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今でもボランティア活動等で、社会教育、福祉・介護の仕事をしているが、そのアイデンティティにまつわる起源を考えると、青春時代に行きつくようである。
1960年後半から1970年代前半は、丁度1951年生まれの私は≪忠誠心、アイデンティティ、自己混乱感≫の時代であったが、この時代はベトナム戦争、学園紛争、冷戦の時代で、人権問題や平和が叫ばれた時代だ。私欲を離れ、世のため人のためになる行動をすべき。そんな時代の理想のようなものが、自分に浸透し、自分を悩ませたようである。
以前6歳、7歳ころの成育史に結び付けて、罪悪感云々を問題にしたが、因果関係は良く判らないというのも実感である。成育史を精緻に検討するより(50年以上前の忘却の彼方の記憶・・・)、青春時代に読んだ本や友との語らい、マスコミの影響・・・つまり時代背景を調べるほうが価値があるようだ(U先生の説)。
昔、遠藤周作の沈黙が流行ったり、赤頭巾ちゃん気おつけて、柴田翔や高橋克己を一生懸命読んだのは、時代の影響だったかもしれない。
生き甲斐の心理学の病理論では、理想と現実のギャップであるストレス曲線(暗い感情)がまず問われる。いつの間にか、潜在意識にまで影響を与える時代の理想。それは、学生運動をしていた人が、企業戦士に変貌したり、闘士から結婚する時に、凶器となることもあるのだろう。
私の場合はどうだったのだろうか?きっと自分の中の理想に蓋をしていたのだろう。こころの健康を考えると決してよいことではなかった。
さて、30歳台半ばのころに得難い経験をさせていただいた。勤めていた会社の労働組合の執行委員になったことである。その中で教育問題(社会教育)にも取り組ませていただいた。この一年は、蓋をしていた理想を行動で追える貴重な時であった。行動の大切さを知った年であった。
この経験は、マンションの管理組合の役員としての活動などに繋がり、自分の生活の中で、ほそぼそではあるが息づいて行ったのだと思う。
そして、8年前に会社を辞めて、新たなスタートをした時、社会教育、福祉・介護業界の世界に移った。一般的なキャリア・パスでは考えられない行動だと思うが、成育史から考えると、自分の傾向と渇望の具現化ということで不自然ではない。
経済的な問題は重要な課題であるが、それが解決できる、例えば定年後の人生などで、利害を離れ、自分の中にある傾向と渇望を行動化していくのは、大切だと思う。
自分との和解 8/10