(豊橋市多米町)
神亀三年(762)創建の真言宗赤岩山赤岩寺の背後には、その名の通り赤岩山がある。
標高は320mで、赤石山脈の西、弓張山系の西端の一つであり、別名三河富士という。
赤岩山は堆積岩の一つ、赤いチャート岩石が露頭しているところからそう呼ばれるようになった。その中腹に築かれたのが赤岩山城である。
城跡周辺にも山名に由来するように露出した岩肌が所々みられ、この山の要害さを現している。故に信仰対象の山ともなっている。
この城の城主は今川氏に属した時期の牧野氏、或いは戸田氏と考えられている。
現在は赤岩山自然公園の一角となり、城跡も開けているが、主郭とその背後には土塁、堀切が残り、尾根を開削して築城したことがよく分かる。

(参考:石巻自然科学資料館蔵の“赤チャート”)
(関連記事:多米城)
神亀三年(762)創建の真言宗赤岩山赤岩寺の背後には、その名の通り赤岩山がある。
標高は320mで、赤石山脈の西、弓張山系の西端の一つであり、別名三河富士という。
赤岩山は堆積岩の一つ、赤いチャート岩石が露頭しているところからそう呼ばれるようになった。その中腹に築かれたのが赤岩山城である。
城跡周辺にも山名に由来するように露出した岩肌が所々みられ、この山の要害さを現している。故に信仰対象の山ともなっている。
この城の城主は今川氏に属した時期の牧野氏、或いは戸田氏と考えられている。
現在は赤岩山自然公園の一角となり、城跡も開けているが、主郭とその背後には土塁、堀切が残り、尾根を開削して築城したことがよく分かる。






(参考:石巻自然科学資料館蔵の“赤チャート”)
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