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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

神仏と親密になる・・今も縄文時代も (6/10 心理学の世界と縄文)

2022-09-21 | 第十一章「五感で面白おかしく」

まだ、銀杏が色づく季節ではないが、真っ黄色な銀杏を見ると、校庭の大銀杏が黄葉し美しかった高校生の時の幸せ感を思い出す。入学し、校風に触れ秋には文化祭などを堪能したりした。祖父も同じ高校に通っていたこともあり入学を喜んでくれたが、美しい秋が過ぎ冬になると老衰で亡くなった。それから卒業までの2年間は良い意味でも悪い意味でも激動の時期だった。当時は学生運動の盛んな時であり、高校でもバリケードが築かれたり、ロックアウトが長期間行われた。高校の印象はあの幸せ感から手のひら返しで、冷たい無力感となってしまった。

あれから、半世紀がたつがこの出来事は、私の場合はアイデンティティの問題にも影響したようだ。その一つとし、高校に入ったころは信じていた神仏との関係が変わった。神仏(人によっては哲学)は人のバックボーンして大事なのであるが、昨日お話したプロセススケールの7番目の親密になることを恐れる傾向があり、高校での不幸な出来事は無意識の世界に残り、神仏や哲学と親密になることをどこかで恐れさせるようになったようである。

伝統的な宗教において、神仏は本来人と結構親密なものである。これはキリスト教の三位一体(父と子と聖霊)の神様でも仏様でも、精霊などでも似ているのではないだろうか。私の限られた経験でも、祖父母は自宅の神棚や仏壇にお参りするのは毎日かかさなかった。母は伯母は毎週日曜日にはカトリック教会に行ってミサをあずかった。それは義務とか形式というより生活の一部で、神仏との親密さに他ならないと思う。

私と言えば、40歳代後半からカトリックの信仰に復帰した親密さは戻った。しかし、より親密な人も世の中には存在していることにも気がついた。

キリストが父なる神にむかって「アッパ、アラム語でお父ちゃん」と親密に祈るような親密性。私はここ一つ淡泊なのである。今考えると多感な高校生の時の出来事が無意識の世界に作用し、親密になることを抑制していたのかもしれない。まあ、今は年をとり、だんだんお迎えがくるのも近くなってきたせいか(笑)、親密さは日ごとに増してきているようにも思う。

さて、八王子には日本に一つしか発見されていない子抱き土偶が出土している。土偶の母の頭は残念ながら欠落しているが、横座りの母親が子供を実にしっかり抱えている土偶なのである。この子抱土偶と似た造形にサンピエトロ大聖堂のピエタ像がある。子抱土偶の子供のお顔が縄文中期の女神のお顔に似ているので、神との近さを表すのはやはり母子像なのかもしれない。ひょっとすると、このようなイメージは旧石器時代、ホモサピエンスが世界に拡散する前にあったかもしれない。

6/10 心理学の世界と縄文

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       森裕行

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