今週の学生の反応はどうだったろうか。よくわかるという学生たちと全くわからないという学生たち。わからなかったところを質問として書く学生たちとの3つにわけられる。
質問をする学生はいい。しかし、具体的な質問をしないでわからないのは先生の講義が悪いからだという学生には処方箋はない。理解するのは学生個人なので理解の行為を私が代わる訳にはいかない。どこがどのようにわからないというのならわかる。
唯一私が非難されてしかるべきなのは学生がいかに努力して理解しようとしても理解不可能な支離滅裂なことを講義したときであろう。そういうときには教師は責任を問われても仕方がない。
講義ノートは渡してあるし,質問に対する回答や必要な補足説明は各講義のはじめにしている。また講義の補足の資料もプリントして渡してある。また自分で調べようとすれば,本でもインターネットでも調べることは出来る。しかし、学生一人ひとりがわかろうとしなければ、わかろうとする意欲をもたなければ、私の努力ではどうにもならない。
大体数学とか物理の授業で先生の話を教室で聞いてそのまま理解できるなんてことはまことに疑わしい。聞いたことを自分で反復して大切なことは理解をして、さらに推論の過程を覚えておくことが必要とされる。
もちろんすでに自分がなんらかの努力をして理解をし,覚えていることならば先生の話でも理解することができるが、そのような主体的な努力なしに数学とか物理のような学問がわかるはずがない。