イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

貧しくある原点を大事にすること!(歴史から自分を知る 10/10)

2013-05-17 | 第二章「五感と体感」

 萬葉集の中で、忘れられない歌の一つに次の歌がある。

 み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと 隈もおちず 思いつつぞ来し その山道を

 三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍叙来 其山道乎

(み吉野の 耳我の嶺に 絶え間なく 雪は降るそうだ その雪の絶え間もないように その雨の 休みもないように 道の曲がり角ごとに 思いに沈みながら来た あの山道を)

天武天皇・持統天皇の時代は皇親政治の最たる時代で、超大な権力を天皇が持った時代だと思う。ただ、その先駆けは裸一つといった貧しさから始まる。

近江京の天智天皇が病気で亡くなる前に、後継者選びで殺害される身の危険を感じ天武天皇は出家し、妻である持統天皇と共に少人数で吉野に逃げ延びる。そのときの原型がこの歌だ。

 時をこえ、自分を越えた、何か不安感のパワーを感じる歌である。自分の無意識を表現しているというか、本音というかすごい。

 さて、実際の歴史は、この吉野から日本を揺るがす壬申の乱がはじまり、東国の力を借りた天武天皇が政権に躍り出るのだが、その原点はこの歌のようだ。

 最後に蛇足を一つ。今の萬葉集の解釈は伝統的な解釈に基づいているが、これを当時の朝鮮半島の言語から読み解くという研究もあるようだ。ひところブームになったが、イヨンヒさんの著書「天武と持統」によると、大意は次のようになる(38ページ)

 水の吉野に行こう、そのみやだけに(戦いが長くなりそうだ、胸がつぶれそうだ)出発しよう、しかし悲しくておいそれと行かれようか。逢う日を期そう、無念でこのまま行ってしまうことが出来ようか。ああ、悲しい。でも発つことにしよう。ああ、無念だ。また逢うことにしよう。「くま」の季節が必ずやってくる。「重祚」は立つ。だから廻り道もして行こう。

 韓国語等の知識のない私なので、その真偽は不明であるが、日本書紀等をご覧になれば気がつくことであるが、当時は朝鮮半島との交流が極めて盛んで、日本の政権幹部が半島の言葉も熟知していたのではと考えても少しもへんでない。その中で、万葉がなが単に意味のない漢字の羅列(かなの前段階として)とは思えないのだ。

 記紀や万葉集を真に理解するためには、言語学、比較宗教学、比較文化学、など様々な知識と科学的な態度が必要な気がする(勿論、心理学も)。その中で、 本音を感じ表現してきた当時の和歌が正確に伝わり、私たちの宝となっていくと思う。

(尚、写真は室生寺奥の院付近。今回の吉野とは違うが、役小角ともゆかりがあるお寺である。)

 歴史から自分を知る 10/10

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ 人気ブログランキングへ  <・・クリック応援いつも感謝しています. 

 

 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。