昨日、松山市来住の愛媛医療生協の新病院の内覧会があった。私は医療生協に関係しているわけではないが、妻が関係している。
そして新病院を見学に来た人たちが、特に心療内科に大いに関心を示したという話を夕食のときにしてくれた。
これは自分の身内に精神的な病気にかかる人が多くなっているためではないだろうかと推測を述べていた。
精神病院ではいまでも鉄格子の入った病院があるそうだが、だんだんとそういう病院はすくなくなりつつあるという。だが、依然として鉄格子の入った精神病院も多いという。
そのせいかどうかわからないが、心療内科が関心を集めているらしい。
それで思い出したのだが、1968年に歴史家の羽仁五郎が「都市の論理」(勁草書房)を出すことになった契機は実は神経精神学会の分科会か何からの、講演依頼から始まった。
その問題意識はつぎのようであった。精神科の医師としてはうつ病にしろ統合失調症にしろ精神病は大抵治すことができる。
ところが社会に帰るとその治った患者がまた精神病を再発させる。このことを実は病気を見ている心ある精神科医師たちはこれは個人の問題というより社会の方に問題があるのではなかろうかと考えた。
そういう問題意識から羽仁五郎に講演依頼をしたという次第であった。そういういきさつから、この特別講演のあとに、引き続いて学習会が長期にわたって行われ、その学習会の羽仁五郎の講演記録の校正刷がその学習会の世話人であった、武谷三男のところに回ってきた。
そしてそれを武谷が整理をし、それが「都市の論理」という本にまとめられ、出版されてベストセラーとなった。羽仁五郎が後年語っているところでは、武谷の原稿整理がよかったとのことである。
その1968年から20年ほどして、ソヴィエト型の社会主義が破綻した。現在は1968年と比べてもますますストレスの多い社会となっており、私の見るところではますます住み心地の悪い社会となっている。そしてそれを是正するという社会運動はほとんど行われてはいない。
これでは人々が精神病をますます病むことになるだろうし、せっかく精神病が治って社会復帰できたとしてもまたぞろ再発するのがオチであろう。神経精神学会が羽仁五郎を呼んで講演を聞かざるを得ないと判断した状況はますます一般的になっている。
こういう政治状況が許されるのはおかしいが、残念ながら許されてしまっている。私はこの状況に絶望をしているわけではないが、別に楽観しているわけでもない。
心療内科に関心を持たれたのはこういう状況が社会の底流にあると思う。そのことを世の中の多くの人々は意識的には気がついてはいないのかもしれないが、無意識には気づいているのであろう。