機による六機編隊での飛行を行っています。観測ヘリコプターは特科部隊の索敵や着弾観測と軽輸送に指揮官連絡を行う機体で、多用途ヘリコプターは小銃班程度の空中機動や弾薬などの輸送任務、機関銃を搭載しての火力支援や負傷者搬送にもあたります。
Mimg_2162 祝賀飛行の編隊が真駒内駐屯地の上空を飛行します。こうして観閲行進は完了し、引き続き行われた祝賀飛行は青空を背景に見事完了しました。続いて訓練展示模擬戦が行われます。観閲行進はこのように正面から木立の涼しい日陰と共に迫力の様子を撮影できました、それでは次回から撮影位置を移しての訓練展示模擬戦となります、お楽しみに。
北大路機関:はるな

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零戦の東条逝く 東条輝雄元三菱重工技師・元三菱自動車社長老衰で逝去、98歳

2012-11-14 22:15:26 | 北大路機関特別企画

◆東条英機次男は世界的名機設計の当事者

 我が国屈指の名機零戦の設計に従事し、戦後は国産機開発に活躍した東条輝雄技師が亡くなりました。

Timg_8654_1 零戦設計の技師ということで、直接の繋がりはありませんが今回は21世紀の零戦と表現されるF-2支援戦闘機の写真と共に故人を送りたいと思います。東条技師は1914年生まれ、過去百年で最も厳しい大正十年代生まれであり、実父は太平洋戦争開戦時の首相である東条英機陸軍大将、その次男として育ち、将来は我が国において技術者が何よりも重要との父からの薦めを受け東京帝大を卒業、航空技術者として三菱重工名護や航空機製作所へと進みました。

Timg_0921 東条技師は三菱重工において零戦の開発部門に所属し、強度計算を担いました。当時入手できる1000馬力のエンジンを最大限戦闘機として能力を発揮させるためには極限の軽量化が必要とされ、意峰で戦闘機としての厳しい運用を担うにはその必要な強度を維持しつつ軽量化を行う難題に挑み、併せて長大な航続距離を有する戦闘機として完成しました。結果、格闘戦では終戦時まで改良型が第一線に対応する名機として10000機以上が製造され、大日本帝国と最後まで運命を共にしたことは言うまでもありません。

Timg_70820 終戦と共に我が国は航空産業の道を一旦は途絶させられました。しかし、我が国航空産業の復興と共に日本航空機製造へ出向し、我が国初の国産旅客機YS-11,そして国産ジェット輸送機C-1の開発に携わりました。その後は航空機製造の第一線より退き、三菱重工副社長へ、約30年前の1981年には三菱重工より独立し十年を目の前にした三菱自動車社長に就任、北米事業を進めるなど実績を高めました。三菱自動車社長から会長を経て現役を退き、NHK等に時折出演されてはいましたが、今月9日に旅立たれたとのことです。葬儀は近親者のみで行われたとのこと、ご冥福を祈ります。

北大路機関:はるな

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ゴラン高原でシリア側の攻撃にイスラエル軍反撃 自衛隊PKO任務部隊活動地域

2012-11-13 23:43:50 | 国際・政治

◆事態は非常に緊迫、森本防衛大臣記者会見で

 シリア内戦ですが、シリア側のイスラエル領内への砲撃に対しイスラエル軍が反撃に転じました。

Fimg_8012 写真は陸上自衛隊の99式自走榴弾砲ですが、イスラエル軍はシリアとの国境地域を含めたゴラン高原に第三次中東戦争以来部隊を展開させ、現在はM-109自走榴弾砲と対砲レーダ装置を配備、同じくゴラン高原を隔てて国境を接するレバノンやヨルダンからの攻撃を警戒し、特にレバノン領内からイラン革命防衛隊外殻組織であるヒズボラなどの組織が実施するロケット弾や迫撃砲弾による射撃に対し、砲撃や時には越境作戦などを含め応戦を実施してきました。

Img_6039 そしてこの地域には第四次中東戦争後の、イスラエルシリア戦力引き離し任務として国連PKO部隊が駐留しており、我が国も1996年以降国連兵力引離監視軍司令部要員と警務部隊に加え空輸支援任務部隊を派遣し、第一線へはゴラン高原派遣輸送隊を派遣しています。軽武装も軽武装で、司令部要員は拳銃のみ、小銃も自衛用のみの派遣となっているもので、機関銃なども装備されていますが戦闘などは想定していません。こうした地域へシリア側から砲撃が行われたことは、イスラエル軍の反撃を含め事態を緊張させるものに他なりません。

Img_4469 ゴラン高原でのイスラエル側への攻撃はレバノン領内から実施されるものが多く、実際2006年にはレバノン側からの国境越えロケット弾攻撃の増大に対しイスラエル軍が大規模な越境攻撃によるロケット弾発射拠点及び補給線の寸断を目的とするレバノン侵攻が実施されおり、この際にはフランス軍が機甲部隊を緊急展開させ事態拡大阻止に向かったこともありました。他方で、シリア側は1973年の第四次中東戦争においては千両もの戦車を先頭に奇襲攻撃を実施しましたが、国連PKO部隊駐留後は大規模な戦闘を実施してきませんでした。

Img_6109 今回、シリア側から迫撃砲による攻撃が行われ、イスラエル軍が反撃、野砲により実施された反撃は正確にシリア側の迫撃砲陣地を破壊したとされます。これについて森本防衛大臣は本日の記者会見において、シリア側からの攻撃がどういった主体で行われているかはわからないとしつつ、自衛隊からのPKO部隊に対し危険は差し迫っているという認識をしていないものの、自隊は非常に緊迫しており、隊員の安全を鑑みれば非常に注意して現状の変化を見てゆかなければならない、という点を強調しました。

Simg_4251 森本防衛大臣は、現在東京の防衛省とゴラン高原派遣部隊との間において殆ど毎日、現地指揮官からの情報報告を受けていることを明かし、こうした報告を受けたうえで現在のイスラエルとシリアの停戦合意は継続されているとの判断や自衛隊の派遣部隊に関する安全状況を把握していると述べました。ここで把握されているのは、警告射撃などではなく、具体的にシリア側からの攻撃に対し、イスラエル軍が攻撃を行っている陣地を破壊するために反撃を行った、という事です。

Nimg_4320 大臣が述べたシリア側からの砲撃がどういった主体で行われているかは重要で、反政府勢力が行っているものを別として、武装勢力の混乱に乗じた攻撃であるか、シリア政府の指揮系統に関係するものであった場合には策源地攻撃としてイスラエル側が越境攻撃を行う必要に迫られることもあります。我が国としては指揮系統は国連の指揮系統に参加しているという形を採るため独自の行動を行うことは限定的ではありますが、今後の状況を見守り、派遣と安全確保の在り方についてさらに考えてゆく必要もあるでしょう。

北大路機関:はるな

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エアフェスタ浜松2012(浜松基地航空祭) 今週末実施の航空祭プログラム

2012-11-12 23:02:20 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆浜松基地航空祭飛行展示スケジュール

 浜松基地航空祭がいよいよ今週末に開催されます。名古屋から新快速で、東京から新幹線で一本という好立地にあるこの基地は航空自衛隊発足式が行われた基地です。

Himg_4856 浜松基地は、滑走路北側が会場として開放されるのですが、ご覧の通り逆光です。会場は0800時にゲートが開場開始となり、まず0830時から浜松基地第一航空団のT-4練習機によるオープニングフライトが行われます。このT-4練習機によるオープニングフライトは0915時まで実施されるとのこと。

Himg_5211 0915時より、オープニングフライトに続いてT-7練習機による航過飛行が実施されます。このT-7練習機は浜松基地の機体ではなく、同じ静岡県に所在する静浜基地の第11飛行教育団所属のT-7練習機で、航空自衛隊の操縦士はまずこの機体から訓練を実施するという軽快な機体の飛行をお楽しみください。

Himg_5349 0930時よりF-2支援戦闘機の飛行展示が行われます。T-7とは打って変わって実戦機の激しい機動飛行が実施され、この機体は例年通りであれば岐阜基地の飛行開発実験団所属の機体が飛行展示を行います。ちなみに、整備教育及び整備幹部の教育を行う第一術科学校と第二術科学校はここ浜松基地に所在しています。

Himg_5149 0950時からE-767が離陸し、1000時からのUH-60とU-125の救難展示を挟み、大柄な機体からは想像できない機動飛行を展示します。浜松基地には警戒航空隊本部が置かれ、三沢基地のE-2C早期警戒機とともにこのE-767早期警戒管制機が運用されており、この機体はここ浜松基地でなければ機動飛行の展示は行われません。

Himg_5267 1040時より、F-15J戦闘機により機動飛行が行われます。機動飛行は、小松基地の第六航空団所属の機体が実施するもので、F-2と異なり二機編隊による機動飛行を行うことがあります。写真のF-15Jは垂直尾翼に鮮やかな記念塗装を行っていますが、これは戦技競技会、いわゆる戦競カラーです。

Himg_5404 1100時より、大編隊が行われます。写真は数年前の浜松基地航空祭の写真で、例年T-4練習機が編隊を組んで飛行していましたが、近年は浜松基地所在機混合編隊飛行が行われます。岐阜基地航空祭名物の異機種大編隊が好評を受けて、ということではないでしょうけれども。

Himg_5711 ブルーインパルス飛行展示は1300時から開始されます。ウォークインから離陸まで、少々時間がありますので時間は長く設定されていますが、1300時から1430時までの予定でブルーインパルスは飛行展示を実施、航空祭の飛行展示プログラムは第一航空団のT-4に始まりブルーインパルスT-4の飛行展示を以て完了するようです。

北大路機関:はるな

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しらせ第54次南極地域観測協力任務へ出港! 南氷洋を越え壮途航程二万マイル

2012-11-11 23:21:05 | 海上自衛隊 催事

◆観測隊は豪州合流地点へ25日成田出国

 防衛省によれば、本日東京港を砕氷艦しらせ、が第54次南極地域観測協力任務へ出港したとのことです。

Simg_2687 今回の任務は艦長松田弘毅1佐以下乗員170名が総航程20000マイル、行動日数151日、南極行動日数99日で実施、人員輸送は往路73名と復路77名、物資を往路1082tと復路406tの輸送を実施、このほか艦載機と共に艦上観測支援作業と野外観測支援作業支に加え基地作業支援を実施するもの。

Simg_2710 しらせ、は本日11月11日に東京港を出港、観測隊は25日に成田を出国し11月25日に豪州フリーマントルへ入港する砕氷艦と合流、26日に乗艦し11月30日に同港を出港します。しらせ、は12月5日に南緯55度を越え南極圏に入り2013年2月20日にリュツォホルム湾から南極基地へ到達し越冬隊交代式を実施します。

Simg_2759 3月13日に南極圏を脱し、18日に豪州シドニーへ入港、観測隊は20日に退艦し、しらせ出港は24日、観測隊はそのまま空路3月20日に帰国し、砕氷艦しらせ東京入港は2013年4月10日になるとのことです。本日は京都も生憎の天候で全国的に厳しい天候だったようですが、壮途南極へ、これまでと同じように任務完遂を祈念しましょう。

北大路機関:はるな

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