先日、誘われて多摩川水系・大栗川の源流に近い鑓水から古道を通り多摩境の田端遺跡あたりまで歩いた。この道あたりを縄文時代の人、弥生時代の人、戦国時代の人、江戸時代の人も歩いたと思うと何とも不思議な感じであった。今年は縄文を感じる経験をいろいろさせていただいたが(考古学の体験など)、古道をたどること(専門のガイドが必要)も立派な縄文体験の一つだとつくづく思った。次の写真は鑓水から多摩境までの風景。町田街道の古道まで経験した。
さて、クリスマスも近づき、13日ごろからお正月の準備も本格化する。今年は12月22日が冬至で田端遺跡にもまた行こうかと考えている。冬至の太陽が丹沢の最高峰である蛭ケ岳(蛇のとぐろのような三角形の山頂)に落ちるのが目撃できる田端遺跡。その日に例えば私が歩いた道(あたりかな)を通って峠を越え田端遺跡に集まった像文時代の人は何を感じたのであろうか。もちろん毎年繰り返される冬至であることは知っていたろうが、太陽が冬(死)の極限になった日に新春の再生が始まるという形而上学的な深い意味を感じていたのだろう。その感性はきっと現代人以上だったのではないだろうか。
最近、吉野裕子さんの五行陰陽説関連の本をよく読んだせいか、鏡餅(横から見ると三角)を見ると形から蛇のとぐろを想像し、五行陰陽説の白と黄色と緑のハーモニーから弥生以降の再生のイメージにどきっとしてしまう。鏡餅の意味を教えてもらったりしたことはなかったので眼から鱗であった。ご興味のある方は吉野裕子さんの「カミナリさまはなぜヘソをねらうのか」をおすすめする。
こうした伝統がある冬至という変曲点は一つの希望につながるのだが、沈みゆく太陽にきっと大きな不安も感じただろう。日本の幽霊はピーと笛が鳴り、太鼓がドドドとなり丑三つ時(午前2時三十分)にでるが、これは7、8世紀の五行陰陽説の導入と深い関係があるようで冬から春への変曲点の恐怖も物語っている。
死というものは意外に自分自身はこの世では経験できないものかもしれない。そして、いくら年をとってもその本質は変わりない。年をとれば大切な人の死に接する頻度は高まるようなので、死は人の死を通しての経験するのだろう。そしてパンドラの箱の底に希望が張り付いていることを知ったときというのだろうか、すべては再生に向かう。狩猟・漁労の時代は死が身近であった縄文時代。死がなかなか見えにくくなった現代人とは違ったなまなましさを感じたのだろう。
今年の冬至=正月=クリスマスはなにか特別に感じる。今年ほど今の時代の脆弱性を感じたことはなかった。そして、私も年齢的に変わらなけれないけない年なのだろう。闇が深いほど希望は耀くようである。
縄文世界を感じるとき 1/10
「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」
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森裕行
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