北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【防衛情報】クイーンエリザベス空母戦闘群横須賀寄港-護衛艦いせ共同訓練,アフガン新情勢

2021-09-04 20:21:08 | 国際・政治
■特報:世界の防衛,最新論点
 防衛情報毎週二回の掲載予定が諸事情から一回掲載のみとなり山積しつつある時事情報を本日掲載します。

 海上自衛隊はクイーンエリザベス空母戦闘群との共同訓練ノーブルユニオンへ護衛艦いせ以下護衛艦部隊を参加させました。ノーブルユニオン演習は8月24日、日本本土南方海域において実施され、海上自衛隊からはヘリコプター搭載護衛艦いせ、護衛艦あさひ、が参加しています。またこの訓練へは佐世保基地へ前方展開するアメリカ海軍も参加します。

 ノーブルユニオン演習へはアメリカ海軍より、強襲揚陸艦アメリカ、輸送揚陸艦ニューオーリンズが参加、中でも全通飛行甲板を誇る、空母クイーンエリザベス、強襲揚陸艦アメリカ、ヘリコプター搭載護衛艦いせ、3隻が並ぶ様子はフォトミッションとして撮影され、クイーンエリザベス空母戦闘群派遣のオランダ海軍ミサイルフリゲイトと4か国が並ぶ。

 クイーンエリザベス空母戦闘群は9月にも日本へ寄港する計画ですが、8月末日に予定されるアメリカ軍アフガニスタン撤退を受けての騒擾からイギリス議会ではクイーンエリザベス回航を求める声も与野党より出されていました。しかし、当初バイデン大統領が駐留延長を示唆したものを撤回した為、間に合わないと判断されたのか、航海は計画通りです。
■カールビンソンと共同訓練
 カールビンソンが先日横須賀へ入港し話題となりましたね。

 アメリカ海軍の原子力空母カールビンソンとイギリス海軍の空母クイーンエリザベスは太平洋上において戦闘機部隊の共同訓練を実施しました。この演習は8月26日に実施され、カールビンソンは第五世代戦闘機F-35C戦闘機を、クイーンエリザベスも第五世代戦闘機F-35Bを装備しており、第五世代戦闘機を有する空母部隊同士の歴史的な訓練といえます。

 カールビンソンとクイーンエリザベスの艦載機は、カールビンソンの第2空母航空団よりF-35C戦闘機が発艦しイギリスのF-35B戦闘機2機と訓練、またF/A-18F戦闘攻撃機を空中給油装備で発進させ第一線で実施するバディ給油を実施したほか、EA-18G電子攻撃機との飛行訓練も実施、カールビンソンはこの訓練を終了した後、横須賀へ入港しています。
■クイーンエリザベス横須賀へ
 空母クイーンエリザベスが本日横須賀へ入港しました。

 イギリス海軍の空母クイーンエリザベスは4日、横須賀に入港しました。イギリス空母の日本寄港は空母イラストリアスが2003年に寄港して以来のものです。クイーンエリザベスは現在、イギリス海軍旗艦であり、イギリス海軍旗艦の日本訪問も2018年の揚陸艦アルビオン寄港以来となります、なお、クイーンエリザベスは9日に横須賀を出港予定です。

 クイーンエリザベス日本寄港は、新型コロナウィルスCOVID-19変異株デルタの感染拡大が深刻な中で行われ、先に入港予定であった韓国プサンへの入港が中止されたという状況でした。イギリス国防省は、今回、クイーンエリザベスはアメリカ海軍横須賀施設に入港、上陸はアメリカ海軍施設内に留めるという、日本側への感染防止の配慮をしめしました。
■第82師団長が最後に撤退
 緊迫続くアフガニスタン情勢ですがアメリカ軍が撤退を完了しました、伝統と共に指揮官が最後に。

 アフガニスタンからの米軍撤退最後の一人は第82空挺師団長のクリスドナヒュー少将だった、アメリカ国防総省が発表しました。アフガニスタンからのアメリカ軍撤退は期限の8月31日を前倒しで、8月30日に実施、大量の外国人や出国ビザを持つアフガニスタン国民を放置し撤退強行したアメリカバイデン大統領への判断に多くの国で失望が利かれます。

 しかし、撤退最後の一人が、陸軍少将、カブール国際空港安全確保へ緊急展開した6000名規模の部隊の指揮官で空挺部隊の師団長であったことは、指揮官は最後に危険な第一線を離れるという、米軍の伝統が生きている事を示しています。また最後まで空港に留まったロスウィルソン駐アフガニスタン米国大使も師団長と共にC-17輸送機で撤退しています。
■自衛隊邦人輸送失敗
 アフガニスタンでの邦人救出任務は事実上の失敗と云わざるを得ないのではないでしょうか。

 自衛隊アフガニスタン邦人輸送部隊が展開先のパキスタンより撤収しました。しかし輸送任務を達成する事は出来ていません、当初は日本大使館関係者数名とアフガニスタン現地協力者の500名をパキスタンへ空輸する計画でしたが、実際に成功したのは現地在住の報道関係者1名、そしてアメリカ軍の要請で搭乗させましたアフガニスタン人十数名のみ。

 アフガニスタン邦人輸送は、七月の時点でアフガニスタン情勢が悪化し、そしてカブールからのガニ大統領逃亡の翌日には駐アフガニスタン日本大使館を閉鎖し大使は出国に成功していますが、カブール陥落までの数日間、自衛隊派遣の機会を政府が認識していなかった、危機管理の欠如が任務不達成となっています。政治の失敗は検証されねばなりません。

 邦人等輸送、当初は自衛隊輸送機へ日本大使館よりバスにてカブール国際空港へ入る計画でしたが、その直前にカブール国際空港自爆テロが発生し、この後、空港へ接近する事も不可能となってしまいました。しかし、カブール陥落と同時に自衛隊派遣を政治が決断していれば、この数日前には退避完了と出来た可能性が高く、遅すぎた決断といえましょう。
■米軍アフガン供与装備撤去へ
 アメリカ軍が府がニスタン共和国軍へ供与した装備品の撤去が今後本格化するもようです。

 アメリカ国防総省はアフガニスタン国軍へ供与した装備の撤去を今後本格化させる。アメリカ国防総省は2008年の時点でアフガニスタン駐留兵力が1万4000名規模となり、この頃から将来の撤退を見据え各種装備の撤去に向けての位置把握を開始したとしている。そして2020年2月のドーハ合意により撤退が確定すると兵器撤去準備が本格化している。

 アメリカ会計検査院GAOによれば2013年から2016年にかけ、M-4カービンなど60万丁とハンヴィーなど車両が8万両、2017年から2019年にかけてはM-240軽機関銃など7000丁とハンヴィー4700両が供与され、直近2年間だけで供与された弾薬は1800万発に登る、そしてA-29ツーパーツカノ攻撃機20機やUH-60多用途ヘリコプターも供与されていた。

 タリバーンはアメリカ軍が使用しアフガン撤退と共に現地へ廃棄したMRAP耐爆車両などの装甲車両も入手している。一方で地対空ミサイルや戦車などの重装備はアフガニスタン軍へ供与は為されていないものの、重火器についてはアメリカ軍撤退前には想定していないが、撤退後には廃棄されないものを空爆等により破壊する事へ含みを残す見解を示した。
■パンジール渓谷に迫る危機
 アフガニスタン共和国軍最後の抵抗拠点は何処の国も支援が無く孤立したままとなっている。

 アフガニスタン共和国最後の抵抗拠点であるパンジール渓谷に対しタリバーンは3日から大攻勢を開始しました、タリバーンはパンジール州全体の制圧を3日に発表していますが、パンジール渓谷に立て籠もるアフガニスタン共和国のアムルラサーレ副大統領はまだ、パンジール渓谷に留まっており、アフガニスタン共和国軍はまだ健在と発表しています。

 マスード司令官、アフマドマスード司令官がアフガニスタン共和国軍の指揮を執っています、ただ、情勢は極めて緊迫しています、アフガニスタン共和国軍はアメリカからの武器支援さえ届いていません、バイデン大統領は協力を惜しまないと公言していますが、パンジール渓谷への物資空輸支援などは皆無で、極めて悲観的な状況と云わざるを得ません。

 タリバーンは数日内に政権樹立を宣言すると考えられ、これにより事実上、アフガニスタンイスラム共和国の消滅とアフガニスタンイスラム首長国への国家継承が現実のものとなるでしょう。タリバーン政権はタリバーン政治部門トップのバラダル師が中心となりタリバーン創設者で故人の息子ヤクーブ師も参加した新政権を創設するとみられています。 

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【榛名備防録】零戦とグラマンF4F,最強戦闘機を生んだのは条約違反の巨大空母

2021-09-04 14:43:22 | 国際・政治
■空母赤城と空母レキシントン
 零戦は最強、こう呼ばれるのは空母艦載機で機体規模に制限の無い陸上戦闘機を圧倒出来、艦上戦闘機としてもグラマンF4Fを例外としてほぼ無敵でした故だ。

 ワシントン海軍軍縮条約、零戦とこの条約における航空母艦の関係は無関係ではありません、日本はワシントン海軍軍縮会議において、空母全廃を提唱していました。これは航空重視や航空軽視というものと関係なく、島国である日本が航空母艦普及の後には、太平洋上から航空機により奇襲を受ける可能性を重大脅威として認識していた為でもあります。

 2万7000t、ワシントン海軍軍縮条約では戦艦とは別枠で航空母艦に関する制限が設けられ、航空母艦は最大2万7000tまで、2艦に限り3万3000tとする合意が。これは条約により世界中で建造中であるにも関わらず廃艦としなければならない主力艦、戦艦や巡洋戦艦が存在するためで、日本では戦艦加賀、土佐、巡洋戦艦天城、赤城、高雄、愛宕など対象に。

 赤城。巡洋戦艦赤城は4万1200t、日本のワシントン海軍軍縮条約における航空母艦の割り当ては基準排水量8万1000tでした、一方で条約当時、世界の航空母艦は、世界初の新造空母鳳翔、世界初の空母で改造空母のハーミズ、アメリカ海軍初の空母ラングレー、いずれも10000t前後の小型空母であり、これでは搭載できる艦載機の大きさは限られていた。

 レキシントン級航空母艦、アメリカ海軍は3万6000tのレキシントン級航空母艦を3隻建造します、明らかに3万3000tという大きさを越えていますがもととなったレキシントン級巡洋戦艦が巨大であったためで装甲を削るなど軽量化を行いましたが、これが限界でした。日本も赤城は3万3000t以上となっていました、日米とも3万3000tと公表します。

 日米ともに対外的には2万7000tとして排水量の超過を黙認しあっていた構図なのですが、ともに飛び抜けて大きな航空母艦と言い得ました。なにしろ新造しないための軍縮条約、その救済措置として廃棄される戦艦や巡洋戦艦の救済策なのですから、相互に譲歩させる余地はあったのかもしれません。イギリスは遵守していたのは興味深いのですけれども。

 赤城草創期の艦載機は複葉機の一〇式戦闘機と一三式艦上攻撃機、軽量な航空機です。どのくらい軽量かといいますと、山本五十六が空母指揮官時代、着艦に失敗して艦上から落下しそうになった艦載機を走って助けに行き、押さえて落水を防いだというほど、零戦ならば人一人で押さえられるような重さではありません、これが時代と共に発達してゆく。

 三式艦上戦闘機、九五式艦上戦闘機、と複葉機の時代が続くのですが、1930年代まではエンジン出力の関係上、単葉機のほうが例外的でした。しかし九六式艦上戦闘機から単葉機となり、そして重くなってゆく。その上で零式艦上戦闘機の誕生です。艦載機が大型化しても対応できた背景には、空母そのものが大型であったため、といえるかもしれませんね。

 鳳翔、龍驤、小型空母と中型空母はありました、いちおう龍驤でも零戦は発艦できましたが、日本が条約を遵守し無理な軽量化を廃棄艦に施していた場合は、発展に限界のある航空母艦とならざるを得ず、零戦のような機体が開発されていたかについて、確証はありません。アメリカも同様の背景から大型で強力なグラマンF4F戦闘機が開発されていました。

 巡洋戦艦の船体を応用した航空母艦ですので、なにしろ戦艦よりも優速を念頭に設計されています、速度は艦載機の合成風形成にも寄与しますし、この大型の航空母艦があったからこそ、日米に強力な空母艦載機が開発できたといえ、逆に空母の大きさがイギリスやフランス、イタリアには陸上戦闘機に対抗しうる艦載機の誕生を阻害したともいえましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする