(日本国有鉄道清水港線跡 静岡市清水区)
大正5年(1916)東海道線清水貨物支線として清水港駅までの1.4kmが開業。その後、昭和5年(1930)には清水埠頭駅まで1.1kmが開業した。そして、戦時下の昭和19年(1944)7月には三保まで延伸され、全長8.3kmが全通した。同年12月からは旅客営業も開始され、清水港線となった。
旅客運転は、貨物との混合列車として運行され、当時の客車、スハフ422105客車と入換機関車が、旧巴川口~折戸間に清水市内線電車と共に保存されている。昭和47年(1972)のダイヤ改正以降、上下1本ずつの旅客運転となり、日本一運行本数の少ない路線となった。 そして、昭和55年(1980)貨物の道路輸送化が進んだことと、国鉄再建法第一次特定地方交通線に指定され、昭和59年(1984)4月1日をもって廃止された。
廃止後は地元バスに転換されたが、10分間隔にも関わらず、立ち客がいるほどの利用者である。現役時代に旅客に対して力を入れていれば、存続できた路線といえよう。
清水港駅跡はエスパルスドリームプラザという商業施設、巴川口駅跡は静清浄化センター、その他の駅は公園になっているが、当時の面影を残すものは殆ど無い。
然し路線跡は、しみずマリンロードとして自転車、歩行者道となっていて、路肩には四季折々の花が植えられている。
(HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/japanese-national-railways-shimizukou-line.htm )