物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

1月の子規の俳句

2020-01-11 12:33:22 | 日記
E大学の校友会が送ってくれたカレンダーの1月の子規の俳句は

 若水になりてこぼるる筧かな 子規 
    New Year's water 
    overflowing
    the bamboo gutter    (1895)

である。
gutterという英語は知らなかったが、辞書を引いてみると古い辞書には「(道端の)どぶ、溝」の
意味が最初に出てくる。2番目に「雨どい」が出てくるのでやっとほっとした。

あとは難しい単語はない。

写真がついているが、これは松山城二の丸史跡庭園の筧の写真である。
このブログは写真抜きのブログであるので、写真はお見せできない。

アクセスが300に

2020-01-09 15:58:57 | 日記
アクセスが300に今日の10時過ぎになったことを知った。

もちろん、いっときのことであるから、全体のこのブログのアクセスが大きいということではない。

一日のアクセス数は大したことはない。このブログは若い人気スターのブログではないのだから。

それでも突発的になぜだか、ときどきアクセス数が急に増えることがあり、普段のアクセス数が1とか2とかがうそみたいなときもある。

新年は健康診断から

2020-01-06 12:45:53 | 日記
今日、1月6日に生協病院に健康診断に行った。

こういう健康診断は一年に1回、自治体が推奨している健康診断である。結果はまだよくわからないが、胃カメラを入れて胃の様子はみてもらったのだが、特に異常は慢性胃炎のほかはなかったようだった。

最近は鼻から入れる胃カメラを使っている。これが2回目の胃カメラである。先回は2015年だったようで、5年目の検査だった。

もしか、生体検査をするかと言われたので、それをすることにした。もっともその必要があるときにはということである。

支払う額が5000円増しだったので、手持ちのお金がないので、支払えないかもしれないと言ったら、もしそうなら後で払うことができると言われたので、それを受けることにしたが、その必要はなかったらしい。

1月4日仕事を再開

2020-01-04 12:15:52 | 日記
2020年の仕事の再開は今日1月4日となった。

とはいってもすでに1日から自宅に持ち帰ったこのパソコンで原稿の書き換えをしていた。

およそ書き終わったと思ったら、Levi-Civita記号がテンソル密度とか相対テンソルと言われているものだということの説明をしておきたいと思うようになった。

ところがあまりこのことについては知らない。それで一般相対論のテクストを急遽ちらっと見たのだが、あまりわかりやすくない。

要するにLevi-Civita記号であらわされる量は、空間反転したときに、符号が変わる種類の量であるのだが、私の見た相対性理論のテクストはわかりやすくはなかった。

コンパニエッツの『理論物理学』(岩波書店)だったかに説明があったような気がしているが、この書は自分ではもっていないので、E大学の図書館に行ってみて見ないとどのように書いてあったかわからない。



今日は大掃除のつもりだったが、

2019-12-30 11:26:43 | 日記
今日は自宅の大掃除のつもりだったが、都合で仕事場に来た。

自宅の大掃除は明日にした。もっとも風呂とトイレの掃除がいつものことだが、今年はそういうわけにもいかないだろう。風呂の窓が開かなくなっており、そのための留め金をちょっと代える作業をした方がいいからである。

ちゃんとその作業ができるかどうかは保証の限りではない。うまくドライバーが使えるかどうかわからない。

普通の十字ドライバーでねじを外して風呂の窓のところに取り付けるだけである。
だが、ドライバーがうまく使えるかどうかわからない。やってみるしかない。

(2020.1.4付記) 実は上に書いた風呂の窓の留め金を付け替える作業はうまくできた。大体が、妻の信用がこういう作業では私はないのだが、今回だけは意外と見直してくれた。正月中に妻のご機嫌がよかった。

それに風呂を入れた次に日には日中には風呂の窓を開けて水分を窓から逃がすことができるようになった。

もっとも、このことは風呂の窓の留め金が壊れるまでもう何十年も私がしてきたことの継続である。

クスクスを買って来た

2019-12-28 14:30:23 | 日記
今年の懇親会もクスクスをみんなに食べさせて、かつグリューワインを飲ませるつもりである。

クスクスは昨日松山駅前のフジグランのKALDIで買って来た。クスクスはどこですかと尋ねたら、案内をしてくれた。

コーヒーはエスプレッソのようなショート(少量)なものを準備できた。クスクスにかけるソースはさきほどあらかじめ煮てある。これらは妻の指導のよろしきを得て、準備ができたのはよかった。

1時過ぎに三越で「グリューワインはどこですか」と言ったが、係員の人に通じなくて、「温めて飲むワイン」と言ったら分かってくれた。

昨年は1本2,000円よりは安かったと思ったのだが、もしあまり高価だと買えないかもしれないと心配して値段を聞いたら、1,400円をちょっと下回るくらいであった。

後はメンバーが来てくれるのを待つのみである。





Levi-Civitaの記号とベクトル解析

2019-12-27 22:08:56 | 日記
昔書いたエッセイを「Levi-Civitaの記号とベクトル解析」というタイトルに変更して、中身を修正している。ところが少しの修正ですますつもりであったが、方々に筆を入れたくなって収拾がつかなくなりそうだ。

いつも私のこういう習性には困ったものである。本来は「Pauli行列の導出」というエッセイを書いており、一応出来上がったと思って9巻9号に載せるつもりだったが、すこし時間をおいてから読んでみると、まだまだ生半可のところが多いことに気がついた。

その原稿全体がおしゃかになったわけではないが、これは自分の心の中では完成には程遠いことがわかったので、その代わりに「Levi-Civitaの記号とベクトル解析」というエッセイの完成を急いでいた。

やれやれ。これも完成しないとするとどうしたらいいのか。

(2020.5.11付記) 「Levi-Civitaの記号とベクトル解析」は「数学・物理通信」9巻9号に掲載した。「Pauli行列の導出」は次の号の9巻10号に掲載した。

関心のある方はインターネットで検索すれば、名古屋大学の谷村先生のサイトにたどり着くだろう。



明日は懇親会

2019-12-27 13:59:01 | 日記
明日は懇親会である。 毎年12月第4土曜日の午後から夕方にかけて懇親会をおこなっている。

今年もすでに肉とかクスクスとかを買い入れたので、あとはグリューワインを買えば、準備が整うことになる。もっともその前に部屋の掃除が2時間ほどかかるけれども。

これは16時くらいからすることにしようか。月にだいたい1回くらいしか掃除をしない。そのきっかけがいつもの雑談会である。

雑談会をする日は11時くらいから,およそ1時間半くらいをかけて掃除をする。普段は食卓の上も広げた本とか計算用紙とかで散らかっている。

それをそのときは片付けないと雑談会ができない。妻もいつも協力してくれて有力なメンバーの一人である。

先刻も妻と話をしたのだが、こういう会を今年も持たせてもらうのは私たちが元気であるからであり、感謝にたえないと。

それはそうとシェフと私たちが名付けている、Kさんも今年は懇親会に来られるという。年が変われば、このKさんどこかに旅行されると聞いている。


雪崩式のアクセス

2019-12-26 11:29:20 | 日記
昨日午前中早くに大量のアクセスがあってちょっと何が起こったか心配になったが、一日全体ではアクセス数はあまり多くはなく、もっともらしい数であった。

いわば、雪崩式のアクセスであり、ちょっと何が起こったか心配になった。今日はもとのようにぽつぽつとしたアクセスである。

だいたい、およそおもしろくないブログが人気歌手のブログのようであってはいけないだろう。

世の中にひそかに生息するような動物でありたい。そういう目立たない動物がいるのかどうかさえもわからない。

だが、それでもそれなりの存在価値があるものだ。



「数学・物理通信」9巻8号発行

2019-12-25 16:35:04 | 日記
今日ようやく「数学・物理通信」9巻8号を発行した。

今回はトラブル続きで発行が予定よりも大幅に遅れた。それでも自分としては意気軒高としており、少なくとももう1号は年内に発行の予定である。

10号の発行は残念ながら来年1月に発行となるであろう。初めの予定では年内に3つの号を発行する予定であった。

世の中は思うようにはならないものである。まあこれにくじけることなく来年も10号くらいの発行をしたいと思っている。

マウスが動くようになった

2019-12-25 12:23:33 | 日記
それで、ようやく「数学・物理通信」9巻8号をようやく発行した。

投稿者の方々にはご心配をおかけしました。なんとか元に戻った感じである。

これから年末にかけて9巻9号も発行するつもりである。10号は残念ながら年を越すだろう。

さあ、せき止められていた川の水が流れるように9巻9号の編集にとりかかろう。
楽しみである。


『影響力の武器』

2019-12-25 10:40:17 | 日記
『影響力の武器』という社会心理学の本があった。もちろんこれは訳本であり、原題は「Influence(影響)」であった。

この本のことを思い出したのは実は昨日のある議員さんの正月の便りというか、活動報告の封筒入れを手伝いに行ったときに、お昼のときのある方の話を聞いたからである。

この人はある夜に家の前の路上で女性の助けを求める声を聞いたが、近所の人は誰も助けには出なかったようだという話をされた。

この方は運悪く風邪をひいて2階で寝ていたとかであり、その話を奥様から次の日に聞かれたという話だった。

それを聞いて私は『影響力の武器』で読んだ話を思い出して、ちょっと注意をしてしまった。

それは多数の人が行きかう路上であっても、痴漢に遭った女性がだれか不特定多数の人にぼんやりと助けを求めてもなかなか助けを得られないものだという社会心理学の知見である。

そういう時にはある特定の人に向かって具体的に助けを求めなくてはならないというのが『影響力の武器』に出ていた助言である。

これは多くの人がいるのだから、誰かが助けるだろうという風にみんなが考えるので、助けを得られないのだという。

困ったときにはあなた私を助けてと言われれば、その人は助けてくれるのだという。

こういう話はあまり日本では聞いたことがないが、さすがにアメリカの社会心理学者の研究は徹底している。

また、こういうことを書くと「知識をひらけかす」と妻からおしかりを受けそうだ。

ブログ開設1937日だとか

2019-12-24 16:24:49 | 日記
1937日は何年かと計算して見たら、5.307年と出た。これは、いまのgooになってからの話であろう。前はocnのブログであったから、それからなら15年近くになるだろう。

開設は2005年の4月の終わりころである。いまは2019年であるから、14年とちょっとブログを書いてきたことになる。

なんでも自分が面白いと思ってきたことを書くつもりなので、そういう興味深いことがないときにはつい自分のよく知っていることを書いてしまう。

それが妻に「知識をひらけかす」などと酷評された理由である。そしてそれだからお前のブログにはあまり読者がいないのだという。

私にしてもどれくらいの訪問者がいるのかいつもアクセス数は見るけれどもそれが多いのか少ないのかはわからない。

退屈なブログならば、それは私の知性の貧弱なためである。他の理由はない。

(2019.12.25付記) 記事総数が5116件と出ているが、これもocnのブログに遡のぼれば、たぶん7000件は超えるはずである。もっとも現在でも2005年4月末のはじめのブログを見ることができるはずなので、それだと5000件が正しいのかもしれない。

いま5116を365で割り算してみたら、14.016年となった。件数は総数として正しいのかもしれない。

ボランティアの封筒入れ

2019-12-24 14:58:25 | 日記
ある議員さんの封筒入れをさっきまで手伝ってきた。

妻がボランティアに行くときに大抵の場合に連れていかれる。ではあるが、妻は午前中でこのボランティアは終わり、午後は独自の活動に行った。

私は午後もこの活動を手伝って、さっき帰ってきた。それでこのブログを書いている。

この後、妻が帰ってきたら、Edionにパソコンとマウスをもって相談に行くつもりである。ことによると新しいマウスを買うことになるかもしれない。

それは症状がどうだかによる。それにしてもパソコンの故障とマウスの故障が続いて、仕事の予定が立たなくなった。今年中に発行予定だった、「数学・物理通信」の発行が来年の1月にずれこむことになることも場合によっては予想される。

いままでこういう事態はあまり起こらなかったが、ここにきて今までにはない事態が起こるかもしれない。

量子力学のセミナーで

2019-12-23 15:32:44 | 日記
大学4年に研究室に配属になったときに、教授と助教授の先生がついてセミナーをしてもらった。

ところがそのセミナーがはじまって最初の時期に部分積分か何かを使って、方程式かなにかから、ある関係を導かなければならなかった。

ところがこれが導けなくて教授にきつくお叱りを受けた。

そして、その同じ内容をすでに教授の講義で聞いていたのだが、自分で計算がまったくできなかった。

このときに計算ができなかった数式は80歳のいまになって、あるベクトル解析の演習書を見ていると何とかの定理とか補助定理とか名前がついていることを知った。

中学生の昔から計算がへたくそで計算のない数学があればいいのにと思っていた。

もっともそんな不遜な考えは大学で砕け散った。大学の2年だったかに理学部数学での微分積分の講義では計算などはまったくでて来ない集合の話であった。

これがまったくわからない。それで結局2年の微分積分の単位は落としてしまった。
もっともこれは私だけではなく、計算が達者な私の同級生もその多くが単位を落とした。

その次の年の3年になって、もしその単位を落とすと4年生での受験となるからということで多くの同級生も私ももうそのときは内容を暗記するくらいに真剣に試験勉強をした。

そのおかげでかろうじて微分積分学の単位をとったが、伝統的にどこの大学の理学部の数学でも数学の基礎となる集合論を微分積分の講義のなかに入れているという事情によっている。

私は物理の専攻で数学科ではなかったが、数学科と一緒の授業を受けていたから、こういうつらい目にあった。

これは私の同級生がその再試験の前にもらしていた本音でもあるが、これだけ勉強しても微分積分の試験で単位をとれないならば、点字をならって4年生の再々試験のときにはカンニングを考えなければならないと。

幸いなことにその I 君も私もなんとか単位をもらうことができた。この I 君は大学を卒業後は静岡県で高校の先生をやっていたが、まだ健在だろうか。