(五葉城郭部 豊橋市石巻中山町・新城市富岡)
標高約380m、五葉城南東側に隣接する高城砦。
付近の城郭で最も高所にある砦であり、高城砦という名があるが、五葉城の一つの郭部、或いは隣接する西郷氏の弾正砦、堂山砦を含む一大城郭の一部と考えることもできる。
永禄四年(1561)今川勢から逃れるため、菅沼定盈が野田城から高城(或いは五葉城)へやって来て一時滞在したことがあるという。
五葉城南側郭から高城砦の北側斜面裾にかけて新たに林道により削られていた。また、北西側には「南川1号線」という林道が新たに設けられたようだ。踏査中、何周もクロスカントリーを繰り広げるマウンテンバイカーがいた。
頂部は現在木々に覆われていて、あまり視界は良好ではないが、往時は宇利や中山及び中山峠を監視するための施設があっただろうと推測でき、その主郭の周りには標高差に応じた複数の帯郭がみられる。
高城からはこの日、遠く富士が望めた。
標高約380m、五葉城南東側に隣接する高城砦。
付近の城郭で最も高所にある砦であり、高城砦という名があるが、五葉城の一つの郭部、或いは隣接する西郷氏の弾正砦、堂山砦を含む一大城郭の一部と考えることもできる。
永禄四年(1561)今川勢から逃れるため、菅沼定盈が野田城から高城(或いは五葉城)へやって来て一時滞在したことがあるという。
五葉城南側郭から高城砦の北側斜面裾にかけて新たに林道により削られていた。また、北西側には「南川1号線」という林道が新たに設けられたようだ。踏査中、何周もクロスカントリーを繰り広げるマウンテンバイカーがいた。
頂部は現在木々に覆われていて、あまり視界は良好ではないが、往時は宇利や中山及び中山峠を監視するための施設があっただろうと推測でき、その主郭の周りには標高差に応じた複数の帯郭がみられる。
高城からはこの日、遠く富士が望めた。







