イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ここは天国?(暮らしの中のカウンセラー⑮)

2010-07-02 | 第九章「愛」
 昨日、昼ごろサーカー観戦の疲れもでたのか、窓を開けてちょっとして眠りこんでしまった。ふと目覚めると、青空が見え、カーテンが微風で揺らいでいた。「ここは天国?」と思わず想ってしまった。

 今日の朝、テレビのニュースで、若い韓国のタレントが自殺をしたニュースが報道されていた。後追い自殺のことを思わず考え、マスコミが良識的な対応をしてほしいと願った。その時は、そんな思考の流れだったが、今考えるとそのタレントにとっては、この世は天国ではなく、生きていることが悩ましかったのだろう。タレントの理想と現実のギャップ。それが凶器となり、死を選んだのだのでは。

 還暦も近づいてきた私が、ここは天国?と思う反面。そうでなく、辛くて命を自ら断つ人もいる。

 若いころ、生きているのが辛かった時期もあった。しかし、今は楽しい(今日は仕事もないし、楽しい勉強会も待っている)。悲惨な室町幕府の時代でもなく第2次世界大戦でもなく、好きな読書や勉強ができ、家族や知人、友人、同志・・・に恵まれている。ひょっとしたら、天国にいるのかもしれない。天国をかいま見ているのかもしれない。

 私の理想と現実の認識。ここが天国かどうかの認識・・・認識と解釈。特に解釈が重要な働きをするのだろう。同じサッカーゲームを観ても、悔しいと思う人。安堵する人。いろいろだ。同じ出来事をどう解釈するかがカギなのだ。

 解釈は時と環境で変わるものである。解釈の変容。それを馬鹿にする人もいたり、不純だと攻撃する人もいる。転向ということが真剣な小説になる時代もあった。でも、解釈は人それぞれ、時と環境とともに自ずと変わる。また、解釈だけでなく、死ぬまで変わることができる。

 自ら命を絶ったA君、Bさん、Cさんのことを思い出すと辛い。生き甲斐の心理学がもっと世に知られていたらと思う。

暮らしの中のカウンセラー⑮(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 45/60)

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