■紫式部が源氏物語の着想の立地
文学の寺院とも言い得る石山寺は、しかし平清盛と所縁ある後白河天皇と源頼朝という時代の転機となる二人とも所縁ある文学以上の物語を湛えた寺院でもあります。
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石山寺、大津市は瀬田川に面した小高い巨岩の上の寺院ですが、多宝塔と蓮如堂に月見亭をひとめぐりすると、不思議となにか大きな旅行をしたような錯覚と満足感に浸る事が出来ます。石山寺硅灰石という巨岩の上に建つ故に安定というか安心感を醸し出すもよう。
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紫式部が源氏物語の着想を得、清少納言の枕草子にも描かれ、和泉式の和泉式部日記の舞台でもあり菅原孝標女が更級日記執筆前に拝観した石山寺は、文学の寺と称するに相応しい歴史を湛えていますが、こう拝観と巡るだけでも物語が湧き出でるのも何か納得します。
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多宝塔は国宝に指定されていまして、寺伝に記されている所では源頼朝寄進により造営されたもの、その建材は墨書に建久5年こと西暦1194年建立と記されています。現時点では判明しかつ現存している多宝塔としては日本最古となっています。文字通り石山上に建つ。
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源頼朝寄進という多宝塔、檜皮葺きの屋根とともに上層には十二円柱を四手先組物が支え飾り、方三間の下層には内に四天柱内の空間を有し、仏画や彩色に囲まれ快慶作の大日如来像を奉じた須弥壇を安置しています、この日如来像は重要文化財に指定されているもの。
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石山寺硅灰石を穿つように階段が多宝塔へと伸び、多宝塔の他にも山門などに源頼朝の寄進によるものは多いものでして、この所縁というものもあり、南北朝時代には源頼朝供養塔が造営、こちらは現存しています。歩み進めると共に飛鳥時代と平安時代と鎌倉時代へ。
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蓮如堂は、懸造の舞台が木々に溶け込むようにせり出す情景が動悸する程に美しい、もともとは浄土真宗本願寺派の蓮如上人を祀る堂でして、寛弘3年の西暦1006年、藤原道長の御願文に記された古いものでしたが現存堂宇は慶長7年こと西暦1602年、淀殿が寄進した。
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清瀧宮拝殿とともに複合建築物の様な重なり合った優美さがありますが、この懸造妻入建造物はもともと醍醐寺の清瀧宮拝殿を移築したもので、こちらは国宝に指定されています。名前からして神社を思い浮かべますが、その通り、三十八所権現社本殿と向かいあう形で。
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三十八所権現社とは祭神に神武天皇から天智天皇まで歴代天皇三十八柱を奉じた神社といいまして、ここに般若十六善神と薬師十二神将を奉幣しています。ただ、いつごろに創建されたかは定かではなく、開基である良弁が建立当時に勧請された古いものともいわれる。
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月見亭、ここも印象深い建物でして、石山尾根は東側に瀬田川と琵琶湖を望む突端部に造営されています。満月やふたつ過ぎても瀬田の月、と有る通り観月の景勝地となっていまして、観月の美しさは、近江八景石山の秋月、として日本を代表する観月台といえるもの。
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秋月、月見亭の造営は伝わるころでは平清盛が頭角を上げ始めた保元年間の西暦1150年代とされ、平家政権を推す後白河天皇が行幸した際にこの地にて観月を愉しんだと伝わります。ただ、現存する観月台は貞享4年こと西暦1687年の再建、それでも古いもので数多災害に耐えました。
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月見亭は寄棟造屋根を冠し、東西方向にやや長い平面で桁行一間と梁間一間で、東方の床を上げ舞台のように造形し、懸造となっていますので眺望は素晴らしく、紅葉の季節には素晴らしい情景が広がるとも思いますが、青椛の季節の人のいない静寂の展望も趣き深い。
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本堂秘仏は33年に一度開帳されるとともに、天皇陛下御即位翌年に特別御開帳となるのですが、昨年の特別公開の季節には、今ほどでは何しても感染により行動に慎重となる状況、少し惜しい事をしたとは思いつつ、その本堂を見上げるだけでも物語が紡がれる様ですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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文学の寺院とも言い得る石山寺は、しかし平清盛と所縁ある後白河天皇と源頼朝という時代の転機となる二人とも所縁ある文学以上の物語を湛えた寺院でもあります。
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石山寺、大津市は瀬田川に面した小高い巨岩の上の寺院ですが、多宝塔と蓮如堂に月見亭をひとめぐりすると、不思議となにか大きな旅行をしたような錯覚と満足感に浸る事が出来ます。石山寺硅灰石という巨岩の上に建つ故に安定というか安心感を醸し出すもよう。
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紫式部が源氏物語の着想を得、清少納言の枕草子にも描かれ、和泉式の和泉式部日記の舞台でもあり菅原孝標女が更級日記執筆前に拝観した石山寺は、文学の寺と称するに相応しい歴史を湛えていますが、こう拝観と巡るだけでも物語が湧き出でるのも何か納得します。
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多宝塔は国宝に指定されていまして、寺伝に記されている所では源頼朝寄進により造営されたもの、その建材は墨書に建久5年こと西暦1194年建立と記されています。現時点では判明しかつ現存している多宝塔としては日本最古となっています。文字通り石山上に建つ。
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源頼朝寄進という多宝塔、檜皮葺きの屋根とともに上層には十二円柱を四手先組物が支え飾り、方三間の下層には内に四天柱内の空間を有し、仏画や彩色に囲まれ快慶作の大日如来像を奉じた須弥壇を安置しています、この日如来像は重要文化財に指定されているもの。
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石山寺硅灰石を穿つように階段が多宝塔へと伸び、多宝塔の他にも山門などに源頼朝の寄進によるものは多いものでして、この所縁というものもあり、南北朝時代には源頼朝供養塔が造営、こちらは現存しています。歩み進めると共に飛鳥時代と平安時代と鎌倉時代へ。
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蓮如堂は、懸造の舞台が木々に溶け込むようにせり出す情景が動悸する程に美しい、もともとは浄土真宗本願寺派の蓮如上人を祀る堂でして、寛弘3年の西暦1006年、藤原道長の御願文に記された古いものでしたが現存堂宇は慶長7年こと西暦1602年、淀殿が寄進した。
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清瀧宮拝殿とともに複合建築物の様な重なり合った優美さがありますが、この懸造妻入建造物はもともと醍醐寺の清瀧宮拝殿を移築したもので、こちらは国宝に指定されています。名前からして神社を思い浮かべますが、その通り、三十八所権現社本殿と向かいあう形で。
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三十八所権現社とは祭神に神武天皇から天智天皇まで歴代天皇三十八柱を奉じた神社といいまして、ここに般若十六善神と薬師十二神将を奉幣しています。ただ、いつごろに創建されたかは定かではなく、開基である良弁が建立当時に勧請された古いものともいわれる。
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月見亭、ここも印象深い建物でして、石山尾根は東側に瀬田川と琵琶湖を望む突端部に造営されています。満月やふたつ過ぎても瀬田の月、と有る通り観月の景勝地となっていまして、観月の美しさは、近江八景石山の秋月、として日本を代表する観月台といえるもの。
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秋月、月見亭の造営は伝わるころでは平清盛が頭角を上げ始めた保元年間の西暦1150年代とされ、平家政権を推す後白河天皇が行幸した際にこの地にて観月を愉しんだと伝わります。ただ、現存する観月台は貞享4年こと西暦1687年の再建、それでも古いもので数多災害に耐えました。
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月見亭は寄棟造屋根を冠し、東西方向にやや長い平面で桁行一間と梁間一間で、東方の床を上げ舞台のように造形し、懸造となっていますので眺望は素晴らしく、紅葉の季節には素晴らしい情景が広がるとも思いますが、青椛の季節の人のいない静寂の展望も趣き深い。
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