物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

不眠症

2012-02-02 13:08:52 | 健康・病気

不眠症というのは継続的に夜眠れない状態を言うのだろうが、ときどきあまり夜眠れないことがある。そういうときに考えるともなくこのブログで書くテーマを考えている。

ところが朝起きてみるとあれほど書きたいと思っていた、テーマがなんだったかまったく思い出せないのである。昨夜がそうであった。

テーマがビビッドに思いつかれていたのに、いま思い出そうとしてもまったく出てこないのである。おかしな話であるが、これは完全に意識のある状態の話ではないので、仕方がないのかもしれない。

二つのテーマが頭に浮かんでいたような気がするが、一つの方は思いつくのだが、もう一つのテーマがまったく思いだせない。そしてその思い出せない方のテーマを書きたい気持ちが強かったはずなのに。

もう一つは以下に書くが、前にも取り上げて書いたことがあるテーマである。それは配偶者や恋人をどう呼ぶか。

先日高知に子どものパートナーのお父さんの葬儀に出かけたときに、パートナーの親戚が使っていた語であるが、それは「Tさんのいいひと」という表現であった。なかなか品のいい表現であって、その「いい人」の両親の私たちを前にしているので、こういう表現をされたのであろうが、なかなか品のいい表現で感心をしたものである。親戚の人の知的レベルが推し量られた。

普通には誰某の「彼氏、彼女」という言葉が使われるであろう。あまり日常語としては恋人とかは使わない。このごろは元恋人といういう意味で元カレとか元カノとかいう語も新聞とかテレビでも見かける。それで意味は通じるから不思議であるが、文句なく通じる。

ドイツ語ではmein Freundとかmeine Freundinというと恋人のことである。直訳は私の友だちということであるが、Das ist  meine Freundinと紹介されたら、どんな友だちなんですかとかとぼけた質問をしてはいけない。多分一緒に住んでおり、法律的にはまだ結婚はしていないが、それに準ずる関係なのである。

じゃあ、恋人でない異性の(単なる)友だちをどういうのかというと、Bekannte(r)というのが普通らしい。これは直訳すると知り合いとか知人であるが、普通の友だちを指すことが多い。

ドイツ語とかフランス語では自分の夫のことはmein Mannとかmon mariといい、自分の妻のことをmeine Frauとかma femmeという。mariの方に男という意味があるかはしらないが、Mannには直訳すると「私の男」となるが、これは夫の意味である。femmeとかFrauには女という意味がある。「私の女」となるが、そうは訳さないで 「私の妻」と訳する。

(注) 前にも注意したが、femmeはファムであって、フェムとは発音しない。

そういえば、日本語の夫とか妻にも男とか女の意味があるのであろうが、私にはその含意はわからない。

太平洋戦争中にいわれた標語に「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」というのがあったが、それを皮肉って「足らぬは足らぬは夫が足らぬ」という軽口があったという。言い得て妙であった。

そして、その軽口には密かな反戦の意も含んでいただろうか。


歩くこと

2012-01-28 12:47:21 | 健康・病気

歩くことが体の基本であることはわかっているが、最近ほとんど歩かない。多分一日3千歩までも達しないだろうか。これはいけない。車を使うので、遠くに行くときは基本的に車である。

だから、ときどき足がひょこんと崩れ落ちそうになる。普通に歩いているときでもそうなのだから、もっと歩く必要がある。白寿を前にして亡くなったE大学工学部のA名誉教授は何でもよく歩く人だった。松山駅からE大学の城北キャンパスまで歩くのだと言われていた。これは大学を辞められてからの話だったと思う。

ところが私は散歩もしない方である。よく大学に勤めていたときには先輩教授の方で気分転換を兼ねて構内を散策しておられた方に出会ったが、何かを購入するために大学生協に行くとかとか、または図書館に書籍を探しに行くためとかぐらいであまりで歩くことはなかった。

第一、弁当持参であまり昼食にも外に出たことはない。もちろん、ある時期は昼食に食堂へ出かけた時期もあったが、それは勤務していた37年間で数年のことにすぎなかった。

昼に研究室の学生と生協の食堂まで行き、それからまた午後の仕事をするという方々もたくさんおられた。

そしてそこで、学内で誰かにあって、話ができたからよかったという友人もいた。ともかく歩くことは誰かに出会うことでもあるが、別に私はそういう出会いを拒絶してきた訳ではない。

だが、基本的に一人であることを好むというか、あまり恐れないタイプの人間である。むしろ人との接触をあまり好まない人見知りをするタイプといった方がよいかもしれない。


腱鞘炎

2011-09-09 13:30:01 | 健康・病気

先日の火曜日に少し早くテニスコートに着いたので、ネットを規定の高さに張った後に、まだ誰も来ていなかったので、サーブの練習を50球くらいした。

そのせいか、右手が腱鞘炎がぶり返して週の前半でこのブログの入力ができにくかった。これはテニスを始めたころにまず腱鞘炎にかかったことがある。それとてもコンピュータのカードパンチか何かをし過ぎて腱鞘炎になったことの再発であった。

腱鞘炎はキーパンチャーの職業病だとその頃いわれていたので、パンチャーほどはキーボードを打ってはいなかった身としてはパンチャーの職業病の恐さをうすうすは体感したものであった。

金曜日になって痛みが和らいできて、まだ痛みが完全に消えた訳ではないが、やれやれである。

そういえば、パソコンの画面のスクロールをあまり見つめていたために、マニエル氏症候群になりかけたことがある。私の場合にはまだ部屋がぐるぐると回る出すというような症状までは行かなかったが、パソコンのスイッチを入れて、画面を見ると気分が悪くなって、はき気を感じた。

しかたがないので、1週間か10日ほどパソコンでは仕事をしないことにしてようやく平常にもどった。

これはちょうどMacsymaという数式処理のソフトで計算をして、その結果を編集して論文を書いていたときのことである。それこそ来る日も、来る日もパソコンの画面を眺めていたのだから病気になったのも仕方がなかった。


久しぶりの肩痛

2011-08-31 12:49:49 | 健康・病気

「あなたが噛んだ小指が痛い」という伊東ゆかりの歌が若い頃に流行ったことがあったが、今日は肩が痛い。これは昨夜のテニスで私よりも10歳くらい若い、元銀行員のMさんとゲームでストロークを打ち合って打ち負けたせいである。

最近はあまり手首だとか、肩だとか痛くなるようなことは久しく経験したことがなかったが、久しぶりに手首と肩が痛い。年甲斐もなくムキになって打ち合ったのがいけなかった。先刻のお昼のラジオ体操をするときにも肩が痛いために手が十分に上がらなかった。

私の経験では、勤務していたE大学でテニスを趣味で始めた頃には、もちろんすぐに手首が痛くなった。つぎに痛めたのはひじであって、普通の人がなる、テニス・エルボウ(tennis elbow)ではなかったらしいが、一人前にひじを痛めた。その後、肩を痛めこともあったかもしれないが、あまり記憶ない。しかし、ひざを痛めてほとんど走れなかったこともある。

テニスの上達につれて手首、ひじ、肩、腰の順に痛めるといわれたが、私はあまりテニスが上手ではないので、腰を痛めるところまでは行かなかった。だが、体重の増加でひざを痛めてほとんど走れないことは何回かあった。

昨夜のテニスには打ち負けたが、それでもなんだか気持ちがすかっとして気分がいい。若いMさんに対してももう少しであまり打ち負けないでテニスができそうな感じがしてきたからである。

それに血圧がこのテニスの後ではいくらか下がるという余得もある。


アセトアルデヒド

2011-08-09 12:37:26 | 健康・病気

胃の中だかにアセトアルデヒドがつくられるそうだが、口の中でつくられているという。そして口の中でつくられたアセトアルデヒドは食道ガンの原因になるという。

そして、歯をよく磨く人は磨かない人よりも食道ガンになる割合が少ないという。だから、食道ガンにかかりたくないなら、しばしば歯を磨くといいらしい。

朝起きたときなどに口の中がネバネバした感じがするが、これを歯ブラシなどで除いてから朝食をとる方がよいとは医者のKさんのアドバイスである。このときに歯磨きを使う必要はない。

私は歯をよく磨く方だし、タバコもすわないので、食道ガンにはかかる割合は低いとは思うが、それでもアセトアルデヒドは口の中でできていることは確かなので最近は朝起きたら歯ブラシで口の中を簡単に軽く磨くことにした。

いろいろな知識を生きている内には得るものである。それらが実際に生活で役立つかどうかはわからない。だが、日本は女性は世界一の長寿だし、男性も世界第4位の長寿となっている。

ただ、少子高齢化が社会を不活性にするという言い方にはひっかかるものを感じる。これは単に高齢者をもうまく活かす社会ができていないことを示しているに過ぎないと思うからだ。

また、女性を十分に活かしていないとも思う。さらにいうと若者も十分に活かせていないと思う。これは資本主義の限界を示している。


ぎっくり腰

2011-07-19 12:29:42 | 健康・病気

昨日からぎっくり腰である。パソコンの前に座っていてその姿勢から立ち上がろうとしてぎっくり腰の再発となった。

家にようやく帰って夕食後に新聞とか雑誌とかの紙類を仕事場の資源ごみに出すと妻が言うので、仕方なく家の裏の方に積み重ねていた新聞や雑誌を車に積み込んでもって行った。

ベッドで寝返りをうとうとしてまた腰を痛めた。ということで今日のお昼のラジオ体操は真似事をしたが、まったく体に力が入らない。腕も弱々しくしか振れない。ましてや自分では密かに得意としている前屈などまったくできない。前屈の真似事もできないという体たらくである。

ときどきひざを痛めたり、腰を痛めたりする。肩を痛めたことは30代半ばから40代のときにあって、これは黒板の前でチョークで板書するのが、仕事の身としては困った。特に冬には手が肩の高さまでしか上がらないことがあった。

このごろは肩の故障はあまり起こさない。もっともテニス仲間の I さんなどは肩がおかしいとかと言ってはいるが、彼はストロークでは結構強いボールを返してくる。だが、サーブのときだけは肩が痛いらしくてそれほど威力のあるサーブができないようである。

もっとも I さんはそれをカバーすると称して、なかなかコート・カバーリングがよくて感心する。

(2011.7.22付記)

昨夜ドイツ語のクラスがあって、その終了後に医師の I  さんがHexenschussとか何とかR氏にいわれていたのを小耳に挿んだ。どういう前後関係で言われたのかはわからないが、そのときにHexenschussとは「ぎっくり腰」のことではなかったかなとそのときに漠然と思ったが、果たしてどうだったかそのときはわからなかった。

さっき独和辞典を引いてみたら、「魔女の一撃」と直訳される、このHexenschussはやはり「ぎっくり腰」のことだった。前に辞書を引いたときの印である赤字のアンダーラインがつけてあった。


歩けない

2011-05-26 10:59:23 | 健康・病気

昨日歯の検診に一年ぶりに行った。歩いて15分ぐらいのところの歯科に行ったのだが、地下道をわたって通りの向こう側に抜けようとしたが、階段がなかなか下りられない。ああ、こういうことで老化は始まっているのだなと感じた。

自宅の2階から朝起きて階下に下りるのにも一歩一歩ゆっくりとしか下りられない。いつも車で移動して歩くことをしないので、こういうことになっている。雑談会の世話人の一人である、Nさんなんかも歩くことができなくなったというので、彼は午前中どこかのスポーツジムのプールで泳いだり、歩いたりしているという。

人生前向きに生きてきた人はそういう工夫をしているらしいが、どうも一日ほとんどパソコンの前に座っている私はどうもそういう努力が足らない。

そういえば、昨日行った歯科で待ち時間に週刊誌で原発問題の記事を読んだら、業界から買収されなかった反原発学者としての高木仁三郎氏のことが書いてあった。3億円のお金をもとにして研究会を組織してくれないかとの経済界の申し出を70年代だったかに断ったとあった。いまの額にすると百億円に相当すると書いてあった。

それはいいのだが、原子力情報調査室についてその発足時にそこを反原子力研究者のサロンとしたいという一派が調査情報室を去って、反原発一本にまとまったとその週刊誌に2,3行書かれていた。

このいきさつは高木氏の「市民科学者として生きる」(岩波新書)に「金槌と時計論争」として詳しいのだが、このサロン的な集まりの提唱者が武谷三男であるということになるとすると、どうもこの週刊誌の書いたことはあまり正しくないのではないか。

私は武谷の著作や論文リスト(素粒子論研究電子版参照)をつくっている者だが、原子力調査室のスタッフのNさんから、武谷さんが亡くなったときの、高木氏の追悼文のコピーをもらっている。

それによると、武谷氏は「私が代表でいると君が仕事がやり難いだろう」と言って代表を辞めたと高木氏は書いている。

先日、新聞を見たら、原発推進派の国会議員であった方の言として、反原発学者でも尊敬できる人は高木仁三郎氏だけだとあった。高木さんが偉大であり、その業績も優れたものであるのは間違いがないが、それ以外の人は尊敬に値しないというのは本当なのだろうか。

そこに原発推進派の方々の底の浅さを見るような気がする。


何度目かの検診

2011-04-21 17:08:16 | 健康・病気

4度目かの肺の検診に四国がんセンターに行った。それで「ようやく今見えている影は初期の肺がんではないでしょう」との判定が下って、定期的な検診で何かあったら、また来てくださいと言われた。

そのときに思いが及ばなかったのだが、同じことを定期検診のときに言われてまた、がんセンターに後戻りとなりそうである。

もともと分解能の悪いCTスキャンで肺に影が見えたというので、がんセンターに精密検診に出かけたのである。そして帰って行く定期健診をする病院は多分にその分解能の悪いCT装置をもっている病院なのである。

そうすると定期健診の医師はCTスキャンの結果が怪しいとして、また精密検診に行けというだろう。それだとどうしても分解能のいい装置をもつ病院として、がんセンターへ行くだろう。そしてまた何度か検診を半年に一度の頻度で受けることになろう。

私の母が肺がんで亡くなっており、それがまたあるときに肺に影を見つけたのだが、何回かの検診で大きさが変らなかったので、もう大丈夫と思って検診に行かなかった間に病状が進行していたという事情があるために、私としては同じ過ちは繰り返したくない。

そういういきさつがあったので、がんセンターに言われた通りの間隔で定期健診に4度ほど通ったのである。最後の診察のときにその事情をいえば医師もそうかと思われたのであろうが、私もそのことには思いが及ばなかった。

がんセンターの医師としてはどうも無用な検査をさせている思われるとのおそれをもったのであろう。事情というのは難しいものである。


二人の医師に会う

2011-04-14 11:52:01 | 健康・病気

一日に二人の医師に会った。ということは二度、診療所に行ったということである。

午前はかかりつけの診療所に行き、Fさんと話した。もちろん単に話しに行ったということではなく、いろいろ検査をしてもらった。糖尿であるかということであるが、これはFさんの専門である。検査の結果はnegativeで糖尿ではなかった。

健康のアドバイスももらった。「一日30分、歩きなさい」ということだったが、まだ当分は花粉症がひどくなると言うとプールで泳ぐか歩いたらと言われた。それも難しそうだったので、自宅にあるウォーキング・マシーンで30分歩くということで落ち着いた。その後夕方帰って実際に30分歩いた。はて続くものかどうか。

夕方、もう一人の医師には昨日の検査の結果の説明を聞きに行った。コレステロールが基準の倍であったが、その他は問題がなかった。この医師には食べすぎと言われた。人より2倍食べているとは言いませんが、と言われたが善玉コレステロールが多いのは食べすぎとのことである。

少なくとも腹を凹ませないといけない。


放射線障害

2011-04-13 14:21:02 | 健康・病気

放射線障害の話が方々で話題になっている。テレビでもそうだが、私の昔属していた素粒子論グループのMLでも話題になっているらしい。先日Eさんから私の先生の一人のSさんがこのMLで述べている記事のプリントをもらった。

このSさんは大学を定年になってから、原爆の後遺症の放射線障害の評価をし直している人であり、原爆訴訟の原告側証人を引き受けている人でもある。だから、彼は最近テレビに出てくる放射線障害の専門家とはちょっと意見が違うところもあるらしい。

特に、放射線を含んだ飲料水とか食物による内部被曝とX線やガンマ線の外部被曝は影響が違うという。内部被曝は微量でも長くその影響を人体に与えるので、放射線医療技師の被曝とは同じにしてはいけないとの意見である。

このことは放射線医学の専門家でもなかなか理解が十分でない人があるという。外部被曝の場合には確かにX線やガンマ線のエネルギーは大きいが、体内にこれらの放射線が留まる時間はきわめて短い。

ところが、放射線汚染された、食料や飲料水の場合にはその放射線であるベータ線はエネルギーは低いが、体内、たとえば胃の中でその胃壁等の原子や分子をイオン化して、これらを破壊するということとその影響が比較的長時間持続することが線量は低くても問題ではないかという。

4月23日にある、雑談会では福島原発の事故だけではなく、そういう話も出るのではないかと考えている。


限りある命から

2011-04-12 11:00:44 | 健康・病気

このごろしばしば自分が限りある命であることを予想した感覚をもつ。胸が自覚できるかどうかぐらいに重苦しかったり、軽く痛むような気がするからである。明日にはかかりつけの医院に行くので相談をしてみよう。

はっきりと胸が痛いという感覚があるわけではないが、どうもこれが自分の命を落とす原因になるのではないかと予想している。もっとも知人のS先生なども心筋梗塞を自分の命取りの病気ではないかと思って注意していたが、亡くなったのは糖尿病関係であった。あるいはvice versa.

S先生が亡くなってもう何年も経つので、何が彼の最後の命を奪った病だったかはもう定かではない。人間予想外のことが起こるのが人生ではある。

ところで、このごろ世間で言われるのは「見通し」ということである。何故かというと、東日本大震災で避難した方々から一様に聞かれる語だからである。人間希望があれば、どんなに悲惨な現状でも生きられるとはそうであろう。

だが、残念ながら、すぐに見通しがつくとは限らない。そして原発事故の避難生活のようにいろいろ警戒程度が変っては見通し云々がゆらいでくる。ところが本当のところはゆらぐのはしかたがない。ところが揺らぐとどれを信用したらいいかわからないといわれる。

だが、もし見通しがつくなら、見通しがある方がいいのは当然である。これは放射能被害からの避難とはまったく異なるが、ある長い計算をしていたときに全部の計算が終わったときにようやく全容が見通せるようなやり方で計算していたのを、見通しのいい計算の仕方に変えたら、感じ方がまったく変ったことを覚えている。 全体の計算はやはり面倒であることは変りはなかったのだけれど。


人の寝方は?

2011-03-09 16:44:12 | 健康・病気

2月24日(木)に今期のドイツ語のクラスの打ち上げ会が南堀端のフランス料理のレストラン、アミティエであった。そのときに医師の I  先生がドイツ語の先生である、R氏に尋ねた。あなたは寝るときどのように寝ますか。横向き、仰向き、俯向きですか。

I 先生はもちろんこのことをドイツ語で尋ねた。これはNHKのラジオのドイツ語講座で日本人は仰向けに寝るのが普通だが、ドイツ人は80%くらいは横向きになるという結果があるとかその講師の先生が言われていたからである。

横向きに寝るという答えかと予想したが、さにあらず。横向きにも仰向けにも寝るという答えであった。それでドイツ人でもそんなに通り一遍ではないということがわかったのだが、よく考えてみるとラジオ講座の先生の言うことはあまり正確ではなかったのだと思う。

これは多分寝床に入ったときのはじめの姿勢が横向きか仰向けかということだったのだろう。睡眠中に人は夜になんどか寝返りを打つということは知られており、その寝返りを打つということは睡眠にとって結構大切なのだといわれている。

そうだとするとはじめ寝床に入ったときには横向きでもいつのまにか仰向けになったり、また横向きになったりしているのだろう。少なくとも私は寝床に入ったときには横向きに寝ているのが普通だが、寝ているうちに仰向けになったり、また反対の側に横向きになったりしていると思う。

これは寝ているときには起きているときのようなはっきりした意識はないから、ある種の無意識のなせる業である。睡眠中が完全な無意識状態であるとは思わないが、覚醒時のようなはっきりした意識をもっていない。

私自身さすがに俯きに寝ることはほとんどないが、そういう姿勢をとるときには私にとっては特に体に異常があるときである。

医師である I 先生がこの睡眠中に人はなんどか寝返りするという事実を知らなかったとは思わないが、なんでも話題にしてその反応をみて面白がる、 I 先生のことだから、R氏の反応を見たかったのであろう。好奇心旺盛な人にはかなわない。


病院へ行く

2011-03-09 13:12:26 | 健康・病気

今朝、病院へ行った。とはいっても現在のところは大したことではない。血圧が少し高いのと花粉症の薬をもらうためである。

先日、水曜日に銀行に行ったら、いつもよりお客が少なくすいていたので水曜日が患者さんも比較的少ないのではないかと思った。それで行ってみたらやはり待合室にはあまり人が待っておらず、10分くらいで診察室に呼ばれた。作戦成功である。

花粉症の症状について話し、血圧を測ってもらって診察はすんだ。なぜ水曜日が患者が少ないかと判断したかというとこの銀行での経験であるが、これは松山の中心街商店が定休日だからではないかと推察する。それが銀行の営業にも反映をしているらしい。それで、病院はこういう経済活動とは違うのだが、水曜日には患者さんが少ないのではないかと判断したのである。

もっとも今日は風が強く寒いのて、病院へ来ることを諦めた方もおられるかとも思われるので、たまたま商店街の定休日と重なっただけなのかもしれない。だからまた別の機会にこの経験が正しいのかを検証してみなくてはならない。いまのところは仮説にすぎない。

そういえば、眼科の医院にも月に1回は行くが、このときも水曜日が比較的すいているような気がする。この医院は日、月曜が定休日なので火曜日に行くと患者さんであふれかえっている。だから火曜日にはこの眼科にはできるだけ行きたくない。

それでも目薬が切れると仕方がないので、先日も火曜日に行ったら、予想に違わず待合室一杯の患者さんである。それで仕方なく午後に来ますと受付に行ったら、受付だけ済ませておきませんかと勧められた。それで午後4時すぎに来ますと告げて帰った。4時すぎに行ったら、二人ぐらい患者さんが待っていたが、すぐに呼んでくれた。

いつだったかもこのブログで書いたかもしれないが、定期的な検診等で急を要するのでなければ、誕生日が偶数日なら、月、水、金曜に来てくれませんかと、誕生日が奇数日なら火、木、土曜に来てくれませんかとでも病院で勧めたら、患者さんの混雑緩和ができるのではないかと思う。

先回も同じようなことを妻に言ったら、そんなことをすると患者は別の病院へ行ってしまうと一言のもとに切って捨てられた。

歯科医院では昔は待ち時間が長く治療時間はとても短く、何回も通院しないといけないということで悪評が立ったものだが、このごろは予約制ですぐに治療によんでくれるようになった。ただし、これは急患の場合にはとても都合がわるい。

もう一年近く前になるが、はじめて四国がんセンターに診察に行ったら、予約がないということで午前10時30分すぎには行ったと思うが、診察は夕方であった。その後はいつもこのセンターには予約で行っているから、待ち時間は2時間くらいでそれほど長くはない。


ラジオ体操と体の敏捷性

2010-11-25 12:00:30 | 健康・病気

数年前だが、NHKの「試してがってん」でラジオ体操を長年やっても、体づくりにはならないといっていた。ではラジオ体操は何の役に立つのかといえば、体の敏捷性が増すのだという。

あまりはっきりした効用がないが、ラジオ体操をするようになって、ほぼ2年になるだろうか。その効用かどうかはわからないが、最近テニスで少し体が動くようになったらしい。大体私はテニスでも体がほとんど動かない。

それでボールが来ても、もたもたしてフットワークが悪い。歳相応なのだが、それにしてもひどかった。だからなんでもないボールでも、ミスすることが多かった。昔からテニスは上手ではなく、いまに至っているのだが、それでもいくらか動きが改善されているようだ。

もちろん、自分ではこの改善度合いはわからないのだが、23日夜のテニスの後で I 夫人から足が今日はよく動きましたねと声をかけられた。もちろん、これはお世辞ではあると思うのだが、それでもこれまでずっとよりは相対的にマシになっているのかと考えたりしている。

もっとも体の動きだけではテニスが上手だとはいえない。ボールをしっかり見てボールを打つなどのことが必要である。だが、ラケットの動きも少しは敏捷になったらしい。とはいってもこれは相対的な話で、もともとテニスが下手なのだから、大して上手になっているわけではない。

私たちのクラブ「ひまわり」には二人ほどかなり上手なプレヤーがいて、それ以外は趣味のテニスを少し出たくらいである。ああ、もう一人若い女性の I さんが上手だ。彼女は会社に勤めているが、小さいときにアメリカのシアトルでテニスを習った。そのコーチがいいコーチで、そのコーチは以前にはスリランカの国の代表選手だった方だという。

さらに彼女は身長も高く、体もがっしりしている。だから、彼女が遠慮なくストロークを打つとあっという間にボールが飛んで来るし、そのボールも重い。大学でテニスクラブにいた二人の男性も彼女と対戦するときは真剣に対している。これは私たちを相手にするときのボールとはその速さが違うことからも窺える。


体内時計と生活

2010-11-17 13:38:00 | 健康・病気

昨日、武田薬品工業の愛媛営業所で、「体内時計と生活」という講演会があるというので、出席した。睡眠導入剤を最近武田薬品が発売したのだそうだが、それの販売促進を記念した講演会だったらしい。

主催者の一人の医師の方から、出席者が少なそうなので、出てくれないかの要請を受けたのである。主催者によると出席者30数名で結構な盛会であったとのことで主催者は胸を撫で下ろされたらしい。

講演自体はあまりよくは理解できないものであったが、ひとつの新しい医学の基礎研究がなされていることの一端に触れることができた。もっとも日本人は私も含めて話が下手である。

そういう典型のような講演であった。もちろんこれは講演の問題であって、研究のテーマがつまらないということを意味しない。むしろとても興味深い研究を行っているらしいことが窺われた。

だが、研究をしている人は研究の全容を聞いている人がわかってもわからなくても話したいものだが、そこはぐっと抑制してテーマを狭く絞って聞いている人のわかるような話をする必要がいつでもある。

これはいうは易くして実際に行うことはとても難しいのだが、それでもそのように努力をしなけらばならないと思う。すなわち、情報は少なくしてその範囲で首尾一貫した理解が得られるようにすべきだと思う。