(時宗長祈山浄信寺 伊香郡木之本町)
木ノ本駅から地蔵坂を上がり、北国街道に突き当たるところに建つ木之本地蔵院。
明治27年に本尊の「写し」として開眼された高さ約6mの銅製地蔵菩薩と眼病治癒の身代わり願をかけた、片目を瞑った蛙が先ず目を引く。
白鳳三年(675)難波浦に金光色の地蔵像が漂着し、その地に法相宗唐隔山金光寺を建立したことにより始まるという。
その後、難波から薬師寺僧祚蓮によって木之本に移されたが次第に衰退、弘仁三年(812)には空海が訪れ中興、真言宗となり、昌泰元年(898)に現在の山号となった。更に時宗に改宗され、天正十一年(1585)の賤ヶ岳の戦いの際に秀吉軍が陣を置いた。
仁治三年(1242)銘の本尊地蔵菩薩像、平安時代の阿弥陀如来像、国指定名勝の築山林泉式の庭園等があり、境内奥には「木之本豊川稲荷」がある。
また、隣接して浄土真宗の明楽寺がある。
木ノ本駅から地蔵坂を上がり、北国街道に突き当たるところに建つ木之本地蔵院。
明治27年に本尊の「写し」として開眼された高さ約6mの銅製地蔵菩薩と眼病治癒の身代わり願をかけた、片目を瞑った蛙が先ず目を引く。
白鳳三年(675)難波浦に金光色の地蔵像が漂着し、その地に法相宗唐隔山金光寺を建立したことにより始まるという。
その後、難波から薬師寺僧祚蓮によって木之本に移されたが次第に衰退、弘仁三年(812)には空海が訪れ中興、真言宗となり、昌泰元年(898)に現在の山号となった。更に時宗に改宗され、天正十一年(1585)の賤ヶ岳の戦いの際に秀吉軍が陣を置いた。
仁治三年(1242)銘の本尊地蔵菩薩像、平安時代の阿弥陀如来像、国指定名勝の築山林泉式の庭園等があり、境内奥には「木之本豊川稲荷」がある。
また、隣接して浄土真宗の明楽寺がある。









