物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

腰痛

2010-11-10 13:43:09 | 健康・病気

昨夜、テニスの後で帰りに仲間の人との会話です。

I さん「今日は疲れていたので、よほどテニスを休もうかと思っていたのですが、来る人の数が減ると2コートでダブルスをする人数が足らなくなると来た人が面白くないので無理して出てきました」

私「私も一日おいて木曜日にいつも腰痛が出ます。だから、もし腰痛がひどくなると、テニスが続けられなくなるかといつも不安です。それでも腰痛はなんとかひどくなってはいないので、なんとか続いていますが」

Uさん「Hさんという方は75歳ですが、元気にテニスをしていますよ」

私「Hさんには会ったことはないのですが、松山のテニス界では有名な方ですよね。国体にも出たこともあると聞いています」

Uさん「あなたもテニスに出てこられた方が、腰痛のためにもいいのではないでしょうか。そう思いますよ」

というような会話があった。いつも正午のラジオ体操で前屈をしている。腰痛には前屈がいいと聞いているからである。2年前くらいにラジオ体操をはじめたときはあまり前屈ができなかったが、このごろは中学校時代くらいに前屈ができるようになった。もっとも後ろに反り返る方はあまりできないので、体の硬さはほとんど変わらない。


肺の検診

2010-10-21 21:19:17 | 健康・病気

6ヶ月後の肺のCT撮影が今日あった。CTスキャンそのものは数分で終わったが、内科の先生の診察が16時20分前くらいになった。それで、2時間半ほど待たねばならなかった。前の2回と肺の影は大きさは変わらず、また6ヶ月後の検診となった。

多分、肺がんではなかろうと医師は言っている。だが、私の母が肺がんで亡くなり、それもはじめの数回の検査で影の大きさが変わらなかったので、検診を怠っていたら、肺の影が大きくなっていて、手遅れ状態になっていたといういきさつがあるので、油断はできない。

つぎの6ヶ月検診のつぎはようやく10ヶ月検診に移行するらしい。CTの被曝の方が影響が大きいかもしれぬが、まあ仕方がなかろう。リスク・ベネフィット論でいう、ある程度のベネフィットがあるのだから。

それで、昨日ドイツ語の要約をつくるのに十分時間をとれなかったので、その検診の後に仕事場に来て昨日の続きの作業をしたが、時間不足で出来上がらなかった。来週までに作成しておこう。

今日はがんセンターの駐車場が空いていた。どうしたことだろうか。天気が悪いせいだろうかと妻に言ったら、がんセンターはそのほとんどが予約なので予約が少ないのだろうと言われた。そうかもしれない。がんセンターに行くのはやはり一般には重症の人だと思うので、現在の私の状態だとその人たちにはすまないぐらいである。


疲労

2010-09-11 13:02:59 | 健康・病気

昨日と一昨日は疲労を感じてしまった。それだけではなく、ちょっとなにかをやる気が起こらなかった。ブログは書いたが、それだけでそれ以上のことをする元気が起こらなかった。

気分転換が必要だと思ったが、いまのように暑くては何をする気も起こらない。それで仕方なく昔書いた数学エッセイを取り出して読んでいると居眠りをしてしまった。どのくらいの昼寝をしたのかはっきりしないが、眼が覚めたら少し疲労が取れていると感じた。6時前になっていたので、少し仕事をかたづけて自宅に帰った。

もちろん、暑いから誰でも疲労を感じるのは当然だが、それがしばらく味わったことのない無気力の感覚だったので、気になった。

朝方、Oさんの夢を見た。彼はこの4月に病気で50歳前に亡くなったのだが、夢では元気な姿を見た。背の高いなかなかイケメンの男であったので、一緒にスナックに飲みに行ったら、彼だけがもてるという風であった。幸せな結婚をして子どもさんにも恵まれたが、十年位前から腎臓を患い、闘病しながら勤務を続けてきた。

寡黙な人であったが、見るべきものは見てきちんと判断の出来る人だった。夢の中では彼が亡くなったことなどまったく気がつかなかった。おかしいものである。


無料塾第4日

2010-08-26 17:53:33 | 健康・病気

無料塾の第4日目であった。昨日で終わるつもりだったが、ある親子の熱心さにほだされて第4日目を行った。

小学4年生の男の子はなかなか算数の好きな子であった。虫食い算が好きで、好んでこれを解いた。その姉は6年生であったが、ボランティアで海岸の清掃に参加し、そこに生えている植物に関心をもったようで、そのレポートを書くのに苦労していたが、アドバイスをもらってなんとかレポートが出来上がりそうになり、喜んでいたらしい。

文章を書くことはなかなか難しい。これは自分の現実の体験がないということではないが、いざ文章を書こうとすると何を書いたらいいかということがわからないのである。

それで、指導としては思いつくことを話を聞いてメモにとり、それを元にして内容のある文章にしたらと指導していたようだ。こうすると書く内容が自ずから見えてくる。なんとかレポートがまとまったらしい。

この方法は短歌などをつくる人が使っている方法だが、最近亡くなった梅棹忠夫氏がその著「知的生産の技術」(岩波新書)で紹介して知られた方法である。彼はこれを「こざね法」と呼んでいた。

帰り際に男の子が来年の夏もこの無料塾をするかと聞いてくれたので、冬休みにまたすると答えておいた。気に入ってくれたらしい。


無料塾第3日

2010-08-25 15:11:34 | 健康・病気

今日は第1日にもどって「さくら」のY君のみしか来なかった。それで、明日はお休みにすることにしたが、私たち夫婦だけは念のためにこの会場に来ることにした。

だが、もう誰も来そうにない。昨日来た姉妹のうちで姉さんの方だが、彼女を直接教えたEさんによれば多分算数が不得意であまり手がついてないようだったとのことである。これはその算数の宿題がほとんど手がついていなかったことから判断されるという。本人が不得意だと自覚しているのだろうが、ある程度本人が申し出ないことには私たちは手の施しようがないとのことである。

今回の経験からは一つの方向としては「フリースクール」というのがあり、もう一つは「落ちこぼれ塾」というのがあるだろう。そのどちらかが可能性があるのではないかという気がする。普通の子どもには無料塾は必要ではない。

場所の問題もある。「あったか拓南」という施設内の会議室はいいのだが、特に駐車スペースがあまりない。これは子どもを車で連れてくるという親御さんには少し難しいところがある。


無料塾第2日

2010-08-24 15:10:36 | 健康・病気

昨日から医療生協の支部活動としてやっている、宿題無料塾の今日は2日目であった。4人の小学生がやってきてくれた。そこに居た大人は皆が先生になり、かつ小学生に教えながら、また、小学生に教えられながら、あくせくした。

だが、明日はまた二人となるらしい。姉妹の2人が用事で来られないらしい。男の子たちは来てくれるが、また2人となる。

医療生協の理事さんの一人が様子を見に来てくれたが、ゆっくりとお話をする時間もとれなかった。この行事は子どもたち優先だから仕方がないだろう。

お昼過ぎに自宅に帰って食事を済ませて、仕事場に出かけようとして、郵便受けを見たら、M先生から送られた数学の本が来ていた。それで仕事場に来て、ぱらぱらっと斜め読みしてM先生にかんたんな礼状のメールを入れた。

M先生は数学を教えることに情熱をもたれる先生のお一人である。


無料塾の開催

2010-08-23 15:52:01 | 健康・病気

愛媛医療生協の活動の一環として、宿題無料塾を今日から4日ほど開く。今日は第一日目であったが、「さくら」の一人のとして来てもらったY.Y君が参加した。11時半過ぎにOさんが小学校4年生のお子さんをつれて、見に来られた。それで、今日は登校日だったこととか、宿題を今日ほとんど提出されたことを知った。明日はOさんのお子さんが兄弟で連れで来たいということである。

お盆休み明けごろにこの無料塾を開催したら、いいのではないかとのご意見を頂いた。また、冬休みなら、クリスマス明けの12月26、27日くらいが都合がいいのではないかとのことであった。

何事も経験なのであるが、今回は開催の通知が遅れたこととか反省点が多くてあまり役には立たなかったようである。

私たちはもうすでに子どもの教育に関わっている年代ではないので、若い親御さんのご意見を頂かないとどうしていいかわからない。

ともかくも回数を重ねていけば、いい行事になるであろうか。


無気力な人々

2010-07-29 11:59:41 | 健康・病気

健康とか病気ではないのかもしれないが、無気力な人々がいるらしい(この範疇に病気でうつ病になってしまった人を入れていない)。要するに毎日を何かしたいことがある人とそういうことをもっていない人とがあるらしい。特に若い人にこのような無気力な人が多いらしいと聞いて心配になる。

しかし、私が心配をしても仕方がないので、各人が自分で考える以外に方法がない。幸いなことに私自身の近くにはそんな人はいない。しかし、このような人がいるということはかえって世の中が平和だという証拠かもしれない。

ある程度以上の能力をもっている人は別に人生の意味などと大上段に振りかぶっていわなくともなんらかのしたいことがあるものである。だが、まったく才能がない人などというのもいない。人はなんらかのいいところがあるものである。

また、人生の意義などということは何年生きてもわかることではない。ただ、一日一日の課題をこなすということをやっていれば、立ち止まらなければ遠くまでいくことができる。それは不思議なものである。


無料塾の計画

2010-07-26 14:47:40 | 健康・病気

地域の医療生協が無料の学習塾を夏休みに開催するところがあると新聞で見て、妻に言ったら、すぐに医療生協の組織部に提案してみるという。新聞の記事のコピーをして、要綱案をつくってくれた。

いまの計画では8月23日から8月27日までの午前10時から12時までで10人の生徒を募集してはということで提案することにした。もっとも妻は私のグループの人たちに手伝ってもらわないとできないだろうという。

こういう塾はほとんどマンツーマンで教える必要があるので、マンパワーがいるのである。少なくとも2人に一人くらいの先生が必要だろうか。

小学校の元教員とか中学校の元教員の知り合いがいればいいのだが、そういう人は知り合いにはいない。大学の元教員が私の友人たちである。

昔、神戸生協の生協員が地域の老人等の相談に乗ったり、ボランティアで手助けしたりということをするという活動を行っていると聞いた。こういうことの延長としては無料塾は考えられる一つの活動であろう。

ただ、どれほどの要求というか、需要というかがあるのか、それに対する費用がかかるだろうが、費用が出るのかということが重要になってくる。ボランティアであるから、報酬は払えないし、払わない。それはいいとしても最低必要な費用は医療生協が負担してほしいとは思っているが。


ラジオ体操と体の柔軟性

2010-05-19 13:36:09 | 健康・病気

中学生のころ、体操で手のひらが地面にぴったりとくっつくくらいに前屈することができた。

ところが体を動かすことがなくなり、何十年も体の前屈などまったくできなくなっていた。腰が曲がらないだけではなく体が前に曲がらない。だから、地面に手のひらがつくどころか手の先が地面に接することもできない。

体が硬いのだ。まだ働いていたころ、同僚のNさんが私に向ってお前は体が硬いだろうという。確かにその頃は体がもう曲がらなくなっていたから、それに反論することもできなかった。

ところが、12時のラジオ体操を毎日するようになって1年半ほど経ったが、前へはかなり曲がるようになった。手のひらが中学生のころのように地面にぴったりとくっつくまでとはいかないが、それでもそれに近くなってきた。もっとも老化が進んでいるのは後ろに反り返るときで、こちらはほとんど反り返ることができない。

プロ野球のいまの横浜ベイスターズの前身の大洋ホエールズの選手として数年活躍した、S君などは中学生のころに体が柔軟で体育の時間にはくるくると後方反転を何の苦もなく繰り返していた。彼は運動能力が小さい頃から抜群だった。

ところが私ときたら、反り返って手を突こうとしたら、途中で崩れて倒れてしまうのが常だった。それでも中学生の頃はまだ体が固まってはいないから、少しは柔軟性があったが、いまはなかなか体の柔軟性は帰ってこない。

腰で思い出したが、N大学名誉教授のOさんは腰を悪くされていて、ちょっとした距離を歩くと腰が痛くなるらしかった。松山で物理学会があったときに彼は素粒子賞をもらったので、そのために松山に来られたが、帰りに大学の受賞会場から学内の駐車場まで歩き通すことが難しかった。それで私が車を出してくるまで、途中で待ってもらったことを思い出した。

もっともOさんは腰が悪いだけでその当時、他のところは特に悪くはないとのことだったが、あれからどうされただろうか。


肩痛

2010-05-14 12:25:53 | 健康・病気
前にも右肩がいたくなったことがあり、このブログでも書いたことがあると思うが、また右肩が痛くなって数週間がすぎた。はじめは痛くて右を下にして寝ることもできなかった。だが、そういうことはなくなったが、いまでも12時からのラジオ体操をするときに右腕が上がり難いし、首を右に曲げたりまわしたりするときに痛む。だから、右に首をあまり曲げることができない。

火曜日の夜のテニスのときも、すこし差支えがあったが、やっているうちにそれほど違和感がなくなったので、よくなったかと思ったが、やはりラジオ体操では状態が改善されてはいない。

腕をぐるぐる回したりしているが、どうもよくはなっていないようである。どうしてこの肩痛になったかのきっかけがわからないので前の古傷の再発かもしれない。風呂で肩を温めるとかもしているのだが、どうもはかばかしくはない。もっとも日常生活にはあまり支障がないのでまあまあである。


定期健診

2010-04-22 17:33:41 | 健康・病気

2月に受けた定期健診の3ヵ月後検診を受けに行った。肺がんの定期検診でCTスキャンを受けた。いまのところ悪いという診断は出ていないが、念のため6ヶ月後の検診を予約して帰った。

先回の検診には楽天的な妻も心配してついてきた。今回はついてきてはくれたが、理由が違っている。家に居ると用事の電話がかかってくるので家に居たくないという理由である。電話は便利ではあるが、こういう呼び出しから逃げるには都合が悪いこともある。

なんでも市民運動とかなんとかいうが、その実状は一生懸命にする人は少なく、面倒な仕事は少数の献身的な人に覆いかぶさってくるという風である。みんなが手分けして仕事の取り組もうなどと表面ではいうが、その実状はどこもそんなになっていない。

常につぎからつぎへと新しい献身的な人が出てくれば、問題はないが、そんなことは普通には起こらない。ずっとそれらの運動に関わっている人は理屈は一人前に言うし、会議では全部自分がしたような顔をして報告するが、いざ手を汚すような仕事はまったくやらないとかうまく口実を作って逃げるというのが多い。

いわゆる「革新的」といわれる組織でもそのようだから、他は推して知るべしであろう。もっともそういうことはすでに私の学生時代から経験済みのことである。このような話は私の現在の経験ではないのだが、いつも妻から聞かされていることである。


視力の測り方

2010-04-15 12:00:43 | 健康・病気

今年は花粉の量が少なかったとかで昨日まで大してひどくなかったのだが、昨日からひどくなった。仕事にならない。呼吸困難を起こしそうにまでなる。鼻汁が引ききりなしに出る。

毎年おなじようなことを書いているのだが、今年も書かずにはおれなくなった。それで昨日は少し早く自宅に帰ってコタツで寝ていた。昨夜もよく眠れなかった。

昨日月一回の眼の検診に行ったとき、たまたま患者さんが少なかったので、外国での視力の分数での表し方を聞いたら、眼の視力の検査をしてくれている看護師さんは知らなかった。

医師はさすがに知っていて、診察のときに説明した書籍の該当箇所のコピーをくれた。そして帰り際になんでもわからないことがあったら、聞いてくださいと言われた。

視力の表し方については簡単なエッセイを書くつもりである。

m を長さの単位にしているところと ft (フィート)を長さの単位にしているところとの違いがあるらしい。フランスは m の発祥の国だから m を距離の単位にしているのかもしれないが、アメリカとかイギリスではどうも m が単位ではないので、視力の測り方が違うらしい。

(201.3.29 付記)

「視力の基準」というエッセイを数学・物理通信第6号に発表している。これは「数学・物理通信」で検索すると京都大学の谷村省吾さんのサイトにリンクされているので、そこで見ることができる。「視力の基準」には外国で普通である、分数視力のことも述べてある。

(2014.7. 23付記) 詳細はもうおぼえていないが、視力は反比例のいい実例なる。中学校や高校の数学の教科書の教材もこういう生きた実例をとりあげてほしいと思う。

そのためには教科書や書物の編纂者が自然科学とか医学とか広い分野に関心をもっていることが必要である。私の編纂したe-learningのコンテンツ代数の第7章にはこの視力の例をとりあげている。

ただ、このコンテンツは愛媛大学のある特定の方々にしかアクセスできないのが残念である。いつかこのような制約なしにホームページに載せることを考えたい。


不眠

2010-02-04 17:11:31 | 健康・病気

数日続いた不眠が昨夜は解消された。不眠とはいうが、夜の9時くらいから2時間ほどコタツで眠ってしまったために夜中に目が冴えて眠れなくなることが多い。だから睡眠時間がまったくないというわけではない。

そのときに考えるともなくいろいろなことを考える。意識して考えるのではなく、自然に頭が勝手にいろいろなことを考える。特に何か気になることがあるとそれが気になる。そしてなかなか眠りにつくことができない。そうして夜が明けてしまうこともある。

もっとも何を考えたかはあまり朝には覚えていない。もちろん強く覚えていてそれにしたがって何か仕事をするということもないではないが、大抵はとりとめもないことである。

これは夜中に目が覚めるのであるから困ったことといえばそうでもあろうが、一方ではいろいろなことを考える機会を与えてくれているわけだから、一概に不眠だから私にとって困ったともいえない。

別に不眠を楽しんでいるとまではいえないが、それも楽しみの一つと思うことにしている。


骨髄損傷

2010-01-30 15:11:46 | 健康・病気

いろいろな事故で骨髄損傷を起こす人がいるということは知っているが、それがあまり身近ではなかった。いや今でも身近とはいえないが、昨日からそれの関係の文書を少し読んでいる。

骨髄損傷かどうかは知らないが、車椅子テニスのチャンピオンである国枝選手などはそういう障害に負けずに車椅子テニスのパラリンピックでの優勝とかその後のプロ転向等で話題となった。

また、このことは暗く沈みがちな身障者に勇気を与えていることも事実であろう。人間は希望があれば生きていける。これは障害や病気に犯されていても同じことであろう。

どうやって沈みがちな自分の人生に希望を与え、生き甲斐を見出すか。これは難しいことであるが、そういう取り組みをやることができるのが人間の素晴らしいところであろう。

大江健三郎の「広島ノート」(岩波新書)だったかに重藤文夫という医者の先生のことが出ていた。重藤先生自身が広島で原爆を受けたのだったと思うが、薬や包帯とかいろいろな医療品も足りていないときでも希望を捨てないで医者としての治療に尽力をされたという。

大江さんの描いた「広島ノート」はそこが救いであったと思う。大江さんは文章が重厚でくどくどと何かを述べるという感じがしたが、やはり彼は見るべきことは見ている。

彼の卒業した松山東高校のキャンパスが私の仕事場からかいま見えるが、緑あふれる学校である。 ごくまれに午後この学校の近くを散歩するとテニスコートで生徒が練習をしている。

私も少しテニスをするので、いつだったかしばらく見ていたら、ボールを拾いに塀のそばまで来た生徒さんに「今日は」と挨拶をされたことがあった。OBの人が自分たちの練習を見ていると思ったのかもしれない。だが、残念ながら私はこの伝統ある高等学校の卒業生ではない。