北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】松阪城,蒲生氏郷築城の伊勢国守護たる新城郭は数多工法織込む石垣で保つ

2019-11-20 20:04:03 | 旅行記
■伊勢の城下町は豪商の街松阪
 松阪と云えば松阪牛とは早過ぎる発想で此処はそもそも豪商の街であり豪商を育んだ城下町は高台に城郭を望む伊勢の古都です。

 松坂城、三重県松阪市に伊勢一帯を望む高台を城址とした公園です。かのキリシタン大名、蒲生氏郷が築いた城郭の遺構、松阪市に足を運んだ際に、この地に城址公園があると聞きまして場所を聞いた際、石垣のみが残り運動公園となっている旨を聞き寄ってみた次第です。

 石垣こそが今日の松阪城遺構ですが、その縄張りは健在、野面積工法により石垣の基礎としつつ、切り込みはぎ工法により石垣端部を攻城戦の際に浸透されない形状を重視し、一方で算木積みを採用することで石垣そのものを攻城側の崩落攻撃に強い形状としています、この構造は地震にも強い。

 梯郭式平山城構造を採っていまして、1588年に完成、築城者である蒲生氏郷は連結式三重五階天守閣も造営していますが、1644年に天守閣が台風により倒壊します。1959年の伊勢湾台風に並ぶ巨大台風であった事が考えられる災害の後、天守閣は再建されず今日に至る。

 蒲生氏郷は近江国蒲生郡日野にて六角承禎に仕える重臣の子として生まれ、織田信長が足利義昭を奉じた京都上洛に際し六角承禎が所領近江にて上洛を断ち切らんと決戦を挑んだ観音寺城の戦いにて敗北し滅亡、残った重臣は蒲生氏郷を織田信長に人質へ出しました。

 織田信長は出身に関わらず能力主義を採った事で、蒲生氏郷は南伊勢大河内城の戦いを弱冠14歳で参陣し、勲功以て柴田勝家与力へ、越前朝倉氏との姉川の戦いや伊勢長島攻めと天敵武田に織田が挑んだ長篠の戦い、更には天正伊賀の乱比自山城の戦いで勲功を積み重ねます。

 伊勢国へ蒲生氏郷が入ったのは織田信長が本能寺にて明智光秀に討たれた二年後、その蒲生氏郷は本能寺の変当夜に安土城近くに居り、即座に織田一族保護と明智光秀迎撃へ居城の日野城中野城に防備を固め、明智軍に抗戦、勲功以て伊勢松ヶ島城を与えられました。

 清洲会議に天下布武の継承を問うた際、蒲生氏郷が手勢僅か300を以て明智光秀配下明智光春と武田元明と京極高次の猛攻に挑み安土城に佐和山城と長浜城が攻略される中でよく耐え、羽柴秀吉が山崎の戦で明智光秀を討つまで持久した事が高く評価、所領を得るに至る。

 小牧長久手の戦いとして戦国時代は羽柴陣営と織田と徳川連合へ東日本と紀州四国の徳川陣営盟約を寸断する事で優位に立つ事で安定時代に入り、形式的和睦を経て徳川家康は所領を三河遠州を関東へ、蒲生氏郷は伊勢長島の織田信雄を監視へ伊勢国を与えられました。

 松ヶ島城が伊勢国守護の城郭でしたが、近江出身の蒲生氏郷には伊勢湾に面した防備一点の松ヶ島城では万一の際の籠城長期戦に耐える城下町を開発できないとして四五百森へ城郭造営を即断、これが松阪城となりまして、伊勢湾商都松阪、その歴史はこうして始まるのですね。

 蒲生氏郷は平時の城郭は天守閣の威容を以て治め、戦時の城郭は石垣を以て守る、との認識の如く充実した石垣の造営を期して、近江より築城集団穴太衆を呼び寄せ、安土城と比肩する城郭を造営しました。松阪城遺構は石垣のみですが、天守再建の動きはありました一方、今に至る。

 小田原攻めを以て北条氏を豊臣秀吉が打ち破った際に、更に戦功を重ねた蒲生氏郷は秀吉より陸奥国会津60万石という破格の大封を以て会津若松城へ移り、服部一忠が入城しますが豊臣秀次事件に連座し自刃、古田重勝が入城、関ヶ原の戦いの功名を以て加増されます。

 古田重勝より家督継いだ古田重治は大坂の陣での勲功と共に石見国浜田藩5万4000石に移封、その後松阪藩は紀州藩へ編入、二の丸御殿に城代が置かれていました。廃藩置県後も城郭は維持されるも、1877年に失火で御殿は焼失、今日は石垣のみ往時の栄華を伝えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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安倍総理在任期間歴代最長と戦後レジーム脱却【1】遠い道のりと不協和音が潜在の日米安保

2019-11-19 20:08:54 | 国際・政治
■桂首相在任2886日を凌駕
 戦後レジームからの脱却、この指針は意外な程に難しいのかもしれませんが終戦から永く時が経ちまして脱却できない我が国を視る世界の視線には不協和音が生じ始めます。

 安倍首相の在任期間が桂首相、歴代一位の在任期間を越えて憲政史上最長となりました。平成初期には一年未満の短命首相が続き、日本が確たる国家指針を示すことが出来ないとの揶揄は国内外からも続き、そして政党政治は連立政権とともに大選挙区制度の宿命として多党化が進み対案が曖昧模糊とした野党による揚足取的な大衆迎合主義化が進みました。

 国の指針が定まらない中で首相のみが交替しますと、官僚主導に収斂し、其処で政治が主導権を無理に求めますと朝令暮改的な施策となってしまう為、この点で長期政権は歓迎すべき点なのかもしれませんが、安倍総理が就任前からの政治方針として掲げる憲法改正による戦後レジームからの脱却は道半ばというよりは端緒で鳴動している印象が拭えません。

 在日米軍駐留経費分担金を四倍とする必要がある。アメリカ外交専門誌が更迭されたボルトン大統領補佐官の補佐官就任中に日本側へ伝えた内容が紹介され、NHKはじめ国内メディアでも報道、これが一種の驚きとともに伝えられたのは安倍総理の在任期間歴代最長を迎える二日前でした。一見無関係に見える在日米軍駐留経費増額の意向と本論は関係深い。

 戦後レジームからの脱却は、在日米軍分担金の問題、具体的には日米同盟に基づく防衛努力義務を日本がアメリカと同等に果たしているか、ということ。これは日本が信頼に足る同盟国なのか、アメリカが我が国周辺事態へ介入する際に防衛協力が確実視出来ない場合、日本が1991年湾岸戦争に際し100億ドル戦費負担を行ったような施策の方が上策となる。

 我が国自衛隊は専守防衛の枠組みの中で、沖縄に中国軍が上陸し、北海道にロシア軍が上陸し、博多に蒙古の軍勢が上陸した際には全力でその能力を発揮するでしょう。しかし、これは一部識者に本土決戦主義と揶揄され実のところ当方も憲法上自衛権を完全に発揮できる状況は本土決戦しか憲法上許されない、という状況の単なる率直な反映にすぎません。

 本土決戦主義に収斂した日本国憲法上の防衛政策、そして本土決戦となった状況では既にシーレーンが途絶し国民生活は破綻している為に、投了状態である事も事実でしょう。防衛努力について、日本は戦車と戦闘機と護衛艦をこれだけ有している、という実数よりも、必要な地域にどれだけ投入できるのかが、アメリカにとって同盟国としての問題なのです。

 台湾海峡有事となれば、現行法では重要影響事態として自衛隊がある程度は展開可能、漸く法整備されましたが、それならば護衛艦隊をどこまで作戦に展開させられるのか、空挺部隊を台北に米軍が展開させる際に後方支援として第1空挺団や即応機動連隊を台湾へ派遣する事は可能なのか、具体的施策は示されず、現行法で可能な限定列挙には含まれない。

 南シナ海での航行の自由作戦が通じず当該海域が封鎖された場合に自衛隊のF-35Aとイージス艦をフィリピン方面に派遣しアメリカの空母打撃群と共同行動をとることは可能なのか。朝鮮半島ミサイル危機に際して米軍機が半島北部に行方不明となった場合に航空自衛隊救難部隊を半島北部へ米軍戦闘救難部隊と統一行動を採って救出させることは可能か。

 朝鮮半島有事の際に緒戦で韓国軍が崩壊した場合に第2師団と第7師団を米軍第3師団と連携させ韓国崩壊から建て直しまでを支援できるか、など。ただ、日本側の視点としては、在日米軍は日本領土を守る為ではなく、西太平洋地域の安定化に資するべく施設を貸与させ、結果の恩恵を日本は受け日本国土そのものは自衛隊が守るという云い分がありますが。

 本土決戦まで何もしない、憲法上できないのだが、本土決戦となれば本気で対応する。これは野田内閣時代までの厳しい現実でした、本土決戦にならない場合でも限定的に対応できる項目は特措法で整備し、何かあるときに備えるのではなく何かあってから議論する。アメリカ側の視点としては、こう、アンフェア、に映る事は残念ながら否定できません。

 橋本龍太郎総理の時代。上記視点を示しますと、しかし橋本内閣時代に周辺事態法が整備されているため、本土決戦の緒戦として沖縄近海や日本海での米軍協力は可能である、という態勢でしたし、自国民を紛争地域から救出することは出来ないが戦闘がない場合に移動させる事は出来る法整備は完了しました。この点で全く動けないのではありませんが。

 宮沢喜一総理の時代。宮沢内閣時代までは国連の活動に自衛隊を限定的に参加させることも完全に鎖国状態を強いていたのです。逆説的に、以前がこの状態でしたので現在の憲法解釈と平和安全法制だけでも、充分不測事態に対応できる、と誤解する自己過大評価が世論としてあるのかもしれません。出来ない事は無い、しかし基本は本土決戦、憲法はこう。

 本土決戦主義、なるほど沖縄本島に中国軍が上陸し、あらかじめ展開した陸上部隊とアメリカ第3海兵師団が協同するならば、前回ほど酷い地上戦とはならないでしょう。ただ、東日本大震災よりは犠牲者が多くなる可能性はある。前回の沖縄戦では東日本大震災の五倍もの県民が犠牲となっていますから。憲法は目的ではなく手段として平和を用いるゆえ。

 現行憲法、この視点で言い換えれば、本土決戦まで何もしないという施策の危険性とともに、前回は本土でも沖縄と硫黄島が陥落したのみであるのに、なぜ敗戦に追い込まれたかと問われれば、シーレーンを維持できなくなった時点で既に国が採れうる選択肢が無かったため、という状況があります。本土決戦主義では防衛が必ずしも成り立たない、しかし憲法上収斂している、この部分の土台が曖昧で有る故に防衛政策にも日米関係にも不協和音があるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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百里基地航空祭2019撮影ガイド,RF-4戦術偵察機ラストステージと日の丸ファントム大集合

2019-11-18 20:01:07 | 旅行
■首都防空担うファントム王国
 首都防空の重責担う百里基地は三個飛行隊のファントムが集ったのも少し前まで、来年度からはF-2戦闘機の配備が開始されます。

 ファントムの航空祭。百里基地航空祭は12月1日に本番、前日11月30日には周辺住民関係者対象の特別公開が本番同一プログラムにて実施されます。RF-4戦術偵察機最後の年であり年々最新鋭F-35ライトニングに置き換えられるF-4ファントムの航空祭です。ファントムは古い、F-4Eを日本でライセンス生産したEJ改ですが、原型は1959年初飛行だ。

 現役の日の丸ファントム、だからこそ自衛隊ファントムは世界の航空機愛好家からも注目されている。航空祭プログラム、注目の航空祭なのですが、しかし今年の航空祭飛行計画は、鬼門だ。F-4戦闘機、ファントムが主役の航空祭ですが、オープニングフライトが0830時におこなわれ、ここでRF-4偵察機とF-4戦闘機が6機編隊での航過飛行を行います。

 6機編隊、これが航空祭で最大規模の編隊飛行でして、要するに0830時には撮影位置に到達しておく必要がある、これはシャトルバス利用の場合は0500時に石岡駅前に並んでおきたい、という。0915時からRF-4偵察機による写真撮影があり、これは百里航空祭ならではの名物です。そののちに0945時よりUH-60とU-125の救難飛行展示が実施されます。

 F-15戦闘機が1035時より一機飛来し機動飛行を行い、1100時よりブルーインパルス飛行展示が行われるのですが、最大のメインであるファントム機動飛行は1330時からF-4戦闘機三機による模擬緊急発進と対地攻撃展示、1415時からRF-4偵察機二機による戦術偵察展示が行われます。ファントムの航空祭、これがどういうことかといいますと、混むのだ。

 ブルーインパルスの飛行展示にあわせて会場が満員となったまま、メインの飛行展示をファントムが行う構図ですので、全体に混雑は凄いことになるのですね。RF-4偵察飛行まで見ていますと、石岡駅到着は1800時を過ぎるかもしれません、そうとう時間に余裕を持って、それこそもう一泊か最終の特急指定席を確保する等の、余裕も必要かもしれません。

 ファントム、それは世界中で5000機が量産され運用されたもので、自衛隊もEJ型を141機取得、偵察機にはEJからの改造を含め40機を運用してきましたが、そろそろ限界を迎えています。ファントム、しかし日本防衛へ貢献は計り知れないものがあり、だからこそ現役の間にしっかりと撮影しておきたい。本年の百里は自衛隊ファントム王国の転換点だ。

 戦術偵察機時代の終焉を告げる分岐点ともいえます、が、百里基地は行くのが難しい。茨城県の自衛隊基地ということで首都圏の飛行場ではあるのですが、同じ首都圏の航空自衛隊基地である入間基地が基地内に駅があるのに対して百里基地は2007年まで基地の目の前に鹿島鉄道線が運行されていたものの廃線となり、交通が非常に不便となっています。

 百里基地最寄り駅は15km離れたJR常磐線石岡駅となっています。この15kmというのは言葉に直せば簡単ですが京都駅から叡電の鞍馬駅までの距離に匹敵しまして、直線ではなく道路沿いに行くならば徒歩でも三時間半から四時間は要します。常磐線石岡駅、ここからは航空祭当日に有料シャトルバスが運行されています。航空祭に行くにはバスが一番だ。

 JR石岡駅からのシャトルバス、ただ基地周辺の交通は航空祭当日に爆発的に増大するとともに、航空祭以外の通年で石岡市内国道六号線周辺が渋滞する事が多く、航空祭当日は相当時間に余裕を持った行動が必要でしょう。特にブルーインパルス飛行の後にシャトルバスを利用しますと、バスに乗るまで一時間半、駅まで二時間半、ということもあります。

 大洗。大竹。航空祭臨時駐車場は大洗、ガールズ&パンツァーの聖地として有名な大洗に大量に確保され、此処からシャトルバスが運行されます。大洗から百里基地までは20km離れていまして、ここからバスで移動するのは所要時間でバス会社によれば昨年実績値で45分から80分とのこと。大洗から長時間で大変です、が、完全事前予約制で問題を解決した。

 基地へ。駐車場は時間帯ごとに事前抽選予約制となっていまして、夜明け前から指定時間ごとに駐車場へ入場し、そこから入場時間に応じてシャトルバスが振り分けられています。一見面倒そうにみえるこの方式ですが、大洗と言えばガールズ&パンツァーだけではありません、関東屈指の海水浴場があるのですね。大洗サンビーチと大竹海水浴場があります。

 大洗海水浴場には当然関東屈指の駐車場適地がありまして、ここに航空祭の膨大なマイカー利用者を収容する、という狙いがあるのです。実は後の時間帯ほど駐車場券は空きがあるのですが、直線距離20kmの移動はやはり時間を要しますので、あまりゆったりと移動していますと大編隊を撮影できない、ということもあり得ます。事前の計画がものを言う。

 ただ、駐車場は事前予約、シャトルバスについても事前決済制となっていますので、駐車場券を確保していない場合は、始発電車を利用することとなりますね。基地周辺に駐車場は皆無ですし茨城空港は空港利用者以外駐車場を利用できません。無理を通すとなりますと、周辺の農家の方へ個別交渉するか、いっそ空路で往復して駐車場を利用するか、と。

 航空祭事前予行、航空祭を満喫するには全てを当日にかけるのではなく前日に実施される事前予行を茨城空港から撮影する、という選択肢もあるでしょう。茨城空港、百里基地は海軍百里飛行場跡地を活用し創設されて以来長らく自衛隊飛行場となっていましたが、2010年に茨城空港が開業し官民両用飛行場となりました。基地から筑波山の方角に空港だ。

 茨城空港。実はこの茨城空港開業により、百里基地周辺に公共交通機関が残るところとなっていまして、かしてつバス石岡ルートとしまして茨城空港と石岡駅を結ぶ直通路線が整備されることとなりました。かしてつバス、これは廃止となりました鹿島鉄道線を利用した路線で、もちろん鉄道ではなくバスではあるのですが専用道を通行し渋滞を回避します。

 かしてつバス石岡ルート、7kmの区間を線路跡地に敷設したバス専用道が整備されています。このバス専用道を利用しますと在る程度は渋滞を回避し航空祭を眺められるのですね。茨城空港は緑地広場の中央部に小高い丘陵地がありまして、もちろん高低差は徒歩十秒というくらいなのですが、ここからが眺望良好、航空祭予行や本番を此処から撮影する方も。

 もっとも茨城空港は難点がありまして、午前中逆光なのですね。航空祭予行を逆光でも一応撮影しまして、しかし、本番の日にはある程度緩やかな気持ちで基地に入場し散策する、こうした選択肢もありえるかもしれません。もっとも予行撮影に際しては駐車場がほぼありませんので、空港までの公共交通機関か、周辺農家の方と個別交渉する事になりますが。

 ファントム、世界中で人気です。世界中で使われたこともありますし、ヴェトナムでもアメリカ軍が活躍させた。世界中で退役が進むなかで日本ではアメリカマクダネルダグラス社より三菱重工がライセンス生産を実施、国内部品予備供給基盤が構築されている為に稼働率が維持でき、レーダーや装備の改良と改造も続け第一線での能力を維持できました。

 基地からの撮影ですが、基地には滑走路沿道も開放されていますので、地上展示を決まった時間帯に撮影する事として、滑走路を観える区域から撮影するか、早い時間帯に基地開門前に並び、若しくは人垣越しに航空機発進の情景を撮影する、という選択肢があるでしょう。混雑はしますが交通難所故に、あの入間基地とは比較にならない程余裕があります。

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【G3X撮影速報】明野航空祭2019.伊勢に舞う令和元年航空学校創設記念行事(2019-11-03)

2019-11-17 20:02:28 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■XUH-2初公開とOH-6D退役
 令和元年明野航空祭、前回の前篇に続きまして本日はその後篇を紹介しましょう。今回の航空祭では陸上自衛隊ヘリコプター世代交代という歴史的瞬間も立ち会えました。

 第5対戦車ヘリコプター隊のAH-1S対戦車ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプターは1mに満たない胴体から射程3750mのTOW対戦車ミサイルと70mmロケット弾に20mm機関砲を駆使し、木々の狭間や稜線の薄空より敵戦車を一両二両毒牙に掛けるのが任務だ。

 UH-1J多用途ヘリコプター、UH-60JA多用途ヘリコプター、自衛隊は1999年よりUH-1J多用途ヘリコプターの調達をUH-60JA多用途ヘリコプターに切り替える構想でしたが、戦車は10億、後者は35億、高性能ながら取得費用が高過ぎ、結局並行調達に妥協しました。

 UH-60JA多用途ヘリコプター、取得費用が高くなった背景にはFLIRや気象レーダー等の救難ヘリコプターや特殊戦ヘリコプター並の器材を搭載した為です。しかし平成一杯に渡り東日本大震災含め災害活躍では日夜豪雨濃霧問わず大活躍、もっと数が必要だとおもう。

 OH-6D観測ヘリコプター、特別塗装機が飛行展示を行う。いやいや、流石はOH-6D観測ヘリコプター卒業式、卒業は年度末ですので卒業披露式か、軽快な運動性能を持つOH-6D観測ヘリコプターの威力全般を誇示した様子、OH-1観測ヘリコプターへと道を譲る事に。

 OH-1観測ヘリコプター、何と上空でOH-6D観測ヘリコプターとの引継式典を行う為に颯爽と飛来して参りました。このOH-1観測ヘリコプターはエンジン欠陥が判明し永らく飛行停止となっていましたが漸く四月から飛行再開に漕ぎ着けまして、航空祭参加久しぶり。

 三機編隊のOH-6D観測ヘリコプター、現代戦では防空火力の長射程化と広範普及により双眼鏡による特科火砲着弾観測は生存性に厳しい現実が突き付けられていまして、観測ヘリコプターとしての任務には、確かにOH-6D観測ヘリコプターでは厳しいのかもしれません。

 OH-6D観測ヘリコプターの軽快な運動性能、しかし、例えば特殊戦ヘリコプターとしては用途がありますし、観測任務以外に連絡任務や救急搬送任務であれば、OH-6,その原型であるMD-500小型ヘリコプターについても、まだまだ活躍できる幅は広い様にも思うのだが。

 UH-2新多用途ヘリコプター初公開式典、UH-1J多用途ヘリコプターの後継機としてベル412EPIを原型に開発されました。ベル412は富士重工でもライセンス生産されていますが、UH-1Jと比しエンジンを双発化し安定性を強化するとともにローターを四枚翅化している。

 ベル412EPIはベル412を更にグラスコックピットやエンジン系統を近代化したもので原型は2013年にカナダで初飛行しました比較的新しい機体です。開発は富士重工SUBARUにて実施されまして、今後の量産も富士重工SUBARUにて実施、約100機を導入予定だ。

 XUH-2という名称ですがこれは評価試験中の新型機である為で、来年度にはUH-2として飛行展示に参加する事ともなるのでしょう、OH-6D観測ヘリコプターという一機種が自衛隊を卒業しますが、UH-2多用途ヘリコプターが、自衛隊に新入隊するという構図ですね。

 XUH-2初公開式典、他の機体は滑走路上の飛行は駐屯地外柵沿いの道路から撮影しますと真正面から単縦陣で見える故に外から撮影する事も一瞬考えたのですが、こうした“式典”の特に“初公開式典”という厳粛な情景は、会場から撮り聞き眺めた方がよいでしょう。

 状況開始へ。明野航空祭2019は訓練展示へ展開しました。訓練展示は巨大水害により一部地域が孤立したという、今起きるかもしれない、そして今年も各所で発生した状況へ災害派遣展示として自衛隊の能力一端を示す展示となっています。孤立者が救助を求めている。

 第33普通科連隊の災害派遣部隊がUH-1J多用途ヘリコプターにより進出します。明野駐屯地は三重県伊勢市に所在しますが、第33普通科連隊は久居駐屯地、旧久居市で現在の津市に駐屯しています。近鉄電車ですぐ隣、という立地で航空祭に駆け付けた構図ですね。

 災害派遣展示では救助を求めていた被災者が骨折していたとの想定で、災害派遣に展開した第33普通科連隊により救出され、UH-60JA多用途ヘリコプターにホイスト救助されてゆきました。UH-60JA多用途ヘリコプターはエンジン出力に余裕があり、安定している。

 CH-47JA輸送ヘリコプターより災害派遣地上部隊が増派され、更なる孤立地域を探し情報収集へ前進する、というところで災害派遣展示は状況終了となりました。伊勢市の航空学校ですが今年は伊勢湾台風から60年、災害の脅威は全国民が油断なく備えねばなりません。

 明野レインボー飛行展示へ。AH-1S対戦車ヘリコプターとUH-60JA多用途ヘリコプターとTH-480練習ヘリコプターとが編隊を組んで飛来しました。明野レインボーは航空学校教官により毎年臨時編成される陸上自衛隊唯一のアクロバット飛行を行う飛行部隊です。

 TH-480練習ヘリコプター、意外な程に機動力を発揮します。練習ヘリコプターという事で必要最小限、自動操縦も精密航法も簡易機能のみという機体ですが、練習にはこれで充分とも。しかし良く聞けばその前に使っていたOH-6D観測ヘリコプターの方が良い、とも。

 航空学校祭ということもあり、流石はと視線を移せば会場は満員です。その向こうにはCH-47JA輸送ヘリコプターとCH-47J輸送ヘリコプターとが、地上滑走体験に備えて準備を進めています。満員の会場とヘリコプター、この構図こそ航空祭の象徴的情景でしょう。

 AH-1S対戦車ヘリコプターが機動飛行を始める。96機が取得されたAH-1S対戦車ヘリコプターは62機のAH-64D戦闘ヘリコプターに置換えられる計画でしたが、予算難により取得は13機で中断、更に事故で1機が墜落し、航空打撃力は現在危機的状況にあるのです。

 TH-480練習ヘリコプターの編隊飛行、AH-64D戦闘ヘリコプターの機数不足と老朽化で着々と減勢するAH-1S対戦車ヘリコプター、陸上自衛隊は対戦車ヘリコプターを中央に一括運用する事で定数割れではなく部隊を削減し、即応体制を維持する苦肉の策を取る、と。

 UH-60JA多用途ヘリコプターの機動飛行。このUH-60JA多用途ヘリコプターの災害派遣における目覚しい活躍をみますと、当面はAH-1S対戦車ヘリコプター後継にUH-60JAに対戦車ミサイルや機関砲を搭載するHH-60方式の派生型を配備しては、とも思いますね。

 明野レインボー飛行展示はこうして完了しました。拍手と共にTH-480練習ヘリコプターの編隊飛行の退場を見送ります。当方はPowershotG3Xと共にEOS-7Dを連結して撮影しているのですが、そろそろ体力の限界というところでした。私も撮影と共に拍手で送る。

 CH-47J輸送ヘリコプターの地上滑走展示、式典が終了しまして、友人共々駐屯地の中の展示を色々と見て回ってゆきました。CH-47J輸送ヘリコプター地上滑走展示は先着500名ということで整理券は入手できませんでしたが、前乗った際には良い経験ができたしたよ。

 XUH-2初公開とともにCH-47J輸送ヘリコプターの地上滑走展示を望見する。さて、2012年以来久々の、本当に久々の明野航空祭でした。混雑が凄い事にやはりという印象を持ちつつ、飛行展示の内容が一新されていた事が、航空祭を新鮮に楽しむ事が出来ましたね。

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【G3X撮影速報】明野航空祭2019,伊勢に舞う令和元年航空学校創設記念行事(2019-11-03)

2019-11-16 20:10:49 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■大空を往く自衛隊機大編隊
 本日は先日挙行されました明野航空祭、三重県伊勢市の航空学校明野本校での創設記念日の様子を紹介しましょう。

 明野航空祭2019、式典開始と同時に続々とUH-1J多用途ヘリコプターが離陸してゆきます。式典開始と同時に部隊が行進で入場整列し、旗の敬礼動作と共に迎えられた指揮官が訓示する、こうした自衛隊行事の流れが基本形と考える当方には一斉離陸には驚いた。

 AH-1S対戦車ヘリコプターも次々と離陸してゆく、機体に番号が記載されているのは航空学校教材、奥に待機しているのは中部方面隊第5対戦車ヘリコプター隊の機体です。式典開始と同時に一斉離陸、考えてみれば前来たのは確か2012年でした、随分変わりましたね。

 編隊離陸、明野航空祭と云えば並ぶ航空機の列線を背景に航空科隊員が整列し、航空機と水色が示す航空科部隊旗が航空祭というよりは駐屯地創設記念行事、という印象であったのですが、令和時代の明野航空祭、なるほど昨今は躍動感とともに開幕するという試みだ。

 国旗入場、日章旗が白地に真紅を染め抜いて群青の秋空に映えながら颯爽と車両にて入場し、来場者は一斉に起立し国旗を迎えます。厳粛な行事の情景ですが、何か目の前にUH-1やOH-1を二機か三機、この式典会場に見える地上展示へ残しておいてほしかったですね。

 航空学校長陸将の訓示。指揮官訓示も整列した隷下部隊の式典参加隊員へ呼び掛ける形式に慣れている当方としましては、来賓とOBと来場者と報道に直接向き合うかたちでの高空学校長挨拶、新鮮でした。ただ、背景に航空機が一機も居ない情景が、なにか寒い。

 大編隊、PowershotG3Xの長望遠ズーム能力が遥か彼方に編隊を組む機体を一望しました。PowershotG3Xと共にEOS-7Dを連結して撮影しているのですがPowershotG3Xの最大望遠は2400mm、EOS-7Dには新機材である100-400mm望遠を装着して撮影しています。

 TH-480練習ヘリコプターを先頭に大編隊を組む航空機、2012年以来の明野航空祭という話題ですが実はTH-480の編隊飛行を視るのも今回が初めてです、単機で訓練飛行する様子は何度か見たのですが、性能の関係でしょうか、伊丹や守山には飛来してくる事は無い。

 UH-1J多用途ヘリコプター、UH-60JA多用途ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプター、OH-1観測ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプター、CH-47JA輸送ヘリコプター、LR-2連絡偵察機、見よ堂々の大編隊、見上げる観衆上空を航過飛行する航空祭らしい構図です。

 OH-6D観測ヘリコプターは今年度末を以て最後の機体が除籍され、陸上自衛隊の、いや自衛隊全体での運用が終了します。海上自衛隊でも練習機として運用されていましたが既に除籍されており、MD-500シリーズとの自衛隊の長い付き合いが終幕、何か寂しいですよ。

 航空学校の機体が大編隊を構成します。AH-1S対戦車ヘリコプター、UH-1J多用途ヘリコプター、TH-480練習ヘリコプター、航空学校教官を中心とした編隊飛行です。このTH-480練習ヘリコプター編隊は航空学校本校と航空学校分校ならではのものといえるでしょう。

 TH-480練習ヘリコプターはアメリカのエンストロム社製でMD-500やシュワイザー333と総合評価方式での入札の結果取得されました。実はMD-500が採用されていたならば、軽観測ヘリコプターとしてOH-6Dの後継にOH-6DAとして運用されたのかもしれません。

 第10飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプターとOH-6D観測ヘリコプター、青空に映えている、OH-6D観測ヘリコプターの自衛隊卒業式にはまさに伊勢の青空が卒業を祝う形です。UH-1J多用途ヘリコプターとOH-6D観測ヘリコプターは自衛隊の一時代を築いたもの。

 第5対戦車ヘリコプター隊のAH-1S対戦車ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプターは富士重工で96機がライセンス生産され、全国の各方面隊に五個対戦車ヘリコプター隊が編成、航空学校にも飛行隊の半数分の機体賀教材として配備、冷戦末期の本土を防衛しました。

 CH-47JA輸送ヘリコプター、LR-2連絡偵察機、こちらは遠く木更津駐屯地からの参加です。UH-60JA多用途ヘリコプターは航空学校の器材です。LR-2連絡偵察機は第1ヘリコプター団に集中配備されている機体でして、航過飛行の後はそのまま帰投してゆきました。

 UH-1J多用途ヘリコプター、UH-60JA多用途ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプター、CH-47JA輸送ヘリコプター、LR-2連絡偵察機、祝賀飛行は一回航過飛行を行うのみ、航空自衛隊航空祭の様に何度も航過飛行はない、一回勝負です。

 OH-1観測ヘリコプタージュニア、AH-1S対戦車ヘリコプタージュニア、機動走行展示です。デフォルメ化こそされていますが、OH-1観測ヘリコプターとAH-1S対戦車ヘリコプターの形状、その特色をしっかりと再現されていますね。新しい明野航空祭の名物という。

 OH-1観測ヘリコプタージュニア、AH-1S対戦車ヘリコプタージュニア、機動走行展示には女性自衛官も参加していまして、女性の進出を象徴する展示となっているのですが、他の駐屯地とあわせて、なにか女性活躍が強調され過ぎており、逆に特別視される印象も。

 来賓はOH-1観測ヘリコプタージュニアとAH-1S対戦車ヘリコプタージュニアの妙技に注目していますが、UH-1J多用途ヘリコプター、UH-60JA多用途ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプター、CH-47JA輸送ヘリコプター、戻ってきた。

 TH-480練習ヘリコプター、UH-1J多用途ヘリコプター、UH-60JA多用途ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプター、CH-47JA輸送ヘリコプター、滑走路へ着陸すべく進入します。画面いっぱいに収まる分、航過飛行よりも迫力が凄いです。

 AH-1S対戦車ヘリコプターとUH-1J多用途ヘリコプター、編隊で滑走路へ、AH-1S対戦車ヘリコプターもUH-1J多用途ヘリコプターも原型はベル204中型ヘリコプターですので、遠くから小さなシルエットだけを見ますと一瞬、同型機の四機編隊にみえてしまいますね。

 観閲行進のようにAH-1S対戦車ヘリコプターが会場正面を飛行します。背景には民有地の太陽光パネルが。実はこの滑走路上観閲飛行は駐屯地外柵沿いの道路から撮影しますと真正面から単縦陣で見えるという。AH-1S対戦車ヘリコプターの単縦陣飛行は、迫力が凄い。

 OH-6D観測ヘリコプターとUH-1J多用途ヘリコプター、OH-6D観測ヘリコプターの卒業披露式典ともいえる。もっともOH-6D観測ヘリコプターは180機調達されるも後継が33機のOH-1観測ヘリコプター、なにか統廃合される学校の卒業式を思わせてしまいますよ。

 UH-60JA多用途ヘリコプターとOH-6D観測ヘリコプター、映画のブラックホークダウンを思わせる、組み合わせですね。もっとも映画のブラックホークダウンのコンビ、あれはMH-60特殊戦ヘリコプターとMH-6特殊戦ヘリコプターの組み合わせですが。原型は同じ。

 CH-47JA輸送ヘリコプターとUH-1J多用途ヘリコプター、とおもいきやCH-47J輸送ヘリコプターでしたか。こうして滑走路上をエンジンの排気とローターの轟音とともに次々とヘリコプターが進む、陸上自衛隊航空祭の真骨頂を感じる情景が展開されていました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和元年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.11.16-11.20)

2019-11-15 20:10:35 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 紅葉という冬のしらせが徐々に感じさせられる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の陸海空自衛隊行事紹介です。

 徳島航空基地開庁61周年記念航空祭、17日日曜日に徳島航空基地にて開催されます。徳島教育航空群の展開する基地でTC-90練習機を装備する唯一の航空基地となっています。その行事は航空機地上展示とエクストラ300による民間曲技飛行展示で、地上展示にはTC-90にくわえ海上自衛隊の各種航空機と航空自衛隊T-4練習機が展示されるとのこと。

 徳島航空基地は小松島航空基地からちかく、徳島空港と滑走路を共有する基地であり、徳島までは南海電鉄和歌山駅から南海フェリーにのりかえ、京阪神地区からも比較的便利に行くことが出来るでしょう。徳島航空基地では一部駐車場が確保されているとのことですが、市内からのシャトルバスも運行されていますので、こちらも併せてご利用ください。

 姫路駐屯地創設68周年記念行事、日曜日に執り行われます。姫路駐屯地は国宝白鷺城として有名な姫路城を眼下に納める丘陵地帯に位置しまして、第3師団隷下の第3特科隊と第3高射特科大隊が駐屯しています。第3特科連隊が特科隊へ縮小改編された際に特科火砲は45門縮小されましたが各種装備を取り揃えた、全般支援火力戦闘部隊として今に至ります。

 特科部隊行事であることから目玉はやはりFH-70榴弾砲、訓練展示では発砲焔を一閃させ空包射撃を実施、中隊規模の特科火砲が砲列を敷きまして、同時に空砲射撃を展示する様子は勇壮の一言につきます。また、レンジャー隊員による姫路レンジャー展示も、爽快な解説と間近の迫力とともに展開され、こちらも中部方面隊屈指の名物といえるでしょう。

 出雲駐屯地創設66周年記念市中パレード、第13旅団隷下の第13偵察隊が駐屯する出雲駐屯地の記念行事です。第13師団の旅団改編後に北朝鮮工作船事案などが発生し、日本海側の防衛警備と沿岸監視が強化され維持されている駐屯地です。駐屯地祭は夏祭りにあわせ完了していますが、日曜にパレードが市内くにびき中央通りにて0945時より実施されます。

 この市中パレードに先立ち0915時から、やはり市内くにびき中央通りにて喇叭演奏が執り行われまして、また出雲市役所では装備品展示も行われます。出雲駐屯地は毎年夏に訓練展示を含む駐屯地夏祭りが行われ、市中パレードを分け実施しています。これは偵察隊のみの駐屯地故に式典遂行に限界があり小規模駐屯地ならではの厳しい現実といえましょう。

 海上自衛隊艦艇広報について。舞鶴基地や佐世保基地と呉基地週末艦艇広報の他、各地の一般公開は以下の通り。補給艦ましゅう北九州港一般公開、福岡県北九州市北九州港西海岸地区門司2号岸壁にて土曜日と日曜日に実施されます。水中処分母船3号田子の浦港一般公開、水中処分員の母船が静岡県富士市田子の浦港富士2号岸壁にて日曜日一般公開へ。

 水中処分母船6号名瀬港おしごとテーマパーク一般公開、鹿児島県奄美市名瀬港観光船バースにて日曜日に一般公開されます。また週明けの来週ですが、ミサイル艇しらたか古仁屋港一般公開が鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋港船津岸壁にて20日水曜日に実施されます。一般公開についての、詳しい時間などは地元の地方協力本部やリンク先等をご覧ください。

 さて撮影の話題を。自衛隊関連行事に際して、撮影を行う上での注意といいますか必携の装備品についてです。レンズペン、レンズを磨くための装備品ですね。実のところ撮影を行うには一眼レフでも一眼カメラでもコンパクト機種でもスマートフォンでも、レンズを用いた撮影機材を使います、レンズのないカメラ、例外はまあ、手製のピンホールカメラくらいでしょうか。

 レンズにわずかな指紋でも袖に触れたための皮脂でも、なにか付着していますと確実に何らかの影響が生じますし、また、雨滴を布で拭いた際にも僅かな脂紋が付着します、これは多少の近距離被写体には影響がないのですけれども、望遠や、特に極限状態で撮影するさいには看過できない影響が生じまして、丹念確実に、ふき取る手段が必要となります。

 レンズペンはレンズ部分に付着しました様々な撮影への影響を、取り去ると言いますか、取り除くことが出来る携帯式の機材です。有れば万一の際に重宝、ないと非常に不便に思う。重要なのは必要と感じる際には撮影に支障が生じている時点でして、ここで購入に走ったのでは多くの場合手遅れ、ということ。是非とも揃えることをおすすめしたいですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・水中処分母船3号田子の浦港一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/ 
・徳島航空基地開庁61周年記念航空…https://www.mod.go.jp/msdf/tokusima/
・姫路駐屯地創設68周年記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/himeji/home.htm
・出雲駐屯地創設66周年記念市中パレード…https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/izumo/index.html
・補給艦ましゅう北九州港一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・ミサイル艇しらたか古仁屋港一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・水中処分母船6号名瀬港おしごとテーマパーク一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社,宇迦之御魂大神奉じる朱色の社殿と椛香る晩秋初冬の紅葉風情

2019-11-14 20:02:55 | 写真
■五穀豊穣祈念火焚祭の季節
 晩秋から初冬へ少しづつ日々は巡り北国では冬の便りが舞う季節ですが、初冬の気配は未だ香るのみ、昨今若干まだ紅葉には早い今日この頃です。

 伏見稲荷大社、全国三万の稲荷神社の総本社である社殿は伏見区深草藪之内町に鎮座しています。御神体は稲荷山であり千本鳥居として参道が続く情景は世界にも知られる幽玄で神秘的な情景で、参詣はひろく世界から御利益と東洋の神秘を目指して集う社殿です。

 紅葉に彩られる京の都、桜の木々は一際早く黄金色と朱色とに彩り紅葉の季節に鏑矢を放つのは例年通り、しかし椛や楓に銀杏の木々が古都に紅葉の色彩を加えるのは今少し先のお話しで。さりとて早くも晩秋が見える今日この頃、紅葉に代えて朱色の社殿で飾りたい。

 京都駅からJRでは奈良線で指呼の距離、京阪電車は洛中中心部から京阪本線が社殿までを結ぶ立地です。平安朝の頃から伊勢神宮が天皇と皇族勅使のみに参詣が許された時代から、広く社殿を参拝者に開いた社殿は、伊勢神宮と同格示し神社本庁に属さない単立神社です。

 稲荷山は標高にして233mとなっていまして、一ノ峰と二ノ峰に三ノ峰の3つの峰を巡る鳥居が続いています。この鳥居は時間がある際に巡りますと中々に興味深いものがありまして、此処巡れば全国の難所という札所巡りでも中々に脚力と好奇心の応えに自信がつくのですが今回は間合いの都合で本殿まで。

 旧官幣大社の社殿は創建を遡れば和銅年間の710年頃まで遡り、その始まりは秦氏の祖霊伊奈利を祀った社殿といわれます。所謂氏神が始りの社殿は一時衰退しますが、平安朝天長年間の827年に淳和天皇の勅使を以てこの社殿を再興する事となり、今日に至るという。

 宇迦之御魂大神を祭神とする伏見稲荷大社は、鎌倉時代には神仏習合の信仰により佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱を奉じるところとなり、元々は五穀豊穣を祈る社殿は商売繁盛家内安全芸能上達に交通安全まで、御利益とする神社となりました。

 神使の狐、宇迦之御魂大神を奉じる社殿ですがお稲荷様と云いますとおキツネさま、という印象が強い昨今です。“世話やきキツネの仙狐さん”という作品もありますが宇迦之御魂大神をヒロインとしたアニメ“いなり、こんこん、恋いろは。”ではその違いを正している。

 五穀豊穣祈念の火焚祭、狐の印象はこちらでしょうか。伏見稲荷では先日この祭事が執り行われ、十万の火焚串を本殿の稲荷山に設けられた神苑祭場へ積み上げお焚き上げの神事を行うもの。串には家内安全に商売繁と万福招来が描かれ3m四方井桁状に積み上げられる。

 大祓詞を唱える神職が神事では、まず神事で忌火を起し、神楽女より神楽の鈴音と共に本殿より火床に点火、火焚串を火床へ天高く報じて投げ入れ、天に還すという神事で、曰く火焚串は煙となり、やがて地に戻る事で次の春に五穀豊穣をもたらす、という祭事です。

 おキツネさま、この信仰は平安朝初期の弘仁年間即ち810年代に北大路通沿いの船岡山麓に美しい銀毛の狐老夫婦が住まい、洛中の人々に温かく交流した事を思い出すと共に何か恩返しを思い立ちますが、中々に狐の身の上では難しい。そので意を決し洛外の稲荷山へ。

 稲荷流記という真言宗の僧侶真雅により記された下りですが、老狐夫婦は子狐共々社殿に額づき、稲荷社の使いとなり人々に尽くす事を願い出たところ宇迦之御魂大神が降臨し、老狐夫婦と子狐を眷属に加えた、という。これがおキツネさまの始りということですね。

 椛は香るのみですが間もなく紅葉で此処も凄い群衆に。東寺、此処伏見稲荷大社は京都現存最大の五重塔で知られる東寺からも指呼の距離にありますが、実は上記稲荷流記の説話に在る通り真言宗との縁も永くありまして、ここが民衆によりそう真言宗の教えと共に庶民に崇敬される神社へと大勢集まる社殿に至った背景にあるのでしょうか。

 一ノ峰と二ノ峰に三ノ峰の3つの峰を巡るという参詣は中々に歩みと共に思慮深慮の時間を得る良き機会ともなるのですが、暇にそれ程の余裕のない最中には敢えて本殿を詣でて一万本に昇るという千本鳥居の参道を少し歩むだけでも、一つ心に一新の機運を感じられます。

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【映画講評】最貧前線(2019)【第一回】宮崎駿原作“特設監視艇”知られざる太平洋海戦史

2019-11-13 20:05:42 | 映画
■水戸芸術館-内野聖陽主演舞台
 映画講評と銘打ったからには映画の話題としたいところですが、今回は太平洋戦争の多大な犠牲に埋もれた小さなしかし巨大な悲劇を舞台化した話題から。

 最貧前線、舞台化です。映画化を期待したかったのですが“知られざる太平洋戦争海戦史”として“特設監視艇”の奮闘と悲壮を描いた舞台です。主演は内野聖陽、大河ドラマ真田丸にて徳川家康を演じた内野氏に、風間俊介、溝端淳平、ベンガル、佐藤誓、加藤啓、蕨野友也を迎え脚本に井上桂、演出はNHKエンタープライズ出身の一色隆司があたる。

 特設軍艦、太平洋戦争を観返しますと戦艦榛名と戦艦大和や空母加賀に駆逐艦雪風や巡洋艦摩耶、大きな軍艦に注視が集まるところではあるのですが、結局のところ多数が犠牲になりました戦争です、回顧されがたい隠れた戦史の中に散った方々も多い訳でして、特設監視艇への注目の話題は受難者への手向けとなりましょう。そこで特設監視艇について、見てみたい。

 太平洋戦争中、今では信じられない事ですが日本本土への航空攻撃に備え防空警戒に当たるレーダーは首都圏や九州等の一部にしか配備されていませんでした。超短波警戒機甲として対空レーダー開発が本格化したのは1938年、太平洋戦争開戦3年前の事です。精度も地点間標定方式という、送信機と受信機を300km離隔し通過機を捕捉するものでした。

 超短波警戒機乙、ラジオロケータと呼ばれたレーダーシステムが続いて開発されましたが、完成は1942年までずれ込むと同時にその探知能力も低く、生産数も350機程度と、陸軍の規模を考えれば日本本土に加え、環太平洋地域と大陸で先頭を展開するには一桁少なく。探知距離も双発機に対し100kmであり、爆撃機大編隊を300kmで探知できる程度です。

 八丈島や野島崎と伊豆半島に配備されたレーダー等は東京大空襲の探知など、相応の威力を発揮しましたが、当時日本で製造できる真空管は銅精錬技術の限界もあり寿命が短く、アンテナ部分への強風など異常振動により度々異常信号を発する等、現代の技術大国たる日本からは想像できない程に低い水準でした。其処で威力を発揮したのが特設監視艇です。

 宮崎駿原作、“最貧前線”です。宮崎駿氏は日本が世界に誇るアニメーション監督として著名ですが、東部戦線で過酷な状況に曝されるティーガー戦車の戦いを伝説の名戦車長オットーカリウスの視点から描いた“泥まみれの虎”や架空の商船改造空母によるインド洋通商破壊作戦を描く“特設空母安松丸物語” 、ドイツ零年を描く“ハンスの帰還”等も描く。

 特設監視艇を描いた舞台、NHK報道にて知りました、NHK-News-Up““人間レーダー” ~舞台は問いかける~” として水戸放送局が水戸芸術館において上演される舞台とを合せ特設監視艇を紹介しました。特設監視艇は遠洋漁船等の外洋航行能力の高い民間船を徴用し外洋哨戒任務に充てるもので、世界を見ますと漁船に加えヨットが動員された事例もある。

 最貧前線、観劇に赴きたいが水戸はちと遠い、十二月中旬まで上演ならばいっそのこと百里基地航空祭に併せてもう一泊して観劇したいところなのですが。DVD発売を待った方が良いのかな。そう思って調べてみますとNHKが報じたのは11月6日ですが水戸公演は9月12日から15日、東京世田谷パブリックシアターで10月5日から13日まで。情報遅い。

 特設監視艇、そもそも特設監視艇とは何か、と思われるでしょうが、徴用漁船による哨戒艇です。日本海軍は海軍艦艇として駆潜特務艇や掃海特務艇と哨戒特務艇等を建造していますが、これらが新規に建造されたのに対し、特設監視艇は純然たる漁船、鮪鰹漁船を船員と共に徴用し海軍要員も便乗、通信設備と機銃を施し哨戒任務に充てているものです。

 人間レーダーとNHKが特集した背景には、レーダーの限界から本土防空戦闘へ参加を強いられた漁船の悲劇、という部分が大きいのでしょう。戦況悪化と共に特設監視艇にも57mm艦砲や25mm連装機銃と救命艇等が追加される事となりましたが、相手が相手ですので歯が立たず、正確な資料が失われた現在は概数が分かる程度ですが300隻以上沈んでいます。

 鮪鰹漁船は航続距離も大きく、特に漁民は焼玉エンジンや石炭蒸気帆走併用方式等多種多様な機関と天測はじめ航法に長けており、徴用漁船に大型双眼鏡と若干の機銃を搭載し運用していたにすぎません。相手が爆撃機の場合は高高度を通過する様子を報告するのみですが、どの海域にどの方向へ飛行しているかは、日本本土防空に特に重要性を有しました。

 特設監視艇。この名を聞いた方は意外と多いのではないでしょうか、と思う。太平洋戦争を描いた映画にも出てきますし、似たようなものは海外にも多くありました。多分に危険な任務ではあるのですが、しかしあまり映画の主役とは成り得ません。舞台でも正面から描かれるのは、高等学校や大学の演劇部上演を除けば、恐らく本邦初ではないでしょうか。

 映画では描かれているのです。悪評多い映画“パールハーバー”にも出ています。ただほぼ非武装の特設監視艇を嬲り殺し同然に攻撃した史実は“パールハーバー”制作者には気に入らなかったようで映画では偵察用巡洋艦であった古鷹型重巡へと史実改ざん、いや、古鷹型に捕捉されたらばアメリカ空母部隊逆に全滅しているぞ、と劇場で突っ込んだもの。

 日本のいちばん長い日、岡本喜八監督が東宝映画創設35周年記念として制作した。我が国太平洋戦争末期におけるポツダム宣言受諾に至るまでの混乱の24時間を描いた作品ですが、連合国側が我が国にポツダム宣言受諾による終戦を迫る中、交戦継続か無条件降伏かを激論を交わし、陸海軍では本土決戦準備を進める最中に特設監視艇は一瞬登場していました。

 東部軍管区司令部作戦指揮所に放送が流れ“第十七並びに第二十二洋上監視艇よりの報告-房総方面に近づきつつある敵空母機動部隊は-エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻-尚此れに巡洋艦七隻-駆逐艦十九隻を帯同し北上中なり”と巨大地図上に敵空母機動部隊の動静が記されてゆき、続いて海軍航空隊厚木基地から児玉基地へ迎撃命令が下る。

 エンタープライズ型空母一隻-ホーネット型空母二隻、日本のいちばん長い日、その劇中では無条件降伏が受け入れられなければ日本本土への更なる苛烈な攻撃が加えられる象徴的な描写と、間もなく無条件降伏が発表される中で体当たりへ出撃を命令しなければならない児玉基地の陸海混成第二〇七攻撃集団の野中団司令苦悩が描かれる象徴的な描写でした。

 洋上監視艇即ち特設監視艇は、その重苦しい場面に洋上監視艇よりの報告、と台詞にのみ登場するものですが、言い換えれば海軍は七月末、つまり二週間前の空襲で呉軍港残存艦艇が大打撃を受け、大半の空母と戦艦が喪失若しくは行動不能という状況下で、特設監視艇は最後まで敵空母機動部隊の動静を伝え続けていた、もう一つの象徴的な場面といえるかもしれません。

 本来ならばレーダーを搭載した駆逐艦を太平洋上にレーダーピケット艦として遊弋させる事が理想なのですが、日本海軍には太平洋戦争に投入できた艦隊駆逐艦は175隻、海防艦も174隻のみ、これらの艦艇は対水上戦闘や船団護衛に輸送任務と酷使されており、余裕はありませんでした。また日本本土周辺にはアメリカ潜水艦が張り付き此の掃討も必要だ。

 鮪鰹漁船転用の特設監視艇であれば、数が多く、特にアメリカ潜水艦も魚雷攻撃するには目標が小さく浮上砲撃を加えれば位置が報告される為に必要に応じた運用といえました。ただ、日本本土空襲が本格化した際には爆撃機の座標等を通知される事は即座に情報優位を喪失する事から、航続距離の大きなPBYカタリナ飛行艇等により掃討を本格化します。

 特設監視艇の受難は、相手がPBY飛行艇であった場合は捕捉された場合に回避が難しかった点です。ただ、海軍はこれら特設監視艇支援に零式水上偵察機を搭載した特設巡洋艦を充てており、救援にわずかな望みを繋ぐ実情があった。他方、相手が爆撃機ではなく空母機動部隊の場合は、艦載機により特設巡洋艦も攻撃が加わる。厳しい戦場といえました。

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【G3X撮影速報】ブルーインパルス名古屋の大空に,令和元年小牧基地航空祭(2019-11-09)

2019-11-12 20:01:10 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■ブルーインパルス2019
 土曜日に挙行されました小牧基地航空祭、その飛行展示の様子を先ず快晴をキャンバスに描かれたブルーインパルス曲技飛行から紹介しましょう。

 小牧基地航空祭2019、令和元年小松基地航空祭へ行って参りましたが、写真整理中という事で今回はブルーインパルスの写真とともに振り返りましょう。小牧基地航空祭とブルーインパルス、実は3月に執り行われました平成31年小牧航空祭の思い出でもありました。

 ブルーインパルス、航空祭の大団円を飾る飛行展示なのですが三月の平成最後の航空祭ではあったのですが、全部撮影しますと夕方からの所用があり、新幹線でも間に合いません。夕方からの所用故に如何ともし難く中座して後ろ髪引かれつつも帰路に就いたのでしたが。

 航空祭の大団円を飾るブルーインパルス、一見当方は混雑回避の為に軽視しているような表現を時折挟むのではありますが、基本的に何処からかは撮っています。駅前や基地正門付近、築城基地や入間基地に千歳基地と小松基地で、要するに直ぐに帰路に就けるように。

 名古屋駅のツインタワーから撮影する事が出来る、近年はリニア中央新幹線開業に向け名駅摩天楼として躍進著しい駅前高層ビル群の眺望雄大を最大限活かす選択肢も検討したのですが、やはりそもそも論として3月は間に合わず、その分は今回にしっかり撮影したい。

 令和元年小牧基地航空祭、挙行されると聞きましたのは初夏でした。成程云われてみれば3月の航空祭は平成最後の航空祭ですが、年度としては昨年度、そして先日挙行、11月の航空祭は四月を起点とする年度としては今年度、確かに年度違い、というものなのですね。

 名古屋空港周辺住民はブルーインパルスに批判的、と言いますか反対派が多いようで、実は初めて小牧基地航空祭へ行きましてから二十年近くですが、ブルーインパルスを小牧航空祭で見上げられたのはここ数年のみ。何故か航空祭日程は外せない所用と重なりやすい。

 C-130H輸送機の基地、という印象が強い小牧基地ですので、ブルーインパルスを撮影する際には、こうした広角で此処は名古屋空港隣接の小牧基地であるのだ、という構図を重視したいですね。様々な撮影手法が在りますが、個人的にブルーインパルスは広角が似合う。

 尾張名古屋は城、金鯱の優美な名古屋城が有名ではあるのですが、名古屋空港の名を冠していますが小牧基地、しかし広角で構図を見ますと名駅摩天楼という名古屋駅前の高層ビル群が見えます、実際名鉄線で11分先に環状線である地下鉄東山線に乗り換えられます。

 魚眼レンズ、航空祭の情景で此処は小牧基地なのだ、という活況を撮影しようと考えましたらば一つの選択肢はミラーレス一眼機種に魚眼レンズを装着するとか8mm広角を用いるという選択肢もあるのですが、中々導入に踏み切れず、今回もPowershotG3Xを用いた。

 県営名古屋空港ターミナルビルとブルーインパルス、EOS-7DmarkⅡとPowershotG3XというCANONカメラを二台連結し、レリーズでG3Xを操作しつつEOS-7Dを普通に操作するという、ちょっと中学生から人気の撮影方法で記録したのですが、これは利点も多い。

 EF-100-400mmIS2レンズとEF-18-200mmISレンズを多用したのですが、100-400mmを装着していますと突如広角が必要となった場合にレンズ交換が間に合わない、ミッドウェー海戦の雷爆換装のような状況となりかねません。この際にG3Xの広角は役立つのですね。

 空港ターミナルビルと着陸したブルーインパルス、航空祭の大団円を伝える構図です。ブルーインパルス飛行展示で来場者が3万名増えるとか5万増えるといわれますが、令和元年は出場制限等出るのに確かに時間は掛かりましたが、最後まで航空祭を満喫できました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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新哨戒艦は掃海艇えのしま型派生型か?【3】掃海隊群掃海艦艇12隻体制と12隻の新哨戒艦

2019-11-11 20:11:38 | 先端軍事テクノロジー
■不思議な一致:十二隻+十二隻
 第三回が一応本特集の最終回としましょう。本特集については十月初旬掲載の第二回から大分と間が空いてしまいましたね。

 掃海艇の高性能化に伴い建造費が高騰した結果、掃海隊群が実施する機雷掃討に併せて必要な重要水道での日施掃海へ必要な配備数を整備できない状況があります。そこで主として機関砲による哨戒任務に当り、簡易掃海艇として機雷掃討は不能としても必要に応じ曳航掃海器具を搭載し日施掃海として掃海任務に当る艦艇が生まれるのでは、という視座でした。

 掃海隊は将来、掃海艇2隻と哨戒艦2隻を基幹として編成されるのではないでしょうか。こういいますのも、掃海隊群は2個掃海隊群へ再編される事となりますが、配備される掃海艦艇は12隻が6個掃海隊へ配属される計画です。2個掃海隊群にFFM護衛艦は22隻配備される計画ですので、掃海艇の方が少数派となる一種不均衡な状態となってしまいます。

 哨戒艦の整備数は12隻、実は不思議な事に掃海艦艇と哨戒艦は同数が配備される事となる、もちろん伝統的な軽武装で長期の航行能力を持つ哨戒艦が掃海隊に配属されたならば、機雷に破壊される危険があり全く使い道がありません。しかし、掃海艇派生型の哨戒艦であれば、掃海艇と同程度に機雷からの安全性は確保されるわけですから問題はありません。

 掃海艇として哨戒艦が機雷戦を支援する可能性も考えられます、もちろん機雷掃討は行えません、行うならば建造費が高騰しますから出来ないのですが、係維掃海や音響掃海に磁気総会という、伝統的な掃海具の曳航であれば可能でしょう。特に現在の掃海艇は機雷掃討を重視するあまり、すがしま型掃海艇等は曳航掃海具を臨時搭載としているほどです。

 曳航掃海具による掃海は機雷敷設が確認された海域での機雷掃討には十分威力を発揮出来ません、しかし、有事の際に重要航路や湾口を毎日行う日施掃海を行うには海底を細かに掃海艇が機雷探知装置で数十m毎に精査する事は時間的に出来ず、曳航掃海具による掃海が必要となります。この点で哨戒艦による補助掃海艇として曳航掃海具運用は意味がある。

 掃海隊として掃海艇の機雷掃討任務に対し哨戒艦は曳航掃海具を曳航し補助掃海艇として機能させる、掃海艇にしかできない掃海任務が在りますが、哨戒艦が機雷掃討を行なえない制限も無い。機雷戦にFFMが参加する場合は機雷への脆弱性を抱えるFFMに対して前方に展開してのFFMの水中USV運用支援を行う、いわば補完的に用いるという発想です。

 30FFMか掃海艇えのしま型の補完、との視点は実は論拠として繋がっています。えのしま型掃海艇は三番艇が要求されて後に建造が10年以上停滞しています、そしてこれを補うのが水上戦闘艦に掃海任務を付与するオーガニック方式、という海上自衛隊として研究は行っているものの未知数の領域の戦力化です。能力が規定以下であった場合、どうするか。

 機雷処理弾薬は従来のS-10機雷処分具に置き換わる使い捨ての機雷処分ロボットです、昨今は機雷にとり掃海艇を狙うのが機雷掃討方式の採用で難しくなり、せめて高価な機雷処分具だけでも破壊するという志の低い機雷が増えている為、敢えてこちらも使い捨ての機雷処分具を投入し、消耗戦に臨むという発想です。これは哨戒艦にも搭載、できうるもの。

 MQ-8無人ヘリコプター、オーガニック方式による機雷掃海は水上戦闘艦が機雷原へ進出しない前提である為、この無人機に搭載するレーザーセンサーが大きな意味を有します。哨戒艦に充分なセンサーを搭載しておらずとも、後方から支援へ展開するMQ-8の支援を受ける事で、第一線に展開する機雷戦艦艇はそれ程万能性が求められるものではありません。

 掃海艇準拠の哨戒艦、自衛隊は12隻を整備する計画ですが簡易掃海艇としても転用できる艦艇ならば、掃海艇長として艦艇運用の経験に近い実績を中級幹部に積ませる事も可能です。艦長経験、これは意外と無視できません。特に掃海艇が機雷掃討能力重視による建造費の三倍増という高騰により縮小する中、部隊の水準を維持する上では重要な施策です。

 掃海艇船体を採用する事での難点は、しかし数多い。第一に掃海艇はそれ程高速航行を想定しない為に最高速力は14ノットと、護衛艦の30ノットには遥かに及びません。掃海艇には対空レーダーや電子戦装置を搭載しておらず本格的な水上戦闘には対応できません、センサーノードとして機材を搭載するならば、それだけでも数十億の費用が重なります。

 えのしま型掃海艇の補完として、掃海艇設計応用の哨戒艦は活用できます。また、掃海管制艇のような無人掃海装置SAMを運用する母船としても機能するでしょう、特に掃海管制艇は現在旧型掃海艇を転用していますが木造艇故に今後減少してゆく。掃海任務に限れば水中処分母船としても機能し得ます。安く造り大きく育てる、云わばそういう概念ですね。

 いずも型護衛艦、安く造り大きく育てる、という概念は此処にも当てはまります。哨戒ヘリコプターと掃海輸送ヘリコプターを運用する大型ですが固有武装が限られる全通飛行甲板型護衛艦は汎用護衛艦とそれ程建造費は変わりません、しかしF-35B戦闘機を搭載する、という事で起きく育てる事に成功した訳ですね。安く造り大きく育てる、一つの潮流だ。

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