北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

豪州原潜導入決定【1】米英豪防衛協力強化と衝撃のラロトンガ条約”南半球非核化条約”解消

2021-09-18 20:08:16 | 国際・政治
■混迷の豪州潜水艦計画次の一手
 そうりゅう型導入を一時は希望し今はフランス製潜水艦導入へ進むオーストラリアの潜水艦計画が16日、実に斜め上の決定を発表しました。

 オーストラリアは、イギリスアメリカとの防衛協力強化の一環として原子力潜水艦8隻を建造する。この16日の報道には久々に驚かされました、アメリカはオーストラリアへ原子力潜水艦技術を供与する、これは1958年にイギリスへ原子力潜水艦技術を供与して以来の第二例目、オーストラリアは今後18カ月間、アメリカと技術移転の交渉を行うとのこと。

 驚きました。オーストラリアはラロトンガ条約として南半球非核化条約の盟主であり、核兵器は勿論のこと原子力発電所さえありません、原潜というものは原子炉を搭載しているのですから、原子力技術者の教育から開始せねばなりませんし、原子力平和利用さえしていない大陸に核廃棄物処理場を建設する、理解しているならば大変な覚悟といえましょう。

 ラロトンガ条約、これはオーストラリア国内のマラリンガ核実験場でのイギリス核実験による核汚染と、フランスによる南太平洋での核実験、原子力先進国による南太平洋での低レベル核汚染物質海洋処分という流れに反発し成立したものです。厳密には核技術の平和利用を禁じていませんが、反核機運は日本以上に根強く、結果国内に原子力発電所もない。

 マラリンガ核実験場は2014年に除染が完了しており今では危険はありません、しかし、考えてみれば日本の広島や長崎で核攻撃残留放射能被曝の危険から立ち入り禁止の地域などありません、一方、ここでは1967年までイギリスの核実験が繰り返され、その後除染作業が行われましたが1985年に深刻な核汚染が確認され2000年まで除染を継続していました。

 AUKUS,アメリカイギリスオーストラリア防衛協力枠組、今回の原子力潜水艦技術供与はAUKUS枠組みが強化されるという部分が主眼であり、原子力潜水艦技術供与はその一環でしかないが、最も注目されている、という構図なのかもしれませんが、何しろ日本と並び自国を実験とはいえ核に蹂躙されたオーストラリアの決定には、おどろかされましたね。

 オーストラリアの潜水艦計画は二転三転していますので、原子力潜水艦導入計画が次の選挙で争点となった場合、既にモリソン政権はCOVID-19対策での繰り返した都市封鎖と景気後退により支持率が低迷していますので、予算規模さえ未知数の巨費を投じる潜水艦計画と、原子力の軍事利用解禁がどの程度、国民に支持されるのかは未知数といえます。

 アタック級潜水艦12隻建造全面中止。このオーストラリア原子力潜水艦導入決定により、2016年にフランスとの間で成立した潜水艦導入計画は中止される事となりました。このアタック級潜水艦は当初、日本の潜水艦そうりゅう型などの導入も視野に二転三転した潜水艦計画であり、突然の潜水艦計画中止によりフランス政府は非常に強く反発しています。

 潜水艦、日本では毎年建造されていますが、オーストラリアの潜水艦計画は何故ここまで難航するのでしょうか、その理由はオーストラリアの国防環境の特殊性が挙げられます。オーストラリア大陸、と称される通りオーストラリア海軍の任務海域は大陸周辺海域全域と、南シナ海を想定しなければなりませんが、これは非常に広大で航続距離が要求される。

 コリンズ級潜水艦。オーストラリア海軍が運用する潜水艦はコリンズ級が水中排水量3350tと非常に大型の潜水艦である特色があり、これは日本の潜水艦そうりゅう型、たいげい型程大きくはありませんが、通常動力潜水艦は2000t前後のものが多く、特に輸出市場に並ぶ潜水艦はこれほど大きな潜水艦は需要が無く、選定が難航する背景はここにあります。

 そうりゅう型潜水艦。現実的に考えた場合、太平洋からインド洋までを作戦海域とする海上自衛隊が運用する日本製潜水艦以外には、オーストラリア海軍が求める航続距離を満たすのは原子力潜水艦くらいしか存在しませんでした、そして2014年に、日本の潜水艦を導入する交渉が開始されたのですが、問題となったのは海軍と政府の立場の違いというもの。

 オーストラリア海軍の潜水艦運用は、特殊です。特殊と云うのも潜水艦と云えば日本では浦賀水道や豊後水道を出ますと直ぐに潜ってしまうものなのですが、オーストラリア海軍の運用は、浮上航行し襲撃運動の際に潜航する、平時の警戒監視任務では中々日本では考えられない運用方式を採るといわれています、第二次世界大戦中の延長線といえるもの。

 オベロン級潜水艦というコリンズ級よりも前の時代の潜水艦は設計思想がこの方式であったのですが、対潜ヘリコプターと水上戦闘艦が連携し潜水艦を索敵する現代ASW潜水艦戦闘を行う海軍に対しては対応できません、ただ、浮上航行により航続距離を稼ぐのであればその限りではなく、要するに先進国以外の海軍を相手とする特殊環境というものがある。

 政府と海軍、オーストラリア海軍は性能面から潜水艦そうりゅう型を必要としていましたが、オーストラリア政府は雇用を必要としていました。それこそ日本潜水艦は三交代乗員制で乗員は多く潜水艦乗員の雇用は守られる、反論されるかもしれませんが、そうではなく、オーストラリア政府は製造業の雇用を必要としていたのですね、要するに技術移転だ。

 日産自動車などオーストラリア国内に進出していた海外製造業が2010年代から撤退を始めており、オーストラリア国内には製造業が消滅するという危機感が募る中、潜水艦造船業というものを定着させる事が出来れば、裾野産業を含めて数千の雇用が生まれる、オーストラリア政府は、この視点から新型潜水艦はオーストラリア国内での建造を強く求めた。

 潜水艦は強烈な水圧に曝されつつけ運用されるものです、故に建造には高張鋼の加工技術が求められるのですが、オーストラリアにはこの種の技術は無く、先ずその工員教育から始めねばなりません、いや、実はコリンズ級潜水艦が、スウェーデンからゴトランド級潜水艦の技術移転を受け建造されたのですが、建造技術が稚拙であり欠陥に繋がっています。

 ゴトランド級潜水艦はスウェーデンでは数が少ない点を除いて大きな不満は伝えられていないのですが、コリンズ級は真逆でした、ガタピシ音と称される騒音の特性があり、これは日本も1960年代に潜水艦うずしお型で経験しているものと似ていますが、船殻部分に電動機等が接触し生じる騒音、この他にスクリューシャフトの成形にも影響があったもよう。

 コリンズ級潜水艦はこの為に水中騒音が大きく、潜水艦の唯一の戦略的意義である静粛性と秘匿性、これを活かした敵対勢力の封鎖海域での活動能力が限られていたという難点もあります。建造したのはASU豪州潜水艦公社ですが、稼働率の問題などから海軍はASUの建造能力に大きな不満を持っており、ASUを製造業と見做す政府との間で齟齬が、と。

 アタック級潜水艦は、この無茶苦茶な複数の矛盾する要求を前に選定されたものといえます、通常動力潜水艦で世界各国の候補を考えた場合は実績ある潜水艦は日本製のみ、しかし日本は防衛技術移転に消極的であると共に、一応現地組み立てを行う場合、必要な水準の外国人工員を養成するには時間が掛かり過ぎ、全て呑むフランス案が採用されました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【榛名備防録】旧日本海軍の戦艦-航空機優位論争,”if”視点としての航空優先と”大攻”開発

2021-09-18 14:17:06 | 防衛・安全保障
■戦闘機無用論と大型陸上攻撃機
 歴史に”if”は禁忌ですが、敢えて思考体操として論理を探求するならば裾野分野の理解を深めねばなりません。

 日本海軍は戦艦を重視するのではなく、航空機を重視していれば"勝てた"という仮説を信じている方が多いようです。ただ、航空機を重視していたとしても、それは1940年代から1950年代にかけての航空機発達を正確に見通せたという条件がなければ、変なものを開発していた可能性が高い。実際日本では戦艦を一撃で沈める強力な航空機が開発中でした。

 戦艦を一撃で沈められる航空機、こう概説しますと頼もしく感じられるかもしれませんが、大攻、という航空機です。当時日本海軍の魚雷は二種類開発されていまして、航空機搭載用の九一式魚雷、通称航空魚雷と、駆逐艦に搭載する九三式魚雷、通称酸素魚雷です。後者の方が遙かに重いのですが、その分だけ威力も大きく、一発で戦艦を撃沈可能という。

 九一式航空魚雷は重量848kgで450mm口径、射程2kmです、弾頭重量は323kgで内部に235kgに炸薬を内蔵し42ノットで目標に迫ります。数発命中すれば戦艦を撃沈できるとされた。ただ、航空魚雷は駆逐艦などに搭載されている魚雷と比較し非常に威力が限られたのですね、理由は簡単で、あまり重い魚雷は当時の空母艦載機には搭載できません。

 九三式魚雷、駆逐艦に搭載されている魚雷は通称酸素魚雷、動力に酸素を用い命中時に威力を増す副次効果もありますが、重量2800kgで610mm口径、最大射程は40kmもあり、雷速48ノットとした場合での射程は20km、弾頭重量は490kgあります。のちに射程を30kmに落とした分を弾頭780kgへ威力強化した三型も開発されています。これは強力だ。

 深山大型陸上攻撃機、通称大攻という航空機がありました。1941年に初飛行を迎えているのですが、3000kgまでの爆弾を搭載できましたので、九一式航空魚雷を2発搭載できましたし、輸送機型は酸素魚雷の輸送にも対応していたとされています。ただ、技術的困難と予算不足により8機の試作で打ち切られました、これが量産された可能性が出てきます。

 大攻、頼もしく考えられるかもしれませんが、四発機なのです。そして海軍では単発機と比べて運動性は低いものの改良により対応しようとしていました。少し考えればエンジンを四基も搭載した航空機に運動性を求められないことはわかりそうなものなのですが、海軍はあくまで、太平洋の広さを考えますと一挙に遠くへ飛べる大攻を必要とした実情が。

 中攻。航続距離の大きな航空機へのこだわりは、九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機、ともに双発で航空魚雷を一発搭載し長大な航続距離を発揮した、ここからも反映されているものでして、しかし緒戦のマレー沖海戦では威力を発揮しましたが、双発故の運動性の低さと正面投影面積が単発の艦上攻撃機より遙かに大きく、実戦における損耗が大きかった。

 戦闘機無用論という声も1930年代に海軍航空隊では根強く、戦闘機は防御用と考えられたため、敵艦を沈める攻撃機を優先、また大型機ほど大型のエンジンを搭載できるため、速力が大きくなり、戦闘機は追いつけなくなる、実際九六式陸上攻撃機に九六式艦上戦闘機は追いつけなかった、こうした視点で海軍には大型機志向の潮流もあった事実も挙げたい。

 しかし、実戦を経験するまではここまで損耗が大きいとは考えず、損耗よりも戦果を重視していた故に許容されると考えていました、こればかりは実戦を経ないとわからない。さて、日本海軍が戦艦よりも航空を重視した場合、艦載機重視に収斂したといえるでしょうか。実際のところ、大型攻撃機に重点化し、実戦で散々の結果となった可能性もあります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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