物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

昨日は休日だが、私も休んでしまった

2020-02-12 10:09:37 | 日記
昨日は休日だが、私も休んでしまった。

「そんなの当然だよ」という声が聞こえそうであるが、定年後は基本的には祝日は休まない。それでもときどきは休むことが全くないわけでもないが。

昨日は実は『朝永振一郎著「量子力学」の研究』という本のコピーのコピーをしていたのである。およそ530ページの大著である。

それでほぼ一日がつぶれた。午後3時ごろにはコピーが終わったので、こたつに入ってテレビだったか、本を読んでいるうちに昼寝をしてしまった。

けっこう長い時間寝てしまったのだが、それでもやはり夜は別に不眠症にもならないから不思議である。

自分自身はすでにコピーを持っているので、自分自身に必要なコピーではなく、このブログの読者からの要望があったためである。

私のブログの記事を読んで、これを読んでみたいとか、国会図書館にそのコピーを寄贈したらどうかという提案が読者からあった。

『朝永振一郎著「量子力学」の研究』という本のコピーを私だけのものにするというつもりは全くなかったのだが、そういう風にとられたかもしれない。

ともかく、コピーは余分に1部だけできた。長年ブログを書いていると思わぬ反応がある。これはある意味、楽しいことである。


『ピタゴラスからオイラーまで』

2020-02-10 11:21:07 | 日記
坂江正『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)を読んでいる。

ちょうど500ページの大著である。一番終わりの12章から読んでいる。ここはおよそ読んだので、他の章も読んでいる。かなり昨日の日曜に読んだ。

三角形と三角関数について書いた本であるが、対数関数と指数関数の章がちょっと三角関数と縁が薄いがそれでも、まったく関係がないわけでもない。

それで500ページとは三角関数だけでも書くことがあるものだ。この本を読んで他であまり読んだことがないなと思っているのは、三角関数の積を和に変えたり、逆に和を積に変えたりすることがどこで使われているかということである。

三角関数の積を和に変えるのは三角関数の積分のところで使われており、和を積に変えるのは三角方程式を解くときに使うという風である。

三角関数の積を和に変えるのは三角関数の積分のところでといったが、たとえば、フリーエ級数の係数を求める積分のところなどである。

こういう指摘はあまりほかの本ではみたことがない。これは、この本の特色といっていいであろう。

2月の俳句

2020-02-06 17:50:44 | 日記
2月もはや6日となった。

毎月その月の子規の俳句を紹介している。今年のカレンダーに出ている2月の俳句は紹介しておこう。

 栴檀(せんだん)のほろほろ落ちる二月かな
 February
   the satinwood berries
   are falling
satinwoodとは「しゅすぼく」と平かなで辞書には訳がついていた。それが何かは知らない。

いま国語辞典を引いてみたら、栴檀は落葉樹で香りのある材だとあり、「栴檀はふたばより芳し」ということわざが書かれていた。


M. R. さんのこと

2020-02-06 11:45:51 | 日記
M. R.さんとは私の小学校時代の同級生だった女性のことである。

この人は優秀な人で小学校時代に級長とか副級長を務めただけではなく、学業成績も優秀な人であった。

中学校とか高校も同じだったが、そのころはクラス数が多かったから、一緒のクラスにはなることがなかったと記憶する。

ただ、高校1年生のときに生徒自治会の会計係にこの M. R. さんと私が国語の N 先生の推薦で会計委員に選ばれた。

そのときに N 先生の記録された会計記録を会計簿に書き写すという仕事を一緒にした覚えがあるが、それくらいしか接点はなく、私の印象は小学校小時代の印象しかない。

しかし、高校を卒業するときには男子生徒では私の小学校時代からの友人であった、Y君であったか、または中学校時代のクラスメートのK君とが最優秀賞をもらったが、そのときに女生徒では断然この M.R. さんが最優秀賞をもらわれた。

この M.R.  さんは優秀な人ではあったが、大学には進学しなかった。 M. R. さんのお姉さんは私の兄と同じ学年だったと思うが、大学に進学された。

M. R. さんのお父さんは戦争か何かですでに亡くなれていたと思うので、 M. R. さんが大学に進学されなかったのは家庭の経済的な事情を考慮されてのことだったろうと推測している。

とても頭のいい方であったので、自分の希望をお母さんに言えなかったのだろう。

それから高校の同期会でも、小学校の同じクラスの同級会でも一度も出会ったことはない。

私にしてもそういう M. R. さんのことを思い出したことはない。だが、まだ大学に勤めていたころ、放送大学の聴講生でとても熱心な女性の方がおられると聞いたことがある。名前まで聞かなかったかと思うが、ひょっとしたらこの M. R. さんだったのかもしれないと思っていた。

それはだいたい年齢が私の年齢ぐらいだったらしいことを聞いたことがあるからであった。放送大学の愛媛大学にあるセンターの職員に大きな印象を与えるほど熱心な人などそうそうはいないだろうと思った。

もっともそれが M. R. さんであったかどうかはこれは個人情報にもあたるのだろうから、知ることはなかった。





一つ仕事が片付いたので

2020-02-04 11:26:27 | 日記
一つ仕事が片付いたので、つぎの仕事のことを考えている。

一つは三角関数についてどうe-learningのコンテンツをつくるか、もう一つはさらに発展して初等幾何学をどのように学ぶかである。

これらは私のもった課題であるが、さらに O 先生の「量子力学講義ノート」の第3部の入力がある。
これもできるだけ3月までに仕事をしておきたい。

というもののいつものごとく、ちょっと虚脱状態である。この虚脱状態から抜けるのは数日はかかるかもしれない。





外国語での俳句

2020-02-01 12:45:54 | 日記
岩波書店の雑誌『図書』に俳人の夏石番矢さんが「世界的な詩としての俳句」という
タイトルでエッセイを書いている。

その中からいくつか無断引用で紹介しておこう。

  ながながと川一筋や雪の原 野沢凡兆

この英語訳は
       A single river, stretching far
      Across the moorland in snow.
この句の日本語反訳は
  一本の川、はるかへ続いている
  雪(でおおわれた)の荒れ地を横切り
である。

つぎはフランス語での俳句である。
  Nu comme un dieu.
       Au galop dans la prairie,
       Il fait la r'eaction.
日本語訳は
  神のように裸、
  草原でギャロップ、
  彼のからだはほてる
である。
  Pleine lune,
       Sur les nattes,
       L'ombre nette du pin
日本語訳は
  満月。
  茣蓙の上、
  松の影
である。

もう一つだけ紹介しよう。
  A moiti'e petite,
            La petite
      Mont'ee sur un banc.
日本語訳は
 半分小さい
   童女
 ベンチにあがって
である。

もう少し俳句が出ているが、別の機会に紹介しょう。
   
  
     

「さようなら」を外国の言葉でいえば、

2020-01-31 07:31:43 | 日記
「さようなら」というのは別れの挨拶であるが、これを昨夜のドイツ語のテクストでいくつか見た(注)。

Tsch"us ! とかAuf Wiedersehen !はもちろんドイツ語である。Ciao !とかArrivederci !はイタリア語であろうか。
So long ! とかSee you !とかは英語であろう。

Au Revoir !はフランス語である。Hasta la vista !はスペイン語であろうか。

ちょっとローマ字綴りは覚えていないが、ロシア語では「さようなら」はダスヴィダーニアであったと思う。

中国語ならば、「再会」(ツァイティエン)である。

話は一挙にとぶが、先日、道後でのスタンプラリーに妻とでかけて出会った観光案内所に勤めていた、中国人の女性に学生のときにラジオのNHKの講座で中国語を2年ほど学んだが、いまでも覚えているのはニィーハオ(こんにちは)と二ィーツオー(おはようございます)しかないと言ったら、発音は悪くないとお世辞のお褒めの言葉をいただいた。

(注)「さようなら」ならは、「さようならば、またお会いしましょう」の略したものだと昔誰かに教わった。

どこの言葉でもさようならの意味はまた「おあいしましょう」であるのはおもしろい。



「数学・物理通信」9巻10号の編集

2020-01-30 10:16:55 | 日記
「数学・物理通信」9巻10号の編集を始めたい。これは共同編集者の N さんから、編集後記をいただいたからである。

もっとも N さんが書くと言っていた、「無限級数の収束半径」の原稿をもらうことはできなかった。

本人も残念だろうが、やり方を考えたほうがいいのではないか。その一つはlatex
を使うことを止めたらということである。

それで昨日 N さんを訪問したときにwordをつかうことを提案しておいた。これは昔latexを使っていた人たちがwordに回帰しているということを知っているからである。

latexはいい言語だが、やはりコンピュータのプログラムを組むような側面があり、そのプログラムが動かないとpdfの文書ができないという欠点をもっている。

それは欠点であると同時に長所でもあるのだが、身体の不自由な人にはとても重荷になる。それだからもっと早く N さんにwordへの回帰を進めるべきであった。




数学とか物理とかを主にしたブログのはずだが、

2020-01-28 11:58:38 | 日記
私のブログは「数学とか物理とかを主にしたブログ」のはずだが、どうも訪問者はむしろ外国語に関心のある方が多いような気がする。

私も外国語に関心がないわけではないが、どちらかというと数学とか物理に関心があるつもりである。

もっとも別に外国語好みの方が訪問していただいて悪いわけではない。いや、むしろ好ましいのかもしれない。

その話はともかくとして大学を定年になってから、収入が少なくなったということはあるにしてもストレスが少ない生活をしていることは確かである。それは好きなことしかしないからである。

物理屋さんであった割には物理とはあまりかかわりのない生活をしている。
というか物理は難しいというか。

いやそれ以前に数学があまりできなかったので、その疑問を自分で解くというようなことをしている。だが、これはもちろん数学者が議論するような数学はどこにもでて来ない。

物理との関係ではO先生の「量子力学講義ノート」第3部の編集に今年こそとりかからねばならない。第2部まではすでに「素粒子論研究」電子版に掲載されている。

土曜日の午前中のアクセス

2020-01-27 10:49:25 | 日記
先飛び飛びスペクトラム週の土曜の午前中のこのブログへのアクセスはいつものとびとびスペクトラムではなく、連続スペクトラムであり、その日の通算のアクセス数が急に多くなるかとも思ったが、そうでもなく3800番代の順位に終わった。

一日のトータルとしてはあまり多くはなかった。むしろいつものときの2400番代のときのほうがアクセス数は多い。

同時に100人近くの人がアクセスがあるとはとびっくりした。だが、一日全体で見るとそうだったからトータル数が上がるわけではないということらしい。

数学とか物理のことや外国語のことが圧倒的に多いブログであるので、そんなにポピューラなブログではない。

地道な足取りがこのブログの持ち味である。

昔の原稿

2020-01-25 13:18:58 | 日記
昔の原稿を一つだけlatexで打ち直したのだが、どうしたものかうまくpdfに変換できない。

プリアンブルは前のlatexの原稿からとってきているのだが。どうしてだかわからない。以前にワードで書いた原稿をいくつかlatexに改変しようとしているが、その手始めがうまくいかない。

文章はほとんど前のままだが、一部の数式を書き変えた。これは入力の手間を節約するためであるが、これによってむしろわかりやすくなるというメリットもある。

昨夜、2時半ぐらいまでがんばったのだが、pdfへの変換はどうしたのかうまくいかない。

私は今までに全体で180くらいの数学的エッセイを書いている。もちろん、これは以前に書いたエッセイの改訂版も多いから、その半数くらいが私の書いた数学的エッセイの数であろう。話半分としても90くらいはエッセイを書いたことになる。

私はあまりアルコールが好きな方ではない。もちろん飲むのはよく飲む人とたぶん同じくらいは飲めるけれども別に酒がなくても苦にはならない。唯一の趣味は文章を書くことであり、それの中で数学的なエッセイを1980年くらいからだから、40年近く書いてきた。

あまり人の目に触れるものではなく、密かに書かれたものである。だが、最近では電子書籍という形態もあるので、そろそろ人生の幕引きにそれらを分類して電子書籍にしておくのもいいかと考えている。


「ジャスダックが主戦場の株日記」さんのブログ

2020-01-25 09:17:35 | 日記
「ジャスダックが主戦場の株日記」のブログを書いている方がおられる。この方がこの私のブログを訪問されているので、逆にのぞいてみた。

すると、この方は外国語の堪能な方らしい。特にフランス語が。私も大学生のころに第三外国語としてフランス語を学び、読むフランス語ではなく話されたフランス語に関心をいまでももっている。

いつだったか、徳島からの帰りに高松の駅でフランス人の学生と出会って、2日ほど仕事場に泊めたことがある。その時のやりとりはもちろんカタコトだが、フランス語である。

言葉の基本は聞くことだと「ジャスダックが主戦場の株日記」のブロガーさんはいう。その通りだと私も思っている。もっともなかなか聞き取ることは難しい。

話された言語としての外国語との接触の一番初めはもちろん英語であるが、そのつぎにフランス語であり、イタリア語、ドイツ語の順である。

どれが一番話すことができるかというと、もちろん私にとってはドイツ語である。英語とフランス語とどちらが聞き取りやすいかというとやはり英語であろうが、フランス語もかなりのことは聞き取れると思う。

しかし、NHKのテレビの「旅するフランス語」でフリーに話されると字幕付きでも半分もは聞き取れていないのではなかろううか。

もちろん、半分も聞き取れたらすごいという反応もありうる。カタコトでもある言語で話すことができる人はすごいと私は思っている。

株の取引をする人が私のブログに関心を持つ理由がわからないと思って「ジャスダックが主戦場の株日記」さんのブログを訪問してわかったことはこの方も外国語に強い関心をお持ちであることであった。

私はSNSはまったくしないので、コメントはできないのでここにコメントとして載せた。

ホームページを持つ日が来るか

2020-01-17 11:47:04 | 日記
いや、これは私が「ホームページを持つ日が来るか」という意味である。

ブログの方はもう15年くらい書き続けているので、私の生活の一部となっている。だが、ホームページも私の生活の一部となるか。これは私にもわからない。

というのももう私は80歳を越えた老人であるのだから。とはいうものの私よりも年長の方でもホームページをもっている人は少なくない。すくなくとも私は私の知人でかつ私よりも年長の方でホームページをもっている方を存じ上げている。

もっともその方のホームページをまだ覗いたことがない。だが、この方は亡くなった私の兄の後輩であり、私よりも年長であることは確かである。理科教育が彼の専門である。

ホームページの代わりと言ってはいけないだろうが、「数学・物理通信」というメール配布の一種の雑誌を発行しており、これは名古屋大学の谷村省吾さんがご自分のサイトに掲載してくれている。

これを発行すると言った情報を彼がもったときに、どこかのインターネットのサイトに載せるべきだというご意見をいただいた。ただ、私にはその能力がなかったので、それを知った谷村さんが自分のサイトにリンクをしてくださった。

これには感謝にたえない。

不勉強な私

2020-01-14 11:28:08 | 日記
大学入試のために受験勉強していたころでも、英語の受験参考書は1冊も読んだことはない。これは2歳上の兄などは高校3年にときには山崎圭次郎の『英文解釈法』を懸命に読んでいたから、それと比べても不勉強のそしりはまぬかれまい。

もっとも、この兄と比べて私の英語力が劣っているとは自分でも思ってはいないから思い上りもはなはだしいかもしれない。

兄は一生懸命記憶しようとしても次の日には忘れているといつも嘆いていた。いつだったか、もう何十年も昔のことになるが、この兄の子(すなわち私の姪)の結婚式のときに、兄の高校のときの友だちが「お前の兄貴も本来は理科系だったよね」と言われたことがある。

私の兄は大学では法学部に学んだが、別に弁護士とか裁判官とかのすばらしい職には就かない人生を送った彼はたぶん記憶力が十分ではないことを自覚していたのであろう。

(2023.4.24付記)ここに挙げた私の兄は2年前に亡くなっている。コロナ禍で死ぬ前に会えなかったので私の頭の中では彼はなかなか死んだという実感がわかない。ただ、実家に行くと彼にはもう会えないというのは事実である。それでも私にはなかなか実感がわかない。

All's well that ends well.ってドイツ語では

2020-01-13 18:01:25 | 日記
All's well that ends well.(終わりよければ、すべてよし)ってドイツ語ではどういうのかと思って、
昔聞いた小塩節先生のNHKのドイツ語講座のテクストにないかと探しに行ったが、そこには見当たらなかった。

それで、インターネット検索したら、すぐに出て来た。

Ende gut, alles gut.

だって。

ここには動詞があからさまには出てきていない。
それにしても訳が簡単だと感心した。

インターネットの検索によれば、これは原典はシェークスピアらしく、文法的には
All that ends well, is  well.
というのが文法的には正しいらしい。しかし、
All's well that ends well.
でそのまま覚えておきなさいと書いてあった。

私などは
 All is well, that ends well.
とAll'sとは覚えていなかった。