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不安感を将来からの不安、現在の不安、過去からの不安、この三つに分類して傾向を考えると面白い。他人のことより、まず自分の傾向を思索する。今日、一番関心があるのは将来からの不安だ。
この二三日、結構悩ませられたこともある。そして、つらつら思うのだが、その傾向は幼い頃の生育史からくることもあるが、長い職業生活からのものは、時にはそれ以上に大きいように思う。
そして、今はかつての仕事をしているわけでもないのに、過剰かなとも思える取り越し苦労をしたりする。
こんな風に自分の不安感の分析をしていると、何かが見えてくるように思う。
昨日は琵琶湖の縄文中期遺骨で、歯が異様にまで磨耗している男性のことを考えていた。新宿縄文人の時も同じようで、歯を道具として使っていたと類推されている。エスキモーが皮をなめすときに歯を使っているということも、よく引き合いに出される。
厳しい環境で生き抜いて行くためには、縄文人のように身体を削るようなことをするが、我々現代人も心に職業的な癖を刻んでいるのだろう。
時には自分の中の傾向を不安感からあぶり出し、自分を責めるのではなく、ちょっとした勲章?と視点を変えて受け入れることも大事なように思う。
縄文からの風 ⑧ 8/10