北大路機関

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零戦の東条逝く 東条輝雄元三菱重工技師・元三菱自動車社長老衰で逝去、98歳

2012-11-14 22:15:26 | 北大路機関特別企画

◆東条英機次男は世界的名機設計の当事者

 我が国屈指の名機零戦の設計に従事し、戦後は国産機開発に活躍した東条輝雄技師が亡くなりました。

Timg_8654_1 零戦設計の技師ということで、直接の繋がりはありませんが今回は21世紀の零戦と表現されるF-2支援戦闘機の写真と共に故人を送りたいと思います。東条技師は1914年生まれ、過去百年で最も厳しい大正十年代生まれであり、実父は太平洋戦争開戦時の首相である東条英機陸軍大将、その次男として育ち、将来は我が国において技術者が何よりも重要との父からの薦めを受け東京帝大を卒業、航空技術者として三菱重工名護や航空機製作所へと進みました。

Timg_0921 東条技師は三菱重工において零戦の開発部門に所属し、強度計算を担いました。当時入手できる1000馬力のエンジンを最大限戦闘機として能力を発揮させるためには極限の軽量化が必要とされ、意峰で戦闘機としての厳しい運用を担うにはその必要な強度を維持しつつ軽量化を行う難題に挑み、併せて長大な航続距離を有する戦闘機として完成しました。結果、格闘戦では終戦時まで改良型が第一線に対応する名機として10000機以上が製造され、大日本帝国と最後まで運命を共にしたことは言うまでもありません。

Timg_70820 終戦と共に我が国は航空産業の道を一旦は途絶させられました。しかし、我が国航空産業の復興と共に日本航空機製造へ出向し、我が国初の国産旅客機YS-11,そして国産ジェット輸送機C-1の開発に携わりました。その後は航空機製造の第一線より退き、三菱重工副社長へ、約30年前の1981年には三菱重工より独立し十年を目の前にした三菱自動車社長に就任、北米事業を進めるなど実績を高めました。三菱自動車社長から会長を経て現役を退き、NHK等に時折出演されてはいましたが、今月9日に旅立たれたとのことです。葬儀は近親者のみで行われたとのこと、ご冥福を祈ります。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (1)
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