国会図書館にそんなにたびたび行ったわけではないが、数回は行ったことがある。
国会図書館の入口のところに「真理はわれらを自由にする (Die Wahrheit macht uns frei) 」という大きな字の標語がかかっている(もちろんこのうしろのドイツ語はない)。これは参議院議員として国会図書館の創設に関わった羽仁五郎の提案にもとづいたものであろう。
こういう意気軒昂なところが羽仁五郎のいいところである。羽仁五郎のような高邁な理想をもった思想家はいなくなった。さびしい。
羽仁五郎『都市の論理』(勁草書房)をあまり詳しく読んだことはないが、都市を中心にして政治を行うべきだという考えを述べたもので、いわゆる左翼系の人にもあまり浸透していないが、もっとこの可能性を考えるべきであろう。
これはいま自民党が掲げる、地方創成などとまやかしの概念ではない。地方創成などというのは国家が地方を何とかしてやるという恩着せがましいものだが、そういう思想がはびこっているから、いつまでたっても国が何とかせよとかいう風になる。
国は外交と防衛しかやってはいけないというのが、私の考えであり、税金も国がとるのではなく、自治体が徴収するのである。それらの多くの自治体の格差等の是正には国も絡んで来ることはあるかもしれないが、あくまでも主体は自治体である。
国に財政的な基盤があるようでは都市の自治体連合という構想は実現しない。
もう大分前になるが、ドイツのフライブルクの市長が来て、E大学で講演をしたことがあった。ベーメさんという市長はSPDの所属であったが、国が何と言おうと自治体が環境問題を勧めるのだという強い決意をもっておられた。
エネルギーを有効利用したり、車の市内乗り入れを制限するために電車やバスの連絡(いわゆる、park and ride)を緊密にしたり、割引料金を導入したりとシュバルツバルトの森林を守ることが市民を守ることだという点でも意識がはっきりしていた。原発に依存しないという点でもしっかりしていたように思う。
その後任の市長はGr"une所属の市長が選ばれていることでもわかるように、フライブルク市民の環境に関する意識は高い。
要するに、ベーメさんは国が何と言おうと自治体がノーといえば、できないのだという主張だった。その主張は羽仁五郎の都市の論理を思わせるものだった。