物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

cleverよりwiseを

2010-08-11 12:31:21 | 数学

「cleverよりwiseを」という、このブログを数学の分野に入れたのは意味がある。2009年の遠山啓生誕100年ということで、遠山の言行録の中に「cleverよりwiseを」という話がある。

いまの若い人には、これは遠山の言った印象的な言葉ととる向きもあるだろうが、私たちの年代だと「自然」という雑誌が中央公論社から出版されていたことを知っており、この「自然」に湯川秀樹の「物理学者群像」という物理学会かどこかでの講演記録が載ったことがあり、そこでは量子力学の創立者の一人である、M. Bornの回想を湯川が読んで話したのがあり、それがこのソースなのである。

日本でcleverよりwiseというのは湯川から来ている。もちろん、そのソースはBornである。こういうことはどうでもいいような気もするが、少なくともcleverよりwiseという感覚は湯川の講演記録を読んで以来私の体の中にもある。少なくとも遠山からは来ていない。大げさに言うと私の人格形成の一部となっているのである。

いや、こういったからと言って遠山を貶めることにはなるまい。遠山は1909年生まれだが、湯川は1907年の生まれであり、2歳しか違わない。それで、遠山もドイツ語を堪能に読むことができた世代である。だから、遠山は湯川とは独立にこのBornの回想録を読んだ可能性はある。遠山自身は湯川からこの「cleverよりwiseを」という考えを知ったという風ではあまりない。

もっとも湯川経由であったかもしれないが、私の思想の一部にも「cleverよりwiseを」という感覚が住み着くくらいだから、遠山にも影響を与えた可能性もまったく0ではない。

ここで、言いたいことは、ここでどちらかに軍杯を挙げるのではなく、そういう雰囲気とか思想を多くの科学者が、その当時の若者が湯川経由であったとしても、その他経由だったとしても、もったということである。そういう時代の雰囲気とか風とかを知ってほしいということである。

人格形成とはそう考えてみると興味深いものである。


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