
4月30日に新宿で勉強会を行うが、そのときのビジョンの例として私の縄文小説を取り上げてみたくなった。
ちょうど昨年の2月後半から書き始め(恐らく小説というビジョンは昨年の正月ごろにひらめいたのだろう)、おおよそ一年をかけてきている。そして、内容を深めていく中で、最近はビジョンの柱や根というものを改めて意識している。
昨日、ビジョンは軽やかなダンスのようだと書いたが、よく考えると良いビジョンにはしっかりとした柱や根が必要だと思うのである。そして意識することで、、内容が引き締まってくる。生き甲斐の心理学の用語でいうと、アイデンティティの統合の問題、哲学の問題だ。
小説は75、000文字、原稿用紙で200枚くらいだろうか。一度、プロの方に見てもらう機会があったが、柱や根のようなものは大事だと言われていた。柱や根が上手くいってないと、何を書いているのかわからなくなるという現象がおこるそうだ。
さて、根とか柱とは何だろうか。ロジャースは、命題4で個人のもつ傾向と渇望が現実化され強化されるという意味深なことを言っているが、それなのかなと思う。軽やかにビジョンを得たとしても、それがどこかに根ついていなければうまくいかない。根づかせることが大事なのだ。
さらに、哲学とか思想というのも実に大事だ。心理学や心理療法の世界も人間観など哲学が決まってないとうまくいかない面がある。小説の世界ではいろいろな森羅万象が発生する。そのとき、どのように展開していくかは、著者の世界観と関係があり、時に著者を越えた世界観と繋がったりする。そして、それは哲学・宗教観などの知や体験と関係する。
ビジョン 3/10