(豊川市東上町)
往古、徒渉(かち)川といい、「跨いで渡ることのできる程の川の意」とされる勝川。
その川は、トップ写真にあるように草で隠れてしまう程の小河川、宮出川支流勝川のことを表すとみられるが、共に小川である宮出川も合わせて指したのだろうと思われる。
そして古来、鳳来寺道は本宮山の麓からこの徒渉川を渡り、牛の滝、郡境を越えて設楽郡に差し掛かったといわれている。
また、当地に住む古老宅の言い伝え(平成4年伺い)によると、長篠の戦いのとき、徳川家康が勝川の地に本陣を置き、戦勝したので縁起を担いで陣を置いた場所に石で囲って陣塚を築き、土地の名を勝川と名付けた。ということである。
勝川南隣の地名「徳台」もそれに関連するのかもしれない。
何れにせよ、秘められた歴史を持つ「勝川」の地である。

(関連記事:勝川寺勝川城)
往古、徒渉(かち)川といい、「跨いで渡ることのできる程の川の意」とされる勝川。
その川は、トップ写真にあるように草で隠れてしまう程の小河川、宮出川支流勝川のことを表すとみられるが、共に小川である宮出川も合わせて指したのだろうと思われる。
そして古来、鳳来寺道は本宮山の麓からこの徒渉川を渡り、牛の滝、郡境を越えて設楽郡に差し掛かったといわれている。
また、当地に住む古老宅の言い伝え(平成4年伺い)によると、長篠の戦いのとき、徳川家康が勝川の地に本陣を置き、戦勝したので縁起を担いで陣を置いた場所に石で囲って陣塚を築き、土地の名を勝川と名付けた。ということである。
勝川南隣の地名「徳台」もそれに関連するのかもしれない。
何れにせよ、秘められた歴史を持つ「勝川」の地である。

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