物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

メニエル氏症候群

2013-11-01 12:46:27 | 健康・病気

メニエル氏症候群とはどんな病気なのか。

これは大学に勤めていたころ同僚の一人がこのメニエル氏症候群にかかったという話を聞いたことがあった。

実は私もメニエル氏症候群に近い病気にかかったことがある。毎日パソコンで数値計算ではなく数式の計算をしていたのだが、このディスプレイの上に数式がずらずらっと何ページも何ページも現れる。

それを見ているうちにその画面をちらっと見るだけでむかむかっと気分が悪くなるのである。仕方がないから行きつけの医者に行ったら、どうも目から来ている肩こりだろうという。

薬をもらってパソコンを10日ほどスイッチを入れないことにした。だって、チラッと画面を見ただけで気分が悪くなるからである。

その後に自分の経験をある方に話したら、その方はもっとひどくて部屋がグルグルと回転するのが夜に寝ていても感じるくらいだったという。

その人も原因はパソコンによる仕事から来ていたらしい。来る日も来る日もパソコンの画面から数式を入力していたらしい。

そしたら、帰宅して夜寝ていても部屋がグルグル回転するような経験をしたのだという。医者にかかったら、メニエル氏症候群という診断だったらしい。もちろん仕事は中断せざるをえなかったと聞いた。

世の中にはいろいろ変わった病気があるものである。


レビ小球型認知症

2013-10-07 11:31:05 | 健康・病気

先週の水曜日のNHKの「ためして合点」でレビ小球型認知症をとりあげていた。

それを見て感じたことを一つ書く。このレビ小球型認知症では幻視がよく起こる。それについての対症法が言われていた。

それはトイレに入ったときに人が何人かいるように見えたりするが、それは見えた本人にとっては現実である。だが、その幻視の像は他の人には現実の実在ではない。

だから、その幻視の像を触るように仕向けたりすれば、その幻視の像は消えるという。このときに本人にそんな人や物はないということをただ言葉で言うだけでは本人を説得はできないという。

このことはなかなか興味深い。人間の認識の一部として視覚が大きな要素としてあることは事実だが、人間はそれだけでものを認識しているわけではない。

聴覚、触覚、嗅覚、味覚、それにもちろん視覚によって総合的にものごとを認識しているのである。そのことを忘れてはいけない。

ピアジェという心理学者がスイスにいたが、彼は幼児も空間とか物とかの認識がこういういろいろな感覚によって獲得されていくのだということを本に書いていたらしい。らしいというのは実はピアジェの本を読んだことがないからである。

実は数学者の遠山啓がピアジェについて書いたのを読んだことがあるにすぎない。ピアジェの書いた数と量の認識の心理学の訳本(遠山や銀林訳)はもっているのだが、まだ読んだことはない。


金属アレルギー

2013-09-24 12:00:48 | 健康・病気

金属アレルギーに苦しんでいる人は意外に多いかもしれない。

私も学生の頃からの金属アレルギ―である。だが、金属アレルギーという意識がなかった。時計を腕につけているとかゆくなるので、腕時計をしなくなった。

もっとも金属エネルギーの究極の形としての入れ歯の金属が体に悪さをすると聞くとどうしたらいいのだろうと途方にくれてしまう。

メガネのフレームも金属からできているが、こちらはまだなんとか金属アレルギーにはなっていない。もしこれの金属アレルギーなったら、どうしたらよいのかとまだその金属アレルギーになっていない前から心配になってくる。

汗と金属との組み合わせがよくないのだという。だから、すぐに汗をふきとったり、シャワーを浴びたりと金属アレルギーが発症しないための予防策がないわけではない。

それに腕時計を腕にする必要もない。時計をもたないと時間にせかされることが少なくなるように感じられる。時間が知りたければ、近くの人に聞くという生活をしている。

もっとも最近は時間を聞いたら、自分の携帯を見て時間を教えてくれる人が多くなった。


病院の起源

2013-08-27 12:17:58 | 健康・病気

病院が歴史的には宗教施設としてできたものではないかという話を先日聞いた。

これは香川県の高松市であった、徳島科学史研究会の講演で聞いたことである。イスラム圏やキリスト教圏ではそれぞれモスクや修道院に病院が併設されているという。

ヨーッロッパの修道院ではビールとかワインを醸造しているものだということは知っていたが、新たに意外な事実を知った。さらに、修道院が学芸や技術の蓄積した場所であることは映画「バラの名前」などからも窺い知ることができたけれども。

そのような昔の病院を訪ねてレポートをしている人が先日の土曜日に講演をされた。ただ、日本では仏教が宗教としては多数派を占めるが、仏教の寺院が病院になった例はあまりないとのことであった。

やはり、宗教は人の心とか魂を救うところだから、その延長としての人の体の病をケアするということだったのでしょうかと質問したら、多分そうだろうというような答えであった。

それとモスクや修道院が病院を兼ねていたのみならず、困窮していた人を助ける貧窮院を兼ねていたらしい。

この人、石田純郎さんは福山市の介護施設の医師をされている方であるが、現在病院施設の撮影の旅行に行かれているらしい。このレポートは月刊雑誌『病院』に「世界病院史探訪」として連載されている。写真がきれいなのが特徴である。

世の中には奇特な方が居られると感心をしている。


肩痛

2013-08-19 13:12:37 | 健康・病気

一昨日の夜、右肩が痛くて眠れないので、湿布を出してきて妻に貼ってもらった。そうしたら、肩の痛みは和らいだが、今度は昨夜には胸が痛みだした。

それで、もしか心筋梗塞の初期段階かもわからないと思ってホームドクターを訪ねた。簡易な診断のあとで念のため心電図をというのでとってもらったが、心臓はいまのところ健全であるらしい。

それで肩とか胸の痛みは笹竹の除去を2週間ほどしたための後遺症であることがわかった。だが笹竹の除去はまだ終わっていない。

面積としては圧倒的に地下茎の除去をすませているのだが、まだ一番の大本の笹竹を除去していない。もうちょっとではあるが、完了していないことだけは確かである。

今日、昨日と肩痛のために作業を見合わせている。数日したら、この作業を再開して徹底的に笹竹の地下茎を除去したい。

もちろん、一度徹底して地下茎を除去しても数か月すれば、また笹が生えてくるであろう。これは地下茎を完全には除去できないからである。途中で地下茎がちぎれるということがある。

したがって、数か月後にまたもう一度同じような作業をする必要がある。そうやってようやく笹竹が完全に除去できるのであろう。


肥満体質とひざ

2013-07-15 14:29:22 | 健康・病気

私の兄弟姉妹はみんな肥満体質である(ところが子どもたちは今のところ肥満ではない)。

そのせいか次兄も妹もひざを痛めている。妹は松葉杖が最近いるようになった。次兄も左ひざを痛めて病院通いをしている。

私もなんどもひざを痛めており、いまでもときどきテニスで走れないほどにひざを痛めたりする。これは原因はいつも食べ過ぎによる肥満が原因である。

昔は冷蔵庫に愛媛特産のpomジュースが入っており、夏の暑い時にがぶがぶ飲んだら、それで体重が増えてひざを痛めたことがあり、歩行にも支障を来したことがあった。

いまも夏は禁物であるが、それでも妻が気を付けてジュースを買い置きしないようになった。ビールは普通にはあまり飲まないので、これで太ることもないわけではないが、そういうリスクは現在は少ない。

それにしても兄弟姉妹が肥満体質でひざをほとんど同時に痛めるということはいままではほとんどなかったが、それぞれなりの老齢になってきて、みんなひざに障害をもったということであろう。

私もひざを痛めそうであるが、ぎりぎりのところでまだなんとか歩いたり、走ったりはできる。もちろん、それぞれゆっくりとしかできないが。


レム睡眠

2013-05-25 12:57:35 | 健康・病気

レム睡眠というのがあるのは知っていたが、このレムがrapid-eye-movementの頭文字remを取ったものとは知らなかった。

これも夢から脳の働きを調べて、人の脳の働きから人がものを言えなくてもその人が考えていることを判断するといった話のときに解説の岡部徹さんが話をしてくれたのであった。

rapid-eye-movementとは睡眠に2種類あり、そのうちの一つである、レム睡眠のときに眼がすばやく動いていることから、その名が出ているという。

レム睡眠のときには脳は休んでいないのだという。そしてこのときに夢を見ているのだという。眠ることは健康のためだけではなく、記憶とかのためにも大事なことだとこれも最近聞いた。

私みたいに眠ることが好きな者には眠るということが健康のためだけではなく、記憶のためにもいいのだと聞くとうれしくなってくる。

つまらないどうでもいいことを私はよく覚えているものだが、それはとどのつまり眠ることが好きだということだろうか。

レムというと、放射線の影響についてのR"ontgen equivalent manのremもあったが、これは最近はSI単位系の使用が一般になって来て新聞やテレビでも使われなくなった。


晴眼者

2013-05-21 12:26:20 | 健康・病気

普通に目の見える人のことを晴眼者(せいがんしゃ)という。

こういう語を普通の人が使うことはあまりない。学生の頃、あるスナックに夜遅く行ったときにそこに来ていた、お客の中年の女性から晴眼者という語を聞いた。

そういう語をそれまでに聞いたことはなかったが、話の前後関係からその意味はつかめたと思う。それにしてもそのときに辞書を引いて確かめたことがなかった。

最近、気になって国語辞書を引いて、確かめた。人は生きていくうちにいくらかの日本語の語彙も得ていくのだが、それにしてもなかなか普通の人が聞いて知る語彙には限りがある。


健康上の注意

2013-05-01 17:28:52 | 健康・病気

これは私が自分で日頃心がけていることである。学生のころに聞いた話であるが、唾液中にはアセトアルデヒドができて健康によくないという。それで朝起きたときによくうがいをする。

最近ではNHkの水曜日の「試してガッテン」でこのアセトアルデヒドが食道がんを引き起こす原因となると言っていた。それで私が学生のころに聞いた話は正しかったことになる。

朝、起きたときに歯磨きのペーストをつけないで、歯茎をブラッシングするのはいいと聞いている。だから、時間がない時は仕方がないが、できるだけ朝食前に歯茎や歯の軽いブラッシングをしている。

それから寝る前に必ず一杯の水を飲む。そのために夜途中で目が覚めることがあるが、これはしかたがない。

特にワインとかのアルコール飲料を飲んだときには夜中に目が覚めるが、このときにはのどが乾くので、脱水症状にならないようにまた水を飲んでいる。このときにカフェイン抜きの飲み物を飲む必要がある。カフェインが入っていると利尿作用があるので、また脱水症状となることがある。

続けて毎晩アルコールを飲むことは私はないが、もしアルコールの好きな人は1週間の中に1日または2日の休肝日をつくった方がいい。

アルコールが好きで、毎日飲めるなら、長生きをしなくてもいいと思っている人もあるだろう。だが、最近だからできるだけ長生きをしてほしい。それもちょっとした注意でできるかもしれない。

私は普通程度にはアルコールを飲むことはできるが、だが飲むことが特に好きではないという体質だから、ちょっと飲むことがとても好きな人とは違うかもしれない。

長生きといっても自分でいろいろ自由に生きることができなくてはならない。ただ長生きをすればいいわけではない。しかし、努力次第で体の自由が利かなくなっても創造的に生きることはできるかもしれない。

植物的に生きていても、生きていればいいというのは子どもとかの家族の願いではあるかもしれないが、本人の気持ちにはそぐわないであろう。


心療内科

2013-04-08 11:31:06 | 健康・病気

昨日、松山市来住の愛媛医療生協の新病院の内覧会があった。私は医療生協に関係しているわけではないが、妻が関係している。

そして新病院を見学に来た人たちが、特に心療内科に大いに関心を示したという話を夕食のときにしてくれた。

これは自分の身内に精神的な病気にかかる人が多くなっているためではないだろうかと推測を述べていた。

精神病院ではいまでも鉄格子の入った病院があるそうだが、だんだんとそういう病院はすくなくなりつつあるという。だが、依然として鉄格子の入った精神病院も多いという。

そのせいかどうかわからないが、心療内科が関心を集めているらしい。

それで思い出したのだが、1968年に歴史家の羽仁五郎が「都市の論理」(勁草書房)を出すことになった契機は実は神経精神学会の分科会か何からの、講演依頼から始まった。

その問題意識はつぎのようであった。精神科の医師としてはうつ病にしろ統合失調症にしろ精神病は大抵治すことができる。

ところが社会に帰るとその治った患者がまた精神病を再発させる。このことを実は病気を見ている心ある精神科医師たちはこれは個人の問題というより社会の方に問題があるのではなかろうかと考えた。

そういう問題意識から羽仁五郎に講演依頼をしたという次第であった。そういういきさつから、この特別講演のあとに、引き続いて学習会が長期にわたって行われ、その学習会の羽仁五郎の講演記録の校正刷がその学習会の世話人であった、武谷三男のところに回ってきた。

そしてそれを武谷が整理をし、それが「都市の論理」という本にまとめられ、出版されてベストセラーとなった。羽仁五郎が後年語っているところでは、武谷の原稿整理がよかったとのことである。

その1968年から20年ほどして、ソヴィエト型の社会主義が破綻した。現在は1968年と比べてもますますストレスの多い社会となっており、私の見るところではますます住み心地の悪い社会となっている。そしてそれを是正するという社会運動はほとんど行われてはいない。

これでは人々が精神病をますます病むことになるだろうし、せっかく精神病が治って社会復帰できたとしてもまたぞろ再発するのがオチであろう。神経精神学会が羽仁五郎を呼んで講演を聞かざるを得ないと判断した状況はますます一般的になっている。

こういう政治状況が許されるのはおかしいが、残念ながら許されてしまっている。私はこの状況に絶望をしているわけではないが、別に楽観しているわけでもない。

心療内科に関心を持たれたのはこういう状況が社会の底流にあると思う。そのことを世の中の多くの人々は意識的には気がついてはいないのかもしれないが、無意識には気づいているのであろう。


花粉症の季節3

2013-03-04 13:07:27 | 健康・病気

花粉症の季節である。私もごたぶんにもれず花粉症である。

この季節になると2月10日前後から鼻水が止まらなくなり、目がかゆくなってくる。今年もかかりつけの診療所で花粉症の薬をもらって対策をとってはいるが、先日春一番が吹きまくった日は一日中ひどい花粉症で悩まされた。

花粉症のための目薬は眼圧を毎月調べてもらって眼科でもらっているし、その対策にはおさおさ怠りはないつもりである。だが、このシーズン中にはどうしても数日~1週間くらいどうにも抑えがたい日がある。

後の日はもちろん花粉症は出るのだが、それほどひどくはない。これは多分薬のおかげで最小限の被害で済んでいるからだろう。

Hayfever(英語)とかHeufieber(ドイツ語)とか言われることもあるが、これは確かに花粉症の一つだと思うが、日本の花粉症とはちょっと違う。

Hayfeverは40度近い熱が出て、それが1か月ほど続くのだという。このことは前にも書いたが、昨年の11月に亡くなってしまった元大学の同僚のSさんの話からようやく知ったことである。

Sさんはアメリカ生活が7~8年にも及んだ人でいつも日本語で文を書くよりも英語で書く方が楽だと言われていた。いつだったか、彼の知人の学者だったかそうではなかったか忘れたが、あるアメリカ人の研究者が大学に来られたことがあったが、懇親会の席上で彼ら夫妻と小さい声で話しておられた。

外国語を話ときには明瞭に大きな声で話す人と小さな声で話す人がいる。私は明瞭な大きな声で話す方を好むが、外国語のよくできる人には二手の人がいると感じている。

母語と同じくらいその言葉をよく話すことのできる人なら、お互いに小さな声でもよく聞き取れるからではないかと思っている。まさか自分が上手に外国語を話すことを自慢したくないという気があるからではないだろう。


記憶が飛ぶ

2013-01-30 15:20:00 | 健康・病気

毎日ラジオ体操をしている。体操の後でその体操のうちの一部をしたのかどうか記憶がないことがある。一定の順序に従って体操をしているのだから、その過程を抜かすはずはないのだが、記憶に残らないことがあるのだ。

もっともそれは毎日ではない。ときどきなのである。第2ラジオ体操の、体を前屈させた後に後ろに反る動作なので、印象に残らないはずがないのだが、残っていないことがあるのだ。

もっとも毎日のルーチンになっているので、この動作が印象に残らないこともあるかもしれない。

しかし、印象に残らないことが不思議なのである。こういう風にして脳が老化していくのかも知れいない。

私はアルコールの愛好者ではないので、深酒をして記憶が飛ぶという経験はいままでのところない。だが、日常の生活ではこういうことがある。


体の不調

2013-01-14 15:53:28 | 健康・病気

先週の土曜日、以来腹をこわしている。風邪気味なのもあるが、土曜の夜だったかの夕食にいつもはそんなに食べないのにライスのおかわりまでしてしまった。

それがうまいので食べ過ぎたのなら、しかたがないところもあるが、そうではない。電気がまにさらに軽く一膳分くらいの飯が残ったので、始末してしまおうなどと柄にもないことを考えのだから、情けない。

一膳飯ですむところを2膳以上食べてしまったのだからしかたがない。その夜はときどき腹が痛んだ。それで日曜日はあまり食欲がなくコタツで寝て過ごした。夕方になって少し食べようとはして見たが、どうも食は進まなかった。

今朝は3日目ということもあり、昨日と比べれば、少し食は進んだが、それでもあまり食は進まない。もっとも肥満気味であるから、数日食べなかったとしても多分どうってことはないだろう。水分の補給はしなければならないけれども。

ということで仕事場には出てきたものの、仕事にはならない。ようやく妻のあるコーラスグループの会計報告書の作成の合間を見て、このブログを書いている。


頭のいぼ

2012-12-20 13:02:45 | 健康・病気

頭にいぼができていたので、それを取る処置を午前中に近所の皮膚科でしてもらった。ということでここ数日はアルコール厳禁ということである。

これはアルコールを飲むと血液循環がよくなって該当箇所に水泡ができたりするということかららしい。今晩は南堀端のフランス料理店アミティエでの忘年会である。もっとも参加者はドイツ語のクラスの生徒の数人である。教師のR氏を含めても6人くらいの小さな集まりである。

このころは忘年会も縁が遠いが、私などはあまりアルコールを飲むことがそれほど好きではないので別に忘年会がないことも別に寂しいと思ったこともない。しかし、土曜日にはまた別の懇親会というか忘年会がある。

そちらもまだアルコールを飲めないかと思ったが、そちらは医師の先生の許可がでそうであるが、それでもあまり飲まない方がいいらしい。

土曜日の忘年会は仕事場でするので、日頃付き合いのある方々が集まる。こちらは一人の年長の方々が身体的な都合で来れなくなった。その一人はNさんだが、交通事故による脊椎の損傷を受けて自宅療養中である。自宅でも這って移動しなければならないとのメールを受け取っている。

老年になると思わぬことで怪我をする。自転車で車にぶつかったり、転倒による怪我などそういう傷害には事欠かない。

私も8月から9月にかけて肩を痛めて整形外科に通ったりしたが、幸いなことによくなっていまに至っている。このときはもう回復しないかと危ぶんでいたが、そのうちになんとか治ってしまった。もっともパソコンでキーボード入力は腕とか手によくなかった。


インフルエンザの接種

2012-12-07 13:47:02 | 健康・病気

数年前から毎年インフルエンザの接種を受けている。これはサーズだったかのインフルエンザが流行ったときにいつも通っている、診療所の先生に接種しませんかと言われて、インフルエンザの接種をしてから毎年の恒例の行事になっている。

ひどいインフルエンザに罹ったのは私の記憶では2回ある。1回目は大学2年から3年になる春休みで、私の出た高校の卒業生が私のいた大学の受験に来たので、その世話をしたことで疲れてインフルエンザに罹った。

このときにはまるまる2週間寝床に臥せった。数日寝床に臥せっていると、体の節々が痛くなって寝て居れなくなるが、それでも起き上がることはできないので、仕方なく寝ていた。そのときに遠山啓著『無限と連続』(岩波新書)を読んだことは何回かこのブログでも書いたと思う。

他に何もできないのだから、それぐらいのことしかできなかった。

私が研究対象としている、武谷三男などはもっとすごくて学年の間の春休みにワイルの「空間、時間、物質」だか、「群論と量子力学」を読んだというから、私などとは桁が違う。もっとも彼はインフルエンザに罹ったわけではなかった。

1941年大阪から東京の理研(理化学研究所)に研究生として武谷が出て行ったときには、ワイルの「群論と量子力学」を読んで、群論を修得した人して畏れられていたらしい。その後の素粒子論グループの研究者の仲間の間では武谷はあまり計算の得意ではない人という評もあるが、若いときには結構几帳面に勉強をした人である。

晩年、武谷が養護施設のラヴィアンローズに入っていた頃に武谷を尋ねた、化学工学者の西村肇は枕頭にこのワイルの「群論と量子力学」がおいてあったと書いている。

それが武谷が長崎正幸と「量子力学の形成と論理」II, III(勁草書房)を書いていた頃なのか、それよりも後のことなのかはわからない。多分上記の書の発行後のことではなかろうかと思っている。

またまた、わき道にそれたが、もうインフルエンザに罹ったもう一度はすでにE大学に勤めており、子どもも生まれていた。

子どもは普段は家にはいない、父親が家にいるので、嬉しがって私の体の上に覆いかぶさってくる。ところが子どもが私の上に覆いかぶさられ、体の節々が飛び上がるくらい痛い。それで邪険に撥ね退けたことがあった。ときどき咳をするだけでおなかが痛いくらいだったから。

私は元来は子ども小さいときには一緒にじゃれあって遊ぶのが好きな方であった。だが、このときだけは体が痛くてどうしようもなかった。このときも2週間ほど学校を休んでしまった。その後、これほどひどいインフルエンザには罹ったことがない。

ただ、知人の研究者がインフルエンザの高熱がもとで57歳で亡くなったと知っているので、たかがインフルエンザだとは思っていない。