外国人に接したり、外国人の中で働いた経験がある人と接すると、自分の中の日本列島人にふと出会うことがある。昨日も聖書のことを考える時間があったが、例えばユダヤ人は3000年間以上文字文化に接していたわけだが、日本列島人は国書が出来てから1300年程度の歴史しかない。延々と今でも続くような言霊文化は優しく詩的で好きなのだが、システム的に物事に向かわなければいけないときなどは脆い。どうしても竹槍的になってしまう(竹は神秘的な力を宿すとされる)。竹槍は太平洋戦争のときも登場したが、この20年くらいの日本の大企業の衰退の傾向を見ててもそんな気がする。そして何となく行く末を思い不安になったりする。
へんな愚痴になってしまったので、話を少し変えよう。自分との出会いということも、負い目を感じたりすることからスタートすることが多いようだ。実はそれが、成長を促し幸福への一歩となるチャンスなのであるが、幼い頃から親は厳しく、学校でも先生は厳しく、社会人になっても周りは厳しく、その中で自分が惨めに萎縮していく経験を持つ方が私も含めて多いと思う。夢を持て・・・ということで夢に向かって一歩始めても、厳しい現実が待っていて、直ぐ落ち込んでしまう。Number 1よりOnly 1などという素敵なことを言う人もいるが、萎縮する自分を回復するにはほど遠い。どうしたら良いのか分からないので、考えることすらやめてしまう。
生き甲斐の心理学では、こうした時に「考え方が変われば世界が変わる。体験の解釈が変われば世界が変わる」と教えてくれる。私が学んできた生き甲斐の心理学の考え方に、自分の中に魂があることを信じてみるということがある。魂は死んで身体から離れる生命体だと多くの人は納得するが。それを、愛そのものの生命体と考えてみたらどうか。もちろん、私も含めて人は不完全である。その不完全さを魂以外の身体とか生育史に原因をおく。これは比較宗教学的な知見であるが、考えが変わるきっかけになるかもしれない。
しかし、これも先の「Number 1よりOnly 1」のようなものだ。他人がいくら言っても本人は頭に入らないものだ。本人が気がつかないかぎり気がつかないものだ。気づきは、自分と他者との間の何某かの対話の中で生じるもののようだ。恩寵というものかもしれない。
ところで、今はともかく厳しい時代に生きた縄文人は、どのように魂を考えていたのだろうか。わたしは、同じように考えていたのではないかという仮説を立てている。
出会い 9/10
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森 裕行 | |
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